講話音声再生(531~543)

第五三一条 「神社仏閣は、その昔えらい人が神仏の力を表わして人を助けた所をまつったもので、そこへお参りする人は、その当時のえらいお方をしとうてわが家へ帰っても、そのお方に仕へる気持で 家業をするので、お陰になるのである。」

第五三二条 「わが心になやみがなくなったら、喜べるようになるが、喜べるようになっただけでは、本当の喜びではない。世の中のなやんで居る人にこの喜べる道を施したいと念ずる心が神に通ずる。 これが真のよろこびである。これから不思議の世界に入れる。」

第五三三条 「神仏にすがるばかりで、進むと迷いがさめ難い。それで悪魔にわざわいされやすいものである。そこで慈悲の行いがいるのである。悪魔は慈悲の力が一番おそろしいものになっている。」

第五三四条 「何事によらず、形や言葉にとらわれてはならぬが、形や言葉には必ずその本元を見究めねばならぬ。そうするとその中に大切な意味が含まれて居る。これを見究めるには、人間の知恵では 出来ぬ神仏の知恵をからねばあやまちが多い。」

第五三五条 「いかなる悪魔の力でも、慈悲の力には及ばぬものである。悪魔を降伏させるというが、降伏させてやるというような考えでは 悪魔が強ければ負けるぞ。慈悲の心で自分が悪魔の犠牲になると心をきめたら、そこで悪魔はその力に圧されて、悪い力が使えぬようになるのである。時によれば、悪から転じて、慈悲の手伝いをするようになるかも知れぬ。これを真の降伏という。」

第五三六条 「人は顔が違うように、皆思いが違うておる。人毎に前の世の因縁が違うておるからである。このように種々雑多の人人を一いち、助けるには、一人一人の過去の因縁と現在のなやみと望みを知りぬかねばならぬ。この知りぬく力はとうてい人間の知恵では、はかり知る事の出来ぬ力である。これを仏智見という。」

第五三七条 「神仏の世界と人間の世界とを別に考えたり、またこの世とあの世とをはなして考えてはならぬ。凡夫と聖人とは不二のもの、 生死は一如であると観念せねば、いつまで考えても神仏のご縁はむすべぬ。」

第五三八条 「福祿寿という神がある。この神は人間の徳望と食祿と寿命を兼ね備えたお方であって、その教えを左に記す。福は己を無にする者の領有なり。祿は餓えざるをもって足る者に附随す。寿は世に功を残すをもって足る者が得る。」

第五三九条 「ある所に一人暮らしの、からだの弱い人があった。ある日えらい人に、運を見てもらった所、三年の内に命があぶないといわれたので、全く慾をはなし、財産を売り払うて諸国遍歴をしている内に、からだは非常に丈夫になった。三年も、もはやわずかの日になったある晩、橋の上から身をなげようとする若い男女に会い、聞いて見れば金につまっての身なげらしい。そこで、わが身には、もはやいらぬ金がある。これを恵んで二人を助け、最後の日を待ったが、三年過ぎても相変わらず丈夫である。そこで止むなく、残りのわずかの金で車を求め、車ひきをして居るうちに、前助けた人にめぐりあい、これが縁となり喜びの一生を送った話がある。これは三年後に死ぬと信じ、慾をすてて、慈悲の行いができたから、はじめて運を見た、えらい人は三年後に出世するといいたかったであろうが、それでは身も心も助からぬ。そうすると今の運は開けぬ。そこで一旦殺して、慈悲の生活に入れ、しかる後に助けた神の不思議力。誠に尊いではないか。」

第五四〇条 「神仏とまつられて居るお方は、慈悲心に燃え、わが身の苦難を考えず人を助けられた。それであるから、神信心するものは、 すくなくとも、わが責任ぐらいは果たさねばおはずかしい次第である。」

第五四一条 「神仏に従うという事と人に求めずという事は、二つの事ではない。人に求めたら、神仏に遠ざかる事になる。神仏に従えば、 人に求めぬようになる。そこで慈悲の心がわいて出るようになる。」

第五四二条 「手を合せる姿は、人間性根と、神仏のお心とをぴったり合わせた姿である。たとえ手を合わせて居っても、心が神仏心に合うて居らぬと、いつまでも迷いのやみは光がささぬ。」

第五四三条 「人の眼、耳、鼻、舌、身は心の窓のようなもので、この窓ガラスに永年の間のけがれが付いて居る。そうすると、外からはいる光も、内からさす光も、よごれのために、実物通り心に写らぬ。それでも、汚れて居る事を知っておれば、勘違いはせぬが 永年積み重ねた宿縁で、汚れを少しも知らぬために、我とわがでに、不運に沈む。この汚れは外の光では気づかぬが、神仏の御光がさすと不思議によくわかるようになる。わかるようになるとそうじがしたくなる。そうじが出来ると、心の内に御光が さし込んで明るくなる。明るくなるから、もの事がよくわかる。 そうするとこの喜びを自分一人で持ちたくない。何とかして、人にも伝えてあげたい心になる。ここまで来ると、神仏は、この人に知恵を授ける。これがまことの信仰である。」