講話音声再生(494~500)
第四九四条 「何ごとによらず人に喜んでもらう。得心してもらう事が大切であるが、むこうに神仏のご縁がない人であった時は、そう出来ぬ場合がある。このような時には自分の事は神にまかせて、時を待つのがよい。決して自分と考えが合わぬからというて、にくんではならぬ。神から見れば、ちょうど兄弟げんか同様である。親がつらい。」
第四九五条 「無念とか、無想とか虚心とか、いう言葉があるが、これは何一物も心にないということではない。心に自分という考えや、自分にひきもつれた種々の考えが消え去った境地をいうのであって、心に何物もない。寝ているようなものとは違って、生々としてこだわりのない心の有様をいうのである。」
第四九六条 「自分の責任を重んずる人は、前の世からよほど功徳を積んでいる人で、このような人は祈らずとも神仏の縁の深い人である。」
第四九七条 「人間的の喜びは次第にうすらいで、しまいには苦に変わって来る。信仰の喜びは次第に濃くなって、感謝がまして来る。」
第四九八条 「心の働きには自性はないもので、その使い方により善になり、悪になり、変化するものである。たとえて見れば人間の知恵、 之は自性ないもので、人を助ける方に使えば善になり、又人を害する方に使えば知恵があればあるほど多く人を害し、悪を増す。この通り知恵そのものには、自性はないのである。使い方による。この大切な使い方を教えて下さってあるのが、神仏の教えである。」
第四九九条 「神仏に近よる行に六つある。 一に施行。二に忍行。三に精進行。四に戒行。五に禅行。六に智行。 先の四つは心に慈悲があればおのずから出来る。禅とは一心帰命の行で、智行とは人間の知恵でない、神仏の知恵である。」
第五〇〇条 「神仏の知恵は人間の知恵とは丸っきり違い、人の力ではとてもはかり知る事は出来ぬ。たとえば座して千里を知り、萬里を見る事も出来るなど、人間の理論を飛び離れた知恵から出る力である。この知恵はいいかえたら、いかにすれば人間が助けられるかという慈悲から出た知恵である。」