講話音声再生(462~471)
第四六二条 「世の中に邪推深いという人というのがある。これは世の中の実際を見る力のない人がする事で、本当に向こうが見え抜いたら 邪推も疑いも起こらないものである。」
第四六三条 「偉い人には邪推も疑いもないものである。これは向こうが見えぬいて居るから間違いが起こらぬ。それであるから人が助けられる。何を置いても借りたいのは神の力である。」
第四六四条 「昔から『窮すれば通ず』という事をいうが、これは困りぬいたら神仏のご縁ができるから助かるようになるので、神仏は間違うた人をわざわざ困らせて縁をこしらえてくれるのである。これであるから困った時は、神にすがる心を忘れては助からぬ。」
第四六五条 「後悔先にたたずという教がある。悪かったと悟れたら、あの時はこうしたらよかったのになど考えるのは愚痴である。そんなひまがあったら直に改めて神仏にすがって、後のことを忘れて 今にお陰をと先を楽しんだら直ちに救われる。」
第四六六条 「先がたのしめたら後の事のつらかった事が、かえってよかったとお礼がいえる心になる。お礼がいえる心にならねば助かるものではない。すぎ去った後の事を悔やんでいるようでは神仏の心を知らないのである。」
第四六七条 「一度助かって、心の底からお礼がいえるようになったら、神仏のご縁が濃くなって、それからつぎつぎと喜びがふえて行くも のである。」
第四六八条 「世の中に助からぬものとて何もないはずである。縁が無ければ仕方がない。まだ時がきておらぬので、神仏ご自身でさえ時をお待ちになる。」
第四六九条 「時がきておらぬのに無理に助けてやろうとすると、かえって縁が遠のく事がある。よく気をつけねばならぬ。」
第四七〇条 「いかな悪人でも神仏の種はあるものぞ、時を待てば芽が出る。」
第四七一条 「もの忌みに心を苦しめてはならぬ。神仏にすがりさえしておれば、これに上越するもの忌みはないはずである。」