講話音声再生(435~442)

第四三五条 「大慈悲に燃えておる人を聖人といい、知恵ある人を賢人といい、自分の事だけか知らぬのを凡人という。」

第四三六条 「知ってするのを習性という。知らずとするのを天性という。知ってする事がたびたびかさなれば天性と同様となる。これが修行である。」

第四三七条 「草木の花は国柄をよく知って居ると思う。日本の花は奥ゆかしい。香もよければ葉も美しい。よその国の花ははでだが香もなく、葉もないのが多い。」

第四三八条 「自分を守る為に精を入れておる人は、神から見はなされやすい。我を忘れて人の身を思いやる人は神に好かれる。」

第四三九条 「人に話しをするのにじょうずになるより、人の話の聞き方がじょうずになれ。」

第四四〇条 「神仏に緑が切れたら、いかなる知恵があっても学問があっても、目くら同様、つんぼ同様である。肉の目が見えいでも、肉の耳がきこえいでも、心が神に通えば不自由はない。」

第四四一条 「車は 大変結構な道具であるが、この車は 歯止めがなかったらこれ位いあぶないものはない。人間の心の働きに歯止めが無かったと考えたらあぶない事である。この人生の歯止めの力は神に頼る人に限り与えられるものである。」

第四四二条 「おかがみは神のご馳走にちがいない、まあもち米がたんぽにまかれてからもちになるまでの苦労を考えて見よ。そしておしまいに三宝の上にのってまるい姿をしている人に頭をさげられる 神の御馳走になるはずである。」