講話音声再生(425~434)
第四二五条 「人間は衣、食、住だけで満足の出来ぬ生物である。衣、食、住が楽になれば、なるほど満足どころか望みが大きくなって来るものである。このむずかしい望みをかなえてくれる親が見つかった人は、本当の幸福な人である。」
第四二六条 「いかに、善いと思うことでも人に施して喜ばれなかったら、その施しの道が誤まっておる。喜ばなかったら助からんではない。この所が大切な所である。心の工夫がいる。」
第四二七条 「およそ何事をするにも、慈悲心からするのが一番上等で、わが好きからするのは、二番目である。食うためにするのは一番下等で ある。」
第四二八条 「のみという虫は、人のつめとつめの間であわれな最後をとげる虫であるが、もし、のみが何でこのような運命になったのかと考えると、これは自分を肥やすために人の血を吸うからである。よし、今から人の喜ぶことをしようと悟ったら、だれがつめの間でせり殺したりするものか。」
第四二九条 「腹を立てて劫をわかすと、すぐに悪魔がつけるのは、ちょうど甘酒をつくるといつのまにか小ばえがつけると同じこと。」
第四三〇条 「暮らし向きに費用が足りぬ時には、大抵この不足を他から持って来て。足そうとする。これは間違いである。この足らんだけをどこかで暮らしをけずればよい。」
第四三一条 「神仏に会いたいと思えば、人のいやがる仕事を喜んで引きうけ、人の好くものに、遠慮して通ればよい。」
第四三二条 「真心は神に通う。欲心は悪魔に通う。所が真心と欲心との区別がつかぬ。これが悟れたら大きな得である。」
第四三三条 「まごころは神に通じ、我心は肉に親しむ。それであるから肉を捨てれば神に通ずるのは当然のはなしである。」
第四三四条 「寄附をして建札を遠慮する人は沢山ある。又、人に施して礼を求めぬ人はこれも沢山あるが、日常の生活に人によい事をして、その返礼に悪い事をしむけられたら怒らぬ人が幾人あるか。すくなくないだろう。日常に施行していると心得たらよい。」