講話音声再生(413~424)

第四一三条 「人はつねに最悪の場合を標準として、暮らしてゆくなれば、いかなる問題にあっても安心してゆけるはずである。」

第四一四条 「人は自分を知るということは大切なことであるが、妙なことには自分の長所のみをよく知って、短所にはあまり心を掛けぬくせがある。これと反対に人の方へ向いて短所をよく探るようである。 人の短所があれば、これをあわれんで救い、わが短所は人に迷惑をかけぬよう直ちに改めねばならぬ。」

第四一五条 「足らぬものは余る、余るものは足らぬ、ということわざがあるがこれは我々日常の少しばかりの心掛けが積もって、大きな結果を 生み出すという結構な教えである。」

第四一六条 「れんぎで腹切る、といえば、だれでも笑うであろう。しかし人間は無理なことをして、ちょうどれんぎで腹を切るようなことをしている。」

第四一七条 「お達者な人と人にほめられた時に、少年のものはよろこぶ。中年のものはよろこばん。大老の人はよろこぶ。このように異なるのは その人の心持が違うているからで、すべて言葉はうつり変わりに気をつけねばならぬ。」

第四一八条 「どんな暗いやみの夜でも、きっと明るい朝が来る。人間も先を楽しんで働け。」

第四一九条 「人がせめたくなったら、どうしたら許せるか、その工夫を考え出せ、人がそしりたくなると、どうしたら、その人のようにならんと済むか工夫して見よ、心は安らかになる。」

第四二〇条 「求めることがあったら、神仏にご縁ができたのである。ご縁が濃くなって来ると、求めなくてもよかったのだということがわかる。 けれども、はじめに求めることが得られなかったら、不足が出るに違いない。そうするとご縁ができなかったであろう。ここが大事なところである。求めずして、かわいがられる道がある。」

第四二一条 「わが心のくせがわからぬ間は、人が悪い人が悪いと思うが、わが心のくせがわかるようになったら、人が悪いとばっかりはいいたくないようになる、これからが誠の道筋。」

第四二二条 「門前の小僧経を読む」昔のたとえに言うが、人間はえらい人に近よっていれば、いつの間にか喜べる道にはいっているものである。」

第四二三条 「わが身のつらさから、信仰に入れる人は、しあわせな人である。どんなつらい目に会っても、神仏の縁がつかぬ人は、まことに気の毒な人である。」

第四二四条 「いかなるわるいことをしている人でも、神仏はこれを見離しなさらぬ。自分であきらめて、神仏から遠ざかってはならぬ。」