講話音声再生(401~412)
第四〇一条 「この先はどうなるかなあなど考えてみる要はない。今の考えが信心に添うてさえいればそれでよい。先の事は今する事で決まるので、先の事を頼むより、今することを神の心にかなうようにするのがよい。」
第四〇二条 「世の中に、不思議の起こらぬ人ほど、気の毒な人はない。人が助かるのも世の中が進むのも、皆不思議から生まれている。気をつけて見よ。不思議の起こる人はしあわせでないか。」
第四〇三条 「自分の方がまっすぐで、人の方がゆがんでおるという事がはっきりわかっている時でも、すぐに人を責めてはならぬ。見る目が間違っておらぬとしても、この人を責めるという心は、どこから出てきているかとたしかめて見ねばならぬ。慈悲から出てきておればよいがもし、わが身をよくしようという所から、出ていれば悪いことである。」
第四〇四条 「腹の立った時の考えは、大抵間違いが多い。その時は、悪魔にさそわれやすい。神様に頼って、心が静まった時に考え直して後でなければ、何事もしてはならない。」
第四〇五条 「道を人に譲って、よけておる時に、人が知らぬ顔をして、行きすぎたとすれば、その時は、ああ良いことをした、人に気苦労を掛けずに、通ってもらえたと、考えるようになれ。」
第四〇六条 「人に親切をして、それが人に届かなかった時には、怒ってはならぬ。親切は、わが身の為にするのではない。人の為にするので、このような時に、おこるのは大ていわが身の徳が足らぬところから来るもので、親切をしたことさえ知らぬのがまことである。」
第四〇七条 「もの事をするのに、早くするのはよいことである。それがために、人を押しのけてまでしてはならぬ。」
第四〇八条 「何事を見ても聞いても、いやと思うことが少なくなったら、心がみがけたしるしである。もし、いやなことが多かったら、しっかり徳を積むがよい。」
第四〇九条 「一ヶ所の神に通じたら、いずこの神さまにも通じると同様に、一つの徳が積めたら、その徳は、どこへでも、光りを添えるものである。」
第四一〇条 「信仰は、神さまのみ徳をしとうのであって、お祭りしてあるご神体によるものではない。ご神体は、何であってもよい。この事を世の中で、いわしの頭も信仰からというている。」
第四一一条 「健康のはかり(秤)というものが三つある。一、うまくたべられる。 一、よくねられる。 一、日々きもちよく通じがある。 この三つの事がそろうと、からだはよい。」
第四一二条 「百尺の大木の木の先まで、水を揚げるのに、木は楽々と揚げている。もし、人がこの水を押し揚げるには、大変な力がいる。 これをみても、天の力の大きなことがわかる。」