講話音声再生(370~384)
第三七〇条 「人は 何も別にむつかしい行はいらぬ。ただ我というわがまま根性をのけて、神仏と仲よしになればよいのである。人々の癖そのままが、神のすがたに変わるのである。」
第三七一条 「太い竹の筒で火を吹き消せぬように、つずまりのつかぬ心では世の中に役に立たぬ。天地に通う大きな心で人に向かえば、何でも成就する。火吹竹の細い穴の風の力が強いようなものである。」
第三七二条 「世の中につまらぬ事に力を入れる人は、大事な時には力が出ぬ人である。」
第三七三条 「徳をもって人に向かう者は強く、我をもって人に向かう者は弱い。」
第三七四条 「仕事をして身をそこねるものではない、心を痛めた時には身をよくそこねる。」
第三七五条 「天地の仕事は、いつも相変らず規則正しく続けて居る、いかなる時でも変った事がない。人も心念を天地に通わせ。この動かぬ態度がほしいものである。不動様の御教えが、心にはいらねばならぬ。」
第三七六条 「木が朽ちれば虫がわく。いきいきしている木には虫はわくものでない。又人が疑いの心を持つと、そしりというて悪い事を言う人の言を自分の中にとり入れ、自分の心を腐らす。木に虫が わいたのと同じ事である。確固不動の信念でいきいきしたいものである。」
第三七七条 「慈悲をしたさに、身をつめて質素にするのは、人を助けたさに行をするようなものである。」
第三七八条 「竹を曲げるに火であぶらねば曲げられぬ。火は天の力、曲げるのは人の力。神人同一の妙もこのようなものである。」
第三七九条 「心が神に通えば、人間以上の自由が許される。神に通うという事は、自分という人間性根をはなれて神にしたう心である。」
第三八〇条 「神に力を許された人は、神の力をもろうたと知らぬもので、神を慕うておるうちにいつの間にやら人間根性がぬけて、人の苦難をわが事のように考えるようになる。この時の心は神心というてよい。」
第三八一条 「神仏のお陰は、自身を利益するだけを考えておってはならぬ。自分が神仏を慕い抜いてこそ大きなお陰である。自分の事を思わず、人の事に慈悲をかけてこそ、誠のお陰が表われる。」
第三八二条 「武士道というて尊い行いがある。これはせんじつめて言えば、死をもって人の道をたて抜く事で、この人々は神に祭られている人が多い。信心するという事もほかではない。この尊い働きをせられた人を慕うて、自分もそのようにしたいと思う事が、 誠の信心である。」
第三八三条 「同行二人というが、一人のつれは慕うている尊い人で、いつもその人がわが心の命令者でなければならぬ」
第三八四条 「怒るという事でも助ける為か、又国の為なら結構であるが、わが身の思うままにならぬので、腹を立ててはならぬ。偉い人の怒りは裏が慈悲心であるが、凡夫の怒りは、裏手がにくしみである。」