講話音声再生(343~350)
第三四三条 「物と物との間には、必ず一つの働きがあるように、人と人との間にも、働きがある。この場合に人間根性をはなれて、慈悲心に燃えていたとすると、向こうの人の一切は、心に写るべき力は神よりめぐまれるべきはずである。」
第三四四条 「神仏のご恩を知らずして、暮らしている人は迷える人、この道を理として研究している人は学者、これをご恩として感謝している人は信者である。学者の収穫は人間としてできる範囲の事だけであるが、感謝の裏には無限のお陰がある。」
第三四五条 「人間の知恵として知り得る物事は、いかに深遠なる理のある事でも差別の相を脱して居らぬが、神仏の慈悲として感ずる智恵 は真理といえる。」
第三四六条 「しょうが一貫植えて十貫とれる。一貫一円として十円になる。それなら一万円のしょうがを植えると十万円得られるかというに、そううまくはゆかぬ。人はこれを経済学といっているが、 名前は何でもよい。天は道にかなった働きだけを助ける事を忘れてはならぬ。」
第三四七条 「続くがまことである、まことは天道である。それであるから人の作為も天道に合えば続く、これが神人合一の妙である。」
第三四八条 「一家の内でも差別相なき一体を造る事が肝要である。手、足、頭の区別はあるが、差別のつかぬように家もそうありたいものである。親や子、兄弟が権利と義務にからまれたようなのは、一体主義の家庭とはいえぬ。区別はあるが、差別のないのが尊いお方の教えである。」
第三四九条 「信仰は、わが身に受けておる恩を知る事が始まり。」
第三五十条 「家を永く続けたければ、自分の衣食住を簡素にして、世の中の便利をはかれ、間違いはない。」