講話音声再生(323~329)

第三二三条 「人に明るい人と、暗い人とがある。明るい人は、神にほめられておる笑顔の表われで、暗い人は神にしかられておる泣き顔であると見てもよい。」

第三二四条 「土なべで飯をたく時、米に水を多く入れても、火のたきようがきつくても、ぬるくても飯はおいしくでき上がる。見かけは誠にお粗末でも、人を喜ばす力は大変大きい。これを人の身の上にたとえたら、立派なものではないか。」

第三二五条 「口を開けば人を歓ばし、手が動けば福を授けるというような人は神のかわい子である。」

第三二六条 「習わぬ経は読めぬと昔からいうが、なるほど人は常から神仏の教えの通り身に「くせ」をつけておくことが肝要である。」

第三二七条 「向こうから道一ぱいになって、威張って来る人があるとする。この時、道を譲って悪く思わず、心のうちで会釈をして通れ、この会釈こそ、生きた経文である。むずかしい文字の経文ばかりがお経でない、たちまちこれで人が助かるではありませんか。」

第三二八条 「神や仏の慈悲の手にいだかれておることを知って居る人には、いかなることがない。よく考えてみなさい。つらいなど思うはずがないではありませんか。」

第三二九条 「わが身大事から割り出した事はどんなことでも迷いの種である。人の身を思ってしたことは、みな慈悲心であって、悟りの根である。」