講話音声再生(271~284)

第二七一条「しやすい事を選ぶな。むつかしい事でも何でもよいでないか。世の中の為なれば。」

第二七二条 「世の中に何が一番恐ろしいかと聞かれたら何と答えるか。一番近い「わが心」である。」

第二七三条「いかに細い谷川の水でも、流れておる間は凍らぬのを見ても、わが心が、いつも神に通うているよう心掛けがいる。」

第二七四条 「何事をするにも、先ず世の中の事を考えてせよ。わが身の損得を考えてしてはならぬ。」

第二七五条 「光線というものは、目に見えるものではない。物が光に照らされるから、物が光って見えるのである。これと同じ事、肉の身があるから、神様のありがたみがわかる。ところがこの広大なお慈悲を感謝するのは、人だけである。それだけ生物の中でも人身と生まれたのは、幸福である。」

第二七六条 「急ぐ道は、まわれ。負けるは勝、欲しければ捨てよ。商売は損で食う。欲は損のもと、皆同じ意味である、よく味わえば、味わうほど、意味が深い。」

第二七七条 「人の世渡りの道はいつもお堂守やお庵守と心得えれば、間違いない。「からだ」と心の用いようで、お堂も、お庵も直ちに立派になる。」

第二七八条 「何物でも、何事でも、無から有が生まれるものである。ちょうど「フイゴ」のようなものである。働けば、働くほど、その用は大きい。」

第二七九条 「われ人に先立たんとすれば、われは一人、人は万人、これを排することは叶わず。人を先にし、我を後にせんとすれば、人はこれを後にせず。」

第二八〇条 「わが身は、世の中にただ一人しかない。この頼りないわが身のみを助けても、世の中への響きは少ないもので、世の中を作っておる多勢の人を助けてこそ世の宝と言われる。」

第二八一条「一日のうち、人にでも、木にでも、草にでも、土にでも、水にでも、お礼を言いたい心が出来た者は、神にかわいがられる。」

第二八二条 「差別は、地獄の第一歩、平等は、極楽の道しるべ。

第二八三条 「どのような信仰をしている人でも、悪口言うてはならぬばかりでなく、もし、笑いたいような心ができたら、自分も神の園から遠く離れている。謹まねばならぬことである。

第二八四条 「広い目で見れば、人は皆、それぞれに、いろいろのふもとの道から山の上へ登っているようなもので、登り方がへたであっても見下げるな。じょうずな人を見習え。出来るなら親切に導いてあげよ。