講話音声再生(241~253)

第二四一条 「信ずれば成るといい、無より有を生ずるといい、神霊の物化といい、皆一つ事である。」

第二四二条 「神のご加護は人間の理屈には合わぬ事がある。そこが有り難い所ぞ。

第二四三条 「人の運命はチギの分銅のようなもので、掛けた重りだけのところにおかれる。何も不思議はない。因縁づくである。

第二四四条 「我欲を願うな、御徳をしたえ

第二四五条 「すべてのなりゆきは皆因縁無しには来ておらぬ。この因縁を悟らねば神のお陰はもらえぬ。

第二四六条 「夢の中で悪魔に追われた時、ご真言でも口にとなえられたら悪魔は、直ちに退散するものじゃが、さめた時はそれがかなわぬのは、心に邪心があるからで心得ねばならぬ。

第二四七条 「おかげという事は、人が日の方へ向こうて日を見つめた後に、他の方へ向いても、尚日輪を見るがごとくに、いつも心に神を思える人に、解釈のできる言葉で、外の者にはわからぬものである。

第二四八条 「物いみ、物断ちは、わが身の行である。それをなにかよい事のように思うて神に願をかけてはならぬ。

第二四九条 「日蓮上人が鎌倉のたつのくちで首を切られかけた時に、泰然として、一心動せず、神を祈りつづけた、刃はだんだんに折れた事は、有名な話である。これは何も不思議ではない。理に合わんからというて信ぜぬ者はいつまでも神さんに救われぬ。

第二五〇条 「からだの健康な人には、食物のすききらいが無いように、心の健康な人には、世の中にすききらいがすくない。

第二五一条 「人はたいてい自分のことよりも、人の事をよく調べるが、そろばんとなると、人の事よりも自分の事をよくはかる。これを反対に用いたら神の道にかなう。」

第二五二条 「人の生きるには心によって肉を働かせておる。それであるから心が天地に通うておらぬと、肉は変則に働きだす。これを病という。心を正して肉を守る。これを真の生きる道という。」

第二五三条 「運が開けてきたら不運な人を助けて通れ。この用をさせるために、天が運を、かしたと思え。」