講話音声再生(203~212)

第二〇三条 「人の生活をとおして、神のありがたみを知るのが本当の信心である。理屈や理論で神のありがたみはわからぬ。」

第二〇四条 「世の中に迷信と言うて、排斥している事もあるが、迷信でも福を得ればよし、迷信さえもせぬ人よりは幸福といえる。」

第二〇五条 「我という者は、肉体に通っているものである。心という者は、天地に通うているものである。その心というものは肉体に即して働くものである。肉体は又、心の働きにより生きるものである。それでわれというものが、神に通えばご慈悲がわかるものぞ。」

第二〇六条 「牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる。」

第二〇七条 「神にお礼をすると、世間の人は一口にいうが、ほんとうのお礼が申せているか考えてみねばならぬ。人は生まれながら神様から口にもいえぬほど宝物をくれてある。この大きなご慈悲を一々事に当たる度に理解が出来てこそほんとうのお礼がいえるのである。」

第二〇八条 「黙々として自ら働く、これを大という。この働きにして私なければ、天地これに応ず、これを神のご加護という。」

第二〇九条 「日に一つなりとも、天の意にそうて世の中の為になるものを造り出せと。」

第二一〇条 「人はわが心で自分を制して行こうとするが、理想が低ければ出来るものでない。ちょうど舟の中にいて、その舟を進めようとして舟べりを押すようなものである。舟以外に何かたよるものがなければ、動かぬと同じこと。」

第二一一条 「境遇を変えようとあせる者は、苦が多い。なぜ自分が改まらぬか。神様は、常に自ら努める者を助ける。」

第二一二条 「なにものにも仏心がある。この仏心がかくれたら欲心が出る。欲心がかくれたら仏心が表われる。この綱引が人の一生のように見える。」