講話音声再生(194~202)
第一九四条 「神の御声は我をわすれて始めてきける。ちょうど耳にあてた手をのけたように。」
第一九五条 「我を忘れて神のみ心を思うて見よ。親が子を思うよりも、まだ深き口にもいえぬほどの恵みをかけられている。ただわが身に 便利なのが幸福であると思うようでは真の神のみ恵みはわからぬ。」
第一九六条 「わが身に不利なる時も、その場を切りぬけるとてあせるな。天地の事は人の力とて、いかんともできぬものぞ。ただ神の心により動くものぞ。その場に満足して先を楽しめ。今を努めよ。」
第一九七条 「蠅がとりもちにひっついた時を見よ。一生懸命に羽根に力を入れて飛ぼうとする為に、足はほとんどとりもちからはなれかかる。今一きわ飛べば、とびはなれる事が出来るものを、其のまぎわで羽根を休めるから、又足が深くもちの中に埋まる。今度は、いかにしても立つ事が出来ぬまでになる。人の一生の仕事も同じ事である。今一ふんばりという所に、命限りの力が肝要である。」
第一九八条 「天は貴重なものほど安く与えている。人は貴重な品ほど高く売っている。天の心を知って満足してくらせ。」
第一九九条 「人の体と心ほど、仲のよい物はない。心の通りにからだが変化する。心を明るく持てば、顔があたたかく、心に角を立てれば、顔はかたくなる。このようにからだの内部のさまも、目にこそ見えねど、刻々変って行くものである。持つべきものは心のほがらかさである。」
第二〇〇条 「子が親にたよるにはいろいろな心がけがいるが、人が神に頼むには、ただ信ずればそれでよい。それで何でも望みは満たしてくれる。何と広大無辺の慈悲ではないか。」
第二〇一条 「働けば凍る間もなし水車。」
第二〇二条 「老人は月日のたつのが早いと言う、子供は月日がたつのが待ちかねると言う。これは先を悲観するのと、先を楽しんで待つのとの違いである。工夫したいものである。」