講話音声再生(141~151)

第一四一条 「人より悪く仕向けて来たとて、悪くかえしてはならぬ。善くしむけて来た時は よく返すことは誰でもできる。悪くしむけられた時がおかげのわかれめと思え。」

第一四二条 「見る人の心、心にまかせ置きて、高根にすめる秋の夜の月のようにしたいものである。」

第一四三条 「我を捨て得る者は、神、これを捨てず。という事があるが、我を捨て得る者は神これを捨てずという。ゆえに我を捨てたる者は、 神を偽る行いである。」

第一四四条 「カラタチという木はトゲだらけで実も食用にならぬが、其のトゲでよせ付けぬ所に我心がないために、生垣として重宝がられる。」

第一四五条 「信は力である、信ずる通りになる。」

第一四六条 「金持ちになるのには、ある金額をある年月、ある利率で積めば間違いなしになれる、皆大きくなろうと思うているようであるが、実際にはそうゆかぬのが面白いではないか。道理はよくわかっているのにできん所に面白い事が見える。「とらぬたぬきの皮算用」と世の中でいうている。そんな算用はせぬがよい。」

第一四七条 「信仰と言うのは神と人とのおつきあいをいうので、お陰と言うのは神様を慕う心によりて来る福である。」

第一四八条 「お蔭は信仰によるのである。信仰は『神が人を助ける』ということを疑わぬによって起こる。疑わねばおれぬのが人間である。 この人間に信ぜよとか、疑いをはらせよ、ではだめである。 かかる人間の前で、神様に働いていただくのである。その時は 最早、信ぜよの言葉も必要はない。神様に働いていただくには 神に通じた人でなければ、できぬ仕事である。この人は、天地の代表者というてよろしい。それであるから、天地も、この人のいう通りになるのである。であるから、人間の常識を離れた 不可思議な事が出きるのである。」

第一四九条 「自分の寿命は、天命の十五分前まで存在しておるといえよう。この自分という考えがあって、いかなる人も自分の心中に賊のいることを知らねばならぬ。これを知ると同時に、この賊を滅ぼさねばならぬ。さてこの賊をつかまえて見ると、自分という者であることがわかる。そうすると、この賊を滅ぼすには、自分を滅ぼさねばならぬことになる。そこで、この自分を殺してしまった後に、蘇生させて、はじめて真の人となるのである。 これから、神のお屋敷の門にはいれたのてある。これを大死一番と言うている。」

第一五〇条 「神は、すべての物を造り出す。人は、何一ツも造り出すことができぬ。ただ、できている物を、集散するだけである。卵は、何からできたか、鳥がこしらえた。鳥は何がこしらえたか、卵からできた。その卵は何がこしらえた。鳥がこしらえた。いつまでいってもはてがない。これは、鳥は神が造ったのであると、いわねばならぬ。しかし、進化論を持ち出してはならぬ。 進化するということは、生物の望みを神がかなえて渡したので、すなわち、神が造ったということになるのである」

第一五一条 「すべての物は神よりの預かり物であるから、神の御心に従って使わねばならぬ。」