弘法大師様のお言葉

書籍「仲須ランの信仰体験記」より抜粋

43.「指先糸、観音様を迎える、高野山水向地蔵様」

戦争が済んだ次の年のことでありましたが、大代の新四国八十八か所さんは、ありがたい山でしたから、お参りがたくさんありましたが、戦時中にはお参りがないので、道も木が生えとるような形でありました。
その時にお大師様が不思議に、私と3名の方に、お掃除をさしてくださるというような不思議があったのであります。
これを信者の皆さんに頼みまして、あすこへお掃除に参ったのであります。
その晩に私は夢を見ました。一人で山をトボトボと歩いてお参りしておりますと、誰かが私に囁いてくれるのであります。
「秋を忘れんように、裏へ回りなさい。もみじの葉が落ちておるから。」と。
こういう知らせがあったので、私はもみじの葉をひろいに行きました。
葉をひろいますと、私の手からは、色が赤や黄や、白の美しい糸が出ましたから、「お大師様、これは何のお知らせでございましょうか」と、お尋ねする気分になりますと、「それはハスの花を彩ったもの、レンコンを折ってみなさい、こういう糸が出ます。
あなたにこの糸をあげるから、皆さんにお分けしなさい。やがて、 泉先生の御教えを旦那様からいただける時があるから、そのみ教えに、その糸をはめると四国の道と機(はた)の道といういわれにあてはまってくるのであります。
すると皆さんが言う、お浄土、極楽浄土とやらが遠くはないという話に続いてくるのであります。
あなたは、泉先生にご縁のできる前に、主人がもう医者に手を切られたという時に、黒髪を切って白紙に包んで、種蒔大師へお参りして、『どうぞ主人の病気を治してください。今主人に死なれたら、死ぬより辛い思いが続きます。どうぞ助けてください。助けて下さったら、私のうちだけの得にはせずに、何か人様のために尽くさせていただきます。』という願をしました。
その願ほどきに、この糸を皆さんにお分けするのですよ。その主人は願が届いて治ったが、その後でまた、あんたが医者に手を切られるまでの大病。その時分に、あんたが主人に『私はまだ籍も入っておらないうちに、あんたのそばにも置いてもらえんような重い病気。』というた時に、主人が『籍を入れたぞ。』 と言うて、あんたの名前の入った判をこしらえてきてくれた。
それをあんたは持っとるはずじゃ。 その判に触れれば、どなたにでもこの糸を出してあげるから、また教えの道へあてはめましょうぞ。」 と言うて、皆さんに、お分けするのがその時の願ほどきでございます。
「それが、泥水の中のハスの花に似通うておらんか、その時の信心がなかったら今の喜びは無いんでないんか。」ということを、夢の中で教えられて、明くる日から糸が出始めたのであります。
この糸のいわれをもって、私はお観音様をお迎えしたのであります。今私が、「旦那様、旦那様」とお呼びしたのは、村木幸次郎先生であります。
どうぞ皆さん、私はこの観音様をお祀りすることが近寄った時から、夢が覚めたように私の心がなってきたのであります。
「淋しいと思うのも迷いであった。つらいと思うのも迷いであった。 いつまで親に心配をかけるものか、また早く喜んでもらわなければいかん。」私は旦那様に御教えをいただいて、まことにお詫びやら、お礼やらの心のうちでございました。
なお、昭和四十年にお大師様にお供えさせていただいた、高野山奥の院御廟の橋の水向地蔵さんの右端のお地蔵様(現在はお地蔵様が増えて右端ではない)の前で、よく手を洗って、お大師様に「蓮の糸を授けてください。」とお頼みすれば、その一念が通ずれば、蓮の糸が授かります。
細い細い糸ですから、よくよく見ないと分かりませんが、昭和四十二年五月三十一日高野山参拝の折、三宝会の数名の方をはじめ、大勢の方が このお地蔵様の前で糸を授かり、喜んでくださいました。

高野山奥の院 御廟の橋手前にあるお地蔵様

53.「〇子(ラン二女)、三宝会会員供養地蔵(昭和四十四年)」

この向かって右手のお地蔵さまは、四百何十年昔の仏様が、泉先生のおかげを受けまして世に出てこられたのでございます。それでご供養に建てたのが右手のお地蔵さまでございます。
今日は新しいお地蔵さまをお祭りします。去年昭和四十三年三月二日という日に、嫁入りしていた娘が病気をしているので、早く来てくださいという便がありまして、私は急いでまいりました。
行ったら病人は「お母さん。」と一口言っただけで、はや息を引き取ってしまいました。本当に達者であった、早く亡くなったので、おうちの家族や親戚の方お隣の方が、非常に惜しがってくれました。
そして七日七日に、孫たちや姉兄たちを連れて、私は般若心経さんを唱えて、仏の供養と出かけることにいたしました。
今日も晩に行って、御心経さんを唱えないといけないと思っておりましたら、突然に「お母さん、お母さん、〇子であります。」こういう思いがしてきました。
「ああ、〇ちゃんかい。」「はい、私は早く皆さんとお別れしましたが、三宝会を、私は何とかお世話をさしてもらわないといけないと思う思いは、今はできんが折々にと思っておりました。
これだけが私の心残りでございます。これから家を守り、三宝会の何かと足りになりたいと思っています。
お母さんが、お大師様によくお世話になっておるという事は、私が小さい時から存じております。」
昭和二十年の頃から御四国(四国八十八ヶ所)を回っとる私が夢を見て、すると夢の中でクモのような糸が手からでるので、「お大師様、これは何の糸でございましょうか。」とお尋ねしたら、「泥水の中に咲く蓮の花、これは蓮根の根です。蓮根を引っ張ってみなさい、こういう糸が出ます。あんたがあの大病の時、悔やまずして、苦しいと言わずして、『どうぞ、お大師様、助けてください。私が助かったら、人のためにさしてもらいます。』という御願をして、あの時、『どうぞ助けてください』と言わなかったら今はないという事をあんたはよく知っとる。
それで、あの息が切れようとする時分に、主人があんたの名前を彫り込んだ判をくれた。あの判を持っていますか。」と尋ねられました。「私は持っております。」「あの判をもらった時の事が本当によく泥水の中で咲く花の例えのように、『どうぞ助けてください』と言ったのであんたは助かった。それでこの糸を機(はた)に例えたら、縦糸にして、横糸は、やがて泉先生の御教えを村木先生からいただけますから、それを横糸としてするなら、心に着る錦ができます。
これは、あんたに一人持っとるものではありません。人に分けてください。」ありがとうございます。私は、翌日目が覚めまして、昨夜の夢をありありと考えながら、御手水を使うて、お大師様を拝みましたら夢のとおりの糸が出たのであります。
「こういうことを、私は、お母さんから聞いておりました。有難いものだと思っておりました。それで亡くなって、向こうの世で『お大師様ありがとうございます、家と三宝会とをどうぞ守りとうしていきたいと思いますから、どうぞお大師さんお願いします。』と、御すがりしてみました。
『あんたは、三宝会の事をよく思っておるから、どこででもかまわん、小さいお地蔵さんを建ててもらいなさい。そしてそのお地蔵様を、手を洗って拝んだら、あのお母さんにあげてある糸を私が出してあげましょう。
そして、縦糸と横糸という訳をわかってもらえて、一人でも、人がこう思ってくれていたら、三宝会の兄弟たちと一緒にお勤めができるのではないでしょうか。』と、こういうことをお大師さんから教えていただきました。
今晩私のうちへ供養に来てくれることになっておるから、子供たちも連れて来てください。そして、お母さんに『水を祀ってくれますか。』と頼んでください。そして、その水で子供らが手を濡らすと、子供らから糸が出るはずになっておりますから。
もし、出なかったら、かまいません。出たら、この訳をうちのお母さんと主人に言ってください。私が嫁に来たときに、二万円の貯金のお金をおばさんに預けて来ました。主人が小遣いはくれるし、これは余分じゃ。おばさんに預けてあるお金で、二万円の小さいお地蔵さんをこしらえてくれますか。
そのお地蔵さんの力で、子供らに出た糸が出たら、私はこのお地蔵さんは糸地蔵さんじゃと呼びたい。そして、お母さんがしじゅうに言っている、お大師さんがこの糸をくださるときに、その糸は縦糸で、横糸は村木先生から教えがいただけるから、この教えを織り込んでくれたら、縞柄は、機する人の腕次第ということになります。
それで、二万円あったら、小さいおもちゃのようなお地蔵さんができると思うので、頼みます。」と言われておりました。頼まれた通りに、子供らにこの水を手にいただいて「ちょっと手を見てくれますか、糸が出てないか。」「婆さん、私も出ました。」「私も出ました。」と言うので、私は、その事を、話をしました。
そして、お地蔵さんを作ることになりました。そして、うちへ帰って、妹に言いましたら、そんなら引き出してきますと言ったら、一万円利子がついておりました。それで、三万円のお地蔵さんができるということになりました。
そして、お祭りする所でございます。娘の嫁入り先のお寺なりとも、墓地なりとも、お祭りしようかとも思いましたが、「私の方へ任してくれれば、私の方でお祭りさしてもらいます。」と言うと〇子の主人が「あ、お母さん。それなら、お母さんにお任せします。」と、私に任せてくれました。
何年も前から考えていた事でございますが、三宝会は、大分亡くなった人もありますので、三宝会の御先祖を供養したい。「過去帳を買って、名前を書いて、この人たちの供養をしませんか。」とA先生が言ってくれましたので、賛成でございます、ということが、私に思い浮かんでまいりました。
そしてあのよく三宝会を大事に思ってくれていたBさんのことを思い出しました。Bさんが「おばさん、私は考えることを遠慮なしに言うぜえ。笑われんぜ。」「笑いますか。」と私が言いましたら、「いずれおばさんやCさんがなあ、私より先死ぬとまあ型を置くんです。そしたら、私が、お金ができるめどがあるんよ。うちに木工をしています。そしたら、余りの木で、おばさん、焚き物買わなくても、いいようになった。その焚きものが、一日二十円ずつ、かかっていた。それを貯めておいて、ちっちゃい、ちっちゃいお地蔵さんをこしらえて、私は、宗桂さんの横で、おばさんやCさんの供養の塔を建てておいて、私が後から死んでいこうと思います。」
本当にBさんは、よく思ってくれたということが、私はよく分かっております。そしたら、Bさんも、惜しい若い身で亡くなられた。
私は讃岐の石屋さんへ行って、お地蔵さんを誂えて来ようと思いました。行くときに、Bさんのご主人に言いました。
ご主人は、「儂は、お地蔵さんの事は聞いておらん。」「それなら、焚き物の二十円はどうですか、聞いた事がありますか。」と言うと「それは聞いた事が有るが、使い道は知らなんだ。」
それで私は「Bさんが、宗桂さんの横でと言っていたので、宗桂さんの横へ持っていって、Bさんが言っていたおりの、その小さいお地蔵さんを作って、『Bさん、どうぞここで、一緒に三宝会を守ってくださいよ。』と言おうと思います。」と、ご主人にそれを言いましたら、「おばさん、喜来でするより、ここでしませんか。そしたら、おばさんが朝も晩も参れるのでないですか。来てくれた人皆が参れる。この大御先祖のお地蔵さんの横にお地蔵さんを建てませんか。」と言ってくれました。
三宝会会員に相談をしまして、過去帳にもつけるし、お地蔵さんにうちの娘も仲間入り、どうぞ皆さん、ここで集まってもらうというお地蔵さんを作りたいと思います、といって相談ができました。
よくお参りをしておる八栗さんの坂に、たくさんの石屋さんがあるので、そこであつらえ、Bさんのご主人にお世話してもらうことになりました。
そこで一緒にお供をさしてもらっております徳島のDさん、Eさんという人が「お地蔵さんがでけるそうじゃが、私たちは、灯篭を一対させてもらいたい。」とお二人が寄付をしてくださったのでございます。
思わぬ所から、寄付もいただきましたので、今日のお地蔵さんができました。それで、手を洗ってお地蔵さんを拝むなら、糸が出る約束になっております。こういう事で建ったのがお地蔵さんでございます。
私は、私が生きとる間は、朝も晩もここで数珠を立てて供養ができる。死んでいても、生きていても一緒だ。考えましたら、日に日に何時別れるかは、わからん。年が寄っとるのも若い衆も、定めのない命でございます。
それで、どうぞ仲良く暮らして、今日死ぬときであれば本当にどれほど皆が恋しいであろう。しかしいつかには来るのだ。一人生まれて一人死んでいくのは世の定めと聞いておる私は、亡くなった娘が何を思っているか、どうやってあげたらあの子が満足かといつも考えております。
どうぞ、後の子供たち、また嫁入り先のお家、また、私ら兄弟が、親が、皆が供養の心で仲良くしていきたいと思うのが、この頃の私でございます。こういう訳で、祭ったお地蔵さんでございますから、糸が出たら、お大師さんやお地蔵さんにお礼を申してください。こういう訳のお地蔵さんをお迎えしたのでございます。簡単ではございますが、お地蔵さんをお迎えした訳を聞いていただきましてありがとうございます。