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第五三二条へ 第五三三条へ 第五三四条へ 第五三五条へ 第五三六条へ 第五三七条へ 第五三八条へ 第五三九条へ 第五四〇条へ第五三一条 「神社仏閣は、その昔えらい人が神仏の力を表わして人を助けた所をまつったもので、そこへお参りする人は、その当時のえらいお方をしとうてわが家へ帰っても、そのお方に仕へる気持で 家業をするので、お陰になるのである。」
神様を祭るのは、何を祭りよるんならという事ですが、どこへ行きましても、神様に祭られている人というのは、元、人でございます。元、人間であって、我々と同じ生活をしておいでる人が、どうして神さんと人間とが、こんなに違うんかと言いますと、そのお方のおっしゃる事、行う事、思うておいでる事、これがいかにも神さんのあのお経文に書いてある教えの通りを身につけておいでる。それでそのお方をいつも、そのお方の前におるというような形をとったのがお宮でございますから、ただ内のお宮は立派だとか、こうごうしいとかいう事も結構な事ではございます
けれども、本来先生は、やぶの端の石ころでも念じたら、立派に行なう事教えてくれるという先生でございます。
中々そこが、わかってわかりにくい所でございます。大体この神様をお祭りするという事は、そのお方の体につけておいでる人のまねをしたい。ああ尊いこのお方にすがれば、助けてくれるという事の念力でございます。これが神社仏閣として、まつった根元でございます。
ちょうど今から二千五百年前でございまして、お釈迦さんが天地の力、この広い世界の力をご自分が持っておいでる。そうしてこの結構な教えを人間に教えたいなあとお思いになって、大勢の人をお助けになった所が、お釈迦様が国替えなさった、俗に言うお隠れになったと言う事です。大勢の人が大変悲嘆にくれたのです。犬や猫や、ああいう動物でさえも、お釈迦さんの国替えをつらがって、四十二類の死霊が寄ったと言うのも、その中へああいう動物まで入っております。お掛軸ご覧になったらわかります。ねはん(涅槃)の像はそれです。ところがそれが色々間違ってお堂の中へ納める人が、これがええ、あれがええと言いますけれども、それも間違うておりませんけれども、いわゆる心からこのお方が神さんであるというその慕う心で、それをお祭りしているのでございますから、これを昔から、わかりやすい言葉で言うたのは、いわしの頭も信仰からと言う言葉がございますが、いわしの頭を拝んだとて、あれいわしの頭、ふるぼけた頭でないか、そう言えばそれまででございますけれども、その中へ入れてある人の高下をいうのでないのであって、おまつりするところの人の祖師になる方を、こがれる力がお堂の中へこもって感じたならば届くという意味で、いわしの頭でも何でもええ、念じたらええというのでありません。やはり泉さんを念じるならば泉さんが平生どういう事をなさっていたか、ご自分はどういう生活なさっていたか、人に向いてどういうお心であったか、それをこがれるのでございますから、言いにくいのを無理におっしゃった事が五三一条でございます。
たとえば、伊勢の大神宮さんをお祭りするとする。ところがあの伊勢の大神宮さんのあのお札、それを見てみると お伊勢さんに使うた木材のこわ(うすきれ)を紙で包んだ物でございます。所がこわを拝むのでないのであって、あの天照皇大神宮のお慈悲深いご神格を慕うのが、これがお伊勢さん信仰でございます。中にお伊勢はんの魂を祀るのでございますが、皆、日本中へ配ってありますのが、そういうお伊勢さんにご縁を結ぶ一ツの家風としてお祭りするのでございまして、もう一回それを掘り込んで考えてみますと、天照大神の、あのご神徳をまつるのです。たとえそれが金であろうが、銀であろうが、宝石であろうが結構でありますけれども、そういう金や、銀や、宝石を拝むのでありませずして、ご神格を念ずるのでございますから、このところをお間違いのないように泉先生は、それをおっしゃったのでございます。
これには面白い話がございまして、この中にもお知りの方もあろうかと思いますが、沖野さんらは直接お聞きになっている事で面白いだろうと思いますので、ちょっと話してみますが、ある日、泉先生がみかんを入れてある、あのかごをおかむりになって、お拝みになって、こう言うてわしが拝んだら人が助かるが、このみかんのかごが、このかごかぶったら、だれでもわかるんじゃと言うたら売れようかと言うて、ヒヒヒと言ってお笑いになった。かごを拝むので無くて、泉さんのご人格を拝むので、そういう事をたとえて先生が、そういう面白い事おっしゃった事がございます。先生のご人格、泉先生はどういうお方であったか、これがまことの信仰の根本でございます。
(昭和三十九年九月十五日講話)
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第五三二条 「わが心になやみがなくなったら、喜べるようになるが、喜べるようになっただけでは、本当の喜びではない。世の中のなやんで居る人にこの喜べる道を施したいと念ずる心が神に通ずる。 これが真のよろこびである。これから不思議の世界に入れる。」
お陰を受けるという事は、自分の心の中に悩みがある。それを偉い人に見てもろうて、その悩みが解決した。そうすると喜ばしい。その喜ばしいのには、色々種類がございますが、貧困で困っとる人が、いろいろ裕福に所帯が変わって来るとか、あるいは病気で悩んでおるのが直るとか、とにかく自分の悩み、心の悩みが解けて、そうして、自然に心の中から喜べるようになる。これをお陰というのでございます。そうすると、もし喜べて、やれ喜ばしやというのならば、その先生のご恩徳を、これわし一人喜んだんでは惜しい、もったいない、これを世の中の苦労しておる人にお話しをして心の持ちよう、これでお陰がいただけるものであるという事を、他の人にお話をする。これを法施と言うのでございます。物を上げるのは、たとえば金を上げるとか、品物を上げるとかいうのを施行でございますけれども、自分が喜べた、こういう訳で喜べるようになったのでございますという事を、人にお話しをして、その人を喜べる道に出して上げる。これを法施と言うのでございまして、誠に結構な施行でございます。
(昭和三十九年九月三十日講話)
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第五三三条 「神仏にすがるばかりで、進むと迷いがさめ難い。それで悪魔にわざわいされやすいものである。そこで慈悲の行いがいるのである。悪魔は慈悲の力が一番おそろしいものになっている。」
世の中に悪魔というのがございます。それはよくさわられるとか、たたられたとかいう事が世の中でよく言いますが、この悪魔にさわられるという事は、自分の心の中が、悪魔より弱いという事を意味しとるのでございます。あのお釈迦さんのお掛軸見よりましたら、御らいこうと申して、お釈迦さんが中心になって遊行なさる。そのお釈迦さんの、お供しよる人を見てみますと、本当に偉い人ばかりが付いとるのかといいますと、そうではありません。口が大きく割れて、耳まで割れとる人もおります。目玉が額に一ツ光っとるような、まあいえば、化け物のような人です。そのお方がお釈迦さんのお供しとります事を書いてあります。これは何であるかといいますと、その恐ろしい格好しとる人を悪魔と言うのです。我々は悪魔を恐れて悪魔退散の祈禱をしたり、悪魔に悪口言うたり、悪魔を困らし、こういう事しとる事が世の中にはボツボツございますが、泉先生や、お大師さんや、お釈迦さんのご業績を見ますと、その悪魔の身内、悪魔を身内にしてしまえという事です。いわゆる悪魔をけん族にせえ、身内にせえ、こういう事でございますから、その悪魔の人を防ぐのは、退散や言うて、こちらがいばったらいかん訳でございます。
そんなら、どうしたらええかとなりますと、悪魔がいらんような物を自分の心の中へ持っていると、悪魔にやられんのでございます。それは何かといいますと、これは随分広い言葉でございますが、まず第一に神仏に、ご縁を濃くすること、泉さんを信仰するんなら、泉さんのお心を自分の心にピタッと付けたら、悪魔がよう寄らんのです。これがいわゆる悪魔を(眷族)にするという事でございます。これは沢山例がございますが、あまり例の話をいたしますと長くなりますが、悪魔を怒らすなという事です。それならついて行くのか、そうではありません。ご自分の心の中に悪魔がおじる光のある物を身につけよという事です。一口で言うなら信仰が足らん。同じ信仰しても、その先生の心を心としとる信仰でありましたならば、悪魔が遠慮する、かえって悪魔が手伝いをしてくれるという事、いわゆるけん族になってくれる、という事になってきますから、先生のお話は、「悪魔をむごい目にするんでないぜ、悪魔と競走するんと違う、自分の身に有り難い光を付けよ、そうすれば悪魔がきろうてのくんじゃ、寄り付かんのじゃ。」と先生はおっしゃいました。
(昭和三十九年九月三十日講話)
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第五三四条 「何事によらず、形や言葉にとらわれてはならぬが、形や言葉には必ずその本元を見究めねばならぬ。そうするとその中に大切な意味が含まれて居る。これを見究めるには、人間の知恵では 出来ぬ神仏の知恵をからねばあやまちが多い。」
信仰にも色々通りがございまして、お参りする事もよろしい。又六波羅密を行なうという事も結構な事でございますが、これには妙な事がございまして、あんた方が、しじみの汁をお上がりになる。貝がら、ほおって、身をあがるでしょう。しじみってうまい汁じゃなあって。ところが貝がらは、あがりません。固い、うまあない。もっともな話でございます。ところが信仰には形がございまして、数珠を下げて神様の前へお参りする。それはよろしいのですが、これはまず言えば、しじみの身の入っとる丸太でございます。その中に含まれている所の身やおいしい汁を食べるのにはどうしたらよいか。もし、それを知らんと、ただわがの欲だけで、わがを守ってくれというお参りでございましたら、しじみの貝がら食うて、身をほおるような事になりますから、先生が笑いながらおっしゃった。まずお参りする時には、ここの神様はこういうお方であった。有り難いお方であった。それを身につけるような事を、神様に好かれるような事をするという事が、身を食べるという事なんです。これは先生がヒヒと言うて笑いながらお話しして下さった事なのです。私は口悪く言うのではありません。貝がらは、型はするのです。しじみの汁はしじみという貝でございます。 けれども、それを形だけに力を入れて先生の教えのお心を味わわなければ、お陰が薄いと言う事でございます。
しかし、ここは中々微妙な所でございまして、心さえ真っすぐであったら、お参りせいでもええわと、こういう事言いやすいのです。それはいきません。しじみの汁たくと言うたら、しじみほおっておいて、だしだけ出したらええんじゃわと言うのと同じ事で、それはいけません。やはり形はお参りして、先生やお大師さんの信仰ならば近寄って、 そうして、お砂を踏んで来る。という事は形でございますが、まずそれが出来なければお陰になりません。そうしてお参りしているうちに、ソロソロと先生のお慈悲が移って来るのでございますから、心さえ真っすぐであったら、そんなに参らないでええ、手間かけて、そんなに参らいでええわという事は、間違うとる事になりますから、ここの間違いをお迷いにならんように、やはり形も結構にいるんじゃ。そのうちにソロソロと先生のお慈悲がわかって来るというお参りが、最もええお参りじゃと私は思うのでございます。
先生がご自分の事をおっしゃるんじゃから、おっしゃりにくいが、どこに先生の教えに値うちがあるんならという事を知るのは、やはり形を整えてお参りや、人が皆お参りするという形から入って、本当の味が味わえるという事でございます。
(昭和三十九年九月三十日講話)
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第五三五条 「いかなる悪魔の力でも、慈悲の力には及ばぬものである。悪魔を降伏させるというが、降伏させてやるというような考えでは 悪魔が強ければ負けるぞ。慈悲の心で自分が悪魔の犠牲になると心をきめたら、そこで悪魔はその力に圧されて、悪い力が使えぬようになるのである。時によれば、悪から転じて、慈悲の手伝いをするようになるかも知れぬ。これを真の降伏という。」
世の中には、悪魔というのは中々種類が多いのでございますが、この悪魔が餌食べて、魚釣りにたとえたら、その人が好きそうな餌を食べておる。それに食い付くものが、悪魔につられた事になるので、その悪魔がしている所作は皆人間がきらいな事ばかりでございます。ところがその悪魔を降伏さす、お辞儀さすのはどうしたらええかという事が五三五条ですが、それは昔からの話にいろいろ面白い事がございます。 たとえば、その悪魔を持っておる心の悪い人、そこの家の屋根を馬ふん投げ、越したらええんじゃ。あるいは又、そういう人間と、もの言わんのがええんじゃと、こういう事を昔からよく言いますが、それもまあ結構でしょう。しかし悪魔もやはり人間でございますから、あるいは、その人と話しをせなならん場合もございます。お付き合いせんならん場合もございます。そこで、わしはこういう心で行く、と口に言わなくてもよろしいが、泉先生ならば、泉先生のまねをする。その心ざしをまねする。お参りにも行きよる。こうなりますと、悪魔の方から見ると、誠に、にが手の事をしよる。初めはわかりません。よくわかって来ると、ああ、この人は、中々立派な考えを持っておいでる人じゃと悪魔でも思う。その時分に 悪魔が恐れ入って、自分に付いて来るようになる。こういう教えを先生がなさったのでございます。これはよく間違うのです。悪魔の方へ向いて塩ばらいする。こんな事もよくしているけれども、塩ばらいは、悪魔につけ込まれるような性根を、わがが持っておるのですから、塩ばらいは、自分の心の内ヘ塩ばらいするのがええ、これも先生がおっしゃったのでございますが、中々これはむっかしい理論でございます。
大勢寄りましても、ことごとくの人が立派な人でございますけれども、そんな心の底へ悪い所のものが入っておったら、その人怒らすと本領を発揮します。心の角から角まで、きれいな人ならば、そんな事ありませんけれども、人を恨む、憎むというような心持っとる人ならば、その心が悪魔でございますから、それをただに、無茶に悪口言うたり退けたのではいけません。自分の行が出来さえすれば、一人でに向こうは降伏するのでございますから、そのように考えておいでる方が良いと思います。お経文の中にはどういう事を書いてあるかといいますと、良い事する神さんが八万四千ある。その裏手にはやはり悪魔が八万四千おると、こういう事書いてある経文があります。ちょうど天びん棒の端みたいなもので、両方に端があるのでございますから、一方にええ事しよる神様があれば、その裏手に必ず悪魔が付いとる。こういう事を書いてあるのでございます。それを泉さんが、お経文読んでおっしゃるのではありません。ご自分の心から悪魔を憎むな、憎んだらわが悪魔になっとるぞという事をおっしゃったのです。これはよく間違う事ですから、そういう事をどうぞ、お考え願いたいと思います。
(昭和三十九年九月三十日講話)
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第五三六条 「人は顔が違うように、皆思いが違うておる。人毎に前の世の因縁が違うておるからである。このように種々雑多の人人を一いち、助けるには、一人一人の過去の因縁と現在のなやみと望みを知りぬかねばならぬ。この知りぬく力はとうてい人間の知恵では、はかり知る事の出来ぬ力である。これを仏智見という。」
これは、まことに、泉先生のようなお方は、人毎に違うのを、人毎に感心されとるのでございますが、これは仏の五智が無いとわからないのです。それから、この因縁という事を書いてございますが、単に因縁、因縁と皆、よくいいますけれども、これには深い理由がございまして、今、人が自分の子に相続するといいますと、土地とか、財産とか、こういう物を国の法律によって、譲り渡すのでございますが、信仰上から、いう所のこの因縁というのは、中々広いのでございまして、親御とか、ぢい、ばあとかいう人が見た事、した事、思うた事、それからその人々の状態、心の状態、それをもうことごとく子供に、相続するものでございまして、信仰上から見た相続というのは、中々範囲の広いものでございます。それを一般には知りませんが、それを因縁と見てよいのです。
たとえたら、ある子に一人の親御が有ると、その人が人ごとを、よく言う人で有った。人をよく批評する人で有った。こういう癖が有りました場合に、その人の国、生まれる所の人は、生まれながらにその癖もらっとるのです。だれも教えんのに、人事を言います。よく言います。
それから、最も悪いのは盗癖でございます。人の物を欲しがって取るという所の事をした。これはまあ業績でございますが、親とか、祖父とか祖母とかいうのが、そういう事をやりましたならば、必ずその子孫に、人の物を欲しがるという子が出来るのです。これが信仰上から見た所の相続です。その人の心の中へ、そういうものを持って生まれるのです。よくございますが、あの万引というて、百貨店あたりで、ひょっと人の目に掛からん所で、物をポケットへ入れると、あの大きなお家の人が、ああいう事をするといいますけれども、必ずそれには因縁がございまして、その人に、血筋のつながっとる人が、そういう事をやったならば、だれも知らんのに、それに子がそれをやるのです。こういう風に相続、自分の生まれた元の父とか母とか祖父祖母、ずっと古い人でも出ますが、そういう人の業績を必ず子が持って出て来るのです。相続です。
こういう風に考えますと、これはお大師様が、おっしゃっておいでるように、人間の心の方を分析すると、沢山の知識が有る。その中で、第八識に当たる所の蔵識というのがございまして、もうやった事が必ず、その中へ詰まっとるので、子はそれをもろうて出るのです。必ずもろうて出る。これを因縁というのでございます。くわしく言うと、こうなるのでございます。中々因縁の意味は、深いのでございますが、こういう点から考えましても、親御や、あるいはその直系尊属の方が、神仏に同向する、あるいはお世話をする、何とかいうような、そういう功徳を積んでおきましたならば、不思議にその子が功徳を持って生まれるのです。これを泉先生は、正直正来とおっしゃったのです。必ず持って生まれるのです。所が、これが又助ける先生みたような方から見ますと、どうしてそういう因縁がわかるのかというと、人間の知恵で考えたら、とうてい想像が付きませんけれども、先生の方からこういう信仰のことを理屈がましく言うのは、むつかしいことでございますけれども、たとえていうならば、その蔵の中をちゃんと先生のおめがねで皆わかるのでございます。ここの蔵には、こんなものが入っとる、この蔵にはこんな物が入っとる。こういう風にわかるのでございまして、先生からいうならば、いわゆる仏様の知恵をもろうておいでる訳でございます。
それなら、そういう知恵はどうしてもらったのならと言いますと、その知恵はだれしも、有るのですけれども、その知恵をくもらすものが有るのです。それ何ならと言いますと、我がというものでございます。我、自分、何もかも判断を、自分を中心にいたします。その自分中心に判断するから、せっかく蔵の中へ、沢山な事はいっておっても、ちょうどそれを見る目が曇って、ごじゃを見る、あるいは一つも見えない。こういう風になるのでございまして、恐れ多いけれども、先生のそのおめがねをお話すると、ちょうど、先生の掛けておいでるそのめかねが、透きとおるめがねです。それでございますから、その蔵識という蔵の中へ入っておる物が、皆わかる。こういう風になるのでございます。同じ人間に生まれても、目で見る物は見えますけれども、その心の中に入っておる所の、その心の蔵に入っている品物は、ちょっとわかりません。そういう風になる訳です。
ある時、先生がお話しなさったのに、こういう事をおっしゃった事があるのです。一ツのガラスつぼの中へ、砂糖水を入れて、そうしてつめをきちっとして沖へ流す。いつまでたっても、海の塩水と砂糖水とは混ざらん。ところが そのビンに穴をあけてみる。そうすると、小さな穴でも塩水と砂糖水とが通いまして、いつの間にやら砂糖水が塩水になってしまう。ところが、その穴がよけ空いとるほど早う通うのでございます。ところがもし、そのガラスつぽのせんを取って、中の水をかい出すといたします。そうしたならば、かえても、かえても、後から、後から、沖の水が、入って来ますから、かえて、大きく申しますと、そのかえた水をほうったならば、太平洋のような広い所でも、その小さなビンの中へ皆、入ってしまう訳です。まあこりゃ極端に大きくお話し申すのですけれども、道理がそうでございます。
ガラスの中へ海の水が流れ込んで来る限り、かい出してしまうと、太平洋ならば、その水がある限り、つぼの中へ入って来る訳です。これを言い替えますと、小さなつぼではあるけれども、太平洋大のつぼだという事がいえる訳です。理屈から申したら、僅かに小さなつぼであるけれども、太平洋の水が有る限り、換えるのでございますから、とうとう、太平洋の水も、そのビンの中へ、入ってしまうと、そういう事を考えますと、先生は、あの津田にお生まれになった、泉庄太郎先生という個人ではあるけれども、先生の心は神が通うておる。それだから、どこにどんな事が有っても、皆ビンの中へ、入ってしまうんだと、こういう事を、先生が一ぺんおっしゃった事があるのです。
ちょうどこれはたとえでございますが、しかし、そのつぼというのは何ならと、こうせんさくいたしますと、つぼがわが、という心だという事になる。わがという心が、わがだけ個人主義で、わがだけの事を考えとると穴があいとらん事になる。先生のようなお方は、わがという心が無いのです。無いから、人が思うたら、すぐにうつる。ちょうど太平洋の水がビンの中へ、入るようなものです。先生は、たとえて、そうおっしゃった事がございますが、いかにもそうだと思います。我々が、自分の身をかわいがる。自分の為だ。こりや損や得じゃ、色々自分を中心に考えますと、その蔵識という大きな蔵の中へ入っとる物は、だれでも、いちいち、入っとるのでございますけれども、それがわからんようになる。目が見えんようになる。ちょうど太平洋の水がビンの中へ、いくらでも、入るというのは、ビンに穴があいていませんから、入れんという事になる。ちょうど、たとえると、そんなものかと思います。
それで、この因縁の話ですが、因縁というものは、生きとる間にした事、言うた事、それがことごとく蔵の中へ、 立派に記録になって、入っとるのでございますから、それを又、今度ぶり子孫が受け継いで、又それを出すのでございますから、我々人間と生まれたならば、自分という事を浅く考えて、人がどういう風に思うだろうか、どういう風に関係するだろうか。人の事を思うたならば、自分という事を使わんように、つまり偉い人がおっしゃる事を行うというようになったならば、これが本当の信仰者という事になるかと思います。こう考えますと、日に日に暮らしたり、生活しとる間に言うたり、したりする事は、子孫末代にずっーと関係して来るという事、因縁を作るというのは、これでございますから、因縁というのはお互いに大きな責任があると、こういう事になる訳でございます。
これはちょうど、人ごとに顔が違うように、因縁が違うんぞ、と先生がおっしゃいましたが、そうして先生がお拝みになる時に、その大きな因縁を積みこんである蔵の中を調べておっしゃるのですから、よくわかるはずです。私が先生のとこへよく参っていた時に、ちょうど先生が拝みなさっている時に、さいさい見せていただきましたが、その中の一ツをお話し申し上げます。
ある、私の知らん男の人が、「先生、私とこの子供は、水見たら気違いになるのでございますが、あぶなくてどんならんのでございます。どうぞ一ツおみくじをお願いします。」先生がうなずいて、神様の前へおすわりになっておっしゃる事には、先生がその人の蔵識の中をご覧になったのです。ああ、これ水見て目を回すという様になる、こらお医者さんは、狂水病という名を付けておる。先生はその時こうおっしゃった。「ああ、これは、お前さんとこに、大事な人を水の中へほおり込んである。その仏様がこの子にうつって、そうして水見たら水の中へ落ち込むような事になって来るんじゃ。おっさん、なんぞ覚えはないか。」こう言うた所が、「先生恐れ入りました。」「これはその仏様を上げたげんといかんな、おっさんわかったかい。」「へえ、わかっとるのでごわすけんど。」「ただ簡単にわかっとるんではいかんでよ。おまはんとこの、墓地に石碑が、並んどん読んでみる」それで先生が、「ひい、ふう、みい、ようーとお読みになって、一ツ足らんは。真ん中へんに有った大きな立派な石碑が一ツない、おっさんわかるかい。」「へえわかります。」そこまで行くと先生が「ここが大事な所じゃから、よう聞きなはれよ、おまはん、この仏さん車に乗せて土手の上へ行きよったな。」「へぇ参りました。石屋が、この石碑、立派な石碑じゃから、磨き直したら高う売れるけん売ってくれ、そうして石屋に売りに行こうと思って車に積んで、土手の上を行きよった。所が、知り合いの人が、向こうから来る。これ見付けられたら大変じゃと思うて、川の中へころがし込んでしもうたのです。石碑を。 そうしてから車引いて知らん顔して、よそへ行ってしもうた。」という事がわかりまして「どうも恐れ入りました。 先生、お墓じゃと思うたのが、私所の先祖が、水の中へ落ち込んだんでごわすなあ。」「そうじゃ、そうじゃ、おまはんは、石碑で石じゃと思うとるが仏は、仏がその中にこもっておいでるんじゃから、それを売りに行きよって、川の中へころがし込んだら、仏さんが沈んどるという事になる。これは上げないかんでよ。」「先生、有り難うございます。さっそくそういたします。」と言うて帰ったのでございますが、ちょうど私は、そのお話しを聞いていたのです。
それから急いでその人帰りました。それから川は深いし、大けな石じゃから中々上がらない。ところがもう隠しとる訳にいかんもんじゃから、綱を沢山持って行って水中へもぐって、石をしばっては、上へ引っぱり上げ、しばっては引っ張り上げ、遂に陸の上へ上げて、車に積んで持って帰って建てたのです。そうして、仏さんにおわびした訳です。
ところが不思議に、おわびして元の通り墓を建てた時に、もう子供がすっかり直ってしもうた。こういうように、そのした事が、ありありと先生にうつるという事は、ちょうどそのおっさんの家で、石屋さんが来て、分けてくれという掛け合いから、いくらに売ったという事も先生にはおわかりになっとる。ちゃんと、蔵識という蔵の中へ、その人の蔵の中へ、ちゃんと記録に載っとる。それを先生がご覧になる。実に先生は、大変なおめがねを持っておいでる訳です。
こういう訳でございますから、先生がそのお話をなさって、これは仏さんの仏智見というんじゃ。わしは偉いんでないんじゃ。皆めいめいに、その蔵が建っとるんじゃ。だれでも心の中に、蔵識という蔵が有るんじゃ。皆銘々に有るんじゃ。したり、言うたりした事が皆蔵の中へ詰まっとるので今、裁判所や警察で調べよるけれども、これは人間が調べよる。神様仏さんが調べたら、その蔵の中皆わかるんじゃ、こういう事先生がおっしゃるので、私、ほんに大事な事じゃと思うて書きました。
因縁というのは、そういう訳でございますから、どうぞその蔵の中へは、きたない物は入れんようにしませんと、その蔵が、そのままならよろしいけれども、子や孫、曾孫、いや子々孫々に、した通りの物を、子供の蔵識の中へ、うつすのでございます。財産やかいの相続ならば、相続せなんだらええんでございますけれども、これは、相続せんという訳にはいきません。必ずうつるのでございますから、どうぞ皆様は、そういう事なさりはしませんけれども、した事は必ず蔵識の中へ入っとるんだ。という事だけ先生がおっしゃったのを、覚えといて下さいませ。これを因縁というのでございます。中々、これはもう、生きとる限り、決して消えんのでございますから、死んでも消えんのでございますから、因縁となって残っていくのです。こういう深い因縁には、深い意味がございますから、それを五百三十六条に書いた訳でございます。
(昭和三十九年十月十五日講話)
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第五三七条 「神仏の世界と人間の世界とを別に考えたり、またこの世とあの世とをはなして考えてはならぬ。凡夫と聖人とは不二のもの、 生死は一如であると観念せねば、いつまで考えても神仏のご縁はむすべぬ。」
こう云う先生のお話は、実に後光がさしとる様な有り難いお話でございますが、人によると、先生はお生まれが違うんじゃ、お大師さんや先生は、そういう事がわかるというのは、お生まれが違うんじゃ、我々は人間となっとるんじゃから、人間世界の事はせん訳にはいかん。人がしよったら、こっちゃもせな損じゃからやるんじゃ、信仰と人間の生活とを別にしてしまうのです。それはいかんのだ。信仰の方でいう所の事が、自分の一生涯付きまとうのでございますから、それを別にせん様にせねばいかんぞよ。と先生がお話しなさったのです。
これは昔の聖者が言う事は、凡聖不二と言うたが、凡夫も聖人も変わらんのじゃ。とこういう事がお経文に残っておりますが、なるほど、そうなのです。聖人もその蔵識という大けな袋に、何もかも入れておいでる。きれいな物ばかり入れておいでる。又、人間としても自分のしたり言うたりした事は、ええ事でも悪い事でも皆、蔵の中に入っとるんだ。これを凡聖不二というんだという事を先生は、経文をおっしゃる事はしませんけれども、ご自分は、私はそういう話をさいさい承りました。そういう風に偉い人も、偉うない人も、蔵は一緒であって、その中へ皆入っておるんだ。とういう事だけ特に先生が力を入れてお話しになりましたが、どうぞ、そう云う風にお願いいたします。
(昭和三十九年十月十五日講話)
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第五三八条 「福祿寿という神がある。この神は人間の徳望と食祿と寿命を兼ね備えたお方であって、その教えを左に記す。福は己を無にする者の領有なり。祿は餓えざるをもって足る者に附随す。寿は世に功を残すをもって足る者が得る。」
これは、よう床の置き物にする、ほく禄さんというのを置いてございますが、本当は 福禄寿と言うのでございます。福禄さん、福禄さんと言うております。これは、福禄寿という三ツを守っていただく為に、お床へ置き物にしとるのです。その福というのは、どういうものかといいますと、福というのは、自分が自分という先刻申す我という性根を、 無しにする人でなかったら、福はもらえん。それから禄というのは、これは財産です。福というのは心の方です。 財産の方は禄です。禄というのは、その自分がまあ腹が減っても飢えなんだら結構じゃ。生きておれたら結構じゃ。
もし、もうかったら、これを子孫の為や世の中の為に使う所のお金じゃ。こういう風で、心にきたない欲を持っておらん。飢えなかったらええんじゃ、着物は 凍えなかったらええんじゃと、こういう風に考えとる人が禄を得るんじゃ。寿というのは、世の中に功を残すと申して、功徳を残した人が得るものである。禄は、欲のない、飢えなんだら ええという人に、いやというほど与えられる。寿というのは、世の中へ功徳を残した人にくれる。その三ツをまつっとるのが福禄寿と言うんじゃ。という事を書いたのです。
皆さん、福禄さん、福禄さん言うて頭の長い人を祭りますが、そういう意味があるのでございます。福も結構です。我を使わない。禄はどん欲をしない。寿は功徳を積んだらええ、こういう事を先生がおっしゃったのでございますから、その通りにどうぞ(五百三十八条は)そういう風にご覧願いたいのです。
(昭和三十九年十月十五日講話)
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第五三九条 「ある所に一人暮らしの、からだの弱い人があった。ある日えらい人に、運を見てもらった所、三年の内に命があぶないといわれたので、全く慾をはなし、財産を売り払うて諸国遍歴をしている内に、からだは非常に丈夫になった。三年も、もはやわずかの日になったある晩、橋の上から身をなげようとする若い男女に会い、聞いて見れば金につまっての身なげらしい。そこで、わが身には、もはやいらぬ金がある。これを恵んで二人を助け、最後の日を待ったが、三年過ぎても相変わらず丈夫である。そこで止むなく、残りのわずかの金で車を求め、車ひきをして居るうちに、前助けた人にめぐりあい、これが縁となり喜びの一生を送った話がある。これは三年後に死ぬと信じ、慾をすてて、慈悲の行いができたから、はじめて運を見た、えらい人は三年後に出世するといいたかったであろうが、それでは身も心も助からぬ。そうすると今の運は開けぬ。そこで一旦殺して、慈悲の生活に入れ、しかる後に助けた神の不思議力。誠に尊いではないか。」
これは大体、神仏が人間の運を変える所の例でございます。紀州の山奥に一人、子を持っておる、そまがありまして、そのそまが、雪の降る日に、山へ木を切りに行った所が、充分木の方向が、雪の為にわかりませんので、木に打たれてなくなったのです。そこで一人息子は途方に暮れて、泣く泣く暮らしておりましたが、ある日、不思議な坊さんが見えて、そうして、その一人子に尉めの話しをして、最後に言う事には、お前さんの手をちょっと見せてくれ、そうして手のすじを見て、顔をつくづく見て、言う事には、まことにお気の毒ではあるが、お前さんには危期が迫っておる。もう手の筋から言えば、一年後には寿命がないように見える。それで、お父さんのめい福を祈り、あんたの開運を祈る為に今からお四国を回りなさい。そう言われて、その若者は萩本という名前であったのですが、泣く泣く家財を売り払うて金に換えて、家にはだれもおりませんので、家をたたんで、お四国へ出たのです。
そうして諸国を遍歴して、金は四国回るだけ十分有るから大丈夫と思うて、ゆるゆると、お大師さんの後を慕うて出たのです。つまり、お四国遍路になったのです。そうして、あちらこちらと神社仏閣へお参りをして、おとうさんのめい福を祈り、自分の開運をお願いして、大阪へ出て来たのです。
ところが、指折り数えてみると、かれこれ、方々へお参りする為に大よそ一年になりそうな。こら、もうわしは、あのお坊さんの話では、よわいが無い。金はまだ沢山有るけれども、ふと思案に暮れて、まだ余力が有るので、大阪付近を方々お参りしておりました。そうして、もう一日かいなという日に、さあ、もういよいよ今夜明けたら、明日は 満一年を過ぎるんじゃ。ちょうど、大阪の心斉橋、今は鉄筋で立派な物が建っておりますけれども、その当時は木でこしらえた橋で有りました。その橋へ、もう今日明日だけの命で有ると言うので、寝られんから、夜遅く心斉橋を渡って行きましたところが、何やら、にわかに胸騒ぎがして来た。こらもういかんのかと思うて、わが身の事を案ぜつつ橋をソロソロと渡っておりました所が、何やら、人の泣き声が聞こえる。二人のような、こら気の毒な人も世の中には有るもんじゃなあと思うて、ソロソロ行って困っとる人で有ったら、わしは金が余っとるんじゃから、上げてもええと思って、橋の上をソロソロと、足音をささんように、はって、四つばいをして、ソロソロ近寄った所が、いかにも男の人と女の人が泣いておる。どうやら話を聞くと、川へ飛び込む約束らしい。それも、それを何の為に入るんかと、その男の人が金を使い果たして家を出ておる。そうして、その女の人が、もう二人とも家へ帰る訳にもいかず 金に詰まってしもうて、もう今まさに、二人が手を引いて心斉橋から飛び込もうとしよる所へ、これはほうっておいたら飛び込むやらわからんと思うて、にわかに、「ちょっとお待ち下さいませ。」二人がびっくりした。「これは又、 あんたどういう訳でございますか、いや話しをすれば長いが、短く話しをすれば、今、私が立ち聞きや言うたら、 非常に済まんと思うたけれども、私が余っとるもんが有るから、あんた方に上げようと思うて、そうして立ち聞きしたんじゃが、お話しによると金に詰まっておいでるように見える。お家にも帰れず、そういう事を承ったので、幸、私の身上は、もう今晩くらいか、この世に居れんので、金が余っておりますので、あんたのお困りの足しにでもしてもらおうと思うてお止め申したのです。どれ位いるんか聞かしてくれんか。」ところが、その男の人が言うにはつい百両の金でございます。そうした所が、その人(萩本様)が、あら勘定しておいでる。「あら、私持っとる、上げます。私はもう明日ない命ですから上げます。」そうした所が二人は、うれしいは有り、びっくりして「あんた、どこのお方でございますか。」「いやもう名前を言うのも恥ずかしいが、私は萩本と言うて、紀州の者でごわす。」 まあ二人は泣く泣く地獄で仏に会うたようなもので、土べたにすわって、有り難く百両の金をもらった。ところが、 「どうぞ、あなたのお身の上を詳しく聞かして下さい。」とこう言うもんじゃから、「いや、もう明日、この土地を 去る者、名前だけは申したけれども、事情などお話しする暇が無い、さようなら」と言うて走った。ところが、その 二人は、うれし涙に暮れて、それで諸払いを済ませて、やれやれくつろいだ。というので、そこを立ち去りました。
まあ、これで、話は途中で置いときまして、この後、この二人は苦労した事でございます。ところが、その萩本さんは、もう腹でも痛うなるか、もう目でも、もうて来るかと思うても、どこもからだが悪うならん。ところが不思議な事には、親を思い、家を思いの誠に、信仰深い人で有って、どうもこれ、わしはあの偉い坊さんがおっしゃったのに違いなかろうけれども、からだに異状が起こらん。そうして一日たち、二日たちしているうちに、持っておる金がソロソロ減って行く、ああ、こら不思議なこっちゃ。
ところが、その萩本さんが、毎晩寝ると、鐘の音を聞く。有り難い仏様の鐘の音を聞く。これわし、どうも不思議じゃ。耳もどこも悪うないんじゃが、有り難い夢を見る。これひょっとしたら、助けてくれたんかわからん。又そうなると日どりが長くなるんじゃから、運を変えて下さったんじゃから、これさあ、わしからだが達者なんじゃからと言うて別に、木を切るより他に、そまより他に知っとるもんがない。車引きでもしようと思って、それから車屋さんの家へ行って、古手の車を分けてもろうて、お上へ願うて車引きの職をいたしますからと言うて、役場から、その許しをもろうて、さあそれから車引きになりました。ところが、そういう運のええ人じゃから乗り手が沢山有る。不思議に。お手元がきやすい。ああ、わしこら有り難い事じゃ、ああ、さぞ、おやじもええ所へやってくれたんだろう。わしもあれほど、よう合うた身の上のお話が、今に耳に残っとるが、どうも運が変わっとるように思う。と喜んでニコニコとご真言を繰りつつ、今度又、心斉橋の所まで来た。ああ、ここで会った。ああ、ここがわしの運を変えてくれた有り難い所じゃと思いつつ歩いて行ったところが、後から「車屋さん乗してくれんか。」という若い人があるものじゃから「へえ、どうぞお乗り下さい、」「つい、この先の橋渡った向こうに銀行が有る、その銀行の近や。」「へえ、よろしゅうございます、お召し下さい。」と言うので、まあ気持よく乗せた。それから走って、「ここが、わしの宿じゃ。」それで、その車を降ろして、ご主人はきれいな家の中へはいって行った。それで、門口で車に腰掛けて待っていたところが、その戸を開けたそのままにして、ご主人が出ておい出て、お金をくれる。「へえ、有り難うございます。」ちらっと見たところが、その戸締りの間から奥の間に、きれいな奥の間にお掛軸つってある。何という神様を信心なさっているのかと思うて見た所が「萩本大明神」ええ、わしと同じ名字の神さん有るかな。主人に済まんけれど聞いてみたれと思って、「だんなはん、もし誠にわたしらが、お尋ねするのはご無礼でこざいますけれども、今ちらっと内らのお居間を見たところが、萩本大明神というお掛軸が掛かっとる、あれどこの神様でごわすか。」
するとご主人が言うには、「ああ、それはわしが恩になった人の神様じゃ、そういう神さん有るか、無いか知らんのじゃけれど、わしには神さんとして、お祭りして有るんじゃ。」「へえー私、萩本と言うんでごわすが。」「ふーんおまはん、萩本という人ですかい。同姓も有るもんやなあ。」と言うてご主人は内らへ入った。
車屋は、手木を上げて、自分の宿へ、ソロソロ帰りかけたのです。ところがご主人は、どうもあの話し声が、わしが助けられた人に似とる。それで番頭さん使うて、後からソロソロ遠見に付いて行かした。その萩本さんは、車を引いて、わが宿へはいっていた。小さな家であるけれども、きれいにそうじができておる。近所の人に聞いたところが 「あの人いつからここへおいでるんぞいな。」「いや、あんまりやっとになりません、紀州の人ですわ。」そんなに 言いよります。それで益々話が近寄ってきた。そんで根よく調べてみな、大恩人であったら大変じゃというので、主人は、そのまま、そこの人の身の上を聞き回りました。
一方萩本さんは又、日に日に車引いて、かせぎに出ていたのです。ある日、不思議な事には、自分の宅で寝ておるうちに、易見て拝んでもろうた、あのお坊さんが見えた。「時が来たぞ、運が開けるぞ。」というような夢を見て、ああ、わしは、そんな欲持っとらんのじゃけれども、又、欲な夢を見た。ああしかしええ夢であったと言うて、車の腕木を持って、又、大阪市中をあちらこちらとお客を捜し走っていた。不思議な事には、三番目に心斉橋へ出て来たところ、向こうを見ると、その坊さんがおいでよる。それで「お坊さん今日は。」「ああ、お前さんは、この前見た 事のあるお若いしじゃが。」「お若いしどころでごわへんぜ。あのおじゅっさん、あれからわしは、ぐるぐる四国を回って、おやじのめい福を祈って、私もその死なな、ならん日に、不思議な事があって、まだ達者で生きていて、車引きしよるんじゃ。」「へえ、そんならもう一ペン一ツ手の筋見せて下さらんか。」「いや、わしはもう手の筋見てもらわいでも楽なんでございます。」「いや、そんなにおっしゃらんと、私も一大事を、あんたにお話しをして、又、会うたのでごわすけん、どうぞ一ツ手の筋を見せてくれ。」と言うて、さあ橋のはたでしゃがんで見てもろうたのです。見て坊さんが、あきれかえって、「丸で手の筋変わってしもうとる。手の筋というのは、大きな事に合うと変わるもんじゃ、丸っ切り変わっとる。これは、あんたは、私が以前に言うた命数しか無かったのじゃけれども、大きな人助けをして、手の筋変えてしもうとる。この筋が長命の筋、あんた切れとったんでよ。ええそうじゃ。ずっと続いてしもうとる。しかもその先が三本に割れとるのじゃが、三人助けとる。」「ごじゅっさん、そらあんたのおっしゃる通り心に当たる事がございます。しかし、人数が合いません。三人ではありませんのじゃ。」「そうで、それは、易には、三筋になっとる。」「へえ、私は二人は助けましたけれど、一人知りまへん。いやごじゅっさん有り難うございます。」「お前様、近い内に出世するぜ。どうぞお大事に。」「あんた、お名前聞かしてくれませんか。」「いや わしは名前言わん。日本中回り回って、食えたらええんで、私、もう年とって、つえ突いて歩きよる。名前を言うたりするような坊主でない。」と言うて、その坊さんは、ずうっと走るようにして行ってしもうたのです。やれやれ、つらい事じゃ、この有り難い人を、名前も よう言うてもらわんと。ひとりごと言うて、しおしおと、又、わが宿へ萩本さんは帰りました。
ところがある日、袴、羽織で三人もきて「萩本さん、実は主人の命令でお迎えに来たのです。済まんけれども行ってくれませんか。」と言うのです。「何事でごわすぞいな。私、別に悪い事した事無いように思うのに。」「いや、滅相もない、悪い事どころか、主人は泣きもって、お連れ申して帰れと申しました。」「何事か知らんが、そんなら参りますわ。」と言うて萩本さんが付いて行ったところが、表へ通ってくれと言う。まあ、気色わるわる座敷へ上げてもらったところが、主人が出てきて、はかま、羽織で最敬礼しとる。ちょうど萩本さんは、たぬきにつままれたように、何やらわからんから、まあ話を聞こうと思って「相済まんけれども、私はこういうようにしていただく理由がわからんのじゃが、お話聞かしてくれまへんか。」そこで、主人が涙をふきふき「萩本さん、実は相済まん事でございましたが、あんたのお身の上を調べて見ました。ところが不思議や、あんたは心斉橋の上でご恩に預かった、とうとい方でございます。あの時ちょうと家内が身持ちで、金は無し、おやじには追い出されるし、生きるに生きられんというので川へ飛び込もうとしたところを、あんたにお世話になって、沢山なお金もらいました。その私が本人でございます。ただ今は山口銀行へ勤めて、有り難い事にはええ身分に取り立ててもらって、楽に暮らしております。」
そういう事を聞いて、秋本さんはびっくりしてしもうた。主人を見ると、主人はたたみの上へ、へたばって、手を合わしとるのです。なるほどなあ、あの坊さんが、三人助けたと言うたが、そろばんが合う。なるほど、人は二人で有ったけれども、三人じゃ、又萩本さんも手を合わして、お坊さんと言って拝みよる。まあ芝居にでも有りそうな感激の場になってきた。そこで、「萩本さん、相済まんけれども、もう今日限り、車引きさんを止めて、銀行の手伝いしに来てくれませんか。私はあんたの為に新しい家を一ツ建てますから、どうぞ家へきてください。」と懇望せられて、萩本さん「左様でございますか。まことにお言葉に甘えて済まんのでございますけれども、私も年寄りでお目掛かりの通りで、車引くのも、あんまり進まんので、そんならお世話になる事にいたします。」と言うて、おいとましたのです。そうして、そこの家財を売り払うて、その山口銀行の方の家へ、屋敷替えする事になりました。
そういう人でございますから、ちょうど貧困な家に生まれて、その日かせぎをしていたのですけれども、生まれ星がええ。する事は日に日に人に好かれて、喜んで山奥に暮らしておったんでございますけれども、誠に親孝行で、その親が不時の死にをした。もうわしは、一生おやじのめい福を祈る。わしも神仏に仕えるという心で、暮らしとる為に、その功徳で、おやじさんは立派に、神仏になるし、私も毎晩、有り難い鐘の音を聞いて、不思議な生活で暮らして、どうもこんな有り難い事はないと言うて、国分の身の上話をして、銀行では大評判でおいでた。という事を聞いたのでございます。
泉先生は、この事をおっしゃるのに、そら大きな運命を持っとっても、そのちょうど花火の粉の中へ煙硝入れておいても、ドンと花火上がりやしません。口火に火を付けたらドンと上がるようなもので、その筒の中へ入っとる煙硝のように大きな出世する種持っていても、口火に火を付けてくれるのは神仏じゃ。この人は親子暮らしで、山の奥で貧しい暮らし、していたけれども、もう因縁がからだ一杯になっとる所へ、神仏が口火を付けたんじゃ。その口火は何ぞというたら、心斉橋の出来事が口火じゃ。それで運勢が開けた。ええ話じゃなあとおっしゃった事がございますので、私が書いた訳でございます。
ちょうど人の一生は、そんなようなもので、いかに貧困で有りましても、神仏の時がきたら、このように花が開き、実がのるものでございますから、どうぞ、こういうような話は数々ございますけれども、泉先生がそういうようなもんじゃとおっしゃったので、これを書いた一ツの例でございます。どうぞ皆様も裕福なお方もあり、貧困のお方もあると思いますが、それはやはり、前世からの因縁で、そういう事をして行かんならんように生まれ合わしとるのですから仕方がない。しかし功徳が積めて、時が来たらちょうど神仏が、花火の口火を付けるような具合にトントン拍子に、運命が変わって行くものでございますから、どうぞ皆様も、神仏におすがりになり、特にお大師様や、泉先生のごとき人にご縁が有ったのは私、結構と思います。
このお話しのような事は、たくさんあるのでございますから、又これと反対に、いかに立派な家でも、もうそれで種が切れてしもうたら地獄へ落ちるという事も、裏手に有るのでございますから、どうぞ、このお話は誠に、先生が感心して下さったのでございますから、そのおつもりでお聞き下さい。
(昭和三十九年十月三十一日講話)
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第五四〇条 「神仏とまつられて居るお方は、慈悲心に燃え、わが身の苦難を考えず人を助けられた。それであるから、神信心するものは、 すくなくとも、わが責任ぐらいは果たさねばおはずかしい次第である。」
これは、泉先生のお話しによりますと、この世で神仏とまつられる人は、どういう事をした人かというお話しでございますが、このまつられるようになっとるという事は、生きの世で、どういう事をしたかといいますと、人の苦難をわが身の苦難と同様に、助けて上げたいという慈悲心に燃えて、そうしてなさる事が神仏の所作になる訳でございます。しかし世の中を見ますと、わが一身に振り掛かっとる責任でさえも果たさず、まして人の上へその慈悲を持って行くとい事はむつかしい。この苦難をこぎ抜けた人が神と祭られておる。と先生がおっしゃいましたが、実にその通りでございまして、あの忠臣蔵を見てもよくおわかりじゃと思いますが、蔵之介は浅野家の家老職をしておりましたが、これはまあ芝居でよくする事ですからご承知だろうと思いますが、そのわが身に振り掛かる苦難を、それを払いのけて、ただ一途に、主君がこの世を、お去りになった時に思った事をやり抜いた。こういう事で、今では大石神社としておまつりしておるのでございます。これは大石さんに限りません。だれでも神さんにまつられとる人、必ずご自分の一身を捧げて、そうして世の為、人の為に苦難をなされた人ばかりです。そういう事を泉先生が、お話しになったのでございますが、それを五百四十条に書いたのです。
これは昔から沢山の例がございますが、どのお方でも慈悲心に燃えて、自分という者を置き替えて、向こうの苦難しておる人を、苦をのけてあげる。という事に働いた人という事になりますけれども、これは、神様に祭られておる人のお話でございます。一般の人からいうと、見てご覧なさい。自分の事を軽く見て、そうして人を楽にする。又尊んであげる。こういう人が人間として非常に万がよろしい。一般からいいますと、万がええという事になりますが、このなさる仕事を、後から慕うて、神様に祭る訳です。まつられなくとも、生きとる神様と同様です。そういう事を泉さんがおっしゃったので、いかにもこれは、ええ事じゃと思って、私書いたのでございます。それが、五百四十条。
随分あんた方が思うてご覧なさい。日に日にお付き合いしよる人間同士でも、あの人という頭のさがる人は、必ずその道に従うとるのでございます。それと反対に、人にきらわれる人、という事になりますと、わが身だけか思うておりません。わが身だけを楽にする為にするのは、まだええ分です。人を困らせてでも、自分は楽に行こうと、こういう人も有るのでございまして、決して、その人を憎めんので、かわいそうなその訳がわからんから、自分の身を肥やす為に、根限り働いておる。自分のする事が人にさわっていて、人を難儀さす。こういうようになりよる訳で、泉さんが、ちょうどご自分の事を語られているようで頭が下がった訳で、五百四十条は先生ご自身の事をおっしゃったように思います。
(昭和三十九年十一月三十日講話)
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