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第五二二条へ 第五二三条へ 第五二四条へ 第五二五条へ 第五二六条へ 第五二七条へ 第五二八条へ 第五二九条へ 第五三〇条へ第五二一条「何事によらず、見方きき方が信心でなければならぬ。人間根性を中心とすれば、何を見ても聞いても功徳はない。たとえて見れば、あの芝居で有名な勘平の腹切場を信仰のない法律家が見て間違いで腹を切らせた罪は、あれは第何条かなど考えるなら 法律の勉強によかろうが功徳にはならん。」
話をするのを聞いても、人のしている事を見ても、その受け取り方は人毎に違うという事を書いてあります。これは現在あんた方でも、ご承知の通り、人には皆、目、耳、鼻、口、身、心と受け取る道具が付いておりますが、それを使っているのは何かと言いますと、自分の根性です。その根性の中心がどこにあるかという事で、見方、聞き方が違うて来る事でございまして、いかに偉い人でも、青い色のめがねを掛けましたなれば、世界が青うに見える。これは当然の話です。信仰で言うのは、色が付いておればいかん。見ても聞いても、それはガラス越して色つきではいかんと、こういう事を先生がおっしゃったのです。ちょうどあんた方が、色めがねを掛けて世間をご覧になると、心の中に金ばかりに固まっておる人、あるいは、それよりもきれいであるけれども、健康ばかりに気を付けておる人、又名誉ばかりに気をつけておる人、こういう人がちょうど色めがね掛けておるようになるのでございまして、よほど注意いたしませんとこれはわかりにくい。
たとえてみますと、忠臣蔵のげ題を芝居でやっているのを、法律家が見に行ったのです。法律家というのは、民間がした所の物を法律に当てて、これは罪があるとか、無いとかいう判断をくだすのが法律家でございますが、ちょうど芝居で早野勘平が腹切りしている所へ、法律家二人が見に行ったのです。「君、あれどうなら、勘平悪うないでないか、しし打ったんじゃけど、それが親のかたき打ったのでないか。それに腹を切らすというのは、これ法律第何条に当たって、これよくない。
こういう風に、忠臣蔵のげ題を見よったのを先生が聞いたのです。しかしそれは法律家ばかりでない。皆信者のお方は、こうして、寄っておいでる人は、真っすぐなけれども、一も二もなくそろばんでわたる人は、こら損じゃ、得じゃと言うて渡る人は、ちょうどそのように損得で、世界の事を見たり聞いたりする。これは気を付けないかんなあと先生がおっしゃった事を書いたのでございますが、そうなっとりやしませんか。だから何じゃにこだわらずして、この世の中を、極楽世界をこしらえなどんならんというようなお考えの人であると、見違いはないのでございますから、どうぞ先生のお心が、そういう何ものにも固まっておらん。国の為という人が欲しいと先生がおっしゃったのはここなのでございます。どうぞそのおつもりでご覧願います。
(昭和三十九年八月三十一日講話)
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第五二二条 「人を助ける功徳は大きいと一口にいうが、その中でも、神仏のご慈悲の広大無辺な事を理屈の上でなく、事実の上で悟らせて 喜ばせたなら、その功徳に越す功徳はない。」
泉先生は、ああいう人助けをなさっとるお方でございますが、世の中には人助けしよる人沢山ございます。そこで、先生がおっしゃったのです。「人を助けるという事は大きな仕事じゃ、真にええ事であるが、ただ向こうの人が困っておる、それを助けると言うのを頭に置いてやったら、拝むのを間違うとる、とおっしゃったのです。何を考えるかというと、拝んでもらった人が、神仏は実に有り難い、このご恩報じをせなならんという事を、理屈の上でなしに、拝む人が見せてやる。これが大事なんじゃけれども、わしは出来ん、と先生、謙そんなさった。わしは、もう出放題のこけどっくり言うとるんじゃが、真の人助けというのは、その人が神仏にお世話なっておる。ああこれは有り難いと言うて、神仏のお慈悲に感じて、ご恩返しをせんならんと言う人間を養成するのが本間じゃとわし思うけんど、わしでけんわよ、村木さんよ」と言われました。ああ、先生はそこへ気をおつけになっとるかいな、私はそう感じたので書いたのでございますが、実際そうでございます。
そんなら、たとえてみますが、拝んでもらう、そうして商売がもうかったが、もうかったと言うだけで喜んだ。
それでも功徳になっております。しかしそのもうかった人が、ああ神仏のお陰でと、これは一生覚えとかなならん。
そのご恩報じという事に気がついたならば、その人は一ペン拝んでもろうても、一生助かる訳でございます。その事を先生がおっしゃいました。そういう意味でご覧になるのがよろしいと思います。
(昭和三十九年八月三十一日講話)
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第五二三条 「えらい人が人だすけをしているのを見ると、人間の知っている範囲でその人を喜ばせ、そしてその喜びを神仏に感謝し、こがれたら、心を植え付けて居られる。これを見ると人間は、ただ喜ばせてくれただけに満足せず、自分も神仏の力をかりてお礼返しに人の身を助けたいとつとめねばならん。ちょうどたとえて見たら、非人が物をもらって喜ぶばかりで満足せず、自分も働いて物を施す人になりたいと努める。これがほんとうの信仰である。」
五二三条は五二二条によく似ているのでございますが、これは拝む人ばかりでございません。一般信者の人でございますが神仏を信じて、そうしてああよかった、これはうれしかったと、いう所の事が国の役になっとるとか、人の役になっとるとか、又わが家の子や孫の為になるか、こういう事を考えなければ有り難いという感謝の念が起きん。
それを子供に植え付けるのがまことに結構である。こういう事を先生がおっしゃったのですが、もう一ツそれを大きく考えたならば、わしもこういう有り難い事を身につけたい。そうでないと、その場きりであって、続かんぞと先生がおっしゃったのです。
なるほど、いかにも私、今先生にお別れして考えてみますと、世の中には神仏を信ずる人も沢山ございます。又、拝みよる人も沢山ございます。ところが自分の一生は無論の事、子や孫にこの有り難い事を教えたいという為に、動いとる人はあるようでございますけれども、比較的少ないものでございます。先生は後の世の為をおっしゃったのです。ただ自分のつらいのを助けてくれと神さんに祈る、そうして助かる。あるいは拝んでもらって、喜ばせて下さった。それだけではいかんぞと先生がおっしゃいましたが、あんた方もここをよくお考え願いたいのです。
この喜ぶという事は、人間の五欲が満足出来たから喜びよる。欲が満足出来たから喜ぶ。それではいかんと先生が大きなお話をなさったのです。つまり、子や孫にそれを植え込んで、これは大きな財産であって、(先生がおっしゃったのですが)なるほど目にこそ見えませんが、そういう心掛けを子々孫々が持っておったならば、その家は大ばんじゃくでございます。無縁さんにはならんと私は思うのです。どうぞ、その意味で五二三条は自分の欲が満足できたから、それで安心してはいかんと先生はおっしゃる。
自分の代人は自分の子である。子の作った所の孫、これまで財産分けてやらないかん。その先生のおっしゃる財産というのは、目に見えぬ神仏に、有難うございますとお礼を言う言葉を残せと言うのです。これをようお考え願います。目にこそ見えませんが、これは金より大きなもんじゃと私は思います。どうぞ先生は、そういうご信仰であったのですから、そういう風なお考えの方がよろしい。
私は世の中をよく見てみますと、親ごがなさった事がそのままに子の方へ移って行きよります。もし、それが悪かったら、親よりずっーと劣る子になります。それがよかったならば、トンビがたかを生んだと、世の中でよく言いますが、そのお家はご運が強いのです。それは、そろばんの上から来るのでございますけれども、西郷隆盛が言うたように子孫には美田を残すな。それより、いくら使うても減らん所の、目に見えん財産を子に譲れ。ここでございます。
先生がおっしゃったのも。自分の願いが満足したら、それでうちょうてんになるんでない。子供に分けてやれ、お隣りにも分けてやれ、そうして互いに手を引いて、きれいな世の中をこしらえようではないか。先生のお言葉は、実に大したものでございます。
(昭和三十九年八月三十一日講話)
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第五二四条 「動あれば反動ありという事があるが、これは動ばかりでない。
心の方もその通りである。たとえば、自分がえらい人のように 見えるようにして見たいと工夫すると、かえって世間からは見上げてくれず、下の方へおしさげられるものである。」
泉先生は漁なさって、お師匠さん無しにああいうお教えをなさったのでございますが、見ようによると先生は、実に大学者でございます。こういう事おっしゃったのです。「村木さん!一ツ何か働きがあったら、その反対側のはたらきがあるもんやなあ。」こういう事おっしゃったのです。今日の物理学では、それは動あれば反動ありと言うております。反動が無かったら動は起きんのです。今日の物理学者はそう言っております。
どういう事かと言いますと、ちょうど舟に乗ったといたします。そうして舟の中へ入って、この舟前へやろうと思うて、いくら突張ったとて、随分強い力でつかまえても舟は動きません。前へ進みません。というのは、前へ突くだけの力、足で後へ踏んばっています。動あれば反動ありで、前へやろうという動があったなら、その前へ出る力、どこから出て来るかと言うと、足で後へ突っ張る、それから生まれてくる。動あれば反動ありという事を先生がおっしゃったのですが、なるほどこれは今日の物理学者がやかましく言っているのはそれです。汽車が走るのも、あれは水を熱すると水蒸気が出て来る。その力は非常に強いものです。それが蒸気の機関の弁を前へ押す、押すだけの力がないのです。そうして、次に押す力はどこにあるかと言いますと、その気筒が穴があいておりまして、それから抜けて、次は反対に又押してくる。ただ押すという力があの汽車を走らすようになっとるようなもので、中を分解してみると力の動くというのはひどいもので、先生はそれをご覧になって、ちょうど物理学者が言うような事をおっしゃったの です。
それが日常生活にどんなに響くかと言いますと、ここに自分をかわいがる、自分を大事にするという力は、どこへ動くかと言うと、人にさわるのです。人は皆、一人残らず自分がかわいいのでございますから、自分だけかわいがった力は人にさわります。さわらんとおりません。自分を大事にした力は、必ず人にさわります。これをお考えなしてご覧なさい。そこで先生は、どうおっしゃったかと言うと、それがあるから皆がわが身かわいいという性根があるんじゃから、自分が犠性になって、この人喜ばせて上げようという譲る心がもし無かったら、動あれば反動ありで、自分がやられるぞと先生がおっしゃった。大した理論です。これはそうなっとります。見てご覧なさい。皆、自分かわいやという運動しとるのです。この人間世界では。所が、それが人にさわって、必ずわがが埋没してしまいます。それを信仰上の教えでは、皆がそう思うとるのじゃから、人を満足させて上げると自分が助かるんじゃ。これは反対みたようであるけれども、動あれば反動ありで助かるんじゃと先生がおっしゃった。どうですか、皆様だれでも自由を好んでいます。何らの束縛なしに、自由に動きたい。ところが自由に動くというたところで、その動くのが、もし人の邪魔になると、その人は没落します。今日の世界はどうです。自分が便利の為にストライキをやったり、色々結束してやっていますが、それが為にかえって自分が細るのです。偉い人はこれをおっしゃったのです。
そのたとえがお経文にございます。鉄がここに一つある。その鉄がさびた、そのさびはどこから出たんぞ、自分の身から出たのです。するとさびるほど自分が細うなる。こういう事がお経文にございますが、さびは鉄より出て鉄を細らす。そういう事がお経文にございます。ちょうど先生がそれをおっしゃったのです。欲を満足さすという事を自由にしたい。それが自由になるというと、ちょうど鉄がさびたようなもので、わが身が細るんがその裏手にある。それを世の中の方へ使うたなれば、自分が肥えて来るんじゃ。これはむっかしい理論でございますけれども、よくお考えを願います。
偉い人は皆、偉い人でなくとも、人に好かれる人は必ず運がよろしい。というのは、人のすく事をして、人にきらう事せんから、人に好かれるのです。好かれるというと、人からかわいがられるので運がようなる。こうなりますから、動あれば反動ありで、動無しには人間は行けんのです。五欲無しには人間は行けません。私は五欲が悪いとは申しません。五欲があるから、人間は生きとるのです。その五欲が人にさわらんように、人が喜ぶようにせなければ、その五欲がさびになってわが身が細ると先生がおっしゃったのです。面白い言い方です。
これは、さびは鉄より出て鉄を細らす。先生がヒヒヒというてお笑いになったのはここです。実に立派な、哲学者がかないますまい。さびなければ細りやしません。さびるから細るのです。さびんとはおれんというのです。どうしてもさびるんじゃ。人間を一生にはどうしても五欲無しでは行けんのじゃ。まず食うという事、寝るという事、それから、もうけるという事、これ皆五欲のうちへ入っております。それ無しには行けんのです。どうしても寝もせねばならず、働きもせないかん。食べなんだら行けんのじゃ。ところが、その食べたり言うたりする事が、人がきらうともうその人の体が細る。食えんようになる。先生がそれをじょうずにおっしゃったのですから、どうぞ自分に五欲があるのを人にさわらんように、人に好かれるようにして行く事が一番大事じゃと思います。
ところが先にもありましたように、めがね掛けて歩きよるのですから、人間は親がその五欲に沈できして、人に憎まれたといたします。又憎まれなくても、神仏にきらわれたといたします。すると出来て来る子が知らずして、五欲の夢を見て運が悪くなるのです。必ずそういう人の親御には悪い人がおります。これは、お大師様は深い夢見な、浅い夢を見よ。浅い夢を見て世の中を渡れ。酔いどれにならんように「浅き夢見てえいもせず」とおっしゃったのはここ です。ただ何と言うても生きとるのでございますから、生きとる間は多少夢見ます。神さん、仏さんの教えの通りに出来にくい欲というのがございます。それに浅い夢を見いよ、そうして酔うてしまわんようにせえよとお大師さんがいろはの歌に歌うてある所もこれでございます。
運の悪いのと、ええのとの境は僅かしかない。ほとんど接近しとるのでございますから、その境を脱線せんように、 又先代が、やってある仕事を又自分が知らんとやるのでございますから、自分という事を知らないかん。自分を知るのは、どんなにしたらええんならというと、それは世の中飛び離れた神仏の世界へ入って、わが身を見たらわかると先生がおっしゃったのです。信仰してみて、神仏に従うて、一生懸命に信仰してみる。そうして自分のしよる事や言いよる事を、人として、わがとして見ずして、人として考えて見いよ。そしたらわかる。こう先生がおっしゃったのです。自分の事を自分が知るのは、神仏にお仕えして、そして自分を見てみなければわからん。色めがね、わがには色めがねが掛かっとるぞとおっしゃったのはここでございます。
(昭和三十九年八月三十一日講話)
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第五二五条 「からだの病はだれにもよくわかるが、心の病は知らぬ。それもそのはずで心がわずろうて居るから見わける力がない。それであるから心をわが身を思わぬ他所に置けば、わが心のわづらいはわかる。よく人がいうて居る。わき目正目とはここである。」
泉先生がこんな事をおっしゃいました。「世の中には、たくさん病人があるなあ。その病気というのに二ツあって 体が悪いのと心が悪い(間違うとる)のと、この二ツあるなあ、村木さんよ。」と先生が笑いながらお話しなさった。 なるほど、病人と言いますと、だれでも体の悪い人を病人と言っているけれども、そうじゃないと先生はおっしゃる。達者であって、心が煩うとるのも病人である。なるほど考えてみますと、体の病気は治しようがあります。お医者さんが直しよります。所が心の病気をなおすのは神仏でなければ直らんのです。それをわがでに知りません。 自然自然に、日に日にしたり言うたりしている事が、不運なように拍子の悪いようになって行く道へはいっておるのを知らずに過ごしている。これは病人、それで先生は病気という事は、自分の心から、煩うとるのが、病気と言うんじゃ。偉い人は病気わずらわん、病いにはかかる。わがからだが惡うなる事は、偉い人でもある。心から煩うとれへんのじゃ。あれは病気煩わん。偉い人は病気煩わんけれども、病いはする事がある。先生がここで病と、病気のニッに分けたのが面白いのです。だれでも病と病気とは一緒のように思いますが、先生は別になさる。偉い人は、病は煩うか知らんけれども、病気はせんとおっしゃったのはここです。
なるほど、これをよく人間社会に当てはめて考えてみますと、自分でにうんが悪いように悪いように考えて行きよる人があります。そうして不運になります。そのあげ句のはてには病気になります。そうしてまだまだ生きられるのに死んでしまいよる人も沢山ある訳でございます。先生がそこをおっしゃったので、偉い人でも、若い内に倒れる人もある。又お年寄りになる人もある。それは同じ事じゃ。だが心の為に煩うという事は無いわ、これ大事ぜと、先生がおっしゃった。これをよく社会に当てはめて考えてご覧なさい。体は達者じゃが、大きな病気しとる人があるでしょう。それは、わがを知らないからです。神仏はそれを教えておいでるのですから、神仏に従うて信仰してみる。その目で自分を見るのです。これで良いかいな、そうすれば、自分の病気が直るのです。それを先生がおっしゃったので、 神仏は心のお医者さんじゃ。従って心が直ったら体も直ると先生がおっしゃったのです。そうして、お薬師さんとこへ行ったら薬師如来はどんな薬でも下さる。そんな事、先生がおっしゃったのです。五尺の体は薬師如来のつぼじゃとおっしゃったのです。どんな事でも体の中へ薬を下さると、たとえておっしゃったのですが、なるほど考え方によりますと、自分の心の持ちよう一ツで大きに助かります。私は酒屋をしていたのですが、まあたとえてみましたら、あの酒を入れるおけです。あれは五年したら輪替えせないきません。ところがその古うなった桶を、酢をこしらえるお方が買いに来まして、酢屋へ渡すのです。三年か持ちません。おしょうゆこしらえよる、しょうゆ屋さんへそれをお譲りしたら、しょうゆ屋さんはそれを使います。木のある限り、竹の輪のある限り、輪替えしたりなんかしなくても一生使えるのです。ただそのおけは同じ物でありますけれども、中へ入れる入れ物が違います。酒入れるのと、酢入れるのと、しょうゆ入れるのと、この入れ物で、おけがいたんでしもうたり、腐ってしもうたり、又一生使えるという事になる。これを考えますと、その中へ入れる物何かと言いますと、人間で言いましたら心です。この五尺のからだの中へ入れとる心です。その心が悪かったら体がもたんという風に考えられます。先生はそういう事おっしゃったので、入れる物で大け道具がもったり、もたなんだりするなあ村木さんよと、おっしゃったのです。なるほど今お話するように桶でもたいへん違うのでございます。
ちょうどそんなようなもので、日に日に考えたり、言うたりしている、その中への入れる物、体の中へ入れる物にお気を付けたら得じゃ、こう先生がおっしゃったのです。実に面白いお話じゃと思います。だから神仏が好きな物は良い入れ物です。良い物入れよるのです。神仏の好かん物入れたらからだがもたんのです。という風に考えたらよかろうかと思います。
(昭和三十九年八月三十一日講話)
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第五二六条 「人を助けるには、その人の過去現在未来のすべてのことを知りぬかねばかなわぬ。このいっさいを知りぬく力こそ、神仏が大切にせられる。無上甚深微妙の法である。これさえあれば、人は自由自在に助けられるはずである。神仏は、この宝を人に授けるのをおしまれるのでない。しかしこれを授ける言辞はない そこで因縁と比ゆとをもって、この難解の法を説明せられて居 る。これをさとればよいのである。すなわち教えは、はしごを登る方法である。方法がわかったら実行である。所がわすれてならぬ事は、わが身を案じる心が少しでも含まれておったら、この宝は消えて目にかからぬようになる。慈悲の目より外に見当たらぬ不思議な宝である。」
これは非常に大きな問題でございますが、先生が、なぜ人が助かるか、どうして泉先生が人を助けるのにあれほどの力が出たのかという大きな問題でございます。この人という問題は善人もあれば、悪人もあります。又望みが色々違うておりますが、あなた方が魚をつるのに、えびを使うたり、又芋を使うたり、あるいはミミズを使う。又、魚というものは、中々面白い癖があるので、腹が大きければ、えさに食いつく。魚の方は 腹が大きくなかったらいかん。
魚のおなかがすいているとつりにくいそうでございます。そういう風に、中々魚でさえもそういう癖があるのでございますから、人間は又、中々複雑でございますので、そこで人を助ける人は、この人は何を望んでおるのか、何を恐れておるのか、どういう事をしたか、そうして今こんなになったんじゃという、その方法を先生がご承知でなかったら、魚をつるのにでも知恵がいるようなもので、人間は助けにくいと先生はおっしゃった。私はその先生のお言葉がむつかしい仕事じゃなあ、先生は拝む前に何も言わなくてもよろしい、そこでじっとすわっておいでなさいと言うてその人から訳を聞かなんだと言う事が、なぜそうなしたか、こういう事から、私、考えたのでございますが、それは自分の心の内に、まず隠すのではありませんが、心にじっーと持っとる事を言い表わす事は中々拝む人の方から言えば、言うとると先生がおっしゃったら、二へんぶりでマズキになりますから力が入らんのです。黙っておる所へ先生がぴしゃっと行くというと驚くほどこたえると、こう私は解釈しとるのです。
しかし、それは、人間の知恵ではいかん。これには不思議な人の心が見える。又運も見える。先も見えれば、後も見える。といういっさいの事を知るという、いっさいち(一切智)という知恵が無かったら、そういう事は出来ないのでございます。拝む人も沢山ございますが、先生の拝みなさるのは、実に不思議な力を持っておいでた。ただ百発百中に言う事が当たると言うのでも、そこに段がございまして、えさを沢山持っていても、魚の好かんえさ持っていたのでは、幾ら持っていてもそれはつれませんのと同様に、百発百中に合うた所で、その人の急所へ当たらねば何にもならんという事になる訳だと、私は考えたのでございます。
この人を助けるという事は、そういう向こうさんが好いておるものでなければいかないのです。先生は、その向こうの今までの功績、いかなる事をしたか、そうしたら行く先はどうなると言うのがわかっとるのでございますから、これが非常にむつかしいところで、拝んで合うたんでもすぐ助かるとは言いかねるのはここにあるのです。お話しすれば、先生の人助けには、随分沢山のお話がございますが、その中から先生のお助け振りは、こうなんであるという事をお話ししてみたいと思います。
ただ今の私の屋敷の西に蔵がございますが、この蔵が北南のむねでありまして庭が狭いのです。ところが私のおやじが中風をしまして、運動するのに庭が広かったらええ、遠方へ行けませんからというて、私がその蔵を現在の通りに、西東のむねに変えたのです。そうすると庭が広うなりました。ところが、ちょうどその普請をしますのが十一月でございましたので寒いのです。早うこれしたいと思って十一月に掛かりました。まず蔵を上へつっておきまして、そうして石垣をのけて、今度振り持って行く所へ新しい石垣をこしらえて、そうしてそれを引いて、その新の石垣の上へ蔵を移す。こういう方法なのでございます。それで、まず樫原という広島の家を引く人に蔵をつってもろうたのです。まず石垣を除きましたのですが、のけたところが、沢山のヘびがおるのです。もう寒いから石がきへはいっとるのです。それがとても沢山です。出ると十一月でございますから寒い。冬ごもりしとるのを、こちらが出したのでございますから閉口しとるのです。これはかわいそうなと思いまして、一ツ一ツ入れ物に入れるのですが、逃げますから、これではいかんと思うて、きたないけれども、まあ辛抱してつかはれと言うて、タゴ(肥おけ)の中へ入れたのです。そうして、日の当たる暖かい所へ持って行って置いときましたら死にません。タゴに半分位たまったと思いま す。そうして新しい石がきが出来た所へ皆離してやりました。ところが皆息災にそこで生き返って、そこへこもったのです。まあそういう普請の仕方でありましたが、ちょうど私が大代の山形清さんという人と一緒に鉄砲を打ちよりました。夜も一緒によく行ったものです。ところが私の足がヒョッと抜けるのです。左の足が「清さん、ちょっと待ってつか、足が抜けたわ。」痛うも、かゆうもないのですけれども歩けんのです。そうして、しばらくそこで足を休めて一服しておりましたら直るのです。そういう事が日に何回もあるのです。すると、清さんがそれを見まして、「あんた、それ痛うもかゆうもないのに足が抜けたりする、それは津田の泉先生という偉い人があるけん、その人に見てもらいなしたらどうですか。」とこう言うのです。それで私は「見るってどないするんで。」と聞いたところがそれは「拝んでくれて、直してくれるんじゃ。」「ふん、そうで」そこで勧められて「ほな清さん行ってみようか」 「だんなはん、行ってみようかや言よったら、向こうへ行ったらおこられるぜ。」「どうしておこられるぞい。」 「皆知っておいでるんです。」「そうかい、ほな行く。」というので清さんに連れられて讃岐の津田へ参りました。
先生は、津田の浜に近い所の小さい家で拝んでおいでました。私は回りがきましたから、先生に拝んでもろうたところが、先生が、ただ今のお唱えの帰命天等は日天月天、あれを拝みなした後で、「ああ、お前さんとこは蔵を動かして庭広げたなあ。」とおっしゃるから「ええ、そなにしました。」「そうで、その時に、あんたに助けられた人が百人おる、百人位おる。」「そうですか、助けられた言うて何でごわすぞいな。」そうしたら先生が「ひい、ふう、みい、よう、五ツ六ツ七ツと、ずっと読み出して百お読みになったのです。「先生百人って、私わかりかねるのですが。」「そうじゃなあ、百人で目方が三貫六百匁。」「ええ百人で三貫六百匁ちゅうたら人間でごわへんなあ。」
「ええ人間でない、黒い人もおれば、白い人もおる、赤い人もおる、首たまの入っとる人もおる、長い人も、短い人もおるぜ。」「先生ぞれ何でごわすか。」と言うと、先生がニコニコ笑いながら「へびじゃ。」「ええ先生、ようけおりました。」「ほだけんど、わしは助けられてうれしいが、入れ物がきたないなあ村木さんよ、きたないはすタゴの中へ入れてある。」先生早ちゃんと知っておいでる。いや怒ってはおらんけれど、あれで助かったじゃけれど、きたない物に入れてくれたなあとおっしゃるけん。」「ええ入れました。」「村木さん、ようけ(沢山)出て来た中で石屋はんが一人、わしを好かん石屋はんがおった。」「へえおりました。宇吉さんという私の友達です。」「うん村木さん、あんた悪い事したなあ。どうしたって言うと、その人がへび好かんのに捕えて、じっーと持って行って、その人がうつむいてカチンカチンと石を刻んでおる後から首へ掛けた。宇吉さんが驚いて、ウワアッーと言って両手ではねのけたので、へびが高い所へ飛び上がってベタンと落ちた。痛かったぞ村木さんよ。」と先生がおっしゃるから「私やりました。宇吉さんおぶかそうとてやりました。」「うん、ほだけんど悪い事したなと言うんじゃ、わかるか。」
「ええ先生ようわかりました。」「そうして、それを拾うて助けてくれたんはええけんど、人をおぶかしたなあ。」「ええ、おぶかしました。」と言うと先生がおっしゃるのは、「わしをおじとる者を、そんなにおぶかすもんでないぞ。」と先生ニコニコ笑いもっておっしゃいました。
それから言い掛かりが出来て、皆話したのでございますが「村木さん、へびが人助けするというが、そんな事言うてもお前さんわかるまい。」「へえ、わかりかねますなあ。」「ところが後から話するぞ、このへびを助けるという事は、あの動物助けたからって、へびが喜んで恩返しするのでない。そのへびを助けるという慈悲心の後には、神仏が大勢おいでて、この人間は慈悲心があるから、助けてやらないかんと、こういう事になるんぞよ、村木さん。」
「なるほど先生そうですなあ。」「で、助けに出てくる姿がへびの姿で、神仏が助けてくれるんぞ。」と先生がおっしゃった。なるほど、いかにもそうじゃなあ。私は感心してしまったのです。「それからこの村木さん何じゃなあ、普、請場に、木のお札立ててあったでないか。」「へえ、立ててありました。あれは、私のおやじが大麻はんで方よけの お札受けてきて立ててありました。」それを石屋さんの手伝いをしていて、こかして(倒すこと)足で踏んだ。竹の先にはさんであるのを踏んだ。」「へえ、そんな事ありました。」「今はすももの木へくくり付けてあるなあ。」 「へえ、くくり付けてあります。」「それは、神様おこっとるんではないけんど、その竹を踏んでも、一ツも神さん何も言わんと言うては、おまはんが助からんのじゃわ、おまはん左足が抜けるんじゃろうが。」「先生、恐れ入りました。それであんた所へ来たのでございます。」「うん、こうやって足を引抜いとかんと神仏の有難みがわからん。今日は、ついだげるぞ、一生がい足が抜けんようについどいたげる。」と先生のお話しがあって、私はいかにもこの先生の力というのは恐ろしいなあ、それ以来私はまだ足が抜けんのです。自転車に乗って帰って来ましても足抜けやしません。
こういう風に先生は、私のした事をそのままにおっしゃる。そうして将来足が抜けんと先生が言い切った。先の事がそのままに出るのです。「お前さんなあ、わしがこういう事言うたら、動物が人間助けよると言うたら、お前さん、おかしいと思いよるけれども、いにしなになあ、白鳥さんの前通ったら橋があるだろう。」「へえございます。」
「その蔵の横から大けな物がすうッーと出て来て、おまはんが突き当たる。それは竹を積んどるのをな、車に積んどるのを、車を引く人が竹の方持ってすうっーと穂先から、往還の方へ突き出して来るんじゃ。前が見えん所へおまはんが行くけん。大けなもんが出て来るけんとわしが言うんだから、あの白鳥さんの前へ回る所へ行ったら自転車降りなよ。あぶないけん。」「へえ、そういたします。」そういうお話があったのでございますが、先生においとまして帰るのがいやなほど先生にほれ込んでしもうたのです。そうして、先生、又つい参りますと言うといて、おいとまして帰ったのでございますが、その先生に言われたその白鳥さんの蔵の所へ行った時分に、先生降りよとおっしゃったから、あぶないと思うて降りたのです。そして 車から降りた所が、ずっーと竹の穂先が出て来たのです。竹を沢山積んどる車でありました。ウワアッーこらさあ、先生がおっしゃった、これ乗っていたら、車にやり当たるのであった。やれ有り難いなあ、先生は後の事でも、先の事でも一ツも違わんなあ、これは驚いたと思うて、その車を通りかわして、先生の方へ向いて有り難うございましたと、私お礼言うた事がありました。このように先生は、もう手に取るごとく過ぎ去った事でも、先の事でも皆おっしゃる。これを一切智と言うんじゃなあと私は思ったのです。さあ拝んでもろうてわかってもです。わがの知っとる事言うてもろうて、よう合うたと言いますが、わがの知っておる事には大事な事入っておりません。先生のは、私の知らん事でも、先へおっしゃる。こういう事があるけん気を付けえよ、とおっしゃる。なるほどなあ、先生の拝み方は、違うなあ、後の事もおっしゃるが、先の事をおっしゃる事が、ほんとに骨に感じて、ああ有り難かったという感じが非常に強く出るものでございます。
このように、人を助けるのには、後もわかるが先もわかるというのであったら、もう手に取るごとくわかりまして、拝んでもろうた者に、わかって、そうして、それが離れません。そこで見たり聞いたりした事が、離れません。それをかいきょうげ(開経偈)に言うてある、我今見聞受持する事を得たりのこれです。見たり聞いたりした事が有り難くわかった、我今見聞受持する事を得たり、そういうのがございます。無上甚深微妙の法は百年待って千年待っても中々会えるものではない。わしは今それを見たり聞いたりさせてもろうた。ああほんとに神様はお慈悲深いお方である。ほんとうのお心が知りたいとこういうのが開経偈でございます。ただ先生にお目に掛かって、それを見せてもらう、ただ今お話しするように、白鳥で先の事を先生がおっしゃったが、その通りになってきた。つまり見たり、聞いたりした事が無上甚深微妙の法、だれもが知らん事がはっと、そこでわかってしもうた。もう神さん、仏さんにすがりついて、どうがこうでも助けてもらわんならんという気が、そこで起こるという事を、開経偈に書いてあるのでございます。ああ、先生は開経偈の通りになさったなあ、私は大いに感じてこれを書いたのでございます。それが五二六条でございます。ところが自分が知っとる事言うてもろうて、よう合うたではいかんのです。その人の為に将来こういう事したらこうなる、いついつこういう事があるから気をつけよ、これが見聞受持する事を得たりになるのです。 自分がした事言うてもろうた所で、それは心にこたえません。ようわかる、わかるけれども注意力が足りません。
ところが言われた事がその通りになったら、あらッ、これこそ骨に感じますから、もうのかんのです。こういう力を一切智と言うのです。すべての事を知っておる、私は骨身にこたえてつよく感じましたから五二六条に書いて、皆様にお話ししたのです。私は先生にお供して、沢山な事そういう不思議な事に合うとります。これはほんの一例でございます。
(昭和三十九年九月十五日講話)
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第五二七条 「何事によらず自分の考えで判断がつかぬ事があったら、第一に心を清らかにして、今、教の親の前で教えを乞うて居る気持ちになり親のお顔が喜んで居られるか否かで大抵考えはつくものである。」
何事によらず、自分の考えで判断がつかぬ事があった場合には、拝んでもらうのもええが、第一に自分の心の欲心を離して心を清浄にする。清らかに、今お話したように、こういう偉い人の前に今、お尋ねして、自分はすわっている。そういう気合いになって、これどうしたらええかと心に考えたら割合にお陰がいただける。それでこういう偉い人を、目の前に浮かべて、そのお方の前ですわっていて、そうして自分の事を考えてみる。これが一ツの信仰になりますから、ただ考えるのでは、自分の性根がのきません。人間性根がのきませんから、その、のかんきたない性根で考えてはいかん。これは偉い泉先生の前へお尋ねして、すわって教えてもらいよるという気になって、自分が考えたらお陰がいただけるなあと考えましたので、五二七条を書いたのです。
これからあんた方でも、物をお考えになる時分に、ただ自分が考えるんじゃなくして、神仏の前、私等は、そういう偉い人にお付き合いしましたから、考えよいのでございますが、先生の前で、今お尋ねしよると思うて、それを拝聴するという気合いで、自分の心を清らかにして考えたら、割合お陰がいただけるものでございます。
(昭和三十九年九月十五日講話)
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第五二八条 「達磨大師が支那へ行った時に、時の天子が大師に問われるには仏の為に塔を建てたらどんな功徳があるかと、大師は簡単に無功徳と答えて、日本へ来られて、禅宗を開かれたという。我に求める心あれば、功徳なしという所が大事ぞ」
これは禅宗のお祖師の遠磨大師の事を書いたのです。それはダルマ天師が支那へ、天竺から支那へおいでになったのです。あのお方が東の方で禅宗を開こうと思うて支那へ来たのです。それで支那の皇帝の所へあいさつに行ったのです。その時、支那の皇帝がおっしゃるのには、この信仰という事は結構な事で、わしも信仰したいと思うが、五重の塔を建てようと思うんじゃが、どんな功徳があるんかと、こうおっしゃったのです。その時にダルマ大師は、功徳はありませんと答えて、それから支那では開いてもあかんと言うて、日本へ来た。この五重の塔を建てても、功徳という事は、それは功徳はあるのでございます。あるのでございますけれども、わしが功徳をもらおうと思うから、五重の塔を造ると言うのではいかんという事です。世の為、人の為にする事であったら功徳があると、ダルマ大師が言うたら、良かったのですが、面倒くさいからそのまま日本へ来たという歴史があるのでございます。
それであなた方も、神さんにお願掛ける、あるいは功徳をすると言う時分にです、それは代償として、こういう物をしようと思うと言うのであって、決してそれで功徳をもらおうと思うてするのではいかんという事です。
(昭和四十年九月十五日講話)
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第五二九条 「世界に満てた金銀を施しても、人一人迷いより救い出し神仏のみ恵みを心から喜ばし、そしてみ徳をしたり、心を生ぜしめた 功徳には、はるかに及ばぬ。」
お釈迦様が功徳を積むという事は、世界に一杯の小判を上げたよりも、人、一人を救う為に、自分が犠牲を払うて、自分の功徳を望まずして、その人に功徳を上げると言うのが、これが誠の信仰じゃと先生がおっしゃったのです。 それを、反対をしよります。皆の人が、この功徳を積んどいて、わしがもらおう。それではいかんと言うのです。この人助けたいから、私はこの人に、こういう事をする。又、私はこういう事してもらいたいからすると言うのでなしに、功徳というものは、わがの損得をのけておいて、功徳を積まないと本当の功徳にならんと先生がおっしゃったので、ここに書いたのでございますから、そのおつもりでご覧願います。
(昭和三十九年九月十五日講話)
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第五三〇条 「日に千遍礼拝をする事を続けるよりも、一人の聖者を供養した方が神仏によく届く。ちょうど実生の木をそだてるよりも、つぎ木の方が早くみのるようなものである。」
千べん拝むより、一人の偉い人、たとえば泉先生とか、あるいは仏様とかこういう聖者を供養する事が、まことに功徳が届くんじゃ。千べん拝むと言うのでも、何のために拝むのかと思わずして、拝むのは千べん拝んでも功徳は少ない。それより、偉い人に供養する。こういう事が千べん拝んだよりも有り難いんじゃという事を先生がおっしゃってくれました。これはええ事じゃと思います。この人のおっしゃる事は本当じゃ。神様拝んでもらいとうないのです。
人間を偉いものにしたいのです。だから偉い事先へさせてもらうのです。そうすると向こうさんが人間に功徳をくれるのです。これを功徳と言うのでございますから、お間違いのないように、よう似とるのです。けれども先生は、そうおっしゃいました。まず神仏の教えを先にしなさい。そうしたら功徳は向こうがくれるんじゃ。これを功徳と言うんじゃと先生がおっしゃった。いかにもと思いました。どうぞ、そのおつもりでご覧願います。
(昭和三十九年九月十五日講話)
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