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第五一二条へ 第五一三条へ 第五一四条へ 第五一五条へ 第五一六条へ 第五一七条へ 第五一八条へ 第五一九条へ 第五二〇条へ第五一一条 「人間には煩悩というて、心の苦しみが百八つもある、誠に気の毒な苦しみである。しかしこの煩悩がある為に、この苦労からのがれたいという希望が出来、これが縁となって神仏に会えるようになる。それであるから、ただ煩悩を断っただけでは助からぬ。ここに神仏の知恵がいるのである。人間の知恵では助からぬ。」
人間には煩悩という心の苦しみがある。ちょうどお数珠に百八ツの粒がある。これは百八煩悩の姿を現わしとるのがお数珠なんです。この煩悩がそんなに沢山あるのでございますから、それを手に掛けて拝むと、これがご縁となって、神仏のお陰を受けるんじゃ、いつも苦労せないと知恵は得られんという事覚えとけ、と先生がおっしゃった。これが五一一条でございます。
皆様考えてご覧なさい。お陰受けた、お陰受けたと皆おっしゃっていますが、なるほどお陰受ける前にどんなものがありましたか、大抵苦しみがあるのです。病気で苦しむとか、ご運が悪うて苦しむとか、その苦しい事を助けてもらいたいという願心の時に、それが届いてお陰になるのです。そういう風にこの百八煩悩、お数珠の数が百八煩悩でございますが、皆苦しみがある。それを糸でずっーと通してあの大きな粒が神仏です。神仏のご縁を授って、この百八煩悩を どうぞ、一ツ助けていただきたい。それで、手で数珠をもむのです。それが数珠の言われです。そういう訳であるから 苦しみがなくなって来るのです。苦しみを愚痴こぼす暇があったら、神仏にすがれ、必ず救われるぞ、こういう先生が大きな教えをなさって下さったのが 五一一条ですから、皆様の中にも苦しい思いをなさっとる方もあると思います。その苦しい、苦しいと愚痴をこぼすその暇で、神仏に今にお陰をお願いしますと念じよ。 こういう教えを先生がなさいました訳でございます。
(昭和三十九年六月十五日講話)
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第五一二条 「木セイの花の香は大変よいが、鼻をつきつけると、さほどによいとは思わぬが、風の吹きまわしなどには何ともいえぬ床しい 香のするものである。人も徳を積むと、常には偉い人の様には見えぬ。つきあいがしよい、懐かしい位にしか見えぬが、時にふれ、折にふれると偉い光が表われ、実に頭のさがるものである。あの大石公が事なき時には「ひるあんどん」と人にいわれたが事ある時のあの働きは千古の鏡である。」
五一二条は、泉先生と信貴山へお参りした時の事ですが、ずっーとあの道に木セイが咲いとる時でありまして、大変ええかおりがしとるのです。ところが風の吹きまわしで、におわんようになったりするのです。風の吹きまわしが来るとプーンとにおうのが、とてもええにおいで、帰りましても、からだに木セイのにおいが移っとるというような有り難い事がありました。
その時分に私ひょっと思うたのですが、泉の親さんという人は、お付き合いの上では、まことにお付き合いがしよいのです。ちょっとも気苦労がございません。そうして未だかってご気げん損ねたという事がございません。いつもニコニコとなしておいでて、ちょうど木せいの花が咲いとるようなもので、あまり木犀の花というのは、派手ではなし、きれいでもございません。黄色い小さな花です。ちょうど先生みたような地味な方です。ところが風の吹きまわしで、何かの事があった時分に、先生がおっしゃる事が、とても身にしみるような事をおっしゃる。ああほんに、もくせいの花というのは、まことに地味な花で、そうして、においもあまりはげしくない。しかし、そばへ行ってにおうと、はげしいのです。しかし風の吹きまわしでは、とてもええかおりがする。ほんに、もくせいというのは、先生のご人格によう似とるなあと思うて、私がこれを書いたのでございます。 ちょうど偉い人というのは、昔から言う通り、君子の交わり水の如しと言いますが、あまり ちょうちょうしいになさらんが、いつも相変わらずです。いつ行きましても同じ調子で、ニコニコなさって笑う時には、ヒヒってお笑いなさる。まあ、偉い人というのは、付き合えば付き合うほど、親しくなるものでちょうちょうしくないのです。これは先生にご交際なした人はおわかりになるだろうと思います。そうして、容ぼうも先生は、まだお国替えの時分、まだ若かったのです。五十七才ですが、本当は五十六才でございます。先生は一ツ上おっしゃる。わしがしゃばへ出て来た時は、一年先に出来とったんじゃ。つまりお母さんのおなかでお世話になったのを、一年余分におっしゃるから五十七才とおっしゃいますけれども、実は五十六でお国替えなしたのです。ところが、お見受けする所、非常にお年を召しております。頭は真っ白です。そして歯が三本か無いのです。だから、七十才以上に見えるのです。お付き合いすると若々しい、実にお年寄りでないような若々しいお気合の方で、地味です。いつまでもそこでお邪魔しとってもあかんのです。ちょうど、もくせいの花みたようなもので、派手ではないが、とてもええかおりがする。真にもくせいの花みたような方です。
あの大石さんの芝居しますと、蔵之助という人は実に忠臣蔵では第一番に人に慕われる方ですが、あのお方が殿様にお仕えなさっていた時分に、殿さんがおっしゃった。「大石、お前は昼あんどん(行燈)じゃのう。」とおっしゃった。昼あんどんというのは、昼はあんどんいりませんが、暗うなったら光って来る。常には、ごく地味なお方であるけれども、もし事ある時は、はかり知れぬ力が現われる。暗うなったらいるのがあんどんです。昔はあんどん、今は 電燈です。昼あんどん、昼あんどんと冗談に殿さんが、大石さんをなぶった事がございます。ちょうど先生が昼あんどんみたような方で、何か先生、これ困りました。これどういたしましょうに、ちょっと待ちなさい、聞いたげるとおっしゃる事が実にすごい事おっしゃるけれども、間はニコニコ笑って、お話しずきです。よく話しなさるので、いつもヒヒと言うてお笑いなさるのです。
ある時こういう事がありました。四十余りの夫婦連れがきまして、ちょっと見るとおとなしいええお方です。ご主人公も奥さんもええ方です。ところが拝んでいただく所の事が「先生、私おあん(庵)のあいとるのがあるので、人がはいらんか言うのでございますが、家内が頭そろうかと言よりますんで、まあ一ツ行く先をお頼みしたらと思いまして。」「ああ、そうか、そうか、よしよし。」そうして先生が、お立ちになりまして、お数珠を手水鉢で洗うてきましてそうしてご自分の手にまき付けて、「さあおいで。」二人が先生の横へ、すわりますと、先生は、帰命天等はのお唱えをお唱えなさって、さておっしゃる事が「お前さんは二人が、これから坊さんになるつもりじゃなあ。」「へぇ左様でございます。」「ちょっと待て、今からなあ三月の間、決して頭そったらいかんぞ、頭をそるのをおしいと思うて、 緑の黒髪をそる覚悟して家へ来たんでないか。三月の間待ってくれ、三月したらもう一ペンこい、それまでは、あんた方二人はそったらいかんぞ。」「左様でございますか、そんならそういたします。」と言うて帰ったのですが、その三月目に来た時分に、奥さんにやや子ができる、子供が出来る。それからご主人は、近い所で田んぼを作ってくれ言うて頼んでこられる。もしもその時分に頭そって、奥様が髪をそって、おあんの中へ入っておりましたならば、仏道に入って子供を育てる訳にはゆかず、お百姓も出来ず困るのであったのです。先生が「よう来たな、どうぞいな」って言うと「先生恐れ入りました。もうこれからお百姓さしてもらいますけん。どうぞ、そういう具合に、聖天様にお伝え願います。」先生がお笑いになって「そうかい、いよいよ三月たったなあ、さあさあ、これから頼んであげる」と言うて聖天様の前で、これからお百姓になりますけん、どうぞよろしゅう頼みます。ああ心配ない、守ってやるぞと言うて二人は喜んでお帰った事があります。
こういう風に先生は、常には別に何もおっしゃらんが、お話し好きで、真にええお方で、ごくお付き合いしよいお方です。しかし、そういう時分に拝んだ時分に、待てよ三月の間いかんぞと言うた時の先生の、そのご気分の高い事実に生神様と人が言うが、真に違いない。そういう風に事ある時に、ピシャッと引っ掛かる。そのかおりが何とも言えぬ、ええかおりがするような気のするお方でありました。それで書いたのでございます。
もくせいってご存知でしょう。小さい黄色い花が咲きます。真に葉を見ても、木を見ても別に派手な木でもなく、何ともない木です。花が咲いたら、このにおい、どこかいな、ええにおいと人が不思議がるような木でございます。
(昭和三十九年六月三十日講話)
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第五一三条 「とげ魚という魚がある。岩などに卵を生みつけると、親はその附近を泳ぎ回り卵がかえるまで離れぬ。そして子が無事に生まれたら連れて遠方まで行くという。これを親の護念力という。 神仏も人にこの護念力を下さっているのである。知らずにおっては相済まぬ。」
泉先生は、いつも舟に召して、漁師と一緒に沖へ出なさる所の商売をなしておいでたのです。先生が拝みなはるまえでございます。「村木さんよ、わしや魚をようつったけど、トゲ魚があってなあ、尾のひれから方々にけんがはえとるのをトゲ魚と言うんじゃ。これがはいって来ると、皆離してやった。どうしてかというと、トゲ魚というのは、 岩に自分が卵生み付けたらそこを離れん、子がかえるまでそこを離れん、そのあたりを泳ぎ回っておる。子供がその内に卵からかえって、小さい子供が出来ると、それを連れて外へ行くんじゃ。もし、その親を取ってしもうたら(つり上げるか網で取るかして親を取る)その岩に生み付けてある卵が絶対にかやらない。親は別に何もなめたり、さすったりしやしないが、その付近を泳いでおるだけであるが、親が生きておったならば子がかえる。親が漁師に取られ たら子がかえらん、村木さん、トゲの魚って妙ぞ。」というお話しを私聞きました。
それでわしは、トゲの魚取ったら皆離してやる。そういう不思議な魚じゃから離してやるんじゃ。というお話を聞きました。トゲ魚はつい五、六寸の形はハゼにちょっと似たような魚です。背中なんか黒いです。トゲの魚と言いまして真に不思議な力を持っとる、生み捨てにせんのです。
これを先生が神様仏さんにたとえて、神仏はあんた方を目にこそ見えんが、何もぐるりを守って下さっとるんぞ。
これを護念力と言うんじゃ、それを人が知らん、知らんけれども、ひょっとした時にそれを覚えると、実にこの上もない有り難いお方じゃ。村木さんトゲ魚というのは、私、大事にしよるんぜ、というお話を承りましたが、ちょうど神仏がトゲ魚みたようなもので、我々が魚の卵みたようなものです。親がどこにおるか、どこで守ってくれよるかわかりません。日に日に暮らしよってわかりませんが、不思議に自分が念ずる力が、その親に神仏に届いた時分には、その助けて下さる事は不思議に行き届いとるので、トゲ魚のようなもんじゃという事を、先生がお話してくれた事があります。先生、漁師ですから妙に魚の事よく知っておいでました。
(昭和三十九年七月十五日講話)
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第五一四条 「神仏に護念せられている人が、そのご恩を知らずして、わがまました時に神仏は益々力を入れて、どんな方法をしてでも助けねば止まぬが、人間であったら、陰から力を入れてかわいがっている人がそれを知らずして、その人にわがままな事を仕向けた時には、大抵怒る人が多い。ここが神仏のご慈悲と違う所である。」
神仏の護念力をお話しましたが、人間にも護念力というのがありまして、子をかわいがる、これは親の情です。ところが子は親のかわいがってくれよる恩を知らずして、無理言います。親が怒ります。怒ってやいと(きゆう、灸) すえたり、どなったりしますが、その中に憎しみという、憎いという根性がこもっていたら、護念力にはならんのです。ですから、どうぞ子供を育てる内に、親子の慈悲と言うのは、子供に通いにくいもので、子供は甘えやすいものでございますが、そこです。どうぞ、憎しみ持ってやったらいけないと、先生はおっしゃるのです。
教えてやれ、教えてやって、むごい目にしても、それはしつけするのはよろしい。しかし憎んでしたらいかんぞ。
子供の為思うて、そして念じてやって言うて聞かすのは、それはええ、所が憎んだらいきませんぞ、子が横へ向くようになってきますからいきませんぞと、先生がおっしゃったが、先生はその教育法、子育てについては、中々よくお考えになっとる事がありました。
この人間が子供を愛するという慈悲と、神仏が人間を愛し、護念して下さるというのと大分違うのです。ちょっと似てはいますけれども、誠に神の時には、迷うて困ったという時分に、神さん仏さんに手を合わしたら、何かそこに言うて下さる事が親が言うような事より又もう一回大きなお慈悲がある訳です。これを先生が、人間のかわいがりようと神仏のかわいがりようとは違うぞ、大きいぞという事をよくおっしゃった。
その次に先生がおっしゃるのに、わしの知っとるおばあさんが、袋にそら豆入れて、そうして、神様の石段の前へ それを移して、ご真言を繰るのに、一ツずつ豆を手でのけていて、拝んで済んだら、又袋へ入れて持って帰る。こういう事しよるおばあさんがあった。その人がしまいには、神様仏様が体を借りて、ものを言わすようになっとる、中々大した力持っとる、と先生がおっしゃるので、私、そのおばあさんの所へ行ってみた事があります。そのおばあさんの言うのには、「私は讃岐のあの大槌小槌という島がある。あの島へ、舟で生米持って行くのです。そうして 渡してもらうた舟が、帰ってしまう。ただ生米をほうばってかむのです。そうして、一週間おこもりしとるうちに、初めは小さいへびが来る。体のぐるりをまい回る。次第に大きくなって、体を巻いて、ペロペロとやってくれたら、私は帰って来るのじゃ。」というお話しをなさいました。「一ペン連れて行ってやるぞ。」と言うて、私、大事にしてもろうたのですけれども、よう連れて行ってもらわんずくにお別れしました。もう七十才余るおばあさんで、まことにきれいな心のおばあさんでありました。
あまり合い過ぎるので、大勢行きます。ところが警察が仏さんを出すというので、つい呼んでみて、拘留するのです。それで、おばあさんは、「それがいやけん。」と言うて、拝みなさらんのです。私は無理に頼んで拝んでもらった事がございます。まあ、おすわりになってお燈明上げて、おリンをたたいて、光明真言繰りなさる。その光明真言がソロソロと声が細うなってあわれな細い声になって来たら、すっーと後へこけるのです。そのこけよるのを抱き止めたら、早もう仏さんが移って言いますのに、実にようわかった人です。もうその念ずる仏さんの通りの事おっしゃったり、なさったりします。実に大きな力を持っとる人でございました。その方が泉先生とは、ごくお話しが合うて、泉さんは念じとります。
そのおばあさんは、ちょうどあんた方津田の方へお参りなさるあの汽車に乗りますと、津田の手前の駅から津田まで行く間に山を越す所があります。あの山を越す真ん中頃の左側の谷合いに小さな草屋がある。あそこにおいでた人です。もうありませんけれども、実によく出来た人で、松場ハナさんというお方でして、実に不思議な偉い力を持っておりました。そのお方が仏さんの護念力というのが強いのです。もう光明真言お繰りになったら、それで何月何日になくなった何々の仏と言うて、念じたらすぐに出て来ます。そらもう恐ろしいような事がよくわかります。おいでた人もあるだろうと思いますが、仲須さん所の安一様等もおいでて、非常にかわいがられておりました。実に妙なおばあさんでありました。この神仏の加護というのは、そういう風に非常にそのおばあさんをかわいがったのでございますが、人間の親も子をかわいがりますが、時折憎みます。どうぞ、憎むなよと先生はおっしゃいました。
(昭和三十九年七月十五日講話)
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第五一五条 「道理がよくわかっているのに、事にあたったら失敗して、後でしもたというのが人のくせで、わかっているのになぜ失敗したかというに、これは、常に練習が出来て居らぬと情という悪魔がつけるのである。常々神仏の教えの練習が出来ていると、この悪魔がつける余地がなくなるものである。」
「道理が常によくわかっとるのじゃが、さて自分が行なうという事になったらしくじる。という事がよくある。」 これはあんた方も、我々も同じでございますが、有り難い道理はよくわかっとるんじゃが、実際問題に当たってみると、ひよっと、やりくじるという事がございます。それを先生がおっしゃるのに「それはな、慣れとらんからいかんのじゃ、常に教えてもろうた事や、神さんや仏さんのお言葉は、常に心に掛けて日に日にの暮らしのうちに、それを始終使いなはれ、そうしたら、事に当たっても、もう癖になっとるから中々失敗しやせん。あの村木さん、四国へ行くと同行二人と書いたお礼配るなあ。」「へえ配ります。」「あれを考えとんな、お大師さんといつも二人で歩きよる、用事しよる。家の中の用事もしよる。こういう風に考えて、いつもしよったら、事に当たってやりくじれへん。いつもそういう風に癖にしときなされ、癖にしとらんと、道理はようわかって、ああ、ほんにええ事じゃなぁと感心して聞いても常に心に置いて、それを実行しよらなんだら、癖になっとらんからしくじる。」とういう事を先生がおっしゃいました。
それで同行二人というのは、お四国さん参るばかりでない。日に日に同行二人で行こうぜと言うて、私は先生に教えられたのでございますが、なるほど同行二人、二人連れ、連れはいらん、わし一人がお大師さんのお供をしとる。始終一緒に、横にお大師さんがおいで下さる。こういう風に思うたのがええと先生がおっしゃいました。ご自分の事おっしゃるのではない、お大師さんの事おっしゃっとるのです。
我々は、今日皆さんがお話しなさるように泉先生は、実に尊い方なんですから、泉先生と一緒に暮らしよるいうようなつもりで教えていただいた事を、日に日に自分の朝から晩までの間に行いよったら癖になります。癖になりますと、いつの間にやら先生に似て来ます。そうしたら、今度振りは失敗しませんという事を、先生がおっしゃったのです。ご自分の事おっしゃいませんけれども、私はそう思うのです。もうお大師さんにしても、先生にしても、この世においでんのじゃから、先生の所へお参りに行って、先生と話しよるというつもりで、たんぼをし、仕事なさったらええだろうと私は思います。
ええ話を聞いて、ほんにあれはええ事じゃと思うておりましても、元の地金にかえって来るのです。皆様もそうだろうと思います。私がそうなんです。ひょっとした場合に、わがにかえって来るのです。その時分にすき間を考えて、悪魔がさっと飛び付きますから、悪魔というのは人間の心のすきに付きますから、どうぞその悪魔に住まわれんように、常に先生に手を引いていただいて行きよるというつもりなら、悪魔は付きませんから、先生がのいておったら悪魔が付きますから、これをお心得になったらどうかいなと私は思うのでございます。心の中に、ああいう尊い偉い人を思うとる間は、悪魔は付けられん。すきが無いのです。わが心にかえって来ると腹が立ってみたり、憎んでみたり、色々な心になりますから、悪魔から見たら戸が開いとるようなものです。そこへそっーと飛び込んで来るのです。それが目に見えればよろしいけれども、悪魔というのは不思議な力持っておりまして、知らん間に人間をたぶらかしますから、どうぞ、なるべく同行二人のような風にしておいでた方がお得かと思います。
(昭和三十九年七月十五日講話)
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第五一六条 「線香の火を丸く回したら丸い火の輪が出来る。しかしこれは、だれが考えてもわかっている通り、火の輪ではない。火は一点のもの、この一点が流れているのを見て、実物と思うて、実際の実物を知らぬのである。これが線香であるから、問題が簡単であるが、人間の身の上に起きる問題がすべてこの通りで、金剛石のようなかたい石でも、時に刻々変化して、一定不変のものでない。このきわまりなき無常の中に住み、不変を願うものが人間である。ところが、この不変を願うて暮らしているうちに、その願いがかなわずして、無常の風に吹かれて悲しむ。これを迷いというのである。又これを煩悩というのである。この無常の中に大きな目で見ると、一定不変の常住世界を見い出す。 これを悟りという。この悟りが出来ずして、泣き悲しんでいるものに、疑う事の出来ぬ証明をつけて、悟らすのが本当の人助けというのである。しかし煩悩というて、これをにくんではならぬ。この煩悩があるがために、神仏にすがる縁が出来るのである。そして助けられてしたうようになる。そして、したいぬいて神仏の心が、わが心にうつるようになる。そこで火輪の悟りが出来、遂に神仏のかわい子となって人を助ける。今火輪の事、すなわち目で見る事でいうたが、六根の働き皆同じである。 この働きの実物でない、影法師の続きを、心の相続といって、 大切な事である。」
このか条は、人間の目の間違いという事を先生がお説きになった事ですが、目も間違うし、その六根と申しましてご承知の通り、目、耳、鼻、口、身、心と、この六ツの迷いが起こるのでございます。実際と違う物を感想するのです。その事を先生がお説きになったのでございます。お話しすればわかりますが、今ここに一回の太線香に火を付けまして、それを回すのです。丸く輪を描く、そうしたら人間の目が間違って、火の輪が出来るのです。それで実際はと言えば、火は一点でございます。一つの点しか無いのです。所が、それが丸く見えます。そのように、すべて世界の出来事は、ちょうど火の輪が見えるような具合に、実際を知らずして、本当の事を知らずして、間違うて感じとるという事が、人間の災難の元になる事がよくありますから、先生がそれをお説きになっております。あんた方はこれよくわかっている事でありますけれども、為してご覧なさい。線香に限りませんけれども、線香が扱いよいです。火を付けて、それを回してみると丸く火の輪が出来ます。それを先生が、大事な事じゃ、とおっしゃったのを、書いたのでございますが、それと一緒にこういう事を、これは非常に信仰では大問題でございますが、人が生きておるというと、話をする、目に見える、とういう風になるのです。ちょうど線香に火が付いとるのが見えるようなものです。
所が、その人がなくなりますと火の輪が切れます。所が無いようになったのではないのです。人間の目が、そういう風に見えるのであって、それは永久不滅なものであるという事、これも一ツの例です。生きとれば、だれでもわかりますけれども、なくなったら、消えたように思うて、その人おらんと思うて、やる事になる訳です。それが信仰の間違いです。
それから、にじですが、これも信仰でよく言うのでございますが、夏向きになりますと、よくにじが立ちます。しかし、にじというものがあると思うて行ってみると、何も無いのです。にじというのは無いけれども、あるように人に見えるのです。あれは、水分の反射の関係で色が七ツになるのでございます。それが、にじの橋が掛かっとるように見える。その実、行っても、行っても無いのですけれども、反射の関係で、あるかのごとく見える。
それからもう一ツ深い意味を先生がおっしゃったのは、自分というのは無いのですけれども、あるように思うでしょう。皆さんは、私もそう思います。自分というのがあるように思うのです。それがありますから、自分という事を先に、それを土台に置いて物を考えますと、まちがうのです。大変間違った事やります。それが自分という者は、この全世界の宇宙の心が、自分に移っとるので、それが本当の自分であるという事がわかって来ましたならば、もうそのお方は聖人です。お大師様や泉先生のような風に、ご自分というのは、これは一ツ欲の固まり、実は全世界の本当の魂はそれである。とこういう事を知らずして、自分の迷いで泣いたり、怒ったり、笑うたり、よくやっておりますが、ちょうど線香の火を丸うにしたら、丸うに見えるようなもんじゃ。事実は一点か無いんじゃとこういう事を先生がおっしゃる。まことにこれは、大きな理論でございます。
これを簡単にわかるように書いてみようと思うても、むつかしい事でございまして、まあまあお話しする位の程度か私はよう言い切らんのでございますが、これが、自分がした事、その自分というものが、した事が、心に残っておりますと、その残っとるものが、迷い出て来て見えるのです。幻、あるいは幽霊、そんな事言うておりますが、事実、自分の心の中に一点しかないものが、何にでもなるという事を先生がおっしゃいました。実にこれは尊いお言葉でございます。
それからもう一つお話してみますと、あんた方が、よそへお参りにおいでるその時分にお滝があります。お不動さんの滝とか、それから生駒山にもお滝があります。東の方へ行くと般若の滝というて、大きな滝がございます。あの滝でございますが、じっーと行って見よりますと、滝が棒のようになっております。だれでも滝が落ちて来よるように見えるのです。しかし、写真を写しましても滝に写るのでございますけれども、それが本当申しましたら、見た滝はもう目を引く間にそこには無いのです。後から後から来ますから、滝が長く続いとるように見えるのです。ちょうど線香を回したら輪に見えるようなもので、滝でも、見ていた時の滝は、早すでに流れてしもうて無いのです。無いんじゃけれども、後からだんだんと水が引っ付いて来るからして滝というものがあるかのごとく見える。こういう事を昔からよく偉い人が言い伝えておりますように、あれを本当に、実際の通り見たら、その滝は流れてしもうとるんじゃと、その通りに人間の心のうちに、滝と同じように流れとる心がありまして、その流れとるのが、ところどころ点々と自分がした事や、見た事が、ずっーと続いておるものです。ですから、どうぞ日頃する事が教えの道に合うとらんというと、ごじゃの滝が出来る訳です。先生が笑いながらお話しなさった事がございます。まことにこれは尊いお話でございます。
それが目ばかりではありません。においでもそうです。とてもええにおいがお参りの折、そんなにおいあるはずがないのに、ポーとにおうて来る。あるいは耳にあの有り難い神様、仏様のしゃくじょう振りよる音がする。あるいは太鼓の音がする。それも事実無いのです。心の内にあるのです。 これは、私がお世話した高野のお坊さんが、剣山の元へご養子にお世話した事がありますが、あのお方が非常な行なさっとる。ところが、お母さんがお子さんが無かった。そうして氏神さん、八幡さんへ行って、手をたたいて、「どうぞ子供一人下さいませ、南無八幡大菩薩」と拝みなさった結果、あの坊さんが出来たのです。あの坊さんが拝みよったら、一番先に八幡様が出て来るのです。手をたたいて、お経文の前に手をたたいて、八幡さんが出て来る。こういう風にお母さんがなさった事でも、からだの隅にやどっているものです。だからどうぞ、そういう事を心の中へ、ええ事をしてもらいたいと先生がおっしゃったのがこの五一六条でございます。 それからだんだんございますが、大阪の九条の出来事ですが、これは新聞に出ておりました。銀行から金を引き出して持って帰りよった所を、後から刀で突き刺して、その物を取ったのです。警察がそれを調べたが、上手に形跡をくらましとるから、なかなかわかりません。その盗人が刺した刀を、自分の住んでおる天井裏へ隠してもっていたそうです。その凶器を警察が捜しても見つからん。どうもその形跡がわからん、困ったが、その盗人が自首して出たのです。警察の調べで出て来たのではないのです。どこを見ても血みどろになっとる。もうそれが恐ろしくて仕様がない。寝られんもんじゃから、これは白状せないかんと言うて、九条の警察へ白状して出たという事が新聞に出でおりました。これ等も心にあるというと目が狂うてしまう、ほんとの物が見えんのじゃという証拠です。
そういうような事がだんだんございますから、先生が線香に火を付けて、それを回して教えてくれました。皆さんも線香に火を付けて回してご覧なさい。火の輪ができます。
(昭和三十九年八月十五日講話)
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第五一七条 「夜明けの明星念じては古聖を思い、よいの明星を拝しては恩師をしのび、しかもその明星が昔のそのままあると思えば、まのあたりお目にかかる気持ちになれる聖者も、明星を見て教えの親をしのばれたかと思えば、ひとしおありがたい。」
昔の偉いお方が朝早く起きて、夜明けの明星、日が出る前に、夜の明け方、東の方に光々と照っとる星がございます。夜明けの明星、あれを拝みなさっている人が沢山ございます。よいの明星というのもございます。それは日の暮れでございます。その夜明けの明星念じるという事は、よく小説なんかに出ていますが、お大師様がそういう事もなさっておいでます。お大師様のお母さんが、夜明けの明星念じなさった所が、その星が飛んで来てご自分の口へ入った。と思い込んでおいでたのです。そしたらお大師さんがお生まれになったのです。ああいう偉いお方がお生まれになったという事を、お大師さんがお母さんに聞かされて、ご自分が石でお母さんを刻んで有り難いもんじゃと思うて、そのお母さんがなさった通りに、弘法大師も夜明けの明星を念じられた。それは星さんが口へ飛び込んだのではありません。しかし、そう思い込むのでございます。不思議にご自分の運が変わって来る。こういうような事を弘法大師がなさっております。
あんた方も朝日の出る前に起きてご覧なさい。夜明けの明星が輝いております。星さん拝むのではないのですけれども、あの夜明けの明星は、日蓮さんも拝んだ、弘法大師も拝んだ。それから代々偉い所の坊さんは、皆そういう修業をなさっていますから、あんた方も朝起きて夜明けの明星を拝んでご覧なさい。気持ちのええものでございます。
(昭和三十九年八月十五日講話)
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第五一八条 「神信仰するものは、身、口、意の三業をして清浄ならしめ、慈悲の心に住し、神仏の不思議な力を得て、人を助けんとすればそれで、荒行はするに及ばぬ。」
信仰いたします時分に、自分のお唱えする口、又その心と体です。この身、口、意の三ツが普通の楽な生活をしとるのでは、余りのん気過ぎるというので私がしましたのは、滝浴びました。雪がたくさん降っとる時に裸になりまして、雪の上コロコロした事もあります。ところが、その時に先生がおっしゃった。「村木さん、それは悪い事ではない。荒行というて、神さん、仏さんを拝むのにそういう行もそらいる。けれども、それは自分の体を弱らして、困ってしもうた時に、人間の性根がおとなしくなる。病気して、ほどよう大病したら、おとなしくなるようなもので、肉体があまり達者なというと、人間の方の心が勝っていかんから、それで自分の体を弱らす為に荒行するんじゃわ。 村木さん、それは止めなはれ、あぶない。もうそんなことせえでも、一心さえ届けばええんじゃから、どうぞ、そういう荒行して、お陰はもらえるけれども、それよりも、気楽な行をして、心を清浄にした方がええでよ。」先生が、 そう教えて下さったので、なるほどなあと私思うて、止めました。先生のお勧めによって。
そうして、それでも念じるものが無かったら困るが、どういう風にしたもんだろうかと思いまして、私はもういっそ、これは泉さんという先生を念じる方がええと、こんなに思いまして、そうして念じよったのです。泉先生様と言うて私念じよりましたら、私の目の前にそれが感じるのです。そうしたら今度振り私がお参りに行った時分に「村木さん、おまはん、何じゃな、わしが荒行するなと言うたら変えたなあ。」「ヘイ変えました。」「そら、妙な人が出ていたのう。」「先生妙な人や言うたらわかりませんなあー。」「ほな、もっとわかるように言おうか。わしが出ていたろうが、」びっくりしました。「それもええけんどなあ、わしはざっとした人間じゃけん拝まんでもかんまん。わしを思うてくれたら教えるぞ。」とおっしゃってくれた。いかにも私ええお言葉じゃと思うて、五一八条に書いたのでございます。
生きとる先生を、私、念じたのです。わしを念じたなあ、と先生すぐにおっしゃった。ようわかるものじゃなあと私思うた。それもええけれども、わしはそんなに念じられる様な力、尊いからだでない。しかし、心でわしをそんなに慕うてくれたら、わしは、値打ちが無うても、諸神諸仏が手伝うてくれるわなあ、村木さんよ、と言うて有り難いお話聞いた事がございます。実に違いないので、それを信じたならば、そのお方の姿で他の諸神諸仏が皆手伝うてくれるぞと、先生がおっしゃったのです。わしが偉いとおっしゃらなかった。誠に尊いお言葉です。これは謙虚なお言葉です。
しかし念ずる事は結構でございます。
(昭和三十九年八月十五日講話)
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第五一九条 「人形芝居を見ると、えらい人とえらくない人とが、顔を見ればすぐ分るようにこしらえてあるから、芝居の状態が子供にでもよくわかる。人間の世界は、顔がよくにて居る上に、えらくない人がかえって風彩を立派にして居るから、わかりにくいが、 その目に見えぬ働きの力が大いに違う形であらわしたら、ちょうど人形芝居の人形のようなものであろう。」
人形芝居を見られますと、由良之介という大石様のお顔は立派です。又羽柴秀吉とか、信長とかいうような、えらい人は、ちょっと見てもえらいように刻んで、顔や大きな体をしてございます。デコは皆そうすると、尚よくわかるというので、近松門左衛門という人が芝居するのには、だれが見ても偉い人は偉い人のようにこしらえておこうというので、芝居の人形はそういう風にしてあります。やっこに偉い人は無いでしょう。
そういう風に、まず人に思わすという事が大事なんぞ、と先生がおっしゃいました。デコの人は偉い人じゃなと、 その偉い人を目の前に、偉いと思うて拝むのがええんじゃ。それを近松門左衛門が偉いと思わす為に秀吉じゃの、信長じゃの、ああいう偉い人は、頭や体も大きくしてある。この通りぞ、村木さんよと先生が言うてくれた。
だからやはり先生のようなお方は、まことに偉い尊いお方であると、心の中で思うて、そうしてそのお方を念じる方がよろしい。やかん念じるような気では具合が悪い。それで私は、先生が芝居にたとえておっしゃったから書いたのでございますが、あの大石蔵之助という方は、これは赤穂の花岳寺というお寺へ行くと、大石公の肖像が軸物になって掛かっております。それを拝見すると、あんなに芝居に出て来るように、立派な美男子ではございません。細いのです。細いお方です。芝居に出て来るのは、よう肥えて立派な役者が顔作っています。本当の大石公というのは、あんなに太っておいでません。花岳寺へお出でたらありますからご覧なさい。細いです。細いけれども、何やら有り難そうな顔しています。偉そうな顔しています。それを芝居では、そんなに細うしたらいかんから、立派な体格にこしらえています。これは 村木さん、向こうが偉あに思わすように、近松門左衛門が こしらえたのです。だから、たとえそれが、身分が低うても、何じゃ知らいでも、信仰心がたけて、そうして人が救える力が出来とる人を心で考えたら大きくも見え立派にも見える。
それからもう一ツあんた方にお話しいたしますが、こちらから行きますと、三本松通りまして、それから町田という町がございます。あれを北の方へ越す峠がございます。今汽車も通っています。あの峠におったおばあさんがあります。もう私がお目にかかった時は、七十位のお方であったが、光明真言をお唱えなして、鐘をたたいて、お大師さんに光明真言唱えたら、そのおばあさんが仏さんになってしまうのです。私も拝んでもらいに行きましたが、実に偉い人です。こちらが呼び出して来る仏さんの通りにおばあさんがなってしまうのです。所がお婆さんの顔見ると、やけどなして、まるで顔は焼けてしもうて、鼻などありません、やけてしもうて。ずんべらとした顔の真ん中に鼻の穴が二ツあいとるのです。目と口とがある化け物みたようや言うと失礼ですが、化け物みたような顔です。
所が、そういうお方が拝んだ時分には、いかにも前へ神さん仏さんが出て来とるように見えるのです。自然と頭が下がるのです。そうすると、恐ろしそうなきたない顔が立派なお顔に思えるのです。だから、いかに小さい神さんでも大きな堂々たる神さんでも、道ばたのやぶの中におるお地蔵さんでも、有り難いと思うて念じるならば、それが大きく立派に見えるものです。それを「村木さんよ、芝居にデコの頭に刻んであるんじゃけんなあ、信仰する時分には、向こうが立派な偉い人じゃなあと思うて、頭下げないかんでよ。」と言われたのです。いかにもその通りです。あなた方が信仰なさるのでもそうでございましょう。相手方が拝む所の人は、お大師さんであろうが、先生であろうが、 実に尊い偉いお方じゃと思うて、心こめてその方を念じるから偉あに、心の内へ移って来るのですから、それをああ、あの先生は字一ツを知らんのじゃ、そんなに偉うないんやというような気であってはなりません。
どうぞ、ここの所をお間違いのないように念じるお方は、たとえ石ころでも、因縁があって人を助ける石ころもございますから、どうぞその意味で信仰するのがええと思います。これは先生のみ心をあなた方に伝える訳なのでございます。
(昭和三十九年八月十五日講話)
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第五二〇条 「迷うて居るものに助けられて居る者がある。たとえて見れば、あの猿まわしを見よ。猿は人を喜ばすとて居るのではない。おちんがほしいのか、しかられるのがこわいから芸をして居るのかである。この猿に養われて居るではないか。しかしこの猿まわしが人を喜ばす為に猿を使うて居るとすれば立派なものと言える。これがよしあしのわかれめである。」
おさるを背中へ負うて、さるに芸をさせて、物をもらいに来る人があるでしょう。さるまわし、見た事ございましょう。丸い輪を手に持っている、さるを使う人があるでしょう。あの人が、この輪の中くぐれと言うと、おさるがバッーと飛んで、その輪をくぐります。あるいは又、おさるさんに踊れと言うと、おさるさん、手も足も上げて、面白うに踊ります。そうして、お猿に養うてもらいよる人をさるまわしと言います。見た事ございますか。昔はよくあったのです。それを先生がおっしゃるのです。
「あれは、村木さん、どんなに思うぞ。おさるが偉いと思うか。」「そら、芸よう覚えとるので感心します。」「しかし、おさるを拝まないだろう。」「へえ、そら恐らく拝みはしません。」「おさるは、お賃もらおうと思うてするのじゃ。又、さるまわしの言う事聞かないとむちでたたかれる。痛いから聞きよるんじゃ。そういう信仰すな。」とおっしゃったのです。さるまわしにたとえて、この神さん拝んであげないと罰が当たる。そしたらお猿になるぞ、と先生面白うに、いかにも有り難いもったいない、という心が出来るまで拝め、猿まわしのお猿みたような事ではいかんぞ。あれ、お前お賃もらおうと思うて、言う事聞いて舞うたり、踊ったりしよるんじゃ。又言う事聞かなんだら、むちでたたかれる。そういう信仰したんではいかん。いかにもお大師さんは有り難い偉い。そういう心にならんと、さるまわしみたようになって、つまらんぞ。」とおっしゃった。その事を私が書いたのでございます。 さるまわし、あんた方見た事ございますか、背中へ荷物を負うて、行り負うて、その上へおさる乗せて、家ごとにおさるをまわして、物もろうて食べている人がありました。それを先生がおっしゃって、さるまわしみたようになってしまったらいかんぞ。おさるは賢いんじゃけれども、お陰を受けるのには、ああ、この神さん罰が当たる。悪い事したら恐ろしいじゃの、そういうたり、又わしにお賃くれる。この神さん念じよったらお賃くれる。そういう信仰はいかんぞ。ほんに有り難い誠に尊い神じゃと言うて拝むのが本当じゃ。こう言うて教えてくれました。いかにもと思うて書きました。
どうぞ、あなた方が信仰なさるのでも、泉先生がいかに偉いお方であったかを、よく心にしみ込ませて、そうしてお大師さんは、いかにどういう偉いお方であったかという事を知って、そうして信仰するのがお得じゃと思います。
どうぞ、先生はそういうようなお心で信仰なさったのですから、あんた方もどうぞ、お間違いのないようにお願いします。
(昭和三十九年八月十五日講話)
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