501~510条

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第五〇一条 「人はいかに身を低くしても、人からは低くするものではない。
自分が高くとまると、人から低くひきおろす。これは神がそうさすのである。」


人はいかに身を低くしても、人からは低くするものではない。高うすると、かえって人から低くせられる。こういうことを 先生がおっしゃっとるのでございますが、これはもうちよっとわかりやすく言いますと、自慢、高慢をする。わが身を自慢する。わが身をほめる。そうして人をくさす。そういう人がもしあったならば、わが身が高う上がろうとしとるのでこざいますけれども、必ず人からいやがられて、人から高う買うてくれません。
それで 先生は、精一杯、自分は低う心持ちを持っておれ、私は つまらん者である。そうして人を敬して通るのです。そうすると人は低う見ません。かえって、その低く出る人を喜んで高く買うものである。自分から高くすると、人から低うせられるぞ、と先生からお話しがあったのでございます。実際の世界もそうなっております。これは自慢言う人を人がきらうというのは、これだろうと思います。先生はそういう事をおきらいになった訳でございます。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇二条 「人の欲望はとめどもなく上へ上へと進むもので、わが身の慾をすて、人を助ける慾にかえたら楽である。事たらば足るにまかせて事足らず、足りて事たる身こそ安けれ。」


人の欲望は止めどなく、上へ上へと進んで行くのである。わが身の慾を捨てて人を助ける慾に変えると、これは誠に信仰にかなうた結構な事である。と先生はおっしゃった。これをたとえて申しますと、自分の生活というのは食えたらええのである。腹が大きかったらええのである。雨露にぬれなんだらえんのである。そういう低い生活をしとるといたします。ところが幾分もうける。そうすると今度振りは、ちっと着物でもええのを着ようではないか、ええもん食おうではないか、こういう具合になって来まして終りには、止めどもなく非常に上へ上へと進んで行くもので、こういう事を申しますと、どうかと思いますけれども、明治時代、大正時代です。明治、大正の時代と今日と比べてご覧なさい。これは、お年寄りであったらよくわかると思います。非常にすべてが上へあがっております。 そうして、人がその生活が上へ上がったほど人が立派になったかというと、それは変わらないのです。そこを先生がおっしゃったのです。ここにこういう歌があるのです。「事足らば、足るにまかせて事足らず、足りて事足る身こそ安けれ。」という昔の歌がございます。事が足ったらえーんじゃ、これで結構じゃと言うて、いってる間はよろしゅうございますけれども、それが楽になって来ると、事足ったんでは事足らんようになるのです。足るにまかせて事足らず。ついに足らんという不足の感じが起こる。所が事足りたらええんじゃと言うて事足らす人は、いつも安楽に暮らせる。とこういう歌でございます。事足らば、足るにまかせて事足らず、足りて事足る身こそ安けれ。
これは、ちょうど先生も、ご生活の上に木綿のテッポー一枚でございます。お大師様にしたところで、四国八十八ヶ所回りになるのに、あの木綿の墨染めの衣を召してすげがさをおかぶりになって、そして手ごうきゃはんで、あの金剛づえをついて、背中に荷物を負うて、あのお四国遍路の姿で、お四国をお回りなった。これはもう事が足ったらええというだけの事でございます。身分から申せば陛下のおひざ元へご相談役に上がるだけの高い身分を持っておいでながら、お四国を人助けに回るのに、そういうお粗末な風でおいでになった。泉先生もそれです。どうぞ、かぜ引かなんだらええというような訳で、飾りというもの一ツもお持ちになっとらないのです。そういう所がお大師様とよく似ております。それを読んだ歌がこれです。事が足りたらえよ、そういう事です。
事足らば、足るにまかせて事足らす、足りて事足る身こそ安けれ。そういう人は真に安楽な生活が出来るという事でございます。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇三条 「神仏の知恵は、人を助ける慈悲の道具である。人の知恵は、わが身の守り道具である。」


神仏の知恵は、人を助ける知恵の道具であると先生がおっしゃった。人の知恵は、わが身を守る道具であるとおっしゃったのです。どういう事かと言いますと、この心に慈悲心、かわいそうなという慈悲心がありましたならば、自然と神仏が知恵を借してくれる。これが神仏の知恵と言うのでございまして、学校でけい古する知恵とは違います。 これは、慈悲心をかなえる所の一ツの道具である。ところが人間の知恵というのは、わがの口すぎをする。そのわが身を守る道具であると、先生がおっしゃったのでございます。これは悪口じゃないのです。先生は文字を知らないでも、あれ位偉い生活なしたのでございます。
慈悲心を行なう道具じゃという事を、たとえてみますと、ある家に非常にお気の毒な真に運の悪いお家があったのです。これは浦辺でございます。海岸近にあったのです。そのお方は漁をしておったので、運悪く病気をしたり、又は、色んな不幸続きで、あまり漁師で立って行けんようなご家庭が出来たのです。そこのご家内が津田へ来まして、「先生、私とこは万が悪いのでございますが、どうぞ一ペン拝んでおやりなして。」先生が神さんの前へ立ってお唱えなさって、おっしゃる事には、「おばさん、お前とこは、あんたのご主人とお若いしと三人暮らしじゃなあ。」「へい、そうでございます。」「お前さんくの西の方に、ちりをたくさん盛り上げてあるなあー。何やらちり捨て場みたように盛り上がっとる。その中にチョィチョィ石の頭みたようなのが出とるんじゃが、あれお墓でないんか。」 「先生、あれお墓でごわすんじゃ。」「何で埋めてあるんで。」 これは先生の知恵として見えよるのです。先生は、そういう遠方でもお知りになっとる。「あれ、何でぞい。」「あれ先生、あの舟の綱のうたり、何やかいするのに、 わら使います。そのちりが出来るのを皆あすこえ捨ててある。」「ほな、あの上へ持ち上がっとる、あれ何ぞい。」 「あれ、ご先祖の墓でございます。墓の頭でございます。」「あそうかい。あなた、ちりで埋めたらご先祖せこいでないかい。つらいでないかい。これはなあ、おまはんとこに一番はたに高いお墓が見える。」「へえ、先生、あれ内のご先祖で、あの時、内は家が裕福であったのでごわす。」「ああ、そうで、その人が言うておる。一ペンもうけさせてやろうと思うんじゃが、あのちょっと花や線香まつって、神様に頼まないかんわ、もうまあ、仏様に見離されとんでないか。そういう事をわしは思うんじゃが、おまはん、あれ参らんのか。」「へえ、参った事ごわへんの。」「あの近いのになあ。」そういうお話しを先生なさっています。と、おばさん、じっと聞いていて「ほな先生、もうこれからお参りに行きますけん、一ペン助けておやんなして下はれ。」「ああそうそう告げといたげる。」
おばさん帰りましたところが、もうそれからというものは、今まで掃きだめであったのをそうじして、お墓をきれいにして、日に日に近くの氏神さんや、お地蔵さん、無論先祖の墓はお参りする。不思議や、おっさんが漁に出て行くとたくさんとれる。そうして見る見る内にお金が出来てきた。おばさんが飛んで来て「先生、仏さんちゅうな、ほうっといてもかんまんけん、仏さんて言うんかと思うたら、先生、この頃わたしとこようけ漁が出来ますんで。」と言うて先生の前でお話しなさりよる。先生が笑いよりました。ヒヒヒ言うて、所が「今度は船を新造いたしましたけん先生これ魚持って来ました。」と言うて、先生とこへ喜んで大きな魚を下げて来ました。先生は、魚はあまり召し上がらんのです。「ああ、おばさん、有り難う、まあそらどうでもええけんど、これを続けて行きなよ、そういう風におまはんが、氏神さんや、仏さんや、ご先祖にそういう風にすると、おまはんがうんがようなるんじゃけん、前のようにおまはん、あの仏さん、あくたに埋めて、ほうっといたって、それ漁ができなんだら、何じゃならんでないかい。」 「ええ先生、もうこれでようわかりました。」そのお家が船を新造して立派な漁師になった事を私、知っとります。 そういうような風に、先生にそんな知恵どこから出来たんなら、先生が津田においでて、そして浦辺の漁師の家の模様がわかる。お墓をあくたで埋めてあるのもわかる。船がボロボロになって、つぎ当ててあるのもわかる。そういう事、先生がおっしゃるものですから、もうおばさんびっくりしてしもうたのです。こらいかん、こらもうこういう偉い人の言う事聞かないかんと言うので、信心の道へ入ったという事になるのです。
その知恵は、人間の知恵ではございません。人間の知恵は、わががもうけするとか、そんな事に知恵使うのでございますが、人間の思う事が人間の思うままになりません。そういう神仏に力を尽くすという事は、先生の声を聞いて 初めてびっくりしたのです。そういう風に人間の知恵と、信仰の知恵とは違います。先生はそういう風に、ちょうど生きとる神様仏さんのような事おっしゃる。それで助かったのでございます。そうすると、先生がかわいそうに、そんなに落ちぶれて日に日にせこいのう、かわいそうにという先生のお慈悲からできる。かわいそうなもんじゃ。先生の心の内には、かわいそうなお家の模様が先生にわかって来る。わかって来ると、こうしなはれよ。そうしたら運がええんじゃわと教える事が出来る。ちょうど慈悲の心というのは、人助けする道具みたいなものです。
道具と言うとおかしいけれども、いくらそこを富貴さしてやろうと思うたとて、慈悲が無かったら具合が悪い。ちょうど慈悲心と言うのは、言葉では言いにくうございますけれども、あのおかあさんが小さい子を抱いて、あの乳を飲ましているような心じゃと私は思います。どうぞ、この子供が無事におい立つように抱いて、なでさすって、そうして大きくする。あの母親の心、あれが慈悲だろうと私は思います。ちょうど、そのような心で先生がおいでるものですから、先生のそばへ運の悪い者が行く。かわいそうな者が行くと、先生はちゃんと知っておいでる。この知恵が慈悲から生まれて来る知恵でございます。そうすると、その慈悲を行なう上にこうせえ、ああせえと先生がおっしゃると、その通りすると運がようなる。ちょうど慈悲の道具に知恵をお使いになるというように見えるのです。
ところが人間の方はどうかと言いますと、色々知恵はありますけれども、その知恵はさる知恵と言うて、そういう有り難い大きな事を考える知恵ではないのです。わがが得が行く事ばかり考えて、そういう事になると、自然人にきらわれます。きらわれたら運が悪うなって、人間の知恵というのは、かえって面白くない結果が出来て来る。
なぜ私がそういう事申しますかというと、今日どうです、今日と比べますと、あの原子爆弾です。あれも人間の知恵でかんがえ出してこさえたものでございます。その原子爆弾がどうです。人を救うとりますか、国を救うとりますか、一発破裂したら何十万の人が死ぬんです。家が破れる。そういうように人間の知恵というのは、そういうような事になりやすいのです。
どうぞ、慈悲を持っていたら知恵は、必ずええ知恵が出て来るのです。先生はいつも慈悲心を持て、慈悲心を持てという事をおっしゃったのは、これは、まことに結構なお話しであったと思って、書いたのでございますが、どうぞその様にお考え願います。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇四条 「食ぜんに向かいての礼拝は、食物をつくりたる労にたいする感謝の意味もあるが、人間の身体をかたちつくり、そして種々のはたらきの分担をしてくれている、七十二兆の生霊にたいする供養をさし上げる礼式と心得よ。」


食膳に向こうて礼拝する。これはおぜんの前へすわって、これからご飯食べるという時分に礼拝する。というのは食物を作ったその労に対する感謝の意味もあるけれども、人間の体を作っておる色々種々の働きを分担してくれておる所の細胞でございます。それが人間には七十何兆あるそうでございます。その生きておるその細胞に供養するんだという風に心得るのが一番ええと、そう先生がおっしゃったのでございます。
これは、あんた方が学校でけい古しよるあの顕微鏡で見ますと、ちょうど人間の体が団子で固めてあるような物に見えるのです。目で見ると、体には皮膚があって肉があって血が流れておる。こう見えるのです。けれども、それを小さい物を大きく見るというと、人間の体はちょうど、ぼたもちで固めたようなもので、それを細胞と言うております。一ツ一ツそれは生きているのです。死んどるのではありません。生きて血が通うとる。その細胞がもし死んだら人間はもうそれで消えてしまう。その生きておる細胞、その生きておる人を供養するのだと言うて、どうぞ召し上がって下さいとお辞儀をしよるのだ。こういう風にお釈迦はんがなした事を、先生が聞いて、ああ、まことに結構な礼拝じゃなあとおっしゃいましたが、まあだれでも、食ぜんに向いてはいただきますと言うて礼をして食べておりますが、食物を食わなんだら死ぬんだ。そういうざっとした考えでは礼拝の意味がありません。お釈迦さまは、「わしという者を養ってくれる細胞があるんじゃ、その大勢の人に供養する」とおっしゃっています。
こういうような心こそ食ぜんの礼拝の意味があるのだと先生がおっしゃった事を、ここに書いたのでございますが どうぞ、食ぜんにすわった時には、拝まないでもよろしいけれども、そういうような気持ちでいただくと、真の心が届くと思います。これは結構な事じゃと思いますが、わしがもうけてきてわしが買うてきてわしが食いよるのじゃ、 そんな事言うたら、まるで悪い事になりますけれども、先生はそういうような意味で、お食ぜんにすわってる、すぐそこでちょっと礼拝なさいます。実に結構な事であったと思います。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇五条 「人の仕事は初めけいこの時代には、色々と心を使うてつとめているが、上達すると仕事している事さえも知らんで出来るようになる。信仰もその通りで、初めはなかなか努めねばならんが 慣れれば知らずして神仏の教えに合うようになる。これが大切な所である。」


人の仕事は、初め、けい古の時代には、色々と心を使うて、努めてしておるが、上達するに従うて、仕事をしよるという事さえ知らないで、それが出来るようになって来る。信仰もその通りで、初めはなかなか努めねばならん。慣れねばならんと言うておるけれども、知らず知らずに神仏の教えに合うようになって来る。これが誠の信仰じゃと先生がおっしゃいましたが、あんた方はあの機械なわ、足で踏んでなったりしておりますが、あれを見ると、初めはわらをつがねばならぬ。又、足も踏まねばならぬ、足の方へむら踏みせんようにと思うと、わらの方が太かったり細かったり、あれも慣れなければしにくいものだと私は思います。
それから学校で先生がオルガン引きますが、あれは足で踏みます。そうして手でけん盤押さえます。目で譜面を見ます。この三ツが一緒になるのですから、慣れませんと歌がまちがいます。これは私も経験がございます。それからミシンでございますが、あれも針で縫うて行く所を気をつけんとまがったり、ごじゃになります。それに気をとられると、足で踏むのがごじゃになる。こういう風に、足と手と目とが一ツになって働かんとごじゃになります。
これと同じように信仰でも、これは先生に聞いたのでございますが「「村木さんよ、信仰も慣れるまでは苦労があるなあ。たとえばお参りするのに、手も洗わんならん、清めんならん。そうして、日に日にしよる事、ごじゃせんようにせんならん。こういう風に心使いし色々工夫がいるなあ。」と、まあ信仰というのは同行なんです。同行の人に、お付き合いしよるのに、荒い言葉使うてもいかん、やさしいに、お付き合いせんならん、このように思うて努めて、お付き合いせんと、なんとなく荒うなりやすいのでございます。ちょうどミシンで縫うようなもので、足と手と目が慣れると、外へ向かって話しつつも、きれいに出来るようなもので、信仰も日に日にしている事が慣れるとしよいのじゃ。むつかしいものじゃない。しよいのじゃと、先生がおっしゃいました。
なるほど、私が考えてみますと朝起きます。朝起きて顔洗いますと、すぐに神だなのお花の水換えに行くのです。
お荒神さんとか、お仏壇であるとか、その花立持って行って、昨日の水をうつして、新の水入れて差しかえてお祭りする。これをひょっと忘れたりするものでございます。けれども、慣れてしまうと、からだがひとりでに考えなくとも、ひとりでに動く。そうすると楽に信仰が出来るんじゃ。何もそんなに手間のかかるものではない。気苦労なものでもない。と先生がおっしゃいました。なるほど、ほんに慣れるとええんじゃなあ。 それからあんた方、子供しを育てるのを見てご覧なさい。初めはなかなかようはいません。それがはうというと、今度ぶりは四ツばいして、虫がはうようにして、妙な格好をしてはいよります。今度、歩き出して来ると、その歩く格好がアヒルが歩くようにほうて、手を引いてもらって歩く。なかなか赤んぼうが歩くようになった時分には、力入れています。ひょろけたり、倒れたり、尻もちついたり。ところがあんた方であったら、お達者にお仕事なさるようになると、別に道歩くのに、歩こうと思うて左の足上げて、今度右上げて、そんなのお考えなさらないと思います。知らずして行こうと思う所へ足が歩いて行く、しようと思う所へ手が動きよる。あんた方が道歩くのに、さほど苦労なさらないと思います。自転車に乗ってもそれです。初めはようころびます。けれども慣れて来ると、足で踏むのも、ハンドル持つのも、わが体同様に扱っております。
泉先生はお話しなさるのが、非常におじょうずで信仰というのは、そんなにむっかしいものではない。しよいのじゃ、日に日に決めた事を決めた通りにしていると、慣れてしもうて、知らんうちにするようになる。こういう事を先生がおっしゃいましたが、いかにもその通りじゃと思います。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇六条 「人間の職業は千差萬別であるが、大きな目で見ると、お国を建てる為の手わけ仕事である。大家族の一員としての手わけ仕事である事を忘れたら、ちょうど人間の手足が手わけして人間のからだを建てているのと同じ事で、もし手や足がこんな役はつまらぬというて怠けたら、直ちに全身が弱くなり、手足自身も 苦難を受けて、細く弱くなる。共だおれになる。この点をよく理解して、その職分を尽くさねばならん。」


人間の職業は色々に分かれておるが、大きな目で見ると、色々な事をなさっとる。職業には随分あります。かごを編みよる人もあれば、又魚をつる人もある。とんぐわで掘る人もある。こういう風に人間の職業沢山に変わっておるけれども、大きな目で見ると、国を建てる為に、手分けをして仕事をしているのじゃ。その手分けして、しているという事を考えてみると、それは国が達者になって来る。国が強くなる。こういう風に立派な国を造って、皆が仲良くいける所の国をこしらえるんじゃ、言い換えると極楽をこしらえる。こういう風に見える。と、先生はおっしゃったのでございます。床屋さんは髪をつむ、風呂屋さんは湯を沸かす。大工さんは、木を削る、これ皆、職業はいちいち変わっておりますけれども、これをつづめて言いますと、人間が不自由せんように、楽に行けるように、こういう仕事を、手分けして国を建てておるとこういう風に見えると、先生がおっしゃいましたが、私は考えるのでございますが泉先生がそんなにおっしゃったのですから、髪つむ人はじようずにけい古する。たんぼなさる人は、じょうずにたんぼする。手分けしとる仕事が、よく進んで行きます。そうして皆寄せたのが国でございますから、その国がよく治まる。こうなるのでございますから、どうぞ、そういう風にして行ってくれと先生がおっしゃいました。
この人間の体を見ましても、今日どこそこへ行かんならんと言うと、早、足が運んで行きます。手が用事をします。手も足も、目の玉も何もかもが、皆が一緒に一ツの人間という者が楽にすごして行くという上に使うとる。こういう風に、手分けしとるのです。あんた方がたんぽへ行くのでも、手分けしています。かまが切れんようになったら早、手がかまをとぎ、命令せいでも、手が動いてかまとげや、そんな事言わなくとも早といでいます。こういう風に、五尺のからだの人間が楽にこの世を渡るのは、手も足も目も頭も、皆が話し合うて手分けを立派にしとる。
そんなら仮に映画を見に行くという時分に、もし手分けみたように、仲良う行かんのであったら、たとえば足がいうには、目ばかりがとくをして、わしはげたはいて踏み付けられて、一番苦しい役じゃと言うて、足が休んだら行けんのでございませんか、こういう風に皆が手分けの仕事を受け持っておるというようにしたのが、これが極楽ぞと先生がおっしゃいました。 なる程、いかにも先生はそういう立派なお考えを持っとるのでございますから、どうぞ、そのつもりで極楽世界をこしらえる。手分けの仕事を分けるんだという風に、思うたらどうでしょう。面白いではございませんか。先生は、そういうご信仰でありましたから、そういう風にお考え願います。
(昭和三十九年五月三十一日講話)
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第五〇七条 「国のおきては守らねばならぬ。たとえそれが神のお心にそわぬと思うような事があっても、肉身をこの世でお世話になっている内は、反してはならぬ。これが神の教えに従う事になるのである。決して、神に反する事にはならぬ。これは泉様の身をもってのお教えである。」
第五〇八条 「泉様は、人を助けて、法難をお受けになり、獄屋に一月ほどお過ごしになった。この間、お食事を断たれて喜んでおられた。 そして出獄の時、おからだの目方が参百目も増しておられた。 お食事を断たれたのも、ご自分が断ったのではなく、不思議な人の目には見えぬお方が、毎晩お食を運ばれたので、獄屋のお食をもらう必要がなかったのである。」


五〇七条、五〇八条をいっしょにお話し申します。国のおきては守らないかん。これが神の心に添わん事でも、それを遵守せなければ、信仰にならんのぞという事を先生がおっしゃったのでございます。これは先生が普通の行者と違う所であって、たとえそれが神様のきらいな事であっても、国の法律となった以上は、意義なくそれに従わないかんぞと、こういう教えです。これが第五〇八条に続いとりますから五〇八条を続けてお話します。
ある時、津田の伊勢松の浦にお医者様がありまして、体がはれとるのです。それで先生の所へ来て、どうぞ先生お願いしますと、言うた所が、先生が拝み始めた。鞍馬の山の八天狗、体にのり移って、一から十まで皆教えてやる。
言うまま先生は、帰命天等はと拝みなして手に数珠を掛けて、その人の体や胸をなでまわったのです。ところが医者は、もうだ目じゃと言うて、恐れ入っとったにもかかわらず、帰ってから熱が出まして、そうして体中びっしょりと汗でぬれてしまったのです。所が不思議な事には、あくる日になって細って来たのです。太うにはれとったのが、ついにそれで全快したのです。
その事が、お医者はんの方から見ると商売がたきです。これは、ああいう天狗さん等が拝んでなでまわって、からだに熱が出て、それが不思議にも治ったけれども、治らなかったらどうするかというので、警察へ届けたのです。そうすると巡査がやって来まして、「泉さんというのはお前さんかい。」「へえ私でございます。」「だれそれさん拝んだかい。」「へえ、拝みました。」「どない言うたんなら。」「さあ私どない言うたか、はっきり知りませんがどうしたんでございますか。」と聞いた所が「それはお前違法でないか。」「そうでございますかいな。」「天ぐさんや言うて拝んだそうでないか。」「へえ拝みよったら口であなに言うのでございます。向こうあまり迷わしておらんので治ったのでごわすなあ。」「治ったが、そういう事言う事が警察の罰則にふれるんであるから、気の毒なけんど、長尾の警察まで行ってくれ。」「へえ、ほな、お供します。」ちっとも悪びれず理屈言いません。「私は知らんのですけんど、行かんならんのなら参ります。ちょっと待ってつかい、ちよっと神さんに御あいさつしますけん。」と言うて巡査を庭に待たせておいて、神だなの前へすわって、先生が別にお怒りになった風も何もありません。
ニコニコ笑うとる。「聖天さん、ただ今警察からこいと言うのでございますので行って参ります。」「おお、行って来い。しかしなあ、お前にはいっさい警察の物食わさんから、皆運んで行ってやる。さあすぐ行け。お供して行け」 「じゃ、ただ今から行って参ります。」と言うて、「皆様、気の毒なけれども今から参りますけん。」と言って、長尾の警察へ行ったのです。二人がそれを調べになりまして「泉さん、お前は天ぐというな、どんなもんな。」「私、知りません。知らんのでごわすけど、口であなに言うのでごわす。」「そして天ぐがどないいうんなら。」「それは、 お前のからだにのり移って、一から十まで教えてやるけん、安心せえ、治る。こない言いました。どうせえ、こうせえ そんな事言わなんだように思います。」「それでお前、何ぞしたんだろう。」「ええ、それは、お加持と言うて、帰命天等は、日天月天というあのお唱えをして、なでました。他に何じゃいたしません。薬やそんなもん何じゃ上げやしません。ただなでただけでございます。」「ほうか、ほんならお前、天ぐってどんなんか知っとるか。」「知りません、 天ぐさんって、どんなんやら知りません。拝みよったら赤い顔して、白い着物着た人が、前へ出て来るように思います。けんど、私知りません。」「それであったら、そういう事言って、民間を迷わす者は気の毒なけんど、行ってくれ。」と言うて、高松の監獄へ送られたのです。
ところが先生は、早行きがけから、お前にはいっさい何も食わさんと言うてありますから、その先生は、神様の言う通りになさる人で、ちょうど入ってから、その日の夕方がきますと食事を運んできます。先生は壁にもたれ、柱にもたれして、手を合わしておいでる。そのまま、一ツも上がらん。監獄所では、持って来たまま一つも食べんづくで、又持って帰ってしもうた訳でございます。
そうした所が、今度夜になりますと、これは先生のお話しです。「おいおい」と言うて、だれが呼ぶんかと思って声のしよる上の方を向いて見た所が、天井がはぐれとる。はぐれとるすみの穴からお坊さんみたような方が出てきて「そら行くぞ。」と手に白いもの持っておいでる。それでじっと見ていると「口はれ。」と言うものじゃから、先生は口をはって上へ向いていたら、ひょっと口の中へ白いものをほうり込んでくれた。それっ切り腹が大きくなって、一ツもおなかすかん。そういうような訳で、とうとう明くる日になりました。明くる日の朝運んできても食べん。昼持ってきて食べん。何日も、一ツも食べんものでございますから、食事を運んでくる人が、これでは私が困りますから、食べなくてもはしででも突ついといてくれ。つついたらええんならつつきましょう。そうして、弁当箱の中へ入れとるごち走をはしでこねかやして、先生は一ツも口へ持っておいでんづくで、持って帰ったものです。
ところがそういう風にして、毎晩夜中のうしみつ頃、今で言うと、まず夜の一時か二時頃です。その時刻がきたら「おいおい」言うて呼ぶものでございますから、上向いたらお話しするように、そら行くぞと言って何やらおもちの切れみたような物をほうり込んでくれる。けれども、口の中へ入ったら何やらわからん。ツルーとのどへ入ったら腹がおきる。こういうような訳で先生は有り難うて、お礼ばかり申して、柱にもたれて動かん。
所が、それが評判になりまして、これは、だれぞが窓からか、どこからか入れよるぞと言うて、とうとう先生が入っておる官房の窓に金網張ってしもうたのです。先生を鶏みたように金網で伏せてしまいました。先生ニコニコ笑いなさっている。一ツも何じゃおっしゃらん。「お前、腹減れへんか。」「ええ、どうもお陰で腹がすきませんので、日に日に喜んでお礼申しております。」「妙なやつじゃなあ、お前は。」先生はニコニコしとるのです。便所へもおいでん。こいつ妙なやつが入ったもんじゃなあって、高松監獄の中では、評判になっとるけれども、腹がすかんのじゃから仕様がない。とうとうあがらんづくで、三十日暮れたのでございます。ところがやせません。
そうして三十日の満期になりまして「ちょっと、おまはん、かんかんに掛かってみい。」と言うて、入った時にかんかんしてありますから、出る時もはかるそうです。その目方を比べてみると三百匁も増しとるのです。何も食べんのに。所が水だけは上がるのです。お茶も飲まん。水だけは、およばれしたけれども、他の物はいっさい口に入れんにもかかわらず、三十日のうちに三百匁目方が増しとる。これは不思議なと言うので、とうとう監獄所では、お医者さん五人呼んできて、内科やら外科やら身体検査をしたのです。先生、ニコニコ笑うておいでる。どこ調べても異状なし、どこも悪うない。それに目方が増しとるだけが不思議なと言うて、評判になったのでございます。しかし医者の方から見ると異状がないと言うのですから、監獄所の方も仕様がない。医者が言うとる、「不思議な男じゃなあ。」それから所長の前へ呼ばれて、所長が「ちょっと、お前に聞きたい事があるんじゃが、答えてくれんか。何か覚えがあろうがなあ。」「へえ、それは言うたら又、あんたがつまえて、いなしてくれまへんけん、言えまへん。」「ほら もう言うてもかんまんけん、長々こんな所へ置かんから、ほんとうの事言え。」「そんなら申します。毎晩十二時過ぎてから、うしみつ時に、上の方向いて口はれと言うから、はっとったら、何やら白い物、口へほうり込んでくれます。」「誰がな。」「さあどなたか知りませんけれど、格好が坊さんの格好しています。」「そうか、それからどないなると言うんか。」「そして、それを ほうり込んだら、そのままお帰ってしまいます。どこのお方やら知りません。」で金網張ってあるので、そんな事あろうはずがない。でも仕方がない。ほうかで聞きよった所が、「お前、よう天ぐさんって言うんじゃが又、お大師さんもよう言うんじゃが、天狗さんてどんな格好しとるんなら。」「それ言うたら、あんたが又、天ぐって言うたけん、はいれとおっしゃるけん言えまへん。」「いや、もう長々おらせへんけん、 本間言え。」「そうですない。ちょっと赤い顔で、鼻の高い白い着物召しとるんじゃが、まあ、お坊さんに近い人ですない。」「ほうか、それが、ほうってくれるんか。」「いや、ほうってくれるんは、坊さんの人が別に出てきて、ほうってくれるのです。天ぐさんは見舞にきてくれるだけです。」「お前、入った時に目方取ってあったのが、何ぼあったが、今取ってみると三百匁ふえとんでないか、これ不思議でないか。」「私も、不思議に思っております。」
「感心な男じゃなあ、恐らくこんな人間は、医者も言っていた、見た事ないと。」「いやあ、ほなに感心せられたら困ります。」「困れへんでないか、お前不思議な事するんでないか。」「いやあ、私恥ずかしいのでございます。」
「どうしてなあ。」「あの、へびや、かえるが、どろの穴や石がきの穴へ入って、百日ものあいだ何も食べんと肥えて出て来ます。」「おお、そら肥えて出て来る。」「かえるや、へびに比べたら恥ずかしいのでございます。わずか三十日位でごわすけん、ほなに感心せられたら私恥ずかしゅうございます。」
そしたら皆が笑い出して、面白い事言う男じゃなあ、しかし事実において肥えとるのじゃから仕方がない。「そんなら今日はこれで満期じゃ、目出度いなあ、国のおきては、人間の知らんことをああじゃ、こうじゃ言うて拝んだらいかんことになっているからな!一方にはお医者というのがあって、診察して、薬を出しているんじゃから、ほなに手ぶりでさすったら治るや言うて、人を迷わしてはいかぬ。」「いや私、迷わししまへん。」「しかしなあ、お前のような感心な人間を又ここへ入れるのは、かわいそうに思うけん、もう後々あまり言うなよ。」「へえ、まあ神さんや仏さんにそうお頼みしときます。」「そうか、そうせえよ。」「我々も、惜しいけん、言いよるのぞ、お前を憎んどれへんのじゃ、国の足りになりよる人じゃ、なあ、もういんでよかろう。」そして門口まで出てきたら、大勢の人が迎えにきとるのです。先生ニコニコ笑うてご苦労さんと言うて、常と一ツもかわらん。 これは有名な高松の話になっております。
大勢の警官なり、医者に見送られて、もどってきたのでございますが、あれほど、偉い人が警察にお前じゃの、こうじゃの言われたら、怒って何ぞ言うものですけれども、先生は、ただニコニコ笑うて、何もおっしゃらん。国のおきてですから、生きとる間は、国のおきてに従がわなんだら、神さんに怒られますけん。どんなになっても、私、申しません。実に立派な言い訳した事でございます。これは先生のお口から、私直接聞いたお話しでございます。実に不思議で、それを不思議とほめると先生が笑いなさる。ヒヒと言うて笑いなさる。かえるや、へびにかなわんのに、そんなにほめなさるなと、ようおっしゃいました。これは私、直接先生にお目に掛かっての話で間違いありません。
その事を先生がおっしゃるのを五〇八条に書いてあります。ようご覧になって、実に不思議と言うのは、仕方のない事でございます。こういう力が人間にあるのです。私は、先生に、こみ入ってお尋ねしたのです。
「先生、人間の体は、実に強い力を持っとるものでございますなあ。」と先生に私申したら「ほない、ほめるもんじゃない。神様や仏さんの仕事は、人間が知らんのは当たり前じゃ。わしも知らんのじゃ。知らんけれども、お神さんのおっしゃる通りしとるのであって、どうぞ、皆様も信仰なさるのならば、理屈言わんように、国のおきてに従うて、皆様の為に、世の中の為に、世の中の役にたつ事をして、どうぞ、理屈など言わんようにしなされと、私は承ったのでございます。実に不思議でございます。私、先生の怒ったのは見た事がないのです。ニコニコ笑うて、お笑いなさる時、ヒヒと笑うて、口をあけずにヒヒと笑うお方であった。それが早、違うとります。奥様、怒った事もなければ、お付き合いする人に、あいつ不都合なとおっしゃる事知らんのです。ただニコニコ笑うてヒヒヒとおっしゃるだけ、これが早、違います。と言うのは、そういう神さん、仏さんの力もろうたら、腹が立たんそうです。我々はいやな事言われたら、腹が立つ、先生はどんな事、お聞きになっても、監獄所へ罰がないのにつながれても、ちょっとも怒っておいでんのです。この点だけでも大した手本になります。
どうぞ、皆様もこの五〇八条に書いてある事をご覧になって、事が足れば笑うて一緒にこの世を過ごそうではありませんか。私は、それをお進めしたい。直接、私先生に常にお付き合い申し上げて見とるのでございますから、間違いは決してありません。そういうおつもりで、ご覧願います。
(昭和三十九年六月十五日講話)
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第五〇九条 「仕事を始める時には、その仕事が世の中の為になるか、為にならぬかを第一に考え、為になると考えが付いた時には、第二に自分の力の範囲で、最悪の場合でも耐え得る見通しを付けてでなければ始めてはならぬ。」


「仕事を始める時には、その仕事が世の中の為になるか、為にならぬかという事を一番先に考えて、自分の力の及ぶ範囲でどんな場合でも堪え忍ぶ、人を恨まん。世の中を恨まん。そういう心でお付き合いして行け。いつの間にやら、神さん仏さんに助けられるものぞ。」と、こういう事を書いてございますが、これは先生のお口から、私聞いた事でございます。先生は、一番先に国の足りになるか、人の足りになるか、人を泣かせへんか、人困らせへんか、こういう事を考えて、自分の力の及ぶ限り、世の中の為に生きて行けよ、とおっしゃった事ですが、これはお言葉としては、簡単な事でございますけれども、実際、世の中に立って見ますと、中々むつかしいので、人はまず第一に、自分の損得考える。先生はお考えにならん。向こうさんが困るか、困れへんか、こういう事を先に考える。何事をしても、一番先にそれを考える。泉先生はこういうお考えであったのでございます。
(昭和三十九年六月十五日講話)
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第五一〇条 「人が加護を加えて作りあげた珍らしい草木は、枯れよう枯れようとして誠に弱いものである。これは草木自身が雨風や寒暑の苦労を積み重ねて、みがきあげた身体でないから、自然の力に負けるのである。人もこれを手本として、身体と心をみがきあげねばならぬ。」


今日けい古をしておる、あの農学校あたりで、よく実験なさる事でございますが、草木でも、非常に立派な草木、それは弱いというのです。たとえば温度かけたり、肥をやったり、出来るだけ人間が手入れする。そうして珍らしい花を咲かせきれいな実をならすけれども、田んぼに一人はえとる草、あの草木を見ると日照りがしても、なかなかしおれません。雨が降っても、照っても、実に強いのです。草木はよぶんな手入れをせんから、先生は草木のようにいつも心掛けておれということをおっしゃる為に、五一〇条にお話しなさったのでございます。
なるほど考えてみますと、あの田んぼにはえる花かたばみというのがあります。これなんぞは、照っても降っても平気でおります。よく調べてみると、花かたばみの体の中に、水をたくわえる袋が付いております。そうしてよく照る時分には、その水を、わがのからだの中へ回しておりますから、いくら照ってもかまわんのです。こういう風に、天然自然に逆らわずして、それに従うて、日に日に喜んで行くならば、強い力が出来ると先生がおっしゃったのです。
いなかにはあまりおりませんが、動物園へ行くとラクダというのがおります。背の高い大きな鹿みたようなからだ て、背中にニツコブがある。一ツのコブのラクダとニツのコブのラクダとあります。あのコブの中には、水の袋があるのです。水飲んだ時、あの袋の中へ皆入れとる。そうして、あの砂ばく、草も木もない砂原を、何日掛かって歩いても、水飲むという必要がない。背中に水袋を負うとるのです。あの水袋をだれがこしらえたかというと、だれもこしらえません。天等さんからくれてある。ラクダは、ああいう砂ばく水の無い所に暮らしとるのでございますから、時によったら何日も水飲まずに行かんならん場合がある。それがつらいという事を考えて、ラクダがこしらえたのではない。自然に天等さんが背中へ水袋をこしらえてくれてある。動物園へ行って見てご覧なさいませ。
皆さん見た事あるだろうと思いますが、ああいう風に人間でも、日に日に苦労なく暮らしよるうちに、体が弱くなる。かん難辛苦に堪えて行きよると、自然に強い力をくれるのでございます。そういう訳で、その事を先生がおっしゃる。あまり人の手を掛けた事をしても、体は強くなるものじゃない。自然の力を喜んで日に日に喜んで行け。そう先生がおっしゃった。なるほど考えてみますと、いかにも先生のおっしゃる事が草でも、木でも、動物でも、自然にそういう事になっております。
この頃、段関の田んぼあたりを夜歩いてみると、バタバタと羽音を立てて飛び上がる鳥があります。川の端に立てとって人が行きよると、バタバタと飛び上がる。あのゴイの背中を見てみるのです。ネズミ色です。だからわかりません。暗がりにネズミ色をしているのですから、本当にわかりません。だから足元からバタバタと立つのでしょう。 あれが白い毛とか、黒い毛であったら、夜わかるのです。そして他の強い鳥にかまれたり、あるいは猟師に取られたりしますが、それが、こわい、こわいと思うて、自分がこしらえたのではありませんが、天等さんが自然に保護をして、身の安全をしてくれる。それが為に体にネズミ色の毛がはえとるのです。これがいわゆる仏教で言う天等さんのお慈悲というのです。天等さん、つまりビロシャナ仏というお方は、目には見えませんけれど、自然の境遇に甘んじて生活しとる、喜んで生活しとると、そういう風に自然に恵まれて来るのでございますから、これを仏教ではビロシャナ仏の大慈悲と言っております。そういうお慈悲を受けるのです。どうぞ、この自然の力には、無理をしたぜい沢な事するなとおっしゃったのはここでございます。先生は、別にそういう学問も何もなさっていませんけれども、草木や動物が自然の働きを天の恵みを受けて行きょるという事を、お話しをして、我々がまねをするようにという先生のお話しでありました。
面白い事は、あのシベリヤあたりの北国に育つ兎です。あの兎は、冬は白いのです。四方が雪でございますから、夏が来ると黄色い毛がはえて来るのです。抜け変わる。これも体を保護しよる訳でございます。それから、ししが砂原に、林野に住んでおるのでございますが、ちょっとあの毛の色がネズミ色に茶が混じって、草原に住んでいたらわからんそうです。それからとらというのがありますが、黄色い毛に黒い筋が入っております。あれはやぶの中でよく暮らしとるのですが、お日様が照ると、あの竹の陰が黒い棒になって、土地に写るのです。葉が下に落ちて黄色い。やぶの中が黄色い。黄色い所へ黒い筋が入っとる、その通りの毛色しとるのどうですか。とら、ご覧になっとるでしょう。虎は黄色い毛に黒いまだらが入っております。まだらの棒みたような物がはいっております。
ああいう風に、生物はすべて天等さんが助けるようになさっとるのでございますから、先生はどうぞ、自然の天地の恵みという事に日に日に喜んで、有り難うございますという心で喜んで暮らせ、怒ったり腹を立てたりするな。
こういう先生の教えです。実に有り難い、いかにもと私は頭が下がりました。
(昭和三十九年六月十五日講話)
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