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第四二二条へ 第四二三条へ 第四二四条へ 第四二五条へ 第四二六条へ 第四二七条へ 第四二八条へ 第四二九条へ 第四三〇条へ第四二一条 「わが心のくせがわからぬ間は、人が悪い人が悪いと思うが、わが心のくせがわかるようになったら、人が悪いとばっかりはいいたくないようになる、これからが誠の道筋。」
これも先生が、ご自分でお考えになったことです。最初のうちは、自分がどんな心で思うか、それがわからんので す。日に日にのくらしに追いつかわれて、朝から晩までえらいのに働く。こういうような場合には、わがが悪いということがしっかりわからん。そのわからん間は、もし、何かした時分に人が悪い。わしがこんなに苦労するのは、村のやり方が悪いからじゃ。あるいは、うちの家族のやり方が悪いから、わしゃいつも苦しい。そういうことばかり考えて、自分の心の奥に咲く花がないのを知らん。ところが、ここにわしの心は、果たして人を喜ばしていっているかな、人に無理はしていないかと、これを考えるのです。
泉先生がおっしゃるのには、日に少くとも、三べんは考えよ。朝起きて、泉先生が、あの大きな幹がたこみたような松の木が生えておる浜の金比羅さんへいって、象頭山を拝むのです。象頭山金比羅さん大権現、象頭山金比羅さん大権現あしこから、象頭山を拝んでおいでました。そうして、今日一日の無事をお願いする。そうして自分は、あやまちがなかったかいなあと考えるのです。おひるになって、ご飯をいただく前後、又先生は拝んでいます。その時に又自分のことをお考えになる。
晩には又おじぎしています。今日一日は、わしは間違うとれへなんだかいな、間違うていたら神さまの前でおわびする。こんな事を先生がおっしゃっていましたが、その朝、象頭山金比羅さんを拝みにおいでた時分に、「坊主、今日は珍らしい人が来るぞ。まことに珍しい人が来るぞ。お前を慕うて、遠方から来るんじゃが、とても珍しい人じゃ。どんなに珍らしいかというと、もうどんな事があっても、わがの事を先へせん、人の事先にしてから、わがの事後からするというごく貧乏な人が来る。たすけてやれよ。」こういうことを、象頭山金比羅さんが言うのです。
そして先生がお帰ってしばらくすると「先生今日は」といって来るのです。その人の風を見ると、実にみすぼらしい風をしておいでる。ところが泉先生が、その人を拝む時分に、その履歴にです。「お前さんは、昔から人の事ばかりを先にするのんじゃなあ、わが事はいつも先へしたことない。」その人は信心しとらんのです。神さんへ余りいかんのです。ところが泉先生がおっしゃるのは、お前さんは朝起きて、まずあんたのお父さん、お母さん、こどもしやご家内のこと先へしといて、わが事を一番後にしよる。今日は聖天さんが、お前さんが来るということを先へおっしゃっとる。それでそういう考えが、神さま拝むより、聖天さんがよろこぶぞ。そんな事おっしゃったことあります。 泉先生の拝み方というのは、それでもわかるように、いつも自分のことは後からするのです。そうして、これを私が横でお話を聞いて考えてみますと、いつもその人の心のうちには、人を喜ばしてやる。そういうことを考えておるのです。そういう人であると自分の心が真っすぐですから、人が悪いこと考えんのです。これは私の行が足らんからあんなに言われたんじゃ。こういう風にとるのです。わがの心が分らん人がよくおこるのです。もうあなた方よく考えてごらんなさい。ようおこる人は大抵わがままです。わがこと考えとりゃしません。ここを泉先生がおっしゃって、自分の心に無理があるかないかを朝起きたら考え、これが大きな修業になる、大きな信心になるぞということを、私聞かされました。その事をわたくしがここに書いたのでございます。
(昭和三十八年八月三十一日講話)
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第四二二条 「門前の小僧経を読む」昔のたとえに言うが、人間はえらい人に近よっていれば、いつの間にか喜べる道にはいっているものである。」
これは、よく昔からいうことです。門前の小僧経を読む。いいかえますとお寺の前の子供が遊びよるのは、お坊さんみたいに、かねたたいたり、お経をいうたりする。子供が真似するものです。その事を先生がおっしゃったので、これはおつきあいする上にえらい人、人に好かれるえらい人にはつとめておつきあいせえ。すると、その人の功徳がいつの間にやら、移ってくるものじゃ。悪い人と交際しよると、知らず知らずの間に、その悪いのが、からだにしみてくる。どうぞ、そういうことがないように、いつもえらい人につきあえよ。先生にそういうお話しをききました。
「先生、しかし、えらい、えろうないかしっかりわかりませんので。」「そうじゃ、そこじゃ」「神さんに、あほうの神さんないぞ、仏さんにあほうの仏さんない。人を助けた偉い人ばかり祭ってある。それじゃから、神さまには、無理いうてゆくよりも、その神さんどういう神さんで、どういうお慈悲があるということを聞いて、そして、その仏さんや、お社へ向けてせい出してお世話せえ、すると、いつの間にやら、交際ができて濃うになるのじゃ。こんなこと先生がおっしゃったことがございます。
どうぞ、これが門前の小僧経を読むというようなもので、そんなこと続けておると、いつの間にやら、神さまと濃うになるのです。ちょうど、お寺の門の前の子供がお経を読むというようなので、ことがわからないでも、神仏のお屋敷へいっていると、いつの間にやら、それがからだへうつる。私、こういうことを聞いたことがあるのですが、まああんた方は、たんぼなさるので、私がいうたことが間違っとるか知りませんけれども、私きいたのです。
「たんぼへ足形を入れた人ほど、そのたんぼをよう肥やす。」といいますが、どうですか、つまり、たんぼ見に行くのです。それが面白うて、たとえたんぼに用事が無うても、たんぽへ足形を入れにゆくだけでも、たんぼが肥えてくるということを昔からいいましたが、それがすなわちこの四四二条に書いてあるようなもので、そういう風に、たんぼに楽しみをもっとりますと、草一本抜いても役にたちます。うちのたんぼはどこそこのたんぼより、だいぶん悪い。どんなにしたらよかろうか。そんな考えも、日に日に田んぼへ行っていると気がついてくるのです。いつの間にやら、たんぽがきれいになる。こういうことかと私は思うのですが、やはり門前の小僧経を読むというようなもので、自分が地神さんと仲ようにせなければ、やはり、田んぼがよくできんと思います。そういうことを先生がよくおっしゃったのです。
(昭和三十八年八月三十一日講話)
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第四二三条 「わが身のつらさから、信仰に入れる人は、しあわせな人である。どんなつらい目に会っても、神仏の縁がつかぬ人は、まことに気の毒な人である。」
先生がそんなことおっしゃったのですが、さあ、わが身につらさ、不運などいうことが、もし無かったら、それでも神さまの信仰に入れるかというと、そんな人、ごく少ないと私は思います。大抵が自分のつらさから、信仰にはいるものじゃと思いますが、どうでしょうか。足がいたいとか、あるいはからだにつらいことがあるとか、いうのを頼んでゆくのが、ご縁になるのです。つらい目におうても、おうたのが縁になって、神さんにご縁が出来て、大きな運を拾うことがあります。これは西洋でも、日本でも一緒でございまして、あのキリストというえらい人がございますが、あのキリストが、「悩めるものは幸福なり」といわれたそうです。心でつらいと思う人が幸福なんじゃと、そんな事いうておりますが、つらいということを思うのが幸福じゃ、つまり神さんのご縁ができるから幸福じゃということ です。これは弘法大師もおっしゃっています。おしゃかさんも、おっしゃっています。泉先生も、これに書いてあるようなことをおっしゃっとるのです。つろうなかったら、信仰に入れません。ああこれ、つらいこっちゃ。信仰に入れるもとになりますから、矢張りキリストさんがおっしゃっても、おしゃかさんがいうても、お大師さんがおっしゃっても、みんな、そういうところからご縁ができるのです。
だから、つらいと思う時に、すぐに神様仏様に、ああ、つらいという暇があったら、今にお陰をという人が勝でございます。どうぞ、そういう風につらいことは、つらいと思う必要は一つもないのです。すぐに救われるものでございます。そういうことをお考えになった方がよろしい。先生もそういうことを知ってもらおうとおもうて、これをおっしゃったのです。ところが、つらいつらいというて、神さまにご縁がつかないで、つらいつらいとぐちこぼしとる人は 気の毒なと先生はおっしゃった。それはぐちというものです。つらいつらいという暇があるなら、神さまにご縁がついたら、すぐなおるのでございますから、そういう愚痴をこぼしておる人は、気の毒じゃと先生がおっしゃいました。
(昭和三十八年八月三十一日講話)
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第四二四条 「いかなるわるいことをしている人でも、神仏はこれを見離しなさらぬ。自分であきらめて、神仏から遠ざかってはならぬ。」
あのもんとの親鸞上人という方がおっしゃった、お言葉をおもい出します。「人を助けるのに、善人さえ助かる、悪人が助からんことがあるか、悪人が助けよい。」こんなことをおっしゃっています。善人さえ助かるのに、悪人が助からんことあるかというと、何やらこう、へんにきこえますけれども、善人というのは「わしは悪いことしとれへん」というのです。「わし、悪いことしとらんのじゃから、たとえば、どこか、からだに悪いとこあったら、わしゃ悪いことしとれへんのじゃから薬を飲んだら、直ぐなおってくる、といって、神さまの方へ縁がつかんのです。つきにくい。ところが悪いことした人は、「これ、ばちか知らん」と思うて、早、知っとるのです。そういう人は助けよい、と泉先生がおっしゃった。善人というのは、なかなか、わしゃ悪いことしとれへんから、なんじゃ、おおけ、神さまに頼まないでもかまわん、という人があるのを聞いたことありましょう。そういう善人にならんように、泉先生がおっしゃったのは、そこにあるのです。どんな悪いことしとっても、ざんげができたら、それから救われるというのでございますから、わがの悪いこと隠している間は助かりません。ざんげができていませんから、善人のまねしとるのです。人をごまかしとる。それじゃ、ご縁がつかんのです。それで、わがでに、悪人じゃと思うて、あきらめたりする必要はないというのです。「ああ、神さま、わたしはこういう悪いこといたしました。もう今後いたしません。どうぞ、お許しを願いたい。」このざんげができたならば、すぐおかげがもらえるのです。
あのざんげ文をごらんになってもわかると思いますが、あの我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身語意之所生、一切我今皆懺悔。と書いとりますが、あれは、日本語でいいますと、生れる前から私というものが生れかわり、生きかわり、生れかわりして、おかしとる罪である。それを今、よくわかりましたから、ざんげいたします。どうぞ助けて下さい。これがざんげ文です。
ところが、そう申すと、あんた方わかりにくいかわかりませんが、泉先生に拝んでもらった方であったなれば、ご経験があると思います。泉先生がおっしゃるのは、こういう風におっしゃいます。「お前さんとこは、何代になる、 あんたで三代目か。「そうでございます。『この一番最初のご先祖がな、こういうことをした、知っとるか、それが まだほどけとらんから、お前さんにほどかせようとしとる。こうしなさい。すぐなおる。」こういう風に泉先生は何十年前、何百年前にしたことでもおっしゃるのです。これが、生まれる前にした罪というのです。宿業といいます。 ざんげ文には、それを書いてあります。「私が生まれる前、遠い遠い昔から、生きかわり、死にかわりしよるうちに、おかした罪をよくここでおわびを申します。そういうことを知って、おわびが出来るようになったなれば、もう罪はないというのです。泉先生がようおっしゃいました。泉先生におがんでもろうた方であったならば、これがわかるのです。生まれてからこっちへした罪は、わがでに知っています。それはわかりよい。それさえも、よう考えんのはまことにへたです。損です。ざんげしたから、すぐにおかげがもらえるように、かくしてかくして、かくしぬくからぐあいが悪い。心のうちで、無理に人の前で発表する必要はありません。自分が「ああ悪いことをした。」といって 神さまの前でざんげしたらよいのですから、必ず罪を世界に公告せえというのではないのです。自分が悟ったらええんじゃ、すぐにそうすると救われる。こういうことです。それを泉先生がここにおっしゃったのです。いかなる悪いことをした人でも、神仏は見離しておいでない。必ず救う。これ先生が、ご経験があるからおっしゃったのです。
まあ、こういう風に先生は教えていますから、どうぞ、悪いことなさった人はございませんけれども、もし何か誤ったことがあったとしましたならば、こういうことを先生がいうてくれとるのでございますから、心配する要はありません。自分が悪かったということが、わかったらよいのです。その日からさらに救うてくれるというのです。
どうぞ、そういうことにお願いします。
(昭和三十八年八月三十一日講話)
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第四二五条 「人間は衣、食、住だけで満足の出来ぬ生物である。衣、食、住が楽になれば、なるほど満足どころか望みが大きくなって来るものである。このむずかしい望みをかなえてくれる親が見つかった人は、本当の幸福な人である。」
これは、先生が、人には望みが有る。望みのない人は一人もございません。弱いからだの人は達者になりたい。真にその日その日の家業に苦しい人は、裕福になりたい。まあ、色々ございますが、実に人の望みというものは、数に限りが有りません。ところが、泉先生が、その人のこの望み、という事に対して、お考えになっとる事を、ここに書いたのでございますが、この人間というのは、衣、食、住、すなわち暮らしだけで、満足の出来る者でないというのは、これはキリストが、言うた言葉の中に入っております。やはり偉い人の考えは一致しております。先生もそういう事をおっしゃっておられます。人間というのは、暮らしがいかに立派になっても、それで満足の出来る動物ではないというのです。必ず、衣、食、住の他に望みができる。衣、食、住が楽になれば、なるほど望みが大きくなるというのです。
たとえてみますと、この仏教が始まった昔を考えてみますと、お釈迦様は、あの印度のカビラ城という大きなお城で生まれたのでございますが、なるほどお城でございますから、いかなる事でもかないます。何もご不自由なさいません。すなわち衣、食、住は、足りておるお方です。ところが、お釈迦様には望みがずっと大きいのです。どういう望みを持っておいでたかと申しますと、ああ、どうも、生物は、どんな偉い人でも年が寄っていく。そして終りには、国替へをせなならん。これはどうもかわいそうだ、病気位は、病気せいで事足るというような、達者な人も有るけれども、年が寄らん人はない。又貧乏だとか、分限者とかいう問題は、これは、ある程度、人間がいやせるのです。
けれども、死ぬという事だけは、どんな偉い人でも免れん。ああ、この苦労を免れる道はないだろうか。私も色々考えてみるけれども、これだけはどうしても考えがつかん。もしここに、これを免れる工夫がわかるならば、世界中の苦労しよる人、助ける事ができる。その助ける道が欲しいなあという、これほど大きな願をおかけしたのがお釈迦様です。それで、夜中にお城を抜け出て、尼連禅河という河のほとりで、ありとあらゆる苦労をなさって、そうして食べる物は、ろくに召しあがりません。あなた方、このお盆に仏さんの前へ、おがらというのに、ソーメンや、色々な ご馳走、上げてある。これは何かといいますと、あのおがらの、生えとるのを刈りまして、そして水の中へつけるのです。と、その皮がきれいにむけます。それをお釈迦様が上がったのです。あのおがらの皮を、口でゴツゴツと、こぶりなさって、そうして一生懸命に考え抜いたのです。
どうすれば人間の死ぬ、この世を去るという、哀れな、いかに好きな者でも、別れて行かないかん。どう考えても、自分一人がわからんようになってしまう。つらい事ばかりです。死ぬという事について、考えたら、これをどうかして、助かる道がありそうなもんだ。という事をお考えになったのです。食べる物もあがらずして、終りには骨と皮とになって、もう一歩違えば死ななならんという人間と仏との境という所まで、行ってみたのです。お釈迦さんが考え抜いたのです。
それほどご苦労なさったのは、何が為であるかといいますと、衣、食、住が足りても、人間が、まだそれで得心ができるものでないという証拠です。そこで泉先生も、お考えになったのです。ああ、わしは漁師の家に生まれ、漁が多く出来たら旗を立てて喜んで、沖から満艦飾で帰って来る。家族は、それを待ち受けて、ああ、お目出度うと言って喜んで魚を運ぶ。ところがいかに大漁して、旗を立てて帰ってきても、まだそれで得心がいかんものがある。そうして沢山の富を集めて、大分限者になっても、死ぬという事は免れん。病気という事は免れん。又自分が死ぬ。死なんよりか、かわいい子供でも、別れんならん場合もある。というようなもので、わしは今、沖の上へ浮いて、色々漁をしとるが、これ考えてみると、人間の終局の目的でない。ただ一時、生きるための仕事しかしておらん。ああ、ほんとに、世の中には、今でも、この世あの世の境いで、泣いている人もあるだろう。どんなにかして、この人を助けんならんという泉先生の心の内でありました。実に大きいです。どうですか。あんた方、そういう苦労が、一番大きな苦労じゃと、私は思います。
それで先生は、もうそういうお考えのもとに、八栗山の山へは日参されました。それも仕事を欠いでではありません。仕事の合い間合い間に走るのです。それから、生駒山へもお走りになった。ついに、あの驚くべきところのお知恵を、借りたのでございます。そうして人を助けました。助けたお話はいくらでもあります。それは、私が皆様の前で幾らしゃべっても、その数は尽きません。そうして喜んで人を生かした事は、沢山有るのでございます。
このように望みというものは、人を苦労に落とし入れるものだ。これはまあ、命の望みですが、小さいのになりますと、体がご不自由で働きはできん。親も子も養う事ができん。というので、貧に苦労して泣いとる方も有ります。
実に人間の苦労というものは広いのです。先生は、その苦労を除くために、日夜苦労して下さったのです。それを私が聞いて、あんた方にお話ししている訳ですが、ここにこういう歌が有るのです。「事足らば、足るに任せて事足らず。足りて事足る身こそ安けれ。」という歌がございます。これは京都の東寺、あのお大師様が、おすわりになった京都の東寺(五重の塔がございます)にそういう事を書いて置いてある事を聞きました。
この歌はどういう事かと考えてみましょう。「事足らば、足るに任せて、事足らず。」これはどういう事かと申しますと、あゝ、うちは金がなくて、食うのに困る。せめて一万円位でも貯金ができたらなあと思う。これで事が足りておるのにできてみると、あゝ、今までこれボロ着とったけれども、一枚、皆にええ着物こしらえようか。
すなわち、足るに任せて、事足らん。何でもその通りに、欲しいなあと思うものが、思うようにかなったら、足るに任せて事足らんようになるのが人間の根性です。そこで、「足りて事足る身こそ安けれ。」これ欲しいなあ。 どうにかお父様お母様を養なう。楽に住んでもらうだけの物がもうけられたら結構じゃと思うて、それができるようになりましたなら、お父さん、お母さん、ようようこの頃はあんたに喜んで住んでいただく材料が出来ましたというので、それ以上の無理な欲はしない。事足れば、足るに任せて事足らず、というのは、悪い人です。足りて事足る身こそ安けれ。自分がしようと思っている事が出来た。あゝあ有り難いと、今度は感謝の日が送れるようになる。
こういう歌が、東寺に書いて有るそうでございますが、これを先生から私聞きました。
先生が非常に喜んで、その事を聞いて「村木さんよ、人間の望みの無い者は一人も無いんじゃ。どんなにかして、うちの口すぎが楽になったらなあと、それが出来て来ると、これではちょっと具合が悪い、まあうちの家を立派にしようかというような風に、すぐに足るに任せて事が足らんようになる。そこで村木さん、わしはなあ、大阪に居って津田へもんて来たんじゃけんど、どうやらこうやら皆が楽に食うのに余る。有り難いこっちゃ」と先生がそうおっしゃった事、覚えております。ところが、足るに任せて事足らんのは、そうでございますけれども、足るに任せて足りて事たる身こそ安けれ、先生の事です。「ああ村木さん、どうやらわしは、沖の上へ浮いとって、皆様の船、 あっち乗り、こっち乗りしているうちに、これローソクも買える。線香も買える。困っとる人にもお接待出来る。あ有り難い事じゃ」と言うて、神様の前へ手をついて、お礼を言うのです。「わしは、この東寺に書いてある歌のような具合に出来るようになった。有り難いなあ。村木さんよ。」こういう話を私聞いた事があるのです。どうですか。
皆様誠に尊い歌じゃと私は思います。大抵は、事が足ったら、足らんようになるのです。
あの秀吉公が藤吉郎と言よった時代に、だんだんだんだん出世して、そのうちにご主人の信長が殺された。その殺したのが明智光秀である。これは許せんというので、光秀を京都の山崎という所でかたき打ちしました。そうするともう天下には、秀吉の右へ出る者が無い。天下は、秀吉の物になったのです。そこで秀吉が事足ったんでございますから、ああ、有り難い、事が足ったと言えばよろしゅうございますけれども、日本の国が狭くなったのです。おれは一ツ朝鮮征伐せんならん。朝鮮をわが物にせんならんと言うので、朝鮮を征伐した事も、あんた方ご承知でございましょう。それもまあ、それでよかった。事足りた。ところがわしの後継ぎには、偉い者になってもらわな天下が治まらん。
というので、かわいそうに、秀吉の後を継ぐ秀次と言うのを、後継ぎにせずして、高野の山へ追いやって、そうして、人間賢いと言われた秀頼に後を継がした。まあそれもよろしい。ところが秀頼が、政治をするのに、秀次があっては争いが起こる。あいつ邪魔になると言うて、とうとう、秀次は高野の山で腹を切らされた。あなた方高野へお参りになった時分には見てご覧なさい。あの金剛峯寺の西の端の柳の間という所が、秀次切腹の場と書いてあります。殺生禁断の場所で、わが子を殺しました。
こういう風に、ああいう偉い人でも事が足りたら、足るに任せて、もう一ツ大きな、足らん物が出来て来るのです。これを泉先生が、あーあ、人間はそれが有ってはいかん。事が足りたら、あーあ、事が足りたと言うて、足りて喜ぶ身になれ、と先生が教えてくれたのです。私は、今に耳の底に残っております。どうぞ皆様と一緒に先から先へ、欲を大きいにせんようにできたら、それから今度出来るのを有難い有難いと言って、感謝の心持で暮らせば、尚面白く暮らせると私は思います。
(昭和三十八年九月十五日講話)
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第四二六条 「いかに、善いと思うことでも人に施して喜ばれなかったら、その施しの道が誤まっておる。喜ばなかったら助からんではない。この所が大切な所である。心の工夫がいる。」
「人が喜ぶものを施さなければ、それ何にもならん。」という事を先生が、おっしゃっておりますが、これはよくある事で、ある日、泉先生所へ、年の頃といいますと、まだ四十になるかならずの女の人と、男の人とがきました。あまり立派な風はしとりません。まあまあ、お気の毒な風采の方でありました。そうして先生にお頼みする事は、「先生、私は、この夫婦で、つい向こうのお庵があいておりますので、あのおあんに住み込ましてもらおうと思うて、頼んできたのですが、都合よくいけましょうか。」と先生にお尋ねしたら、先生が、そのおとなしい夫婦でございますから、それは「ええ事じゃなあー」と言われて、「おあんに住みなさい」と先生がおっしゃると、その人は助かるのでございます。からだが弱いのですから、十分仕事ができませんから、おあんへ住み込ましてもらって、み仏の力で、この世を過ごしたいと思うとるのです。 ところが、泉先生がおっしゃるのは、「ああ、それはお前さん、ええ考えじゃけれども、三ヶ月お待ちなさい。住めるのを、その間のお世話になる方に、三ヶ月だけお待ちなして下さいと言うて、延ばしときなさい。三ヶ月先になったらわかるから、自然にわかるから、その時に又来なはれ、と言うて別れたのを、私横におりましたから聞いたのです。
すると、その人が帰った後で、先生がおっしゃるのは、「村木さん、あの二人はなあ、お庵さんへ入れたげたら喜ぶだろう。だけど先で泣く事が出来るんじゃ、それでは、施しにならん。人助けにならん。それをお世話したら、わしの道が間違うとる。けれども村木さん、あなに言うたんぞ、」と。
そうして三ヶ月先になりました時に、婿さんが一人来て「助かりました。」「どしたんで、わかったんか。」「ええ先生、子供が出来ますんで、今まで四十過ぎるのに、子供が無いので、もう無いんかと思うて、体が弱いけん、おあんへ入れてもらおうかと思ったんですが。子供が出来るようになった。」「ああそうかい、そらお目出度い、ああ、そうかい。おあんへはいっとったら、困るんであったなあ、あんた」ええ事であったと言って、その人が、先生に言うてきているのを、私又、聞きましたが、こういう風に先生は、先の先までその人が助かる道を、講じてあげたのです。
まあこれは、中々普通の人では出来ません。こんな先は見えませんけれども、先生のお話は、どうぞ施しをしても、 施しをした事を向こうさんが受けて、喜ばなければ施しにならんと言ったのです。向こうが喜ぶような、施しをしてあげよ。と私聞かされましたので、それをここへ書いたのでございますが、よくある事です。人を助けたり恵んだりしても、向こうさんが喜ばんような事をしたんでは、何にもならん事でございます。かえって、その人を困らすような事になります。
(昭和三十八年九月十五日講話)
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第四二七条 「およそ何事をするにも、慈悲心からするのが一番上等で、わが好きからするのは、二番目である。食うためにするのは一番下等で ある。」
自分が便利じゃからといってするのは、いけません。この事につき先生がおっしゃるのは、「村木さん、この慈悲、言うてもなあ、自分からした事は、いかんのじゃ。ほんとうの慈悲の心からするのがよい。たとえば、讃岐でも、よくするが、阿波の方でも、よくするそうでないか。あのお接待ちゅうの。お接待するのに、お遍路はんに、おもちをあげたり、紙をあげたり、お四国回るのに便利な品物をあげる。それにわしが聞いたのに、あの遍路はん、あすこへ来よるけど、鼻が取れとるは、ああ、あれ、かさかいて、あんないたづらする人には上げいでもええわと言うとるのを聞いたとおっしゃる。先生は、それはわがの好きでしよる事じゃ、たとえ、鼻が取れとろうが、目がむけとろうが それはいとしいから上げるという、慈悲の心から上げるのであらば、相手方はどんな人でも上げるのがええんぜ。 わがの好きな人には上げる。きらいな人には、上げんやいう事はいかん事ぞ、と先生がおっしゃったのをここへ書いたのでございます。良いことは、先生はお好きですからよろしい。よろしいけれども、自分が好きじゃから、すかんからと言うて、上げたり上げなんだりしたらいけない。これを私が聞きましたのでここへ書いたのでございます。
(昭和三十八年九月十五日講話)
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第四二八条 「のみという虫は、人のつめとつめの間であわれな最後をとげる虫であるが、もし、のみが何でこのような運命になったのかと考えると、これは自分を肥やすために人の血を吸うからである。よし、今から人の喜ぶことをしようと悟ったら、だれがつめの間でせり殺したりするものか。」
のみという虫は、人のつめとつめとの間で、パチンとやられて哀れな最後を遂げる虫である。もしのみが、何でこのような運命になったのかと考えると、これは自分が、自分を肥やす為に人の血を吸うからである。こういう風に、のみが考えたら、ああ、これはもう、こんな事止めたらええ、と言って、今から人の喜ぶ事をしようと、もし悟ったならば、つめとつめとの間で、住生せんならんような事なかろうなあと、先生は笑いながらおっしゃった事です。蚊とか、のみとかは、人の血を吸って、そうしてよう太って来る虫でございます。もしこののみが、人の好きな事する虫であって、人が仮に痛い所が有る、そこへのみが来て、吸うと痛いのが直る。こういうように、人の喜ぶ事をするのであらば、うちには、のみが沢山おるのでわけて上げようかと、のみをうばい合いする事が、始まって、中々殺すどころでない。「村木さん、のみのようにむごい目にせられるものでも、あれはわがの業じゃ。わがの心からじゃ。村木さんなあ、人の為をはかってみい。している事はどんな下の下の仕事でも構わん。人がもうかるのであったら、それこそ 自分はええ運命になるんぞ。蚊やのみのように、人の血を吸うて喜ぶような、これはたとえじゃけれども、人を喜ばす事に力を入れたら、必ず運がええんじゃ。」と先生がおっしゃったのです。
あれから、四十年も五十年も過ぎた今日、私がこの四百二十八条の事を思いますと、あーほんに先生は違いない事おっしゃった。人のきらう事言うたりしたりしたら運が悪い。人が喜ぶ事、たとえそれが喜ぶ事が口だけであっても、えらいええ事じゃ。行いになったら、尚更の事、運がええ。あんた方よく考えてご覧なさい。ずっと広く世の中を見てご覧なさい。世の中の足りになったり、人に喜ばれる事している人は、運がよろしい。これは簡単な事でございますけれども、深い意味がこもっておるのでございます。
(昭和三十八年九月十五日講話)
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第四二九条 「腹を立てて劫をわかすと、すぐに悪魔がつけるのは、ちょうど甘酒をつくるといつのまにか小ばえがつけると同じこと。」
先生が朝起きられて、神様をおがまれていたら「今にお前ところの庭へ人が多く来るぞ」とおっしゃった。そうしたら奥さまが「又うちの庄太郎はんがあんなこというといて、数珠をこちらへ持っておいでなさんせ。」といって、 先生の持っておいでる数珠を取り上げて、たんすの引き出しへ入れてしまわれた。先生は、ありゃあ、そうかいなと 言うて、漁においでたのです。そういう風に腹立てられない。先生は、いつもなぜという事おっしゃるのですが、家のおばあさんが、なぜ、あんなに言うのかいな。あれ、やはりわしが悪い、腹立てられなかった。
ちようど、甘酒造ったら小ばえが、わくように、悪魔が強いから、怒られんぞ。と先生にお話してもらった事をよう覚えております、私。どうぞ皆様も腹が立つような事があった時分には、ちょっと待てよ。これどうしてこんなに腹が立つのかな。どうして、あんなに言われるのかなあと、自分でよく考えて、自分に悪い事が、あるという事を見い出さないかんと思います。こんなに言う私も、よく失敗するのでございます。けれども、皆様と一緒に、そういうけい古がしたいのでございます。
(昭和三十八年九月十五日講話)
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第四三〇条 「暮らし向きに費用が足りぬ時には、大抵この不足を他から持って来て。足そうとする。これは間違いである。この足らんだけをどこかで暮らしをけずればよい。」
これは誠に簡単なお話のようですけれども、よく人間の日常生活を省みてご覧なさい。大体が予算生活というのをしとります。たとえば一ヶ月を一万五千円で暮らすとか、又子供があるからこの月は三万円要するとか言うて、予算のあるものでございます。所がひょっとすると、その予定の費用が多くかかる。すなわち、金が足らんという事が、ままあるものです。所が、泉先生がおっしゃるのは、その足らなかった時には、どうして補うかというお話しです。
この四三〇条の所は、大抵が、他からそれを持ってこうとするというのです。
もう一ツ言い換えたら、収入を増そうとする。それがいけないと言うのです。悪魔がさす元になると言うのです。私がこういう事をいうと、商売なしとる人に、さしつかえるかも知りませんが、どういう風に足すかというと、パチンコに行っている人があります。これ当たったら大分、大もうけになると言うて、収入を増す方へ使う。そこで悪魔がさすのです。泉先生のおっしゃるのは、それやめとけ、程度落とせ、自分の費用けずったらええではないか、それが一番安全な方法である。こういう事を先生がおっしゃるのですが、どうも、この泉先生のお説は悪魔がつけないように、 もう一ツ言い換えますと、予算が狂った時分には、他から持って来るという事やめて、安全な方法でそれを足せよというお話です。
信仰の上でもそうです。何か間違いが起こった時分に、それを伏せようとするのです。カムフラージ、つまり言い訳してこうしよう、ああしようと言うのです。今、話が妙に飛び回りますけれども、松茂の飛行場へ七ツボタンの兵隊さんが、多く来ていた時があります。これは、にわか兵隊で、時折り、軍規をみだす場合があるのです。帰る時間が決まっとるのに、ひょっと時間遅れる時がある。そうすると、門衛の前へ立って、気を付けして、遅れた理由を述べかける。するとかしの棒でなぐられる。これは、あんた方よくお話聞いた事あるだろうと思います。いっさいそれを言い訳しない。そうして自分の行いの上で、益々軍規を正しくするという事を教えとるのです。
これは昔から言う通りに、言い訳は口返事と言うて、自分の欠点を補おうとするのが言い訳でございます。そういう事のないように、軍隊では、はっきりと自分の間違った所は間違ったと見てもらう。そうして、私はこういう事故の為に、遅れたのでありまして、精神は腐っておりません。という事は口で言わずして、行いで見てもらえというのが軍隊式です。泉先生もそれをおっしゃるのであって、どうぞ自分に何かの不慮の費用が入った場合には、それを他から補うたりするなと言うのです。
もし補うたりする事が出来るならば、どうかと言いますと、まじめにそれが出来るとするならば、常になまけとったという事になるのです。暮らしに十分力を入れていなかったという事です。ああ、これ足らなんだ、此れからうんとやってやるという事は、常になまけとったという事になる。先生はそうおっしゃらんのであって、言い換えますと、常にいる費用をけずれと言うのです。これは、まことによくお考えの通りと思います。大地自然の事はそうなっとりやしませんか。何か体に故障が起こる。そうすると、すぐに活動力が鈍ります。保養せえという事になるのです。
あなた方は、余りお聞きになった事ないかも知りませんが、庭いじりやるのです。植木を植え替えるのです。たとえば、松の木植え替えるとしますか、根切ります。そうして違う場所へ持って行くのです。それがいつまでも青うにおる木は弱っとるのです。枯れる徴候です。もし完全に付くのならば、どうなるかと言いますと、ふる葉します。植替えと同時に、古い葉が黄色うになります。そうして古葉をふるうのです。そうしたらもう付いとります。私とこも、 この間、庭の松に、平島さんから松をいただいて、岩の穴んぽへ植えたのです。そうして、大事にしよりましたが、古葉しました。植え替えして根が弱っとるからして、葉をそのままにおいたら松の木が成育して行く上に釣り合いがとれんのです。古い葉を黄色くしてほうってしまう。そうすると消費が少うなります。だから木が弱らない。これはくろうとがよく言うのですが、植替えて古葉をしたならば、その松はついとる。健全であるという事をよく言うのです。
これを先生がおっしゃるのです。月にこれだけの予定がいるんだという予定から、病気したとか、何とかの都合で余分に欠乏したのです。その時は生計をけずれとおっしゃったのです。ちょうど、松の木の植え替えと同時に古葉するのです。消耗を防ぐのです。そうすると、それが健全に行ける。こういう泉先生のお話は、いつも天地自然の働きを人間の日常に折り込んだ所のお説です。
弘法大師様が、四国八十八ヶ所をお参りになった時分でもおっしゃっとります。決して自分の欠点があった時分にそれを補うたらいかん。赤裸々にうっちゃっといて、そうして自分の身をけずれとおっしゃったのです。すなわち、隠すなという事です。泉先生のお話はいつもそういう風に天地自然を手本として教えておいでます。
(昭和三十八年九月三十日講話)
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