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第四十二条へ 第四十三条へ 第四十四条へ 第四十五条へ 第四十六条へ 第四十七条へ 第四十八条へ 第四十九条へ 第五十条へ第四十一条 「たとえ木ぎれ、竹ぎれでも念ずれば神である。心すべきことぞ。」
「たとえ、木ぎれ、竹ぎれでも、念ずれば神である。実に心すべきことである。」このお教えは、実に簡単に木ぎれ、竹ぎれでも念ずれば神といいますが、これは、泉先生の一生を通じてありありとお示しになっております。
たとえてみますと、ある船乗りの人が先生のところへまいり拝んでもらったのです。先生は、例によって帰命天等をお唱えになって、その後で「時にあなたは、有り難いものをポケットに入れておいでる」という話を先生がなさったところが、その船乗りの人はびっくりして「先生、それはおじさんにもらった時計でございます。」『さあ、その時計じゃが。』「先生、これはおじさんがこういって下さったものです。『わしが永年の間、遠洋航海に用いた時計じゃが、まことに正確な時計だ。お前さんは、よく遠洋漁業に出るので時間というものが大切だろう、これをあげる。』こういうわけでもらった時計です。」先生のお目には、これがおじさんと見えたのです。『そのおじさんの親切がこもった時計だ。それでお前さんは、その時計をおじさんと思うて念じておれば運がよいぞ。』こういうお話を先生がなさったのを聞きましたが、これなども、時計がすなわちおじさんの魂、こういうことになります。で、その船乗りの方は、年中ポケットへ時計を入れておいでて、出すたびにおじさんを念じる。
こういうようなことをしていたそうですが、非常に運よく大きな出世をなしたということです。このように、因縁を思い出すたびに頭を下げるというと、その時計が、すなわちご神体ということになるわけです。
何も歴史もないのに、立派な香木でつくるとか、あるいは金とか銀とかで作るとかいったところで、それは化学上でいうところの材料なのであって、念ずるのとは違います。念ずるということが、すなわち念ずる対象になるものが竹であろうが、木であろうが、紙であろうが、これが神さんになるのだ。こういうことを始終私は、先生のおん身の常日頃の行いからよく拝見しました。そのことをこの四十一条に書いてあるのでございますから、簡単ですけれどもたいへん結構なことなのです。
その泉先生が、こういうごじょう談をおっしゃったことがあります。『村木さん、わしは、道ばたの石ころでも、 物いうて下さる。又立派な官幣大社へ行っても、同様に教えて下さる。で、わしが思うのに、これ神さんというのは自分の心が神さんのお気に召したら、その人間のことばに神さんがお移りになる。そうして、物語りするのであるから、木ぎれでも竹ぎれでも、物いうことになって来る。物いうことを聞くというと、聞いた人は、それで信仰心ができてくる。信仰心ができて念ずるという自分の相手方が、木であろうが、竹であろうが紙であろうが、すなわち神である。こういう実証を先生は、お示しになったわけです。
ある時、私のただ今の段関の住宅、この乾倉は、あれが大体北南の棟でありましたのを、ただいま西東のむねに変えてございます。それは方向を変えまして、後ろの庭を広くして、私のおやじを遊ばすのに広場が欲しいというので 方向変換をしたわけであります。そのじぶんに、私の親じが、板東の大麻さんへ行って方よけのお礼を受けてきました。それを長い竹の先にはさんで、工事するところに立てたのです。ところが私は、その時にはまだ二十五、六才の若さでありました。石屋さんの手伝をしたり、いろいろしている時分にその竹にさわったものか、その竹が倒れたわけです。若い時分のこととて見向きもせず、仕事を続けていたわけです。それをまたいだこともあるでしょう。
ところがある日工事がしまいまして、―私が二十七の年ですー先生のところへお邪魔いたしましたときに、先生がおっしゃる。『村木さん、おまはん左の足が抜けとりやせんのか。』私は先生に何事も申してないのです。ただ先生に「少しからだの具合が悪いので頼みます。」とだけいうてあるにもかかわらず、先生はさっそく『村木さん、おまはん、左の足が抜けとれへんのか』 「ええ、先生、抜けとります。」 『方ぼうのお医者さんや電気やマッサージでいろいろ難儀したなあ。』「へえ、いたしました。」『ところが村木さんなあ、その神さんというのは、本来目に見えないのじゃ。けれども、その神さまのご縁のかかったところのお札であるとか、あるいはお守りであるとか、お砂であるとか、こういうものを受けてくる。そうしてそれは、受けた時は、受けた人が信仰が無ければただの紙、ただの砂である。一たん念じた場合には、これはその紙、砂に、つまり神様の有り難いお思召しがこもっているのであるから、それはご神体と同様なのです。ところが、お前さんとこのふしんした時分に、お前はんお父さんが、一里ほど離れた高い山の上の神さんから、方よけのお守りとして、受けたところのお札があるはずです。それを工事場へ立ててあった。それがこけとんじゃないかなあ、お前さんまたぎ廻った。左足でふんだじゃがな。』「先生、恐れ入りました。そういうことがありました。」『ところが、これは罰でないんぜ、決してお前さんが踏んだから、神さんがおこったのではない。それは、だれでも、このまことの神の教えということに従うたならば、大変幸福な一生を終える。なるべく神仏の教えに従がわしてやろうという神さんのおぼし召しなんだ。ところが、それを平気でまたいだり踏んだりしても、一向問題にしとらん、お前さんは。これではお前さんは幸福にいけない。それで、しばらく左の足を預かったんじゃ。預かるというのは、罰したんじゃない。ばちを当てたんじゃない。かわいい子に、後々、神仏がたとえ紙ぎれ木ぎれでも、それに頼んだ以上は、それに魂がこもっておるんだ。それを大事にすれば、おかげは受かるんだ。こういうことを教えるために、お前さんの足をとりあげたん。取りあげなんだら、お前さんはひとつもお神さんって、どないにしたってかんまんのじゃと、こういう考えになって来るというと、神仏の教えということが世の中にとおらんことになる。分ったか。』こういうお話で、私はもうびっくりしたわけです。 「ええ、先生恐れ入りました。」と申しますと先生は、にっこりお笑いになって、『もう、今日きりそれで足は抜けんぞ、いにしなも自転車に乗って抜けやせん。』こういう先生のお話なんです。 尚先生はことばを続け『その神さんが、お前さんくの、庭の今はすももの木に、なわでくくりつけられとる。それは 家族の人がもったいないと思ってくくりつけたんじゃ。いんだらお礼を言うておわびをしときなさい。その神様ここへきとるがな。』こういうお話なのです。
私はその時には、信仰はうすうございました。そういうことを考えておらなかった時代ですから、神さんはうちの庭に受けてきてあるがここへ来るのかなあ、そんなことを考えておったのです。
先生は、『ああ、この神さんがお前さんがどんなこというかと思うて、ここへ聞きにきとるんじゃ。帰りには、送ってついていんでくれる。そんなこと言ったとてお前さんは分るまい。その証拠として、帰り道には、白鳥さんのところに橋があるなあ』「へえ、ございます。」『あの回りかどのところで、大きな物が横あいからツーッと出て来る。その時分にお前さんの自転車に当たるようになる。それをこの方よけの神さんが、守ってあげる。けがせんようにしてあげる。これを証拠として今話しておくぞ。』とこういうお話があった。「先生有り難うございました。」とお礼を言ったのですけれども、なんのことやら私にはわかりません。
ところが、白鳥の町をずうーっと通りまして、こんど回りかどに橋があります。今は大きな鉄筋コンクリートの橋になっております。あの橋のところまできますと、家と家との間から、竹のたばをたくさん積んだ車が、穂先をすーっと出してきたのです。そして、その車を押している人が、家の方ですから往還の方が見えません。あっ、これはあぶないと思って私は、自転車から下りました。おりてみると、何にもないのです。あっ、今竹のようなたばが出てきたように思うのじゃけれど、それはぼんやり考えておったので、そう思うたのでないかなあと思って、私は自転車を押してしばらくその家の間と思うところを歩きました。
すると、その家の間が近寄ってきたときには、こんどはほんとうの竹のたばがシューッと出てきました。私は、歩いているものですから、突き当たらなくて済みましたけれども、ああ、これは恐れ入った。泉先生は、神さんというのは、木でこしらえてあっても、竹でこしらえてあっても、念じたら神だといわれた。私は、津田の先生のおひざ元で帰りには、お前さんのからだを守ってやるということをお聞きしたが、なるほど、そんなものかいなあと思って私は念じた。
その名とは、大麻さんのお礼です。そげでこしらえて、その上に紙を張ってあります。それに大麻比古神社と書いてあるのです。そのお札を私ところの庭に立ててありました。やれ恐ろしや、実に有りがたいものじゃと私が念じたそのお札が、ただ今申す白鳥さんの町の間からくる竹のたばの難儀を救うて下さったのです。それで、私はほんとうに驚き入りました。なるほどなあ、紙ぎれでも木ぎれでも、先生のような有り難いお方が念ずれば、神になるのだなあと深く感銘いたしました。先生のような立派な方が念ずれば、板ぎれでこしらえたのに紙を貼った大麻比古神社の お札が、神さんの威光を放つ、こういうことになるわけなのです。それを第四十一条には、たとえ木ぎれ竹ぎれでも念ずれば、神様である。こう先生がおっしゃった。これが証拠なのです。
もう一つ、先生がこんなことをおっしゃいました。『ええ、お前さんはなあ、今まで、根性は悪いとは言わんけれども、神仏の有りがたみを知っていない。お前さん、かえりに一ぺんたおれるぜ、よう気をつけておいでなはれ、一ぺんけがはせやへんけどこけるぜ」こういうお話があった。それは、白鳥さんからの帰りみちのその日のことです。
中山を越えて、木津の町へ出てくるみちを通ってくる途中のことです。おかげで無事に中山を越えまして、木津の町へ出てくるみちを通ってくる途中のことです。おかげで無事に中山を越えました。それから木津へ出てきて、大代へと帰りつきました。帰る途中始終、途中で倒れるぞとおっしゃったので、それを気にしながらも倒れることなく、 真福寺の前まで帰ってきました。
ところがおかしい話でございますが、おしっこがしたくなってきまして、家まで帰るのが待てないのです。それで 段関のあの道のはたに、今大西さんのお屋敷になっていますが、その時は、くにさんという人が菓子屋をしていました。そのおばあさんが一人お住まいなさって、菓子を売っておりました。その戸の口に便所があったのです。ああ、ここに便所があるからいっそここでさせてもらおうと思って、自転車から降りまして、そして便所の口へ立ったのです。ところが、便所口に甲の形をした丸い小さい石をひとついけてありました。それにすべってひざつきましたが、 やっと便所はすましましたのですが、私、そのときふと考えたのです。先生が「村木さん、家まで帰るみちでころぶぜ」とおっしゃった、なるほどなと先生のおっしゃった言葉に気づきました。
私は、意地くそというわけではありませんが、十分注意して帰ったつもりでしたが、とうとう便所口でころんでしまいました。実は私は、帰るみちみち「大麻さん、ひとつ先生があないおっしゃったので、けがせんように頼みます。と念じつつ帰っていましたが、便所の口でころんだわけなんです。これも、そげの板に紙をはって大麻比古神社と書いた札だけのことです。今にそのお札は私のところでお祭りしてございますが、そういう風に念ずれば、木ぎれ竹ぎれでも、驚くべき力を見せてくださるけれども、木や竹が、神さまではないのです。その木や竹に有り難い因縁がこもって、そして、真に有りがたいもんだと念ずる心がおかげをくれるのです。そこをお間違いのないように、うちの神さんは、有り難いのだ、こういうもので造ってあるというようなことは、全然先生のお教えと違うことなので先生は「念ずれば神であって、念じないと神でないのだ。」とこう教えられています。ここをお間違いのないように、たとえそれが何であっても有り難いのだというお話しなのです。このことにつきましては、たくさんのこと私は先生の実例を拝見しているのですが、今ひとつこういうことがございました。
それは、私がまだ小学校へいっていた時代のことです。私の父や母が、般若心経は、有りがたいのだといっているのを私は聞きまして、般若心経を書いたお経文を、紙に書き写して、それを軸文のようにして、腰へつっていたのです。学校へも腰へつっていきました。ある日、高井菊蔵さんという校長さんが、『村木、お前何を腰につっとんな』 と行きずりに問われました。私は、もう恥ずかしく、てれくさい気がしまして、「先生、これおかしいもんです。」『まあ見せえ。』と先生に取りあげられて、先生がそれをご覧になって、『般若心経か、これお前どないするんか。』「先生、これ有り難いちゅうけん、わたし、書いてつっとんです。」『あゝそうか、それはよいことじゃ。』といって、先生がお笑いになったことがあります。
その般若心経を腰につっておりましたことを泉先生がおっしゃるのです。『お前さん、こんまい時(幼い時)に、氏神さんの松へ登っておって落ちくれたことあるか。』「へえ先生、あれは氏神さんの高い松の上に、からすが巣をかけとりました。その子がとりたさに登っていきました。ところが、どんなはずみか踏みはずして落ちる途中、中ほどに枝の節がありまして、その節に帯がひっかかって、中ぶらりんになって、下へは落ちませんでした。」『その時に お前さんの腰につっていたもの知っとるかねー。』こうおっしゃるのです。「ええ先生、私しゃ、うすうす知っとります。校長さんに取りあげられて、先生に笑われたことがありますが、般若心経を書いた小さい巻物のようなものをこしらえて腰につっていました。」先生は『それは、有りがたいものである。たとえそれは、お前さんのような子供が書いたものであっても、だれが書いても、有りがたいものである』とおっしゃいました。 『その有りがたい般若心経を腰につるしておった三尺帯が、ひっかかったんではないか。氏神さんが手伝うて落ちんようにしてくださった。般若心経の緑によって、氏神さんが救うてくださったのである。』こういうお話を先生から承った時分に私は、実に身の毛のよだつ思いをしました。あゝ、なるほどなあ、神さんというものは、人間には分らないけれども、たとえそれが、紙ぎれであろうとも、木ぎれであろうとも、有り難いものだと信じて、祈り念じている者を守ってくださるのだなあと私は、その時泉先生のお話を承って、しみじみと感じたのでございます。
こういうわけで、たとえ木ぎれ竹ぎれでも、念じれば神になるのだとおっしゃった、たくさんの例がございます。 それであんた方も、定めしいろいろお有りになることと思いますが、それをつづめて申しますと、値うちのあるありがたいものをつっているから有り難いのだというようなことをお考えになると、泉先生のお考えとは違う。泉先生は、有りがたいものだと信ずる心が有り難い。それだから相手方は、紙ぎれであろうと、木ぎれであろうと、かまわんのじゃと、こういうお話ですから、どうぞ、この四十一条は、特にこのようにお考え願いたいのです。私は足が不自由なんでございまして、昨年病気して以来、皆さんにお世話になりまして、念じていただくし、いろいろ私も念じておりました為に、ようやく乗物ぐらいに乗れるようになりましたので、先日、四国霊場第十九番の立江のお地蔵さん、日和佐の薬王寺さんへお礼参りにいきました。それから津の峰さん、津の峰さんは、山へは行けませんでしたが、下からご免こうむって、ごあいさつを申し上げたのですが、そのお地蔵さんへ参った時です。
あのお地蔵さまは、弘法大師のお作で、人のからだぐらいの大きさです。泉先生と一緒にご開張を拝んだことがあります。その時泉先生は、お地蔵さまをごていねいにお拝みになって、その時分の先生のお言葉に、『村木さんよ、 このお地蔵さまは、みづおちのところに、光る有りがたいものが納まっとるぜ』「ああ、そうですか。」 そういうことがありましたので、ちょうど、この間お地蔵さんをお参りした時に、隠元さんがお堂におられましたので、「隠元さん、時に、まことにもったいないことをお尋ねしますけれども、このお地蔵さまのご仏体のゆいしょをひとつお話し下さいませんか。」とお頼みしたところが「ああ、これは、もと行基菩薩が陛下の祈とうをお頼まれになって、ここで、ご安泰を祈るために石で作ったものです。小さな石の一寸八分のお地蔵さんだ。これは行基菩薩がこつこつとお作りになった。その後に弘法大師がお出でになって、これはまことに、とうとい有りがたい歴史のこもったお地蔵さんである。しかし、こういうお地蔵さんを、落せばこわれもするし、又誠にご無礼だから、大きな木でお地蔵さんのお姿をこさえて、そうして、胸の水落ちのところへ納めておけば安泰だというので、弘法大師が木でお作りになってその水落ちのところへ、行基菩薩のお作りになった石の小さなお地蔵さまを納めてあるのです。」とこういうお話を承りましたが、私は一寸八分の金のお地蔵さんかなあ、金か銀かはまあとにかく、そういう金仏さんかと思うたのですが、そうじゃないそうです。石じゃそうです。
それは、きれいな清浄な石を拾うておいでて、それをのみで行基菩薩が、オンカカカビサンマーエインワカと一つ突くたびに一ぺんご真言を繰る。オンカカカビサンマーエイソワカでお刻みになったところの、一寸八分のお地蔵さんじゃそうです。
こういう風に弘法大師もやはり、たとえそれが石であろうが木であろうが紙であろうが、材料には関係ないのだ。 その歴史、因縁が有り難いということを念ずることが、これがほんとの神さまのおかげが受かるもとになる。こういうことを、弘法大師がお示しになっておられますから、今に四国の関所とまでいわれるところの十九番のお地蔵さまは、そういうことを聞かされましたのですが、まことに有りがたいお話であると思います。
泉先生も同じく、紙ぎれでも、木ぎれでも決してそまつになさいません。もし、古くなって、それが使用に堪えぬようになった時でも、先生は、それを大事に包んで、やはりご神体としてお納めになる。念じるということ、信じて念ずるということが、向こうが何であろうと神さんであるのだということを先生がお教えになっております。
どうぞ、第四十一条は、あなたがどこへおいでても、よくお会いになることですから、何でこしらえてあるから有り難いんだというような材料にはよりません。念ずる心、信ずる心が有り難いのです。
すなわち昔からいいます「いわしの頭も信仰から。」ということと同じことなのです。どうぞ、そういう風にご信仰を進めていただきたいと思います。
(昭和三十三年六月十五日講話)
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第四十二条 「神の恵みの深いことを知れば知るほど、わが身のきたないことがわかる。われは神に近づいたと思うものは、かえって神から遠ざかったしるしである。」
信仰と申しますのは、神さんを親と置き、信者を子として考えて見ますとよくわかるのですが、親の恵み、小さい時からお世話になって、一生親に苦労をかけている。まことに、慈悲深い親であると感謝するとしないとは、親子のあらきに非常にあらきが生じてきます。親の恵みを知れば知るほど、子としては、感謝せねばならないようになって来るのです。もし子にして、わしは親がする位の仕事はできるようになってきた。大ぶ親の仕事に近づいてきた。このように自分の力量を親にくらべて、覚ってきたということを感じるようになりますと、その間に親子の間が水くさくなることは、あなた方がよくご存じのことと思います。ちょうど信仰もその通りで、四十二条に書いてある通りに、すべて神の恵みということが、わかればわかるほど、自分の心がきたないということがわかってくる。
自分は感謝の念がなくして、自分はただ神に近よったというようなことを、自分でに考えるようになりますと、かえって、それは神さんから遠ざかったということになるというようなもので、信仰を親子の間から判断してみると、よくわかるのでございます。要するに、信仰ということが神仏に対する感謝の念、すなわち有り難い、わしはすべてのものにお世話になっておるということが、基礎になるのでございますから、四十二条は、そういう意味でごらんになった方がよいと思います。
泉先生は、この点におきましては、ご自分は何もない、力のない、出放題をいうておるのです。けれども、目がさめている間ばかりでなくして、寝ておる間でも、神さんにご苦労をお掛けしておる。神の力をお借りしておればこそ自分というのは、いけるのである。又、人助けもできるのである。自分は何にも価値のないものである。こういう風に先生は、お考えになっておったらしいのです。
こういうことから考えますと、泉先生は、取りも直さず、四十二条におっしゃったことを非常に重きを置いておいでておったことがわかります。
これを実例でお話し申して見ますと、先ず人間は五分間、空気を吸うのをやめると、必ず死にます。ということは、この人間のからだには、空気がからだの中へはいらなければ枯れてしまうのであるという。これが証拠なのでございます。
空気はどんな力を持っているのかといいますと、ご承知の空気の中には、酸素というものがありまして、物をよく燃やす性質を持っています。人間のからだに、温度がありますのもそのためです。この酸素を人間が吸い込んだならば、くろ血が一息毎にきれいにさらされて、まっかな血にかわるのです。肺臓の中へはいりますと、炭酸ガスに変るのです。こういう少しの間も、吸いこむことを止めることができぬものを、自由自在に恵まれております。そうしてこんどは、その炭酸ガスを世界の人口が三十数億からあるという人はもちろん、牛であろうが、馬であろうが生物すべてが、酸素を吸うて炭酸ガスを吐き出されたとするならば、この空気が濁ってしまうじゃないか。こういう心配があるわけです。ところが不思儀なことには神さまは、天地の間にある所のすべての植物、松であろうが杉であろうが 菜の葉であろうが、植物は炭酸ガスを吸って生きております。そして人間や動物に必要な酸素を出しております。
ですから、この地球上には、百二十キロもの厚みの空気で包まれておりますけれども、その空気は、しだいに新しくなりまして、動物が吸うて、酸素をとって炭酸ガスを吐き出す。又植物は喜んで、この炭酸ガスを吸うて自分の身の肥やしにして、酸素にして吐き出す。ちょうど動物と植物とは、お互に助け合いをしておるような関係になっております。
こういうわけでございますが、たとえ、あなた方が夜お休みになりましても息はとまりません。この息をしているのは、だれがさせているかといいますと、これは天地の力で、自分は息をしているということを知らずにいます。
あなたがたが、お仕事なさるのを見てごらんなさい。あの田んぼで一生懸命働きになる。そうすると、からだの中へは、疲労物質といって、からだ中にいろいろな毒素ができるわけです。苦しい仕事をすれば息がはずんできます。
すなわち、空気を吸いこんで、酸素をとって、炭酸ガスを多く出さなければならない。この働きを、自然に天地がさせてくれる。この大事な空気は、少しの間もかくことができません。
空気をもし買うのであったらどうしますか。それを天地がただくれております。人間はどうですか。無くてはならぬ物ほど、高く売ってはいませんか。生活に必要なものが高いのです。ところが天地はそうではないのです。生きるのが助かるために、無くてはならぬものは、ただくれております。こういうことを考えてみますと、いかにも、天地は、恵み深いものである。寝てもさめても、我々に少しの間も欠くことのできない必要なものは、ただくれております。惜しみがない。たとえ、天地の悪口をいう人があってもくれておる。人間は、悪口言うとくれません。天地は悪ロいってもくれておるのです。すべての生き物を愛する。わが子は、できのよいものだろうと、悪いものであろうと平等に助けてくれているという風にみえます。
そういうことから考えて、泉先生は、『天地の恵みを知るほど、人間はじぶんの根性が きたないことがよくわかる。』とこうおっしゃったのです。そう四十二条に書いてあります。
必要なものほど、人間は高く売っております。神さまは必要なものほど、安く売っております。そうした神のめぐみが無ければ、金持だけが助かるのであって、金がない人は、空気が手に入らなくて困ってしまう。神さまは、平等に慈悲の手をさしのべておるということが、はっきりわかっております。泉先生は、こういう信仰なのです。ご信仰の程度が非常に深いのでございます。
山へはいると空気がよい。からだがよくなるというのは、山の中には青い葉をもった木がたくさんはえているので 森の中の空気は清浄なといって、病気の人が養生にいくのはそれなのです。こういう風にして神さまは、人間をかわいがっておるのです。
大きな風が吹いてきます。これは、温度の高まった空気が上へあがる。つめたい空気はさがってきます。すなわち 低気圧、高気圧という、こういうものが自然に天地の間にできて、よごれた空気も、よごれておらん空気も、あちらへ回し、こちらへまわし、かきまぜて、そして地球の上は、平等に同じ空気を送るような装置ができております。
それから水でございます。ただ今のは、酸素のお話を申したのでございますが、水について考えてみます。 水というものを化学分析いたしますと、酸素と水素とからできております。これは、学校あたりで生徒さんが実験なさるのです。酸素一と、水素二という割合でフラスコの中へ入れまして、その中へ放電しますと、このビンの底に水ができますが、この地球の上には、至るところに水があります。この水は、無尽蔵にこさえられております。
天地自然の働きで、水が足りないことの無いようこさえられてあります。かんばつで人が困るのは、一時的でありますが、自然は、高いところへでも、低いところへでも、あちらへ運び、こちらへ運びして、この地球の上に、万べんに水を配っているようなことになっております。又、人間のからだの七、八分は水でございます。これも、ある程度絶ちますと、人間は生息できません。この心要な水も自由自在に運んできてくれる。しかも、ほとんど無償で供給してくれる。
これは水のお話でしたが、こんどは火です。温度も人には必要欠くべからざるものです。今日、三宝荒神さんとして、あなたがたのお台所にお祭りになっておられますが、それは、水に対して神仏のお慈悲に感謝する、又、火に対して感謝する。又、穀物に対して感謝する。この意味で、三宝荒神さんをどの家にもお祭りになっております。
火は、もとをただせば、太陽の力です。お日さんの力で草木は成長していきます。その太陽熱をうけて成長した木を切ってたきますと、木はお日さんよりうけた熱と光を、もう一ぺん発揮するということになっております。 ですから、見てごらんなさい。あの樫とか、あるいは、うまめとか、こういう堅い木になりますと、なかなか大きくなりません。ですから、木が堅いのです。これを炭にいたしますと、長く火力をたくさん出します。つまり、お日さんからもらったところの、その熱を火にするというと、もらっただけ返すということになっております。
早く大きくなる柳とか桐の木とかは、はやく大きくなったために、木の大きな割合に、お日さんの光をうけとる時間が短いのです。それですから、炭にした場合には、火力が弱くすぐに無くなってしまいます。天然自然は、人間におしげなく火力をくれております。
あの工場などでたいております石炭でございますが、これはもと、土地の上にはえておったところの草木が、土地の変動で、土地の深いところで、地熱のために、あのような石に変ったものです。やはりもとは、木でございます。 こういう風にして熱は、もともとお日さんからもらった熱なのです。ご承知のとおり農業は、水とお日さんの力とそれと、人間の世話とで、できておるのでございまして、これも、人間がこさえたものではありません。つまり日の力によって恵まれているわけです。日にあたるのでも、火鉢の火にあたるのでも、先生は、感謝しておあたりになっているのです。こういうふうに、どんな小さなことでも、信仰に結びつけたお考えを持っておられるので、ああいう大きなみ徳を完成したわけです。
それで、ただ、神さまは拝むということもよろしいが、それだけでは、ほんとうの有り難いところのおかげを受けにくい。目がさめても、寝ても、ことごとく神の慈悲によって、我々が助かっているのだと、いう風に、感謝の念を泉先生は、棒げておいでになっていたのです。
それから、こういうことを先生がおっしゃいました。物が腐るというのです。物が腐るということは、大変衛生上悪いことではありますが、腐るということがないとするならば、どういう結果がでてきましょうか。我々の今日住んでいる世界に、もし、死んだところのものが腐らんとするならば、ほとんど、田んぼなどはありません。土地の上は、死がいでうずまってどうすることもできません。このくさるということを科学者がいうのは、腐敗菌がそれにわいて分解したと、そう言ってしまえば、それまでの話でございますが、この腐るという現象は、生き物が助かるみちなのです。これは、お地蔵さまとして拝み、あるいは、地神さんとしておがんでおるのです。
物が腐れば、こんどはそれが肥料になる。又もとの土ができる。こういう風に、つぎつぎにくりかえし、くりかえし、今生きているものが、助かるようにできておるのですから、ただ腐るということから考えると、夏は困ったものじゃ、ごはんがよく腐る。こう言いますけれども、それは、腐らんようにする方法を考えて処理をしたらよろしいのでありまして、腐ることそのものは、我々が助かる道だと、こういう風に泉先生は、お考えになっているのです。
もし腐るということが無いのでしたら大変でございます。ほとんど、地球の上は、あいたところがないように死がいばかりになります。それから、草木でも腐って堆肥になる。こういう風につぎつぎに、あちらこちらと、一方が足らぬところは、一方の余ったところから持っていく。こういう風にして、せんじ詰めますというと、生き物が助かるように助かるようにとできているのが、すなわち腐るという現象です。
ところが、腐るのを止めるというのも又おかしいのです。たとえば、夏ごはんが腐ります。その腐るのを止めるのには、お酢を入れたりするでしょう。酢を米一、八立(約一升)に対してひとちょく位入れますと、そのごはんはなかなか腐りません。ところが、その酢は、何でできたのかとしらべてみますと、くさってできたものが酢です。それで 腐ることをとめるものは、やはり腐ってできたものを入れたのがよろしい。このように、すべて天地のことは、原因と結果とが、互に助けあうようにできています。考えてごらんなさい。実に妙なことになっております。
その一例として、これから夏、木の葉の上によくわきますが、いらという虫がおります。けんだらけの、さわるととても痛い、あのいらに刺された時には、どうなっているかといいますと、いらのけんに蟻酸という毒がついております。この毒が人のからだの中へはいるから痛い、たまらん気持の悪さです。ところが、あのいらのからだの中に含まれておるあのいらの汁です。その刺されたところへいらをつぶして、それをつければ、たちまちにして、その蟻酸が消えるようになっております。
又、はみ(まむし)の如き、毒を持っておるものでも、あのはみの毒というものは、大へん人の精力を増す薬につかわれます。むかででもそうです。
実に、こういう風に考えてゆきますと、小さなこと一つにでも、天地の恵みというものが含まれておる。こう解釈されたのが泉先生です。こう私がお話し申すとおわかりになるでしょう。普通の信仰とは違うのです。先生は、どんな小さなことでも、有り難いと感謝ができるようにお考えになっておるのです。そういうことが、積もり積もって、 あの偉大なみ徳を完成したわけなのでございますから、どうぞ、この四十二条に書いてありますものは、まことに火一つでも、又酸素を含む空気でも、あるいは、日の熱を貯えておる草木も、すべて、そういう風にして助かるようになっております。
それから又、こういう考え方もできるのです。泉先生は科学を余りお知りにならないのです。学校でけいこをなしていません。それでも、どこで そういうことをお考えになったのか、先生は、地球を地球とおっしゃらないのです。『土地の上に風がある。この風が無かったらなんじゃなあ、村木さん、下の方は、きたないものばっかりの風になってしもうて、生き物が育たんなあ 』とこういうことをお話しなさったことがあります。これなども私が考えますと、先刻申すとおり、地球の上には、約百二十キロの高さまで空気があるわけなのです。この空気があるがために土地の上を人間が歩けるのです。
この間も、だんだん、ソビエット、あるいはアメリカが、人工衛生を打ち上げました。あれは、百二十キロの空気の間を、たまを飛ばして、空気の無いところへゆけば、永久に飛ぶのです。土地の引力とか重みとかいうものが無しになってしまいまして、いつまでも飛ぶのです。ところが、この空気の重さがあるために、人間なり、すべてのものが、土地の上に安定しているわけです。論より証拠これを実験することができるのです。
たとえば、ひとつのビンの中へ、一つの銀貨と鳥の羽とを入れておくのです。そして、そのビンの口をしめまして 中の空気を排気機という器械で空気を抜いてしまうのです。つまり、真空にするのです。そうして、さかさまにしてみるのです。鳥の羽毛と銀貨とがいっしょに下へ落ちてくるのです。どうですか。これは、人間の常識から言いまして 銀貨は、重いから先に落ちるだろう。鳥の毛は、軽いから後からふわーっと落ちるだろう。こう思います。われわれもそう思います。ところが、空気を抜いてしまいますと、両方がいっしょに下へ落ちるのです。つまり、重みがないことになるのです。こういう具合に空気が高く積みあがっておるために、われわれは、どれ位助かっておるかわからんのです。もしそれが無い場合には、物の重さというものが、ほとんど見られない。走るったら、どこまで走るかわけがわからない。そんなことができてくるわけなのです。現にあの富士山、あれは土地から上へ約一里(海抜三千七百七十六メートル)でございます。百二十キロ(約三十里)からあるところの空気の中へ、一里ぐらいあがってみるのです。そういたしますと、下でかけた百匁(三七五グラム)の物が、上へあがると八十刃(三○○グラム)位か無いのです。空気の押しがないのです。
それからもう一つは、富士の山の上では、ご飯をたいたりできないのです。それで、餅をもって行ったり、下でたいたものをお弁当に持ってゆくのです。山の上へあがれば、火が燃えにくい。空気がうすいからです。それで富士の山頂では、人が暮らせません。それで、天地の間に空気というものが百二十キロ(三十里)もあるということは、これでわれわれが生きられるのです。
今、望遠鏡で見ますと、月の世界は空気が無いだろうというておるのでございますが、むろん、そういうところでは、生き物は暮らせません。空気がいかにわれわれを助けてくれているか、ということがこれでわかると思います。
そうしますと、風が吹くのも、空気を万べんにかきまぜて、同じように平等にするという働きをしてくれている。 あるいは、この空気が暖まると上へあがる、さめると下へさがる、こういう働きも、始終空気を平等に、どこへでも、うすい、こうい、なしにしてくれる。こういう風に見えるわけです。
泉先生は科学も何も勉強なしておりませんのに、宇宙の真理を話されます。『台風で害を受けた人は、気の毒であるけれども、害を受けないように注意さえしておるならば、それでよいので、実に風が吹くことも、雨が降ることも、暑いこともつめたいことも、これ、皆、生き物が助かるもとじゃ。有り難いものじゃなあ!』こういうお話を私は承ったことがあるのです。科学者でない先生が、科学者も及ばんところの感謝の念を持たれていたのですから、 先生は、いつもながらの、天地間のことに関して、有り難有り難いくとおっしゃったのは、こういうわけからでございます。
この四十二条に書いてありますとおり、神の恵みの深いことを知らなければだめです。深いことがわかれば、感謝の念が起きるわけです。有りがたいという気が起こる。これがほんとうの、おかげのはじまりじゃと、先生はおっしゃったのですから、どうぞ、四十二条は、そのつもりで、でき得るだけ有り難いというのを多く見つけた人が、多くおかげを受けておるわけです。こういう信仰ぶりを、おすすめしたいと思います。
(昭和三十三年六月三十日講話)
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第四十三条 「腹八合は長生のもと。」
四十三条は、腹八合は、長生のもと。これは、もう昔から、よく言いふれておる事でありまして、医学の方から申しますと、胃袋は、御承知の通り、中へ物が入れば、ちょうど両方の手で握ったり、伸ばしたりするような働きをしているのでありますから、いっぱい入れますと、その働きがにぶるのです。まず八合目にしておけば、よく消化する。 胃袋そのものも疲れない。こういうように、医者の方からも申します。
精神的に腹八合と言うのは長生きのもと、すなわち、人生を完全に渡れると、こういう意味が含まれとる訳で、ありまして、泉先生は、何時もお話の上に言い詰めないのです。ごく簡単に、七、八分目におっしゃって、それで、向うさまの了解ができると、にっこりお笑いになる。こういう、先生の特長がある訳なんです。特長と申して、相済まないけれども、非常に柔らかな、きれいなところがあります。
私が或る時、これは 先生にしかられるわいと思いながら、先生のところへいったのです。それはこんなことです。私がけんかしたのではありませんが、他人がけんかして、もめているところへ私がはいりまして、少しりくつでやりすぎて相手を参らしてしまったのです。そうすると、私は何だか気持ちがわるく、すがすがしくないんです。 その時に、先生の所へお参りしますと、先生の家の表口へ参りまして、障子に手を掛けて、中を見ますと、先生がおい出になり、先生ニコニコして笑っておいでるのです。『村木さん、そのままは入れるか。』とおっしゃったのです。その時恐れ入ったのです。それで私は、冗談半分に、先生ご免こうむって、は入ります。と言うて、後向きに入ったところが、先生がファーファー言うて、お笑いになった。その後で、座敷へ上がりました時に、先生のおっしゃるのには「村木さん、やはり八合が良いのう。』こういうお言葉があったのです。私は、もうそれだけで参ってしまったのです。ちょうど、お面一本頂だいした訳です。
こういう風に、自分にいかに理由がありましても、言い詰めてしまうという事は、腹八合越している訳です。ちょうど食事を腹いっぱい食べたのと同様に、消化不良になる訳なのです。この四十三条に書いてあります事は、手びかえに 向うが了解ができたらよいという程度に、どんなに理屈があっても、言いつのらない。向こうの状態を見て、理解ができたら後は笑うて済ませる。とこういう意味が含まれていますから、単にお医者様の方の話ばかりでなしに、そういう事を先生は主眼に置かれておったのです。
ただこれは理屈というばかりでなしに、すべての事は腹八合にするのがよいぞとおっしゃっているのです。こういう事が大変、人の一生にはきれいな結果をもたらすということになります。
私の知っております方のお家にもき帳面な方がありまして、もう言い詰めんと気持の悪い方なので、決してそれは悪いんではないのですけれども、そこ迄いきますと、何となくさみしい空気が家の中に漂う事になるのです。何だか薄暗がりのような家庭の状況になります。御主人にかかわらず、又妻君にかかわらず、家の中心になった人は、腹八合に物言うという事を心掛けよ。と、こういう先生のお話があった訳です。
(昭和三十三年七月十五日講話)
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第四十四条 「兄弟を助けて喜こばぬ親はないように、人を助けて喜ばぬ神はない。」
これは、神様を親に置きまして、信者や氏子を兄弟とたとえた話でございます。それで、神様から見れば、同じ自分の氏子、子なんですから、その子が争いをするとか、憎しみを持つとかいうような事は、神様としては、お喜びになりません。ちょうど兄弟げんかをして、兄が悪かろうが、弟が悪かろうが、どちらが悪いにしても、これは親が喜ばないというのと同様に神様は喜ばない。
この人間の世界では法律があって、何か犯罪を犯してしまわねば罪という事はない。という事になっておりますが ご承知の通り、神様の方は犯罪を犯さなくとも、思うともう早すでに犯罪を犯したとご覧になるのです。ここが人間と違いまして、人を助けて喜ばん神はないと、こう書いてありますが、人を助けないでも、助けようとする心が買われる訳なんです。ああほんとにお気の毒じゃと、こう同情する事が、早すでに、神様の帳簿にのっとる訳でございます。それと反対に、あいつ憎いやつじゃ、不都合なやつじゃと心に思いましたならば、たとえけんかしなくとも、やりつけないでも、早すでに神さんの方の帳簿には、犯罪を犯したという事になっている訳なんです。
これについても面白い事があるのです。これは、私の事なんでございますが、私は、ちょっと変な癖がありまして道ばたとか、或いは川に犬とか、猫とかが死んで浮いている事があります。その時分に、私はその犬のために、あるいは猫のために、ご真言を三口繰るんです。これは癖で、そういう様な事を私はしています。しかしながら、私が心のうちでご真言を繰っている事は、誰一人も知らない訳です。誰もお知りになりません。言葉に出すのでなし、それを見たら、心の内でご真言を繰るようにしております。
ある時、猫を虐殺した人があるんです。残酷に殺した人があるのです。その猫が、殺された人に、まずたたるとか、さわるとか言うと、おかしい話ですけれども、そんなことになったのです。あるとき行者はんがきてお加持をした訳なんです。不思議なもので、とりつかれると人の言葉が猫の言葉になりまして、「わしは、どうも、おまはんみたように無理やりにいねとか、何とか言うて、私をつらがらす人の話は聞けない。私が言う事聞くのは、余りよけないのです。西の方に、村木という人が居るが、あの人に頼まれたら、言う事聞かな仕様がないようになるのじゃ。」こういう事言うたそうです。
私は知らないのですけれども、その場に立ちあっていた人が、「どうして村木さんの言う事聞くのか」という談を詰めたところが、その猫のいわくは「あの人は、我々が川に浮いとったり、道ばたにころげとったりすると、必ず有り難いお経文繰ってくれるんじゃ。我々の同類に皆そうしてくれるので、どうしても聞かなならないようになる。村木の後には、諸神、諸仏がいるからして、頼まれたらどうしてもきかなならないようになるのじゃ」と、こういう話をしたそうです。
それを尋ねた人が、私所へきまして、「時に村木様、妙な事お尋ねするけれども、あんた何ですか、猫や犬が死んどるのに有り難い経文読むと言いますか。」「いいや、それは私は経文は読まんのじゃけれども、道を通っているときには、道のはたとか、川の中に気の毒に浮いたりしとる場合に、心の中で光明真言を、その人にあげるという意味で、三べん繰って通るのです。人間にしろ、動物にしろ、誰が、又犬や猫に生まれんとは言えない。又、犬や猫が、人間に生まれてこないとはいえない。輪廻転生という事は、釈尊もいわれておる。だから畜類だからって、それを見下して通るという事は、できないと私は心の内で思ってそうしよるのです。誰も知る訳はないのです。それを、あなたはどうして尋ねるのです。」と言いますと、先刻お話した様な猫が怒っている現場でお話を聞いたと言うのです。
これは一すじの話でございますけれども、そのように、言葉にも出さず、単に心の内で、ほんとに世の中は輪廻転生と言うて、人間でない世界へ生まれるかも知れず、又そういう他生の世界から人間の方へ生まれてこんとも言えないのです。私は簡単に気の毒なと思うて繰ったご真言が、早すでに神仏の帳簿にのっとるという実例でございます。
こういう訳でございますから、人ばかりでありません。生き物を助ければ、それで神仏がお喜びになるという事は 確かな事実があった訳です。こういう訳でございますから、どうぞ皆様も、人ばかりでなしに、すべてのものに、あわれみをかけるという事が、神仏がお喜びになるという事になると私は思うのです。
人間の生活の方は、犯罪を犯すとか、あるいは、良い事をするとか、証拠がなければ、それが世の中へ出ませんけれども、信仰の方はそうではないので、ただ心で念じただけでも神様の帳簿にのるという事が、明らかであることを 私は実証をたくさん持っております。そのように、この四十四条は、ご解釈を願いたい。
これは、神仏を親として、人界を兄弟と置いての先生の例話でございますが、たとえ話でありますけれども、事実ただいまお話する様に、神様の帳薄にはっきりのっている訳でございますから、ここが信仰生活と人間生活とがわかれて来る大事な所なんです。
(昭和三十三年七月十五日講話)
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第四十五条 「たたり、さわりと思うなよ、皆幸福の道しるべ。」
四十五条は、たたり、さわりは、恐れなよ、恐れてはいけない。皆幸福の道しるべに、神様がしてくれよるのだ。 これは世の中で、よくある事でございますが、仏のさわり、あるいは神のさわり、見てもらえばさわりがある。こういう風によく言っております。しかし、泉先生は、たたりとか、さわりとかはおっしゃらないのです。もし是非言わなければならない場合には、どこそこの仏様が喜んでおいでないとか、神様がつらがっているとか、このようにおっしゃった訳でたたっているとか、さわっているという事は、泉先生のお口からは私、あまり聞いた事がありません。
これについても、色々例がございますが、ある時、私のうちの裏に、五輪塔があるのです。よそさまの土地に建っているのですが、その五輪塔の所へ、手おけに花を入れて、そしてお参りにきた、しらない方があるのです。どこか上方の人の様な風をしていました。私は、その人に目にかからなかったのですが、手おけを下げて五輪塔の前へきてねんごろに花を立て、水を入れておがんでいました。
それはよかったのですが、しばらくすると泣き出して、ついに理屈を言い出して、「あんたも大抵ならええでへんか。今、大阪で暮している者は、あんたの子孫でございますぜ、たとえ子孫の者ができが悪いからって、そんなにむごい目にするって、けしからんでごわへんか。」と、しまいにはお墓をカンカンたたいておった。泣きながら、たたいておった。こういう事を私は聞いたんでございますが、ちょうど私は、留守でございまして、そのお方にお目にかからなんだのですが、これは私の想像でございますが、どなたかお家の人が病気をして、そうして拝んでもらったのでしょう。そうすると、お前様には仏がさわっている、長いあいだお参りした事がない。花の一本立てた事がない。線香の一本もおまつりした事がない。だから仏が怒っているんです。そのさわりで、こういう風に病気しているんだ、位の事を拝む人がおっしゃったのでしょう。
先刻お話した、手おけを持ってお参りにきた方は、それではお参りに行かな済まない。これは、私の想像ですが、治してもらわねば困る。とにかく治してもらうには、お参りせなければ仕様がないというので、おいでたものと思うのです。「あんたも、ええ加減にしなさい。あんたの子孫でへんか。それをむごい目にして、どなにするで」と言って泣きながら、お墓を木切れか何かでたたきながら、物語っておったと、こう言うのです。
これは、泉先生は、もう、こんこんとおっしゃっていました。泉先生は、こういう場合は、こういう様に言うのです。『お前さん、こちらへ、大阪へ変って来て十年なら十年なるな。』「へえ、先生十年になります。」『そうかい、ところが寄せ墓をして、五輪塔一つに寄せたのが国もとにあるな』「へえ、ございます」『一ぺんもお参りしとらんでないか。』「へえ、参っておりません」『仏がさびしがっとるぜ。そしてお前様の先祖をこういう風にさびしがらせるという事になると、お前様の先祖の後には、諸神、諸仏が沢山おいでるのじゃから、先祖を粗末にするような事では困るというので、お守りがない。それで、お前様とこの子供が、今病気じゃが一ぺんお参りに行って、お言訳してきなさい。そうすると、御先祖は言うに及ばず、諸神、諸仏が、ああまことの道に出てきたと言うので守ってくれるぞ。』泉先生は、こういう風に教えなさるのです。ここをお間違いのない様に。
これも私が泉先生からつぶさに承った事なのでございますが、これは南の方の山の中の方に起った問題でございますが、ただ一軒、山のさみしいがけの端に暮らしておる家があって、そこに、ご夫婦と子供と三人暮らしの家があった。ところが、ある日崖の端に大きな松が一本はえとるのが、風のために下へたおれたのです。折れて。
それを切るというので、がけへ下りていて、松をご主人が切るのは切ったのです。松が切れると同時に、岸へすべり落ちて、その松の木もろともに、谷の底へ落ちこんで、気の毒ながら松に敷かれて、ギャーと言う、実に悲相な声を出して亡くなった御主人がある。
その後、そこの未亡人は、御主人を葬りまして後は、仕事が出来ませんから、僅かばかりの畑を耕しておったのですが、この妻君は、家が忙しいので一ツもお参りにおいでにならない。最も、ご主人がそまを働いている山の中でございますから、そのご主人がなくなったら、随分糊口の上にも難儀をせられただろうと思います。そう思いますが、 一ツもお参りに行かない。
と言うのは、先生の所へ拝んでもらいにきた。私ちょうどそこへ行き合わしておりましたが、先生がお拝みになって、『おばさん、うちの方は山のがけの端に建っとる家じゃな。』「ええ、そうでございます。」『この子供は、いつ夕方がきたら体が悪うなる。そうして、皆寝静まるとギャーという恐ろしい声を出して、自分もびっくりするし他に寝とる人もびっくりする。又休む。こういうような病気じゃな。』「へえ、先生その通りでごわす。もう日が暮れると、体の具合が悪うなって、早く寝るのでございます。そして夜がふけると、ギャアーと言うてびっくりして仕様がないんでございます」『妙な事尋ねるが、お前様所がけの端の家で、そこに松の木が一本生えとりゃせなんだかい。』「へえ、はえとりました。」『その松が、この後の大風に折れて、谷へし折れ込んどったな。』「へえ、し折れこんどりました。」『その時は、ご主人ご在世でしたろう。』「へえ、ございました。」『そのご主人が松の根を切って、あれ折れたから、切らな仕様がないと言うて、切りに下りてそうして、切り離すのと一しょに松の木とともに下へころげ落ちて、その木に敷かれてなくなったんでないかい。』「へえ、そうでございます」「その時にお前様横で一しょに仕事していて、ご主人どない言うた。』「何も言やしません。」『いや、話はせんけれども、落ちた時分に。』「先生そら大きな声で、ぎゃあっと言いました。」『うん、そのぎゃあっと言う声と、お前さまとこの兄さんが、夜ふけてぎゃあっと言うのと似とりゃせんか。』「先生、もう恐ろしいや同じ事でございます。「『ああそうか、よくわかった。』そして、その後に『お前さまが忙しいのは無理もないが、お参り何べん行ったぞ。』「先生、 お恥かしいんでございますけれども、二、三べん、その当時に行きまして、それから一度も行っていません。忙しいので。」『そうだろう、これはな、仏さまはさわりゃせん。家内もかわいい、子もかわいい。だから、さわりはせんが さみしいのじゃ。一ぺんも線香もまつってくれん。花もそなへてくれん。それで、あの最後の声を子供にさしたら、目がさめるか、お前さんが気付いてくれるかと思うて、子供にその声をさしよる。』「先生、よくわかりました。さっそくこれからお参りに。」『ああ、そうじゃそうじゃ、そうしたら、ご主人が安心して、もう息子さんもそんな声出さんと、仕事をよくするようになるぜ。今まで、あんまり仕事しとらんじゃないか。』「え~先生仕事を。」 『心配ない、これは決して仏さんがとりついとると思いなはんな。そういう事考えたら仏さんにご無礼じゃ、これは一人子、後へ残して、木に打たれて死んだんじゃから、後の者がしっかり働かんならんのに、あまりそまの仕事を覚えとらず、働かんもんじゃから、どなにかして、こちらから仕事さしてやろうと思っても、目がさめんもんじゃから 最後の声を子供にさしたら、必ず子供が目がさめるだろうと思うて、その声を兄さんにさしよるんだから。』 「ああ、先生もうようわかりました。仏さまって有難いもんでございますな。」『ええそうじゃ、これをなあ、仏さんのさわりや、たたりやということは決してない。お前さまがた二人がかわいいから、目をさまして、そして、神様仏様の方へ御縁を厚うにしたら、必ず家が富貴して、子供もよく働くようになるんじゃ。おばさん、わかったか。』 「ええ、ようわかりました。有り難うございます。」『又、喜べるようになったら、又おいでよ。』「はい先生、喜こべるようになったらすぐに参ります。」こう言うて、お帰ったんですが、私その横におりましたんでよく知っております。
こういう訳で、先生の拝み方というのは、実に神仏とご縁が濃うなるように、濃うなるように導いておいでます。 又、それに違いないのです。すべて、先生がお拝になる時には、必ず何か人間には落度があります。その落度を先生がお出しになって、そうして、こうすれば神さまが喜ぶ。こう言うて信心の道へお入れになったのが泉先生です。 実に立派なお助けぶりです。このお不動さまが、目をむいて歯を食いしばって、そして刀を抜いて、一方では、綱を持っております。そうして、心の内では、この上もないお慈悲を持っている。こういう姿になっておりますが、ちょうど泉先生のお助けぶりは、お不動さまのようなお助けをする。悪い所はこれは悪いぞ。しかりはするが、そして、信仰のご縁に付けて、その人を幸福にするのが本来の目的である。こういう風な先生のお慈悲深い、ちょうどお不動様のようなお助けぶりでありました。
「あの泉先生が、よう金時不動さんとか、左脇の不動さんとか、お不動さんとかよくおっしゃっていました。先生にお目にかかった方は、ご承知だろうと思いますが、先生、お不動さんごく好きなんです。好きと言うたら悪いか知ませんが、お不動さんごくお好きなのです。どうしてかと言いますと、ちょうど目をむいて、悪い事した者をしかりますけれども、これは慈悲のしかり方で信心に入れて、神仏の縁を濃うにするために教えようと思うて、目をむいておいでる。御自分の気に合うとるから、お不動様がお好きであったんだろうと思います。私は、弘法大師もそういう事をおっしゃっています。弘法大師もお不動さんをお好きです。弘法大師さんをお祭りした所には、お不動様よう有りますが、非常に弘法大師様は、お不動様を信仰なさったもんです。お不動様や、お地蔵様を。こういう訳で、四十五条の所は神様、仏様と非常に、その神、仏のお慈悲深いために、さわったような姿を見せとるんですから、どうぞ、そこを勘違いしないように願います。
(昭和三十三年七月十五日講話)
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第四十六条 「世を海とすれば人は船、心は舵である。」
昔からよく世渡りという事を言いますが、渡るすなわち世の中を海とたとえます。そうして苦労の世界から、向うの楽な立派な土地へ渡る、こういう事をたとえていっているのですが、世という海を渡るのに、人を船にたとえてあります。心が舵、こういう事になっているのです。
例は誠に簡単でございますが、この海とたとえてありますには、風があれば波もあります。世の中が海だ、人は船だ、心は舵だこういう事をいうております。舟はあり、かじはあり致しましても、鏡のような水の上をこぐのはだれでもやりますが、新聞でご承知の南海丸のような事があります。これなどもお聞きになったでしょうが、あの沼島という島と、淡路との間が急に深い所と、浅い所とがあるのだそうです。そうして波があちらから寄せて来、こちらから寄せて来しているうちに、ふとした都合で、頭の尖った三角波がひゅうと上るのだそうです。これを漁師たちは、 三角波と言って非常にこわがるのでございます。あの船長さんは、舟が揚げられた時に、舵を取る室で亡くなっておられたのです。あの丸い舵に体を打ちつけたのか顔に負傷していたというのです。船がいかに揺れましても、そんな大けがをするほどの揺り方をするのはまず珍らしいので、おそらくこれは三角波に乗り上げて、舟が急にくるっとかやったものと思われるのです。こういう事も航海にたとえますと、思わぬ所の出来事です。で、人間が世渡り致しますのでもいろいろな事があります。大変な思わぬ所の事ができて来る。
たとえば、大きな入道雲が出ましてにわかに雷がごろごろと西の空から上げて来る。こういう時分に田圃から家に帰る。あるいは遊びにいっていた所から帰る。この間も学生がつりに行っていまして、帰る途中三人の連れが皆竿をかついでいたのです。そのさおが雨が降っておりますからぬれております。ぬれておりますと、電気がよく通うのです。かわいている物は電気がかよいにくいけれども、湿っておりますとよく通うのです。しかもさおをかついで、高くさし上げておるものですから、そのさおへ電気が移りまして、一人は打たれて即死した。あとの人は負傷をした。
こういうような事が新聞に出ておりましたが、これも世渡りの中の思わん出来事なんです。しかし、その雷というものが逃げられんものかという事になりますと、すなわち心のかじでございます。
電気というものは、どういう性質のものであるかという事を常に考えておりますと、ある程度そういう危難からのがれられるという事になります。この電気などは、先の尖っているものを好くのです。山で雷が落ちる。あるいは、 里で落ちるというた時分にご覧なさい。大抵が松の木か、杉の木かになっております。松の木は葉がとがっております。杉もとがっております。あのとがっておる所に感電するのです。それと高い所、こういうことから考えますと、 もしどこかへ行っておる途中で、帰らねばならん時に、雷に野原で会うという事になりますと、野原の平たんな所へ人が立っておるのでございますから、立っておるだけ高いのです。少しの間すれば雲が向こうへ行き過ぎるのですから、雷のなる真最中は、どこか橋の下とか雨宿りできる抵い所へもぐり込んでおれば、それでよいわけです。行き過ぎた後でお通りになれば、そのやく難をのがれるという事になるのです。
この間も西ノ須の土手の上で、大代の人が唐ぐわをかついで帰る途中打たれました。こういう事になりますから、 第一に電気というものがどういう性質のものであるか、高い位置におるという事があぶない。又、とがっているものをかつぐのも危い。こういうような事を知っておれば、ある程度この危難からのがれる事ができます。これも世渡りの上では心の舵というので、体を避難する事ができるという事になります。
それから、これは世俗一般の事でございますが、心の上で腹が立つ、なんか人の言いようによって腹が立つ。こういう事になる場合に考えて見ますと、ちょうど船で航海しよる時に大きな波が来る、その時分にかじを握っておって無茶にかじをひねった所で船は助かりません。かじには取り方がありますと同様に、腹が立った時分には無茶苦茶に向こうの人に理屈を言う。或はけんかするというた所で、言い勝った所で、これは何も仕方がない事です。
そこで、泉先生のおっしゃるように、怒るという事は自分の心が乱れるから怒るな。もし怒った人に会うた場合には、心を静めて、静かに向こうさまの言う事を聞いて、柔らかに話をする事にせよ。泉さんはそうおっしゃっております。同様にこのかじの取り方にも、控えと押さえと両方ありますが、それはどちらへ押さえても控えても、強くやりますと船がぐるっと回ります。あべこべに後へよる事になります。
こういうように、怒ってけんかをするという事になりますと、もう後もどりするのと同様でございます。人をつらがらせ、自分は気持が悪い。そうしてその結果、大変な面白くない事件を引き起こす。こういう事になるわけです。
ちょうど私、淡路から旅行して、撫養 (今の鳴門市)の港へ帰る途中の出来事です。その時分に大変な風が吹きまして、撫養の入口がは入れないのです。大きな家のような、小山のような波が入口に立っているのです。みなといりが できないというので船長さんが、鳴門の瀬戸を越しまして、北灘の方から小鳴門の方へ回りました。その時分の風は北の風でありましたが、どんどんと大きな横波が打つのです。その時に私は船が転覆したら飛び込もうと思って用意しておりました。乗ってる人は皆鉢巻を締めて、シュバンとシャツとになって、早飛び込む用意、泳げる人はそんな用意をしております。又、泳げない人は板切をもらったりしておりました。その時船長さんがどういう足どりをするかと思って見ていましたが、中々面白い乗り方をするのです。横から波がずうっと大きなのがきました時分には、波の方へ船を向けているのです。そうすると船はその波の上へ乗り上がります。今度ぶり谷へおりて行く時分に、舳を波と波の間の谷へおとすなどして、小鳴門の方へ向けて進めているのです。又、次の波が来る。乗り上げる、今度谷の間を行く「く」の字を書いて、とうとう波一つ食わずして小鳴門へは入った事があります。
私はその時思ったのです。ああ成るほどなあ、もし波にさからって航行していたら波をかぶって、てんぷくする事は確かです、人の世という事も同様だ。乗り方が大変大事だと思います。
又、かじというのはおかしいもので、船に速力が付いておりませんとかじがききません。じっとおる船のかじを回した所でひとつもききません。これは人間で申しますと働くという事、常に働くという所の力がなかったならば、いかに心で工夫した所で、その人は安楽な一生が終えられないのです。働く、すなわち信仰でいう精進行です。
精進行というものができていませんと、いかに戒行ができましても、禅行ができましても、このかじはききません。こういう風に世を渡るのにつきましても、まず船ならば速力、人間ならば精進行です。自分の行に力を入れる。そうすれば、心で考えた所のかじはよくきくのです。泉さんはこういう事を常におっしゃっておりました。泉さんは 船に乗っていたのですから、よく船のお話がありました。そういう風に、かじは引張ったって、押したって船が動いていなければきかない。きかそうと思うならば、常に船が動いていなければならぬと同様に、家業に精を入れていないと考えても何にもならないという事をおっしゃっておりました。
舟時化がするような時に、それを乗り切るだけの力を持っておりますと、平素波の無い時には、ごく楽に行けるのです。これが信仰にたとえますと、常に信仰を熱心にやっておりますと、節に合った時分にもあわてません。神様を祈りつついけば、 楽に越せる。 そんな節という事は再々あるものではありませんから、その節を越しますと、 あゝ御蔭で越せたということになると、信仰がますく深くなります。こういう風にいけるわけです。常に泉先生のおっしゃいますのはいつもこの船だ、舵だという事を考えていなければならない。
私、始終皆様にお話するのですが、どんな軽い舟でありましても、その中へ乗りまして、この舟動かしてやろうと思って精一杯突きます。舟べりがこわれる位、突いた所で、その舟は少しも動きません。これはよくわかるでしょう。
ところが、どうして舟が前へ進まないかと言いますと、舟のへりを押しましても、手で押すだけ足で後へふんばっております。だから舟は少しも動かないのです。所が、もしその舟の外の川にはえている茅一本でも、舟から引張りましたら、舟はスーと動くのです。
これは何かと言いますと、世渡りをする上に、うちの家をあんたいにしてやろう。平和な家にしてやろう。強い家にしてやろうと、考えた所でいくら力を入れましても、思うように動きません。ちょうど舟の中で力を入れて押しているのといっしょです。舟から外へ力を入れぬと分は動きません。その外というのは何かと言いますと、人の世から離れた神仏です。神仏その方にご縁故を結んでおらないと舟は動きそこなう。
又、世の中の人とご交際する上におきましても、やはり舟から外でございます。自分の家よりも外です。その外に力を借りるならば、その家は安全だ、こういう事になります。これは、あんた方よくおわかりだと思います。
渡舟のような小さい舟でも、乗って舟の中で押したって動きはしません。かいで舟の外の川を突かねば動かないのと同様に、いつも神仏という方にご縁を結ぶ、あるいは世の中の人と御交際する上に、その世の中の力を借りる、こういう事でないと舟は満足に動かんのと同様に、人生は人にきらわれる。いやがられる。こういう風になりますと、平和には世渡りができません。このことを泉先生は舟にたとえてよくおっしゃった事です。
それからこういうお話があるのです。これは舟乗りがよく弟子達に教えるのですが。あなた方もためしてご覧なさい。これは間違いないのです。台風が吹きまして、南から風が吹いて来るとします。南風です。その時分に風の方に背中を向けるのです。そうして、左手を真っ直ぐに横に出すのです。その手の出とる方向が台風の中心、そういう事をよくその航海する舟乗りさんが弟子達に教えるのです。よう南から風が吹きよる時分、たとえば背中を南へ向けて ご覧なさい。顔は北へ向いております。そして両手を出しますと、左手は西の方へ向いております。中心は西すなわち台湾から支那海の方から風が吹く、中心がきているという事がわかる。それが今度、大平洋の方へ中心が回ったと します。そうすると風は東風に変ってきます。東の方から吹きます。風の吹いている方に、背中を向けるのですから 体が西へ向きます。そうして左の手を出すのですから南の方になります。すると、この徳島あたりで南というと土佐の大平洋の方になります。中心は大平洋の方へ回った、これがよくあうのです。ためしてご覧なさい。必ずそうなっております。この台風は回っているのですから、風の方に背中を向けて、左の手を出した方が、その方向が中心が通っているという事になるのです。
これらも、つまり世の中の舟乗りでありましたら、左手を出した方が中心ですから、その反対右手の方へ舟を回していくのです。そうすれば中心からのがれられる事になるのです。これは時化からの話ですけれども、もしもここにあなた方、何かその災難にあうとします。かりに盗人が入るとしますか、その時分には、いわばこれが時化でございます。いたずらに向こうをたたいて殺すのが、芸ではありません。向こうは殺しにきているのではない。金が欲しさに来ているのですから、そこになすべきことがあると思います。そういう事が常にあるのですから、ぬす人が、は入る前に戸締りをすることも大切です。なにもその人を憎んで怒って、たたいて傷つけたりする用もありません。は入られないようにしておけばよいのです。泉さんはそれをおっしゃってお笑いになった。
泉先生がおっしゃっておりましたことに、ある山の中の小さなお寺さんへ、盗人が入った。何かごぞごぞやっているものだから、お坊さんがじっと考えた所、こりゃ暗がりで危いけがしないように、ローソクに火をつけてやるというので、ローソクに火をつけて寝とるまま、差し上げた、盗人は驚いて、こらまあどうしたのかと思ってお坊さんを見れば、にこにこ笑うて別におこっておいでないものだから、盗人の方は怒るわけにもいかない、きるわけにもいかない、それで盗人は、その度胸に恐れて逃げて帰ってしまった。そうしたら後で、なっしょ坊主が起きてきて「お坊さん、今盗人がは入っていたのかえったのですか。」「うん今な、ごぞごぞ、しよったから、暗がりであぶないと思ってローソクに火をつけて見せてやったら、何か持ってかえっていたようだ。」「お坊さん、そんなことおっしゃって 盗られてどないしますか。」「いやまあ、道具はこしらえたらえわ、わしや寝とって窓からお月さん眺めるのがきれいで、わしゃ好なんじゃがなあ、あの窓の月盗んでいんどれへんわ。」こういうような調子で少しも腹を立てん。
これは有名な話でございます。泉先生がそういうお話しをなさった。突然事が起こっても、驚いたり、怒ったり、 そういう事はせないように、いつも神様や仏様にすがっておれば無事にいけるものである。と先生からお話がありましたが、私もそんな事に一ぺんおうた事があります。
津田へ夜いく途中、あの大坂越えしました。夕方出たもんですから日が暮れたのです。坂本の所の大坂山を越えて 向こうの町が近寄った所に、山の平たんな所があるのです。あすこへ通りかかった所が、松原から暗がりの中へ一人だれかはいだしてきたのです。そうして私の前へ来て、「もし旅人のお方、少し御無心申したいのですが、」こう言うて私の前へ立ちふさがったのです。これは昔からよくいう追剝です。私は、何か物が欲しい人だなあと思いまして 「ああ、あんた何か物がいるんやなあ。」「まあちっとお借り申したらと。」こう言うのです。 「そんならあげましょう。私は今お詣りにゆく途中じゃが、みなあげます。ところが、あんたはまだもっているとおうたがいになるでしょうから 財布をお渡しします。ところが、あんたのいらんものが財布の中に入っているのです。 それはじゅずがは入っています。それを私にもどして下さい。今から津田まで行って、今晩高松で船に乗って、 奈良の生駒さんへお詣りに行こうと思うので、十円札一枚だけ貸してくれないか。」と盗人にいいました。 「十円札一枚あなたが取ってわしにつかはれ、じゅずとお金をおまはんにみなあげて、後もどりして取って来るのがたいそうなのでそれだけ」といって、頼む私が財布を、その人の手の上にのせたのです。
そうするとその人がつまえもせんと私の顔をじろじろ見て、「もうこれお返ししますわ」と言うのです。 「返してもらわんでもよろしいんじゃ。わしゃ帰ったらその位の金は惜しくないんじゃが、後返りするのがたいそうなけん財布ごとおまはんにあげて、そうしてじゅずと十円札一枚とをおまはんに借りようと思うんじゃ、かまわんのじゃ、そらそうしてつかはれ。」すると、なにか考えよるような調子で、向こうが私の顔じっと見よるのです。さあなんと思ったんですかね、こら刑事かなんかの古手と思ったんか、お詣りするという事をお話したもんですから、心の中に神様仏様というのが響いたんでしょう。お参りしよる物なんか預かると、具合が悪いというので向うは返したんだろうと思うのです。どうしても、もどすというもんですから、私は「そんなら借りていこう、で又、今度会うた時には使ってつかはれ、すまんけれどわしゃ持って行くぜ」というて向こうの手の上にある財布を私がもろうて、腰にかたく結んで、まあきげんようしなはれよと言うて別れたのです。実はちっと空元気で、恐ろしいのですけれどもそろそろ坂本の方へ歩き出しました。そうすると籔が見え、家が近づいたので、わたしは恐しいから大股でさっさと走るようにして行きました。
まあこういう事がありましたのですが、この事を考えて見ますと、もし渡すまいとして、そこで争っていましたら 向うをけがさせても気の毒だし、私がけがせんとも言えません。そういう時に、やはりこれが世渡りですから、向うもけがのないように、私もうそを言わず、正直に向うにたのんだのでございますから、つまりここは神仏のお守りがあったのでございましょう。これ等も世渡りの上で体を舟だ、心は舵だ、そうして今大坂山でそういう大きな波が打ってきた。こういう事にもたとえられるわけでございます。
泉さんは、そういう端々までも御自分が舟に乗っていた方ですから、世の中を海にたとえ人間を舟にたとえて、そうして心を舵とたとえた。私等信者のために、世の中は海だ、体は舟だ、心の舵の取りようによって無事に渡れるから、こういう所をよく注意しなさい。こういう話しを承ったわけでございます。どうぞ皆さんはこの泉先生の有り難いお話しを常に覚えてお出でになると、もし節はないのがよろしいのですけれども、色々困った事が人生にはあるものでございます。その時分に先ず神仏に頼んで自分が思案をして、そうして心のかじを取りましたならば間違いないと思います。
よくあんた方お聞きなる事でしょうが、世の中には兄弟が問題起こしたとか、あるいは親子の間がどうだとか、世間との問題がこうなったとかいう事をよくお聞きになる事と思います。その時分に世の中の事柄を自分の身にとって、ああいう時はこうしたらよかったんだろうかという風に、常にお考えになりましたならば、ご自分の徳をみがく事ができます。この先生のお教えをそういう風にどうぞこの例話もよく味おうて、ご無事にいかれん事を望みます。
(昭和三十三年七月三十日講話)
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第四十七条 「人のからだは、小さな天地と見るがよい。」
人間の体と、この宇宙です。すなわち世界です。これとくらべまして、五尺のからだは小天地である。こういう大きな問題なのです。この五尺の体は小天地という事は、泉さんがおっしゃったばかりでなくして、お釈迦様も言われておる。弘法大師も言われている。日蓮さんも言われている。少なくも一山の祖師になる方は、五尺のからだを世界中に比べて広がっている、それ位の力があるもんだ、ということをお釈迦様がおっしゃっておるのでございますが、このお話は中々我々如き行の浅いものがお話するのは非常にむつかしいのでございます。できるだけおわかりになりやすいように話をしてみたいと思います。まず天地という事から申しますと、弘法大師は、この宇宙は六大をもって作られておるという事を言はれておるのですが、この六大と申しますのは、ご承知の通り、地、水、火、風、空、識、この六つでございます。
この地というのは土地の地を書いておりますが、これは堅い性質という事を表わす。それから水というのは、水という字を書きますが、これは流れると言いますか、しめり、液体を意味しております。それから火、これは火という字を書きますが、これは熱です。あたたみ、ぬくみ、こういう性質のものを表わしておる。それから風というのは、風という字を書きますが、動揺する、動くこういう意味をもたしておるのです。それから空という字は、空という字を書いてありますが、それは融通性一つの物が外の物に変って融通していくという性質を意味しておるのです。 それから識というのは、ご承知のこれは知識の識でありまして、すべての物に心があるのだ。こういうこの六つを六大と申しております。
世界中のすべての物、例えば石であろうが、水であろうが、山であろうが、獣であろうが、草木であろうが、すべてこの六大からできておるというのです。これが六大なのです。それであれば人間の体の六大は、どのようになっておるかと言いますと、堅い性質の物というのは骨でございます。それから地水の水これは働くというのは血です。 「液体」。それから火、この火というのは人間の体に熱がありましょう。それから風これは動揺する。すなわちあなた方がお医者さんがきて注射しますと、何秒にしてからだを一巡するわけなのです。それくらい動いておるのです。 そういう性質をもっております。それから空というのは融通性。これはちょっとむっかしい言葉でございますけれども、あなた方が、ご飯をあがる。すなわち米を食べる。魚を食べる。あるいはおみそを食べる。しょうゆを食べる。こういうような物を胃袋へ入れましたならば、それが吸収せられて、人間の血となり、肉となり、骨となって行くんでしょう。すなわち融通性を持っておるわけです。米がいつまでも腹の中を通って便所へとぶのではなく、融通して人間の栄養になるわけです。これが空。それから識は、もうお話するまでもなく、皆さんは心という所の驚くべき力の知識を持っておるわけなのです。地、水、火、風、空、識の六つは五尺の体に、皆完備しておるわけなのです。
こういう点から言いまして、五尺のからだは小天地と言えるわけです。所がそんな事を知って何になるのか、あんな、むつかしい事を我々が知ってどういう人生に利益があるか。こう掘り下げてみますと、弘法大師、いわく「六大無礙にして常にゆぎゃなり、四曼茶各々離れず、三密加持すれば速疾に顕はる」と、この三下りをお大師様が書いておられる。これはどういう事かと言いますと、ただ今お話した所のこの土地の六大です。
たとえば、岩がここにあるといたしますと、この岩がいつまでも岩としてあるのではない。風化する。すなわち、さらされる。雨風にさらされて、それが次に土になってしまいます。今度それが其の上に草がはえ、あるいは米麦を作るたんぼになる。そうして、それを人間が食う。すると生き返って来る。こういう風に、六大はいつも瑜ぎゃします。「六大は常にゆぎゃなり」いつも繰り返しておるのだ、こういうのです。
仮に遠い昔はさておきまして、近い所から申しますと、こういうたとえがあるのです。障子のこの上に一粒の米粒を置く、あれは四十八あるのですが、その四十八こ目にはどの位の米がのるか。だいたい一斗か二斗位かと誰でも思うでしょう。驚くなかれ四十八番目には、千石舟に百何十ぱい積むことのできる米がのるわけです。これは米の話ですけれども、あなた方が障子の倍増しがそれ位になるという事は、単に米とせず、あんた方の親としたらどうですか。
あなた方に皆二親ある。二親にも二親がある、すなわち倍増しでございます。この倍増しを四十八代続けたら、どんなになりますか。十代したら五百十二人になるのです。二十代したら五十何万になるのです。こういう風に四十八代目まで行くのならば、其の先祖の数というのは実に驚く数になります。
これは何もそろばんの上でなく、本当に今日までの人間は、すでに五千年の歴史を踏んでおります。その先祖が死なずして生きているものとするとどうですか、六大無礙をせないとしたらどうです、其の土地の上は死がい累累として、たんぼ一つもあきはしません。犬の死んだの、猫の死んだの、人間の死んだのというように考えてみますと、六大が無礙にして、融通性があるがために、我々は生きられるのですが。もしそれが死がいは融通しない。いつまでもあるならば、ほとんど我々はもうすぐ死滅してしまわなくてはならない。歩行する事もできないという事はこれは想像じゃない。事実なのです。ただ今障子の上に倍増しに、二粒四粒、八粒、十六粒、三十二粒、六十四粒という具合 に計算しますと、四十八格目には千石舟で百何十杯の米がのるという事から勘定してです。おそらくこの世界にはあいた所が無くなります。こういう風に、六大むげにして常に喩伽やなりという事を弘法大師が言われた事は、繰り返して融通していくがために我々が助かっておるのです。
その次に「四まんだ各々離れず」とこうおっしゃっております。「四曼茶」というのは四つの軸文という事です。 これは目で見て、いろいろの形、たとえば目を開けてみれば、前には木があり、川があり、稲があり、石がありという風に、目に映る、それも一つの軸文です。平面の軸文です。又、中には動いておる物もあれば、消える物もあり、 燃える物もある。こういう事を掲磨曼茶羅と言いますが、こういう種類が四つある。この世界中には、目を開いて見る。それを絵図、とたとえてみるなれば、四つある。これを四まんだと言いますが、離れておらないのだ。六大が無礎になっとるのだから、この目で見る所のものは千変万化に変って行くのである。そうして一秒間もじっとおるものじゃないとこういうのです。これは非常に長い短いはあります。
たとえば、朝顔の花は朝開いて夕方まで待たず昼しぼんでしまう。又、蝉は土の中であの蛆虫として長くおります けれども、土用がきて鳴き出したならば、僅かに一月にして死んでしまう。こういう風に形は変っていっておりますけれども、大きな目で見るなれば一つも変っていないんだ。次々と形が変り変りしていっているものだ。こういうのです。
このように、人間のからだの六大と世界の六大とは同じものであるから、もしも人間が我心を離れて、わがという性根を離れて損じゃの、得じゃいうのを離れてしまって、なるほど自分の五尺のからだという物は、天地と同じ構造になっておるのだ。 こういう事を考えて一念三味に入るならば、天地と我々とが一緒になってしまう。これを三密という。これは以前にもお話しましたが、神さんのからだと、言葉と、心と、これを三密と言います。人間にもからだがあり、心があり、言葉がある。この三つが一緒になって天地にも形があり、心があり、言葉がある。この三つの天地と、神仏と、我々のこの五尺の体、これは同じものだという事をはっきりと疑いなくわかって、南無帰命頂礼するならば三密加持というのです。人間の性根が飛んでしまう。そうして、そこに不思議が現われるぞ。こういう事を弘法大師が言われておるのでありまして、これは今日どこの山(寺院)でもやかましく言っております。特に真言宗金剛峯寺では、三密運動と言いまして、しきりに皆さんにおすすめしている所です。
それなら、おれのこの体は五尺で十五貫五百のからだじゃが、天地というのは、とても広大な見渡す限り果てしもない大きな物と我々と一緒だ。これはどうもおかしい、こう考えやすいのです。私もそう考えた時代もありました。 所が、そうでないのであって、これはもとへかえっていきますと、なるほどという理論がわかって来る。
どうしたらわかるかと言いますと、仮にあんた方が、まずここ千年や二千年の事ではわかりませんが、何万年、何十万年、そういう昔へ逆上りますとどうですか、今のこの五尺の体がそのままにおるでしょうか。この間も新聞に出ておりましたが、五千年程前の人間の骨を掘り出した。ところが歯が違うのです。どんなに違うのか。犬歯と言って、 あんた方は糸切歯と言いますが、お医者の方では犬歯と言います。犬の歯、この犬の歯が違うのです。五六千年前の人間のはえていたその犬歯というのが長いのです。使いよったのです。今人間は、そんな牙がいらないから尖がっておるけれども、短こうに揃っているようになっているのですが、こういう風に、早五六千年で先祖の形が違います。
それがだんだん何万年、何十万年とたちますと、次第次第と我々のご先祖の姿が変っているのです。これは、あなた方疑いありますまい。それはいつも私がお話しているのですが、あんたの皮引剥いて、肉をのけてしまって、骨だけにしてご覧なさい。 あんたの背骨の下の方に二寸位尾がぶら下っているのが出て来ます。おれは尾なんかはえておらないというけれども
内らへ巻き込んどるのです。この尾がはえていた時代を言いますと、恐らく何万年昔だろうと思います。しかし、これは他人じゃないのです、我々のご先祖です。もう一つそれをさかのぼりまして、何億年となりますと最早人間の姿は全然変ってしまいます。
先ず学者の話でございますが、これは四十億年も逆上ると、もう人間の体は肉眼では見えない。それならどんなものか、顕微鏡で見なければわからないようなものです。なぜならばと言いますと、この土地は(天地)もと火の玉であったという事は小学校の生徒さんでも疑いありますまい。あんた方無論疑いなさる事はないと思いますが、すなわち、火の玉であった。その証拠には今日ほうぼうに火山がありましよう。この間、阿蘇の山がふきましたが、あれは 下が火であるという証拠です。どれ位の層に冷えているかと言いますと、この土地を百尺堀込みましたならば、摂氏の一度温度が増すのです。ですから、千尺堀れば十度増す、一万尺堀れば百度になる。すなわち湯が沸いとるわけです。それから先は火だという事がよくわかっています。だから、この大きな地球の皮も一里やなんぞ下へ堀り込むと 火だということは、皮も(地殼) 薄いもんです。その皮の下は全くの火です。これはあんた方お疑いありますまい。
このように、もと火の玉であったものが冷えて、上には土地ができて、そうして上へ虫がわいた。その最初わいた所の虫は、顕微鏡でなければ見えないような虫であるという事は、これは疑えないのでしよう。
高等動物が、草も木もないところで暮らせますか。今日どぶ地の水の中におるような、あんな虫であったのに違いないのです。これがすなわち、あなた方の先祖であるという事は疑えないのです。
こういう風にお話をしていきますと、その顕微鏡で見なければならない生き物は、どこからきたのかという事になるのです。どこもほかから来たのではありません。帰する所、火の玉の中におったと言わなければならないのです。 およそ世の中に、蒔かぬ種ははえぬと言いますけれども、この人間だけは不生の蒔かざる物がはえたわけです。 不生の原理を、お坊さんが阿字十方三世諸仏、不生の原理を述べて、やかましく言うが、其の原理はすなわち今の学問で解けば、こんなものです。生じたんじゃない。種まいてはえたんじゃない。天地その物の一部分が人間となって生命が現われたのです。これは以前にも申しました通り、こういう論法から言いますと、論法じゃない、事実がそうなのです。
この理論からいきますと、地、水、火、風、空、識、の六大の中のこの識、心というものは、まず土や岩の中に寝とると言いますか、たとえたらそうなるでしょう。どんなにしても感じないのだから、寝とる、そんなら死んでいるのかというと、生きている。草木では、こりゃ死んでいるのかというと生きております。芽が伸びたり、根を張ったりしますから、しかし人間のような、活発な心の動きがありません。まず夢を見ているようなものです。動物になって初めて目がさめて、あちらへ走り、こちらへ走り、いろいろ思うようになったのです。 こういう風なお話から言いましても、人間というものはもともと、この天地のかたわれだという事が言えるでしょう。せんじ詰めるとそうなる。即ち五尺のからだは、小さな天地だということが言えると思います。これにはあなた方は別に不思議は起こりますまい。これは私が申すのはお話の上、理論の上で申しておるのですが、事実においてそうなのです。
この天地と、我々とのからだを比べて、そうして天地の持っとる性根は、おれの性根に通うているのだ、この天地が通うとる性根をさいて、むつかしく言いますと第八識、今申しましたこの第八識、神の心、そこへ持ってきて、わがというのは無いのだけれども、わがというのがあるかの如く思っているのが第七識です。人間心です。三密加持を致しますと、我を離れて欲を離れるのでございますから、第七識じゃなくして、元の大ご先祖の八識の性根にもどるといってよろしいのです。
お大師様は、これをどうおっしゃっておられるかと言いますと、お大師様のおっしゃっておいでるお言葉は、こういう事をおっしゃっとるのです。「行々として円寂に至り、去去として原初に入る」とこうおっしゃっています。
去去として、原初に入る。すなわち「一番本元にもどって来るのだ。三密加持をすれば、本元へ帰って来るのだ」 と。本元へかえって来るというのは、どんな事かと言いますと、今日の我々のような悪い、いがんだ性根じゃなくして、天地に通う性根にかえって来るという事です。
こういう風に申しますと、何だか人間が神さんに近いように思うでしょう。実に近いのです。それで私は、この六大という事から言いましても、天地と人間とは同じだ。そんなら心の働きでどのように同じか、こういう風にあんた方は不思議に思うでしょう。 ここにたとえてみますと、塩は白い結晶でしょう。あれをひきうすでひくのです。そうして細い粉にしてしまいます。それと一方には白砂糖です。あの砂糖のかたまりを小さくして、ふるいでふるって両方比べて見ると、どちらが 砂糖か、どちらが塩かがわかりません。よく似ているでしょう。それを紙袋へ入れるのです。同じ目方に、たとえば、 一刄宛入れるとしますか、そうして塩の紙袋を十個こしらえる。砂糖の紙袋十個こしらえる。そうしてそれを、がざがざと紙袋を混ぜ込んでしまうのです。そうして、それを鼻で遠方の方からにおうて見てもよろしい。又、手で持ってみてもよろしいが、どの袋が砂糖であるか、どの袋が塩であるか、あなた方選別出来ますか。恐くむずかしいでしょう。私もできません。所がどなたにかかわらず、これを選別する力があるのです。どうですか。天地に通う性根を、みんな持っているのです。お釈迦さまも、お大師さまも、我々もそんなにかわるのじゃないのです。この天地に通う性根という第八識は、皆同じものなのです。第七識の人間根性が違うから、こんな天地の差がついて来るのです。
その第七識を眠らします。のけてしまうのです。それを今日の心理学で言いますと、催眠さすとでも言いますか、 宗教的に言いますと三味に入ると言いますか、禅定に入ると言いますか、そういたしますと、その人眠っとるのじゃないのです。禅定に入った所で寝とるのじゃない、起きているのです。起きているけれども人間根性がなくなるのです。その人の所へ持って行って、ただ今申しました所の砂糖の袋と、塩の袋と同じ粉にしてあるのを、目をくくった人の前に持って行くのです。「今ここに二十の紙袋に入った物があります。」見せていないのです。「これはどんな色をしていますか。」こう尋ねると、其の人がしばらく考えて「白いです。」「塊ですか、柔らかいですか、どんなもんですか。」というと、「粉の状態です。」とこう答えます。
その目はどこにありますかというと、くくってあるのですよ。禅定に入っておるけれども、その人の目は見えない。肉眼は見えないのです。どうです、それをはっきりと答えたのです。 「これは一種類ですか。」「いや違います。二種類です。」と、その人は答える。「ああ、二種類ありますか。なんぼづつありますか。」「十袋づつです。」とはっきり知っている。「そんなら、あなたの手でひとつ分けて下さい。」 「はいよろしい。」といって、即座にその二十の袋をあちらへやり、こちらへやりして十づつに分けてしまいます。 「こちらの方どんな味がしますか。」「甘いですね。こちらは辛いですね。」とはっきり言います。そうして今度はその人がわけた所の塩と砂糖とを人間がなめてみる。なめたらわかります。すこしも間違いがない。
其の力はどこから出たのです。そうして禅定をさめさすのです。あるいは催眠をさめさす。そうしたら、もう其の人の力は無いのです。無いんじゃない、あるのです。あるんだけれども、人間の人間根性、第七識のためにおおわれて、それが働けないのです。こういう風に考えますと、実に我々は生まれながらにして立派な力をもらっておるんだ という事になるのです。
なぜそれが使えないか。使えないというのは、この五尺のからだが天地と一緒だというような事になれないからなのです。「俺あ損じゃ」「おらぁけんとが悪い」、「おらぁけたくそが悪い」、「おらあ腹が立つ」そんなのでかたまっておりますから使えないのです。
あのお地蔵さんをご覧なさい。あれは石でこしらえてある。時によると子供がやっていて墨で口ひげをはやしてみたり、目に○○を入れて鏡掛けたような事をしておる。お地蔵さんだまってござる。おこりません。もし道歩きよる人に筆で目を書いたり、口ひげはやしたりしたら怒るでしよう。これ天地になっていない。 この五尺のからだを天地の心に合はすという事になります。
先刻申した地、水、火、風、空、識、の六大が働くのです。それでお寺さんへ行ったら、五輪塔という墓をみるでしょう。あの墓は地、水、火、風、空、の五つをもりあげた墓です。もう一つの識はどうしたのか、六つある、六大であるのに識はどうした。それは天地と同じ心であるから天地を拝むんだ。皆万人一様であるというので、五つの石を重ねて人間の肉が滅びた後へ、それを残してあがめて拝む、それがお墓なのです。すなわち人間は、僅かに五尺の十何貫の体であるけれども、これは心の置場一つで天地に通う所の大聖人になれるのだという事なのです。
泉先生が言われ、弘法大師が言われ、あるいは釈尊が言われた所の、五尺のからだは小天地というのはおわかりになりましたでしょう。
それからもう一つ、この間もアメリカ、あるいはソビエットで実験されました原子爆弾とか、あるいは水素爆弾だとか、人工衛星だとか、こういう今日は原子学が発達しておりますが、これはどういう事を意味しておるかと言いますと、世界中のすべての六大は、一つの物からできておるんだというのが、原子学なんです。元は一つだ。そんなら どんなものかというと、それは原子というもの一つからいろんな物ができとるのだ。それが此の世の縁によって色々な縁、まあ因縁と申しますか、因縁によって何と何とが組合うて、それがどないなった。そうして岩が出来たんだとか、あるいは木になったんだとか、あるいは土になったんだとか、こういうておりますが、如何なる物体でも、これを分解しつめると原子になるのです。その原子に核がありまして、それがさらに分裂する時に強い熱を出します。 それが今日の原子爆弾です。こういう風に今日の学問の上から言いましても、元は一つの物が融通し合うて、何が何にでもなる。これも以前にお話申しましたのでございますが、今から十年前でございます。
大阪の大学で鉛を、分解しつめて原子にしたのです。そうして鉛というのは原子量が百八十である。金は二百である。こういうのは決まっておりますから。鉛を分解して電子にして、次にそれを百八十の物を二百にして金ができるという理論がたつわけなのです。やってみようというので鉛を分解しつめて、其の電子を次ぎに集めて、そうして金を作りましたが、成功しまして、鉛を金にする事ができたわけなのです。
けれども人間界には経済というのがありまして、鉛を金にすれば、それはもう日本は金貨本位の国であるから、そんな事をすると世界の経済が乱れてしまって大変だ。こういう心配は無用なんです。わずかに一匁の金を製造するのに十万円からの費用を使って、鉛を金にするばかはありません。だから天地はそんな心配はいらない。けれども学問の上において、実際の上において、何が何にでもなるんだ。如何なる物でも何にでも出来るのだ。此の世の縁によって、あるいは色々のかっこうして、かわらになったり、石になり、あるいは水になり、石油になり、ローソクになる。こういう風に形は変っておりますけれども、其の元はたった一つの物が融通無礙にあちらこちら行っているのだ。
で、人間の体もその通りで、原素にわけますと十何原素しかありません。酸素、水素、窒素、炭素、燐とかがありますが、数えますと十何原素でございますけれども、これを分解しつめると、やはり原素という形は無くなってしまって、原子一つ同じ物になってしまうのです。こういう不思議な世界に我々は住んでおるのです。
これを偉い方が、五尺のからだは天地と同じものだ。それならば人間は、なぜこんなに貧弱なんか。神仏すなわち 天地の心は神仏です。この宇宙の心を神仏としてありますから、昆盧遮那仏を心と致します。このビロシャナ仏に通えないものか、通えるものか、こういう事を工夫して、いかなる凡夫といえども、立派なみ仏になれる。五尺のからだは小天地であるということを証明なさったのが、弘法大師とか、お釈迦さんです。
この意味において、あなた方もどうぞ人間根性のきたないのを止めて、神仏に近い幸福なる家庭を築くようにお進めします。
(昭和三十三年八月十五日講話)
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第四十八条 「人が神を念じている場所は礼儀を正して通れ。」
これは、私が、泉先生のお供をしてお参りしていたときのお話であったのです。
ある地蔵堂の前で、お遍路様が白衣を着て数珠をもんで、お頭を下げている所を先生がお通りになったのです。先生が、右の手をお出しになって、ねんごろに会釈をなさってそこを通りすぎた。私は、お地蔵様をお拝みになったのかと思うて「先生、今お遍路さんが拝んでおりましたのですが、先生会釈なさいました。」『うん、会釈しましたよ。』 その言葉につづいて、先生がおっしゃりますのには、人と人とが話をしている所通るのでも、その横は、下駄をひきずって通ったり、歌をうたいながら通ったり、あるいは、そそっかしい素振りをして通る事は、余り良い事でないという事は、ご承知の通りでございます。ことに、この神様の前で人が念じている場合の先生のお言葉として、こうおっしゃったのです。『これは念じておいでるお方は、どんな願をかけておられるか、わからないけれども、神様と人間が、お話をなさっているのである。そういう尊い場所である。人が助かるか、助からないか、大変なものです。人の運の上に大事な事を、神様に、ご相談申し上げている所だから、これは礼儀を正して通らないけない。でわしは、そういう意味で会釈をしたんだ』というお話でございましたが、なるほど先生は一つの小さな事にでも、信仰という事が、こもっておるのです。
ご承知の通り、先生は、学問はありません。本当に、無学文盲の方でありますけれども、その先生の、お心の動き具合というのは、実に尊い動き方をなさっている。すなわち何千巻にも書いてある有り難いお経文の真理を、知らず知らずの間に、お体へ、読み込んでおるものと、こう私は拝察するのであります。この四十八条等は大変簡単なようでございますが大事な事と思います。
これをもう一ツ広げて申しますと、仮にお隣に、ご不幸があったとします。そこのご家族は、おつらい、その横でです、大きな声でラヂオかけるとか、あるいは、歌をうたうとかしますと、お隣の人が非常に悲痛な思いをなさっているのに誠に相済まんと、こういう事に応用ができる訳です。ともかくも、他の人が心を痛めている、あるいは、思い込んでおるという場所は、やはりそれに応じて、同情申し上げるという事が、信仰という事になるのです。 この四十八条は簡単なようですけれども、使い場が、大変広いのですから、その意味でご覧になったらよいと思います。
(昭和三十三年八月三十一日講話)
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第四十九条 「我が身は神よりの借り物、大切にせよ。」
br> 我が物というのは、どういう物でしょうか。まず田畑とか、あるいは家とかは、所有権を法律の上で認められているという訳のものでして、本当の我が物ではありません。心の我が物ではありません。すると煎じ詰めていきますと 体は我がもの、これどうですか。体は我がものでないとお思いになる方まず少ないのです。信仰の最初は、信仰にお入りになっている方でも、身体は自分のものと思っています。自分のものは何々有るかと言うて調べてみますと、段々と減るのです。で仮に、土地とか、家とか、山とかを所有している者は、自分が死ぬと同時に向こうも死にますか。我が物でないのです。だから、そんな物は、我が物でないという事は、わかりやすいのです。ところが順々に、範囲を狭めていきますと、結局、我が物というのは非常に少なくなってくるのです。
最後に残るのは、我が身です。この身体は、どうだろうか。我が物であろうか。誰でも、我が物と思いやすいのです。これを先生は、決して我が物でない。神様からの借り物であるというみ教えなのです。信仰の上で六波羅密というのがあります。その中の禅行、智行、この二ツが神様の方へ、お使い申すところの一番近い行になっておるのです。その御行が届きますと不思議が起こります。あなた方常に不思議とおっしゃっておりますが、その不思議がどういう風に起こるかと言いますと、六ツの起こりかたがあるのです。
第一には、目、耳、鼻、舌、口です。それと、自分のからだ、心と、この六ツに禅行の上のお蔭というのが現われてきます。これは、よく、折々世間で見る事なのですが、たとえてみますと、まず目に映る事から申し上げます。
ある人が、大代のお聖天様へ、お参りにおいでよったのですが、私とこへ見えられて、今日拝んでおりました所が沢山な軍艦が鳴門の沖すじに現われて、戦闘艦のような大きなのもあれば、駆逐艦のような小さいのもある。それが皆日の丸の旗を立てて、そうして南の方へ向いて進んで行っていました。そうしてそれがあー、軍艦が進んで行っていると思っているうちに、パッと消えたと言うのです。これどうしたのでしょうか。こういうような、質問を受けた場合があります。
それから又ある人が、八栗山の五の剣に畳が二枚程敷ける岩の部屋があります。あそこへこもっておいでたところが、その禅行している時分に、自分という心が無くなって、有り難うて有り難うてたまらない様になった。そうして、ひょっと横の岩見た所が、その岩全体に鱗がもえている。そして、もうびっくりして飛んでお帰って、私とこへ、おいでた方もあります。
あるいは又、八栗様の御本堂の前で、折りたたみ式のあのお経文の本を手にして、お唱えをしていたのです。そうすると自分の手に持っておるお経文を、右、左、ベラベラと、あちらへやり、こちらへやり、自分がしていないのに一人でに手が、あちら行き、こちら行きして、止めようと思ってもそれが中々止まりません。ようよう静まった時に急いで、そのお経文を、自分のカバンの中へしまって、走って山を下りて、私とこへ見えられて、質問を受けた事もあります。
又或る人は、生駒さんの般若の滝へ、こもりまして行をいたしました。あの般若の滝と言うのは、皆様がおいでるあの左側の滝の方の反対側で、右の方へ三丁ほどは入った所にある滝なのですが、これは、お滝が、高いのです。五間位上から落っています。そのお滝へ、こもっていたところが、この滝をお不動様の言葉で「この滝を自由自在にあやつるから見ておれ」こういうその言葉が行する人の言葉に出てきまして、最初は背中へ滝を受け取ったのですが自分の体がじっとしておるのに、右と言うたら、右の方へサァーと滝が飛んで行く。左と言えば、左の方へ、サァーと飛んで行くのです。その般若の滝の、つい太さは、どの位ありましょうか、余り大きな滝ではありませんけれども、その水の大きさが、雨降りの日と晴天とは大分太さが違いますけれども、棒位の水の太さで落ちてきているのです。
その棒位の水の太さの滝が、前へ飛んで行き、後へ飛び、右へ飛び、左へ飛び、霧の様にパァーと散るし、実に自由自在にお不動様が滝をあっちへやり、こっちへやりして見せてくれました。という話を聞かされました。
そこで私、色々質問受けましたが、その方にお話した事でございますが、大体そういうお陰を受けるのは、六根、 すなわち身体の五ツです。目、耳、口、鼻、身、心と六場所に現われるのです。
それはなぜ、そういう風になるかと言いますと、まず簡単に申しますと、手をしきりに振る場合があります。あるいは飛び飛びする場合があります。自分がそれを止めてみようと思うても、中々止まりません。自分が止めようとしても止まるものでないのです。からだが自由にならないのです。あるいは、又、お経文を持ってお唱えしている時にソッーと目を細くして、念じ入っとる時に、お経文が大きいに大きいにに広がるのです。小さなお経文が確かに広がる。
自分の細い手が棒位になる。柱位になる。今度は、電柱位になる。しまいには、大きな手になって来る。体も足も 大仏さんの様になって来て、もう家の中いっぱいになる。こういう感じになる場合もあります。これらは、からだヘ感じるのです。そういう時分に私は、お話するのです。
今迄、身体は、自分の物と思うていたが、もし自分のものならば、自分が自由になるべきはずのものなのです。ところが、自由にならない。これは、神様が何を教えてくださっているのだろうか。この自分の物と思うておるこの五体は、神様からの借り物だ。本当は、自分の自由になるべき物ではないのだという事を、信仰の初めに教えてくれている。不思議があり出してからは、いよいよ神様の門をは入らしてくれたのではありますが、一番先にけいこするものは何か。すべてこの五体は借り物だ。我がからだは神の借り物だ。借っておって、それを我が物と思っているから一番先にそれを教えられる。ですから、手を振るとか、足が飛ぶとか、いう様な時分に、ああわかりました。私は、ただ今までは、この五体というものは、私の物じゃと思うておりました。けれども、こうしてあなたの前にお仕え申して心に念じ入った場合に、動かして下さる。それが私の自由にならぬ。いかにも私のものでない。お借りしとる物という事がはっきりとわかりましたと言うた時分にパッと止まるんです。という事をその質問せられた方にお話申しました。で、質問した方は、ためすんではありません。今度拝んだ時に、そういう事になりましたら、お話の様にお礼を申し上げます。そうしなさいといって私別れたのですが、その方が今度ご自分でにお山へ行ってお拝みになっとる時分に又、手を振ったり、飛んだり、なさりかけた、その時分に、ああ有難うございました。私はただ今迄勘違い致しておりました。からだは、自分のものではありません。もういつもお使い下さっている事がよくわかりました。 有り難うございましたと言うと、ひょっと止まってしまった。というお話を後から聞かされたのですが、たくさんおいでる皆様の中にも、そういうご体験の方もあるだろうと思いますが、泉さんも、やはり御修行中そういう事があったものと思います。それで先生はからだは、借り物だ。と、我がの自由になっている様に思うているのは、それは、人間がそう考えているだけだ。その人間、心を無しにして無我の境地といいますか。深くぜんじょうに入った場合には、必ず神様が、体を動かして下さる。と、こういう事が先生のお身の上にあったために、我々が迷わないように、この四十九条にお書きになってあるのです。
そうして、そこに、不思議な事がございます。これはお話申しておきませんというと、取り違いしますから。 我がというのが二ッあるのです。二ツあるのでない。本当は一ツなんですけれども、働く形から言いますと、二ツある様に響くのです。まずこの宗教心理学と言いますか、心の方の学問から申しますと、自分という心を第七識に置いております。最初から一ツ言うてみましょうか。六根が一ツ一ツ勘定して六識になります。
目を第一識、耳を第二識、鼻を第三識、舌を第四識、それから自分の体を第五識、心を第六識と言いましたら今度自分という、自分という考え、これが第七識です。摩那識と言いますが、これが人間の言う、私という心なんです。
まだその外に私というものが飛んでしもうた。すなわち神様につられて、宙になったという時分に、やはり私というのがあります。
けれども、俗に言う私とは全々種類の違う大きな私というのが働きでるのです。これを第八識と言っていますが、それで、ただ今私がお話申す通り、自分というものが二ツある。第七識と第八識という二ツになるのです。
さて、その第七識というのは、有るかと言いますと、これは有りません。物を食べたらおいしい、あるいはきれいな物を見たらうれしい、こういう風に我がというものがあって、好き、きらいを決めるように、思う癖がつきましたがために、きらいな物を押しのける。好きな物、だけ集めようとする。その根性前のために、我がというのが有るかの様に、昔から何万年もの間の習慣がついております。これが第七識で、人間根性と言います。これは実際ないのです。ないのですけれども昔から欲のために追い使われて、我がというものが中心になって、好き、きらいを決めるように見える。これが第七識。 これを飛ばしてしまいますと、今度この広い世界の天地宇宙のすべてのものに通ずるところの、神心、第八識、阿頼耶識と言います。これがあらわれて来ますが、それにしましても、我がという性根は、我がなんですけれども、俗人の凡夫の我がとは全然違いまして、非常に慈悲深い、大きな、どんな事でもできる、全智全能の働きをするところの我がというのがあるのです。それで、神様はそのわしが通うておるところの、その我がというのが本当のお前じゃ。 第七識の損得を考えたり、欲を考えたりするその我がというものは無いぞ。第七識のその我がというものに、借してあるのじゃ。借してあるのと同様のものぞ。という事を教えてくれる事が、この不思議と皆様が言うておる事なのです。
今日のお話は、ちょっと面倒い事なのでございますけれども、おわかりになりますか、借り物だという事です。 これはおかげを受けた方が、この中にもおありになりましょう。私の話がいかにもと体験なさった方は、よくおわかりになると思いますが、この中で、ただ今お話いたしましたのは、体の方の事を、お話致しましたのですが、この舌です。目とか、耳とか、鼻とか、身とかいうのに、お神様が移ってきた時分には、不思議だなあでよろしゅうございますけれども、もし舌に移った場合です、口に力を借してくれた場合、借り物ですから、舌だって借り物ですよ。
この四十九条に書いてある通り、我が身は借り物ですから、思わずして口へ出るのです。もの言います。たとえば、お参りに、はるばると坂道を越えて山へ上った時分に、ああ待ちよったぞ、よう来たなあ。こういう言葉かわがでに出るんです。自分でに言うて、それが神様の言葉じゃと信ずる様になって来るのです。この舌へお陰を受けた時分にはよくわかります。自分が言うたにしたところで、神様の言わしてくれたと信じとるのですからよくわかります。それと、心へ知らしてくれた場合、これは静かにわかります。口に出なくてもわかります。
しかしながら、ここで、もう一ツ考えなければならない事があるのです。先刻お話した第七識、つまり我心です。 その我心がのいていませんと、有りもせんのに欲の為に、有るように見えておるのが、第七識です。損、得とか、名誉とか、金欲とか、食う欲とか、寝る欲とか、すべて人間の欲に属するものが第七識の生んだ元なんですから、これがのき切っておった場合ならば、第八識に映った神様の言葉は正確ですけれども、のき切っておりませんというと、 二ツ有るのでないのですから、一回のものが、二ッの働きをするのです。混じって出るのです。
ここが、大変大事なところで、神様が教えてくれたお言葉であるのか、自分の第七識が混じって出た言葉であるのか、これが非常に判断に苦しむものですから、言葉や、心へ頂いた時分にはよほど慎重な態度で考えませんと、そこを取り違えると大変なあやまちをすることになります。そのようなことのないように教えてあるのが六波羅密行なん です。施行、忍行、戒行、精進行この四つが、出来切るならば、第七識は、きれいにそうじができとるのです。
そこへお陰を受けた場合には、八識がそのまま働くんですから、混じって出ません。人間と神様のあいの子の言葉は出ませんけれども、六波羅密行の施行、忍行、戒行、精進行のこの四ツ、すなわち道徳に属する方のものがでけ切っておりませんと、同じ一ツの玉に八識と我がという七識とが引っ付いているのですから、混ぜらざるを得ないのです。いかに神様にしたところで、そういう仕組みになっておるのでございますから、どうする事も出来ない。
ですから、どうぞ、この不思議が起こりまして、我が身はすべて神様の借り物である。神様に使うて頂いているのである。それには違いありませんけれども、その我が身という中には、有りません。
第七識というのが、人間に引っ付いとるのが、人間の病でございますから、その六波羅密行の内、施行、忍行、戒行、精進行の四ツがでけ切って、如何にも聖人の様になった場合に初めて、ここに真に神の言葉、真に神のお告げという事が、有るのでございますから、どうぞここを速断せぬ様にお願い申し上げておくのです。
それから、これは私が体験した事でございますが、借り物であるという事を神様が教えるのには、神様の方にも大変な御苦労があると私は思うのです。私がおこもりしました大変な荒山なのでございますが、日本海に面しておりますところの鳥取のお山から東へ向いて、汽車で半時間位走ります。そうするとアゲイという停車場があるんです。その上井で降りまして、三里程山の中へはった所にメザメのトコと言うて、大変き麗な谷合いがあるのです。
そこは、有名な役小角さん神変大菩薩さんが御自分でに、山の木を切ってきて、家をお建てになった。そこで、しばらくお住まいになった跡があるのです。そこに寺が有りまして、三仏寺という名前のお寺です。そこの後の山が、これが、今、国の保護を加えている山になっておりまして、みだりに、その中へ出入りする事を止めております。 私は、その山へ登らしていただいたのですが、馬の背とか、牛の背とか言うて、もう、まことに岩がちょうど、馬の背中位の岩の道を通って、行く場合があるので、その両脇を見ると千尋のがけです。その馬の背とか、牛の背とかいう所を通りまして山の中腹まで行きますと、大きな岩があるのです。その岩の大きさと、言ったら、さあ、どの位でしようか、高さが十間もありましょうか、幅は何十間もある。それが一ツ岩です。お団子みた様な岩です。よくもまあ、あんな大きなお団子みた様な岩があるものです。
そして、又、妙な事には、その岩の真中に大きなほら穴があるのです。下からは見えませんが、そこへロープを掛けたりして難儀をして、その穴の所迄登って行きますと、穴の中に立派な節無しのお堂があります。これが役の行者の投入堂と言いまして、とても大工さんが行って上で作ったんでない。下でこしらえた物を役の行者が投げ入れたので、投入堂という伝説がある位危険な場所です。
そこへ私は、かん難苦労して岩屋へは入りまして、泊めていただいた事があるのです。一晩、もう夜更けてきましたところが、そのお団子みたような大きな岩が、ころげるのです。今にも穴から私は、ほおり出されそうになった。
そういう事もありましたが、これは、泉先生から教えられましたので、ああわかりました。本当にあなた様がお見せ下さいましたので、私が間違っておりました事がよくわかりましたとお礼を申しあげたところが、ちゃんと止まりました。
こういうような具合に、千変万化の働きで、借り物であるぞ。神の借り物であるぞという事を、神様は教えるためにご苦労なさっているのですから、皆様、信仰の途中で、そういうような事にお合いになった場合に、どうぞ、私が申した事を思い出していただいて、立派な間違わないところの、立派な本当のおかげを受けられん事をお願いしときます。
(昭和三十三年八月三十一日講話)
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第五十条 「まよいを晴らして広い天地を見よ。何一つとして人の為にならぬものはない。」
まよいの生ずるのは、我欲があるからであります。その我慾を離して天地を見てみると、すべて人の生きることにおいてお役に立っているのであるという意味です。
裏かえしてみますと、第二条の「天地のうちに神のみ徳を受けておらぬものはない。」という、お教えの意味と一致するわけですから、そのか条をご参照下さい。
(昭和三十三年九月十五日講話)
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