381~390条

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第三八一条 「神仏のお陰は、自身を利益するだけを考えておってはならぬ。自分が神仏を慕い抜いてこそ大きなお陰である。自分の事を思わず、人の事に慈悲をかけてこそ、誠のお陰が表われる。」


三百八十条で申した神さんのお陰は、どんなにすればもらえるのかというもらい方です。「いつも人の事を思うのを、わが事のように思い、我と人とを区別すな、そうしたら何時の間にやらお陰がもらえるぞ」と、こういう事です。よく見る事ですが、学校の先生が幼稚園の子供を連れて、今日は妙見山へお参りに行くとか、あるいは大谷のお大師さんへお参りに行くとか言うて、遠足します。その時に、姉さんやおかあさんがついておいでるのです。ついておいでるのはよろしゅうございます。それは結構ですが、自分の子が、足が上へ向くほどひっくり返る。そうすると急いで起こして、打っとりはしないか。又すりむいておりはせんかと調べてさすりまわって、どろふるいますが、よその子がひっくり返ったら、こけたんかいと起こす位が関の山である。こう津田の先生がおっしゃるのです。そこに、人と自分との区別があるのです。たとえ、よその子であっても、けがをしはしないかと調べる位は調べてあげないかんぞ、と先生がおっしゃった。先生のご信心ぶりを私がここへ書いたのです。
これは大変なお陰があるという事をお話してみます。私の子供が、今、皆おとなになっていますけれども、小さい子供の時分に、はじめてこの鍛冶屋原行の鉄道が開通したのです。今池谷駅は、あそこにありますが、元は東の方にあったのです。増家という醤油屋の前にあったのです。その時分です。大麻参りに行こうといって、私は子供を連れて、でかけたのです。小森を過ぎて家の無い所まで行った時分に、汽車がヒューというてきたのです。さあ急いで行かねばという時に、向こうから自転車で走ってきた若い衆が、私の子をひっくり返した。子供は泣き出した。口から血が出ている。ところが、その若い衆は自転車に乗って撫養の方へ走ろうとしたから、私はとがめたのです。「ちょっとあにさん待ちなはれ。どこの子や知らんけれど、突っこかしといて走るって何で。起こして、けがしとれへんか調べて、心配ないという時分に行きなはれ。どこの子や知らんけど、そのままほっといたらいかんわ。」 実は私の子なんです。そしたらそのわかい衆が起こして見たら「ああ、くちびるがちょっと裂けていますけど、ほかにけがしていません。」「そうで、そらよかったな。ほなまあ、おまはん行きなはれ。」と言うて撫養の方へ走らして、私がその子供連れて駅へ行った。しかし、遅れてしまって汽車が出た後でした。ところが、不思議な事には、その汽車が転覆して大勢死んだのでございます。もし私がわかいしに話しをしたりして、暇どっていなかったら、てんぷくした汽車に乗っとったのです。これがお陰です。あとから考えたら、よう、あのあにさんに教育したげたもんだと思いました。 これは一つの例でございますが、どうぞわが子も人の子もありません。人の事とわが事とを区別すると言う事は、神様がよろこばないと泉先生がおっしゃった。それをここに書いたのです。どうぞ、そういう風にご覧を願います。
(昭和三十八年四月三十日講話)
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第三八二条 「武士道というて尊い行いがある。これはせんじつめて言えば、死をもって人の道をたて抜く事で、この人々は神に祭られている人が多い。信心するという事もほかではない。この尊い働きをせられた人を慕うて、自分もそのようにしたいと思う事が、 誠の信心である。」


これは、あんた方がよくおわかりでございましょう。武上道といえば、つまり昔のさむらい心という事です。武士道といってもいいのですが、そういうよりも信心ごころといいたいと思うのです。いかなる悪人でも、忠臣蔵見ますと、 感心せん人はないのです。人の金をとる。人殺して人の金をとった。それ位の悪い事する人でも、忠臣蔵を見ると、しんしんとするのです。つまり武士道という心に責められるのです。あの四十七士は剣道の達人ばかりでございません。足軽といいまして、昔の、さむらいのずっと下の人が大方です。知行でも何人扶持と言うて、今で言うたら日給というようなのです。年俸やいうんと違います。日給みたようなものをもらっている人、それを足軽といいます。 その足軽連中の人が四十七人集まったのです。撃剣さしたら上手ではありません。下手でしょう。けれども、このご主人のかたきである吉良上野介の首を取らいで、我々あとに残って生きていては、あのご主人にすまんと、わずかな扶持にもかかわらず、そう思っておる人が百人あまりあったのです。それが次第に減って、ついには四十七人残ったのです。ところが、どうですか、その時に吉良上野介の座敷には浪人を集めて、両刀使いの人や槍の名人や、武芸の達人といわれる人を百人雇うて、守っていたのです。それに四十七人の剣道は下手であるが、ご主人の為にわしの命をさしあげるという人が攻め込んだのです。ところが、その吉良上野介の屋敷に、やとわれておった百人の武芸者です。そういう 武者修行した人が 百人もおっても、皆やられてしまったのです。四十七人は、だれも切られとりません。一人、かすりきずが、ちょっとあった事ぐらいで、四十七人の剣道の下手な人が百人の武士を殺してしもうて、そうして、目出たく吉良上野介の首を取って、泉岳寺へ引き揚げた。これはあんた方ご承知でございましょう。私等もお参りしましたが、高輪の泉岳寺、あの門はいりますと、門の脇にその時四十七人が使うた刀をお祭りしてあります。
それから、梅が一本生えとります。門入ったら、主税さんという大石良雄さんの子が、十六才の時にもたれて「ああ、わしは梅の花のように今散るわい。ああ、このかんばしいにおい、今が死に時じゃ。」と言うた、という木が今あります。私も行きましたが、その梅の木を見た時分に、ほろほろと涙が出たのです。ああ、この梅の木にもたれとったか。年はいかんでも、えらいもんじゃなあと涙が出ました。それから上野介の首を、そばにある小さい泉で洗って、判官さんのお墓へ供えて四十七人が、お辞儀をしたという跡があります。不思議に判官さんの墓が揺れたという事です。それ位判官さんが喜んだと言う事も、これ何を意味するか。
いかに撃剣の達人であっても、それは武芸という芸じゃ。一方、撃剣は知らんけれど「なあに上野介の首取らいでおくか」と、ご主人の為に、わが命をほうって、ご主人のおよろこびを迎えようとした四十七人が、百人の達人を切って殺してしもうて、そうして目出たく首をとったという事でよくおわかりになるでしょう。芸が達者なという事と、自分の心を武士道にささげておるということと違います。
これを見てもわかりますが、あんた方でも、と言うたら失礼ですけれども、あんた方が日に日に仕事なさりよるのでも、考えてご覧なさい。家の財布をふやしてやろう、銀行の通帳ふやしたろうというて、仕事なさいよるのは、くたびれます。どうぞ、内の家を立派な家にして、ご先祖に喜んでもらおう。そして皆が楽になったら、国が楽になるんじゃから、国の為に働きましょうという事で、働いたならば疲れません。おかしいでしょう、同じ事でありながら、わがの欲でためようとした時分には、くたびれるのです。信心で働くのはくたびれないのです。 そういう風におきかえて見ると、泉先生がおっしゃった事は、いかにも有り難いと私は思うのです。泉さんはこうおっしゃった「仕事をすな。仕事はくたびれるぞ。私の仕事を神様にさしあげると思え。」とこうおっしゃった。
私がとんぐわふるのも、神様の前へお供えしよるようなもんじゃと思ってやると、くたびれんというのです。そうしたら力が借れるのです。この三八二条に書いてある事については、日に日にあんた方がなさっている事を、忠義でしよると言う事は今言いませんが、信仰でしよるとおきかえたらよいのです。そうしたら疲れません。おわかりになったと思います。そういう風にお願いします。
(昭和三十八年四月三十日講話)
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第三八三条 「同行二人というが、一人のつれは慕うている尊い人で、いつもその人がわが心の命令者でなければならぬ」


あんた方がお四国さんへおいでになる時分に、札ばさみに同行二人と書いとるでしょう。一人おいでても同行二人、一人毎に同行二人、それは何を意味しとるかと言う事を先生がお話して下さったのを、私が書いたのです。 同行二人の意味です。それはお手洗へよっても、おちょうずの戸の口でお大師様が見ていて下さいよる。便所へ行ってもそれです。寝ても一緒におって下さる。こういう訳でございますから、お大師様が思うておいでる事にそむいては、お大師様に怒られると言う事です。お大師さんは、どんな事思っておいでるかというと、このしゃばの世界に、一人でも苦労しておる人間をおくまい。喜んでいっきよる人間にかえたい。こうおっしゃる。その人と一緒に居るんだから、その心にならないかん。つづめて言えば、人の苦労をこっちが取ってあげて、うれしい心を向うの心の中に 入れかえてあげる。こういう事です。これは同行二人と言う事なんです。
で、これはお大師さんに限りません。どこへお参りにいっても同じです。泉先生のような尊い人が多宝塔にまつられておるが、多宝塔へあんたがおいでになっても、やはり同行二人です。汽車でも泉先生と一緒に乗っとる。仕事しても泉先生と一緒におる。泉先生見て下さいよる。こうすればよいのです。泉先生は決してむつかしい人ではありません。楽なお方です。人間がする事、そらいかんわとおっしゃる人でございません。ただ心だけを、どうぞ人を大事にする方へむけてくれよ、人のつらいのをのけて、喜びの心にかえてくれ、これが泉先生のご誓願ですから、何じゃむつかしい事はないのです。しよい事です。それをむつかしいに言うから、信心がしにくくなるのです。しよい事じゃが、そのおつもりでどうぞ。泉先生を信仰なさる人は、いつも首へ同行二人という札ばさみを掛けとると思うて下さったらよいのです。泉先生はらくなんです。
こんな事言うた事があるのです。「あんた方は仕事するか。仕事はすなよ、仕事すなよ。」先生何をおっしゃるかと思っていたら、こうおっしゃる。「仕事を遊べ。」と先生がおっしゃった。どういうかと言いますと、遊ぶのは、 楽なんです。面白いのです。仕事するとき、楽に面白うに笑うてせよという事です。仕事をするという事は、これでいくらもうかる、これしたらいくら儲かる、この頃日雇さんが高いから、千円いる。私が一日働いたら、それだけ残るのじゃと言うて仕事しよる。仕事を遊べと先生がおっしゃったのをみて、ようわかるでしょう。根限り仕事をせえと言うんでないのです。先生がおっしゃるのは、ソロソロでもかまわん。家族が一緒に喜んで、笑いもって仕事をせえという事です。ここを勘違いせんように。ようけ仕事をせえと言うたらくるしいでしょう。先生それをおっしゃるんでないのです。笑いもって喜んでせえと言う事です。
(昭和三十八年四月三十日講話)
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第三八四条 「怒るという事でも助ける為か、又国の為なら結構であるが、わが身の思うままにならぬので、腹を立ててはならぬ。偉い人の怒りは裏が慈悲心であるが、凡夫の怒りは、裏手がにくしみである。」


泉先生は怒るなとおっしゃらない。どうしてかと言うと、「あのお不動さんの顔見て見よ。あれ笑いよるか。きばむいて目むいとる。あれお不動さん怒っておいでる。ところが、お不動さまが怒るのは、ええ方へ導いてやろうとして目をむいておいでる。しかし人間の怒るのは、憎んで怒りよる。」と言うのです。泉先生がおっしゃるのは、怒らなくても、早憎んだだけで大きな罪がある。どうぞ怒るのはかまわないけれども、憎むなよとおっしゃった。それで、お釈迦さんも今から二千五百年前にその事をお弟子さんにおっしゃっています。
どんなに言うたかと言うと「心よからざる者の中に住みて、つゆ、憎しみなく暮らしたいものじゃ。」これどうですか。悪い人間の中に住んで、そこで一緒に暮らしても、心でその人憎まんようにしたいもんじゃと、お釈迦様がおっしゃった。これです。若しあんた方が、日に日にお暮らしなさいよるうちに、ご家庭で時に依っては気に入らん事もあるだろうと思います。いかにええご家庭でも気に入らん事、聞く場合もありましょう。いやな事聞く事もあるでしょう。その時分に怒るのは、かまわんけれども、憎むなよと言う事です。味のある言葉でしょう。
ところが憎まんのであったら怒りません。怒らないです。あの小さい時に私は灸せられた事がございますが、灸は痛い。その灸をしよる親心はどうかと言うと、やけどさしたろうと思うてしよるのと違います。悪い事するから、この悪い事やめさせんと後の為にならん。そんな悪い事、ささんようにという慈悲心から、灸しよるのです。それは痛かった。かわいそうに、これほうっておくとえらい人間になれんから、もうすなよと言うて灸をすえる。それです。
おかあさんはどないしよるかと言うと、どこでも「おとうさん、そんな灸すえたら痛いでしょう。こらえてやりなさい。」と言うて、横からあやまる。つまり、なで心のおかあさんの心も、目むいて怒って灸すえるおとうさんの心も同じ事です。形は違うでしょう。なでるおかあさんの心、目むいて怒っとるおとうさんの心、格好は違うけれども、心の中はよい方へ導いてやろうという慈悲です。これでほおっといたら、えらい人間になれんと言う慈悲心から、おとうさんが灸すえたり、ひねったりするのです。子となって考えてみましたならば、親にたたかれても、しかられても悪口いわれても、憎んでいないのじゃ、私をええ人にしてやろうと思うて、してくれているのだと思う心がいるぞと、泉先生がおっしゃった。ところがちょっとこれやりにくいのです。ここで、私がひとつあんた方にご相談ですが、踏切通る時分に、ストップといって、そこで一ぺん車が止まるでしょう。そして、両方見て汽車が来よらなければ、レール越すのです。そうしたらけがはないでしょう。あれやるとええと私思います。くそっ、あいつわしをぼろくそに言うた。いまいましいなと思う時分に、ちょっとストップするのです。そうしてひょっと汽車の事思い出す。ああストップ、これから理屈言うたろうか、けんかしたろうかと思うていても、けんかする力が抜けてしまうのです。それで怒る前やけんかする前に、ちょっとストップ。汽車の赤旗やるのです。あれひとつ、どうですか。私もひとつやりますから、皆様も腹が立って、けんかする前にひとつストップやりませんか。私もよくしくじるのです。どうです皆さん、あの汽車の踏切を越すような気持でストップやったら、先生がお喜びになるかと思います。ストップといえないから、そこでご真言を繰るのです。腹が立ったら、おんあぼきゃべいろしやなうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん」と言うと、そのうちに腹が静まりますから、そうしたらよいと私は思います。まあこれはご相談でございます。やりにくいけれども、どうぞ、そういう風にお願いします。
(昭和三十八年四月三十日講話)
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第三八五条 「弘法大師は「一を聞いて十を知る智恵」があると人がいうが、これは一字を教えられて十字を知るということでない。一つの事を聞いたら十もの道に使う事である、このようにしてこそ、 世の中の用に立つ、一を聞いて十を知る人について行けぬと考えず教えについて行けると言うのがよい、何とありがたいお言葉ではないか。」


これは、日常よく私も聞くのでございますが、お釈迦さんやお大師さんは、生まれが違うんじゃ、とても我々が、そんな真似も出来んというのがお気に召さんと思います。弘法大師は、こういう事おっしゃったそうです。「わしは人が一を聞いて十を知ると言うそうで、偉い智恵が有るように人が言うが、それは間違いであって、私は、一ツの事を覚えたら、これを十の場所へ持っていって使うという事だから、だれもその真似は出来んという事はない。」こうおっしゃっておいでます。それは一人でも連れが多いようにと、お考えになっておられたことは、まことに有り難いお話でございます。偉い人は、大体みなそうです。ご自分が偉いとは思うておいでない。ただし人より勉強しとるということだけは、たしかにお知りのようでございます。
弘法大師は、七ツのお年に仏様が、「お前様は、衆生済度の役に生まれておるのであるからして、どうぞ、仏法の方をよく腹に入れて、困っておる者をたすけてあげてくれ」とおっしゃった。その通り弘法大師は、小さい時から、早、こうおっしゃったそうです。「ははあ、人を助けるというのは、達者な人でも苦が有る、まして、病気すれば、尚更の事、又、貧より悲しいものは無いといって、運が悪うて、おいでる方も、これも一ツの苦労だ。要するに、仏様が、わしに、人を助け助け言うのは、人の心の中の苦労をのけて、そうして楽しみな事を入れてあげたらええんじゃ」と。どうですか皆様、違いますね。七ツの時に、早、たすけるという事は、人の苦労をのけてあげて、そして楽を与えたら良いのじゃ。とこういう考えは中々起きません。ただ今、宗教界でやかましく言っている、抜苦与楽の仕事というのは、弘法大師は一千百何十年前に早、既にそういう事を、小さい子供の時から、明言しております。まことにこれは、立派なお話で有ったと私は思います。 たとえば、ここに足が一本無しになっておる人はご苦労ですが、私も、足が一本、一寸具合が悪い。それをたすけてやろうたって、足を買うて来て、へばい付ける訳にいきません。そこで、お大師様は、ああ、お前様、片方足が不自由だなあ。しかしお前様には、こういう大きな任務が出来とる。神仏が、ああしてやる、こうしてやると言うて、その事実を話をして、足が抜けたのを縁故として、その人をたすけるという事が、すなわち苦労が抜けてしまって、楽しみが多くなる。こういう事になっております。お大師様は、根本的にその人の苦を変えてやると言うのではなく心持ちを変えるからして、苦が抜けてしまって、楽が得られるという事になる。こういう所のお話を、早、既に七ツの時になさっている。七つのとき仏様が、来い来いとおっしゃっているのだが、どんなにするのか、一ぺん付いて行ってやろうと思って、七ツの時にあの捨身獄へお大師さん付いておいでたのです。
うそかと思えば、「飛んでみよ。」とおっしゃるだけのことだから、飛んだら、身が木っ葉になる。しかし、お大師さんは、み仏が飛べと言うものだから、「長生きして、年がいって、一人前になった時、人を助けることができなかったら、今死んだ方が、極楽へ行ける。「飛びますわ」と言って飛んだ所が下に天人が受けとめて、岩の上へおちなかった、という話が今に伝わって、やかましい問題になっております。こういう風に、命がけの信仰でございます
これはお大師さんに限りません。どなたでも、命がけで、こういう風に、我が身を思わずして人の身を思う信仰、つまり慈悲の信仰なさるならばおかげがもらえるのです。お大師さんは「決してわしは、人より知恵がよけいあるのでない。」とおっしゃっている。つまり使い方が上手なのだ。一ぺん聞いたら、十に使うんだと、こういう事です。これは、我々を信仰に導きなさる所のお大師さんの有難いお言葉ですから、泉先生が、それを感心なさったらしい。
で、この話を泉先生が、わしは、字知らんのじゃ。又財産無いけれども、お大師さんが言うように有り難い。
一ツ覚えたらそれを十に使うのであらば、真似してみようというのが泉先生の発心だったのです。ここに泉先生の有り難いことが、現われております。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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第三八六条 「草木にいたるまで、すべて世の中の役に立つという事に力を入れているそのお陰でわが身を立てている、人として大いに見習わねばならぬ事である。」


草木にいたるまで、世の中の役に立つという事に力を入れている。仮に考えてご覧なさい。我々が朝起きて、ご飯いただいて、それぞれの用事をなさっているが、中には用事なさらん人も有ります。お年を召しとるとか、あるいは体が悪いとかいう為に、わしは世の中の為に、役に立っとらんと思いなさる人が有るかも知れませんが、そこを泉先生が思いなして、ああほんに、世の中の役に立てと言うと、つらがる人があるだろう。そこで先生は、やはり先生流でございます。草木の中にでも、皆、世の中の役にそれぞれ立っている。それで、その自分の体を世の中の役に立てるという事は、偉い人の見習いをする。つまりお大師さんの見習いを我々がする。あるいは、お釈迦さんのおっしゃった事を、我々がするという、そういう真似が出来るならば、世の中の役に立っているんだから、大変結構な事だ、と言うて、もうお年を召した、世の中の役に立たんというように思うておいでる人にでも、たすけようと先生はなさっている。
草木に例えてみましたなら、あのジャキチ(枳殻)というけん(とげのこと)だらけの木が有ります、あれを本名はカラタチといいますが、皆様は、ジャキチ、ジャキチと言うております。あれに実が成りますけれど、とても食べられません。(舌)が痛いです。酸味がひどうて、又木を見ると、もうまるでそばへ寄れません。痛うて、とげだらけで。所が、この木は役に立たんと言うかも知りませんが、あのジャキチという木は、非常にいきおいが強いのです。それで、ハッサクを接ぐとか、スダチを接ぐとか、色々な木を接ぐ台に使うのです。すなわち、世の中の足りになっております。
あのジャキチは、虫が付きにくいのです。木が強いからです。それを利用して台木に使うております。それは、結構世の中の足りになっております。もう一ツは、あのけんが、はえていますから、あれでかきしましたら犬や盗人がよう入って来ません。痛いから。すなわち世の中の足りになっております。こういう風にいかに世の中の役に立っとらんと思っているものでも、役に立つのでございます。
又、私は、昨日真福寺さんで敬老会が有りまして、そこへお参りしまして、大変感じたことでございます。お年が八十になる人も有るのに、まあニコニコなして踊るのが、非常に上手な、朗らかに、あらあ、年とっても、あんなに軽やかに、ニコニコ踊れるんか、こういう事私、感じたのでございますが、そのニコニコして軽うに踊って、皆さんに朗らかにお付き合いなしとる風を見ると、あれ若い人でも、ちょっとできぬくいことです。年寄っても、手や足が動き、 足が動くのが面白い。人に面白く感じる。ここで人をたすけとる訳です。だから年がいても、ああいう風に朗らかな生まれつきの、ニコニコしておる。面白い方は、その面白いという気風で、人をたすけとる。ああこれは、一人前、世の中の足りになっとる人だ。一人前どころでない、大きな足りになっとる。誠にお大師さまがおっしゃったようになるほどなあ、これは一つも役に立たんという人無いと言うのです。
これは、一方から考えますと、生きておる者は、天等はんが援ける。困る筈がないという証明にもなりますし、又、力が 有る人は力を持って世の中の足りになる。声に力を持っている人は、声を以って人をたすける、又笑うのが上手な、面白くすると言う人は、人を喜ばして、世の中の足りになる。こういう風に考えていきますと、生きておる間は、世の中の足りになれんという人は無いと思います。こういう事を、昨日は拝見したので私は、お大師様に手を合わして、有難うございました。一ツ悟りました。というて、お大師さんに、お礼申しといて帰ったのでございます。
いかに健康でも、八十幾才の人が四斗俵かつぐと言うた所が、そりゃ出来やしません。そんな事はできませんが、お年を召してもお年を召しただけの用事をなさりよるなあと思うて、私は感じたのでございます。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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第三八七条 「実行のともなわぬ言葉は、かえって毒になる。知らずとする事にはつみは少ないが、知って行わぬのは、神を軽く見るかたちになる。」


これは神さん仏さんでも、知らずにするのは許すのですが、知ってしよるのは、罰が重いのです。というと、わかりにくうございますが、わかりよいように申しますと、あの三ツ子です。ようようあひるが歩くようにして、よちよちの三ッ子、している事はだれも怒りません。結構なお座敷へ連れて行って、そこでおしっこしたって、ああ、ああと言う位の事でして、決して、ああいやらしい子だなあとは言いません。知らんとしよるのですから、結構なお座敷や言うの思いやしません。それと、人の物と自分の物という自他の区別がありません。小さい子ですから、自分の好きな物があったら、どこからでも引っ張って来る。という癖があっても人は憎みません。知らんとしているから罪がないのです。これを先生がおっしゃる。
それから又、古墳というのがこの吉野川の北の山の根には沢山ございます。これは昔の偉い人を祭ったお墓でございまして、念が入っとるのであったら、朱で詰めてございます。そうして、その中へ宝物とか、あるいはその人が大事にしていた道具を中へ入れまして埋めてあるのです。大きいのでございますと、幅二十メートル以上も有ります。 そういう大きな墓地を造っとるのです。それは古墳として、今出よります。所が、見付からん場合は、その上へ、木を植える、あるいは桃を植えるとか、みかんを植えるとか、あるいは梨を植えるとか何とかいうて、そこを開いて、その上へ肥をかけます。どんどんその上で収穫しとります。しかしながら、それはわかりませんから罪が無いのです、 知らんとしているのです。古墳として、掘り出した以上、これは昔のお方じゃというので、祭りよります。これ等も知らんとしているから、罪が無いのです。 ご承知か知りませんが、これは河内にくらがり峠という峠がございます。くらがり峠と言うと、おわかりになりにくいかも、知れませんが、大阪のあの生駒行の電車に乗りまして、トンネルの手前に石切駅というのがございます。
あの石切駅で降りまして、それから山を越えて、その山の向こう側にお祭りしてあるのが生駒の聖天さん、その間の山を、くらがり峠といっていたのです。昔は、そのくらがり峠、これは昔の話です。そこに山くずれがありまして、観音さんが祭ってあった。観音さんがどこへやら行ってしまったのです。くずれて谷へ埋まってしもうた。という大昔の話であったのでございます。けれども、その上を人がどんどん通って、くらがり峠という位ですから、木がたくさんはえとったのです。そして河内の方へ、大和の方へ越えて行ききしていたのです。ところがさすがは、お大師さんも、あの石切さんから南の方へ、お越えになりよった所が、そのくらがり峠の真ん中へ行きますと、ヒョッとつえが土地へ突き立って抜けん。そして、お大師さんがお伺いしてみると、この下に観音がいる、観音様がいかっとる。
掘ってくれ、というお告げが有ったので、お大師さんが、そのつえを庭へ突き刺しておいた。これが、ただ今ございます所の石切さんのお庭の高野まきです。あれ一かかえもございます。あれは、枯れたそうでございますが、私が行っていた時分には有りました。そうして、谷を掘った所が、観音様が足を上へ向けてさかさまに埋まっていた。お神様でも仕様がない。天然自然にはどうも仕方がない。そうしてお大師さんが掘り出した所がもう色彩も何も有りません。
私拝見しましたが、もう木の目が入っておる、立派な観音さんです。その観音様を掘り出しまして、これをお祭りしたのです。これが聖天さんの元、社です。その時には、やはり知らんとその上を通って、皆様行ききしていたのです。お大師さんのような偉い人だからわかったのですけれども、知らんと上を踏むのでございますから罪は有りません、こらえて下さったという風に、泉先生にお聞きになったのです。泉先生も、そこを六百遍も通ったのですから、よく知っておいでるという話を私お伺いしたのでございますが、このように知らず知らずにする事には、罪が軽い、知ってする事は重いと、こうなっております。
だからもし知らずに心配していると、そらもう恐ろしゅうて世の中歩けません。知らんのは、神様が許してくれるというような事を先生がおっしゃりました。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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第三八八条 「神仏に縁の深い人は、大きな変動の有る時常に練習しているから結構に乗り切る事ができる。平常に最悪の場合の心ぐみが肝要である。」


この神仏に 関係の深い人、言い換えると、信仰心のある人は、大きな問題に会っても、びっくりせんと言うのです。動揺しない。それは常々、色々なつらい目に会うとる事を、たすかっては有り難いと思い、たすかっては有り難いと思いして、それが重なっておるから、大きな問題に慣れておりますから、こたえんのじゃ、こう先生がおっしゃった。それをもし、難儀に会うと、つらい、つらい、ああ私はつらい、天道さん、聞こえません。これだけ頼みよるのに どうしたんかいなという事になると愚痴になるのです。難儀に会うて、愚痴こぼすなと先生はおっしゃりました。
これをどうぞ、乗り切らしてもらいます、という心になって来ると乗り切れる。ああ有難う。難が助かりましたという。そういうのを重ねておるから信仰のある人はきもが太い。物に動揺しない。こういう事になる。
面白い事がございます。これは、笑い話のようでございますけれども、秋も末のころ、ほこほこと小春日和で、ぬくい所に、かきの実が赤くうれていたのです。じゅくしを竹で突き落として、ああ、甘いッといって、かきの木にもたれて、うとうとと昼寝をしていた所が、その人、目をまわしてしまったのです。これは、大変じゃと言うので、家族が飛んできて、医者を呼んで騒動かえして、まあ、正気にかえったのです。後でよく聞いてみると上から、パターンとじゅくしが頭の上へ落ちてきた。それを、じゅくしと知らず、立って寝ていましたから棒でなぐられたように思った、
ああ、いたッ、と言って、頭へ手をやったところがどろどろした物がふいてきとる。頭から、そうして、なでてみた所が、赤い血がべったりで頭の中から、沢山、脳みそがふき出てきておると思って目をまわした。じゅくしに目をまわしたという話を、私聞いたのでございますが、これは、びっくりする人の話です。信仰する心にたけておる人は、難儀に会うて、たすかって喜んでお礼申しつけておるから、そんな事にはびっくりしません。熟柿位には目は廻しません。これはまあ、じょう談の話ですけれども、泉先生は、常に難儀に会うと頼んで乗り切れとおっしゃった。そうすると、次第次第と、心が丈夫になって恐れる事がないようになる。
ここのお寺さん(真福寺)の手水鉢見てご覧なさい。手水鉢に文字を三ツ掘り込んであります。無、畏、山と書いてございます。恐れる心がないように守って下さる、手水鉢という事です。これ、だれの事かというと、ここのご本尊は、観音様でございますから、観音さんにお参りする人の心の内には、恐れがないように、ビックリがない様に困る事がない様にしてあげる、手水鉢の名でございます。
こういう風に、これは、真福寺の話でございますけれども、泉先生は、お参りするたびに、そういう事を、お考えになった人です。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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第三八九条 「人の世と神の世とを結ぶ縁の綱(ジュズ)、この綱をいつも離してはならぬ。これを形どったものが念珠と心得て、ゆめおろそかにしてはならぬ。」


数珠は、講釈いたしますと、玉は百八ツでございます。人間の心のうちには百八の煩悩がある。それを神仏という親の玉へ結びつけておくと、安穏であるという事を言うのが数珠の講義でございますけれども、泉先生はむつかしい学問のような講釈おっしゃらずして、この数珠と言うのは、人間の世と神さんの世とを結びつけてある綱じゃと。
いつも同行二人という風にどんな問題が出来ても神さん、仏さんと結び付けて判断してみよ、すぐわかる。もう、これは考え込んでしまう必要がない。数珠をがりがりともんで、ああ、ほんに、これは、人間の世と神さんの世とを結びつけた、綱じゃ、その綱にすがって、たすかってもらいましょうというと、すぐに思案が出来ると、先生はおっしゃいました。先生は、何事でも、学問を土台となさらず、又文字をお知りにならんのですから、こういう風に考えるのです。神さんの世と人間の世とを結びつけてある綱じゃ。それが数珠じゃ、それを首に掛けとるのじゃ、何か心配な時や、自分が頼む事困る事があったら、その結ぶ綱で、ガリガリともんで、どうぞと言うたならば、必ずその結びの綱が、結構な判断をしてくれるという風に先生がおっしゃる。これは面白い判断じゃと思うて、書いたのでございます。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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第三九〇条 「長者というのは、金持ちばかりを言うのでない。ほんとうの長者というのは何が無くとも喜べる心の宝を、沢山持っている人を言うので、ふえず、へらずの福俵、わがも喜び、人にいくら施しても、減るものではない。」


世の中で、あしこは、お長者だとかいう、その長者というのは、大抵金の沢山あるうちを長者と言います。ところが泉先生は、そんなの長者のうちにならん。金が有ったとて、金を無くしたら、貧乏でないか。そんなもの長者と言うのでない。三九〇条に何が無くても喜べるように、心の底によろこびの宝の蔵が建っとるのが、これが一番、有り難い。これが長者じゃというんじゃ、と申されます。なる程、いかにもなあと思いました。
いつか、私がある学校へ行きました時に、校長さんが、何か話をせよ、とおっしゃる。にわかの事で、私も別に子供に向いて話しをするような資料を持っていませんから、差し当たり、こういう話をしたのです。皆様、長者というのが有りますね知っていますか。長者というのは、金を沢山持っておるのを、長者と言うのですか、どうです、その答をきくまえに、みなさんにきいてみましょう。あなた方、ここに偉い人がいて、「頼みます」と一言いうと一番ほしいものを何でも一ツはくれるんじゃとすると、何もらうか、と聞きました。すると ある生徒は、「私は、いくら抜いても抜いても出てくる米の俵が欲しい。」なるほどなあ。俵に竹の筒んぽ突っ込んだら、いくらでも米が出てくる。いくら抜いても抜いても出てくる。こらもう面白い話です。さあ、こちらの人はどうじゃと、言うと、「私は、お金がいくらでも出て来るお財布が有ったら、ええと思う。」なるほど、これも面白い。それから又、その次に、どうですと言うて、聞いたところが、「何ぼにも死なん薬が欲しい。」と、まあ沢山の話が有りましたけれども、三ツ位に置いて、今から、私が皆様のご注文ののぞみをさばいてみます。何ぼしても死なんという薬がもし有ったとして、飲んだとします。死にませんぞ。どんなにしたって死なん。家族が皆死んだって、一人残っとらんならん。戦争して鉄砲で打ったって死なん。痛いだけで死なんどうですか。これ具合がよいかいなといいますと、その子は、ああ、いかん、いかん、そらいかんちゅう事になってしまいました。
その次に何ぼでも米が出て来る。これどうかな。米がそんなに出てくるんで有ったら、もう仕事せんようになってしまう。米や金が出てくるのであると、道楽者になる。そんな事になると家が栄えますか。栄えませんでしょう。働きせんと、遊んでばかり居る人ばかりになってしまう。これも宝でない、こういう事になって三ツながら皆落第。
「そんなら、何が一番宝物なら」と子供が聞くから、私言いました。心がうれしくてうれしくておれん、金が有っても、無くても、そんなの問題にならん。長生きしようが、しまいが、人間として、生まれて来たら、もう、うれしくておれんのじゃ。どんな事があっても、うれしい事ばかりがわいてくる宝物を持っていることが一番ええという考えに皆様が、おちついてきました。私は話しをつづけていまいったことを、ただの話しとせずして、どうぞ生活の上で日に日に面白い事が腹の底からわいて来て、うれしくておれん。というようになって皆様の、家族中が、揃って実行すれば、これは目出度い家族が出来ると思います。
どうぞそういう風に工夫していただいたならば、泉先生が喜ぶと思います。
(昭和三十八年五月十五日講話)
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