341~350条

TOP

第三四二条へ 第三四三条へ 第三四四条へ 第三四五条へ 第三四六条へ  第三四七条へ 第三四八条へ 第三四九条へ 第三五十条へ

第三四一条 「人間の理屈を捨てて、まずわが身の力量を考えてみよ、何一物として自分が造り出せる物はない。自然に与えられたものに、 工夫をつけるだけのことしかできぬ。その工夫をつける考えもだれから授けられたか、こう考へてくると、そろそろ恩を思い出す。これで恩にむくいねばならぬと、お礼をいう心になった時が信心の始まり。」


お百姓の方であれば、稲を作るのに、もみを蒔いて苗代をこしらえます。苗がのびてくると、それを本田に移します。田植をします。そうして肥料をやり、虫を払います。秋がきたならば、立派に米がとれます。この米はお百姓の方が米を製造したのではありません。もみを土地へ放し、田植をし、稲が成育するにしたがって、分けつして株が大きくなる。やがて大きな穂がでてきます。その穂の先には八十から百以上のもみがついております。これはもみ一ツの力が天とうはんの力を借りて大きくなったのであって、ただ人間は草をとったり、肥料をやったりして、お世話をするにすぎないのです。決して人間が米を製造したといえません。ただお世話しただけです。このように考えていきますと、人間が作るものは、ほとんどないのです。生命のあるものは、人間の力ではつくれません。あのメダカ一匹でもつくれません。かえる一匹でもつくれません。あれは自然の恵みによってふえているのです。生命のあるものは、人工的にはできません。ただお世話するだけのことでございますから、そこを勘違いしてはなりません。 そう考えていきますと、田んぼにできるあの稲、れんこん、すべて農家の方が作っておいでる作物は、土地の力や温度や、しめり、光線などの関係で成育しているのであります。その収益は、ちょうど天とうはんから、世話賃をくださったんだと、こうみてよろしい。そういうことになりましょう。考えると、米がどんどんとれることに対して、ああ、ありがたいということになります。つまり天地の恩を、そこで感じるようになります。米粒一ツにでも、天地自然の恩ということがわかります。
私が算用したことでございますが、一粒のもみが十何本に分かれます。そうして、その十何本の穂の先に、七、八十から百何十位もつく場合があります。そうすると、一粒の米が何千にもなるわけです。かりにとれた米を一粒も食ベずに、毎年毎年蒔いてゆくならば、どれくらいのものが、できるかといいますと、実に大きな石数になります。わずかに一粒の米で、何年かたつと世界中の人をやしなえるということが、ソロバンの上で、でてくるのです。これくらい土地からは、ものがそだっております。それで土地の神さんを、地神さんとして念じておるのは、道理の話でございます。水とか、お日さんとか、空気とか、土地などのご恩に対して、ありがとうございますと念じているのが、地神さんのお祭りでございます。
こういう風に考えますと、人間は、ほとんど恩を受けていないものはありません。実に大きな恩を受けております。
人間は、生まれましたならば、だれしも恩を受けていない人は一人もありません。どんな恩を受けているかといいます と、これを四恩といいまして「神さんの恩」「親の恩」「世の中の恩」それから「土地の恩」こういうようなふうです。もっと小さくわければ、沢山なことにわかれてきます。このように恩を受けているのでございますが、この恩なんかは、うけとれへんと思う人があると思います。「なんじゃ、ほんなこと考えなくても、なんぼでももらえるでないか、なんぼでもつくれるでないか。」というような、そういう方には、お陰が少ないことになるのです。生まれたならば、恩を受けていない人は一人もないので、この恩を日に日にの生活でお返ししているのだ、と考えていけよと先生がおっしゃったのです。
どうですか。人間はかわいがってもらわなければ、恩がないとおっしゃるかもしれませんけれども、そんな方は少ないと思います。ご飯一ぺんよばれても、これ大変な恩でございます。天地の恩、親の恩、お師匠の恩とか、あるいは、国の恩とかいうふうに、恩をわけていきますと、ほとんど人間生活の全部が恩で生きているのです。ご恩で生きている、この恩を知らんというと、まことに恩知らずということになりまして、人間のねうちがないわけでございますから、どうぞ泉先生のおっしゃるように、日に日に目がさめたら、ああ、ありがたい、ご恩になっているということを、思わないといけません。
先生は、朝起きると、いつもそのようにおっしゃっていました。朝、目がほころびたら、お礼申上げ、日が暮れたら 「今日一日は、どうもお陰になりまして、ありがとうございます。今休ましてもらいます。」といって先生は、お休みになる。そうして明くる日起きたら「ああ、お陰で、今日もきげんよう起きられました。どうぞよろしくお願いします。」これが先生の、日に日にでございました。つまりご恩に対してお礼をいっているのです。どうですか。あんた方にもそういうことをなさっている方もあると思いますが、そういう風にお考え願うならば自然に泉先生の教えが身につくわけでございます。「わしは親から、なんじゃもろうとらん。親の恩は受けとらん。」という人がありますけれども、それはそうじゃないのであって、もし貧困にして何物もなかって、親がそのないなかで、不自由して大きくしてくれたことを思いますと、分限者の人が、親が沢山のものを残してくれたよりも、貧しい中で、お世話になったということは、大きな恩をいただいとるわけでございます。親から物をもろうとらんから、恩はないということは、言えないわけでございます。
ある捨子が小松島市の施設にお世話になって三つか、四つかになった頃、ある子供の無いところへもらわれていったということが新聞に出ておりましたが、その子が大きくなってもです。「私は捨てられた子だ。親に恩はない。」とはいわれぬわけでございます。親がかわいい子供を捨てるのには深い理由があってのことで、一応や二応で捨てとりはしません。捨てるときにも、だれかの手によって大きくなってくれよと、かげから手を合わして、泣く泣く捨てとるのでございますから、その親の涙というものは、実に慈悲のこもったありがたい涙です。それで、恩を受けていないとは、なかなか、いわれません。生まれて蝶よ、花よと何不自由なく大きくなった人も、幸福でございますけれども、捨てられた子も、又親の深い慈悲をうけているわけでございます。
こういうわけでございますから、どうぞ、いかなる時といえども、恩を受けていないということはないわけでございます。考えようによりますと、もの言うのも、息するのも、これ皆ご恩でございます。なぜそんなことを恩というかと申しますと、かりに呼吸するにもいきがつまってごらんなさい。こりゃ苦痛です。こういうことを考えたら、ああほんに、健康にして息が自由に出来る。ありがたいことじゃといえるのです。息一つするのでも、礼が言えるのでございます。
それで泉先生が、いつかこういうことをおっしゃいました。「皆さん、一生、生きておる間に、有り難いと思う数の多い人が運がよいのぞ。幸なのぞ。一生喜んでいけるんぞ。神さんのお陰受けられるんぞ。」なるほど、考えてみると、目がさめて寝るまでの間に、有り難い、ありがたいと思うことが多いほど人格ができ、人にも好かれます。その反対に、朝から仕事のことばかり考えたり、お金のことばっかり考えて理屈いうと、それは人にきらわれます。ありがたみがありません。そうして世の中に交わっていくのに、人に軽く見られます。大け運が悪くて損です。泉先生は そういうことをおっしゃっております。どうぞ、すこしでも、自分が考え出して、ああこれ恩じゃ、恩がなかったら大変じゃ、息一ぺんするのでもありがたい、と思うような心が出来たならば、もうその人は運がよいぞ。世の人にかわいがられる。神仏にかわいがられる。得じゃ。金があっても、なくても喜んでいけるんですから、これくらい極楽の世界はないと先生がおっしゃいました。
皆さんはどういう具合に恩になっているか、しずかに天地の恩、親の恩、社会の恩等を探してごらんなさい。ことごとく恩になっております。泉先生は、なかなかお考えの深いお方であって、「村木さん、わしは芋が好きじゃが、芋おいしいでよ。」というて、いもをもちあげてまるで、でこをまわすようにして、おいしそうに、あがったことがあります。その時分に先生がおっしゃるのに、「これ私が弱かったら、これのどへも通らず、おいしいに食べられんなあ。ありがたいことじゃ、これおいしいに食べられる。」こんなこというて、心からお喜びになったのを私聞きましたが、ものの味ということでも、それですな。
今、日本の国で、いろいろの料理ものができて、天皇陛下はじめとして、下人民にいたるまでが、おいしいものを、いただいておりますが、いろいろ上等の食べ物、下等の食べものもありますけれども、健康でお腹がすいておるときほど味のよいときはないでしょう。いかに上上の暮らしをして、立派なご馳走をこしらえましても、体が弱くては、おいしい味はありません。ほんにおいしいというのは、達者でお腹が空いているからです。ありがたいことです。
お腹がすいたということで、お礼がいえるでしょう。この三四一条にはそのことを書いてあるのでございますから、一つあんた方も恩になっとるということを考えて下さい。人からもろうたんでなければ、恩がないということではありません。自分がこしらえだしたのではないのです。すべてのものは、天とうはんがこしらえたのです。米粒一つでもありがたいなあ、という声が出るのでなくては、ほんとうの信仰でないと先生がおっしゃった。いかにもその通りでございます。どうぞここをよくお考えを願いたいと思います。
(昭和三十七年十月十五日講話)
TOPへ

第三四二条 「信心する人のいろいろ一、ものを見、聞き、よくしらべて、なお理屈の上でためしてみて後に信ずる。 一、煙の上がるのを見届けて火があると信ずる。 一、聖者の教えをそのまま信ずる。」


信心する人のいろいろと題して、信心のしかたを書いてあります。これは簡単に書いているのでございます。お陰を受けた人が、物を見たり、聞いたりした時分には、不思議なことがあるのです。木の枝があっちへゆれ、こっちへゆれして、風のないのにゆれることもございます。実に不思議なことがあるのです。ところが、そんなはずがない。風がないのに枝が動くか。山の木がこいというて、こっちへまねきよるような、そんな寝とぼけたこと、つまらんではないかと、いってしらべた上でなかったならば、信用せんという人がある。又時によりますと、夜道を歩きよりまして、不思議に自分の影がひょっと通る道にうつる。これあとから火がきよんかいな。お月さん出たんかいな。あっ、いやいやこりゃもったいない、ありがたいという人がございますが、理屈いう人は、光がないのに前へ影がうつるかというて、その理屈をしらべてみなんだら信用せん。そういう人には不思議はおこりません。不思議がおこらんのです。
例えてみますというと、煙が向こうの方に見える。あれ煙かいな、そこへいってみて煙りじゃ。煙りがあるんであったら、下に火があるなあと探してみて火がでてきた。煙が出よると思うたら火であったんか。こういうふうに調べなんだら信用せん人があるのでございます。ところが信仰はそういきません。時によったら、煙がなくても煙があるように見せられることがございます。又火がなくても、そこに火があるように見える場合があります。これが信仰の上の信用のしかたというのでございます。
又、聖者の教え、例えば、泉先生がお教え下さった事をそのまま信じて、そうして何事も先生がおっしゃる通りじゃと信用していく信心のしかた、これが一番よいのでございます。調べて理屈の上でなかったなら信用が出来んなどいうようなことは、もってのほかのことでございます。どうぞ、こういう風に偉いお方のことを調べてみたり、理屈の上で考えてみたりせずして、そのお方の人格を尊重して、進んでいくことが一番よいのでございます。
(昭和三十七年十月十五日講話)
TOPへ

第三四三条 「物と物との間には、必ず一つの働きがあるように、人と人との間にも、働きがある。この場合に人間根性をはなれて、慈悲心に燃えていたとすると、向こうの人の一切は、心に写るべき力は神よりめぐまれるべきはずである。」


物と物との間に、必ず働きがおこるということは、天地自然の働きでございますが、たとえば、高い高い何百尺の高いところに避雷針を立てまして、上の方から線をひいて、高いところと低いところの線の間へ電球をもっていきますと、火がつきます。小さい豆ランブぐらいの火がつく。これはすなわち物と物との間には働きがおこるということです。それからもう一つ、これは何でも、そうなんですが、働きのよくわかるものと、わからないものとございます。
けれども、物と物との間には必ずおこるのです。ある西洋の学者が、窓の棒とうに標本としてつるしてあるカエルの足が棒とうにさわったり、離れたり、さわったり放したりするのを見て、なんでこんなに標本にしてあるのに動くのであろうと調べてみると、電流がかよっていたということがわかりました。 物と物とのありかたには、ことごとく働きがあるのでございます。コイルといいまして、鉄のかたまりに、針金をたくさん巻いたものを磁石の間でまわしますと、電流が起るのです。こういうふうに、物と物との間に、必ず電気がおこるのです。夏がきますと雷がよく鳴りますが、あれも土地と雲との間にプラスとマイナスの電気ができて引き合う、これが雷さんです。又、雲と雲との間にも引張り合いがあります。かみなりは、大抵が雲と雲の間で、おちあっているのです。土地落ちるのは、まれです。
こういう風に、物と物とには、必ず働きが起こるということが天地自然の働きでございます。ところが、人間と人の間にも起こるのです。これは、むつかしいことでございますけれども、近頃有名になりましたのでございますが、人が思いこむ念力です。この念力が、ほんとうに、我を忘れた念力になりますと写真に写るのです。これを念力写真、略しまして念写というとります。これは、最初は疑われたのでございますけれども、ただ今ではもう学術実験がすみまして、立派に念力写真はあるということになりました。
このように、人と人との間には、目にこそ見えませんが、一つの働きが働いているのです。この働きは、偉い人になりますと、探知するのです。感じるのです。泉先生のごときは、先生の前へいったその人がしたことは、皆、先生はご承知なんです。これはすなわち、物と物との間に起きる働きでございますけれども、そういいますと、これは学問になるのです。物理学になるわけでございますが、精神的にいいますと、心と心との間に、又それが働くのです。
ところが、同じ働くといいましても、自分という性根でおりますと、つまり、あれ欲しい、これ欲しい、これきらいだという風に、好ききらいを言うて、自分というものを一番大事にし、自分という心が働いておりますと、その働きがおこらないのです。妙です。自分という働きがなくなって、そのかわりに、慈悲という、人の身も我が身の上も一緒であると、自分を忘れたところの心、それが働きますと、向こうさんの心のうちが、こちらへかようて来る。そうすると、人も我も同じものという事になってしまいます。
昔からよくいいます。あの同行二人といって、お大師さんと一緒に歩いているのだというように、自分というものがないようになって、その人と一体になりますと、うつってきます。それをむずかしい言葉で平等観というております。それを、ここで先生がおっしゃったのです。
物と物との間に、どうして働きがおこるのかといいますと、それは人間根性をはなすとわかってくるのです。これは、先生がおっしゃったのです。先生は学問的におっしゃりません。又、そういう理論的なこといいません。人間根性の我というものを忘れてしまって、かわいそうにとか、人の身を案じるとか、人のことをわが身と同じように思う心です。それが働くと、わかってくる。こう先生がおっしゃった。先生とお付き合いなさった方であるとわかるのです。
私がお付き合いした時に、私は阿波におる、先生は津田においでる。それに先生は私のことよく知っとりました。
ある時、先生と、生駒さんへ何月何日にお参りにいくという約束しまして、私は岡崎でのることにいたしました。 岡崎から船が出よったのですが、今ありません。ところが、ちょうどその約束の日に、どうしても出ぬけられぬような用事ができたのです。これは、相済みませんとお申しわけのしようもない。先生、どうぞこらえて下さい。用事がすみましたら、先生のお帰りにおともして、さぬきまでまいりますから、といっておわびしたところが、先生はご自分のお家で、今から生駒さんへお参りにいってきますと、お宅で神様にあいさっをなさったそうです。そうして二、三人の信者をつれて船に乗る時分に、「ああ村木は今日乗らんぞ、今日乗らんぞ。」とおっしゃったそうです。先生は、 おともの人に「村木は、今日、用があって、こん。こん。津田へくるわ。」とおっしゃって、いこまさんへ、おいでになったことがあるのです。これなどは、そうです。
私は阿波におって、先生におたのみしてあるのに、先生は、ちゃんとご承知であったのです。そうして生駒山へお参りして、お帰りになったところへ、私はおわびにまいったのです。お申しわけに、先生のところへまいったのです。
先生、ニコニコして「よう知っとる、よう知っとる。」とおっしゃった。これが三四三条に書いてあることです。
ことさらに私のことを、いちいち、はしからはしまで ご覧になるというわけではありませんけれども、ときおり、こういうふうに、先生がようよう知っておいでることがあるのです。これは、どうしてわかるかといいますと、今ここに話してある通りに、人と人との間には何か働きがあるのです。それが先生は、人間根性をはなしておいでる。つまり神様のようになっておいでるから、わかるのです。こう私が申しますと、そんなことあるかなあとお考えになるかしりませんが、日に日にご覧になっているテレビです。しかけさえあれば、今晩私が話している姿や、形や、声が、その通り遠方へ伝わっていくのです。物と物との間に働きがあるのです。ただ、そういうことを、我々が知らんだけの事でございまして、それを受けとるところの機械をすえたなら、たちまちわかります。ラジオもあの通り、テレビもその通りです。偉い人には、心に電波が伝わるということになるのです。ただ何も見えません。ただ働きがあるというだけのことです。このことを先生がおっしゃったのです。
物と物との間には必ず働きが起こる。この場合人間根性を捨てて、慈悲心に燃えていると、向こうがわかるのじゃと先生がおっしゃった。まったくその通りです。
(昭和三十七年十月三十一日講話)
TOPへ

第三四四条 「神仏のご恩を知らずして、暮らしている人は迷える人、この道を理として研究している人は学者、これをご恩として感謝している人は信者である。学者の収穫は人間としてできる範囲の事だけであるが、感謝の裏には無限のお陰がある。」


学者の収獲は、人間として できる範囲の事だけしかわからない。恩として感謝するところの裏には、無限の力があらわれてくる、ということを書いてあります。たとえば、水がなかったら、大変でございましょう。その水はどうしてできるか、又多量につかっても、つきないのはどうしてか。それは土地の下に地下水があるからです。又、空の雲は 冷たい空気に会うと、それが雨になって降ってきます。この水が多くもなければ、少くもない。機械をうごかしたり、飲料水にしたり、船を動かしたり、我々の生活上に、都合よくめぐんでくれております。これは神様のお仕事です。
こういうふうに、水一つ考えても、ああ、ありがたいなあ、という心になりましょう。
又、呼吸作用について考えてみます。一度空気をすいこむと肺の中の血管へふれます。そうすると空気の中の酸素が血液にふれて、その血が洗だくができるのです。あなた方ご承知でしょうが、黒っぽい血と、きれいな赤色の血と、二種類あります。あれを静脈血、動脈血とわけております。血液は体内でいろいろな仕事をする。その仕事をすると、血がよごれてくるのです。よごれると血は又肺へきます。よごれた血は黒っぽく見えます。息をしてすい込むと、空気の中の酸素で、きれいに血が洗濯されて、あっさりした色の血になります。こういうふうに、息一ぺんするのでも 我々が助かるようにできとるではございませんか。
話が又変わりますけれども、水族館です。撫養にも水族館ができておって、魚をたくさんかっております。水の中へ魚を入れておけば、死ぬことはないと思いなさるかしれませんが、あの水は、よごれるのです。魚が息すると、水が汚れてきます。酸素がなくなるのです。酸素がなくなると、魚が息できません。浮いてしまいます。それで酸素を補給するために、新しい水を運んで入れています。水族館でごらんになった人あるでしょう。それから又、水そうの底へ、いろいろの水草を植えるのです。そうすると、その草の養分として、魚のだしたよごれものを草の根がすうたり、草の葉は魚の出した炭酸ガスを吸うたりして、葉の裏から魚に必要な酸素を出すんです。それで水族館で魚をかってある中へ水草を植えます。両方が助け合いするのです。その草は魚がよごしたところの水を吸うて、自分の養分にします。そうして自分のすったものから出たかすを出す。酸素として外へ出すのです。その酸素が水の中へ溶けるのを魚がすう。こういうふうに、互いに助け合いしとります。あんた方、これはご承知でしょう。水の中も酸素が溶けとるのだ。
あの海の、白いところの水の中に、沢山の魚がおりますが、これどんなにしているかといいますと、風が吹きます。波が立ちます。あの白い波が、空気をまぜて海の中へ酸素を溶かし込む。それで、海の中におる魚は、立派に生息ができる。つまり酸素をすいこんでいるからです。人間は、息して生きとる。だから息一ぺんするのにも、ああ、ありがたいなあ。この酸素がなかったら大変じゃということをお考えになりましょう。
それから、山とか庭とかに木をよく植えてあります。お医者さんでもよくいいますが、海岸の、あの木の多くはえて おるところへ行っておると、空気がよいから病気がなおりやすいのです。それはそうなんで、松とか、ひのきとかいうのが、山に、沢山はえとります。あの松やいろいろな植物が、人間が息した炭酸ガスを吸うのです。その炭酸ガスを吸って、その葉から酸素を出すのです。息しているのです。その酸素を風が運んできます。そうして、我々が息している空気の中へ酸素がまじってきますから、けっこう人間は生きていけます。ところがこの逆に、ガラス張りの一つの室の中へ、人間を入れてごらんなさい。息をすると炭酸ガスを出す。酸素が減る。その室の中の酸素が減りますから窒息します。死にます。空気をかえるから、酸素が入ってきて助かる。こういう風に、もう天地自然は、生き物が助かるようにできとるのです。
だから風が一つ吹いても、ああ、ありがたい、酸素を運んで我々が生きるように天とうはんがしてくださる。又、木がうわっとるのを見ても、はえとるのを見ても、ああ、木があればこそ、我々が助かるんだと、こういうことがいえるのです。息一ぺんするのでも、天地の恩を感じるようにならんと、信仰にならんと、先生おっしゃったのです。
我々が生きておる根源は、どこにあるかというと、天地の自然の働きと考えます。ありがたく、出来とるもんだなあと考える。この、ありがたいもんじゃなあ、と考えるところの心が、すなわち信仰、神さん、仏さんにお礼をいうことになるのです。学問で、そういう筋道がよくわかりましたところで、「ああ、ほんにありがたい、お陰を受けておるから、我々生きとるんだなあ。」と考えない以上は、信仰は起こらないので、学問の生活になってしまいます。そういうような、理屈も悪いとは申しません。今日の科学思想は大変結構でございます。しかし、科学は、人間の力で及ぶだけのところへはいきますけれども、人間以上の働きはできません。ああありがたいと感謝する、その恩を感謝する心は、ついには 人間という性根をきれいにします。人間根性の洗たくができるようになります。そうすると、やがて、それが神仏に通じて、平等というところの、知恵が人間の体の中へ出来るようになる。
もう一つこれを言い換えますと、仏智見といいまして、仏の智恵ということになるわけです。先生は、学問をなさっておいでになりませんから、そんなむずかしいこと、おっしゃらないのです。ここに書いてある通りに、神仏の恩を知らずして暮している者には、迷える者というよりしかたがないと、そうおっしゃったのです。迷える世界と、神仏世界と、世界が違うとおっしゃった。これを研究する者を学者という。学者はいつまでいても学者。ところが、ああ、これは、ほんにありがたいなあといって、恩として感謝する者を信仰者と先生はわけたのです。先生は学問こそありませんが、立派な学問をした人でも、こんなことはよういいません。三四四条に書いてあることは、先生が私にお話しがあった事です。
先生がお笑いになるのは、ちょっと違うのです。フハア、フハアいうて笑うんじゃないのです。先生がお笑いになるのはヒイ、ヒイ、ヒイというて、お笑いになるのです。妙でしょう。そうして、私の方へ向いて「村木さんよ、なあ、水一滴飲んでも、これ、ありがたいなあ。」というて、その恩を感じる。又、風が吹く。風があっても、あり過ぎたら困るけれども、この風がなかったら、世界中に悪い空気と、ええ空気をあちらへ送り、こちらへ送りすることができやしない。又水の中の酸素を入れることはできやしない。ありがたいなあ。こういうふうに感じていくのが信仰者である。「村木さんよ、どうぞ理屈もええ。学問の理屈もええが、学問で調べたら調べるほど、ほんにありがたいなあ。結局おしまいには神仏へもっていって、それを感謝するようにせんと、村木さん、人間はまずいなあ。」というて「ヒイヒイヒイ」とお笑いになった。私は話をしよっても思い出します。先生のお顔がうかぶように思います。
こういうお話をしていきますと、どうです。皆さん、恩ということ、多くあるでしょう。もしあんたが、日本の国へお生まれになったからよろしいけれども、あのアフリカの山の中へでも、お生まれになったらどうです。夜寝るのでも、戦々恐々とせんならん。寝とる間に、いつ、ライオンがひっかけていくかわからん。ライオンは子供が好きです。
乳くさい子供はヒョウがつける。そうしてお母さんの知らぬ間にもっていって、食うてしまう。どうですか、アフリカにはそういうところもあるのです。それを、我々はまくらを高うして休める。ありがたいと思うでしょう。これを国の恩といいます。ひょっとそんなところへ生まれてごらんなさい。 つらい話ですね。子供育てるのにも、木の上にやぐらをかけて、その上へ寝んならん。写真ごらんになったことあるでしょう。あの熱帯地方で木の枝の上へやぐらをかけて、それを自分の住家に、夜寝る休場にしておるのが、写真にいっとります。あれなどは、ヒョウをおじとるのです。木にのぼってくるのです。ヒヨウは、ちちくさい赤ん坊、ごく好きなそうです。やわらかいから、うまいんでしょう。こういうことを考へますと、生まれた国の恩ということもわかります。親がなかったらどうですか。ほんとにかわいそうなものです。親は子供を育てるのに、自分の身よりも大事にほうほうして大きくしとります。
親の恩というのも深いのです。又神仏の恩ということもわかる。国の恩というのもわかる。それから世の中の恩ですが、今、あなた方が、からだに召しておるところの着物です。毛で織った着物もあろうし、又木綿で織った着物もあろうし、あるいは又、近頃いろいろの材料で上手に着物こしらえますが、これを金で買ってあんた方は着ておいでるのでしょう。もし、そういうものが買えないで、一から十まで昔のように、ビィビィと糸を引いて、はたで織って、それを着るのだったら不自由でしょう。それを思いますと、世の中の恩ということを感じるでしょう。又よそへ旅行するにしても、船がなかったら海を渡ることができません。こういう風に世の中の恩という恩もあります。
こういうふうに、恩を考えたらたくさんあります。泉先生はいろいろの恩を考えるほど、神さん仏さんに近よるぞとおっしゃったのでございます。
(昭和三十七年十月三十一日講話)
TOPへ

第三四五条 「人間の知恵として知り得る物事は、いかに深遠なる理のある事でも差別の相を脱して居らぬが、神仏の慈悲として感ずる智恵 は真理といえる。」


これは大変むつかしい事でございまして、差別と平等との大事な二つのことが書かれています。これを、例をあげてお話してみたいと思います。自分を本位にせず、第三者の位置に立って、横から考えてみますと、どうもその差別の相と申しまして、高いとか、低いとか、重いとか、軽いとか、あるいは尊いとか、下品だとか、すべて比べるところにおもきを置いとるようでございます。これを差別の相というのでございます。差別の相と言うとわかりにくい言葉でございますけれども、深くお考えになったなら、すぐわかる事でございます。
あの人はきれいというのは、どこから出るかと言うと、きたないというところから出とるのです。きれいという事を知っているからきたない。きたない事知っているからきれい。これ差別です。あの人は真に気のええ人じゃ。気のええという事は、根性の悪いというのが、裏にはいっとるのです。
たとえば、棒なれば両端でございますが、一方が下がったら一方が上がる。棒を真中へ支点を置いて、やってご覧なさい。片方動いたら、片方必ず反対に動いとる。これが人間差別の相というのです。平等というのは、この高いじゃの低いじゃの、あるいは短いじゃの長いのじゃのいう「両端を」考えずして、平等に考えます。つまりいずれか、重いのや軽いのはあるのですが、仏の知恵というものは、平等に考えてしまうのです。この人間の世界には、物理学というものがございまして、たとえばこの光というものは、一直線に進むものである。お日様の光でも、何の光でも、光というものは直線に進むものである。こういう物が物理学の定則になっとります。そうでしょう。光が曲って進むということはありません。ところが、人間のこの心の働きというものは、自由自在です。決して方向じゃの、重いじゃの、軽いじゃの、光るじゃのないのです。
ここに写真の種板というのがございます。種板を入れてうつしておりますが、そのとき「映しますからしばらく」と言ってシャッターをおろした瞬間に写像が中へはいっとります。はいるのは、つまり光線が種板に感じて、その時の絵をそのままに、焼き付けてあるのです。ご承知の通りです。ところが人間が念じ入った場合、たとえば観音様、神様に限りません。品物でもよろしいが、思い込んだという時に写真にはいることがあるのです。必ずはいるとは申しません。その働きが起こる人と、起こらん人とございますから。それが念力写真と、又は念写というております。
今日、それは妙な働きするのです。これは讃岐の高松の判事をしておる人の奥様でございましたが、観音さんを信心しておりました。観音さんのお掛軸を床の間につりまして、始終念じておる奥様でありました。ご主人が、会議がございまして、ある晩、料理屋へ行かねばならん事になりまして、奥さんがお留守もりをしておりました。ところが、たまたま外から客が見えまして、そのご主人に会わんならん用事があったのでございます。けれども奥さんは、主人は今どこそこへ宴会に行っとりますので、お目にかかれませんと言う事を申して、お断りしたのです。その時に、その晩に奥さんが観音さんを念じておいでたところが、不思議にも奥さんの心の内に、その宴会場の姿がパッと観音様のお掛軸に映ったのです。そうして、これは不思議じゃなあと思いよりましたところが、ご主人のポケットに明治三年鋳造の二銭銅貨、昔大きな二銭銅貨というのがありましたがご承知でしょう。二銭銅貨をお客からもろうて、これは珍らしいなあと言うて、ポケットへ入れたのを、奥さんが感じたのです。けれども、これは主人が宴会に行っとるのに、留守で家内がそんな事思うたや言いますと、ご主人のご機嫌が悪いと思うて、ご主人は帰ったけれども、黙っていたのです。そうして、奥さんが「お留守に、こういうお客が見えまして、あんたにご用があると言うてですけれども、ちょうど会議においでになっとるので、帰れませんというてお断りしましたら、その人は帰りました。」「ああそうか、そら又別にお目にかかってもええ。」とこういうご主人の話でありました。そのご主人のポケットにやはり明治三年鋳造の二銭銅貨が見えるのです。奥さんはそこで、あまり不思議に思うたものでございますから、ご主人に「誠にあんたに申し兼ねますけれども、あなたが宴会においでになって、明治三年鋳造の二銭銅貨というのは少ないんだと、わしこれ持っとんじゃがというお客から、あんたおもらいになった。左のポケットにお入れになっとるのが、私どうしても見えてかなわんのです。どうでございましょうか。」と言うたところが、主人は「それは不思議だなあ。持っとる。これだ。」と言うて左のポケットから明治三年鋳造の二銭銅貨をお出しになった。
その事が有名になりまして、人間にはそんな力があるんかな、始めてここにそれが学界に出ましたのです。そうして、福来友吉博士という方が調べにきました。ご主人のご依頼で。京都の大学の教授です。その人が調べにきまして 「奥さん、まことに妙な事お尋ねいたしますけれども、あんたのご主人から、明治三年鋳造の二銭銅貨のお話を聞きました。私、そういう事がある様に思えるのでございます。今日、その試験に奥様にたっていただきたいのですが、どうでございましょう。」と言うたところが、奥さんも「私も、それは不思議がっとるのです。人間には、こういう力があるか、ないかという事について、不思議がっとるのです。事実それなのでございますから、試験して下さいませ。」と奥さんが、承諾したのです。福来さんは、写真の乾板をもってきとったのです。写してないところの、ガラスに薬を引いてある、あの板です。それを十二枚、一打分を、ポケットに入れとるのです。どんなにして入れとるのかといいますと、あれは感光したらいきませんから、黒い紙で二重三重に巻いてあるのです。一枚一枚そいつを重ねてこんど、金の箱の中へ入れるのです。無論どんな明るい所へ持っていっても、光線に感じないようにしてあるのです。「奥様、私が今、ポケットへ入れとるもの何でございましょう。」ときくと、奥さんが観音様のお掛け軸をつってある前へ行って、じいっと念じ入ったのです。「写真の乾板のように思います。」「ああ何枚入ってございましょうか。」「十二枚に私は見えます。」「はい。」福来博士は、いかにもその通りですから感心しとるのです。「それでは奥さん、この写真の乾板に文字は何でもよろしい。イロハニホヘトでも何でもよろしい。一枚一枚入れていただく事出来るでしょうか。」「さあ出来るか出来ないか、私は知りませんが、念じてみましょう。」というので 福来さんがポケットから、その十二枚の写真の乾板の箱を出したのです。そして手に持ってひざの上へ乗せとるのです。奥さんは「それでは、最初イの字を入れましょう。」と念じたのです。その次はロ、その次はハニホヘト、いちいち違う文字を奥さんが念じこんだのです。その日、それですみましたが、福来博士がそれを現象してみますと、一番上にはイという字がはいっとる。二番目はロがはいっとる。三番目はハがはいっとる。ニホヘトと出てきたのです。
ところがここです。私が申すところの神様の知恵と人間の知恵とが違うのはここなんです。物理学からいいまして 光というものは、真っ直ぐに通るのでございますから、十二枚重ねてある上ヘ、イという字入れたら、仕舞いまで、イが通るはずです。ところがその時の試験には一番上にイとはいって、二番目にはロとはいって、その間に二重写しがないのです。これを見ては、ちょうど念力というところの、ひとつの力が一枚二枚三枚と、一枚一枚曲ってはいった格好になるでしょう。光線はそうはいかんのです。
ここです。これは、今日でもまだ研究はできておりません。出来るはずがありません。人間の心の働きというものは、そんなに簡単なものでありません。いわゆる神の力でござりますから、そこには時間空間の制限がないのです。
思う通りにできるという事なんです。
いつか私がお話し申した、あの多宝塔の一番上に置いてあるところの玉、これは如意の宝珠といいまして、思うままに働きができる大事な宝という意味なんでございます。それをお釈迦様が「めいめいに、だれでもこれを持っとるんぞ。ただそれが出ておるのと、出ておらんのとの違いであって、これを磨き出す力が、信仰というのじゃ。」と、おっしゃった。その多宝塔の上に祭ってある如意の宝珠は、すなわち思う様にできるという事です。今お話し申した高松の判事の奥さんのは、念じが思う様に種板にはいったでしょう。直進する光線ですから、イロハニホヘトの文字は二重、三重、四重、五重に写るべきはずのものです。それが一枚一枚きれいに別にはいっとる。この三四五条に書いてある人間の知恵というものは、誠に浅はかなものである。思うようにならんものである。神様から授った仏智見という知恵は、思うようになるのであるという例証をお話し申したのです。おわかりになりましたか。なかなかむつかしい言葉でございますけれども、今のようにお話したらおわかりになったであろうと、私は思います。
人間の心というものは思うようになりません。神仏に力を借りて、仏智見を借りた場合には、思うようになる。
つまり如意宝珠の光が出たんです。信仰でいいますと、めいめい生まれながらにしてくれてある如意宝珠を二重、三 重、四重、五重、六重に包んであるから、どなたでも一生懸命になったら、如意宝珠の力は現われるのです。
ところが如意宝珠の力というものは、人を見たりするのにわかるんか、病気治すだけにか使えんのかというと、そんなのでないのであって、それが実業界であろうと、いかなる人間の暮らしの所へでも、思うように使えるんだというのが、如意宝珠なんでございます。非常に尊い宝でございます。それで、ただ今お話し申したところの、この神仏に授った力というのは、すなわち神仏の知恵ですが、それと反対に、こんど人間の知恵というのは差別でございますから、もう物事を差別するよりか使えんのでございます。よくお考え願うたらわかります。神仏のは、もう重いとか軽いとかは超越してしまって、全部がわかる。思いのままになると言う知恵です。三四五条に書いてあるのは、それを書いてあるのでございます。
人間の知恵として知っとる事は、どんな事があっても.それは差別の相である。神仏に授かったこの知恵は、平等の知恵というて、何でも思いのままに使えるんであると、こう言う事を先生がおっしゃったのでございます。これは簡単でございますけども、非常に信仰の上には実に大なる力であると先生がお考えになって、私にお話しがあったわけでございます。
つまり、この如意宝珠、いいかえたら神、仏から授かったその知恵というのを磨き出す事が、我々の信仰上の一番大事な用事という事を、先生がお話しになった事でございます。
(昭和三十七年十一月三十日講話)
TOPへ

第三四六条 「しょうが一貫植えて十貫とれる。一貫一円として十円になる。それなら一万円のしょうがを植えると十万円得られるかというに、そううまくはゆかぬ。人はこれを経済学といっているが、 名前は何でもよい。天は道にかなった働きだけを助ける事を忘れてはならぬ。」


これも例を申しませんとわかりにくい。経済学というのは、今、しょうがの話を先生がなさったように、十貫植えたら、百貫取れるとこういう事になるのでございますけれども、そうはいきません。人間の経済学であって、そろばんの上では二進が一十、二一天作の五というふうに出来るのでございますが、神様の道はそういきません。そこに、心の力というものが、天地にかなっていたならば、合いますけれども、その天地に通っていないそろばんは、合わないという事になる。これについて、色々泉先生のお話がたくさんございますけれども、今日ひとつ突飛なところから例を引いてお話して見ましょう。
「備中に金の神の金神さん」といって先生が拝んでいますが、あれは備前の国にお生まれになった金光さんという方を神様に祭ってあります。その金光さんは、お百姓であったのですが、ある時、奥さんと二人が田圃なさっていまして、金光さんがお考えになったことは、今年これ麦蒔いて、麦がはえてきたんじゃが、あの麦の土寄せするのに、わしゃこうやったら、ええと思うといって、金光さんが片っ方ばかりから、寄せるのです。東の方から寄せてばかり、そして右の方へ寄せん。左よせばかりなさる。そうすると、ちょうど西の風が吹いたらこけん(倒れん)けれども、東の風が吹いたら、麦がこけるという状態になるのです。奥さんが「金光さん、あんたどうしてそんなになさる。」 「どうしてと言われたら困るんじゃが、ああ、こらどうもわからんけれども、こうやりたいんじゃ、わしわ。まあ、今年はこうやらんか。」と言うので、金光さんが奥さんと二人で麦を片よせをした。ところがその夏がきまして、大きな大きな風が吹いて、よその麦はこけたんです。ところが、金光さんのは片よせしてありますから、風が吹いてもこけなかった。不思議じゃなあと言うて、金光さんのお名前があがったもとになったのでございます。簡単な事でございましょう。
これは言い換えてみますと、人間のそろばんから言うなれば、麦がこけんように両方からよせるのが麦のよせでございます。あなた方も麦のよせしても、片よせなされへんでしょう。ところが金光さんのは、人間の経済学でないのです。何やら心の内に、これ今年の麦は、片よせせなんだらいかんとお思いになったのでしょう。誠に信心深い金光さんでありましたから、それが図に当たりまして、西の風が強く吹いたけれども倒れなかった。これが備中の金光さんが世の中で金光大神、金光大神と人に言われた元になったのです。ただ今でも、山陽線に駅の名前まで金光駅というのができております。この金光さんの事です。こういう風に、これは一例でございます。人間のそろばんから言いましたならば、両よせして麦をすくめるのが本当でございます。金光さん、片よせした。これが天道はんのそろばんです。
こういう風に、人間のそろばんは得てして合わんけれども、天道のそろばんは、きちっと合うのでございます。
これについて、もうひとつお話ししてみますと、これは私、仲須さんから聞いたと思いますが、あるお年寄りの、お孫さんのおつむのさかやきの事件の話でございます。旅のお遍路さんらしい人がきて、その分家でお念仏をとなえていました。おじいさんは、これ僅かでございますけれども、どうぞあなたがお四国回るお小使いの足しにして下さいと言うて、僅かばかりの金をあげました。そのお遍路さんは普通のお遍路さんでなく偉いお遍路さんでした。「今このお布施を私は有難く頂きますが、お礼がえしに、これを一つあなたに差し上げたいと思います。」といって、何か書いてある紙片をくれました。「これは開いたらいきませんぜ。あんたが、もう生きるに生きられん。もう生きるのいやになった。もう死のうという時が若しあったら、その時に、これを開いて見て下さい。」というので、おじいさんは、 お仏壇の引き出しへ入れて、大事に仕舞うてあったのです。信心深い人ですから、その後のある日ぬくい(曖い)時に、おぶた(庇)の日当りで孫さんの頭を、剃刀でぞりぞり、坊主にそっていました。昔は、よくそったものです。ところが、そこへ、ブーンと、山蜂が飛んできたのです。孫がさされたら困るもんだから、かみそり持った手で山蜂を追ったのです。
ところが、あやまってその孫のおどりこを切ったのです。おどりこというのは動脈が通っているので、ビクビク動いています。小さい子のおどりこ、あれ切ったものですから、血が止まりません。ついにその孫さんは、出血多量で死んでしもうた。 さあおじいさんが大変悔んで「ああ、つまらん事をした。この孫の親達は皆田圃へ仕事に行っとるのに、留守もりをしていて、じいが孫を殺したや言うたら、わしゃ生きとれん。ああもういっそ、わしも死んで孫連れてあの世へ行く。」と、言うんで、死ぬ事に決めたのです。おじいさんが、ひょっと思い出した事には、ああもう生きるに生きられん時に、一ぺん見よといって、有難そうなおへんろさんがくれた物がある。あれひとつ見て見ようといって、以前にもろうた書きつけを見てみたら、不思議や蜂にかみそりと書いてあった。「あら蜂を追うて、かみそりで孫を切るという事は、先からきまっとったんか。ああきまっとったんであったら、わしも死ぬのをやめて、孫のめい福を祈る。」と言うて、おじいさんが、それで死ぬのをやめて、家を無事に治めたというお話です。そういう時がありました。
これは人間のそろばんと違います。人間は、もう死ななしようがないと思ったそろばん、天道はんのそろばんは、はじめからきまっとる。蜂にかみそりと書いてあった。こういうようなもので、神仏の智恵というのは人間の智恵とは大へん違うと言う事を、泉先生がお話なさったのが三四六条に書いてある事でございます。
(昭和三十七年十一月三十日講話)
TOPへ

第三四七条 「続くがまことである、まことは天道である。それであるから人の作為も天道に合えば続く、これが神人合一の妙である。」


この天地の事を、弘法大師が言われておりますのは、諸行無常、何事でもいつも変わっておる。常住なものは何一つない。こうおっしゃっとるのですね。ところが、大きな長い目で見ますと、その変わっておるのが、変わっておらんのであって、つぎからつぎへと続いておる。ひとつも変わらない。山を見れば壊れていって平地を造っていっているように見えるけれども、その事その物が昔から、やはり繰り返しておるのであって、天地は変わりはないのである。
こういう事をおっしゃっとるのでございます。ここに書いてあります、続くという事は、天道である。その事を書いているのです。
たとえば、この土地が元できましたのは火の玉が舞って、その粉っぱがちぎれて飛んだのが地球である。もとは火の玉であった。そういうと、地球は、冷えると、又こわれてしまうという事になりますけれども、こんど冷えてしまったら、又それが不思議に合体して、こんどぶり熱によって、又火の玉ができる。こういう風に繰り返しておりますから、天地の事は決して変わるのでない。ひとところを見るというと、いつも変わっておる。こういう事をお大師さんはおっしゃっていますが、泉先生も、そういう事をおっしゃったのです。「天地に合わしていかないかん。天地は大きな目で見たら変わっておらんが、局部を見ると変わっておる。その変わっておる事に応じなかったらいけないのじゃ。」
と、こういう事をおっしゃっています。
あなた方がご承知でございます通り、明治の時代には、穴あきの一文銭が通用していましたが、ただ今では、一円さえすくなくなっております。銀行あたりでは一円のつり銭に困るというので十円単位にしておる。 こういう事になっとりますので、明治の末期の穴あき一文とくらべますと、実に千倍からになっとる訳でございます。このように、世の中は非常に変わっていっておるのです。変わっていっきょるのであるけれども、これは人間の世帯、人間の一部世帯五十年か百年かの間の事をいうとるからです。けれども、それを大きな目で見ますと、変わっていないのであって、同じ事だ。
どういう訳で同じ事であるかといいますと、すべての物価がそういう風になってゆきまして、人間のもうける金はどうかというと、その通りの倍率になってゆきます。つまり大きな金を使うか、使わんかというだけの事であって、もうける金からいうというならば、やはり同じ事でございます。取り引きは、つまり変わっていないのです。こういう風に時代に合わして行けるものは、続くとこういうのです。この三四七条は、そういうむつかしい事を書いてあるのです。天地は変わっておるようであるけれども、大きな目でみると変わっとらんのだ。小さい部分は変わっていきよるように見える。これに応じていく者は、続くんだ。よう応じない者は、それで消えるんだ。そういう事になる訳です。 これは簡単なようですけれども、その時代に合わして行くという事は、なかなかむつかしい事であります。けれども、合わさねば続かない。こういう事になります。
色々例がございますが、たとえばこの自動車です。自動車を造るという事の上からいいますと、その車体の鉄板をたたいてこしらえる者はこしらえる。又機械を造る者は機械を造る。塗る者は塗る。こういう風に、ばらばらの物を 寄せてこしらえた物が自動車でございますが、この頃は流れ作業といいまして、ご承知の通り、最初、工場で一つの土台が出来ますと、次へ渡す。その次は土台の上へ機械をすえ付けて、その次の機械に行く。こういう風に一番終りの工程では立派な自動車が出来ると、こういうような、流れ作業が始まっているのです。これは自動車に限りません。 すべての物は、そういう風に流れ作業になりますと、非常に安く出来る。そして多量に出来る。又人手が少なくてよい。こういう風になりますことが、今日の時世でございます。そういう事に応じて行く。つまり天地の動きについて行く者は長くいける。ついていけない者は倒れて仕舞うと言う事になるので、先生はそういう事をご覧になっとるのです。なかなか、たいしたもんじゃと私は思います。
これ今のは、暮らし向きの話をいたしましたが、人の生命でも、そうでございます。たとえば、ある個所に狂いができた。病気をした。病気をすると天地は病気の無い者は助けているが、病気した者は自分で治さなければ、ついて行けないという事になります。即ち天道に合うとらんのです。天道に合わす事が、すなわち医学である。足らないところを足す。余っとるところを取る。そういう風にして生きるという道で、天地の力に合わして行くという事が、今日はよく進んでおります。先生はそういう風に命でも、その日その日の暮らしでも、すべてのことを天に合わして行くという事は大事ぞよと、こういう事を教えておいでます。
今日の新聞に出とりますが、これは徳島の南です。桑野あたりです。津の峰はんの、西の方の山地でございますが、あの辺の山で竹の子がたくさんとれるのです。これはもう、徳島県の筍の名産地といわれる位随分沢山とれます。ところが、その竹の古くなったので、ほうきをこしらえる。それを年中いくら造っても、北海道へさばけるそうです。 その村は、ほとんど、ほうきでたっとるというのです。竹の子よりも竹が大事じゃと、こういうて、ほうきを製造しとる。つまり時代に合わしておるのです。こういう風にして、桑野付近の村は、大変裕福なという話でございます。
女の人に至るまで、皆仕事がある。ですから、なんぼ寒くとも、家の中へこもって、その枝だけ持って来たら、それでほうきをこしらえとる。あんた方が南へおいでたら、わかるでしょう。津の峰はんから。向こうへ行ってご覧なさい。
停車場へたくさんほうきの束持ってきています。ああいう風にして、ほうきが必要であるとした時代には、ほうきを持って行く。こういう風に天地に合わした生活をせよという事は、先生がちゃんと、はや三四七条におっしゃっとります。
先生は、どこがえらいかといいますと、時代はいつも変わって行くものである。天地の仕事は変わっとらんけれども 人間の仕事がつねに変わってくる。天地に合わすから変わってくる。その天地の流れがどういう風に流れよるかと言う事を見て、それに合わして、天道さんに礼を言うて、喜んでいくという方法をせよとこういう事を教えたのです。
これは、いろいろたくさんな事がありましょう。たとえば、この頃やかましく言いよります、鳴門の上へ鉄橋をかける。これは何しにかけるんかといいますと、海がある為に四国は孤立したような国になりまして、あの本土の大阪神戸・東京・名古屋、そういうような大都会に連絡がない為に遅れるのです。島国ほど遅れていくのです。 四国は大きいと言うても、島国ですから、本土の方の文明には遅れて行くのです。だから、おくれないように、その間へ橋を造る。陸続きにする。こういう風に、時代の流れに合わして行くものがよいのぞ、と先生が教えたのです。このごろ、その教えの通り、橋のことが進められている。こういう風に何事でも時代に合わして生活をする。又人間の気風もそれに合わして行く。体も時によって合わして行く。このように、心も生活も体も、これは天地の動きによくついて行って、喜んで暮らす事が一番人間の出世じゃと先生が教えたのです。
三四七条は非常に大事な事でございます。これにおくれたらいきません。この時世に、おくれるなら、世の移り変わりにおくれたら、いくら理屈いうても、かないません。其の時代に合って行くものが強いのでございます。
(昭和三十八年一月十五日講話)
TOPへ

第三四八条 「一家の内でも差別相なき一体を造る事が肝要である。手、足、頭の区別はあるが、差別のつかぬように家もそうありたいものである。親や子、兄弟が権利と義務にからまれたようなのは、一体主義の家庭とはいえぬ。区別はあるが、差別のないのが尊いお方の教えである。」


家の中で、ご主人と奥さんとが意見が合わない、あるいは兄弟同志が合わない、又、親と子が合わない、こういうように合わんのはいけません。この三四八条を応用せな、いけないのです。一家は皆がまるまって、一つの固まりになって生計して、喜んで暮らして行かなければいけない。こういう事を、書いとるのでございますが、それを狭く考えまして、一つの家庭を一つの体とおきます。物を考えるのは頭です。体を運んで行くのは足です。所作するのは手でやります。こういう風に、皆役目は変わっています。見るものは眼で見る。聞く事は耳から聞いて行く。食べるのは口から入れて。こういう風に皆それぞれ人間のからだについている道具は役目が違っとります。けれども、もし頭が、今晩、映画見に行きたいなあと思うても、足がストライキしましたらいくことができません。ああ頭はあんな事考えて、眼玉は面白い物見る、又耳は面白い事を聞くなどしてたのしむが、足というわしらは堅い下駄の上へ踏みつけられて見ることもできず、聞くこともならず、うまい物があっても食べられないし、寒いのにつまらないといって足がもし仕事をしなければ体が中風したのと同じ事で、それでは面白い事を見る事もできず、聞く事も出来ない。すなわち、 人間の体を持っておりながら、体が統一しとらん為に、体の中で騒動が起こっておる。こうなります。
又こんどは、頭が、今晩ぬくいぼたもちを食べたいなあ、とこう思うとします。すると、まず、ぼたもちですから、あんをたいたり、又大豆をいって黄な粉をこしらえなければならぬ。すると、手がいう事には、わしは忙しいばかりで、食うのは口が食う。口はうまいうまいというけれども、わしらはつまらないというて、もし手が働かなければどうなりましょうか。せっかく頭が、今晩ぼたもちこしらえたいと思っても、黄な粉はなし、又あんはなし。どうもしようがないから、じっと寝ていなければ仕方がない。
こういう風になって、一つの体が治まらんという事になるので、どうぞ一家の内は、ちょうど一つの体みたように 「これを見たいと思うたら、すぐ足がとんで行く。」「これを食べたいと思うたら、すぐ手が物をこしらえる。」と こういう風に、期せずして仲よく働いておったならば、その体は健康であると、こういう事を先生がおっしゃった。
いかにも考えてみると、そうでございます。たとえ体が健康でありましても、そういう争いができよるのです。
なぜ争いができるかと申しますと、今日、もうけに行ってやったら、ええんじゃけど、寒いなあ、しんどいなあ、こたつに足をつっこんで、ぬくもっとる方が具合がええなあ、それで、こたつへ足つっこんで寝てしまう。それでは、もうけが出来ん。一家の内には、うるおいがない。すると、息子や兄弟が、おとうさん、こたつにそんなにあたっておって、 どんなにするぞ、という争いができてくる。そういうようなことになって、一家が治まらんという事になります。ここは、先生の偉いところです。どうぞ、一家の内で、面白く和気あいあいとして、日を暮らして行きたいと思うならば、働きもせないかん。又そういう理想があるならば、体を動かさないかん。そこで、一家一族皆そろって仕事をやる。
遊ぶ時には遊ぶ、食う時には食う。こういう事が、すべてひとまとめになって、はじめて出来るのである。だから、勝手なふるまいをしてはならぬ。これは、あんた方がよくお考えになるとわかると思います。
私らは、こんなにして働いたとて、片方では酒を飲んで遊ぶんじゃどんならん。こういう一家族があるとしたならば、その家族は治まりません。皆が互いに助け合うて、喜んで行くということは、体にたとえたならば、健康な体で、よく働いて、喜んでゆくという体と同じであります。
一つの家庭を体にたとえて、先生がお話した事ですが、どうでしょうか、皆さん。これは、泉先生のお話しですが、体にたとえてあるからわかるでしょう。皆、親子、兄弟、夫婦というものは、体の中の一つの役でございます。どの役が、不足言うとストライキやっても、体が健康を欠きます。同様に家庭にありましても、皆が受けもっとる所の、その役目というものを、果さんとなまけたならば、その家庭はいけんようになります。そうすると、やがて争いができますというようになって、体であったら、病気するという事になってくる。泉先生は、こういう風に、上手に人間の体にたとえて、お話しがあったのです。
一つの体をつくっている、それぞれのものがストライキの無いような、そんな家庭を作っていってくれよ、と先生が言うたのがここです。うなぎが食いたいと思うたら、寒くても、足は喰うので無くても、運んで行くでしょう。手はうなぎ食ったりするんでなくとも、冷めとうても、動きます。そういう風に、皆が助け合って行くようにしたならば、体が健康であると同様に、家庭も健康な家庭が出来る。それですから、家庭の風を改めようと思ったならば、体を考えていけと先生はおっしゃったのでございます。なかなか面白い、先生のたとえでございます。
(昭和三十八年一月十五日講話)
TOPへ

第三四九条 「信仰は、わが身に受けておる恩を知る事が始まり。」


何一つにでも、恩があるという事を考えるのです。のどが乾いたら、お茶を飲みますが、この水ということについて、大なる恩を考えます。学者は酸素と水素とが化合したら、水になるのであるといっています。なるほど理屈はわかっとります。しかしこれによって、不思議に生き物が生きられるように出来ているということです。土地の下には、地下水が通っておる。又高い所には雲が飛んで来て雨を降らす。それから又物を運ぶのに海がなかったら、それこそ困るというので多くの水が沢山溜っておると船の航行だけでなく、又暖かい所と、寒い所にそれぞれの海流を通わして、それぞれの海中に生物を生存さしている。天道はんの仕事はまことに有り難い。
先生は、水について信仰的に考える。水一杯飲むのでも、有り難うございますと、口でいわないが、お辞儀しているのです。お茶一杯飲むんでも、天道さんに恩になっておる。それから米とか、麦とか、野菜とか、食べる物たくさんありますが、これ皆、不思議でございませんか。不思議でないというたら、不思議でないで通る人もありますが、仮に植木鉢に唐辛子を植え、その横へ砂糖きび植えるのです。両方に水をやり、日向へ出しておくと大きくなります。唐辛子も砂糖きびもよくできます。それは土の湿りけお日様の熱によって成長します。ところが、天道はんは、その土から辛い唐辛子をこしらえています。又一方土という何も味のないところに育った砂糖きびには、甘いものばかりを集めております。一つの土くれの植木鉢にでも、ごく甘い物、ごく辛い物、これができる。 こういう事になりましょう。
これは一つの例でございますが、土からはいかなる物でもできております。これ、人間の手でこしらえるという事は、できはしません。天道はんの力です。こういう風で ございますから、米一粒いただいても「ああ、有難うございます。」と先生は、土地へ礼を言うんです。先生は、ご飯あがる時分におはしを持って、ちょっとおはしをいただきます。
これは、食べ物をいただくという先生の癖です。それは、お礼をいよるのです。こういう風に信仰するものは、何事にも、礼が言えるというのでなければ、信仰は出来ません。泉先生は、朝起きると、もうお辞儀ばっかりです。私が横についとって見ますと、顔洗うときは、お辞儀して顔洗いよる。お箸持ったらお辞儀してよばれよる。何事でも、ご恩になっとるという事を忘れんのです。先生は、それが為に、あれほど偉大なる力ができた。人に神さんと言われる元はなにかといえば、恩を知るという事です。
見てご覧なさい。今日この世の中ではmえらい人は随分あります。えろうない人も随分あります。えらい人と、えろうない人と比べてご覧なさい。どこがえらいかと言うと、この恩を知って恩返しをするという人ほど、えらく成っています。今日の池田首相が総理大臣になって、日本の国を治めてくれていますが、あの方がいいよる事聞いてもわかるでしょう。「まず日本の国を強くするのは、人造りだ。えらい人つくらな、えらい国にならん。」池田はんが、新聞に書いておっしゃっとるでしょう。ああいう風に、恩を覚えとるのです。えらくない人になりますと、「もう、わしはもうけて、金が余計たまったらそれでええんじゃ。人は殺そうが、どうしようが、一向に差しつかえない。」 「昨日から、今日の新聞にも書いてあるのを ご覧になったでしょう。あの、毒の牛乳というのをごらんになりましたか。あれは、事の起こりは、ある人が事業をやるのに、より糸をこしらえる機械を作りまして、それでよりいとをこしらえて売ろうと百万円借りて事業したところが、うまいこといかん。そして大け損しまして、借りた百万円の催足せられた。むすこが二十六になる。これは困った。なかなか払えん。内のおやじは五十万円の保険に入っとる。おやじを殺したら、五十万円くれるというので、おやじを殺そうと思うて、牛乳の中へ毒を入れた。それを飲まそうと思ったら、おやじが外へ用事に行ってなかなか帰ってこん。その間に、牛乳を牛乳受けの箱の上へ置いといて、忘れたんです。それを通りかかった学校帰りのいたずらっ子が、あれを盗んでやらんかと、ぬすんで、冗談に飲んで、それで死んだのです。新聞に出とりましたでしょう。これなどもどうですか。自分が催足せられて困ったという為に、それが為に親を殺して、その保険金で払おうとしたのです。あまりえろうございません。えろうない人は、恩を知らんのです。
えらい人は恩を知っとる。泉先生はいつもおっしゃった。「天地の恩を知れ。これにお礼をいうたら、神さん拝んだのと同じだ。」とおっしゃった。なるほど私考えて見るとそう思います。
えらい人ほど恩をよう覚えています。えろうない人ほど、我がだけで恩や知りません。人の事やは知りません。
こういう区別がつくので、泉先生はえらいところへ目をつけたもんだなあと、私は感心しとるのです。それが三四九条です。どうぞあんた方も、ひとつこういうところへ気をつけておいでるならば、まことに家は平和に治まり、又運がよい。こういう事になると思います。
(昭和三十八年一月十五日講話)
TOPへ

第三五十条 「家を永く続けたければ、自分の衣食住を簡素にして、世の中の便利をはかれ、間違いはない。」


だれでも、わがの大事な事はよくわかっておりますけれども、まず、人を大事にせねば、わがは大事にしてくれるものでないという事を忘れなよ、と先生がおっしゃった。いくら人間が力一杯やろうとしたって、やれないのです。天道はんは、ちゃんと見ておいでる。すなわち、神、仏が見ておいでる。信長、秀吉、家康は将軍さんで、えらい人とおかないけませんが、その人がよんだ句に、ほととぎすの句があります。これを見てもわかるのです。あの信長という人は、えらい人であるけれども、一気短慮に物をやろうとする人です。信長は「鳴かざれば、殺してしまえ、ほととぎす」と よんだのです。鳴かんのなら殺してしまえと、信長の性質がよまれています。秀吉は、「鳴かざれば、鳴かしてみよう、ほととぎす」と詠んだのです。これも一気短慮すぎます。ところが徳川家康が詠んだ句は「鳴かざれば、鳴くまで待とう、ほととぎす」鳴かんのであったら鳴くまで待つわ。これには、かないません。こういう、えらい三人の人の性格は、鳴かないのなら殺してしまえ、鳴かしてみせる、鳴くまで待とうと、これ位、違うように、人が三人寄れば皆違います。大勢寄れば大勢おるほど違いますけれども、泉先生のおっしゃったのは、「自分の衣、食、住は、ごく簡単にし、生きられたらええという事にして、人を大事にして行け。必ず運がええぞ。」と。これも、鳴かざれば、鳴くまでまとう、ほととぎすです。
どうぞ、そういう風に、皆さんも気を長く持って下さい。
(昭和三十八年一月十五日講話)
TOPへ