TOP
第三十二条へ 第三十三条へ 第三十四条へ 第三十五条へ 第三十六条へ 第三十七条へ 第三十八条へ 第三十九条へ 第四十条へ第三十一条 「事のよし、あしを問わず何事も神のご都合と思え。」
汽車が鍛治屋原へはじめて続いた年がありました。大正の始め頃です。ちょうどお正月の大麻神社のご縁日、その 時に開通式があったのです。 それで私は、子供をつれて家族といっしょに大麻参りにいきました。汽車の開通式に乗せてもらおうと思って、小森の方へ上って行きました。すると小森と立道駅との中間どころで、若い衆、年の頃なら三十位です。自転車で走ってきて、どうしたはずみか、その自転車が私の子供にぶちあたり子供をこかしたのです。 子供はひっくりかえりました。自転車もそこへ倒れました。これはあぶないことだと思って、私がそばへ行ってみたところが、子供は少し唇が裂けて血が出ていました。その自転車のりは、急いで自転車にのって東の方へ走ろうとしましたから、私は「あんた、ちょっと、まちなさい。あんた、この子供どこの子か知らんけれども、子供を突きこかしておいて、どんなにけがしているかわからないのに、そのまま走ったらいかんでないか、まあ、みてみなさい。」と私はその青年に注意を加えました。ところが青年は、止むを得ず子供を起こして調べた。ところが、口びるから血が出ていたので、大したことでないということがわかった。 「まあ、どこの子か知らんけれども、大したけがをしていない、くちびるだけじゃ、私がいいわけしてあげるから、もういきなさい。」青年は、喜こんで東へ走ったのです。 そこで子供の土をはらって停車場へ向かいました。
ところが汽車が、出てしまったのです。その自転車が子供をこかさなかったら、大麻さんへあの汽車に間にあっていたのです。ところがそれがために乗りおくれたのです。 その乗りおくれた汽車が、かやったのです。 池の谷で。 六人か知らん死にました。 もしその汽車に間にあって乗っていますと、その死んだ中へ我々もはいっていたかもわかりません。それで私はつくづく考えたのです。 ああ、ほんとに、泉先生がおっしゃったよしあしをとわず、何事も神のご都合にまかして、決して文句をいうなということを思い出して、ほんとにそうだ。あの自転車の青年が、子供をこかしてくれなかったら汽車に間に合っている。 そうすると大けがしているか、死んでいるかわからない。そう考えますと大麻さんが、あの青年を伴うて、そして我々を助けてくれた。難をのがれさしてくれたと解釈し、その青年に お礼を言いたいと思った位です。
これは、あとのことですが、そのこかされたとき、もし私が何か文句をいっていたら、 はずかしいことだったと思います。このように何事も神のご都合ですから、その場面では、これは困ったとか、あるいは、つらいとか何とかいう感じが起きるのです。けれども神の方からみるならば、都合をつけて下さっている、そういう風に思うて行けよと 泉先生から承わったことは違いないと思います。
だれでも、よい事があれば、おかげじゃと喜んでいますけれども、もし悪いことがあった時には、愚痴が出やすいのです。しかし先生は、決して愚痴をおっしゃらんのは、ここから出ているのです。ご都合でこうしてくれているのだから時を待てばよいと、まだ時を待たずして愚痴をいったりするのは、神様にご無礼じゃ。 このように三十条と三十一条は裏表になっている訳です。又その家の因縁です。悪いことができるのです。
たとえば若い者が言うことをきかないとか、あるいは、病気だとか、弱いとか、色々その先の世の因縁で、悪いことがままあるものです。 すなわち、これは、先の世の因縁を支払いをしているようなものです。因縁というものを知らないものですから、愚痴をいったり、あるいはそこに争ができたりするわけです。 あなるほど先の世に、こういう、うちには因縁がある、だからこのようになるのだ。あるいは、人間が悪いのじゃないのだ。これは因縁に使われているのじゃ、このように考えていきますと、自然因縁が消えるのですけれども、この因縁ということを考えずして 目の前にできている事件を考えますと、あいつ不都合だとか、事がわからんやつだとか、いうような争いができるわけです。その因縁さえわかればそれに対する代償はできるわけです。すなわちつぐない。因縁のつぐないです。
そういうことができるのです。けれども、もし知らない場合には、必ずここに家の中に暗い風が吹いて、色々な争いができるわけです。 又、その原因を作っているところの、その本人自身が知らないんです。 因縁に使われているということを知らない。 家族も知らない。そういう場合に、ますますその因縁を消すどころか重ねていくようになるのです。その因縁をさとる、悟れたならば、それから、つぐないができる。すなわち、代償ができる。そうすると、因縁の支払いができるわけなんです。 こういうさとりを彼岸というのです。
迷いの苦労の岸から、さとれた安楽の岸へ渡る、ちょうど川を渡ることにたとえまして、向こうの岸へ渡る。これがお彼岸さんです。こういう因縁をさとって、喜こんで、その因縁をうけていくのです。 それがはっきりわかれば、これに対する代償もできる。 こういうことが彼岸へ渡るということにしてあるのです。
お彼岸さんは、夜が半分、昼が半分、ちょうど昼と夜とが十二時間づつで同じになっております。 すなわち人間の一生は半面は暗い世界を渡り、半面は明るい世界を渡っている。その暗い世界におる間が迷いなのであって、先がどうなるかわからない。 あぶない。それを明るい世界へ渡るというのがお彼岸さん。ちょうど三十一条は、ことのよしあしを問わず、神様のご都合だと、因縁には、こういう因縁があるから、こういう因縁には、この道を通って目を明けてやろう。迷いを晴らしてやろう。そして先で助けてやろうとこういう神様の算盤です。それだから人間は人間の方で、教えの道をつとめていくということが、因縁ほどきになるわけなので、三十一条は、そういう大事なことを書いてあります。どうぞ、その神のご都合ということを覚えていただきたいと思います。そうすると愚痴がありません。 因縁ほどきもできます。それをやたらにせいてはいかんぞというのが三十条です。 さきの二十九条は、好きなものを施して行くというのはこれ代償になっとるわけなんです。
この二九、三〇、三一条というのは、生活の上に日に日にあります。どうぞごとは、おせきにならんようにお任せしておいて、自分ができるだけ、一生懸命に仕事をする喜んでいく。そうして、もし悪いことがあっても神様のご都合でこうして下さいよるんだというので、その悪い間を辛抱し抜く、そうすれば必ず成功目の前にあるとこういうことになりますから、これは若い方も年を取られた方も、いろいろの事情からこういうことがおわかりになろうと思います。どうぞそのおつもりでおよみいただきたいのです。
(昭和三十三年二月二十八日講話)
TOPへ
第三十二条 「人は皆神の氏子である。ただ受け持ちが違うだけ。」
「人は皆神の氏子である。只、受け持ちが違うだけだ。」こういう事を泉先生はおっしゃっておりますが、この氏子と申す事の起りは、ずっと大昔に、例えば、何の何べえという一人の人が家庭を作りまして、その子供衆、或いは、兄弟、こういう人が、その何の何べえという氏の姓、その姓の共通の団楽の舞台を作ったものです。その一つの氏には、多いのは、何百人ものが氏子となっておる。何々氏そうして一番上の頭の人を、氏の長者というていました。そうして、その氏の長者に統卒せられるところの者を皆氏子というていたのです。これが氏子の始まりでありまして、今日では、そういう事でなくして、神様の氏家、氏神、こういう事が、今日、いい伝えられておるのでございますが、泉先生等は、氏子という事に対しては、何処の神様でも、仏様でも自分は氏子である。こういうお考えを持っておったのです。それが三十二条に書いてあります。
どなたでも氏子というと、その氏神様の経費を出して、そうしてその氏子がお宮をお守りしている。こういうのを氏子というておりますが、なる程、それに違いありませんけれども、それは経済的にいう氏子でありまして、人間的な考え方です。泉先生は、なる程、そういう氏子という事も、御存知であるけれども、神、仏に対しては皆氏子だ。
どこの神様へ参りましても、わしは経費を出しとるから、氏神さんである。経費を出さんから氏神様でない。こういう事は、信仰の上からは、間違っている。どこの神様へ行っても、神様は子として育てるのであるから、我々は、氏子である、こういう風に先生は思うておいでたように、我々はお見受けしますが、例えてみますと先生は、初めてお参りする神様にでも、永らく御無沙汰致しました。今日、御前で礼拝させて頂いております。こういう挨拶をなさっとるのを見ましても、どの神様へ向いても、自分は氏子だ。神様は氏親である。こういうお考えであったように思います。
それでまず信仰するものは、氏神であるから、丁重にするの、氏神でないから丁重にしない等の、そういう区別をたてるのは、信仰の本旨にそむくのでありまして、どこの神様へ参っても、参った者は、氏子。こういう考えで親に仕える道を本当の信仰であると、先生は、お教えになっております。
(昭和三十三年三月十五日講話)
TOPへ
第三十三条「おこれば、心の鏡が曇る。」
「おこれば、心の鏡が曇るぞ」と、泉さんはおっしゃっておられますが、この怒るという事ですが、怒るという事は、二通りある訳でございまして、心の底に憎しみをもっておるのを怒ると普通人間は、そう考えていますが、しかしながら、仏様の中に、お不動様のような方がありまして、心の内には、非常に燃えておいでる、しかしながら、この迷っている悪者をこらしめるために目をむいて、歯を食いしばって、御手には剣を持ち、縄を持って、どうしてもお前を屈服ささなきかない。こういう相を現わしておいでる仏様もございますが、しかしながら、人間は、どうもそのそういう心の内に、慈悲を持って、そうして、外に怒っておる様を現わすという事は、中々、出来ぬものと私は思うのです。自分の子どもを教育する上に、最初は、可愛くて、教えるのですけれども、しまいには腹を立てて、憎んで来る。こういう事になり易いので先生は、お不動様のような怒り方は、中々できないのであるから、怒るのはやめよ。慈悲のあまり怒るというのは、これは怒るのではないのであって怒って見せるのだ。こういう先生のお説でございましたが、なるほど考えてみるとそうだと思います。もし怒るという事になりますと、これは情において、憎んで怒るのでございますから、最早仏心は飛んでおります。
仏心というのは、もうひとついい替えると、信仰するものの心というものは、とても清浄でなければ、ならんのであって、憎しみとか、怨むとか、いうような心がありました場合には、もう悪魔でございます。慈悲心は消えております。もう怒れば必ず慈悲心が消えます。消えれば、悪魔の心になります。だからして、どうぞ、怒る事を止めよ。
心の鏡が曇ると、こう書いてありますが、鏡とは何でしょう。これは、私が常にあなた方にお話申し上げました第八識、阿頼耶識です。
この阿頼耶識というのは、釈尊も、弘法大師も、我々にも同じように、神仏が、生まれる時下さってあるところの仏心でございます。仏性とか、仏心とかいいます。人間心を無くして、そうしてこの仏性が働くならば、神仏の働きが出来るのでございますから、この仏性を心の鏡というのです。神の位があるのですから、怒ればそれが曇ってしまうと先生は仰せられているのです。どうぞ、私はあんた方に、お話申す上においても怒るという事は、よろしいのですけれども、憎しみを以って怒るという事のないようお願いしたいのです。
それから、世の中では、この怒るという時分には、三ッの働きがあると、私は思うのです。自分の身体ですが、身振り、それから、その次に、言葉、その次に心、身、口、意、この三ッが別々に、働いておりませんか、と私は思うのです。ある場合に例えば、あいつは、どうも悪い事して憎いやつだ。本当に忌まわしい人間だ、とこう心で思うとるにかかわらず、言葉の上で、なれなれしく柔らかく話をする。或いは身振りを親切そうに話をする。こういう場合があるでしょう。あんた方も、お感じになった事がありましょう。これはいけないのです。その反対なれば、よろしい、心に慈悲を持っていてそうして、身振りは怒って見せる。或いは、言葉は怒って見せる。これならば、お不動様の怒り方でございますから、非常に結構でございます。人間は、中々それが出来ない。ここを大いに注意せねばならぬと、私は思うのです。身、口、意の三ッは、何時も同じでなけれはならない。心でかわいいと思うたならば、言葉もやさしく、可愛いに出ないけない。身振りもそうでしょう。けれども、これは、おかしいもので、心で憎しみを持っていて言葉を上手に使い、或いは身振り上手に使っても、相手方にはこれがわかるのでございます。そうすると、それを聞いておる所の人は、どうも腹黒い人である。こういうような感じを与えまして、人を助ける上において邪魔になるのです。泉先生は、いつもながらこの身、口、意の三ッが本当に、きれいなものでした。もし、心にいけないと思うた時分には、遠慮なく先生は、それを言葉にお出しになっております。但し、憎しみは一ッもありません。本当にきれいですから、この三十三条に書いてあります、おこれば心の鏡が曇るぞと書いてある事は、今申し上げるような訳で非常に大事な事でございます。身、口、意の三ッをどれも同じように使うという事を考えて頂きたいのです。
(昭和三十三年三月十五日講話)
TOPへ
第三十四条「形より、心のさまに気を付けよ。」
「形より心の相が大事だから、気を付けよ。」形よりも、心が大事じゃと、こういう事が書いてありますが、これもやはり三十三条と同じで、形よりも心の相、心がきれいであるならば自然に形も言葉も柔らかくなるのですから一番大事なのは心なのです。ところがこの心の相、即ち、有様です。自分の心の姿というものは、中々わかるものではないのです。どういう具合にわからないかといいますと、これは手前にもお話申しました通りに、悪業を重ねた人の子が、生まれながらにして、その悪業をもらって出て来ている。一言葉出しても、人にいや味に響く、一ツ身振りしても、人にきらわれるとこういうのがありますから、つまり宿業と申して、この世へ生まれて来る前から、そういうものを背負うて出て来ているのです。どうですか、あんた方、こういう事お感じになった事があるでしょう。別に何気なく言っているのですけれども、あの人の言葉いやらしいと、こういうのです。今日の心理学から申しますと、本能と言うので知らずして、やっているのです。
例えば、鶏にあひるの卵と一緒にぬくめて、それをかえさすのです。家鴨は、卵をかえすの下手です。水鳥ですから。鶏は上手です。幾日か母親が、ぬくめる間に、かえります。ところが鶏の親は、どれが自分の子であるか知らない。卵ですから、ぬくめとる。殻から出て来ると、家鴨の子はすぐ様水の中へは入ります。鶏の子は生まれると早、足で土をかいて、何かを拾おうとします。全々習性が違う。そうすると、鶏のお母さんは、自分の子が水の中へ入っとるので、驚いて、声を出して危い危いと言っているのでしょう。何かその妙な声で鳴いています。ところが、これは即ち家鴨の親が水中へ始終入って、育っておりますから、生まれながらにして、教えなくても水の中へ入ります。
これ本能でございます。
これは一例として、お話申し上げたのですが、このようにして、人間も、悪業を重ねた前生の因縁を持って生まれた人は別に、悪意でなくして、言よる事でも、人の方へ悪く響くのです。けれどもその人は、別に悪い事をいっていないのに人が憎む。どうしたのでしょう、あいつ、わしが悪くないのに俺を憎む。こういうて自分の心の相を知らずして、あべこべに、相手方の方を憎む。こういう事が間々、あるのでございます。あなた方も、そういう場合に、お会いになった事あると思います。
こういう風に、自分の心の形というものは、因縁によりまして、知らず知らずに人を害している場合があります。
よほど自分の心の相というのは、わかりにくいのです。自分を知る、これは金剛経というありがたいお経文にも書いてありますが、実の如く、己の心を知るという事は、非常なお蔭になっている訳です。仲々、実際の通りに、自分の心の相を知るという事は、むずかしいことなのです。その事を泉先生は、三十四条に、お書きになってあるのです。
どうすれば、自分の心の相が本当にわかるか。こういう事になりますが、自分の心の相が、人様から見て、清浄に見えるという風にする事が、修業でございますが、どうすれば自分の悪いのがわかるかといいますと、これは「我」というものをのけなければいけません。自分がよかったらよい。人はどうでもよいという、その自分という事です。自分というのをのけて、人の身になって、考えねば自分の相は、わからないのです。泉さんは、その点が非常に、ご修業ができて、おいでたのです。人から、生神、生仏といわれるだけあって、すぐ人の事に思いを置かれて、ご自分ということは、考えておられないのです。
たとえてみましたならば、私は一度泉先生が、お腹が痛いとおっしゃるのをききました。泉先生は、自分の体のわるいことは、なかくおっしゃらんのですけれども、そのときはお腹を押えておいでました。我々のような力の無いものが、泉先生の御安泰を祈るという事は、御不礼かも知りませんけれども、一ぺんお参りに行ってこうと思いまして、連れの者、二、三人であの松原の岩清水八幡様へお参りしました。先生、一寸お参りに行ってまいります、と御案内しておいて八幡様へ行ったのでございますが、その実は、先生の祈念に参ったのです。そうして、八幡様の前でただいま先生には、おなかが痛いとおっしゃられていますから、どうぞ安らかになりますようにお願い申し上げます、と申し上げて、ただいまから、お百度を踏ましてもらいます。そう申して、線香の一束の一本ずつに火を付けて、一ぺんお参りしたら、一本立てる、そうしてその八幡さんの前へ砂をかき寄せまして、少し高くしたのです。そして、その砂の上へ線香を一本ずつ立てました。そうして、その砂の形が丁度先づそうですね、五寸位の長さに丸くせずして、小判なりに、砂を盛って、それに線香を立てたもんです。そうして一ぺんお参りしては、一本の線香に、火を付けて、それに立てる。全部で百八本立てました。お数珠の数だけ立て、そうしてお願い申し上げ、八幡様へ祈念して帰りました。「先生、ただいま帰りました」と申しました。すると先生は「ああお帰り、一寸こちらへおいで。」と言うものですから、私先生のそばへ参りました。一寸その手を貸してくれんか」と先生が申しますので何気なく先生に私の手を出しますと、先生は、私の手を握って、そうして先生のお腹の所へ引っ張っておいでる。「村木さんよ、この腹の上、お前さんどんなに思うぞ」といいながら、私の手をとって、おなかをなでました。そうすると、先生のおなかが不思議や、私が八幡様の前で砂を盛りました、その小判なりのように、お腹が高く固くなっているのです。お腹の皮の上が、ちょうど小判なりに少し持ち上がっている。「村木さん、これどうぞい」「ええ、先生、一寸高うなっとります。」「うん、これはお前さんが砂盛った形ぜ。」私はびっくりしたのです。「百八本の線香、ありがたく受け取った。お蔭で楽になった」とおっしゃる。そうして、しばらく私休憩一ぶくしとりました。
「さあ、村木さん、もう一ぺん手を貸せ」今度ぶり先生のお腹をなでた時分には、もう先生のお腹は柔らかく、以前の小判なりの後は跡形もなく消えております。「ああ、お蔭で楽になったぞ。安心してくれ」こういう先生のお話でありましたが、これを私が思いますのは、あのような偉いお方ですから、今日のお参りに行くのは、わしの事を八幡様へ祈念に行ってくれているということをご存知であったと思います。
お社で私が砂をかき集めて、丸いものこしらえたことを先生がお受けになっている証拠には、お体が丸いものが持ち上がっている。百八本の線香立てた、それも御存知、こういう風に、私がしている事を先生は、お休みになっておっても、ちゃんと知っておいでる。これは即ち先生というものが消えて、私というものに入れ代わっている訳なのです。だから、私がしている事がよくおわかりになる。これが仲々むずかしい事で、わが身を人の身に置き替えるという事です。これがむずかしいのです。この修業が出来ますと、自分の心というものは、ほんとうに、鏡のようなもので、すべて外のものが、皆映るんだという事になるわけです。
泉先生は、よく人の事を知っておいでる。人が何を思うてもよく知っておいでられる。何故先生にそういう力が、出来たかといいますと、我心を無にして、慈悲心で人の事を思いやるという尊い御修業をなさっておりますが為に、よくおわかりになるのです。よくおわかりになるから自分の心というのは、鏡の如く映るんだという事をおっしゃっております。
この自分の心の相を知るという事は、そういう訳で、自分というのを無しにして、まず人は、どうかと人を安心させて、苦労を抜いてやるというのでなくては、自分の心の相は、わかりません。たいていの人は、人から憎まれるというと、憎まれた自分が悪いと思わずして、憎むものが悪いと、こういう風に観察しやすいものなのでございますが先生は、そうじゃないのです。先生などは、人に憎まれる事はありませんけれども、もし、何か曲がり事がある場合には、自分が悪いんだと、すぐおっしゃる。これは、第三十四条に書いてあります、形よりも、心の有様に気を付けよ。とこうおっしゃって教えられた大事な文句でございますから、中々自分の心の相というものはわからないものです。それをわかろうとするには、どうしても今申すように、人の身に自分の心を置き替えねば、わからん訳です。
神様、仏様はお怒りにならないのです。神様の罰が当たった。或いは、仏様の罰が当たったとかよく言います。
「神様が喜んでおらん」「仏さんが喜んでおらん」と拝んだりすると、言われる事なんですが、その神様もお怒りになりますけれども、その怒るというのは、困らす為に怒ったのでないので、教える為に、悟れ悟れという一ツのおしめしなんです。我々が怒るのとは違います。
例えてみますと、ある旧家の家に気の毒にお家が逼塞したのです。つまり、俗にいう貧之したのです。ところが、そのお家は、元々大けな家ですから、お墓が非常に大きいのです。お墓の石が大きい。ところが、家には金が一文も無しになった。ところが、ある石屋さんが「あんた、そんなに困っておいでるんであったら、あの大きな墓あるの、あれ一ツ売ってくれませんか」ひそかに御主人に話したところが、御主人は「ええ、あれ先祖の墓ですけれど、そんなに高く買うてくれるのであれば売ろうか。」「ところが引いて行くのに困る」「それでは夜、手伝いに来ますわ」というので、その先祖の墓碑を済まないと思いながらも、車に積みまして、そうして、土手の上を、引いて石屋さんの庭へ、運んでおったのです。ところが、どうしたはずみか、土手の上から、車が転げまして、川の中へおとしこみました。近所の人にいって手伝ってもらって、上げるという訳にもいかず、難儀をして車だけ引き上げて帰ったのです。その墓は、水の底へ埋まってしまったのです。
ところがその後に、その息子さんが病気なさって、お医者様にみてもらったところが、「これは恐水病というて水を見たら、癲癇みたようにひっくりかえるだろうと医者はいうのです。「ご主人は息子が水を見たら、すぐはねかえって死んだようになるのを心配のあげく、泉先生の所へおい出て、「家の子供が、どうも堀の端へ行くと、水を見たら引っくりかえるのです」と申しますと、泉先生はお拝みになりました。
いわれるのには「御主人、あんたの、若いしは水の端へ行けないだろう」「ええ、先生、水見たらいかんのです」
「うん、ところがな、お前様とこの墓を見ると、一ツ墓の数が足らんがな、御主人どうぞい。」「ええ、先生恐れ入りました」「うん、墓が一ツ足らんなあ、立派な墓が一ツ足らんなあ」「ヘイ」御主人は、「ヘイ」と言うても、その墓は、石屋さんへ売ったのですから、その事を言うのを、はばかって「ヘイ、恐れ入りました。」とだけいっておるのです。先生は、尚言葉を厳然と正しておっしゃる事には、「御主人、お前さんとこの墓が足らんのは、水の底に墓が見えるんじゃが川の底に、どうじゃいなあ」もう、その御主人も、先生にそう突き込まれて、本当を語らざるを得ん事になりまして「先生、恐れ入りました、実は御先祖の墓が立派なので、それを売ろうと思うて持って行く途中落とし込んだのです。」「そうじゃな、川の底に今、うまっている。御仏というのは怒るものではない。おこっておいでるようにみえても、実はお教えを下さっているのだ。墓を売るという事は実に、ご先祖に対するご不礼じゃ、こういう事をするなという事を教えるために、あんたの子供が、水を見たら、すぐ癲癇が起こる。こういう病気を煩わして、たすけてやろうとなさったのだから、何とかしてそれを、元々通り引き上げておきなさい。そうして、おわびをすれば、すぐ直る」と、こう先生がおっしゃったのです。そこで御主人は、そう致しますといって身の毛を立てる程びっくりして帰りまして、その川から、夜又人知れず水の中へもぐって墓を綱でくくって、上へ引っ張り上げてもらって、元々通り建てたのでございます。すると、その息子さんはすぐ直りました。
世間では、拝んでもらったり或いは色々見てもろうた時分に、仏がおこっとるとか、さわるとか、よく言いますが、泉先生は、そうおっしゃりません。これは不心得をさとすために水に縁がある場合には、水で困らす。悟れ悟れというみ仏の慈悲の有様ぞ。とこういうお話がありましたのです。
私はそれを承って、如何にも先祖が後の者を憎んで、病気さしたりするような事はないはずだ。そういうまちがいしておると、運が悪いから、水の縁のために、病気しとるのじゃから、悟れ悟れと教えとるのだと、こういう事を、泉先生がおっしゃりました。なる程いかにもと、私は、先生の尊さに頭が下がりましたのです。
皆様は、よくお聞きになるでしょう。神さんがさわった、仏がさわったという事を。そうして、仏というものを、こわがらすような事を教えておりますが、泉先生は、そういうような事はおっしゃいません。仏が喜んでおらん。こういう事していては、先々で運が悪い、だからその事件があった事を思い出すように、病気をさしてあるんだと、こういう教えです。如何にも、神さんや仏のお怒りになる事は、慈悲に燃えておいでる。つまり、御不動様の怒り方です。そういう風に、あんた方もお考えになることが、泉先生の尊さがよくわかると思います。
人間は、怒れば憎むようになります。修行が足らないものが、怒ると腹の底から憎んで来ます。その心の状態は悪魔になるから、人が助からないのです。どうぞ慈悲心を持つように、おこるという事は、勉めてしないようにせよ。というみ教えなんです。誠にありがたい教えと思います。
(昭和三十三年三月十五日講話)
TOPへ
第三十五条 「礼儀は人の見えぬところでも、つくすのがまことの道。」
この礼儀と申しますのは、大体今日では人に会うたときのならわしとなっております。もともと礼儀の起こりと申しますのは、その人に対する敬いの表現ということになっております。この点から考えますと、二つの種類があるわけです。一つは、その人の徳に対し敬礼するということと、もう一つは、いかなる悪人でも仏性あり、これは弘法大師もいわれております。釈尊もいわれておりますが、いかなる悪人といえども、その人の心の底には仏の心がある。これは、人間ばかりではなしに、生物すべてがそうなっております。これを仏性といいます。
仏性と人間と両方面ありますので、一つの方のその人のみ徳を礼するというのならば、その人が見ている所でするのも、それはよろしい。みないところでは通じない。こういうことになりますけれども、もしも、仏性すなわち、その人の守り神様です。人毎に守り神さんがついておいでになるのですが、その方に敬礼するというのならば、その人が見ていても、見ていないでも、その人が知ろうと知るまいと関係なく、その仏性に対しておじぎをするという二つのみちがあるわけです。信仰するということは人間の、一番最高の、仏性をみがき出すという練習でございますから、 見ても見ないでも、自分がその人の姿を見た場合には遠方の方からでも敬礼するということがたてまえであります。泉先生に私は、おともしたことがありますが、遙かに何里も遠方の山の上に森がある。村木さん、あすこは何々の 神さんであるといわれて、そうしておじぎをなさっているのです。又、村木さん、この向うに、誰それがお通りになっておるといって敬礼なさっています。
このようなことから考えますと、泉先生がお経文一つ知らず、文字一字知らぬお方でありながら、この信仰ということには実に徹底したお考えを持っておられたのであります。ですからなるべく皆様も、この敬礼ということに対しては、そういうお心がけが必要なと思います。無理に腰をかがめておじぎをしなくてもよろしいが、遠方に人が見えた場合は会釈をする。はるかにその人にむかって礼儀をあらわすという程度でよろしいから、そうなさることが、修行上大切なことです。これは別に、我々が今日やかましく言わなくとも、一山の祖師になられたような偉い方は、みんなそれをなさっておるのですから、どうぞ、その徳をしたうという意味と、仏性に敬礼すると二つの意味から、やはりなさるのがよいと思います。 この三十五条は、先生の口から私にお教えがありましたわけで、まことに結構なことだと思います。
(昭和三十三年三月二十一日講話)
TOPへ
第三十六条 「運というものは、困った時の心の向けようで幸運にも不運にもなる。心の運び方が大切。」
この条も、まことに書けば簡単なことですけれども、考えると非常に意味の深いことであります。世間では運が悪いとか、よいとかよく言いますけれども、運というものはどんなものか、こういうことをせんさくしてみますと、人が因縁を作る。悪い事でも、良いことでもよろしいが、何か因縁を作りました場合には、その因縁の原因によりまして、その人の身の上にいろいろなことが現われてきます。これを運というのです。ですから運というものは、言いかえれば、因縁によってくるところの結果であるということができます。ですから その運がもし悪かったという場合には、困ったというなと泉先生はおっしゃる。どうしてこんな困ったことが出来たのであろうか。因縁を自分でに考えて見る。ああなるほど、こういう事をしたから、このようになったのである。このように、原因をつきとめました場合には、その原因にあるところの因縁を解消すれば、運があらたまってくるわけです。ですから此の運ということは、いつもその原因を知る、どうしてこんなに不運になったのだろうかということを知りませんと、まことにいつまでもその不運というものは、続くというわけです。これはおかしな話ですが、あの猿が血を見ると泣くとよくいいますが、これは、猿は知恵が足りませんから、血が出ると泣き出すのです。そのわけはといいますと、かりに猿が大勢おりまして、一匹の猿がけがをする。すると、つれがなおしてやろうと思って、木切れでも、竹切れで持ってきて、血の出ているところへ押しつける。むやみやたらにつよく押しつける。だんだん傷口を大きくする。 ついには小さなけがでも大けがにしてしまうのです。 それを猿は知っておりますから、血を見ると、これはむごい目にあわされると思って、いっしょうけんめいに泣いて逃げる。このようなことがあるそうです。つまり因縁の解釈がまちごうたのです。
人間にもそういうことが種類は違いますけれどもよくあるわけです。ですから、猿が血を見て泣くということを、もの笑いにできないわけです。泉先生のお話ですが、ある家に子供が馬や牛にやる草を、川の端へ草をかりにいった時のことですが、水を見るとにわかにぐあいが悪くなって倒れるのです。今日医者は「恐れ病」という名をつけております。何故水を見ると、こわいのだろうか。これには必ず原因がある。即ち因縁があるわけです。そこで家族は心配して、泉先生にお世話になったのですが、泉先生のおっしゃるには、『ご主人お前さんのお家は、古いお家で立派な石塔がたくさん並んでいますね。』「はい、今は貧乏いたしておりますが、もとは、きやすく、くらしていたそうでございます。」「ところが御主人、わたしがあなたところの石塔をかぞえて見ると、一番背の高いりっぱなのが石垣だけ残って、上の塔が見えませんね。これはどうしたのですか。」すると、その御主人は返事に苦しんだのです。「ハイ」といったまま返事ができなかったのです。先生はなお、言葉をつづけられて、『この墓は見えないが、今水の中にはいっておりますぞ、わかりませんか。』と、ここまで先生にいわれると、御主人も、もちきれないで「先生、恐れ入りました。実はお恥ずかしい話でございますが、貧乏の苦しさに、実はこんなことでございます。或る日、石屋さんが来られて、「あんたところの石塔は、実にりっぱな石塔だ、それをお売りになったら、相当なねうちがございます」と、まさか石屋さんも売らないかといいかねたのでございます。その話をきくと、私は売る気になったわけなのです。それで人知れず、夜の間に石屋さんの方へ運んでいく途中、どうしたはずみか、行く道の堤防の上から川の中へ、車のままひっくりかえってしまったのです。夜のことで向うが見えず。又向うから人が来あわせていたために、見られてもまずいと思って、ちゅうちょしたために、あやまって、車がひっくりかやったのです。ところが大きな石塔はあげるわけにゆかないので、車だけなんぎして、引っ張り上げて、引いて帰ったのです。その後、それを取りにいくといっても、なんぎであるし、そのまますててあったのです。」と、はっきり申しあげたわけです。 泉先生は、実に気の毒そうなおももちで『御主人、これは先祖が川の底でつらがっておるということを、あなたの御令息に知らしておるので、決して御先祖はとりついたりさわったりするのではない。それが為にあんたとこの若い衆は水をみたらはねかえる。悟れ、悟れという風にお教えになっているので、これは、ごきとうもなにもいりません。これは墓をあげてもと通りに建てなさい、なおります。』その後御主人は、又夜行って、川の底へもぐって、綱で結んで、引っ張り上げて、帰ってもとの通り建てたのです。すると、こどもの病気は直ってしまいました。 ここでございます。うちの息子は水を見たら、たおれるという時分に、まことに困ったことじゃ。うちの若いしは、草もかりにもやれない。ああ、こまったことじゃといって、いくらなげいてもなおりません。即ちその不運なことが 何故できたか。どうして、こんなことになるんだろうかということを考えたならば、自分のつくった先祖に対する御無礼の因縁にきづくわけです。ああ、これはまちがっておった。こういうので不運を切り開いて、ご先祖におわびした場合にはかえって信仰の道にはいれる。人は死んだら土じゃ、後はどんなにしてもかまわないといったことではなくして、先祖は生きておいでるのといっしょだ。まったく「この世と、あの世とは生きても死んでも天地は我が家」と泉先生が教えたのは、なるほど、違いないとそう覚った時に不運がかえって幸運になるのです。それをただ、困った、困った、で行きましたならば、ほんとうに益々こまるようなことになるのであります。運というものは、まことに妙なもので、因縁の結果なのだから、不運の時分には、困ったというひまにどうして、困るのだろうかという因縁をさがして、その因縁を解消すれば、幸運になれるとこう教えたわけです。
(昭和三十三年三月二十一日講話)
TOPへ
第三十七条 「形あるものは、日々に変化して行くものであるから形の無い心にしめくくりが肝要。」
人は形あるものは、あまり変化しないとお思いになるかも知れませんが、すべて我々が目に見るところのものは、皆変化しているのです。例えば、赤ん坊が日々に長じて大人になる。光陰矢の如しと、昔からいいます。すぐ白髪が生えて、歯が抜けて、お年寄りになって世を去る。これはよくわかります。すべて形あるものは、いつまでも、おるかといいますと、そうじゃありません。木でも竹でも、みんな寿命というものがあります。それから机でも、家でも。皆年代がたつとこわれてしまう。もう一つ大きく考えますと、あの山でございますが、山でも変化しているのでございます。皆さんご承知でございましょうが、山の上から貝がらが、たくさん出る山があります。これは、海の底であったわけです。浄瑠璃で、あの「弁慶の安宅の関」という義経が奥羽落ちする所のあのあたかの関所ですが、今では、一里も沖合いにあるそうです。このように土地でも、山でも変化せぬものは一つもありません。そのように、すべて形あるものは、皆変化するのです。決して頼るべきものじゃない。これを弘法大師は、いろは歌にお作りになった。いろはにおえとちりぬるを、わか世たれそ、つねならぬとおっしゃっている。今咲きほこっている桜でも散るのじゃ、色はにおえど散りぬるを、わか世たれぞ常ならぬ、誰ぞ自分の世が、いつも変らずにいけるものか、人間の一生というものは、それは実に変化つねならぬものである。それを歌にお作りになったのであります。あのように、すべて、変化していくものです。讃岐のあの長福寺というお寺がございますが、よく泉先生のお世話して下さるあのお寺さんです。あそこの、方丈の廊下に置いてあります、大きな骨は、象の骨の化石なんです。つまり、それがマンモス象の化石です。これが取れましたのは、瀬戸内海です。漁師の網に、かかってとれたそうです。このように考えますと、あの瀬戸内海が、もと熱帯であったということがわかります。地球も、熱帯が寒帯になり、或は温帯が熱帯になり変っていくそうです。学者の話では、四万年すれば一回転するそうです。年代がそろそろかわるのですから、世の中は、千変万化し、いつも常態でおりません。これを無常といっております。私は、これを形ということにて話をいたしましたが、これを財産とおいてみます。そうすると、昨日まで富限者だったのが、今日は実にお気の毒で没落したとか、あるいはもとは殿様だった、その殿様のむすこさんが、車を引いておいでるとかこういうことをお聞きになったことがあるでしょう。このように人の世も、幾変せんするのです。昔からの歴史を見てもわかりますが、信長が天下を統一しまして、京都の本能寺で明智光秀に殺されて、天下は光秀が取った。然し、信長の家来の秀吉が、これを滅してしまった。そこで光秀は三日天下といいます。三日間将軍として、天下を治めたことになっております。次は豊臣の天下になりました。その豊臣の天下も、あの大阪城、有名な大阪城を築いて、これなれば大丈夫と思ったのでしょうが、秀吉一代にして、二代目に家康が天下を取って、あのりっぱな城に住んでおいでたとこの、家来や主人公の秀頼公、こういう方は皆自殺しております。桃山というところへいきましたら、その時の切腹をした血の板が残っております。このように人間の一生というものは、まことに形の上からいえば変るものです。決して安泰でずーっと続くということはありません。ところが、これは形の上でございますが心の方さえ、締めくくりがありますなれば、いつまでも これが安泰に続く、すなわち日本の皇室をみましても、おわかりになるように、百何十代皇統連綿として続いております。これは、天照大神が三種の神器を、子孫におゆずりになられて「この鏡を見ることは、私を見るような思いを 代々していくならば、この日本の国は安らかに、皇統連綿として天地とともに栄えるであろう」とこうおっしゃってお渡しになったあの有名な三種の神器、これを大切に代々の天皇は心に締めくくりをおいて、人民を大切にして、御自分は大神宮様のご遺言を守っていた。その結果、今日迄百何十代と続いておるというわけです。泉先生は形にあるものに力を入れるより、心の方に力を入れよとおっしゃった。形といえば財産で御座いますが、 財産は増そうとすればふやせるかも知れませんが、しかし子子孫々に至るまで続くものではない。心の上に締めくくりがなければ続くものではない。このように泉先生はおっしゃっているが、なるほどその通りです。 この徳島県に先頃国勢調査がありましたが、千年続いている家は、まことにないそうです。千年といえば、一代が 三十年とおきまして、まず三十代でありますが、そのお家がよむほどしか無い、あとはほとんど、千年以内の歴史か持っていないということになっております。何がそうさすのでしょう。すなわち、心にご先祖を思うという締めくくりがなかったならば、財産を中心に力を入れてもだめだ、いかに金殿玉棲を造ったところで続かない。如何に学問してもそれでも続かない。一番大切なのは心の締めくくりである。このような教えなんですが、それでは、心の締めくくりというのはどんなことかと申しますと、これはみなさんが、常に大事にけいこなさっているところの信仰上の教えなのです。これが心の締めくくりのつけるということになるのです。このなかなか変化ということにつきましては、実に気の毒なお話もたくさんございます。又、続いているというめでたいお家もこれもございます。寺方を見ましても、段関の真福寺なんかは、約歴史が三百年位続いている寺でありますが、まつられぬところの仏さま、すなわち無縁仏、三百からあります。過去帳にはありますが、誰がまつっておるのか、どこへ子孫がいっているのか、これさえもわかりません。更に無縁仏の後を調べますとお気の毒です。これは、真福寺に限りません。どこのお寺さまでも、何百からのまつられん仏があるのです。それで泉先生は、そのようなことがあっては、まことに人生は気の毒だから、形あるもの日々に変化する。このような形のあるものには、力を入れずして、どうぞ心の方に力を入れていくのがよろしいぞといわれたのはここにあるのです。泉先生は、学問も何もなさっていませんけれども、このような天地の真理ということについては、実に深いお考えを持っておいでた方です。 この心の締めくくりということにつきまして色々ありますが、誰でもわが身を大事、自分の家は大事じゃというので、いかに子供の教育をいたしましても、それは心の締めくくりではないのです。おつきあいする皆さんが、共に助け合い、共に手を取り、拝み合いということを教えたのはここなんです。人も我も同じである。自分のいやなことは人もいやなのだ。人のいやなことは、人にはしない。人におすすめするのは、喜ぶことをおすすめする。このように人の身の上を第一においてゆくならば、必ず自分の運はよくなる。これが天地の真理なのです。 それであなた方も、色々社会の変化する状態をよく考えてごらんなさい。自分の家だけ、自分の家族だけよかったら、よいという家は必ず栄えないのです。泉先生は、どうぞ、そのような落ご者の無いように、皆さんが一人残らず助かって、喜んでいけるようにとの教えなんですから、この条はまことに必要な大事な教えです。 法華経にもありますが、常不軽菩薩というお釈迦様のお弟子が、いつも人を見たら手を合わして敬礼する、わるい子供たちは、不軽さんを一つもてあそんでこようというので、竹でたたいてみたり、石をうちつけてみたりして、いろいろいたずらをしても、にこにことして、それをよけて、手を合わして、その人の方へむいて敬礼をしている。 すなわち先刻申した、その仏性人の魂それにむいて、あんなに悪いことをするけれども、あれは人間がしているのであって、心の底には、仏様がついているのだといって拝むのです。ついには、ただそれだけのことで、常不軽菩薩 として、立派なみ仏になられたということが、法華経に書いてありますが、これも心の締めくくりです。どうぞ人から悪く仕向けられても、決して腹をたてないで心に締めくくりを入れて、あれはあの人の因縁が悪いからあんなことをなさるんだ、悪いことをいう人でも心の底には、み仏の光があるのだ、それが埋もれているのだ、それが早く、心の底の仏性が出て、その方がよろこべるようにと、手を合はして、その人をおがむならば、向こうの人もよくなるかしらないが、自分が身あがりするのです。どうぞ、心に締めくくりを入れてということはそのように人を大事にということですからこのところをよくお味わいください。 (昭和三十三年三月二十一日講話)
TOPへ
第三十八条 「総てのものは、天と地の力でできている。たとえ、土の塊も人間とは何の相違もない。ただ役目と形が違うているだけである。」
「土のかたまりも、人間も同じだ」という大きな思想を先生はもっておいでたのであります。これは申すまでもなく 今日の人生観、或は世界観、宗教観というものが、これにすべてふくまれております問題で、非常に広範囲の問題です。大体、この天地創造の古いことからお話しないとわかりませんが、たとえば、ただ今、万物の霊長といって、誇っておりますこの人間、これが生物の中では知恵もあり、力もあり、ほとんど全世界を掌握している姿であります。
ところが、人間の歴史をさかのぼって考えますと、いかなる人も父、母のない人はありません。父母、この二人の方が自分というものを、この世に出してくれているわけで、その父母も又父母があります。このようにして、計算してみますと、倍々になっております。自分、父母、父母の父母、父母の祖父母、このようになりますと、十代たちますと、五百何十人の父母があるわけです。僅かに十代です。十代といいますと、三百年位たっているお家がそんなものです。仏壇に祭ってあるところのいはいは約二十ぐらいのものです。十代ですから、父母という名のつく方は、五百何十人もあるわけです。するとその数多くの父母は、どうなっているかと申しますと、自分の家の仏壇には、おまつりしてありませんが、他の家庭でまつられているわけです。これが、倍の計算になるのですから、二十代をかぞえますと、五十幾万人分という大きな数字になってまいります。しかるに、我が仏壇にまつってある方は二十代ですから、まず六百年位のお家です。そのおうちには、四十かそこらのお位牌かないわけです。殆んど五十万の父母と名のつく方は、よその家庭で祭られているということになっております。
それで仏壇の行事といたしましては、本尊、ご先祖、まつられていない無縁仏、有縁無縁の法界仏、この三だんに おまつりするのが、今日のならわしになっております。日本の国からいうならば、既に皇室は百二十余代になられております。時代からいうならば、二千六百年、という長い年月をもっております。このことからいいますと、ほとんど皆さんは親せきというても一向さしつかえないような結果になるわけです。
なお、その二千六百年をさかのぼりまして、五千年、一万年あるいは、十万年、二十万年とさかのぼりますと、そのご先祖は、どういう姿であろうかと想像してみますと、もはや着物を着て、帯をして、げたをはいて歩くところのご先祖じゃありません。ご先祖のこと申してあいすまないのですが、これはうたがいもなく、四つ這いをして尾の生えていた姿になってきます。これはあきらかなものです。
しかし、そのご先祖が一人土地に生えたものでなくして、この方にも、父母があるわけです。そのようにして、何十万年、幾億万年とさかのぼりますと、そのご先祖の姿は、ますます単純になりまして、ついには肉眼で見ることのできないところの姿になるわけなのです。顕微鏡で見なければ見えないという、ご先祖になってしまうのです。その顕微鏡で見なければ見えないという、ご先祖は、どこから来たか。この方にも父母があるわけです。
こういうふうにして考えますと、お経文に書いてある通り、無始即ち始めのない、いわゆる無限の昔にさかのぼることになります。そうすると、その天地がどのような姿だったかと考えてみますと、おそらくその時代は火の玉だったと想像されます。それなれば火の玉の中から我々のご先祖が生れたかと、こういう結論になるわけなのです。
ところが、この火の玉の中に生き物が生在できるかということなのですが、この火の玉が冷えて、次第に温度が下がってくる。その表面が冷却して土ができてくる。水がうるおうてくる。このようになりますと、いつとはなく、そこへぽつんと生れたところの生き物ができたのです。それがいわゆる大ご先祖なのです。
このようになりますと、我々のずーっと無始の昔のご先祖は、そういうところへ、ぽつんとお生まれになったのですから、これを言いかえますと、砂つぶの中、どろ一つぶの中にでも、天地のみたまがこもっている。このようなことも言えるわけです。
その最初のおおご先祖が、低い水の所に住んでいる人があり、あるいは、土地のしわがよって高くなった山の上に住んでいる人もあり、あるいは、くぼんだところの谷に住んでいる人がある。また川に住んでいる人もあったでしょう。或は海の中に住んでおった人もあるということになります。そういたしますと、その住む場所に応じたところの姿でないと生活ができません。それで水に住むご先祖は次第次第と形が変りまして、水を泳ぐのに自由にできるような姿になったわけです。又ふけ田や沼に住んでいる人は、ぬまの上をすべっていくところの貝がらをもった姿になり、あるいは歩くものは鶴のごとく足が長くできてきた。こういうわけで、自分の生活するのに、もっとも便利なように恵まれた姿になってきたわけなのです。これが、今日生きものが十万余からの種類ができたというわけなのです。即ち 境遇に応じて、楽しく、暮らせるところの姿にして下さった。天地がです。いいかえれば、神仏が、そのようにして下さったという結論になるわけです。
このことからいいますと、人間は、生れたということでないということになるでしょう。生れない、無始の昔から 火の玉の中にでも住んでいたのだ。こうなると、生れたのではない。生れたのでないならば、滅するということは無いわけです。即ち姿は天地の息が通っている間は生きている。その通いがとまった場合は、分解して、たましいになって行く、こういうふうになりまして、魂というものは不滅のものであるといえるわけです。
そこで砂つぶといえども、泥のかたまりも我々人間も、ふるい昔の歴史の先祖をお尋ねすると、おなじものであるというわけなのです。たとえ、土のかたまりも、人間も何の相違もないと先生がおっしゃったのは、ここにあるわけです。役目が違っておるだけだ。そうするとすべてのものは、我々と同じ先祖をもっているのだ。唯今日、ここに生れてきて役目が違っているだけのことである。このような広いお考えを、先生はお持ちになっていたのです。
でありますから、先生は、犬を見ても、牛を見ても、何をごらんになっても「人」の如くおっしゃったのです。 「あの人」こういうことをよくおっしゃいました。あの人駆けるの速いとか、おっしゃって人間と同様に可愛がったというのは、先生のお心は、こういう大きな思想から出てきているわけです。
そうして、これを一口で申しますと、たましい、即ち心は泥の中に眠っている。あるいは岩石の中でねむっているのだ。そうして草木で夢を見ているくらいだ。動物になって、はじめて目ざめて活動している。こういうことが、言えるわけです。ですからすべてのものには、魂があるということは、これでおわかりになったと思います。
ところが、そこに死というものがあるのです。死ぬということは、いいかえますと、天地の霊が通わなくなって、その物が、分解していく、これが死ということになるわけです。決して死んだのではなくして、役目が違うてきているというわけなのです。
こういう論法を先生は学問なさらずして、そうして、それを実行の上にお考えをのべられたわけです。
(昭和三十三年三月三十一日講話)
TOPへ
第三十九条 「海中の魚も生きている間は、塩が体に浸まぬが、命がきれたら塩漬になる。すべて、心が体におさまっている間は、他から何ものも侵入できぬものである。」
海の魚は、生きている間は、あの塩からい塩がしみません。あなた方が、おさしみをあがっても、塩からくないでしょう。甘い、おいしいのであの塩からい潮水の中で泳いでおったと思わぬくらいに、塩が体にしみこんでおりません。ところが、一旦息がとまりますと、その身体の中へは、塩がしみこんで、塩づけのようになるわけです。
先生は、いつも、海の上で、漁業をなさっておいでたのですから、お若い間にお考えになっていたのです。 ああ、どうも不思議なことじゃ、あのからい潮の中に住んでいるのに、肉の中に塩がしみこまない。死んだら塩がしむ。こういうことの深い意味を学問でなくして、先生のお考えの中で、それをお悟りになっていたわけです。
この条にかいてあることも、すべてのものは、天地が通うておるものである。それが、自分という一つのものに通うておる時分に生きておるという。それが抜けて、外へばらばらに変ってしまった時に、これを死んだという、こういうふうに先生はお考えになっておいでたのです。
実に今日の、進化論とかあるいは哲学とかいう、むずかしいところの学問を先生はけいこなさいません。お知りになりません。けれども、海の中の魚を見、あるいは星を見、月を見るにつけ、なぜ、これができたのであろうかという考えから、高遠な、宗教上の大問題を心の中で解決なさっていたのです。
それで今日、弘法大師様のお書きになったものを拝見すると、四海兄弟世の中のものは皆、兄弟だ、このような事をおっしゃっているのを考えますと、なるほど先生のおっしゃる土くれ一つにでも人間とは、相違ない。このようなお考えから、弘法大師もおっしゃられたことと私は拝察するのです。そうしますと、生物に慈悲をかけてやる。無慈悲なことをするな、無益な殺生するなということも、これではっきりおわかりになると思います。このように考えますと、先祖を崇拝しなければならぬということも、これでますますよくおわかりのことと思います。
又、明治天皇陛下は、あの教育勅語の中にもお書きになってありますとおり、夫婦相和し、朋友相信じ恭倹己を持しと、このようなことをおっしゃっておいでることも、あの明治天皇も実にとおといお方でありまして、すべてのものに、お慈悲をおかけになったということを、歴史の上で拝見するのです。
こういうことは、学問ではなくして、自然に心の中で、そういうことがお悟りになれるのです。私らは、この泉先生の信者として、先生はどういうところから、ああいう、大きなお慈悲が生れたのかということを考えて、先生のお心を自分の心に織りこんで、つねづね草木一本にても、あるいは虫一匹にても、これに対する無益の殺生はしないと、こういうことを、お考えになると、まことに結構だと思います。
ところが、まちがいますと、こんなことが生じるのです。たとへば、たんぼにたくさん虫がわいたとします。然し、これは生きものだ、これを殺すことは、殺生だろうか、何だろうかと、こういう問題です。ところが、考えますと、 これは、われわれみたように、世の中に神仏のみ跡を慕うて、そうして、この世界を極楽にしていこうとするところの立役者、すなわちその人間が食料として、いただくのであるから、外の虫などが、これをおかすということは、この極楽世界建設の上に、邪魔になるのだと、だからすまんけれども、大の虫を救うために、小の虫は後へよってもらうと、こういう意味から農薬を使って、虫を後へ寄ってもらっても罪にならないと、こういうことになるのです。
それが間違いますと、あのビルマの如くまことに気の毒な信仰におちいります。虫一つ殺さない。 たとえば、虫どころじゃありません。鶏だろうが、牛だろうが、古くなりましてもそれを殺さない。それを養うのに飼料費がいる、それで生放してしまう、このようになると、慈悲であるか、何だかここに考えが違うてまいります。そうしてお互の此の土地へ、極楽世界を建設しようという大目的を失いまして、まことに気の毒な国になっていくわけです。
これはすなわち、大乗仏教の立場から考えますと、慈悲と申したところで、やはり自分の身辺から順に及ぼして、行くのでなくては、ほんとうの慈悲はあらわれません。殺生ということにつきましても、勘違いのないようにお願いしたいと思います。泉先生は、いつもそういうことをおっしゃっていました。
お蚕さんをかっている養蚕業というのがあります。あの蚕に桑を与えて、大きくして、繭をつくってもらう、そうして作りあげたその繭を、人間の用途にする。あるいは着物にするとか、あるいはひもにするとか、いう具合に益の作ったものを 人間が使うております。然し、そうするためには、蚕を殺さなければできない。これらは罪じゃないか。このようなことを考えますけれども、やはり、ただいま申しました通り、中心を人間におきまして、大の虫を助ける、すなわちその助ける目的は、この土地の上に極楽世界を建設するのは、人間がつくらなければならない。
それには又、虫に手伝ってもらうという意味で蚕を飼っておりますために、多くの蚕を殺しますので、蚕供養というのをしております。まことに結構なことだと私は思うのです。そして、国の発達する手伝を受けたということを、感謝するのです。このようにすれば、ほんとうの慈悲ということが、現われてくるわけです。
勘違いして、虫けらも殺してはならぬということになりましたら、国の産業は成り立ちません。即ち極楽浄土を建設するところの中心になる人間を本位に考えていかないと、ものは間違ってくる。そのかわり、大きな犠牲を払ってくれたところの虫けらに対しては感謝の念をささげるというふうに先生はお考えになっていたのです。
今私が、こういうことを考えますと、いかにも先生は、海の上で魚をとるお仕事をなさっておりながら、よくもこれだけの偉大な宗教観をお悟りになったものだと、ますます頭が下がるわけであります。
ある徳島県人で、実業界で大きなお仕事をなさっていた人なんですが、この方が、夏が来まして、蚊がとまるのです。たたきません。吹きとばすのです。あるいは「のみ」がかみます。取っても、つぶし殺さない。おっぱらうのです。そうしてご自分は、どのように、いわれているかといいますと、わしは、どうも虫類を殺さないのだと、こういうことをおっしゃっていました。成程結構なお話しでございますが、その方が、実業界へ手を出した時分に、たくさんな人を困らしてしまったのです。大きな会社をこしらえる。そうして、そこの会社の困難な時分に、法律の行為をとり大勢の責任者を苦しめたため、大きな悲劇が起ったことがあります。これなどを、私が考えますと、その蚊や、のみに至る慈悲を実業界の上へもってきて、そうして、蚊やのみよりも、もっと大きな仕事をする人間をかわいがったならば、そのような悲劇はなかったと私は思うのです。
ここが、大切なところでありまして、十善戒にもいっておりますあの「不殺生」ということをとり違えますと、虫けらを大切にするのは一つの形であって、人間を苦しめたということになります。本末をあやまっていることになります。ですからみなさん、農家の方も多くいようと思いますが、農業上収穫を非常にじゃまするところの虫でございますが、そういうものに対して、まちがいのないようにしていただきたいと思います。そうしませんと、泉先生のご意志に添わないことになります。泉先生は、そんなお考えのもとに不殺生ということをお考えになっていたのです。
無用に、ざんぎゃくに、殺すのではない、この土地に極楽世界を建設するのに邪魔になる場合には、そのものに出直してもらう、後へ寄ってもらうと、こういう慈悲のもとにすることが、ほんとうの慈悲だと、いうことをおっしゃっていたのです。どうぞ、泉先生のお心に添うように、お願いしたいものだと思います。
ただいまお話しました不生不滅の原理ですが、生じたのではない。天地創造の昔には火の玉から生れてきたんだ。
これは、両親はないのです。天地大神のお仕事によって生れたということになるのですから、これを宗教では不生の原理といいまして、生れたのではない、形が変ったのだということが、もっとも大事なことでありまして、真言宗では、 阿字と申して、お墓の上へあの字を切り込んでありますのは、不生の原理、その有り難い文字になっておるのです。
不生、生れていないのだから、両親が無くしてそこへ出てきているのですから、形が変ったんだということです。 生れないのですから、不滅のものであるということになるのです。これが一番宗教上大切なことでありまして、もしも滅するのならば、消えてしまうものであるならば、信仰はおこらないのです。消えてしまうということになりますと善も消える、悪も消えるとなると、やり次第だということになって、ご先祖も土になっているならば、今さら後からの供養も何もいらない。こういう、くらやみの世の中ができるのですから、この先生のおっしゃった土くれも、我々も同じだということは、不生の原理をおのべになっているのです。もっとも信仰の上には離すことのできないところの大切なお説ですから、どうぞ、その意味でお考えを願いたいのです。
(昭和三十三年四月十五日講話)
TOPへ
第四十条 「あれやこれやと、形を改めても心が改まらねば何もならぬ、お陰は心にある。」
形というのは、幾ら改めて、よいようにしようと思っても、根本の心が、改まっておらねば、唯、形式だけの事で何の効果もないという事を、先生がおっしゃったのでございます。
例えてみますと、昔の話でございますが、只今、大阪に阿弥陀池という所がありますが、あしこは元、池がありまして、その池の方に阿弥陀様をおまつりしてあったのです。その池の堤の横に、一軒家がありまして、そこにはお婆様と娘様との二人が、ささやかな暮しを立てておりました。二人は僅かばかりの田甫を作り、お婆さんと、一人娘とは非常に仲良く、無事に暮しておったのでございます。
ところが、この一人娘に御養子を貰うたのです。今迄ええ人であったお婆さんが、どういうものか自分の可愛い娘を、御養子に取られてしもうたというような考えでございますか、おばあさんは事々に嫌な事を言うので、おとなしい真面目な養子さんであるけれども毎日が面白くない。今迄の平和な暮しは、急に曇った家庭の状況に変わってしまったのです。そこで娘さんは、お婆さんも阿弥陀さんをよく信心なしていたのですが、娘さんも、お婆さん同様阿弥陀様のお世話をなしていたそうです。
そこで考たんです。「これは困った」これは娘の話です。私から考えると、養子さんは悪い人ではない。又、母親のお婆さんも悪い人ではない。どうしてこんなになるのか。又、どうすればこれが、きれいに朗らかな家庭にいけようか、色々考えて形を変えてみたんです。それは朝起きる、早速、わたくしたち二人は仕事に出る。そうしてお婆さんには体裁ように、お婆さんの喜こべる様に、お付き合いしていたけれども、どうしても空気が変わりません。
益々不和に落ち入って、遂には養子さんの方からは、いらない者の婆さんの様に思う様になり、又、婆さんからいうても嫌な養子さんのように見えるようになって来た訳なんです。
そこで私は、これはこのままで行くと、どうも内の家は殊にお婆さんは可愛相だ。又、養子さんも可愛相だ。というて、私がどうする事も出来ない。「いろいろ私はくろうをいたしました」と、つぎのことを娘さんが思いだしたのです。
それは、お隣村に孫さんが病気になって、胃が悪くて、物を食べれば腹が痛い。それでお医者様に見て貰うと、その柔かい物を食べて、そうして少したべて休んでいるとよろしい。そこで母親は、お医者様の言う通りに、子供が欲しがっても、お粥より他に与えない。又、食べるお菜まわりお味噌とか、梅干しとかを、その外の物は食べさせない。ところがお婆様は、それが可愛相でならん。母親も可愛相だから子供に不自由さしているのです。早く治そうと思うて。お婆さんも子供可愛さのあまり、こんなに欲しがるのに、少しやってもよかろうというので、母親に隠して子供の欲しがる饅頭だとか、或いは飴だとか、それを食べさす。又、おかずまわりも、お味噌や梅干しでは、これは美味しいない。可愛相だというので母親に隠して、おさしみだとか、お魚の美味しいのだとか、肉だとかいうものを隠して食べさしたものです。ところが、子供は益々悪くなってくる。これは困った母親は大変な心配、お医者さんもこういう筈でないんじゃが、ガテンがいかん、そうして子供は、大変衰えてしまった。そこでお婆さんも、これはいかない、お医者さんの言う通り可愛相でも、食養生ささなだめだという事を悟りまして、もう隠して子供を喜こばす事を止めたそうです。するとお医者様の言う通りスッーと治った。
こういう事を阿弥陀池の横の娘さんは考えた。なる程、隣村にそういう事があった。わたしも、これはお婆様を考えると、お婆様が私を可愛がってくれる。養子さんも私を可愛がって来れる。その可愛いさ余って、可愛い一人娘を養子に取られた様な気になるのだろう。又、自分の夫も、まことにおとなしく、親切にしてくれるけれども、親切にされるとお婆さんが、その親切を邪推して、お婆様がつらくあたるのです。丁度隣村の孫さんが病気した時に、婆さんと、お母さんが感違いした様なもんだ。これは何とか一つ工夫せなければならないというので、阿弥陀様へお参りをして、色々考えた。
これは形の上では駄目だ。形の上で、いくら、変えても駄目だ。その考え付いた事が、阿弥陀様のお蔭で考え付いたんじゃが、実に恐るべき事を考え出したのです。
それはどういう事かといいますと、或る日お婆さんが阿弥陀さんへお参りに行っとる留守で、養子さんとお話が出来た。どうですかあんた、あんたが何ぼ親切にしても、親切にする程、わたしも同様、親切する事が返って邪推を招くもとになる。これはお互いに、お婆さん、にくらしいと心で思うとるにかかわらず、形の上ではきれいに言っているから通じない。又、お婆さんも、そんなに悪いお婆さんでないのであるけれども、一人娘の私を取られたような気になって、心持ちがあんたの方へ向いて嫌なんだ。その嫌なお婆さんにとって、あなたが私に対しての親切が返って邪推をする元になるんだろう。これはとてもこれではいけないからして、あのお婆さん殺してしまいますかと話をして 養子の顔をジロリと見ると、養子さん涙を流しとる。それはあんたも、私の言う事を聞いてびっくりしたでしょう。しかし、それには方法があるのです。もうこの年の暮には阿弥陀さんの御縁日があるから、その晩に、あんたは、お婆さんを、池の中へえ突き込んで貰う、けれども今こうした、あんた方やお婆さんとの間柄、他人が見たら、これは日頃仲が悪いから、あの養子さんがどうかしたんだろうと人に疑われる、それで悪い事ではあるけれども一ぺん孝行の真似をする。もうやがて殺すのだから心から喜こばしてやろう。殺される婆は、私の母で可愛相です。可愛相なと思うて何とか二人で出来る丈の孝行をしてみませんか。そうしたら、もしお婆さんが池の中へころげ込んでも人が、 我々が殺したとは言やすまい。どうでしょうか。ところが養子さんは、そうだなあ、それは真に気の毒だ、しかし、 まあ、出来る丈やってみよう。というので約束が出来その日から可愛相だという心でつかえました。その慈悲の心でお婆さんに、精いっぱいの孝行をしたものです。
例えば朝起きる、まあ、若夫婦は、早く起きる。お婆さんはお年寄だから床で休んでおる。その時分にお母様、御飯が出来ました、まあ、お年寄は、朝が起きにくいんだから、お休みなしとって、おめしあがりなさいませ。きなこ餅こしらえて来ました。こういう風にいうと、ああ年寄りをいたわってくれると、ありがたくおばあさんは思っている。ところが言よる者は、もうやがて殺すんだ、可愛相だなあと涙の慈悲で給仕しているのですから、お婆さんは、それを真うけになった訳です。心が可愛相なという気でしているのだから、それは通じます。養子さんは又、婆さん 今日は田甫へ出るんですけれども、少し早起きしたんで、末だ露がありますから、この間にあんたの腰をもみましょう。まあお婆さん休んでおい出なさい、というので、足を揉む、こういう風にして、出来る丈の孝行をお婆さんにした訳なんです。
さあお婆さんは、こらどうしたのだろうか。今迄はすぐ気に入らん顔していたのに、えらいこの頃わたしに親切にしてくれる。これは阿弥陀はんのお蔭だろうか。いやお蔭に違いない、信仰というのは有難いもんじゃなあ。私は悪気は無いんじゃから、それを知ってくれたんじゃろう。こういう風に、お婆さんも変わって来た。
そうするとお互いに真心のかち合いになります。例え殺すという事でありましても、殺すんじゃから、ほんに可愛相に、まあ一ツ、喜こばしてという事が中へ入っていますから、つまり悪い乍らも慈悲でございます。可愛相なと思うてしているんですから通じます。そうして、日に日に孝行を続けていくのを、お婆さんは喜こんで受けておる。
ところが今度は評判になったんです。それがあの隣村のお婆さんとこの養子さん、あんな養子さん世界中探したってないわ、朝早うから起きて、お婆さんの肩を揉む、腰をさする、又嫁さんは実の子だから違いはないけれども、珍しい物が有ったらお婆さんに、一番に持って行く、あんなうらやましい家庭はないわ。というので非常に評判になった、ああ、そらそんな位の事はあるで。あのお婆さんが、朝も晩も、あの阿弥陀はんへ御奉公しよるん見てみなはれ、あれは阿弥陀はんのお蔭じゃ、こういうような事で、阿弥陀はんのお蔭というので、もう隣近辺いうに及ばず、村々迄もこの評判が高くなってしまった。日がたちまして、秋も過ぎ去って、阿弥陀さんの御縁日も近づいて来た訳なんです。さあ、明日の晩は、阿弥陀はんの御縁日の晩だと、それであんたこれ考えなければならんのだが、人通りの多い時にお婆さんがお参りすると、こちらが引張る事が出来ぬから、私がお婆さんと遅うにお参りするようにします。そうして人通りがないようになったら私が、お婆さんを連れて、提の上へ行きますから、あんたあの、かやの中へ隠れていて、お婆さん引っ張り込んで下ださい。こう娘さんが言い出したんです。
ところが、その御養子さんが聞いてくれると思うたところが、思いの外泣き出したのです。ああわしは、前に、お前にそういう話を聞いた事がある。ところが、可愛相になあと、やがて、殺さんならんと思ったら、それが悪い事が 出来んで心から、お婆さんに仕えたところが、これが、天に通じたのか、お婆さんは、もう本当によくなり、今では あんな良えお婆さんはない。わしはそんな事嫌じゃ、そんな事話にもしてくれるな。
そこで娘さんが、ああ、有難うございます。あんたは、そういう気になってくれましたか、何と申しましても私は生みの親ですから、殺したくはありません。けれども、前のようなのであれば暮していけないと思うて、あんたをだましたようになって誠に悪い事てございましたけれども、本当の慈悲をかけたら、その真心が通じるだろうと思って殺すということで、可愛相にという心で、あんたに出て貰うたら、あんたの心の綺麗なのがお婆さんに通じるだろうと思うて、私は御相談申しあげたのだけれども、私にしても、あんたのおっしゃる通り、あの婆さんは、長く生きて貰いたい。あんな良いお婆さんはないとあんたがおっしゃる。私もそう思うのでございます。二人が堤の上で、お婆さんを引張り込むということを思うと、身の毛が立つという風になり、遂に娘さんも、養子も本当に孝行が出来た訳です。お婆さんも又、本当に、二人の真心が喜んで受けられるようになってきました。阿弥陀さん迄も孝行な子供やばあさんの信仰によって有名な阿弥陀さんになったという話が残っとります。
とにかく、もう先生のおっしゃる、あれやこれやと形を改めても、心が改まらな何にもならぬ。お蔭というのは、心に有るのであって、形にないんだと、こう先生がおっしゃった事がかっちり合ってる訳なのです。まあ殺すんだから、本当に、可愛相だと思うでしょう。あゝ、可愛相に、やがて殺すんだから、本当の孝行を身を投げ打ってでも本当の孝行を見せなならんと、こうなるのですから、根が慈悲に変わっておりますから通じた訳です。
泉先生は、こういうところを、お教え下さっているので、この四十条に書いてある事は我々が考えますと、これはこうしたいというものが、ありましたならば形を改めてもいけない。先づ神仏の教えに従って心を先に改めなければ駄目だ、こういう事なんです。これは、大変結構な先生のお教えとわたしは思います。
(昭和三十二年四月三十日講話)
TOPへ