291~300条

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第二九一条 「道路の角石一ツを取り除く手元にも神の光はさしている。」


これは、人が徳を積むという事は、そんなに遠方の事、大きな事を考えなくてもよい。日常生活の中にそれが有るというような意味を書いたのでございます。たとえば、ここに書いてあります通り、三角の石が道にあったら、これは、はだしで通る人があると、けがをする。それを一ツのけても、これが信仰になっておる。こういう事を書いておるのでございますが、これは一ツのたとえでございます。これが人の為に、世の中の為に益になるという事は、もうすぐそこで、その場でして行くのがよいという事でございます。この道を通ってみますと随分そういう事が感じられるのでございまして、これと反対に、ガラスとか、あぶない物を往還へほうってあるとこもございます。あるいは、きたない物を往還に捨ててある事もございますが、これ等は反対でございまして、道は見てもきれいにすると、こういう事が一番信仰の手っ取り早い事でございます。これを積みますと、いつの間にやら、信仰が出来るという心になる訳でございます。
この一般の皆様が、道徳、道徳とやかましく言うておりますけれども、それは、そんな大げさな事を考えなくても、日に日にお付き合いの上で、皆様があぶない物はのける。喜ぶものは、して行くと、こういう風にすりゃ、もういつの間にやら、きれいになるのでございます。往還でも、自分の庭はきれいにするけれども、官有地の道路は、よごれていても知らん顔しとるという事が良くないのでございます。自分が通る道は、すなわち自分の物なのです。その道にきたない物を置くとか、あぶない物を置くとかいうことを、取りのけて行くというのが、たちまち、はや、心使いが信仰になっとるのでございます。日に日に、こういう足元からやるという気が付きましたならば、その他の大きな仕事は、必ず出来ていく訳でございます。小さい事さえ出来んのであるならば、尚更大きい事は、出来んのでありまして ちょうど世の中の人は、どうしていようとも、この三宝会の方々は、どうぞ、手っ取り早いところからして行くという事を。泉先生が、そうなしたのでございますから。
泉先生は、いつもお話し申す通り、道に縄切れが落ちていても、それを横へのけなさる。わらじが落ちていても、横へのけなさる。こういう、ほんの足元の簡単な事をなさっておりました。その小さな事をするという事が、大きな事が出来上がるという元でありまして、やはり泉先生を信仰する以上は、先生のご人格に似て、真ねをして行くという事が、一番早いと私は思います。
(昭和三十七年三月十五日講話)
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第二九二条 「真の智恵の世界は、言葉で言い表わせぬほど、不思議なものである。


真の知恵と言いますのは、これは、人間の猿知恵と違いまして、神仏の智恵という事を、真の智恵と書いたのでございますが、この神さん仏さんが人間を助ける所の、その智恵というのは言葉で言えない。実に不思議な知恵をお使いになるのだと、こういう事書いているのでございます。これは、法華経のお経文の中には、沢山な事、これを書いております。たとえばお釈迦様がお話なさるのに、ここに大きな分限者の家が有って、もうその大家の家には、どんな物でも有る。人の欲しい物は、どんな物でも蔵の中へ入れてある。所が、出る口が一ツかない。出入りする口が一ツかないんじゃと。そうして、今その大きなお分限者の屋根には、火がついて、燃えておる。あぶない話じゃと。
子供衆か沢山有る。縁の下には、むかでや毒虫がうようよしとる。こういう事を、お釈迦さんが一例に引いております。そうして、そこのご主人は、子供を助けようと思って、その一ツしかない出口から出ていって、ああ、皆あぶないから出て来い。あぶない。あぶない。今、屋根が燃えとるんじゃ。むねが燃え落ちたら大変だ。縁の下には沢山の毒虫がおる。早く走って出てこい。幾ら声をからして呼んでも、子供衆は、出ようとしない。この面白いのに出られるか。そこで、そこのご主人が考えた。この子供は、訳を言うても、もう智恵が無いからわからん。智恵は有っても、自分の遊びの方へ夢中になって、自分の身のあぶない事も知らん。どんなにかして助ける道は無いかしらん。
そこで蔵の中から、今日であれば自動車です。蔵の中へ沢山な車を入れてある。しかが引っ張る車、牛が引っ張る車、馬が引っ張る車、もうどんな車でも有る。それを皆引っ張り出して、そうして門の外ヘズーッと並べて、「さあ、 早う皆出て来いよ。出て来た者には、これ皆やる。自分の好きな物やる。どれでも、さあこれ見えんか。」ところが 子供は、「あら、きれいな車が、沢山並んどるわ。あれくれると言うんじゃ。出て行こうではないか。」さあ出て行くというとご主人は、決してうそは言わない。さあ、この白牛の車でも、しかの車でも、どれでもあげる。子供らは 皆飛び出てきて、そうしてその車をもろうて、喜んで外で遊び出した。そこでご主人が言う事には、「皆、あちら見てみい、どうじゃ、屋根が燃えとるじゃろうが。」「あら、あんなに燃えとる。あぶない所で遊びよったなあー。わしらは、まあ良かった、自分らは、お父さんが助けてくれた。」そこで、親の慈悲という事を、大変喜んで厚くお礼を言ったというような事を法華経に書いてあるのでございます。まあ、これは一例でございます。
どうでございますか。皆様が困っておる。色々不運とか、難儀とか、色々な苦労しておる中に、人間としての生活に、日に日に苦労があるのに、それを免れようとせずして、ただ金をもうけてやろう、名誉を得てやろう、こういう事にもう力を一杯入れておる。そうして悪い因縁を作って苦労の種をまいて、そうして難儀をしておる。
ところが、そこでお大師様や、泉先生のような方の、あの助けぶり見てご覧なさい。そこへお頼みに行くと、「あ あ、お前さんは不運じゃなあー。」「ええ、先生不運でございまして、もう先生、為す事、考える事がどうも。」
「いや、それはなあー、お前様は心配ないぜ。お前さんとこのご先祖は、ふたところに有るのかい。」「ええ、そう でございます。山の所に有るのと、お寺さんに有るのと。」「うん、あれ、おまはん、山がこの間くずれとるのに、一ツも直さずにほおってある。」「ええ先生。その暇がごわへんの、忙しいて。」「これは直しなはれ。頼みなはれ。 運はくれる。」「先生、そうだすかいな。」「そうだすかいなって、おまはん、山がくずれて、どこへすべって行ったのやら、下へころげ落っとるでないかい。」「ええ、もう誠に気の毒な事なんです。」さあ、早速帰ってきて、それを直してお言い訳した。体は、達者になるは、運は直って来た。こういうような事が、泉先生や、お大師さんのご一生には、沢山有るのでございます。
これを、ただ今お話しした事を考えて見てご覧なさい。そのもうけをするとか、運を直すというのは、一ツのこれは、お賃であって、ほんとうは、神仏というのは有り難いもんであるという事を知った場合には、それがどこへでも使えるようになるのです。それが為に、大きな運を拾うようになるのです。ちょうど拝んでもらう。見てもらうなどという時分に、色々なお話をしてくれるのは、これはお賃でございます。一生の内に、たった一ツでございます。 ところが日に日にしよる事は、悪い因縁を重ねてゆくものですから、そのお賃もらったので、それでまんまんとして、ああもう何じゃ、神さん、仏さん、その場が済んだらええんじゃ、というような事になりますと、いつまでもいつまでも苦労は絶えません。神様仏様は、これをかわいそうに思って、ちょうど、先刻お話しする通り、むねの燃えとる所の 家の下で遊びよるのと一緒で、それをどんなに言うてやっても、子供は、この面白いのに、外へ出られるかといったような調子で、神仏の有り難みを説いても、一向に耳に入れようとしません。そこで、偉い人は、この機会にというので、神さん仏さんの慈悲を売りつける。売りつけるということばは、悪いですけれども、売りつけるようなものです。そこで有り難みを覚えて「あら、弱ったなあー。今まで、神さんや仏さんや、そんなの考えとらなんだ。」そのお賃をもろうて、喜んで親の慈悲を悟るという事は、ちょうどその火事場をご主人が、子供を救うたという事になっとりましょう。こういう風に、その助けるには、いかにも知恵を上手にお使いになっとるという事を、ここに書いてあるのでございます。
これは、お話をすれば沢山な例がございます。いつかもお話し申しました事でございますが、この吉野川の上流に大きなおうちが有って、そこの人が、むす子が大学を卒業してもどって来た。村の人は、私とこの村に大学卒業生が初めて出来た。喜んで行かんかというので、そこのお分限者のうちへ喜んで行く。すると、だんなは、有り難う。まあ、お陰で内も大学を卒業して、これから又、世の中のお足りになります。一ぺん皆様が、そんなに祝うてくれるのなら、内も一ツ皆様に来てもらって、一杯飲んでもらおうというので、村中の人を呼んでお祝いをした。そして、その記念に、これ一ツ私とこで土地を分けてもらいますから、この狭い往還を、もうちっと広い事にしようではないか。
皆に、相談した所が、村の人は、ああ結構でございます。土地は買うてくれるは、それで道を広げるんだからというので、早速話がまとまって広い車が自由に通る道を開いたそうです。
その時に、そこのお分限者の家の庭先に有った大きなくすの木が、道を広げたものだから、道端へ出て来たそうです。大きなくすの木は、その根元に大きな穴があいとって、たぬきが住んでいた。たぬきの巣があしこに有るのに、道端へ出て来たなあといって、大変皆がおじていた。ところが、ご主人が、いやあ、狸は取りついたりするもんでない、というので、さっそく番頭はんに穴を埋めさせた。番頭はんは、コンクリートで、穴を埋めてしもうた。
ところが、その晩から、そこの大学卒業した若だんなが大熱になったので、医者を呼んで、熱さましのませても、一向になおらん。直るどころか、あくる日になると、こん限り木に登る。庭の木にだれが何と言っても登っては降り、登っては降り、もの言わん。ご飯も食べん「家の若いもん、気が違うてしもうた。」それを、泉先生所へ拝んでもらいに来たのです。私、横におったのですが、先生がおっしゃるのには、「お前さんとこは、古い家じゃなあ。十六代、古い家じゃなあ。」「ええ先生、私とこ、古うございます。」「今度、内方の若いしが大学卒業して、この間お祝したかい。」「へい、いたしました。」「それで記念として、村の道を広げるという事を、あんたなさったなあ。」 「へえ、やりました。」「その時分に、あんたとこの庭に有ったくすの木が道ばたへ出てきて、そのくすの木の中にたぬきが居ると言うて人がおじたのを、あんたは、なあに、たぬきが取りついたりするもんかというて、コンクリートで番頭はんに埋めさしたな。」「へえその通りです。」「ところが、ほんとに居る。親たぬきが、子供三匹産んで、乳飲まさんならん。ところが、その穴のホラがずっーと上へ上がっていて枝の穴が、小さな穴が横にあいとる。それから出ようと思うて首突き出しても体が出んので、登ったり降りたり、登ったり降りたり、たぬきは大変、ああ、つらい事してくれたものじゃというんで、泣きの涙で上ったり下がったりしておる。その通り、あんたとこの若いしが、 柱へ登ったり庭の木へ登ったり、登って降り、登って降り、してくたびれてしもうとる。どうぞい。」「先生、もうおっしゃる通りでございます。」「これは、たとえ下等動物にでも、慈悲をかけてやらないかん。取りつけヘんと言うて、そんな事迷信じゃと言うて、あんたはしりぞけたが、あんたは迷信をだ破してやると言ってなさるが、それで子供しが放っといたら死んでしまう。何も取りつくんじゃない。そういう無慈悲な事すると向こうが恨む。まあ、こんなつらい事してくれてなあーという思いが通って、内方の若いしが、気が違うとる。どうですかな。迷信打破と言うて、そんな事ないとおっしゃりますか、直りませんぞ」
さあそこのご主人ビックリしたぞなんぞでない。「先生、もう恐れ入りました。先生どんなにしましょうに。」「どないって、もうそれは急いで帰って、コンクリートを除いてやりなさい。そうすると助かります。と同時に內方の若いしもなおる。」この話を聞いてご主人が飛んで帰ったのです。すぐ番頭はんに言うて、そのコンクリートをのけた所が、三匹の子供が、出ん乳へ吸い付いとったそうです。親は食べ物が食べられんので、乳は出んけれども、子供に吸わしてもう半死になっとる。ハァハァ言うとる。さあ大急ぎでご馳走してやった所が、まあ恐しさも忘れて、直ぐ食べたそうです。そうして、その晩は犬等が来んように垣をして寝たそうです。あくる日見に行った所が、もう早、垣破って子供を連れて、よそへ行ってしまっていた。けれども、そこの若主人はなおって「お父さん今日、何日で。」「お前、ものが言えるようになったか。」「いや、ものって、私この間、おとついから、どなにやら苦しくて苦しくて、木に登ってから、その小さい、こう、この穴から出たら助かると思って、そんなのばかり思って登りよったのじゃが、目が覚めたような気がする。」「ああ直ってくれたか有り難い。」もう家族中の人が喜びで、先生にお礼を言うたという話があるのでございますが、こういう風に、そこの家は誠に旧家の大家であって、真っ直ぐな家なのです。
真っ直ぐな家は、ええんじゃけれども、迷信を退けると言うて、もうそんな下等動物じゃから、そんなものが人間にさわったりするか。こういうような事言うて、そういうような事になりますと、しまいには神さん仏さんやいう事は、有るんやら、無いんやら、わからんという事になりやすいのでございます。ところが、先生は、それを機会に、ほんとの信仰を植え込んだ訳です。そこでもう、そこの主人、家族全体、村の全体は、ほんに泉先生は有り難いお方や、これでこそ思いというのは通うもんだ。あの人助けてやろうと念じる事もきくのやと、お百度参り 有り難いのじゃ。実に信仰と言うのは、誠に有り難いもんであるという事を、村中の人が悟りが出来て、大助かりになったという例が有るのでございます。
こういう風に、神仏が人を助けるというのは、お賃をくれるのです。誰でも金が欲しい。名誉が欲しい。財産が欲しい。長生きがしたい。こういうような事は、考えて居ますから、その欲しがっておる物を、恵んで、そうして神仏のお慈悲という事を知らして、そのお賃をもらうた為に、ご縁になる訳なんです。ちょうど、親が子供を立派な偉い子供にする為に、「ああ、お前さん、何しなさいよ。そんな事せんと、ここで庭を掃いたり、学校の勉強したりしなさい。こんなお賃上げる」子供はお賃欲しさにしていたのです。ところが、してみると面白い、又お賃もくれて有り難い。いつの間にかお賃の為に、ほんとうの自分の為すべき事を覚えて、運が良くなる。親が子供に、しつけするのと同じ事で、神仏が人間にお賃をくれて、そのお賃が目的ではない、偉い人間をこしらえて、運のええ人間をこしらえてやろうというのが神仏の目標です。ここの所を、皆様お考えになって、お間違いのないように。拝んで病気をなおしてくれる。あるいは、運を良くしてくれるという事は、これは一ツのお賃で有って、もうちっと大きなものをくれるのです。そのお賃に、夢中になってしもうて、お賃をもらうと、神仏の有り難みを知らん、というような事では、大きな損でございますから、泉さんは、これをやかましくおっしゃったのです。神仏のお賃にほれて、ほんとうの信仰を忘れなよという事を、先生はやかましくおっしゃったのでございますから、この二九二条は、どうぞそういう風にお考えになって、お陰が有ったと言うて、お陰は、お賃でございますから、お賃だけに惚れんように、ほんとうの神さん、仏さんのお慈悲を慕うて行くならば、ずっと大きなお陰をくれるのでございますから、その事をお考え願いたいと思うんです。
(昭和三十七年三月十五日講話)
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第二九三条 「運と不運の二ッは無い。人の一生に、むち打たれる時、それを甘受すると、恨むとによって別れて来る。そのむちを避けようとする者はひきよう者である。しっかり味わうと、そこに言うに言えぬ慈悲の味がある。


不運の時に愚痴を言うのです。「うちやまあ、神様仏さんお参りして信心しよるのに、それにこんな事になる。まあ病気して困る。家が不運になって困る。」こういう事いうと、これは愚痴になるのです。そこを泉先生が教えておいでるのは、例え病気をする。不運が有っても、ああ、これはやがて助けて下さるんじゃと。これ、もし、信仰でもしとらなんだら、もっと悪いんであった。良かった。こういう風に喜こんで受けるのを甘受すると言うのです。まだ、ひどい人になりますと、悪口言いますんじゃ。「神さんも神さんじゃ。うちら、これ親の代から神仏参りしよるのに、それに、こんなに運が悪い。どこやらは、神さん、仏さん一ツも拝みもせんのに、それに病気やせえへん。あほらしくなってきた。」こういう事を言うのを、私聞いた事が有るのでございますが、それは決して甘受するのでないのでありまして、いかに信仰なさるお家でも、どんな偉い人でも、病気という事はする場合があります。それで、泉先生は、これを分けておい出になりました。 「体のわずらいは、いかに偉い人でもなさる。これ病と言うんじゃ。自分は勘違いして、神様、仏さんに逆うような事して、これは気の方から病むからして病気と言うんじゃ。病気と病とは違うぞ。」まあ、こういう事を、先生はおっしゃった事もございます。ともかく、この悪い時に、愚痴言うのです。これは神さんにご不礼言っていると、先生おっしゃっておりました。まあ、これ、信仰しとらなんだら、もっと悪いのであったのにと言うて、益々信仰重ねると大きなお陰をもらう。ここが大事な所で、運とか、不運とか言うのは、心の上で来るんで「わしは字は知らんけれども、字を知っとる人に教えてもろうたのに、運という字は運ぶと書いてあるそうな。」先生、そういう風におっしゃるのです。何を運ぶんならと言えば、「やはり神仏の喜ぶように、こちらの心を運ぶんだ。」と。「そうすると、ええ運が来るんだ、愚痴言うたら益々悪うなるぞ。」こういう事を先生がおっしゃったのでございますが、どうですか。どうぞ、世の中には、色々な教えをする人が有りまして、色々妙な事言いますけれども、泉先生の教えは、たとえ自分はつらい事があっても、ああ良かった。これ、神仏のご縁が無かったら、もっと悪いんであったのにという風に言うて、喜んで神仏に益々行を積んで行ったらよろしい、と先生はおっしゃりました。
それから、先生は、又こういう事もおっしゃったのです。天地自然の事は、神仏がなさっているのじゃから、見てみよ。あの谷川が流れとる水をせくんじゃ。せきをする。すると谷川が止まるかと言うと、中々せけばせくほど、水が増して来て強い力で押して来る。人間はあのようにせないかんと、先生はおっしゃったのでございます。
流れとる谷川をせいてご覧なさい。すぐに水がせき一杯になります。又、せきを積み上げる。又一杯になります。
しまいには、そのせき突きくずしてでも流れなきかんと、こういう風に人間の一生でも、まあせかれるような事があります。病気の場合とか、運の悪い時とか、拍子の悪い時とか、何とかいう時には、ちょうど流れをせいたような、せきをせられたような場合も有りますが、益々それでくじけんように、愚痴を言わんように、益々せきをせかれても、自分の運ぶ所の力は止めんように、益々徳を積んでいったならば、必ずそのせきは越えられる。こういう事を先生が教えてくれた事がございます。
なるほど、よいたとえと私は思いますが、どうぞ皆様もご運強く、ご無事でおいでる場合は結構でございますが、時として、もしそういう苦しい場合が有りましても、愚痴をおっしゃらんように、益々信仰を、泉先生のおっしゃる通り積んで行く事が、終いに、勝つ元になると私は思います。
(昭和三十七年三月十五日講話)
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第二九四条 「悪人を憎む事は、神の心に添わぬ。その罪を犯す心を悲しんでやり、その罪を負う心を愛してやってこそ助かる。


この悪い事する人を憎む事は、神の心に添わぬという事ですが、なるほど、これは世の中というものは、善人ばかりでありません。どちらかと申しますと、人の心に添わん事をよくする癖があります。お互いに、その時分に、これを憎むという事は、人間同士がする事でありまして、神仏はよくご存知なのですから憎みません。あんな事知らずしてしているのか、知ってしているのか、ああいう事していると、こうなるんじゃがなあと、早もう先の事、知っておいでるのですから、神様は、罪を犯した心をあわれんでやるのです。そうしてその罪を負うて難儀しよるのを、今度ぶりかわいそうにと愛してやる。こういう心が神仏でございます。
神仏というと、わかりにくうござりますれば、親子と置きますか。母親とその子の間がらで考えてみます。母親が悪い事をする子供を見て、まずしかるよりも、かわいそうにこんな事して、これでは先は頭が上がらんのにと言う事はよく聞くのでございます。そうして、その子が落ちぶれて難儀しとると、まあかわいそうにと、昔からよく言うてありますが、親は悪い事する子供ほどかわいがる。そういう事よく言いますが、悪い事するほどよく可愛がるんでないのでございまして、悪い事すると、かわいがるのがよく現われるのです。良い子供かわいがるのは、もう慣れていますから現われませんが、あの悪い事する者を、お母さんがこんなにした、あんなにしたという事をよく聞きますが、それは、そういう人に向いてよく現われるから、昔からああいう風によく言うのです。親としては、良い子にでも、悪い子にでも、同じような心を持ってあたります。又、子も親の方へ向いては、常に悪い子で有りましても、もう自分が難儀するという事になりますと、もう母親に向いては、ほんとうの真心が出るもんなのです。
この間も新聞に出ておりましたが、あのジャングルで戦争しとった時分に、たまが沢山飛んで来て、そうしてもう自分はたまに当たって、もう助からん。その時分に軍人は、通信票と言いまして、色々な事を通信する用紙を持っとるのです。それに自分の血まみれになった所の手の型を紙の上へ押しまして、そうしてお母さんにこれを。と書いて あるのです。一番おしまいに、もう死ぬ前に書いたんです。さだめし自分の血で押した手の型を、「この世の最後の置きみやげに差し上げます。おかあさん、どうぞ見て下さい。」という意味です。これは、この間も徳島のパコダで兵隊さんの供養した時分に、びわを引く先生が来て、この兵隊さんの事をびわで歌うて供養にしたそうです。遺族の人は、皆頭上げてる人は無かった。もう目が見えんようになって、事がわからんようになる前にした事でございますから、この手をお母さんにと書いてあるのです。血で、自分の指で書いてあるのです。それをびわ歌にして、仏様に供養に差し上げたという事が新聞にも出ておりました。
こういう風に子という者は、子と親との間というものは、常々は、さほどにありませんけれども、何か事がある時には、もう両方が真心で心を現わすものでございます。まあ泉先生も、このそういう所を書いたのでございまして、たとえ悪人であっても、それは憎んではいかん。そして罪を犯しておる者の心の内をあわれんでやる。こんな事しては こんな風になるのに、かわいそうなもんだ。そうしてあわれな姿を見ると、尚これをあわれんでやる。そういう風にせんと信仰にならんという事をおっしゃったのでございます。誠に、私はこれを先生がお話しになった事を書いたのでございますが、いつも先生は、そういうお心でおります。
刑務所から出まして、そうして悪い事した為に、口すぎが出けん人を、私が、色々面倒をみて、一人前にもうける事が出来るようになりました。そうして沢山、お金を儲けた時に、「お前さん、まあ、これ、今までは金が無うて、悪い事したんじゃが、止むを得ずしたんじゃが、こうして金が出来るとどうぞい。世の中の人が、どんなに見えるか」と、私聞いてみますと、「ああ、私が悪い事しよる時には もうみんな、鬼のように思いました。特に金持っておいでる方は、いやらしいに思いました。けれども、私が、おかげでこうして助けられた今日、考えてみますと、私、間違うておりました。ほんとに、私が悪い為に憎まれたのでございまして、まあ、今こうして私等が楽に食べられるようになって、その心で一般の方々を見ると、おかげで助かったんだ。ほんにわしは悪かった。」とういう風に言っていました。もうこの頃は、世の中の人に、どのお方見ても、お地蔵さんか、お大師さんのように思う。そんな事言うておりました。これも昔から、たとえの言葉がございますが、「食足りて礼を知る。」という事があります。まず、気安くいけるようにならんと恨むものです。そうして悪い事を重ねてすると、こういう事になるらしいのです。
それから私は、こういう事を尋ねてみたのです。その人に。「あんたは、今まで、悪い事ばかりなさって、今から もうあんたは良い事ばかりなさっているように見える。所が、世が気安うなったら、一つあんた自分の事ばかりせずして、何をしたいと思いますか。」と聞いたのです。「そうでございますなあ、色々したい事ございますが、」と考えとるので、今度はもう私の方から「あんた失礼なけれども、親御の墓はどこにござりますか。」と聞いた。すると、「木津の金比羅はんの山にございます。」「あんた、お参りに行った事ございますか。」と聞いたら泣き出してね。 おいおい言うて泣くんです。「お参りした事有りません。それでお墓も切って有りません。」と泣くんです。そうして「私は、この金もう親の墓を切る方へ使います。一番先に使います」私は「もう大変結構な事でごわすな。」と言うてほめておいたのです。そういう風に、悪い事する人も、世間からきらわれとるのを知っとるのです。でも、この人は感激した為、よくわかった為に、我がでに改心したのでございますが、泉先生は、その悪い人の方へ向いての心掛けは決して憎んだらいかん。こう教えとるのです。
今のお話のように悪い事する人は、わし憎まれたと知っとるのです。けれども、よう直さんのです。ところが、今気安うなったから「ああ、ほんにこの気安うなったのは、皆さまのおかげであったのだ。こちらが悪かったから、きらわれたんだ。」と、こういう風に悟っとりましたが、その悟らすようにするのが泉先生の教えなのです。いつも憎まんようにして、その人を早く悔悟するように教えてあげないかんと先生はおっしゃっていました。
先生は時によりますと、道で困っとる人に、お金をあげたり、場合によると着物上げたり、ご自分が寒いのに着物上げたりなさる方でありました。まあ二九四条は、そういう風に、悪い人に会うた時の心掛けです。これは私、大変結構だと思います。良い人に会った時分には、こちらが平和な心で付き合いますから、しくじりがないのです。悪い人に会うた時分にしくじるのですから、どうぞ、そのつもりで、これを読んで下さったらよいと思います。
(昭和三十七年三月三十一日講話)
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第二九五条 「易行は広い、回った道。難行は、細い近道。難行した人にして易行の有り難味がわかる。


易行というのは、楽な心の行の方でございます。難行というのは、体の行の方です。まあ楽な行、すなわち泉先生は、苦行をなるべくささんようになさっています。いつも楽に教えを説いて、そうして楽に悟りが開けていくように仕向けておいでましたが、それはちょうど、たとえてみたら広い回り道だ。ちっと回り道になって遠いけれども、危険のない道だ。難行の方は細い、ひょっとしたら、田んぼへ落ち込んだり、けつまずいたりする細い近道だ。こう先生はおっしゃったので、いかにもと私は思います。
家を建てるのでも、どこでも、まず家を建てて、後から地盤する人はありません。必ずコンクリートでするか、石でするか、石垣を先にしまして、しっかり荷を掛けてもかまわんように、地盤を先にきたえて、その上へ家を建てます。これは、家が真っ直ぐに、ゆがんだり、ゆらいだりせんように、地盤を固めてあるのです。これと同様に、信仰する行は、一番先にまず人間をつくらないかんと言うのです。これが易行です。それでこの六波羅密行でありましてもそうでございましょう。まず、施行せないかん。かわいそうな人に恵んで上げたり、それから人に親切にして上げたり、人には悪い気持を与えるような悪い言葉は使わないように、よい言葉を出して上げる。これも施行になるのです。人に施す。
それから戒行です。人が見ていやだという事は、せんという決めがございます。うそ言わんとか、人を困らさんという戒行です。これを先へ教えて、そうして人間をどちらから見ても、ああ、あの人はきれいな、立派な人だなあー という人間を造った上で、今度ぶり神さん仏さんの方の信仰を先生教えています。これ易行でございます。楽な行です。ところが難行と言いますと、そういう教えを受ける人が無い。自分でに滝つぼへ入って滝に打たれる。一心不乱に神様に祈る。これも行でございまして、お陰が受かります。ところが、ここで考えならん事は、先生が「易行は広い回り道だ。」とおっしゃったことです。なるほど、人間をつくってから、その後で神様仏様の有り難い味を、覚えさすんですから、間違いがないのです。 ところが、難行は細い狭い道だと先生はおっしゃった。なるほどそうでしょう。色々と滝に打たれたり、色々と火の物絶ちするとか、あるいは物絶ちするとか、こういうふうに色々と体を苦しめるような行する訳です。これも結構でございます。それでお陰が受かりますけれども、人の方が(教えの方が)出来とりませんと、もしお陰受けたならば、ほんとうの心掛けという方を知らんずくに、おかげを受けるのですから、勘違いする場合があるのです。こういう難行苦行をして、おかげを受けます場合には、得てして、そのお陰を急に受けるのです。だから細い狭い近道だ。 こう先生がおっしゃった。それで、なるほど近道です。その代わり、あぶない事があるのです。易行の方は、あぶなげが無い。それで、泉先生が色々な事をお教えになり、お大師様でも色々な事お教えになり、そのお教の方を先にけい古して、それから難行するのも良い。こう私は思うんでございます。そういうお考えで見てご覧なさい。泉先生の 信仰は、難行苦行の方は余りなさいません。教えません。心掛けの方から入っていく所の広い道を通らしているのです。世の中に急ぐ道は回れと申しておりますが、なるほど廻り道の広い道を行けば、あやまちがない。泉先生はそういうように、お弟子から一般の人に向けても、お教えになりました。
今から水行せいとか、荒行せいとかいう事は、先生おっしゃらなかった。私はしていたのですが。初めは、先生に お目に掛かって三十位の年です。雪が降っとる中を裸でコロコロした事もございます。はきものもはかずに、雪の中を通った事もございます。仲須さんと一ぺん高野の山へ行って、雪が沢山降っとる時に、「仲須さん、これ、はだしで奥の院へ行きませんか。」と言うて、はきものはかんと奥の院へ雪を踏んで行きましたが、仲須さんなんか、お帰ってから、足の裏の皮が取れたとおっしゃっていました。まあこれらも、難行の方になるのでございますが、それは結構なお陰も受かりますけれども、まず教えを第一に聞いて、身を修めてからでないと、あやまちがございますから泉先生は難行苦行よりも易行の方をせえよとおっしゃりました。
まあ行は、この二通りか無いのでござりますから、どうぞ皆様もそのおつもりで、易行の方にお力をお入れになって、難行も結構でございます。まあ泉先生のお心は、そういうつもりでありましたのですから、必ず難行ばかりするという要はありません。どうぞ、先生のお気に添うてお行なさる事が良いと思います。
(昭和三十七年三月三十一日講話)
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第二九六条 「人間は、なぜ生きなければならぬか、という事は、風は、なぜ吹かなくてはならぬか、水は、なぜ流れなければならぬかという事と同じ神のつかさどりである。人が理屈をつけてみても、 先から先へとわからぬようになる。


これは、むつかしい話で、「人は何故生きんならんのか。むつかしい質問じゃ。」と先生はおっしゃりました。これは、まあ、風はなぜ吹かないかんのなら、そら理屈はございますが、低気圧と高気圧とが有って、低気圧の方へ向けて高気圧の方から風が吹くんだと、これはまあ理屈であって、なぜそんなにせなならんのならと言うてみると、困った話なのです。もう神様のお仕事です。ここは中々むつかしい問題ですが、人はなぜ生きなならんのなら。その何故、生きなならんのならという理屈を考えるよりも、これは、神さんのお仕事だから、いかなる暮らしであろうとも、喜んで生きないかん、という事が良いのでございます。ある人が生きるという事については、神様の仕事です。生きさすとか、死なすとかいう事は、人間の仕事ではありません。神さんが、なぜ生かすのなら、なぜ死なすのなら、こういう事が問題になって来るのです。 それでこれは、非常にむつかしい問題でございますが、本来生きるとか、死ぬとかいう事は無いのです。形は生まれて来る。形は無くなるけれども、その人なる所のものは、永久不滅のものなんですが、そういうむつかしい理論は 今日は置いときまして、「何のために生きるのなら、神様はなぜ生きさしてあるのなら、なぜ死なすのなら」こういう事一ツ話してみますが、それじゃ、もしどなにしても死なんのであったらどうでしょう。皆様、それはもう、世の中は人間で埋まってしまいます。どこへ行っても人間が行きあたりまわって、もう土地では人間ばかりになります。
そうなりますと、何を食べて生きますか。どうしても生きられません。それともう一ツは、この物が古くなって行く。あんた方お使いになる道具でも、いつまでも使えません。次第と古くなります。そうすると、それをストップさせなければならない。用をしません。もし死なぬのであらば。ひどい事には、皆仕事しません。食べなくても死なんのですから。それから働いて着物こしらえる要もありません。寒い目に会ってもかぜも引きません。死なないのですから。こういう風に、死という事がもしなかったならば、人間は次第次第と落ちぶれて、虫けらのようになってしまうに違いないのです。それでこれは、かわいそうだから、どうしても出かわりをさしてやらないかん。新陳たい謝と言いまして、新しい物を作って、古い物はしまって行く。又、新しい物作って行く。ここに生まれるという事が始まって来るのです。どうしてもその生物の世界を、うれしい所の、幸福な一生にしてやろうと思えば、古い物はしまって、新しいものを次ぎつぎと、こしらえて行くという事が、これが幸福の元になる訳です。
これはむつかしい議論でございますが、もし死ぬ事がなかったら、生まれるという事が無くなってしまうのです。 これはもう死というものと、生というものとは違うものでないのです。同じものなのです。生まれるという事は、死ぬという事です。死ぬという事は、生まれるという事です。これは、もうニッでないのです。一つのものです。死ぬという事がない事になりますと、生まれませんから、もう古いもので、ずーッと行くんでございますから、新しく生まれんのですから、その社会は進歩しません。必ず衰えてしまいます。これはわかるでしょう。衰えて行くという事は、おわかりになると思います。人間は必ず楽な方を取るのでございますから、死なんのに何しに勉強しましょう。 そうでしょう。仕事しなくても、食わなくとも、死なんのです。いつまでも走り回っても腹も減らな死なんのです。
そうなりますと、必ず世の中は落ちぶれてしまいます。それがかわいそうだから、生まれさすのです。こういう生まれるという事も慈悲のお仕事、死ぬという事も慈悲のお仕事です。これは一ツ考えてご覧なさい。非常にむつかしいけれども、神様よく作ってあると私は思います。
死ぬという事がなかったら大変でございます。死は、生物を助けて下さる所のもとになるのです。こういう風に先生は、いつも死ぬという事と、生まれるという事を、同じに見ておいでるのです。魂はいつも生まれかわりしとるんだ。こうご覧になるから、死ということは、一ツも恐ろしくない。生まれるという事もさほど目出たいんでない。 出かわりだ。先生は、いつもそういう風に考えておいでたのです。これは簡単な事のようでござりますけれども、皆様がそこまでお悟りになるならば、ほんとうに人間の世界は、有り難い、うれしい事ばかりになってしまいます。 そこで若い者は、年寄った者をいたわるという事も生まれて来るのです。ああ、お御苦労であった。それで言えるのです。死なんのであったら、あんたお互いの間の徳義やいうもの無いようになります。戦争しても、鉄砲の打ち合いしても、死なんのじゃから、勝負つけやしません。もう事が一ツもわからんようになってしまいます。世の中が、目茶苦茶になってしまいます。死という事は、つまり有り難い神様の恵みなんです。生まれるという事も、有り難いお仕事、それを、人は何のために生きんならんのなら、いう事は言うなと先生はおっしゃる。まあ、こういう風に、神様のお仕事だから、人間の理屈ではわからんのじゃから、人間の自分という性根をのけて考えてみると、よくわかると先生おっしゃりました。いかにもそうでありましょう。
これ人間ばかりではありません。米でも木でも、すべて実が成る。それが今度は、はえて古くなると枯れる。実がのって枯れる。こういう風に、新規新規になって行く事が有り難いのです。これも私が、死ぬ事有難いと言うと、妙なとお思いになるか知りませんが、よくここをお考えになってご覧なさい。実に孝行とか、慈悲とかいう事は、それから生まれるのでございます。死ほど結構な事はないのでございます。それ、死んだらええではないか。こら無茶でございます。そういう意味で私、申し上げるのでないのでありまして、死というのが、もし無いならば生物の発達がない。ここで有り難いんじゃと、泉先生は始終おっしゃっていました。
どうぞ、この生まれるという事と、生きるという事とが、今度死という事と引っ付いて、これがほんとの神様のお慈悲をもらえる元で有るという事を、よくよくお考え願いたいと思うのです。これが信仰の元になるのでございますから、年寄って阿呆らしいとか、何とかいう考えはおきません。喜んで年寄って行けるのです。先生は、こういう風に非常に何事にでも、調べ抜いておいでるのです。つまり聖人ですから、最もな話ですけれども。今日のこの二九六条は、大変な大問題を先生は楽々と、皆説いておいでるのです。その意味で、どうぞ一ツ、年寄りも、若いしも、皆が喜んで、互いに、手を引き合うて、拝み合うて行く、立派な極楽世界を建設しようでありませんか。
(昭和三十七年三月三十一日講話)
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第二九七条 「過去のつらさを知っている人は、それを知らぬ人よりはるかに幸福である。


つらい目に会うた人は、楽にいっている人より大分幸福だと言う事なんですが、これは昔からでもよく言うております。苦労した人でなければ世界はわからんというようなことを言うておりますが、その事でございます。苦労するという事は、自分の一生のうちに一番最低の線に落ち込んでみるのです。そうしますと、世の中の事がはっきりとわかるのです。だれでも世の中の事は、わかるように思うとるのです。たとえば学校出とか、教育の程度が高いとかいう事になりますと、世の中わかっとるように思うておるんです。しかしそれは自分だけが、そう思うのでありまして実際の事が見えないかんのです。こういうお話をしたらすぐわかると思います。 冬風呂に入りますとき、雪の降っとる寒い所を通って来て、こんどぶりお湯の中へ入るのです。湯は非常に熱い、よくわいとるように思うのです。ところがそうでないのであって、自分の体が冷えとるんです。自分の体が冷えとるから湯が熱いように思う。しばらく入ておると、お湯がぬるうになったという。こんな事をいう人をチョィチョィ聞きますが、これと同じように、自分が熱い目に会うたり、冷たい目に会うたり、色々な目に会うとる人がありましたなら、この湯わいとるかなとためしてみる。これと同じ事で、人がつらい目に会うて見る。又うれしい目に会ってみる、色々な目に会うた人ほど、経験を積んどる人ほど世の中を見るのに、真っ直ぐによく見ますと、しあわせだと言う事になるのです。
泉先生は、何でもなさっとります。先生の事を申し上げるのは、まことに失礼なように思いますけれども、先生がなさった事を言うてみますと、あめ湯まで売りなさったということです。あめ湯の上かんといいまして、昔それを船のり場とか、ああいう人がよく通る所へ持っていって売るのです。先生のは、非常によう売れたそうです。それかといって、又先生は、かん桶といいまして、人がなくなった時分に入れる桶があります。それもお作りになった事がある。まあいろんな事をなさっとるのです。そういう風にして先生は、かん難苦労なさりよる間に生駒さん、大阪と生駒さんの間六里ある道を、往復十二里です、その十二里の道を夜の間にお参りに行って、朝、外の人と一緒に仕事なさる。こういう風に、人のつらい目を喜んでなさる方であったのです。その間には、ただご自分が生活なさっとるばかりでなしに、人の世話をなさるのです。
讃岐から行った人が、「庄太郎はんが、どこそこの町に居る。」といって、よく世話するものですから、先生を頼って行く人がある。すると、もうご自分の事ほうっといて、世話してあげるのです。ですから、先生のお世帯は、あまり楽でありませんでした。最底の生活をなさっとっても、人の世話は一生懸命なさる。こういう風に、非常に苦労なさっとります。その苦労の間の時間をやり繰りして、神さんへ飛んで行くのです。ですから、人が一遍お参りしたよりも、先生の一遍は、なかなか力が入っとるのに違いないのです。だから、しまいには、先生はそういうような苦労の中から、ああいう立派な生神さんになられた訳です。
これを見ても、苦労し抜いた人は、いかに人から行が上になっとるかと言う事がよくわかるのです。先生は何の話をなさっても、知っておいでます。というのは苦労のおかげです。こういう風なご身分でありましたから、二百九十七条のような事おっしゃるのです。過去の苦労知っとる者は幸福じゃと。それ知らん者は苦労なしに大きくなり、又世帯した人は人の事を知りません。利口な人であっても、割合に世界の事知らんものです。「苦労して、はじめてわかる。」こういう事を先生がおっしゃいました。
なぜそんな事を先生がおっしゃったかというと、世の中で苦労、私は苦労じゃ、ほんとにまあつらいぜといって愚痴をこぼすから、先生はそれをお説教なさりよったのです。又、苦労してこそ人間が身上がりするんじゃ。喜んでしなはれ。」こういう事先生がおっしゃったことがあります。ですから、苦労しても喜んでせえ、こう先生はおっしゃったのです。二百九十七条はその先生のお心をうつしたものです。こうして、皆さんがお寄りになっとる大勢のお方の中には、相当お忙しい方もあろうし、随分お仕事が多うて苦労なさっとる方もあると思いますけれども、それを喜んでして、そうして合い間に神様におつきあいするのは、非常におかげになると言う事を先生がおっしゃったのですから、どうぞ、その意味で先生のお心を感謝していただきたいのです。
(昭和三十七年四月十五日講話)
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第二九八条 「幸福のみを基礎として、人生を考える人は、神の姿を知る人でない。


これは今のと、よく似とるのです。人と人とが寄りましたら、どういうことが一番幸福、こういう具合いにしたら幸福にいけるというふうに、何もかも幸福ばかりで算用する人があるのです。幸福のみを基礎として、人生を考えるとは、その事なのです。家は子供がようけあってな、もう口が多いからなかなか苦しいのでよ。しあわせに、なかなかなれん。こういう事を言うのがそれなんでして、すべて人間の一生の事を、幸福とか、しあわせと言うだけで、ものさしをあてていくんです。それではいかんのです。幸福というのは、そういう所へ使うんでないのであって、たとえ苦労があっても、その苦労を喜びに変えて行くというような事をせねばいかんということを、先生がおっしゃったのをここに書いてあるのです。幸福ばかりを、めどにおきますと、もし不幸な事があった時分には、しおれ込んでしまうのです。中には又、具合いよういっているのに、それに、取越し苦労して、もしこれ、うち一人か働く人がないんじゃがあの人が病気でもしたら、もうどないもしようがない。こんな事言うて、取り越し苦労するんですが、そういう事を先生は戒しめたのです。人間は、幸福と不幸なという、この二つで暮したらいかんというのです。どんな事があっても、喜びにかえて行く力を持てとおっしゃったんです。それは実にそうだろうと思います。先生はどんな事でも直ぐに神様に考えるのです。それを喜んで道を開いて行く。実に先生のご一生というものは、決して富裕でありませんでした。またお楽でもなかったんです。それでも先生は、いつもニコニコとして朗らかにおいでた。
だから人の一生というものは、幸福というものは、自分の心でこしらえて行くものだ。しあわせな生活になれたから、幸福じゃと言うてはいかんぞと先生はおっしゃったのです。何が無うても喜べます。ほんとに心次第で喜べるのです。その事をいつも先生がおっしゃったのでございます。二百九十八条は大事な事でございます。
たとえ不幸なようでも、それを神様にお頼みして、今にこの不幸は乗り切れると、こう思うたら幸福になれるのです。たとえ幸福であっても、これ続きません。これ、ひょっとしたらこんな事になったらつまらんと、取り越し苦労すれば、幸福がはや不幸になっとりますから、先生は幸福も不幸もない。すべて信仰でくくってしまうて、そうして喜びの道を開けとおっしゃったのです。これは、大変日常生活に必要な事だと思います。
(昭和三十七年四月十五日講話)
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第二九九条 「すべてに恵まれて何不自由のない人が、人生の苦痛を考え得る人は、前の世から、神や仏のご縁の厚い人である。


すべて恵まれて、なんにも不自由のない人が、この苦痛な事を考えて行く。こういう人は、前の世から、神仏のご縁になった人じゃ。やはり、二百九十八条につながっていますが、金は有り、健康であり、何もかも恵まれ、何不自由ない人であって、そうして人の苦労を知っとる人があります。あしこは気の毒じゃと言うて、外の人の苦労しよるところへ目がつくのです。そういう人は前の代から、神仏のご縁がある人じゃと言うのです。これはおかしい事ですが、そういう風に、何不自由なく、くらしている人でも、その人が非常に世の中の気の毒な人、たとえば、こんどの戦争で、おばあさん一人残っとる人がございます。若いしが死んでしもうて、そのおばあさんが、外の人の世話するんです。どうですか、軍人ばあさんといって有名な人がありましたが、こういう人は前の代から神仏のご縁があると、先生がおっしゃったのですが、なるほどそうです。
そういうように、何不自由のない人であって、人のつらい事を知っとる人、あるいは、自分がつらい立場におってそうして何不自由ない人の世話して行くと、こういうような人は、妙に親の代か、おじいさんおばあさんの代に、もう必ずお陰をうけた人がおります。神さん、仏さんの世話をよくした人が、親の代か、じいさんばあさんの代におりますから、先生はそれをおっしゃったのです。。あなた方もよくひとつ、これを調べてご覧なさい。ごく平和な家のお方で、色々と、他人のお世話をしている人があります。人の苦労の世話しよる人があります。その人は、必ず先代に神仏にご縁のある人であります。見てご覧なさい。必ずそうなっております。
(昭和三十七年四月十五日講話)
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第三〇〇条 「智識をどれだけ得ても、心の力を知らねば、ほんとうの人間の価値はわからぬ。


先生が、ひとつも学問なさっていないでしょう。学問なさっとらんのに、それにご自分の心一つで、どんな大学者が前へ回ったとて、知らんような事を知っておいでるのです。ご自身はそういうお方でありますけれども、ご自分の事はおっしゃらん。そして三百条のような事をおっしゃったのです。「智識をどれだけ磨いても、心の力というものを知らなんだら、人間は値打はない。」先生は、ご自分は学問なさっとらんのに、ああいう大きなお力持っとる事を言わずして、それを隠しているのです。そうしておっしゃるのは、こういう事言うのです。「智識何ぼ磨いても、心の力という事知らん人は、人間の力がうすい。運が悪い。」そんな事、先生おっしゃる。ご自分の事ですけれども、ご自分の事はおっしゃらずして、そういう事おっしゃったのですが、これについて、色々お話しがございますが、私、南の津の峰さんへお参りに行った時分に、先生のお供して参ったのですが、その日はちょうどご縁日でございまして、山の上はもういっぱい人がお参りなさっとりました。先生が「村木さん、この内院さしてもらわんか。」とおっしゃるから、私、先生と一緒にお堂の中へ入ったのです。今のお堂と違います。前のお堂です。今のお堂は東向になっています。前のお堂は、南向きになっとりました。そのお堂の中へ入って行きました。それで先生はお唱えなさって、それから、あの上がり口の所へ出ておいでになったところが、先生のげたがないのです。先生は桐をはいておいでませんでした。つぶという木、あの北海道から来た材です。ざっとしたげたです。それに白の緒たてておいでる。小倉の白の緒、それが無いのです。「わし下駄が無いわ。」と先生おっしゃる。先生のは、さらの白い緒でございました。いい白の緒であった。見えんので直ぐに先生神様の前へおいでた。「津の峰さん、私げたがござりません。」そうおっしゃるのです。「そのげたは、三十位になる若い衆がはいてな、西の長尾の方へ降りていったわ、今 半分位降りとるが、帰ってくる。もうすぐもんてくる。今もんてきよる。一寸の間、待っとれ。そしたら持ってくるわ。」とそう言うて「有難うございます。」と先生おっしゃって、ようけ内院に人が入っとんです。外の人が「あのわかいしは(私が若い時分の頃)かわいそうに、おとうさんが気違いになった。気が違うとるおとうさん連れて、お参りしとんやな。」そんなに言っているのが聞えるのです。先生もそれが聞えてニコニコ笑いなさいよる。一つも怒りません。ニコニコお笑いなさりよる。しばらくすると、先へ降りていきました若いしが、下駄を脱いで、はだしで先生の下駄を片手に持って、もどしに来たのです。きちょう面なわかいしです。
「わしの下駄によう似とって、すまん事した。」そしてご自分の下駄とはきかえて、それおいといて下へ降りて行きました。先生が、今持ってきてくれたげたを見て、これじゃな、おうけ有り難う。」というて、そしてその下駄を「これ自分の下駄じゃ。これに違いない。」こんど津の峰さんの方へ向いて「津の峰さん、今げたもどしてくれました。 有り難うございました。」と津の峰さんに礼を言う。「うんそうか。三十位のわかいしだろう。」「ええそうでございます。」「おっしゃり下さいました通りのわかいしが、はだしになって持ってきてくれました。」「よかったな」
すると、そこにいる大勢の人が「あの人、気違いかと思ったら、ほんとにわかるんじゃな。神さんの力というものは、 えらいもんじゃな。げたはいて降りた人が、長尾の方へ行きよる。もどしにきて、三十位の人やって、よくわかるもんじゃなあ。えらいな、えらい人やな。気違いかと思うたら。」すると先生、又ニコニコ笑いなさる。ここです。
それは大勢の中には、あしこの山の上にお参りなはっとる方には、学問のある人もあり、えらい人もあり、大勢の人はありますけれども、神さんへお参りしよって、神さんのお陰を受けて、先生がそういう力をお見せになったの見て、皆、口はってびっくりしていました。ところが、その何十人も内院なさっとる人が感心したんだから、必ずこの話をするに違いない。三十人ほどが帰って話をすると、その家族が五人あったら百五十人になる。
それから又隣へ話をする。「津の峰さん、神さんは有難いなと。」津の峰さんに限りません。「ほんに神さん、仏さんというのは、ああいう力がある。その力を借りたらああいうふうにわからすんじゃな、いかにも感心して居りました。こういう風に、知恵がいくらあっても、人間の知恵は別にその人間だけが、えらいだけの事で、そういう飛びはなれた人間以上のことは、到底出ません。ここに先生のえらさがあるのです。そういう事が以前にありました。
これはそんならどうして、そんな力が出来るのかといいますと、それはまあ、行者の山伏がするように、滝に打たれて食べるものも食べんと、荒行苦行して、力もらう人もございますが、先生のお話しはそうでないので、至極先生のおっしゃるのは、ごく簡単にお話なさる。どういう風におっしゃるかと言うと、こうおっしゃるのです。
「わしは生駒さんの山へ六百遍もお参りしたけれども、わしの事頼んだ事はない。わしの事は、神さん知ってくれとるけん、頼まんでも、あいじょう立派にしてくれる。わしは六百遍も行ったけれど、我が事頼まんと、おおかた人の事ばかりであった。」これどうですか。先生のお話しは、ここです、あんた方に聞いていただきたいのは。
自分の事は、どうぞ、ああして下さい、こうして下さいと言わないが、神さま、ちゃんと知っとります。こっちの心を。「お参りしたらええんじゃ。そして神さんのすきな事したら、ええんじゃ。」こう先生はおっしゃるのです。
つまり私の申す代償でございます。自分が思うている事は、神様の前で堂々と「こんな事して下さい。これを満たして下さい。」といわなくとも、たとえ神さんのお庭に草がはえとる。一本の草抜いても、それが代償です。別にお願せんでも、心に思うているのですから、かなえて呉れると、先生がおっしゃいました。ここが人と違うのです。
先生は津田の松原へ、又、金比羅はん、あんな所へお参りなさっても、つえを持っていて(先生体が弱いから持っとるのではございません。)それで、何でも拾うて、なわ切れが落ちていると、それを道のはたへ、たっとはねるのです。
それから、松原の八幡さんの松の枯枝が落っていたら、必らず、それを拾うて片付けます。神仏の前へいくと「あいっ。」といったら、あとはあまりおっしゃらん。そういうように、ご自分がなさったものです。「わしの事はあまり頼めへなんだ。おおかた人さんの事頼みまわりよった。わしは、そのかわり神さんこうやったらきれいになる。お喜びになるだろうと思う事はした。どんなにかしてもらいたいからしたのではない。かわいそうなやつ。ようお参りして、あんなにしているから、助けてやらないかんと、思うて下さると思う。」と先生そうおっしゃいました。
だから、あんた方は、日頃お寺さんか、神さん仏さんにお参りするのでも、もうお参りなさる時に、もうちゃんと、それが向こうへ届いとるのです。ですから、お参りの道でなさる事、それが代償になるのです。神さんに届くのです。
先生そうおっしゃいました。「もう届いとる。」て、先生の信仰と言うものは真に簡単なんです。 しかし意味を考えますと、これが六波羅密行にきちんと合うています。これは、行すれば、六波羅密の行になりますが、先生のを聞いてみると、六波羅密行にきちんと合うています。その行く道で困っとる人に会えば、困っとる人のお世話をする。これは施行になっとります。寒い時に困っとる人がいたら、ご自分のじゅばんでも脱いで着せるのです。ご自分は寒うございますよ。辛抱しとるのです。忍行になっています。
それから一切人の悪口は言わない。先生はどんな所へお参りなさっても、人の話しをしていても、人の悪口一切言 いません。長年おつきあいしたけれども、聞いた事がないのです。これが戒行です。「お参りを、人が二遍するのをわしは三遍行く。わしは、何じゃ知らんのじゃけん、回数をようけ行く。先生そうおっしゃった。これが精進行です。
そして、そういう風にしておりますから、禅行もはや、日頃に禅行出来ております。そこで智行、そういう知恵をかしてくれる事になってくるのです。それだから、先生のは、ざっとしとりますけれども、よく考えてみると六波羅密行が通うとります。先生それは、六波羅密行やは、お知りにならんのです。お知りにならんのに出来とるのです。
ですから、私は、先生のまねするのが私ええと思います。これは、弘法大師がおっしゃった言葉でございますけれども、こういうことがあります。「凡そ、生きとして生けるものに願なきものはあらじ。願ありと言えども、行なきが故に願叶わず。とおっしゃった。
わかりやすくいいますと、人間でも動物でも、生きとるものに願がないものはあるか。望みのないものはあるか。
望みはあるけれども、行せんからその望みがかなわんのじゃとおっしゃった。それにきちんと合っとるでしょう。
別にこうこうと願をかけて文句言わなくても、自分が常にそう望んでいるのだから、言わなくて行だけしたらよい。
行だって、水行、火行せんでも、日に日に人の為になり、世の為になる事をし、神さんの喜ぶ事したら、それが行になっとるのです。論より証拠、先生のようにああいう世にもめずらしい偉いお方が出来た元でございます。
こういう風に、泉先生のお行というのは、至極しよいのです。しよい、しよい、言うけれども、考えようによると、一寸出来にくいのです。又、これは、私、不精者です。不精者には向いたもので、一遍より二遍行く。先生は、そうおっしゃった。それだから、再再お参りに行くと言う事です。いいかえると、家で拝まなくても、かえって再再お参りし、神様の好きな事して来たら、それでよいのじゃ。ごく簡単なものでございますけれども、これは信仰の真理にきちっと合っています。今あんた方にお話し申す通り、六波羅密にきちんと合うています。信仰も、こういう風にすればしよいのでございます。むつかしい行しなくても、泉先生の教えに従ってすれば、知らん間に行が出来るのでございますから、どうぞそのつもりでお願いしたいと思います。
(昭和三十七年四月十五日講話)
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