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第二六二条へ 第二六三条へ 第二六四条へ 第二六五条へ 第二六六条へ 第二六七条へ 第二六八条へ 第二六九条へ 第二七〇条へ第二六一条 「同じ流れの清水を、二つのビンにくみ取って、一方のビンには土をつまみ入れ、この二つのビンを同時に振り動かして見よ。一方は濁り、一方は澄みきっている。しばらく静かに置けば、濁った方も、澄んでくる。心の底が清らかでなければ、事にあたり濁りができる。」
人間には泥が浮いとる時と、沈んでいる時があるのです。これわかりますか。怒っとる時は、どろが浮いとるのです。その怒りが静まってくると、そのどろが沈んで、よい人のように見える。それがいかんと言うのです。先生は、どろのけてしまえ、振って、振って、振りまくっても、やはりいつも清水でおるように、き麗に掃除して置きなさいと先生がおっしゃったのはここなんです。この二六一条は大事なんです。簡単なけれども、あの人怒らせたら、ごじゃになってしまうという人があります。それはいかん。怒るという事がないようにする事は必要ですけれども、どんなに言われても怒らんという様になりますと、そのどろがのいているのです。あんた方はご自分の心を自分でせん議してご覧なさい。私はどんなに言ったら怒るかいな。私は、怒る性根があるな、とこうお考えになった時分には、どうぞ怒る心がないように修行しなさいと言うのです。泉先生は、そうすると怒らされても、心がけがれてこない。腹が立ってこない。うたがい根性のけといたら、疑う心がない様になるのです。怒ると、疑うと、そしてこの慾の三つをのけておかんと、人の中へはいったら、時によったら、なにかの都合で、どろが浮いとる時であったら、人に迷惑かけます。それを自分の心のうちに、そういう三つの汚れがあるかないかを調べてから、き麗な心にする癖を朝のうちにつけとけ、とおっしゃっていました。先生、朝のうちに、今日一日、どろが浮きませんように、と頼めとおっしゃいました。
私は今まで二十七才の時から先生にお目にかかって、今日まで朝々考えていますが、しくじるんです。なかなかその先生は、有り難いお話をしてくれています。皆さんもよく考えてご覧なさい。これはあると思います。偉い方でもあると思います。怒らされたら、考え方が違うてくるのです。そういう事がない様に、そのどろをのけてしもうたら、振っても濁ってこんと、こういう事を思い出して、どうぞ、常々、どろをのけるけい古をなさったら、私はお陰が早いと思います。ほんとうに立派なお陰が受かるのです。ただ人の事がわかるというのがお陰でないので、人格が高くなるのです。すなわち、徳が積めるのです。徳を積むという事が お陰をもらう一番大事な事で、これが一筋の道と、先生がおっしゃったのでございます。
(昭和三十六年十一月三十日講話)
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第二六二条 「貪・瞋・痴の三つを離れたら、真の人である。この人にして慈悲の心になれば、神の器である。 」
これは、簡単に書いてございますけれども、実に大きな問題でござりまして、次のいきものは、生まれながらにして、自分に一番親切なものです。馬であろうが、猫であろうが、犬であろうが、牛であろうが、自分のからだに尽くすという事が、もう何よりも先にたっておる様に私は見受けるのでございます。まあまあ、中には人の為、世の為に働いておりますけれども、これは、ごく僅かの人でありまして、ほとんどの人が、そらッという時には、第一に自分という事が中心になっとる様でございます。けれども世が進むに随って、同じ進むといいましても、科学的に進む、文学的に進んだという進み方でなくして、ほんとうの心が進んだならば、極楽世界に近寄るのでございますけれども、なかなか、近頃は科学の方面、すなわち学問です。学問がよく進みまして、月の世界へもやがて行けるようになっておりますけれども、その裏手はどうかと言いますと、一人位ずつ殺すのは面倒くさい。一遍に、一国を引っくりかえしてやろうというような道具を造っているのは、皆さんがご承知の通りです。
こういう風に、生き物の中でも、とくに、人間は自分という者に非常に親切でございます。その結果、人も自分に親切、誰もが自分に親切という事になりますと、我という働きの衝突が出来ます。争いが出来ます。その争いが出来るのがすなわち慾となるのです。まず人が知らん間に取ってやれ、人より先に集めてやれ、こういう事が慾という、どん欲という事の根になるのです。そうして、自分が取ろうとしとる物を人にすっかけられる。争いに敗ける。そうすると怒って、こんど振りは、いろんな方法であだ打ちをしてやろうと、これが怒りです。すなわち貪・瞋・痴の順でございます。痴というのは、これは先ず愚痴の痴の字を書いてありますけれども、わかりやすく一口に申せば、無智という事です。智恵がない。知恵が足らんと言う事ですから、色々愚痴をこぼして、いらん事を考えて自分も脳乱するのです。これを愚知といいます。痴といいます。
この三つでございますが、大体この三つが人間の一番毒になっとります。まああんたが一晩考えたらよくわかりますが、仮に欲離すといたしますか、人々は、奪い合わない、争わないでしょう。そんなにしなくていいんだ。こういう風になりますと争いがありませんから、怒るという事も減ってくるのです。その自分が愚痴をこぼすという事も減ってくるのです。こういう風に欲という事が中心になりまして、貪・瞋・痴の三つが生まれてくるのでございます。
この泉さんがおっしゃるのは、ご自分のご経験から仰せられるのでございまして、ある日、私が先生の所で一日遊ばして頂いた事がありますが、先生がおっしゃるのには「村木さんよ、この人間には生れながらにして、生きものは、すべて欲があるんだ。その欲というものが原因になって、そうして、これを余分に貪る。人の分までむさぼろうとして、自分の分でない、人のぶんまで貪ろうと、こういう事が争いの種になる。怒るとか又、愚痴をこぼすとか、こういう事になる。つまり欲が中心じゃ。」とこういう事をおっしゃいましたが、なるほど分けて見ると、貪・瞋・痴のこの三つになりますが、これを深くせんさくして行きますと、欲から始まっとる、こう泉先生はおっしゃったのですが、なるほど考えてみますと、怒るという事も、自分を満足せんが為に怒るのでございまして、こんどの戦争でも見てご覧なさい。今まで色々な戦争がございましたが、その戦争の原因は何かといいますと、自分がしようとする事を人にさすまい、おのれ一人がしようと向こうが邪魔に来る、これで戦争が始まるということになっとりまして、国と国の元でも、やはり欲という事が中心になっとります。それで、このごろになりまして、ようやく皆が相談の上で、連合団体をつくりまして、そうしてこの争いの仲裁をする。こういう機関が出来ておりますが、これにいたしましても、やはり未だ力が弱いのでござりまして、連合国が何を言うか、おれは、こうだといえば、戦争せんならん事になる。また、ああいう機関が出来ましても弱い為に、世界の平和というものは望めないのです。結局、泉先生のおっしゃるのは、ここで、ひらけて見て、欲というものを除けたならば、争いはなくなり、弱い国も強い国も喜んでゆけると言ったのは、実に名言と私は思います。
先生は、讃岐の津田という、あの辺びな所でお生まれになった為に、世界に名は出ておりませんけれど、もしあの方が、学問がおありになって、そうして中央で人助けなさるのであったならば、大きな問題を残しておいでたに違いないのです。お大師様の様な大きな、お仕事も、先生はなされた方ですけれども、そういう事を、お望みになりもせず、又、学問をお持ちになっとらん為に、わしは、何も知らん、知らんと言うて、あとへおよりになった為に、津田の一部分にしか、 お名前が響いておりませんけれども、実におっしゃった事は千古の名言をお残しになっております。二六二条に書いてあることは、貪・瞋・痴の三つを、もうひとつ、つめていうならば、欲というものをなくしたならば、これが誠の真人間じゃ、ほんとうの真人間じゃとおっしゃいました。なるほど欲がないと、随って、怒ることもない様になる。しかしながら無欲であって、怒ることがない、愚痴をこぼさない、人と争はない、こうなりましてもこの訳あいを知らずして思うのは、かわいそうだという慈悲心がもしなかったならば、これは神さんのご用には立たんという事になるのです。あの人はえらい人だ。よい人だという位の事で一生すんでしまいまして。慈悲の働きがないというと、神仏のお手伝いが出来ません為に、まず宝の持ちぐされという事になるのです。先生はそこへ目をおつけになった。なるほど、欲がないという事は結構な事だけれども、世の中の、欲の為に争うとるのがかわい想だ。そうしてあの様に哀れな末路になっているのじゃが、これを、どなにかして救うてあげたい。安楽の世界へ連れて行きたいという慈悲心がなかったならば、村木さん、何にもならんぞとおっしゃったのはこれなんです。
泉先生はそういう慈悲心があった為に、神さまがおらの代理に、この泉という人に仕事をしてもらおうと、こういう風に決まった訳なのです。これは先生がそうお話しをなさったのを、私が書いたのでございます。そういう人もあります。世の中に無欲な人があって、もう世の中の事より飛びのいてしまって、せん人みたような生活に近い人がござります。しかし世の中の事は一切わしや手へさえん、したい様にしとったらええんじゃ、こういう人もあります。 けれども、それでは神様が力を貸さないのです。慈悲心がなければいかん、と先生はおっしゃったのです。
(昭和三十六年十二月十五日講話)
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第二六三条 「われ昔造りし諸悪業は、皆無始の貪・瞋・痴による。身・語・意の所生なり。一切我今皆懺悔すと神の前に称えているが、心から称えたいものである。 」
是はあなた方がお読みになっとる懺悔文でございます。仏さんの前で唱えとります。あれを書いたのです。我を昔作りし諸悪業は皆ずっと無始の昔からの貪・瞋・痴に依って、それがからだと言葉と、心のこの三つに働いて、こしらえたところの罪であるという事を、私は一切皆懺悔すると神様の前でこう唱えとるが、果して心から唱えておるのだろうかと、先生がおっしゃったことがあります。それを私が書いたのです。 自分が昔から作ってきたところの、無始の昔から、つくってきたところの、貪・瞋・痴の、この三つの悪業の為に今自分が苦労しとるんだ。今これ、私が自分で作ったものを、自分で収穫しているんだ。自分が蒔いた種を、今、私が収穫しているんじゃという事を神様の前で唱えているが、果して知っとって言っているのか、知らずして言っているのかと先生がおっしゃった事がありますが、これは懺悔文といいまして「我昔所造諸悪業」皆由無始貪・瞋・痴。従身語意之所生。一切我今皆懺悔」と書いてありますが、これを日本語でわかりやすく言いますと、二六三条のようなことになるのです。私がずっと大昔から作ってきたところの、この貪・瞋・痴の三つの悪い仕事は、自分のからだとロと心の三つで行なうてきた。ほんとに今、つまらん事をしたと懺悔をいたしますから、どうぞお助け下さいませ。と、神様の前で言うのが懺悔文なんです。ここで無始の昔より起こしたところの貪・瞋・痴と言う事が非常に意味が深いのでございまして、始めは無いと書いてあるのです。無始、千年や萬年昔ならば、さほど今日の人とはそう変りはございますまいけれども、十万年と昔になりましたならば大分違います。人間の生活が違います。
土中に穴堀って、その中に住んでいました。山の横の腹へ穴あけて、これを横穴といいます。縦に穴あけて、その上へ屋根をふいたのが縦て穴といいます。こういう生活をしたというのです。何万年前にも、やはり人間のかっこうをして、家族を連れて暮らしておったのです。たんぼはあまりしませんが、獣を弓でうったり、さかなをすくってきて食べたり、貝を拾ってきて食べたり、こういう生活をしておったのです。よくあんた方がご覧になる貝塚がそれでございますが、徳島の城山の東手に貝塚というのがあります。もうひとつの岩屋がありまして、その口には厚い貝がらの層ができとります。これは穴に住んだ人が海辺の貝を拾うてきて、皆がそれを食べて、そうして殻を捨てた物が貝塚なんでございます。こういう風に何万年昔には相当生活が違うております。
しかし、やはりお隣りと交際し、家族の生活をしとりますが、少なくとも、十万年、二十万年の昔に、さかのぼりますとかっこうが違うてきます。縦穴か横穴という家は造っとりません。野放しです。そうして今日の人間のように足で歩いとりません。四つばいです。着物は無論着ていません。体中に毛が生えて獣ですから尾がはえとる。そういう人生に変ってくるのです。その時分には、強い者勝ちであったのに、違いないのです。強い者が弱い者をいじめて何でも取ってしまう。食う物が無かったら、弱い者の肉を引きさいて食う。ちょうど、今日の熊とか、虎とか、獅子のような生活をしておったのに違いないのです。そういう大昔もやはり無始のうちになるんです。われ無始の昔より犯したる貪・瞋・痴といいますが、無始の昔といいますと、ずうっと何億年前になってくるとまだまだ下等動物になってしまいます。そうなりますと、親とか兄弟とかいうのは、ほとんどその間のご縁というのは、乳飲んどる間だけ親につき廻っとる位の事でありまして、もう乳を飲まんようになりますと、親も兄弟もない。け飛ばしたり、かみ倒したり、こういう今日の動物見てご覧なさい。よく分かる。それでも人間のご先祖です。ですから、無始の昔から、我々が犯したところの貪・瞋・痴の三つは、たいした大きな罪を犯していますと神様の前で白状する訳なんです。その時代から我々は犯したところの罪を、からだの中へみんな貯蔵しとる訳です。 今日警察というものがあり、あるいは刑務所というものがあり、国という政府があり、こういうものがあってお互に法律をこしらえて、それで保護してもろうておりますから、安全にいけよるのです。しかし今日でも、無政府にしてしまうと、警察なんか置かない、無論刑務所もつくらない、強い者勝ちという世の中になりましたら、今日の野蛮人と同じ事になります。今日でも、いまだ人間を食う種族もあるのでございます。強い者勝ちです。こういう時代から悪いことの強い者勝ちの暮らしをしておるのが、心の中へ沁み込んでいるのです。ですから、道徳とか、宗教とかあるいは、国の法律とかいうようなものがあるが為に、静まっておると見てよろしい。
心の中には、昔の貪・瞋・痴を自由自在に行った時の性根が残っとる訳でございます。それがえらい人が出てきまして、それでは人間どうしても、幸福にいけないというので、人を助ける道徳というものを拵え、神様、仏様の教を教えとると、こういう風にして今日のような立派な人間世界というものを築いたのでございます。けれども、その築いたその体の中にくすぶり込んどる昔の貪・瞋・痴がいまだ除かれません。神様の前でこう白状するのが懺悔文なのです。それでどうも、その昔自由自在に我がまました時の癖が、実に恐ろしい罪を犯しとると私は悟りました。
これを除けますから、どうぞお助けを願いたい。こう願うのが今日の懺悔文でございます。それが判るまでは、なかなか苦労があると思います。今でもわしは悪うない。あれがこんな事したら、わしゃこうやったんだ。こういう理屈があちこちにたっております。
今、ソビエトとアメリカとがお互いに言っているところの文句でも、そうでございます。わがをよい者に置いて、人を悪い者にしております。宗教すなわち信仰は、そういうのでなくして、自分という者を、のけて、この教えのみちに合うているか、合うていないかという事を考えて、間違っている者をなおして行くのが信仰の生活でございますから、今日のような、ああいう新聞面に出ておるような、理屈の世界では、まだまだ平和はきません。
この懺悔文にある通り、昔の性根がのいとらんのをき麗に掃除して、そうして皆がお互に助け合うて行く時代が来るのに違いございません。すなわち懺悔文が世界中の人が、懺悔文を心のうちで読むようにならんと、ほんとうの平和は来ないと見なならんと、泉先生は、特にこの懺悔文をお話しなさっておりました。自分のした事が悪いということがわからんのです。それで泉先生に、拝んでもろうた人がだんだんおありになろうと思いますが、泉先生が拝みますと、それをおっしゃるのです。ずっとずっと大昔にした事でも、ちゃんと泉先生が知っておいでるのです。そうして、だんだんお話しをなさって、「いかにも先生、恐れ入りました。先生ほんとに私は恥じております。先生の前で先生にいろいろのことをひっぱり出されて、いかにも恐れ入りましたと言わすのがこの懺悔文です。泉先生は、神様の前で、自分でない懺悔文を心の中でいかにも私は、先生のお話しによりまして、悪い事したと悟りが出来ましたと、こういう風に先生は言わしているのでございます。これがほんとうの懺悔文だ、ここに書いてあります通り、神様の前で懺悔文読んだのは、ほんとに読めよるのかなと先生がおっしゃったのは、ここにあるのです。
これは、色々お話しする事がこの懺悔文にございますが、私が泉先生とこへお参りした時分に、「村木さん、おまえさん所の、倉を西の方へ広げたのかい。」「へい、広げました。」「あの時におまえさんとこの石垣に、ようけへびがおったでないか。「へいおりました。」「そのへびをいちいち助けて、寒い時であったが、新らしい石垣の所へ放したな。そのへびが非常に喜んで、あんたに礼をいうている。」こんな事、先生がおっしゃいましたが、なるほど自分の石垣を自分が直すのだから、その中に住んどるもの、のいたらいいじゃないか、というのは人間の勝手でございます。所有権の問題を言っているのです。へびから言うならば、自分が住んでいるのだから、人間が勝手にわしの巣をくずしてと言っているに違いない。所有権などいう事を、やかましくいうのは間違っている。如何にもと私は感心したのです。先生は自分の屋敷の石垣でも、自分の屋敷の石垣だとおっしゃらん。へびが住んどるのを引っ張り出して気の毒だから、又暖めておいて、新規の石垣の出来た所へ放す。それがよいのじゃと、こういう風に先生はおっしゃったのです。全々人間の理屈は抜きにしておいでる、これは証拠なんです。
こういう風に先生は、すべて人間の権利とかいう事一切おっしゃいません。互いに助け合うて、この世を渡るのでなければいけない。こういう風に昔の歴史を先生がおっしゃるものですから、自然先生の前では、懺悔文を心の中でああほんに悪いことをした。あれ助けてよかったと、こういうように心の中で懺悔文を感じるのでございます。
先生は、口に懺悔文読むのは結構じゃけど、その訳がわからんというとお陰がないぞというのは、ここにあるのです。
(昭和三十六年十二月十五日講話)
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第二六四条 「人の言葉を判断せねばならぬ時は、まずおこらぬことである。自分が忍べば、すむ時が多い。 」
人と人との交際の上で、こういう風に考いていけと、先生がおっしゃったのを書いたのでございまして、人から何か言われると、その言われた事に対して、あいつ不都合な事を言うと、こういう風にだれでもすぐ言うのです。人から何か悪口いわれたら、あいつ、いらん事言わなくても、ほっておけばよいのにと、何とか言いますけれども、泉先生は、それはいかんと言うのです。そう怒らずして、自分はなるほどなあ、あの人の目にはそう見える人だと、こういう風に辛抱して、こらえたら、もうその時は、それで済むんだとおっしゃるのです。理屈言うと、そこに必ず争いが起こってくる。だから、もし人の悪口を言っているのを聞いて、あれはああいう感ちがいして、人を悪くいうとか、何とかいうことはいわなくとも忍んだらえんだと、こう先生はおっしゃいました。
先生が こんな事なぜおっしゃるかといいますと、怒ったら、もはや、貪・瞋・痴の三つの内、瞋をやっているのです。それだから、それはよくない。まず怒る事は延ばしておいて辛棒すると、それでその場は済むんだから、辛棒せえと言われたのです。これは、しよい様でござりますけれども、あまりしよい事ではないのです。あんた方が、よく考えてご覧なさい、何か人にそしられる、悪口言われると、何か仕返ししようということになって来るのです。あるいは言い訳しとうなってくる。腹立てて、先生はそれを一切おっしゃらなんだのです。勘違いして、悪う思われとったら、それでよいではないか。忍んだらそれで事すむんじゃ。ですから、先生が、争いがなかったのはこれなのです。
先生とて 人間でございますから、それは時として、先生の事言うた人もあるだろうと思いますけれども、先生はそれを聞いてお笑いになって少しもおっしゃらない。ほうかいなあとニコニコ笑うたら、それでおしまいです。これは簡単なようですが、そういう気にならんと信心しても何にもならん。あいつそんな事ぬかしたか、こういいますけれども、それは、怒るのは、無理ないように見えますが、けれどもそれは信心がすたっとるのです。これは先生が、力を入れておっしゃいました。どうぞ皆さんも、そういう事のないようにしたいと思います。この二六四条は、特に私は簡単な事ですけれども、書き入れたのはそこにあるのです。よくあんた方は、そういう利点をお知りになっとると思います。
私が野崎へお話しにお邪魔にあがっていました時代でございます。私は妙な人に悪口いわれて、そしてピストルやきれもの持って、追われた事がございますけれども、私は、一切それは申さずに、その場を過ごしたのです。話しすれば相当話しする理由もございます。警察へ話しをすれば警察もさばいてくれます。しかしながら、私は一切そういう事をしなかったのは、どこにあるかと言いますと、二六四条にあるのです。この時の事をご承知の人もあろうと思います。何も私は三宝会というものを振りかざして、そうして何も仕事しようとか、何も私は考え持っていませんが、ある人の悪口によりまして、そういう風に見られたのです。それが為に悪口したり、邪魔に来た事があるのですけれども、それは勘違いして向こう様がわかるまで辛抱していたらええんじゃと、必ず怒るのではない、自分が辛抱してすむことだったら辛抱して済ませと、此の二六四条に泉先生が教えて下さった事を、私は実行しただけの事でございます。果たせるかな、その後になりまして、間違いであったと、今日になりましたならば、よくわかって下さったと思います。あの時に私がけんかする、あるいは警察沙汰にするという事でございましたならば、一問題おこりまして、泉様もおつらい場であったと思います。ただ私が辛抱したらそれでよいのです。この二六四条は、こういう理由で特にお話し申し上げておきます。
(昭和三十六年十二月十五日講話)
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第二六五条 「こらえ合うとか、辛抱するなどいううちは、まだ本物でない。心の底に和せぬところがある。何事も甘んじて受けてこそ真の和合ぞ。 」
これは泉先生が、ただ今の二六四条を受けて、おっしゃった言葉なのでございますが、こらえ合うて行こうとか、まあ、お互いにこらえ合おうじゃないかといって、向こうと自分を含めた間で辛抱するんじゃというのは、まだほんま物でないというのです。泉先生のおっしゃるのは、もう心の底から、これはもうこちらが我慢したらええんじゃと、韓信の股くぐりですね。おまえらの様なやつは、おれの股の下くぐっていけ、そしたらその股の下を潜ったという。
韓信の股潜りというのでございます。これは支那の人ですが、これはたとえです。出来ぬ辛抱をするのですが、それは辛抱じゃない。それはこうせなならんという自分の心のうちに法律をおいて、それを犯さないという風にせなければほんま物でないと泉先生が教えたのは、これなんですから、どうか辛抱し合うとか、こらえあうとかいう意味では、ほんま物でない、ほんとうに心の底から和合せねば いかんぞと、先生が教えたのが二六五条です。
(昭和三十六年十二月十五日講話)
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第二六六条 「光明が近よれば、闇が消えるように、悟りが開ければ、悪魔は姿を消す。 」
皆さん今晩は昭和三十六年の最終の晩でございます。今晩の十二時が来ますと、ご承知の通り除夜の鐘という鐘が鳴りますが、それはもう日本の全国の有名なお寺さんでは、一○八の鐘を十二時と一時の間につくのでございます。
此の除夜の鐘というのは、どういう意味かと申しますと、人間の心の中の悪い癖が一○八つあるというのです。迷いが一○八つ、この一○八の人間の迷いというものは、どれもこれも皆悪いのばかりです。人間の世界に毒が流れる元です。それが一○八ある。ところが、この神仏の教えに従うて、この一○八の「くせ」を使いますと、善にかえってくるのです。ちょうどあんた方が持っておいでる数珠、その数珠の親玉が神仏にあたる。あの一○八の数が人間の煩脳に当るのでございますが、その親玉から糸をとうして、ずっとみんなを円くちらばらんようにしまして、つまり親玉の方のすじをとうしときますと、そのさしも皆のきらうところの一○八つの煩脳というものが人間の世界のたりになるという有難い仕事にかわってくるというのが、数珠の仕組みなのでございます。その一〇八の煩悩を除夜の鐘によって、よい方へ導びいて、この人間世界に結構な仕事をして頂くという願いがある除夜の鐘でございます。今晩十二時に鳴りますからテレビをお持ちの方はご覧になったらよいでしょう。それで今晩お話しいたします二六六条に関係ありますからお話ししたのでございます。
「光明が近よれば、闇が消えるように、悟りが開ければ、悪魔が姿を消す。」とこういう事を泉先生がおっしゃったのでございますが、あんた方が神仏の前へお燈明を差しあげると、ローソクに火をつけて、あるいは油に火をつけて差しあげます。あれはいかな暗い所でも、お燈明さしあげたら、そこがあかるうなるでしょう。それと又問題が違いますが、お日様が出れば夜が消えましょう。お日様が西へ入れは夜が始まるでしょう。これは世の中が明るうなったのと暗ろうなったとの違いであって、世の中ひとつも変っていません。ただ光ると光らんとの違いによって、それだけ変ってくる。いま、神様の前へお燈明差しあげますから、私の心のうちの暗いところを、どうぞ明るくして下さいませ、こういうお願なんです。何も神様が暗いから、あかりを差しあげるのでありません。人間の心の闇をこれで照らしていただいて、有り難い一生を終らさせていただきますという願いでございます。
それと同じようにその光、光明が射して来ると闇が消える。これはようわかっているでしょう。暗い所へ電燈をつけてご覧なさい。すぐ明るくなります。このように、私はどうも、何事につけても暗がりが多いのでございますが、どうぞこのお燈明をさしあげますから、暗がりをひとつ明るくさせて頂きますと、こういう願いをしているのです。 それと同様に悟りが開けたら悪魔がおらん様になるとこういうのです。
「これ、どういう事かといいますと、悟りと言うものは色々な悟りがございますが、一口でいうならば有り難いお方の教えです。教えをいかにもとよくわかって、それを身につけたのを悟りというのです。その悟りが心に開けてくるならば、その悪魔がそこにおれず、姿を消してしまうと言うのです。ちょうどお燈明をあげれば、暗い所が明るくなるように悟りが開けると、心のうちに悪魔がおらんようになると、こういう事です。
これは例をあげてみますと、よくわかるのでございます。この人間が手を動かすのに、握りこぶしで人をたたきたい。けんかして握りこぶしで人をたたく。これはよい事か、悪い事かというと無論悪い事です。しかしその同じ握りこぶしでも、肩がこっている人の肩をたたくとどうか、それはもち論よい事なんです。握りこぶしには善も悪もないのでございます。そこで、ああ、肩がこって困っている人たたいてあげたら、喜ぶであろうという悟りが出来たならばたたいて人を困らすという悪魔が消えるのです。わかりますか。悟りを開いたところには、悪魔はおらんというのはこれなんです。何事でもそうでございます。している事には善も悪もないのです。心の持ち方によって、それでそう変ってくるのです。
もうひとつ例えてみますと、切れ物ですが、うすば包丁、刀など、これらは切れるという事しかないのです。よく切れる、そのよくきれるので人を切ったらどうですか、大変な罪でございます。しかし台所で色々なお料理の用意をするならば、きれるものは大変結構な用事を果たすことになる。こういう風に心の使い方が神仏の教えに従う、すなわち悟りが開けたことに使うならば、そこに悪魔がおらんというのです。包丁でも、うすばでも、人を切ってやるといって振ってご覧なさい。そこに、たちまち悪魔がおるのです。
こういう事を泉先生がおっしゃったんで、ちょうど、お燈明があがったら暗がりが消えるように、悟りが開けたならば、悪魔が姿を消すと、こういうのでございますから、これ何の事書いてあるかといいますと、偉いお方の教えの言葉は、ちょうど、お光で人間の心のうちを明るうするのと同じように、悟りを開かせて、そうして、その人間を悪魔につけられんように守ってやろうと、こういう事になるのですから、どうぞ教えを身につけて、いつもそれを行なうようにという先生の教えです。
(昭和三十六年十二月三十一日講話)
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第二六七条 「日々この世に極楽世界を作り出すつもりで働け。 」
何事をするにも、この世界に極楽を造る為に働くんだという考えを持っとれとこう先生が教えたのでございます。
それを考え違いして、働くのは金をもうけたいからじゃと、こういうては、いけません。なぜいけないかといいますと、金が欲しいて働いとんだから、その金はわがのほしいように使う事になってしまいます。そうなると、わがの勝手に使いますから、人の事は考えておりません。そうすると世の中は極楽になりません。必ず争いが起ります。だからして、日に日に働いている事は、極楽世界を造る為に働いているのだと、こういう風に考えていけというのです。 ところが、ひとつここで考えんならん事は、人間は、極楽世界を造る為にここに神様がこしらえてあるんだといいますけれども、それをひとつ人に聞いて見る「モシモシ、おまはんは、ここへなにしに生まれて来たんですか」と、こう聞いたとしますか、その人がこんな事言う場合があるのです。「わしは何も目的持って生れてきとれへん。おとうはんと、おかあはんとが、勝手にこしらえたのだから、わしゃ知らんのに生まれてきた。何も目的持っとれへんが。」という人がある場合がありますが、これは大変な間違いであって、それは、その人自身が知らんと言うだけであって、無いのとは違います。目的を知らんのであって、目的がないと言うのとは違います。 なぜならば、ここにあんた方のお庭に花が咲いとります。色々な花がありますが、オイオイ花よ、おまえ何しに咲いとるんな、と聞いたら、もし、花が言葉出せるものであらば「私知りません。」と花はいうでしょう。まあ、私、何しに咲いとるやら知りませんが、植えてくれて、育ててくれたから、花を咲かせているのでござります、という。けれども知らんということと、ないと言う事とは違います。これを人間の方から見ますと、どうです。花というものは、赤いのもあれば、白いのもあれば、黄色いのもあり、実にき麗だ。人の目を奪う、そのき麗なところへ、ちょうやはちが飛んでくる。花は、ちょうや、あぶや、はえを呼び寄せて、そうして自分の花の中にあるところのごち走をするのです。
花の底には、蜜という甘酒がありますが、それを吸いたさに、ちょうが花を見かけて飛んで来るのです。花には中におしべとめしべがありまして、蝶がその中の甘酒を吸うために中へはまり込んだ時に、花粉が散りまして、実が出来る。結構な実が出来る。すなわち虫に媒介してもらう為に花を咲かしとるのです。立派な実を結ぶ為に、虫を呼ぶ為に花を開いとる。こういう事になる。人間から見たらそうなる。 花が知らないと同様に、人間がここへ生まれてきたには、任務があるのです。神様の目から見るとわかる。どういう任務かと言いますと、この世の中に極楽世界を人間に造らそうとしとるのです。そこで、日に日に自分は、ここへ極楽世界を造りにきたんじゃと、いうつもりで働いたならば、運がよいという。それはそうでしょう。神さんや、仏さんの教えに従うているのですから運がよろしい。それを間違って、おとうさん、おかあさん、勝手にこしらえた。わしや知らんわ、いうたら、勝手気ままの生活しますから、運が悪うなります。こういう事を先生がおっしゃったのでございます。いかにもこれは意味深長な言葉でありまして、いまどこの宗旨でありましょうとも、教えでありましょうとも、この極楽世界を造る為に、人間は働くんだと教えています。学問ひとつ、なはっとりませんけど、そういう立派なお説をたてております。
(昭和三十六年十二月三十一日講話)
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第二六八条 「一つの言葉でも、人を動かすのは、言葉が巧みなだけでは出来ぬ。真心が向こうに通うからである。 」
これは申すまでもなく、あなた方はよくご承知だろうと思いますが、世の中でよくこういう事いいます。あの人はあまり言葉も上手でない。それだけれども何やらあの人に魅力がある。何やらあの人の言葉には力がある。というて、人が信用する。そういう人がございます。泉先生がおっしゃるのは、言葉は上手であっても真心がなかったら、向こうへ通らんというのです。そうでしょう。世の中には黙ってあまり言葉も使わんのに、朗らかな人がございます
やかましく言うても朗らかですけど、静かにしていても朗らかな人がございます。それはそういう風に、やかましゅう言うても、静かであってもよい。真心があったらええんだと、こういう事になる。泉先生はこういう事によく注意をなさっとります。どうぞ人間は言葉の上手なけいこはせんでもええ、下手でもかまわん、向こうの人に対して真心がある。向うの人を喜ばしてあげる。こういう心さえあるならば、下手でもかまわん。必ず向こうに通じるとおっしゃったのです。泉先生の教え方は、実に有難い教え方でございます。
まあこれは、世の中で上手に話しする上手な人もありますけれども、上手というのは通らんので、真心が通るので す。どうぞ下手でも何でも構わんから真心をもてとの先生の教えなんでございます。
(昭和三十六年十二月三十一日講話)
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第二六九条 「奇蹟というものは、人の力で表われるものでない。神様の力が人の心に通うから表われるものである。不思議でない。 」
人から見ると神さんの方から見るのと、大分違うのです。それをここに書いているのです。世の中に、奇蹟というものは、人の力であらわれるものでない。神様の力が人の心に通うから、そこに不思議が起るんだと、こういう事をいうとりますが、なるほど泉先生は、あまり奇蹟という事おっしゃらん。不思議と言う事おっしゃらん。神さんに頼んで、真心が通うたら、聞いてくれるのあたりまえじゃと。人間から見ると不思議、不思議と言うけれども、神様から見ると、あたりまえじゃと、こういう事をよくおっしゃったんですが、奇蹟というのは、道理に合わん不思議なという事です。 それは無いんじゃと、常に真心で神さんや仏さんに仕えとるなら、お陰もらうのはあたりまえじゃと、こういう風にお考えになっとるのです。これを見ましても、先生がいかに日頃真心でお暮らしになっていたかがよくわかります。
この奇蹟という事について色々ございますが、たくさん例がございます。人間では知る事の出来ん事を、ひょっとするのでございます。知らんずくで、そうして大勢が助かる場合があるのです。こりゃ私の事でお話しいたしますと えらい恐縮でございますけれども、私が一度先生のお供いたしまして、八栗山の山の峯を廻った事がございます。
その時のお連れが七人でございまして、私とも先生も加えて七人でございました。そうして七人が揃うて一の劔、 二の劔、三の劔、四の劔まで行ったのです。そうしますと、私の足があの四の劔の北へ廻る角の大きな岩のところへ いってへばりついてとれんのです。私、足を持ち上げてとろうとしても動かんのですから、私の心のうちでは、ここから下へ鎖を伝うて下りたいという気があるのです。じっとしておりましたら、先生が「村木さんどうしたんぞ。」「先生うごけんのじゃ。」すると先生は手を突き出して、「お聖天さん、これどないしましょう。」「ああ、そこの鎖をおろしてやれ、用事があるんじゃ。」そうおっしゃった。先生が「村木さん、おまはん、この八栗山がこの鎖に用事があるから、これからお下りというのじゃ。外の人は皆北へ廻って下りよう」「ああ、そうですか、私おりたかったのです。」というので先生のお許しを得て、降りとうて、たまらんものですから、鎖さかとんぼになって、岩の端から四五間ございます、あの鎖を降りていったのです。半分位降りた時に鎖が切れて、じゃん...といって落ちました。ありゃ、鎖が千切れたと思って、千切れた所までいって、その鎖を握って岩にへばりついた時に鎖を離した。そうして下の鎖を体につけて、針金のきれでつないで降りてきた。そこへ先生と外の六人が廻ってきて、ありゃ、鎖が切れて飛んでしまっとる。村木さんがつないだわ、不思議な事でございます。人間から思うたら、もし私がそこから降りずして、もう一緒に七人がずーっと北へ廻って、その鎖でお不動様の所へ下りたのであったら、鎖が切れたら大ぜいが大怪俄します。もう切れかけとったんだと思います。それを神さんの方から言うたら、其のまま降りると、危ないから私につながしたんです。人間の方から言うと、これ妙じゃな、よう、あそこから降りる気になったもんじゃな。不思議になるのです。奇蹟といいます。人間の方からいうと不思議ですけれども、神様の方からいうと、あいつ、さるのようにさどいから、あれにつながしてやろうというお考えなのです。
これを泉先生おっしゃるんです。二六九条に奇蹟というものは、世の中にあるけれども、それは神さんの力が人間に通わなんだら、奇蹟は起こらんのじゃ。人間では、奇蹟が出来るもんじゃない。こう先生がおっしゃったのは、そこなんです。私は何も鎖の切れるのは知りません。鎖が切れぬやら、切れるやら知りません。そこへ行ったら足が動かない様になってしまったのです。鎖から降りとうなってきた。これは、私は、降りとうになったのではないのです。
神さんの方から降りとうにさせてしまったのです。それから、そこを降りて、大勢の怪俄を防がした訳です。神様の方からみたらあたりまえ、これを先生がようおっしゃいました。 奇蹟というのは、人間がしようと思っても出来るものでない。神様の力が人間の体に加わった時分に奇蹟が起こるんじゃ。不思議な、不思議なというな。神様から見れば、当りまえじゃ。礼だけ言うとったらよいと、先生はおっしゃった。ここでございます。あんた方も、奇蹟という事はお会いになった方だんだんあると思います。そういう風に合うのは、必ず神様が裏手から手伝うているんです。
こういう風に今晩お話しいたしまする二六六条、二六七条、二六八条、これなどは、ちょうどこの三十六年の最終の晩に、これがあたった事は、私不思議に思うとるのです。どうぞ、こんどは昭和三十七年になるのですから、七年からは心掛けをひとつかえて、二六六条に書いてある通りに、ほんにお燈明あげるのは、暗がりが明うなると同様に人間が悟りが出来たら心の中の暗いのが直ってしまう。こういう風に考えて、教えを充分調べて自分の身につけるけい古して貰いたい。こういう事になる訳です。不思議に今晩お話するのは妙に新年の心掛けの様に思います。
それから日に日に農業するのでも、家のご用するのでも、何でもこれは極楽世界をここへ造るんじゃと、今年こそ、その積りで働いてやろう。そういう風に考えてもらいたい。又人と一言話しするのでも、うわべを造らずに真心で話せば思い事は必ず向こうへ通じる。この三つは特に年末にあっているのです。あなた方はなされていると思いますけれども、特に新年からは必要だと私は思います。
人間は夜と昼といいますが、昼も夜もないのです。明るいのと暗いのとの別であって、夜も昼も世界は同じ事と同様に、もし人間の心が暗かったら夜の様なもので、方角も何もたちません。夢中で行くと、がけから落ち頭を打って大怪我せんならん。それをお日様が出ると明るい結構な世の中になる様なもので、我々は心が暗かったらいかん。
こういう風によく考えていかないかん。新年早々の考えを今日のところへ、皆はいっとる様に思います。
例えて考えてみなさい。あんたの家の中に暗い事はないでしょうか。もしもお家の中に心の心配があるとか、つらいとかいう様な事があった場合、すなわち、家の中は暗がりです。けんかしてごらんなさい。家の中は暗がりです。
そういう事になると、家の中に魔がさして来る。間違いが起こって来る。どうぞ家の中は、いつも明るくせねばならぬ。明るくするには、どうしたらよいか、偉い人の教え、それを身につける事です。結論はこうなる訳です。
二六六条、二六七条、二六八条はよく読み返して、新年にお使い下さる事をお望みしたいのです。そうなると二六九条に書いてある奇蹟が起ってくるのです。不思議に、家の運がようなるのです。思ったよりも、ようなるのです。これは、三十六年は無事に暮れたが、三十七年には尚一層よい年をつくってやろうというのには、今日お話し申したのを実行するという事であります。不思議に年の暮にこんなのがちょうどあたった訳です。
(昭和三十六年十二月三十一日講話)
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第二七〇条 「和していける人でなければ、大衆を動かす事はおぼつかない。 」
ただ今二六六条、二六八条、二六九条、それをすると奇蹟が起こってくる。そうすると、人間が自然に世の中へ、そうてくるというのが二七〇条です。その事を書いてあるので先生がだれにでも、さからわんのです。先生は和しておいでる。ひとつも逆らうた事おっしゃりません。人に和していける力がなかったら、大勢を動かす事はできんと、こうなっとるのでございます。一人にでもきらわれる様な事があれば、大勢からきらわれてしまうのです。ここを先生はご自分の事をおっしゃったのです。恐い人にでも、だれにでもその人にけんかせんといけるというのであったならば、世界中の人にとおって行けるという事です。やはり偉い人は、どんなに言うても、大勢に関係しますから、大勢に関係して、人に信用せられるという事は、一人一人に出来なんだら、でけんことです。
和して行く、これはしよいようですけれども、相手が立派な人であった時分には、和して行けますけれども、相手が一寸気に入らんとこがある時には、和して行く事はむつかしい事です。これ、私は、ゆがんどるのに、ついて行けんというんじゃないのです。ゆがんどる人でも、その欠点をのぞいて悪口言うたり、するなという事なんです。それは其まま許していたらよい。それは和していた事になるのです。それを怒ったり、理屈言うたりしては、大勢が動かん様になるのです。即ち極楽世界をここへ造る事が出来ん様になるのです。泉先生は誠に結構な教えをして下さったのでございまして、一人一人に和して、行をしていてみ、大勢の人はいつの間にやら動かせる。どこへいっても恥ずかしい事ない。どこへいっても友達の様になれる。こういう尊いお説を立てたのは、ここなんでございます。泉先生を悪う言う人は一人もありません。先生に会うと皆先生におじぎしてしまうのです。一人一人に真心でつきおうて下さいますから、大勢の人がしまいには、皆、神さんとまつった訳です。これは何も神様に祭られる為にするのでないのであって、運がよろしいから、泉先生は、これをご自身の精神においておいでるから私が書いたのです。どうぞ人一人にでもけんかをしないように、人一人にでも逆らった場合には、大勢の方へそれだけひびが入る訳です。どうぞ今日お話しいたしました事は、明日から三十七年を迎える目出度い年を迎える下ごしらえでございますから、どうぞひとつ、ご実行願いたいのです。年末に際してお話し申し上げて、ちょうどよかったと思います。
(昭和三十六年十二月三十一日講話)
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