21~30条

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第二十一条 「悪いことは、いうて待つな、神に頼んで楽しんで待て。」


一般の世間の状態を見てみますと、善いことをいうて待つ人が少なくて、とにかく悪く考える方が多いように思います。たとえて見ましたら、今年は良かった、こんどぶりも続こうかな、とこう考えるのです。あるいは、病気にしましても、家の運にしましても、あるいは、家の中の平和とかいう問題につきましても、得てしてまだきておらぬ先の悪いことをよくいうのです。ひどい人になりますと、私の知っている人でこざいますが、今はありません、昔の話ですが、「今年はうちのたんぼは、十俵有ったんですよ、こんなうまいこと続けへんでわ、来年はほんなこと、とてもできん、相当しょ帯が面倒でな」とこんなことを言っている。まあこれは、無理ないことでございますけれども、これが一種のとり越し苦労ということになるわけです。もう一つ言いかえますと、愚痴ということになりやすい、泉先生はいつも神様に任せておけ、というのです。悪いとか、善いとか言うことは、人間がいうものじゃない。人間が自由になるものは、何もない、これはもう、お任せしておいて、悪くとも、今によくなる。今によくなる。このように言うのが信仰に一番良いのじゃ、こんなことを始終おっしゃっておりました。
また先生は、ご自身もそういうお考えで始終暮らしておいでた証拠にはこういうことがあるのです。 泉先生が五十を越したばかりの、お年だったと思います。私が始めてお目にかかったのが、先生が五十三才の時でありました、 その二年ほど前から先生は人助けをなさっておったそうです。
まあ、五十才を越えたばかりの時に手に珠数をかけて、朝神様にごあいさつなさる。そうすると「今に人が庭いっぱい来るわ」と、口へ出てくる。先生は、拝んで済むと、奥さんがそれをきいといて、「まあ、うちの庄太郎さんというたら「今に庭に人が一杯来ると言うて、もうやっとのことになるのに、一人もこない。珠数をこちらえ出しなさんせ、」こういう訳で、先生の珠数を奥さんがあずかって、ご自分のたんすの引き出しへ入れる。先生は、にこにこ笑うている。また明けの日になると、たんすから先生が珠数を引っぱり出し手に掛けて拝みなさる。拝むというと、今に人が一杯来るわと必ずそのように神様がおっしゃる。そういうことが三年続いたのです。どうですか、そして五十三才の時、始めて、庭一ぱい、つめつめに人が来るようになったのです。
このように先生は、ただ、口でおっしゃるばかりでなしに、ご自身が、生きの手本をお置きになった方です。
「悪いことをいって待つな、もうすべてを、善かろうが、悪かろうが、神様のご都合だから、人間がわかるものではない。お任せしておいて、そうして今によくして下さるというて、楽しんで待てと、このようなことを先生は始終おっしゃって、そうしてその手本をお置きになったのです。これはどうかといいますと、わが身を弱く見ているんです。人間の身で何にもできず、自由になるものはないんじゃ、すなわち人間というものはまことに弱いものだ。思うようにならないのがほんとうだ。おかげがあればこそ、よい方へ向いて行けるのだ、とこういう風に、自分を弱く見ておるのです。これが二十一条に書いてあることなのです。
それで人は、自由にならんから悪いことを考えて、そして苦しんでいる。しかも、その悪いことを考える人に限り神様にたよらんのです。たよると喜べるけれども、楽しんで待てるけれども、たよらないから愚痴をこぼす。こういうことになるのです。
(昭和三十二年十二月十五日講話)
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第二十二条 「わが身を強いと思うようになったら、身の滅びる時が近づいたと思え」


丁度二十一条と表裏になりまして、我が身が強いと思うようになったら身が滅びることが近よったのだと思えと、こういうことが書いてあるのです。このように先生はおっしゃったのです。で、悪い事を言うて待つのは、我が身が弱いんじゃ、たよるところがないために自分が愚痴をこぼす。二十二条は、我が身が強いと思うてなんでもやってのける。自由にできるんじゃと、このように考えている人は、滅びる時が近よったのじゃと思えと先生はおっしゃった。 ちょうど表裏になっているのです。ところが二十二条におっしゃってあることは、どういうことかと申しますと、ほんとうは、自分は弱いんだけれども、先祖のおかげか何かで金がある。あるいは、権力がある。身体が強健だとかなんとかいうためにすべてのことが自由になるかのように思うている人なんです。
この人も神様にたよらない、我が身が強く意地強い。向ういきが強い、こんな人になると神さんにたよることが少ないわけです。中にはたよっている人でも強い人もある。強く思うている人もあります。けれども、これはまれであってまことにその人間的に強いと思っている人に限り、神さんに感謝する人が少ない。そこで、今までの日本の歴史の上で、偉い人とたたえられる人々はどういうことをおっしゃっているかということを調べてみます。
親鸞上人は、ご承知のとおり真宗の祖師です、どういうことをおっしゃったかといいますと、「所詮、われらのような心の者は極楽へは行けないのじゃ、わしは世間なみの人間じゃ、それで極楽へはとても行かれない身じゃ、み仏にたよればこそ、わしは喜んでいけるのだ」と、こうおっしゃっております。ありありとご自分が筆をもって、書きのこしておいでるものをみますと、しょせん我々の如きものでは極楽は望めない。南無阿弥陀仏を唱える、神仏のご加護によって、自分がよろこんでいけるのだ。このように、おっしゃっておるのです。
弘法大師がどういうお考えでおいでたかというと、「神仏に一子の愛あり」とこうおっしゃっとるのです。神仏は我々に向いて一人子の愛があるのだ、どうがこうでも助けなければきかんという一子の愛があるんだ。 その一人子にわしゃ生れて来たんだ。この一人子を可愛がって下さるところの、慈愛あればこそ、わしは強く偉いもんでいけるんだ。こうおっしゃっとる。そうするとご自分の心の中には、人間というものはまことによわいものである。神仏に一人子の愛があればこそと弘法大師もおっしゃったことになるのです。
それから日連上人は、むかういきの強い人です。ご承知の通り、真言亡国禅天魔、念仏無間律国賊とこういうふうに、他の宗旨を非常に非難した位のむこう息の強い方なのです。その方がどういうことをおっしゃっているかというと、 こういうことを言っている。「我は、せん陀羅の子である」と。せんだらというのは、非人ということなのです。わしは非人の子見たようなものであると法華経に書いてあるところの、仏の功徳がなかったら、とても、とても、我々は、よろこんでいける身分ではない、自分は、せんだらの子であると、み仏のとかれた法華経の功徳があればこそと、こうおっしゃっております。
このようにみますと、まことに後の世に名をのこした偉いという方々は皆ご自分が弱い、神仏にたよればこそと、こういうようにご自分か強いと思うておいでないのです。ところが弱いけれどもすがる力によって愚痴が出ないのです。 二十一条と二十二条と、ちょうど表裏になっておりましょう。それから、泉先生はどのようにおっしゃったかというと「神仏に慈悲があればこそ自分のようなものでも世の中のお役に立つ」と、こうおっしゃっておるのです。
「わしは漁師の家に生まれて、生物を殺して、ありとあらゆる罪悪を犯しておる。これで、わしは神仏にはもう一も二もなく従がうんだ。この神仏の慈悲があればこそ、わしらのような身分の者でも皆さんの生命の真柱として、ご相談いただいて、お役に立っているんだと、おっしゃっているのをみても、泉先生もご自分は強い人間でない。 仏の慈悲によって皆様から、先生といわれるんだと、こうお考えです。このように考えていきますと、実に有り難いお説と私は思うのです。 それから立場を換えて科学の方からこれをのぞいてみましょう。
わしは弱いんだ、それだからろくなことはない、先で困るということを考えて、そして神仏にすがる。
又わしは強いんじゃ。わしは、どんなことでも自由に結構する。こういうことで神仏にすがらない。この二つを今日の進化論からのぞいてみますと、どういうことになるかといいますとたとえばここに、先日お話し申しましたがあの 「いか」という魚がございます。これは泉先生のお話なので、先生は漁をなさっておったから、よく漁の話がよく出るのです。あの「いか」は手といったところで、あの細長い餅を伸ばしたような柔らかい足、身体といえども、これもつきたてのもちみたようなものでどこにも強いところはないのです。つめがあるでなし、 きばがあるでなし、もう敵に追われると、一たまりもない。ところが「いか」は、わしの体は弱い、弱いが、この弱い身をなんとかして一つ強いものからのがれて行くところの方法を一つ考えたい。つまり人間なれば神仏にすがるところなんです。
なんとか自分の身をかくすところの方法はないか、こう常に思案していたに違いないのです。もっとも「いか」には、言葉がありませんから、人間の方ではわからないのですけれども、身が弱いということで、あの澄みきったところの、海の水の中で住んで、海草のようなものを食べて、その身の中へ、あの真っ黒な墨ができる、どうです、海水の中に墨がありますか、食べた物の中に(海草の中に) 墨がありますか、それが「いか」の身体へはいりますと、料理をしてみますと、黄色い袋があります。あの袋の中で黒い墨をこしらえて、別に貯蔵している小さい袋があるのです。その墨をいかの口から海の中へ吹きますと、実に煙のようにパッと広がるのです。そうすると「いか」がどこにおるのかわからないのです。今日の戦争なれば煙幕です。大砲の玉をどんと打ち出すと玉が向こうでさく裂する、 そうして、そのあたりが真黒になる。こちらが攻めるにしてもわかりません。あの煙幕のような装置が「いか」の身にできているのです。これは「いか」が製造したのではありません。とてもそういう物を「いか」が製造する力はありません、最も弱いものです。何にも自由にならぬものなんです。これは困る、自分はまことに身がよわいために困る、何とか自分が生き長らえていくところの方法をしたいもんだと、つまり人間ならば神仏におすがりして願をかけたわけです。
これが届きまして、今日「いか」のくろべ、あのくろべを科学者が研究しても、あれ位水に溶けよい物はないのです。どうです、学校の生徒がすずりですっておる墨、これも、黒いです。 けれどもあれを水の中へ入れても、そう溶けて広がりません、やってごらんなさい、あの「いか」のくろべは、指にちょっとつけて水の中へ入れてごらんなさい、パーッと広がるのです。ああいう広がりやすい即座にそのあたりが暗闇になるというものは、だれが恵んだか、だれが「いか」に恵んでやったのかといいますと、そこにいかの願がかないまして、自然に天地の働きによって、そういうものが、恵まれた、すなわち神仏に助けられた、こういうことになっているのです。
このように、弱いことを自覚してすがるというところに幸運ができるのです。ところが人間は弱いということを知っているために、先のこととて、ろくなことはない。おれは運が悪い、どうもしかたがないとこういうふうに考えこんでいくのです。 ここに泉先生のおっしゃる信仰のねうちが有るのです。弱い者はすがるからきいてくれるわけなんです。そうすると強い者、わしは強いんだという者に限り神様にすがらんというのは、自分は自由になると思っているからです。金の力、あるいは権力、体力、すべての点で自由になると思うているからすがらないのです。 それを考えてみると、それもあわれな話であって、人間というものは、金は減るもの、健康はそこねるもの、権力は人からの信用もの、これらはすぐ消えるものです。そういう消えやすいものに自分が強いと思い込んでいるのですから、これは当てはずれがよく起こるのです。そうすると身が滅びる時が近よってくると、こうなります。
強い者は、ああ、有り難い、ああ神仏のご恩によって、わしはこういうふうに強くして下さった。ありがたいと感謝するならば、ますます、それは強みを増していく事になり、人からも尊敬を受けるということになるのですが、強い者に限りいばるのです。それで身の滅びる時が近よったことになるのです。これを動物の方から見ますと、どうでしょうか、たとえば、あの獅子、虎これらの動物は実にその猛獣の中で王者なのであります。強いです。なるほど強い、獅子王というて、あれが「うおう」と一ぺんうなるというと他の動物は、もう身震いして、穴の中へ逃げこむ位、 恐れられているのです。ところが、一つ考えて、ご覧なさい、獅子があれ程強いのに、獅子の天下になっておりますか、どうです。もう獅子はわずかに、隠れ場所に隠れていて、餌を取る生物を殺して食うという位のことであって、もし、しゃばへ出て来るならば、鉄のおりの中へ入れられる、強いというものは、栄えないものです。このように自分が強いと自信して感謝しないものは、身が滅びる時が近よっているのです。獅子などは非常に少なくなりまして、アフリカあたりの野生の獅子をとるのにもなかとれないそうです。
数が減りまして、今日獅子一頭でも、とる入費が百万円もかかるそうです、その高いということは、数が少いということを意味しているのです。強いものは、滅びていくものです、ところが、ここにおもしろいことは、そのつよいまねをしているものがあるのです。
たとえばこの獅子のようなかっこうをして、獅子のような毛がはえている猿があるのです。この間の新聞に出ておりました。顔を見るとライオンそのままなのです。首の毛はカーッとふくれている。ところがそれが猿なのです。その獅子が世の中にこわがられているというので、獅子のとおりの頭のかっこうになっとりますから、それでわが身を保護するというたより方がある。これは考えもので世の中をだますということになるのです。けれども、わしは、身体が弱いのだと思い、これはアフリカあたりにいる猿なんですが、つめがあるけれども、かきむしったとて、 敵を倒すような勢いはない。ところがあの獅子のようなやつは強いなあ、ああいう強いかっこうになったら身の保護ができる、そのように思うたか、どうかは知りませんが、獅子の強いということを知っている。あのようになりたい、親子代々と続いていくうちにいつの間にか、獅子のかっこうをしとる。そうすると他の動物が獅子とまちがえて逃げると、自分の身体が保護できる。 こういうことになる。これも自分が弱いからそのように、なったのです。つまり自分が弱いということを知ると同時に頼むということが大事なのでこれが泉先生の教なんです。
人間は何一つとして自由にならないもんだ。それであるから、神にたよったものが勝ちだぞ、こういう教えなんです。それで動物を見ると、よくわかります。それから前にもお話し申しましたが、木の葉蝶という蝶があります、このはちようは羽をたたみまして木の枝にとまるときには、ちょうど木の葉と同じように見えます。そうですね、かしか、くりかの葉でしょうか、筋がついていまして、まるで木の葉が枝から出ているという形してとまっているのです。そうすると、鳥がきても、木の葉のように見えて発見することができません。そのために自分の身が保護してもらえる。よく木の葉をまねたものだと思います。ここが大切なところなのですが、ちょうの羽を広げたら、紋がいっていたりしてきれいな羽ですけれども、たたむと、木の葉見たようじゃ、それは蝶が木の葉を製造したのではないのです。
鳥類がきて、むごい目にあわされるので、木の葉のかっこうをしていると見のがしてくれるだろうと、このような願をする願心が出来たわけです。そう神仏にたのんだのでもありますまい。心の内で心願をこめたわけです。そうすると いつの間にか、自分の羽をたたんだ時にまわりの木の葉のとおりに筋がいって、見ま違う。こういうものができたわけです。 これも蝶が製造したのではありません。
願がかなったわけなんです。このように、動物を見ましても、いかに心願ということが、自分の安穏に役立つかということが証拠だてられております。人間は動物よりも、もう一つ複雑な智恵がありますから、我が身を強いように見せるようなかっこうをする。あるいは人をごまかすとか、いじわるを言うて、言葉で向うをへこましてやるとか、このような智恵を使うてやりますから、たよるという根性が少ないのです。そこで、泉先生はまことに人間はかわいそうなものである。動物でさえも、自分の子供や、孫、その子、子々孫々にいたるまで、自分の平和を保つためには どうしてもたよらねばならぬ。このような根性まえをもっているのに違いない。「いか」でも、「虫類」でもそうだ。どうぞ強い人は、強い人で神様にお礼を申し上げる。弱い人は弱いので、もう一つ心願をこめる、このようにしなと、 天道さんは、望まぬものにはくれないのだということを始終おっしゃっています。これを今日のダーウィンの進化論すなわち科学の方から泉先生のおことばを考えて見ますと、いかにもということがよくわかるのであります。
このように動物の話を申し上げれば、数限り無くあります、「くも」が木の枝に網を張って虫類をとり、漁師みたようなことをやっております。あの「くも」を殺して、背中つぶってご覧なさい。糸も何にもありはしません。ただ死ぬだけです。ところが、あのくもの尻の所に細く糸になって出てくるところの装置ができているのです。そうして、糸を製造する道具と糸に一つ一つ丸いもちをへばりつけるところの道具が尻についているのです。これは「くも」をつかまえて見ればわかりますが、そばへいって張っているのを見てご覧なさい、縦糸はねばりがなくひっつきません 横糸をひく時にくもが一番後の足でこれをひっつけて、いっております。あの時に糸が出る、その糸にちょうどぽちぽちぽちともちをつけていっています。顕微鏡で見ましたら団子をくしに差してあるようになっております。この装置、すなわち網をこしらえる装置、これも「くも」が自分でにこしらえたのではありません。そのような所帯をせなならん、生れ合せになっておりますから、なんとか一つ網を上手に作る工夫せなならんという心願がかのうたのです。 もともと動物は、今日のように十万種類も、はじめから有ったのではありません。これは前にもお話申し上げましたが、もと地球は火の玉ですから、生きるのは始めからおりません、それがそろそろ冷えてわずかに顕微鏡で見なければ、わからないような、小さな虫が、ぽつんと生まれました、これがわれわれのご先祖なので、その虫がかん難辛苦をし、あるいは水の中に生まれるものもあり、山の中に生まれるものもある、その自分の住んでいる場所毎に、どうぞ、子や孫にいたるまでも一身に不自由のないように身体が健康にもてるように、敵につかまえられて食われることのないように、とのいろいろの願をかけたために、色々な道具をめぐまれたのです。
そうして、種類が次第次第にふえたのです。すなわち進化してきたのです。そうして、今日の種類がたくさんできたことになっております。
生物をだれが進化させたかといいますと、それは神仏の加護力によってそのようになったわけなんです。これは申すまでもありませんが、このごろあなた方のうちにあひるを飼っているおうちもあるでしょう、あのあひるが水の上を泳いでいるのを見てご覧んなさい、陸へ上がりますと、尾をぴんぴんと振ります。そうするとあの尾の根つけのところに油の袋があるのです。その油の袋の口から油が出てきます。
そして首を後へまわして尾の根付けのところの油を口ばしの先へ付け、そうして体中へぬっております。 そうして、あのたくさんはえているところの毛の表面に油がズッとつきますから、ちょうど船みたようになる、毛の中へ水が滲みこみません。ちょうど毛でこしらえた舟のようになる。そうしてその足の後ろにはプロベラのような、水かきのついた足が二本ありまして、それで水をけって進むと、いかにもモーターボートみたような仕掛けになっておるのです。これなども水の中へ生まれたあひるが、天から恵まれた大きな利益とおかげと、こういうことに見ることができるのです。見ることができるのではなく、それに違いないのです。もとからそのようなものがあったのではありません、今あひるの生活状態をみてご覧なさい、いつも自分の身体を船にして、船の中へ水を滲みこまないように油をぬって、毛でこしらえた船というような格好になっております。ところが、これを試験してみるのです。どう試験してみるかといいますと、あのあひるの背中へ石けんつけまして、腰から胴から石けんできれいに油を洗いおとすのです 石けんで油なしにしてしまう。そうして水の中へ浮かしましたら、ずーっと身体中に水がしみこみまして、あひるはほとんど水の中へ身体がつかってしまいます。首だけしかでません。とうていこれで生活できなくなります。
あのあぶらというものがいかにあひるの仕事を手伝っているかということがわかるのです。このように実験してみるとよくわかるのです。その油つぼもあひるが製造したものではありません、そのようなものがなくては困ると心願こめたお蔭によって油がひとりでにできてくる、どうぞ今日お話申したこの二十一条は悪いことをいうて待つな、神に頼んで楽しんで待てということは、自分が弱いからそうせよ。 次の二十二条は恵まれて身体が強いというた時分には、これは我がが製造したものではない。おかげをうけてそうなっているのですから感謝してますます強くならなければならない、こういうふうに泉先生は世界のすべてのことから、信仰を割り出してほんとうの信仰にお進め下さったわけです。
(昭和三十二年十二月十五日講話)
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第二十三条 「打ち向こうて来るものはよけて神に頼れ」


(第一八一条は第二十三条と同じようなことが歌われております。)
「うちむこうものにはまけて時を待つ 法のみ声か青柳の風」とあります。
それで一八一条は都合により、二十三条と合わせお話し申します。
このうち向こうものには、よけて、ということはまことに簡単にかいてありますけれども、このうち向こうという意味は非常に広いのでございます。人にけんかしかけられるということも打ち向かうということです。又言葉の上で攻撃もありましょう、悪口もありましょう。こういうものが打ち向かうという意味になるわけです。これはよく昔から言いなれていることでありますけれども意味は非常に深いのであります。たとえば、ここに大きな木が一本山にはえているといたします。その大きな木の下に、小さな木がはえてきたと考えます。これは、山へおいでになったらよくご覧になることと思いますが、山でなくとも平地の方でもこういうことがよくあるのです。大きな木は昔からそこにはえて、その場所を占領しているわけです。その下へ、はえた木はたよたよしたまことにかよわい木がはえております。そうすると、その小さな木は、光線が当たりましても、横からでなければ当たらぬことになります。 大きな木が枝で伏せておりますから横から日が当たることになります。又大きな木から大きな水てきが落ちてくる、そのようになりますので、小さい木からいいますと、うちむかうて来るものが多いわけです、そうするとその小さい木はどのようになりますかというと、日の当たる方へ当たる方へ曲がって傾いてまいります。
そうして横の方で枝を広げて、大きな木が伏せておるのをよけておる。このようなことになります。これなども、 天地自然のことではございますけれども、先生のお言葉どおり、もしこの上から伏せている大きな木の光線の都合やら色々な都合に、はむかうていってどんどんまっすぐ伸びていったらどうなるかというと大きな木の枝の所へ芽がつかえてくる、そうしてくると枝ですれる、あるいは光線が足らぬために下の枝が枯れてずんずん伸びていく。まことにずんずら長い、哀れな姿になるわけです。これは天地自然のことでもその通り、先生のおことば通りになっております。 手向こうて来るものにはよけております。 そうして、自然の恵みをうけております。すなわち神にたよっております。このようになっているわけです。 これは、木の話でございますけれども、海岸へ行きますと、「ごんぼ」という貝が岩についております。その貝の中に貝の身が入っているのと、「かに」がはいっているのとがありますが、「ごんぼ貝」を拾いにいきますと、そんなのがたくさんあります。「かに」の入っている方の名前を「ヤドカリ」といっております。つまりあの「かに」が貝がらの抜けたのを借りてその中へ自分の身を差し込んでいる。こういうわけで「やどかり」と名をつけていますが、その「やどかり』のつめを見ますと、片一方の爪が大きいのです。そうしてからだをひょっと貝の中へ引っ込めて大きなつめでふたをする、いわゆる戸をたてる。又出てくると、そのつめで自分の食物を食べるこのような働きをしているのでありますが、これらを考えますと、外からの敵を防ぐための所作です。身体が弱く小さいのであるからかなわない。そこでうち向こうてくるものには負けて、ひょっと自分の家の中へすっこむ。そうして、片方の大きな方のつめで穴のふたをする。
こういうことを見ますと、なるほど先生のいわれた打ち向かうて来るものには負けておるものが強いんだ、身の保護ができるんだ、ということになるわけです。先生はこういう草木から小さい動物にいたるまでもすべて手本として 我々の日常生活に安全なように教えて下さっているのでよくわかるのです。それからあなた方も、よく御承知なんですが、蛙とか、蛇とかは寒くなると冬眠いたします。冬眠といいまして、蛙は土の中へはいる。蛇は石垣とかあるいは、ほら穴とかいうところへ身をかくしているのです。なぜそんなことをするのか考えますと、この蛙とか蛇とかは 生物を拾って食べますが、冬になりますとおらなくなります。 土地の中のどこかへ巣ごもりするのです。そうすると 冬の二か月、長いので三か月、ちょっと百日間食物がきれるわけです。これは自然のことですから、これに敵対することはできません。そこで、蛙や蛇は打ち向こうものには負けなければいけない。自分は冷血動物といって身が冷たい。極寒になりますと身が凍るのです。うち向こうてくる天候に支配されるのですから、これをよけないけない、これに抵抗しては生活ができない、そこで蛙などは土地の下へもぐっています。又蛇は穴の中へ巣ごもりしています。ところが、ここに不思議なことには、わしは、もう食事が百日間できない、今度暖かくなるまでできないんだ。なんとかこの間一つも物を食べられないのだから。しかし生きたいんだ、このような煩もんに心を痛めたに違いないのです ところがこの命がけの願がかないまして不思議や蛙は土中へもぐり込みましたらやせないのです。 よく冬田畑をはっておりますと気の毒に掘り出すこともあります。蛇などもそのとうりです。これは人間にもある程度できることです 新聞でご覧になったでしょうがあの印度のガンシーという偉い人、このお方なんかは、三十日位は、食事せなくて、じっとおいでたらしいのです。ところが人げんはどうも食事をするくせになっとりますからそう長くはいけないのです。蛙とか蛇とかは、先祖伝来、毎年そのようにしておりますから、その子や孫は楽々と冬眠ができるわけです。 そうして、今度ぶり出て来るときには丸々と肥えた、もとの姿で出てくるのです。これが今日では、医学上大問題になっております。生きているのに身がやせない。その力はだれがくれたか、と言いますと、薬の力でもなければ、外からの力でもないのです。自分のからだに、そういう心のはたらきというものがあるために、天地に守られた。すなわち神仏のご慈悲である。そのために生きておりながらからだが消耗せずして、もとの通り娑婆へ出てこられる。
このような不思議な力があるのですから、今日病院あたりで絶対安静がいります。このご病気は絶対安静がいりますとよく医者からいわれることがあります。はたして人間が絶対安静ができましょうか、なるほど、身体はベッドの上へ寝かせて動かさないようにできますけれども、心というものは動きましょう。いや、私死んだらつまらんのじゃ あるいは、こうして病気していると経費がたくさん入って困るとか。何とか心の中が動いております。そうすると、 身体が安静でありましても、心が安静でありませんために非常に疲労するわけなんです。ほんとうの絶対安静というものは、身も安静にしなければなりませんが、心に何も思ってはならぬということになります。
それで恐らく私は、蛙とか蛇とかはそこに立派な、口にいえぬところの修行ができているものと思うのです。もしも蛙や蛇のようなまねができるならば、我々としても百日や、百二十日はいけなければならんはずです。けれども、人間は四十九日を越せないといいます。これははるかに人間の方が負けています。これについて面白い話があります。面白いといえば、ご無礼ですが、泉先生が、ある患者を拝んだことがあるのです。その時に「鞍馬の山の八天狗」というお言葉がでた。天狗さんが、泉先生のからだへのりうつって、お前を助けてやる、そうして不思議な、有り難いお話のために病人がよくなったのです。よくなったのはよろしいが、この病人は、医者から手をきられていたのです。それを先生が、天狗さんというような、言葉をお出しになって、まがりものをのけて、安心させて、その病人をなおしたわけです。これが評判になりまして、警察へ投書がいったのです。 すると警察からちょっとこい、「お前さん、こんな病人を助けたことがあるか」「ございます』 「どんなにいっておがんだな」 「ああ、それは、はっきり知りませんが、こういうようなことをいっておがみました。』そこで、てんぐさんの話が出た訳なのです。「気の毒なけれども、そういうことをいうと人が迷うから、これは、お上の法律じゃから仕方がない。」というわけで志度の警察へ引っぱられたのです。ところがこの時に、先生は少しもごきげんを悪くしないで、うち向こうて来るものは避けるのです。先生は、『ああそうですか、私はこの病人、かわいそうに思って、拝んだので、ひとりでにそんなにいったのですが国のおきては大事でありますから、どうぞよろしく頼む』といって、決して警察の方へ理屈一つ言わなかったそうです。そうして、『ちょっとお頼みがあるのですが、家の方へ、この話をしませんならんので』というので巡査に連れられて、お宅へ帰って、そうして、神様の前で『ただ今から、お上の世話になりにまいります。』こういう お話をしたところが泉先生のお口からお聖天様のお言葉として、「そうだ、まあ、時代は国の法律というものがあるんじゃから、気げんよういってこい、ところが、お前は神仏の罪がないのだから食事をすなよ。わしが運んでやる」とこういうことが口に出ましたのです。けれども警察としましても、そんなこと何のことやら、気違い位のことに聞いて、まあつれられていったわけです。
そうして監房へ入れられました。それっきり、先生は監房の中の柱にもたれて、そのまま動かない、晩がくる、食事がくる、いっこうおはしをつけない、 お茶も水も、飲まない。じっと、もたれて神仏を念じておいでになった。又あくる日も、その通り、何日たってもその通り、するものですから、食事を運ぶ者が困ったあげく、「箸ででもまぜといてでもくれんと、わしが怒られるんじゃ。」それで先生は、「そうですか、それはまことにお気の毒じゃ」というのでおはしをとって、その箱の中へ詰めてあるご飯をまぜて、有り難うご座いましたといって、お返しする。そこで 食事運びが持って帰るという風にして何日もたちました。いっこう先生は、お顔の色一つ変わらず、お元気に柱にもたれたまま、眠られるのです。ところがある日のこと、先生が念じておいでると、真夜中位であったかと先生がおっしゃっておりましたが「オイオイ」という声が聞こえるので、天井の方を向いてみますと、衣を召したまことに有り難そうな、お坊様が「口張れ」と天井の方からおっしゃるので、先生は、口をあけておいでますと「ソライクゾ」 というて何か小さな、角に切った、餅の切れのようなものじゃとおっしゃっていました。 それをポーッとほおってくれると、口の中へうまいことはいる。それを先生がぐっとあがってしまう、そうするとその坊様はおかえる。 何ともいえぬよい気持で、お腹が減らない、このようなことが、毎晩々々続いたわけなんです。そうすると今度お上の方では「これはだれかが何ぞ運んでいるぞ」というので、下には窓はありませんが、高いところに鉄の窓がはいっております。
其の鉄格子から何か投げ入れているのではないかというのでついに金網を張ったそうです。ところがいくら金網を張っても、鉄のとびらを入れても、有り難い人が運ぶものはそんなもので防げない。毎晩々々そうして運んで下さったそうです。そうすることが三十日も続いたのですが、一向に先生は、おからだが弱るはずがない、そうしてあがっておいでるからもう満期になりまして先生はお許しを受けたのです。そうして出てきたところが、大勢のお役人や、医者がきておからだをしらべたそうです。 五人も専門家がきてしらべても、どこも変りがない。そこで、お上のお方がお前さんは、今日満期になるのだが、どうしてからだがいたまないのか」、先生にっこりお笑いになって『私はどうも訳が解りません、ありがたいことには、こうして又娑婆へ出られることは、実にうれしい事で何もお答えすることはできません。」「いや、何ぞある、お前さんは何もないといっているが、やせないわけが何かあるであろう。 包まず言え、」そこで先生は、正直なお方でありますから?私はここへお世話になる前に、天狗さんがでてきて、色々教えてくれました。それをいうと又つまえられます、お話すると又おれやといわれたら困りますから言いません。
「さあ、何ぞあるだろう言え。」「いや、いえとおっしゃっても又つまえられたら困りますので言いません」「いや、こんどはつまえないから、許してやる」 「許してやるとおっしゃるけれども私はうそはいいませんが、あんた方はまことにすまんけれども、あることでも、無いようにおっしゃったり、あんたの方が、信用できませんから言いません。』と先生は恐れることなくきっぱり言いきったそうです。
そうするとそのお役人が、「いやもう、こんどはお前さんのいうことを信じてやる、早く言え」しきりにそういうものですから、「それなら申します。毎晩お大師様だろうと思いますんじゃが、お衣を召した中年のお方がお出でて、天井から、小さなおもちみたようなものを、投げて下さるので、それが私の口の中へはいりますので腹が大きいのでございます。』「フーン」「そんなことあるんか」「さあ、そんなにおっしゃるので私はつらい」「ああそうか、よしよし、まあお前さんは、まことに不思議な人じゃ、どうぞ人を迷わさんようにな、助けてやるのはかまわんが、迷うようなことをこれからいうなよ。」「へいへい』といって先生は帰ったそうですが、その際に計量したのが、はいった時より三百匁ふえていたそうです。 これは何も不思議は無いのであって、ああいう心のきれいな、まことに、神仏のお好きになる方は、我々が想像ができないところの不思議がおこるのでございます。こういうように先生は、如何なる場合といえども打向かってくる者には反対なさらぬ、「はいはい」とおっしゃって気げんようについておいでるのです。すなわちうち向うものには負けよ、おこるなよ。よけて通れ、そうして神に頼るのがよろしい。ここなんです。
しかし簡単にうち向うものにはよけて、神にたよれといいますけれども、先生にはこのような大きな理由があってのことです。これをもし反対に、負けずして、理屈をいうことになりますと、神仏のお慈悲がうけられないのです。ここのところをどうぞ、よくかみわけて、日頃の生活にこの教えをお使になることが非常におとくと思います。
私が簡単に申すと警察沙汰とか、けんかしかけるとか、のことはめったにないことでございますが、打ち向こうてくるという意味を広げますと、ご家庭のうちにでも、これは日に日にあると申してもかまわん位のものだろうと思います。たとえばわしはこの問題はこうしたらよいと思うと、かりにご主人がおっしゃると、奥さんが、それはいきませんわ、この方がよい、お前がそんなにいったって、とご主人がいいかえす、というふうになって次第に問題が固くなって理屈の衝突になるのです。そこで日頃のご家庭内のおつきあいでもお友達同志のおつきあい、お隣のおつきあいでも、打ち向こうといえば言い過ぎかも知りませんが、反対のような意見がありました場合には、やはり先生のおっしゃった通りによけて、そうしてまごころでおつきあいをするということがこの二十三条の意味だろうと思います。事は簡単なようですけれども、これが実行ができるならば、実に家の中は、平和にいくだろうと思います。
又ご運がよいと思います。又あなた方が日々ご覧になる新聞の三面記事を見ても、打ち向かって来るものをよけておりません。うち向こうてくるものに突っ掛かっております。これで大きな問題が起こってくるわけです。
うち向かってくるものにはよけて通るということは、広く解釈して日頃ご家族同志のおつきあい、隣近所のおつきあいの上にお使いになることが大へんそのご運が強く、おかげが受けやすいということになります。しかし、よけただけではいけません。やはり、神仏にたよって、人間同志の争をよけるという意味に解釈なさらないとただよけただけでは、お陰が受けにくいのです。
私が今お話したのは、泉先生のご遺跡ですが、もう一つ私がお話しいたしたいのはあなた方の庭とか畑とかにはえております本名「むらさきかたばみ」のことです。 子供などが「スイモンぐさ」ともいっております。葉がクローバーににて、三つにわかれていて、かわいらしい、淡紫紅色の花が咲く草です。この草は非常に繁殖力が強いものです。
この草をよく見ますとちょうど、根のところに米粒位のものがたくさんついております。 掘り採ろうとしても、その米粒のようなものがそのあたりにこぼれます。 こぼれたものが、すぐ一人前の草になります。完全にぬきとることはできません。抜いてみると根の所にすき通った大根のようなものが水をたくわえております。どんなにしても枯れないようになっております。これを考えて見ましょう。どうしてこんな用意ができたのか、あの「カタバミ」 は、畠や道端にはえていると人にきらわれるのです。「唐ぐわ」ではり倒される、掘ってすてられる。これでは自分の子孫はあぶないというので、その根元にいちいち米粒みたいな粒を多く持つようになったわけです。 それから、掘り起こされて、捨てられた時分には、すぐ枯れてしまいますからちゃんと根に水の袋を持っております。その子々孫々にいたるまでの保護というものは、どこからできたかと申しますと、すなわち人間にむごい目にせられる、この打ち向う勢をさけて、そうして天地自然の働きを自分の身の上にいただこうとこういう工夫があのような姿になって現われたものに違いないのです。
こういう草一本にしても泉先生の教えというものは実に至れり尽せりと申して差しつかえないような有り難いおことばですから、どうぞ二十三条は、折り折り思い出して、いただいて、そうして家の内なり隣近所のおつきあい、社会のおつき合い、あるいは、お上に対する問題なり、どうぞこの先生のお話を思い出していただけばご運が強いと思います。
(昭和三十二年十二月三十一日講話)
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第二十四条 「過ぎ去ったことを苦にするのは神にご無礼。」
第二十五条 「不浄あるときは、先にことわり置いて後に神に頼め」


過ぎ去ったことを、苦にするのは、愚痴であります。信仰の上には、愚痴は大へん神仏がおきらいであって、 三毒の一つになるわけです。ところが人間は、他の動物と違いまして非常に知恵が多いために過去のことを考えるくせがあるわけですが、これは、信仰の教理から申しますと、過去、現在、未来、この三世について考えねばほんとうの信仰にはならないのです。過ぎ去ったことを悔むということは過去にしばられて、未来へ手が伸びないで行き詰りを生ずることになります。
一つ自分の考えを人界から離れて想像してみましょう。雨蛙というのが、雨が降る前に、「ふれふれふれ」と木の枝にとまって勇ましい声を出しているのを見ますと、泉先生は雨蛙になれ、とよくおっしゃったのであります。板べいの上で「ふれふれ」と鳴いている雨蛙を見ますと、背中の色は、黒いです。ところがその雨蛙が芋や木の葉の上へ行った時には、自分の体の保護のため、黒い体色が緑色にかわり、ちょうどいもの葉と同色になります。 蛙はそこで楽々 とうれしそうに暮しておるのを見ます。この雨蛙は我々に何を教えているのでしょうか。つまり信仰的に見て、泉先生が雨蛙になれとおっしゃった意味はここにあるのです。
人間なれば過去で何か一つ失敗する。わしはあのとき、こうやるとよかったのに、ああやるとよかったのにとだれしも考えることです。これが人間の弱点、さて前にはこういうことをしたが、これは自分の身の安穏の為にはよくない、 時代が変ったのだ。今どうするか、このように考えて、信仰の教えの道に従って未来をつくっていくのです。そこで 泉先生はこういうことをおっしゃっております。「昨日を忘れ、今日を努めて、明日を待つ」こう三段階にわけておっしゃっております。この昨日を忘れ、今日を努めて、明日を待つ、このことばは実に、立派なことばでありまして、過ぎ去ったことを苦にしている暇があるならば、今からどのようになすべきかを考える、そうして現在に努めるのです。このようにしてゆけば気持がよい。世の中の人にもよろこんでもらえる、自分も幸福だ、こういうことを神様の前で、自分が判断するように、現在つとめたならば、必ず将来すなわち未来は恵まれるに違いないのです。 それを先生は、過去のことは、苦にするな、忘れてしまえ。今からどうするか、ということに変えていけ。このようにお教えになっておられます。あのみの虫が、夏は木の枝へぶらさがって食物を食べる。それが、夏が過ぎ去りまして、秋になり、冬になりますと袋の中にはいって木の枝にぶらさがっておりますが、袋を見てみますと、その口にやわらかな綿のようなものがついております。それを中から引っぱり込んで戸口をふさいでおります寒い風を入れずに中ですくんで、冬を越します。この「みの虫」の所作をみますと、その夏は自由自在にうまいものを食べているのですが、外が寒くなってから食べる木の葉も枯れてしまうので、面白かった夏がすぎ、秋も去り冬になると、はや木の枝へちゃんと、糸で家をつり下げ、その口をわたで詰め、中から綿をひっぱりこんで戸をしめて、そして、そのわたのところから空気を出入させているのです。そのようにして冬を越しますと、それが、が (蛾)になって出てきます。 中で着物をぬぎかえるのです。そうして新しい芽が出ている木の枝へ自分の卵を生みつけてかえす。このようにして冬を越しているのです。この虫を見ましても、過ぎ去ったことを悔んでおりません。
夏の面白かったことを、ああ、今これ寒うて困るとか、そんなことは考えていないと思います。よろこんで夏はすぎ、よろこんで秋もすぎ、よろこんで冬はぬくぬく、と過ごし、今度又、芽ばえてくるところの春には「が」になって 飛びます。そして自分の子孫を繁栄さす。 何らそこに苦痛がないことは、はっきりしている。
泉先生はこういうところへ着眼して、どうぞ過ぎ去ったことを苦にするな、神、仏様に頼んで、そうして、これから益々幸福にいける道を考え出す。このようにしていくのがまことの信仰の道であるとお教えになっています。
又このような面白い話がある。鳴門市の大津あたりでは池に鰻を養殖しておりますが「うなぎ」は丸い細長い体をしております。その沼の泥の中へにじりこんで、鼻の先だけをどろの上へだし息をしております。あのうなぎはもともと川の中で産卵するのではないのです。あれは自分の子供を沖で育てるのです。あの塩水の中で、育てるのです。うなぎは卵からかえったころには、どんなかっこうをしているかといいますと、平たいのです。うなぎの子でないようにみえます。一寸ばかりの柳の葉のようなかっこうをした平たいものです。そのような必要があるかといいますと、 この沖の荒潮の流れるところでは、あの棒みたいなものでは泳げません。海の底ににじり込もうとしたところで砂ですからはいれません。そこで卵からかえりだちの子は木の葉のようなかっこうをしています。三センチばかりの、それが沖から潮に乗ってくるのです。そうして、真水の所へのぼってきますと、今度はそろそろと平べたい身体がこよりのような、丸い長い身体にかわってくるのです。それは下が、泥でありますから、その中へにじりこんで息をする、食物を取る、こういうような事をやっているのです。もともと、うなぎというのは、沖の動物だったということが解るのです。塩水の中で住んでいた動物なんですが、それがま水の方へあがってきて生活しとる。こういう風に過去は塩水の中で育ったんじゃけれども、それが真水の方で生活するようになりましたならば、わしは、塩水の中で自由自在に泳ぎよったんじゃがというような、過去の事を苦にするような事では暮して行く事ができない。その願がかないまして沼の中で、ああいう、つかまえてもずるずるすべってなかなかつかまえられないというように、ぬまの中へ穴をあけて行くのに便利な身体になぜかわったかといいますと、過去のことを悔んでおらぬ、今からどうするかという願をかけて、うなぎが願をかけたことはみたことはありませんけれども、そのような願があったに違いない。その願が 成就しまして、池やほりの中でうなぎが生活できるようになったのです。
どの動物をみましてもそのように過去の状態から現在に変った時分には、過去を苦にしておりません。今からどうするか、すなわち昨日を忘れて苦にやまない。今どうするか、今をつとめているのです。そうして明日の楽しい日を待つ、すなわち昨日を忘れ。今日を努めて明日を待つという先生の教えが、いかなる動物のはしまでにも、現われています。すべての生物がそのように過去の事を忘れて、現在をつとめている、そうして天地の教えに合わして願をかけておる、これが恵まれて、楽しい生活をしている、何一つ見ましてもこのようになっておりますから生物の話をしたのです。今一つあなた方がお作りになっている稲について見てみましょう。あなた方が稲の種をかえるといって、播州米の種を入れてみたり土地の変ったところの種を交換なさるでしょう。あれはこの二十四条に書いてある過ぎ去ったことを苦にするのは神に御無礼だと、昨日を忘れて今日を努めて明日を待つという事の実験をなさったのとおなじなのです。
たとえてみますと播州米、あのきれいな米を段関へもってきていたとしますか、播州あたりの土地は、御影石の腐った土なのです。ちょっと見ると堅いようですが下へ水が引くのです。ですから、稲がはえると底根をとるので横へも広がる、だから倒れることが少ない。そうして稲のから(茎葉よりも、実の方に力がはいる。その種子がよいというので段関へ移殖する。すると段関の苗代で大きくなり、本田へ移す。どうなるかというと、大津町の土地はご承知のとおり、一五から二〇センチの耕土を除きますと、その下はかたい心土です。根がさし込めないので、横へ広がり、稲のからはよくできるが、実のりは少ない。もし播州米が人間であったとするとどうでしょう、わしは播州で育ったのだから、底へ根がおろせられない、困ったことじゃ。こちらへきてみると、下がかたくて根がさしこめない、 弱ったなあ、こういうようなことを考えておりますと、その播州米は実を結ぶことができません。そこで、昨日を忘れてしまい、段関の土地には段関流でいかないといけないというので、横へ根をうんと張らすのです。するとからがよくできてくる。こういうようにして、この播州米を二、三年作ったならば、もうりっぱな段関米になってしまうのです。播州米の型が次第と無くなり、土地に合った強い稲になります。しかし、最初移植した年は、播州米によく似た米ができるので、皆さんが種子の交換をなさるのです。この稲でもそうなので、昨日播州で育ったので播州の型式は残しているが、将来はどうするかとだんだんと工夫して三年位たつと、段関米になってしまうから、毎年種子の交換が必要になってくるわけです。
すべて、生き物は、このようにして自分の繁栄を図っているのです。泉先生はこういうところへ目をお付けになりまして、草でも木でも、その場所に応じて、昨日を忘れてしまって、その土地にどうすれば今後子孫が繁栄するか、隆盛にいけるかということを考えているように見えるのです。考えておるのに違いないのです。この真理を先生は、過ぎ去ったことを苦にするな、それは神さんにご無礼じゃ。今からどうすればよいかと神様に相談すれば、恵んでくれるのじゃ。その神様の慈悲深いおぼし召しを知らずして、自分が勝手に苦労するのは、神様にご無礼じゃとこうおっしゃったのです。このようなことをお話し申せば、いくらでもございます。動物植物すべてが、そういうところの働きをしているのです。草木を見ても葉が落ちるでしょう。ときわ木(常緑樹)は一年中葉がありますけれども、多くの木は冬落葉します。このわけは、冬が来ると温度がさがる、土地の養分が吸いにくい、それがために葉をふるうて休む。これを冬木したといいます。冬木して休んでいても、その間木々は養分を吸いあげているが、ちょっと一服しています。それが木の目になるのです。やわらかい綿目のところは夏伸びたところ、かたい骨のようなところは冬休んだところ、こういう風にして木は自分のからだを強くつくっていきます。 寒さには自分のからだを強くする、 木には皆目があるでしょう。横にのこぎりで引き切ると、わんわん(わ)がずーっとはいっております。これがあるので木が強いのです。もしあれがないと大変弱いものになってしまうのです。風が吹くと折れてしまいます。 こういうように、冬寒くなって養分が吸い上げられる時には、自分のからだを強くする。夏伸びたのに、こんなに寒くなって困るとは木は言わんのです。その寒い休まなならん時期を活用して、自分のからだを強く変えていく。
こういう風に草木にでも、その時々の環境に応じて生きてゆきます。喜んで、これからどうするかということを考えているわけです。竹なども先生がお話ししていましたが、中が空になって、いるでしょう。そして、節があるでしょう。あの節を抜いてしまって、後先持つと折れるでしょう。ところが、からんぽでなしに実がは入っておればどうでしょうか、実が入っていると木のようになって竹のような粘っこい力が出ないのです。この間も、新聞に出てい ましたが、那賀郡の方で大きな魚をつったと言いますが、何でも、七、八キロもあるような大きな魚をつったといいますが、そのさおの先だとて糸のように細いのです。順々に細いところから太くなっている。こういう大きな魚をつりあげるときには、ずーっと弓のように曲っております。それでも折れません。これは中がすいていて、節があるから強いのです。節を抜けば、すぐ折れてしまいます。又棒のようなものでも折れます。又棒のようなものでは魚がつれません。こういう風に竹などは、自分のからだを強くするために、ああいう工夫をしているのです。こういう風に人間でも一生のうちにはつらいこともあります。苦労なこともあります。 これは困ったということもあります。
けれども、その時にそれを苦に病んで弱りこんでしまうようでは、神さまのお慈悲はいただけんぞと先生は教えているのです。その困った、行き詰った、つらい悲しいという時分にこそ、有り難いところのお慈悲がもらえる時期なので、そういう時期に大いに神仏にすがって、今からどうするのが良いかということを、教えの道によって磨いていくということが大変大切なことだと、泉先生は教えて下さっております。 その教えに従うてあなた方が、動物でも植物でも見てご覧なさい。本当に、昨日を忘れ、今日をつとめて、明日を待つという三つに合っております。
徳島の動物園に白熊がきておりますが、あの白熊は、シベリアあたりから北の寒いところに育ったのですが、あれが夏が来ると少し黄色味を帯びてくるのです。冬が来るとまっ白になって綿毛がはえて来るのです。極地近くの年中雪で埋まってしまうところでは、黄色いいろだとすぐ目だつのです。白い綿毛がはえてくる。そうして、夏がきて、 野原の地面が出てくると、一帯が黄色くなってきますから、うす黄色い毛に変わってくる。こういうように困ったということを絶対に考えないのです。どうぞ、皆さんも、いかに知恵のある方でも、学問のある方でも、一生のうちには、これは困ったなあ、これはつらいなあということは必ずあります。いかに信仰していてもこれはあります。私はつぶさにそれを経験しましたが、そういう時分には必ず苦に病んではいけません。神仏にご相談するのです。どうしたらよいでしょうか、そこに、自分の心のうちに、こうすればよいのだということが自然にわいて出てきます。その教えのみちに随うていくならば、今度は又方向が変って喜んでいける道が、ひらけてくるものなのです。これがすなわち、神仏のお慈悲、おかげを受けるということになるのですから、そのところを先生は親切に教えてくださっておるのです。ですから、どうぞ皆さんもそういうことはありますまいけれども、もし困ったという時分には、それを 苦にせずして、今から教えのみちに随って運命を切りひらいてゆこうということを神仏に願かけて、教えのみちを実践していくことが一番神様の恵みをうけやすいことになるわけです。
第二十五条「不浄あるときは先にことわり置いて後に神に頼め。」という、不浄というのには、二つの意味がある のです。 からだの不浄、つまり物の不浄、それと心の不浄の二つになるのです。女の方には、からだの不浄ということを世間では言われていますが、これは不浄でないのであって、天から、それだけの任務を授けられているところの おつとめなのでありまして、それは不浄じゃありません。けがれではありません。そういう場合には、神さまへ先に おわびしておいてお参りする。こういうことを先生が教えておいでるのです。この不浄ということにつきまして、心の方ではぶくというのがあります。家族あるいは親せきの人がなくなった場合には、ぶくがあるといっております。ぶくとは何かというと、家からなくなった人が出たから不浄じゃないのです。 神道ではなくなると神さまで、その日から魚を祭り、拍手をうって、太鼓をたたいて、お祭りするじゃありませんか。 それで、死そのものが決して不浄じゃないのです。死のために、家族あるいは親せきの者が心をいためて、泣き悲しむことが不浄なのです。
だから、ぶくというのは泉先生の教えでは無いといってよろしいでしょう。その日からでも、神仏にお仕えしてよろしいということです。しかし、人はそうはいきません。悲しい、つらい、涙が出る、そういうことになりますから そういうつらい思いのある間は、どうぞ遠慮するのがよい、これが服なのです。ぶくの本質は、不浄じゃないのです、心の悲しみを不浄とたてたのですが、ならわしといたしましては、三十五日がすめば、家の内の神さんはお祭りしてよい。四十九日がすめば、外の神さまへ、お参りしてよいというならわしになっております。 決してこれは、日に制限があるわけじゃありません。心に制限があるのです。四十九日過ぎても、泣き悲しんでは、神さまにご無礼しますから、そういうことをよくお考えになって、身の不浄もない。心の不浄もないというならば、結構なのです。
どうぞ、不浄という意味をそういう風に、とっていただきたいのです。
(昭和三十三年一月十五日講話)
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第二十六条 「祈って霊験のないのが不思議。」


普通世の中で、申しておりますのは、祈って不思議におかげをいただいたといっておりますが、泉先生は、それと正反対に、『祈っておかげのないのが、不思議である。』いいかえますと、祈っておかげがあるのがあたりまえだ。このように先生は、お思いになっていたようでございます。さて祈るということですが、一種の禅でございます。 六波羅密行の禅でございます。この禅には、色々の種類がございまして、お参りするのも禅、お頼みするのも禅、又、おとなえを一心になさるのも禅であります。ともかくも祈るということは、禅なのでございます。ところが、この禅行の時には色々と考え方があります、人のために、ああ気の毒だというので、お祈りする。これは慈悲の禅でございます。ところが又自分の祈とうをお願いする場合もあります。これは、自分の行なのです。その同じ行の中にも、自分が困っておすがりするという場合もあり苦痛をのがれさしてもらいたい、という禅もあります。 「又なんとか、この体を健康にしていただかないと、世の中のために働らけないので一つお願いしますといって、自分ということをのけて、世の中へご奉公するという仕事がしたさにお祈りするなど、祈るということもわけますと、大変な種類になってくるわけです。泉先生は信仰で祈るということと、日常くらしていることを、別にしてはおかげはないぞということをおっしゃっていましたが、つまりこれは、六波羅密行を全部しなければ、おかげがないということになるわけです。
それで、六波羅密行というのは、第一に、施波羅密、施行であります。次には、忍波羅密、忍行です。 戒波羅密、 すなわち戒行、精進波羅密すなわち精進行です。この四つは、六波羅密行の中で、人間生活に属しています。その人間生活と特に六波羅密と、とりたてたのはなぜかと申しますと神様を中心として、ご奉公するという意味で行をした場合、自分というのをのけて、神様にお仕えするという意味で行した時分に、波羅密となるのです。たとへば、施行、施すということです。これは物を施す物施、信仰の上で人を導くすなわち法施、この二つになります。 それを神様にお仕えするという考えのもとにするのが波羅密なのでもしそれが信仰なくして考えますと、まあ、物を人にあげておくと何とか後で生まれてくる、このような取引根性でするのは施行ではありません。 施行と申しますのは、全然自分ということを考えないで慈悲に満ちみちて、向うさんになりきって向こうを助けてあげるというのが、法施にしろ、物にしろ、これが施波羅密なんで、波羅密というのは、どうしても自分というのをのけておかないと、波羅密にならないのです。自分というのが間にはいっておりますとそれは施行には違いありませんけれども、波羅密と言えないわけです。それから忍波羅密、忍行です、この忍という行は、こらえるというのですからみなさんなさっておると思います。忍波羅といって忍の字に波羅密をつけるのには、区別がありまして、ただこらえるというのではないのです。そうすることが、神様のお心ざしである。神様がそうなさるんだ、そのまねをさしていただくというのが、本当の 忍行なんです。
「もう堪忍袋の緒が切れた」などと、よくいいます。もうこれ以上辛抱できん。 これは波羅密ではありません。 波羅密というのは、いかなる場合といえども、たえ忍ぶ、命がけでたえ忍ぶ、死ねば致し方ないが生きている間は、忍ぶんだ、こういうことが、波羅密です。泉先生は、この施波羅密、忍波羅密ということは非常な力でなさっていました。
一例をあげてみますと、その施波羅密の方では、先生が船にのりまして、あちこち、遠洋漁業に出ます。朝鮮の方へもまいります。あちらの港へこちらの港へと船を寄せ上陸します。けれども、先生は、他の船員が上陸しても上陸なさいません。船員たちはたまに上陸しますと、一杯やろうじゃないかとなるわけです。これは無理のないことです 長い海上の生活ですから、ところが先生は、そういう時には、どうなさるかといいますと、「ああ、わしは、一杯のめないのじゃ、わしの代りにやってきてくれ。」といって、お金を出すのです。これは施波羅密です、 わしの代りに飲んできてくれ、何か仕事か、何かのように思っておいでるのです。
気持よくお出しになる。それから、忍波羅密ということでは、先生はいっさい海の上では塩気はあがらないのです。これはなかなかむづかしいことです。ご飯のおかずにいたしましても砂糖です。これはなかなかの辛抱じゃと思います。米をお洗いになっても海の水でまず洗います。それを後でま水ですすいで塩気をぬいてお炊きになる。 先生が炊事すると非常にみんなが、喜ばれて食べられたそうです。外の例ですが私の友人が何の病気であったか知りませんが、お医者さんが、塩を食べてはいけないというのです。そこで一週間位塩を食べなかったそうです。そうしますと、涙が出る、よだれが出る、ことばがはっきりしない。その塩をたつということだけで半病人になる。これ位塩をたつということは、苦痛なんです。それを先生は喜こんでなさっています。水の上へ浮いた時には、水神様のおかげで、我々食べさせてもらうのだから、この塩をたちましょう。そうして朝々「象頭山金比羅さん」とお祈りになってそうしてご飯をたいた。そのごはんを船の上ですから「はがま』のふたの上へ杓子でちょっとおきましてそれを船の中からさしあげて、「南無象頭山金比羅大権現』とお祈りになって、塩気をおたちになったのです。
こういう先生は忍波羅密をなさっております。それから次に、戒波羅密でありますが、この行につきましても先生はお酒をあがらないのではないのです 「お聖天さん、今日はお酒をお許し下さい。」というと、一升召し上っても酔わない。それ位のお力があるのです。けれども、酒を飲まないとお決めになると、金輪際あがらないのです。 そうして、あのお不動様をお念じになるのです、 そのおみきをお不動様に差し上げます。ご自分はあがりません。そのおみきすずをお不動様にお祭りし、お不動様をお拝みになった時分にはお不動様のお顔がまっかになるというのです。他の人には見えないのですが、先生がおいのりになると、お不動様の顔がまっかになる。すなわち金時不動さんとはこれなのです。まっかになる金時になるそうしてお不動様の顔がまっかになると先生がお喜びになる、こうして神さん、仏さんには差し上げるけれども、ご自分は飲まないと決めると一切飲みません。場合によって、お客さんに待遇しなければならない時には、「今日は、お客さまを待遇するのでお許しを願います。」というと一升あがっても、少しも酔いません。このように、先生は決めたことは、絶対それをつき通すのです。海の上では塩を食べません。このようにお約束するとおかずは砂糖でなさいます。これも気をつけていないと、なかむずかしいことです。こういうふうに、先生は一旦お決めになるとどんな時といえども絶対的にくるわさないのです。これは簡単なようでありますが、皆さんお考えになってご覧なさい、悪いということはしませんと心に決めると、心に決めたことは、神様とお約束したのと同然です。ところが時と場合によってそれが心境の変化をきたして、ついついやってのける、つまり自分の心に負けるのです。そうして約束を破るということになって、おかげはうけられないと、先生は、はっきりと、 おっしゃいました。それから、精進波羅密の精進というのは、魚を食べないことではありません。 精を出して、それを人の為、世の中の為にご奉公するということが精進波羅密なんです。ところが、精進波羅密によく似てそうでないものがあるのです。星から星へ働いて、たんぼで、鍬で、「はる」としますか、一うね耕すといくらもうかるのじゃ、暗くなったが、まあといって月夜の晩にでもする、これは形は精進でありますが、それに経済がはいっていますから、波羅密とはいえません。精進とはいえますが波羅密とはなりません。
泉先生のおっしゃるのは、自分の利害を抜きにして自分の身体を使うということが精進ぞとおっしゃった。なるほどそうです。仕事に精を出しましてもこれだけ働くと、これだけもうかるんじゃと言うことは、精進に似ておりますけれども、ちょっと形の悪いところがあります。精進波羅密という以上は自分の経済というのがはいっていないのがほんとうなので、仕事が好きでたまらない、世の中のために、家のために、人のために、自分というものを抜きにした働きが、これが精進波羅密というのです。波羅密ということは、運ぶということです。「はこぶ」という意味があるのです。何を運ぶのかと申しますと苦の世界から楽の世界へ心を運ぶということです。それが波羅密なんですから、人間の普通していることは必ず苦の種を蒔いております。しかし波羅密ということになりますとその苦がありません 必ず楽の世界へ出られる、苦の世界から楽の世界へ運ぶという意味で波羅密というのをつけるのであります。 施、忍、戒、精のこの四つの波羅密は苦労の世界から楽の世界へ運んで下さるという意味がついているわけなんです。この四つの行ないができた者が、祈った場合には、霊験のないのが不思議、ということになるのです。
泉先生のお考えはそこにあるのです。この四つの人間がすべきことをしていないで、禅波羅密したところでそれは波羅密ではない。それは通らんとおっしゃる。ここが、二十六条に書いてあることなのです。
泉先生は、そのように、人界のことを別にしてはいかぬとおっしゃったのはここなのです。人間界の功徳を積んで祈ったのが、神様にすぐに通る。通らないのが不思議でないかとおっしゃったものです、霊験がないのが不思議というのはそういう深い意味があるのです。
たとえば、人界においてこの施忍戒精の波羅密をせずして、神様にお祈りすることはたとえてみますならば、仕事をせずして給料をくれということに当ると先生がおっしゃいましたが、なるほどそうでしょう。四つの仕事をしたと言わなくとも給料くれんのが不思議じゃくれるのがあたりまえじゃ、そうでしょう、仕事をすると、言わなくても給料はくれます。くれるのがあたりまえ、くれないのが不思議、そういうことになりましょう。
まことに先生の六百か条の教えはかんたんなことでも、非常に深い意味がありますのでこの祈るということは、禅でありますから、あんた方がお考えになればわかると思います。お参りの途中でも、施、忍、戒、精ができておれば そのお参りは必ず霊験があると先生がおっしゃったのですから、おわかりになると思います。神様の前へ出て、頼むのはだれでも頼みますが先生は、頼まいでもよいとおっしゃるのです。
お参りに行くと神さんの棚の上へ「あい」とおさい銭をおいて、おじぎすると、それで神様知ってござる。先生は 常に、そんなにおっしゃっていました。先生がお拝みなさるのは非常に簡単なものです。 時によるとあの「帰命天とうは」とおっしゃいますけれども、めったに申しません「おんきりくうぎやくうんそわか』と、いうのは私はよくお供していた時分に、聞きましたが、先生は、あまりお経文知らないのですから、どこへいっても『おんきりくうぎ くうんそわか」です。大麻さんへいっても、津の峰さんへおまいりしても「おんきりくうぎやくうんそわか」です。ある人がこういうことをいったことを私はきいております。ある時泉先生が津の峰さんへ行って「おんきりくうぎやくうんそわか」と唱えると、「そらまちがっている。」と、なるほど津の峰さんのご真言は、私は知りませんが「おんきりくうぎやくではありません「おんきりくうぎやくうんわかと」いうのは、お聖天様のご真言です。
しかしながら、ご真言のよってくるもとは、何であるかというと、一字に千理を含むという深い意味があるわけでございまして「おんきりくうぎゃくうんそわか」というのがきくのではないのです。そのご真言の中に神様にお仕え申すという真心がこもったのがご真言です。それだから、先生はお知りにならんから、聖天さんのご真言をどこへいっても、おっしゃるのです。私はそれでよいのだと思います。
もしご真言をよく知っていて、それでおかげが自由自在にうかるものならば、ご真言の数はあの大日経をみますとたくさんあります。 お風呂に入る前にも、水使う時のご真言、皆場所場所にご真言があります。
何百というご真言を全部覚えて、それでおかげがうかるのなれば、それでよいではありませんか、ところがおかげになりません。念じて霊験のないのが不思議とは、ここなんです。念じるということは、真心が通わなければほんとうにおかげというものは、無いはずなのです、ところがここに一つ考えねばならぬことがあります。この仲須様の集会所の壁にありますが、慈悲の行なれば、神仏にまであがれるということになっております。もしそれを欠いで、我が心の行、いわゆる我欲の行をした場合はそれはおかげをくださるのですけれども、それが間違ったおかげになるの です。おかげとはいえないのです。それなら。どんなになるのかといいますと、とってもつかぬところの、人に笑われるようなことが自分の脳裡に浮かんでくる、口走るそして、その言ったことが、まるっきり人を迷わすことになる 自分が言おうとしていったのでなくして、ひとり出たのだから、神様のことばだという人がありますけれども、それは違うのです。お祈りをする。お頼みをするそのような場合、必ず、この四波羅密、施忍戒精の行のできておる方にほんとうのおかげがうかるのです。もしこれが欠けておった場合は、おかげはうかりますがもの笑いになる。 ほんとうのことを教えてくれません。 実相じゃなくして人を迷わすあるいは世の中へ害毒を流すようなことが口へ出、所作にあらわれるのですから、よほど注意しないと、これは大へんなことになりますから、簡単に祈って霊験のないのが不思議じゃ、あるのが当り前ぞと先生はおっしゃった。そのあたりまえぞということが、こういう深い訳があるのです。どうしてもお祈りするなれば日常生活に、この四波羅密を織りこんでいきませんとほんとうの禅がきかないのです。もしこの四つがかないましたならば泉先生のように、文字一つ知らない、失礼ないい方ですが、無学文盲でありましても、聖人が及ばないところの大きな力をいただけるわけなのです。 この二十六条に書いてあることは 祈りと簡単に書いてありますけれども、その祈る裏手には、四波羅密を欠いだならばだめだというおしえがひそんでいます。もしこの四波羅密がとどきましたならば祈らずとても、神や守らんと山中鹿之助が、いいました。
「心だにまことの道に叶いなば、祈らずとても、神や守らん」というのがあります。祈らずとても神や守らんということを取違えるといけません。神さんはほっておいてもかまわん、拝まなくともよいのじゃ、というのではありません。四波羅密が人間の行としてできているならば、祈らないでもおかげはくれると、こういう意味なのです。
それを泉先生は祈って霊験のないのが不思議とおっしゃったのと同じ意味でございます。幾ら祈っても四波羅密がなかったならばだめぞということもいいかえられるわけです。どうぞこの二十六条はそういうわけでありますから 祈らいでも神さんは守ってくれる位の力がこの四波羅密にあるのだということを、御承知願いたいのでございます。
(昭和三十三年一月二十一日講話)
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第二十七条「人にもししかられたら、わが身のつみが滅びたと思って腹を立てるな」
第二十八条「心一つの持ちようで、世は楽にもまた苦にもなるものである。」


この二か条をいっしょにお話をいたします。
この人間の身体を見ますと、骨格に肉がついております。内臓があります。この筋肉の中で自分の力で動かしてみようと思うと自由にうごかせるものがあります。たとへば、手の筋肉とか、足の筋肉などは、自分が動かせます。
ところが、自由に動かせないものがあります。それは、胃袋です、腹の中の膓などです。胃袋を動かしてやろうとしても自由に動かすことはできません。かりに、ちょっと食べすぎたから、胃を多く動かしてやろうと思っても、うすで、物をつくようなわけにはまいりません。
自分で自由に動かせる筋肉を随意筋といいます。そして、自由に動かすことのできない、筋肉を不随意筋といっております。
それと同様に、自分が心に知っておって、したり、言ったり思ったりすることと、それと自分が知らずして、やっておることがあります。自分の身振りとか、話の口調とか、思うこと、この身、口、意の三つです。知っている身ロ意の三業と、知らずしてする身、口、意の三業があるわけです。知っておるのがただ今の自分が生きている世界の三業であります。
けれども宿業となりますと知らないのです。たとえば形の方です、形の方は癖がある。あの人はこんな癖がある、手とか、足とかあるいは、口の動かし方とか、目の動かし方とか、などのくせがあるが、原因を自分が知らないということがあるでしょう。所作に自分が知らずしてやっていることがある。これが身の方です。
今度、ことばの方、口の方ですが、それを自分が知らずして、話をしていることがあります。
あるいは思うことでも、よし、あしとかいうことを取り違えて自分ではよいと思っても、人にはそれが悪く響くということを知らない方があります。
このように、人間の筋肉に自由に動かせるものと自由に動かせないものとが、あるのと同様に、心の方にも、自分が知っておって身、口、意の三つを使うことと、知らずして、しておる場合があります。
ところが宿業の三業は、もしそれがよければ、生まれながらにして神仏の加護をうけているわけです。たとえば話し相手の方に、ちょっと笑っても、それがよい感じを与え、お話しする上に、ちょっと口調でも何か相手にかわいく饗かせる、こう自分は思うている時に、よい方に取り違えて思わせるなど、生まれながらに神仏の加護のある人はよきようにあらわれる。
お釈加さまとか、弘法大師さまとか偉い方は、人から尊敬せられる、敬慕せられる、それは、確かにご自分が知らずしてそういう過去の因縁をもってお生まれになっているのです。
ところが過去の因縁がもし悪かった場合には、ちょっと笑っても何だかいやな感じ、ちょっと話をしてもなんだか理屈っぽいとか、相手に悪くひびく。
このように前生の因縁がよい人ならば知らずしてそのおかげをうける、もしその因縁が悪ければ、知らずして、それが人に悪くひびく、このようになるのです。
そこで、人にもし、叱られると我が身の罪が滅びたと思って腹をたてるな。人の目に映ったところによると、自分はよいつもりで言っているのだが人にいれられなんだ。人には感じ悪くうつった。その時分に人から何か、反響があります。しかられるとか、あるいは気に入られぬ風をせられるとか、このように人から反対を受けます。その時分に大抵の人は自分の方が真っ直ぐと思ってそれを言い張るのです。
泉先生は、そうでないのです。たとえ自分が、真っ直ぐなと思っても、人にそれがいれられない場合は先刻申す前生の因縁によって悪く響いたのだ、これはよくしかってくれた。大いに反省してあとあと人に感じの悪いようには、しないとこう泉先生はおっしゃったのです。これは大事なところです。自分が正当だと思うていることを人から反対せられると必ず自分の正当をいいつっぱります、そのつっぱるのが何になるかといいますと。いいわけになるのです。
昔からいうでしょう。「言いわけは口返事、」といいますが、それは自己弁明で、自分が正当なんだということを自分で証明することが、いいわけなんです。泉先生は、いいわけが非常におきらいだったのです。人にもし悪く映゜ってしかられるようなことがあった場合には、ああ、そうでございますかといって、先生は自分を反省してみるのです。
あんた方、予科練(予科練習生)がだんだん飛行場へきておったのをご承知でしょう。あの予科練が外出して帰る時刻におくれる、その時分に上官が、「どうしておくれたのか」、このようにしかるのです。その時分に「悪うございました、恐れ入りました」と、いいわけせなければ、許してくれたそうです。ところが、一口でも「途中で、どうでありまして、おくれました」とでもいうことがありますと、樫の棒でたたかれたということを、ぎきましたのですが、どうですか、その予科練習生たち全員がだれでも泉先生の教えを知っていたならば、たたかれなくてもすんだわけです。こういうふうに、昔も今も将来も永遠に、もし向こうが親切にどういうわけで、こんなにおくれたのかと尋ねられた場合には、「それは、お申しわけはいたしませんが、私はこういうわけでありました」おもむろにいうてはよろしいけれども、言いわけ的にいうことは口返事になるのでございますから、泉先生はそういうところをよく教えたものです。それで疑い深いという性質、これなどもやはり前生から、人を疑うというところの心を持っているのです。
なんでもないのに、どうしても承知しない。もう根掘り、葉ほりそれをたださなきかんというような人があります。
それは、人に対しては、あまり感じはよくないでしょう。それで、泉先生は、そういう場合にでも、疑い根性は持つなというのです。叱られた時には、辛抱して、我が身の罪が滅びたと思えというばかりじゃなしに、先生はもう一つ掘りこんで人を疑うな、ほんとの真心でおつきあいをしていけと、おしえておいでます。二十八条に書いてあります。
「心の持ちよう一つで、世の中が、楽にも苦にもなるのだ」とこういうことがかいてあります。根ほり、葉掘りきかなければ、気持が悪いという性分でありますときらわれます。あの人、くんだらじゃ、人のこと聞きまわる、このように人にきらわれます。場合によるとしかられもします。それで心の持ちようということは、決して人を疑わない
もし調べなければならないことがあるならば疑わずして、真心で、その人にお尋ねすればいいんです、疑うて、聞きますと何やら裁判所で犯人を調べる検事か判事、のようになりますから相手方には、非常に感じがわるいのです。
いろいろそういう場合には、心一つの持ちようで世の中が楽にも苦にもなる。それでもしも何かの事件の場合に、人に尋ねなければならないことがあった時には、うたがうということをのけておいて、その人に敬意を表してお尋ねするそうすれば、信仰の道に合っているのだと、こういうことを泉先生がおっしゃいました。
もし、ここにうたがうということになりますと、この身、口、意をはなれないのですから、疑い根性を持って、たずねる時には、そのたずねる口調がいけません。いやな口調になります。そうしてその顔が違います。どうですか、もしこれは、この人が盗んでいるのにちがいないといううたがい心でその人にものを尋ねる。そんな場合慈悲のことばはでません。又顔も何だかいやな顔になります。このように、身体のあつかい、顔の筋肉の動き、眼のうごきこのようなのは身に属することです。
この身のうごきと、ことばとは思うことについていくのです。そういう大切なことでありますから泉先生は、二十八条に心の持ちようというものは非常に大切なんだ。人は疑うてはならぬ、疑うた場合にははや言葉が疑い言葉になってくる。顔も疑い深い顔になって来る、どうです、私がこうお話をしますと、あなたがた思いあたることがあるでしょう。だれそれさんは、すぐに人をうたがうて、ねほり、はほり聞きまわる。そういうこともありましょう。
又関係もなにもないのに、人のことを調べまわって聞かなおれん人があります。それをたとえ聞いたとて、自分の得にもならねば、信仰のたりにもならない。修行にもならないそれにもかかわらず、どうがこうでも根ほり葉ほり聞かな気がすまんと言うつらいところの前世の生れ性を持っている方があります。
二十七条にもどってきますが、人にもししかられた場合にです、一番先に何を考えるか、その時には、泉先生はこうおっしゃいました。まず先方の言葉をきくな、しかられたことで、言葉をきくといやですから、感情がたかぶってくるのです、だから言葉をきいたらいけない、ああ、一番先にこの人がこういうたんじゃが、わしにそういうことがあるかなあ、反省を先にせよ、そうしてもし自分にそのようなことがなかった場合にはないというなと、いうのです。向こうはあるというのです。それをないと、いうと争いが起こるから、自分の身をよく反省してその人にもし向こうが取り違えだった場合にはまず、それを発表しない。おもむろに、時機をみて、その人にわかってもらえるときを待つのだと。
このように先生は教えております。世の中でおつきあいの上でよくみるのでありますが、伺か人にしかられるような調子で言われた時には、どうもその感情が先に立っておるようにみえます。自分にもそのようなくせがありますが、あのいいようはどうも失礼だとか、不都合であるとか、いうことが先に出てくるのです。向こうのことばを批評するのが先へ出てくるのです。それを泉先生はそれを先に使うといけない一番先に自己反省をしなさい。自分の方をみよとこうおっしゃったのです。この反省ということが、非常に又むつかしいのです。なぜむつかしいかといいますと、自分が自分を判断するのはよいと思うことになるのです。これは世の中でよく聞きますのは、兄弟の間柄とか、あるいは、嫁と姑の関係とかの家族関係友人関係そういう間柄に、よくおみかけする場合があるのです。
或る家で嫁さんが、洗濯しておったのですが忙しかったので、せっけんを忘れて夜やすんだのです。ところがその夜雨が降りました。あくる日の朝そこのお母さんが起きてきて、「まあねえさんったら、石けんつまえんとどうしたんで」こういったのです。それも言いようがあると思いますが、これではいけないと思います。
そこで、注意をしなければならないことは、「ああおまはん、ゆうべ石けん忘れたんじゃな天気のことはわからんから、こんどからしまうようにしなさいよ。」というときれいです、ところが、「おまはん、どうしたんでしまっておかないため石けんがとけてしもうた。」このようにお母さんが言ったのです。嫁さんがどういうかというと「あの雨が降るということ知りまへなんだけんない。」と、こういったのです。それはもっともで雨が降るのはわかりません「雨が降るのは知りませなんだけんないということはつまり嫁がそれは私の落度じゃないのです。天とうはんが悪いのですということになるでしょう。私につみはありません。というふうにひびきやしませんか、ここが大事なところで、泉先生はもししかられたら自分の罪が滅びたと思えと、いうのです。つまりお母さんがしかった場合に嫁さんが「ああそうじゃ雨がいつ降るやらわからないからしまっておくとよかった。それをせんというのは、私が不行き届きでありました。ああこれはお母さんがいってくれたのでよかった」と、こう思うと、今度ぶりは、嫁さんのことばが、かわってくると思います。「ああもうお母さんのおっしゃる通り、しまっておいたら雨が降っても石けんがとけなんだのに、どうも悪いことをいたしました。」こういうてごらんなさい、泉先生の教えの通り、もししかられたら、自分の罪がほろびたと思う嫁さんであると、お母さんに感心してもらえるのです。
ところが、いいようが、「雨が降るの知りまへなんだけんない、」これどうですか、あんた方がお考えになったら。
このように泉先生は、非常にその人が、幸福にゆける道をちゃんとお教えになっておいでるのです。ともかく向こうさんの方へ感じをよくせねば人間というのはうまくいきません。人は幸福になろうというので自分を弁護したのではますます不幸になります。人から何とか言われた時分には、その事実が自分が無くとも、決して人を悪く理窟っぽくいうべきものではないと思います。そうしないと、自分が不幸になるのです。これは人間の一生には、日々にあるといってよい位のものです。大変大事なことなのです。
話はかわりますが、草木に花が咲いております。これはいかなる草でも木でも、いやらしいものがありますか、あの山へ行くと、ちょっと手がひっかかってもいたい「ばら」です。あのばらの木に咲いている花でも、きれいじゃありませんか。花という花にきたない花はありません。これはどうしたのでしょう。すなわち、この草木は花を咲かせてそれを見る人に喜んでもらおうとしているのです。「はえ」や、「ちょう」や「あぶ」が、あのきれいな花へとまるのです。そうして、花の中の「みつ」をごちそうになる、それで花粉が散りまして、向こうは立派に実を結ぶということになるのです。もし虫や人間などが、きらう花だとどうですか。自分の目的を達することはできないと思います。
それで、どうしても自分からほかの人によろこんでもらえる、感じよく聞いてもらえる、感じよく見てもらえる、そのために自分の思うことをきれいにする。身、口、意の三つを人に感じよく見ていただく、聞いていただく、思っていただく、この三つができたならば人間は幸福になれます。自分の事業は成功するであろうし、運もよくなると思う。これが為にあの花の如く、私は世の中へ向いて、身、口、意の三つをきれいに人さんの眼や、耳にうつるようにいたしましょう。花の如く、身、口、意の三つを立派にいたしましょう。というお約束に神様へ、花をおそなへするのじゃありませんか。
神や仏は花がすきなのじゃないと思います。そう心がけてまいりますと、人間の志をお神さんが喜ぶんだと思います。草木の花を神仏にお供えする意味はここにあるのだと思います。そう考えますと草木の花が咲いているのに、すたっている花は一つもありません。泉先生があの草木の花の如く、心をもてとおっしゃったのはここにあると思うのです。
まことに気の毒な人があります。人が何かききますと自分のそれに違う意見を言わな、きかん人があります。争そうのです。これは仏教の方では修羅道といっております。何でもかんでも自分の気にいったようにあつかわなければ承知ができない。人がしたものに対し気にいらない。これは修羅道、餓飢道、畜生道です。三悪道の中へはいっております。ですから泉先生は、この修羅道に落ち入らないように守ってやろうというお考えから、この二十七条をお話ししていただいたのです。
泉先生は、このようにおっしゃったばかりでなくして、ご自分が身をもって修業なさっております。お経文一つおっしゃったことのない先生が、身をもってお経をよんでおります。これがむずかしいのです。口でお経をいうことはいとやさしいことでありますけれども、五尺の身体でお経をよむということは、なかなかむずかしいのです。
この二十七条のしかられるばかりでありません。人がいうてくれない場合があるのです。これを「無声のしかり」というのです。声のないしかりというのです。これは、いってやったって面倒くさいというので、心の底でしかっとるのです。これあるでしょう。そういうことを何といいますか。つんとしたといいますか、どんなにかすると、つんとしたとよくいいますが、これは、ことばを出さずしてしかったのです。この二十七条は、しかられた時の心がけでございますけれども、もし人間でございますから、人を見て、しからなければならないときがあります。その時にはよく向こうさんを観察して、こういう風に言わんならん人はつらいであろうと、慈悲の心で判断すれば、しかることはなくなるのです。つまり、慈悲の心をわかしてみるとよいのです。ああ、これを知らんのじゃな、かわいそうなもんだなあ、この二十七条を知っておると、あんなことはないのにと、こうなります。最早しかる心がとんでしまいます。だから、しかられた時の考えと、自分がしかる時のこの両面がよくわかりおかげがうかるわけです。
この二十七条と、二十八条とはよく似ているので心一つの持ちようで、世は楽にも苦にもなるのです。もし、しかられたときには、外からきたことになっております。今度心の内らがわからいいますと、心のもちようということになりますから、二十七条と二十八条とは、中が交通しとると思いますから、いっしょにお話をしたわけです。
(昭和三十三年一月三十一日講話)
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第二十九条「自分の好きなものを人に施せ。」


第二十九条の「自分のすきなものを人に施せ」ということですが、世間をみますと、二十九条の教を実行されている方もありますが、そうでもない方も見うけますが、信仰の上からいいますと、そのひなかたは、弘法大師とか、あるいは、釈尊がなさったことが、人間の手本になるわけでございます。
釈尊がある時、これは釈尊が、カビラ城にお生まれにならない以前のことでございます。釈尊の前身でございます。生まれかわる前の話でご座いますが、釈尊が山道をお通りになっておりますと、前に大きな虎があらわれたのです。その虎は食物が絶えて飢えきっている有様で、だれでも食べてやろうといった勢を示していたのです。
そこで釈尊は、これはわたしが通りかかったので結構じゃが、だれが通りかかってもやりそうじゃ。それでは、自分の身で腹をおこしてもらって、そうして、よそへ行ってもらったのが一番手っ取り早いというので、虎に自分の生き身をそのままお供えした。施してやった。この功徳によって釈尊は、カビラ城へ生まれながらの仏として、生まれておいでたということをお経文に書いてありますが、これなどは自分の好きな、すなわち命はどの何よりも一番自分の好きなものに違いない。それを虎がのぞんでおる。虎はまた、人間の生きているのを好んでいる。生の血を好んでいる。このことがひな型になるわけでご座います。人に好きなものを施すのは、自分が好きなものでなければいけないということになります。これはおかしい話ですが、普通世の中で、こうした場があります。
たとえば、お茶の席でお菓子が出ます。お客様が十人あるとして、一人毎にお菓子を出すといたします。それを食べる時分には、一人一人別でありますから、各人の前に出されるわけです。そうすると、日本人はえてして、悪いくずから食べる。ところが大勢の前へお盆に盛り上げて、おあがりなさいと出されますと、その時にはお客さまは、うまそ,うな、よいのからよいのから食べます。これは何をあらわしているかと申しますと、おのれの欲せざるところのものを人に施すということになります。泉先生は、いつも残りものに福があるように、悪いのから悪いものから食べる。自分の好きなものを後へ残すということが大切である。それが施というものだとおっしゃっておいでました。
先生は甘藷が好きでございました。それをめしあがるのに、一番小さいものからあがるのです。これを見ても、自分の好きなもの残すということを実行なさっておいでます。これは簡単に好きなものを人にあげるということですが、この好きなものをあげるということが、すなわち施行の神髄をあらわした一番大切なことです。まことに、これが実行できますと、その人は大変な一生涯におかげがうかるということになります。
ある時、泉先生が、あの津田の松原の岩清水八幡さんへ、お弟子の亀太郎さんを連れて夜お参りにおいでたことがありましたが、その山門のところへいきますと、何かうめき声が聞こえてくるのです。先生は立ち止まって、聞き見をしてみますと、山門の隅にお遍路さんが寒さでこごえて、お腹が痛くてくるしんでいるのです。その時先生は、八幡さんへちょっとお辞儀をして、そして自分の帯をお解きになって、お遍路さんに「さぞ寒かろう」といって着物を着せ与える。亀太郎さん、それを見ていると、泉先生は「亀太郎はん、お前もぬぎ与えよ」と、二人がお遍路さんにそれを着せてやりました。お遍路さんは涙を流して、お礼を申し、しばらくすると、おかげでお腹がいたかったのがなおりました。と土地へ平ぐものように手をついてお礼を先生に申しあげた。寒い時ですから、先生にしましても着物がなくては自分も困るのですが、その好きな自分の着物を向こうさんへおくりものにした。このように先生はいつも、自分の好きなものを、人に施していました。信仰の上の施行です。これで神様にとどくんだと始終おっしゃっておりましたが、このようなことは先生の一生涯にはたくさんあるのです。
(昭和三十三年二月二十八日講話)
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第三十条「時節を待たず、心に急ぐのは、神にご無礼。」


泉先生は、七日の間私はご真言をくりますとお決めになりますと、たとえその願が届く届かぬにかかわらず、かならず一日よけいに加えるのです。八日くるのてす。信者の方が困っているのをお願なさることがありますが、決めた一週間のお願の日になおらなければ、又後一週間とかして、いつも心に急いでおいでないのです。神様にお任せしてあるのです。先生は必ずお百度参りをなさるとき、いつも百十ぺん位なさるのです。こうすることがおかげを急がぬということになるわけです。
泉先生は、生駒さんへ六百遍お参りになりまして、そうして津田へ帰ってきました。それも生駒さんの国元で人を助けてやれとのおさとしがあったためです。津田へお帰りになられたのは先生が五十位の時です、帰られてのある日協生駒さんから「もうお前は、これで行がすんだ。だから自由に人が助けられるようになった。ところが今晩、お前を大蛇がのぞんでいる。それで今晩から一週間の間行をせよ。その間にこの悪魔が逃げるだろう。」先生は早速その晩からご家内を前の家へ宿がえさせて、夜、先生は、やすまれずに七日の間おすわりになる。ところが、七日目になりまして、生駒さんからお前は行ができた。ところが、その大蛇が、お前をのぞんでいる。どうしてもお前を食わなきかんといっている。多分今晩位のみに来るだろうと、このようなお告げがあった。
どうですか、これもし我々だったら、これほど行しよるのにまだ、だいじゃが食いにくるもんかいなーと思って、愚痴な考えをおこしやすいところなんで、おかげを急ぐのです。どうぞ、そんな悪魔につけられませんようにということを急ぐのですけれども、先生は私の行がかないませなんだが、こうしてあなたにおすがりをしているのですからたとえ、食われても、のまれても、私は、ありがたくお受けいたします。そうすると、七日の晩、先生がおすわりになっておいでますと、夜半です、「上へ向け」というのです,それで先生は上へ向いてみますと、天井一杯のまっかな口をはっている大きな蛇が、先生をのぞんでいる。先生はそれをご覧になったけれども、お口には、「おんきりくうぎゃく、おんそはか」のこのこ真言を絶えずおくりになって手を合はして、しずかに喜んで、なるがままに待っていたわけです。ところが、「がぶっ」とのまれた。それでも先生は常におかげをいそがない。心に自分の出世を急がない。こういうご修行をなしている方ですから、ああもう、生駒さんにおすがりして、こうしてのまれるのならば、これより有り難いことはない。結構だというお気持だったそうです。
そして、のまれて腹の中へはいって、しまったのじゃが、相変らずご真言を絶たなかったそうです。そうすると、今度はどすんと高い所から落されたような気持になったそうです。つまり蛇の口から出たわけです。目を開けてみると、もとの生布団の上にすわっていました。
そこで、生駒さんがおっしゃるには、お前はどんなにしても、つらいめにあわしても、わしにすがっている。わしがなすがままに任せている。もうそれで行は、いよいよ今日ですんだぞ。これからたくさんの人が来るから助けてやれ。このようなお話があったそうです。そして八日目から「帰命天とうは日天、月天……。」を、おっしゃったのです。あれはその七日の間に出ておいでた神さんだそうです。
このことがあって先生は、時節を待たず、心に急ぐのは、神にご無礼というお話があったのです。決して、おかげを急いではならぬぞ。神さんの方でご都合があるんじゃから、こちらが心ができていなかったら、何度でもし直しをなさるんだから、人間の方から急いではならぬ。もう神さま、まかせで、いかなる行でもしなくてはならぬということを承ったのです。
(昭和三十三年二月二十八日講話)
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