211~220条

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第二一一条 「境遇を変えようとあせる者は、苦が多い。なぜ自分が改まらぬか。神様は、常に自ら努める者を助ける。」


あの雨がふる時分に、降れ、降れ、降れというて、木の葉の上におったりする小さい蛙でございます。これはつねに赤もずなんかにひっかけられます。だから、この赤もずの災難をふせぐために、いもの葉の上におったら青くなります。又へいの上へ上がっておったら黒くなります。こういう風に、もう自分の体がぐるりの色に似せて、かわるのでございます。これは外の色を変えようとすることはできないでしょう。自分が変ったら一番しよいのです。ところが 人間はどうでございますか、自分が変らずして、外を変えようとしませんか。家庭内の事でも、世の中のことでも、どうです。外を変えてやろうという事になりますと争いが出来ます。けんかが出来ますけれども、世の中がこうだから、それに従って自分は上手に暮らすという事になりましたら、争いが無くなります。これは泉先生がそこを教えたのです。この雨蛙にたとえて、そういう事を先生がおっしゃったんでございますが、世の中に反対するという事は 自分が必ず争わな出来んことです。で、世の中に従ごうて、そうしてらくに暮すという事を講じるという事が一番安全である。こういう先生の教えでございます。
これは別に、あまがえるでなくても、なんでもそうでございますが、虎を動物園に飼っておりますが、あの虎の体には黄色い毛と黒い毛とが段々になっとります。これはあの虎がすんでおる所が、その周囲がどんな所にすんでおるかというと、竹に虎といいますが、竹やよしがはえておるところによくおるそうです。そこへ日が照ってきて、そのやぶへあたりますと、ちょうどささの葉が下へおちておると黄色になります。そのやぶへ日がさしてきますと、竹の影がずっと映るのです。だから黄色い所へもっていって、黒い線がだんだんといっとるようになっとりますから、そこにじっと、とらが寝とったらわかりませんでしょう。ちょうど黄色いささの葉が落ちとるところへ、竹のかげがうつっとるようなぐあいに、黄いろいのと、黒いのとの線が横にずーっとうつっておるのが、あのとらでございます。
これは、とら自身がつくったのではありません。そんな毛をはやそうとしても、自身でそんな工夫できますか。 けれども周囲の物に同化せんと自分の命があぶないのを知っていますから、そういう自然の心のうちで願いがあるわけです。そうすると有り難いことには、自分のねがいの通りに、毛がはえて来るのです。どうですか。これが天のお慈悲というのです。動物学者はこれを保護色というとりますが、保護色と言えば、別に有り難味が無い訳でございます。自分の体を保護する為に毛をはやしとるんだ。はやしとるんだというたところで、それはいくら虎が工夫したって、そんな毛はえはしません。ああこれは、こういう土地の色影があるところへ自分がじっと寝とって、それ分らんようにしたいものだ。わかるというと猟師にうたれると、あるいは獲物が捕えられんと、こういう願いを始終考えとる時に、不思議なことには、この土地のとおりの色になっているのです。これを動物学者は保護色というとりますが信仰では、天のお慈悲というとります。
学問からいうならば、これ理屈でございますから、おかげがないのです。信仰でありますと、ああほんに願いさえすれば聞いて下さると感謝する所に自分のお蔭が受かるのでございますから、学問と信仰とはそれだけ違うのです。
同じこと言うても、一方では保護色というとります。それではお蔭がありません。知恵だけです。ああほんに有り難い。自分の身を守りたいと念ずる心が恵まれて、ああいうように毛がはえて来るんだ。ああ、ほんに有り難い。 私も天の意にそうて、神さん、仏さんの教えにしたがってお願いしましょうというと、お蔭が受かるわけでございますから、学問と信仰とはこういう風にちがうものです。まだまだあなた方がお考えになってご覧なさい。そういうおかげを周囲の者に従がわねばおかげは受からないということは、沢山なことあります。
これから先にお麦が大きいになると出てきますあの「ひばり」です。あのひばりの羽毛どうですか。あれが土地にじーっとおったら又、草の葉の間におったらわかりますまい。ちりぎれ積んだようなかっこうになっとります。ことに土ひばりというのがありますが、これがたんぼの中でちじこまっていたら、土のかたまりかと思う。よく出来とりましょう。これは、あのひばりなんかが田んぼでちょっとすくんどるときに、周囲の色に似せるようになったら、私らに体が安全だということを願うとったに違いないのです。それがかなえられて、そうしてああいうような色になりました訳です。ああいうひばりを一つ見ても、ああほんに天道様は、神仏は願いさえすれば、我欲をのけて願いさえすれば、聞いて下さるんであるという事がわかるはずでございます。信仰のおかげというのは、そこにある訳なのです。
まだまだこういう例をあげれば沢山ございますが、お話しすれば随分面白いのがあります。たとえば、あの寸とり虫(尺とり虫)が、ちょっと木へへばりついて、木の枝みたように見えるのです。あるときには、ちょうど指で寸をとるように背中を伸ばし、又背中を丸うにするという、寸をとるようなかっこうであるく。こちらではあまり大きいのはありませんが、奥州路へ行きますと太い指みたようなのがあるのじゃそうです。そうして枝へとまって、体を伸ばしとるのです。そしてちょうど木の枝を鎌かなにかで切って、枝の株がひっついとるように見えるのです。
しかも木の色によく似せとるんでございます。それは奥州あたりへ行きますと、どびんわりという名がついておるのです。どうして土びん割りといいますかというと、農家の方が土びんを持って、お昼の、のどが乾いた時分にお茶をよばれるとて田んぼへもって行くんじゃそうです。そしてちょっと木の枝へひっかけたのが虫であって、下へどすんと落ちますから、土びんわりという名をつけとるのです。どびんわりという名をつけられるくらい木の枝によく似ておるのです。この土びんわりの姿を見てみましたならば、これでもさとりは出来るのです。
たとえば桑の木の枝に、ちょっと枯小枝みたいようにひっついとります。そうすると他の鳥が来て食いません。
ああ木の枝があるんじゃとゆうくらいで、見のがして通りますから、自分の難が助かる。そのために木の枯枝の株みたようなかっこうをしておるのです。これなども、自分に知恵があってしとるんではありません。これ周囲のとおりの、色になっとらんというと鳥にやられる危険があるのです。どうぞその危険からのがれたいというお願がかのうたわけでございます。
あんたがたも知らず知らずのうちに、そういうことをなさっとります。この戦争がありました時の兵隊さんの軍服カーキ色といいまして、緑のような黄色いような服を着とったのをご承知でしょう。あれは野原へ出ていた時分に、ああいう色をしとると一寸わからんのです。黒い服着とったり、赤い服着とったらよくわかります。ああいうカーキ色の着物着とるとわかりません。これも今申すとおり、周囲の色と同じ色にしとれば危険から免れるとこういう意味から、ああいう色に染めたものでございます。
これを今日我々が信仰の上から判断いたしまして、宗教の上から自分の一生に使うということを泉先生が教えておるのです。けれども、なかなか周囲のとおりになりにくいものです。昔から言葉があります。郷に入れば郷に従え。
どうですか、そんな言葉があるのご承知ですか。郷に入ればごうに従うと、つまりいなかへはいったら、いなかの風になれえということです。そうしませんとその地方に似合わん暮らしをし、風をするというと、なんか目だっていけないとこういうことです。それで、やはりその自分の生活の環境のとおりに、自分が暮らしておりますと目につきませんから、おつきあいの上でも、なごやかなおつきあいができ、まことにおとなしく安全に暮らせるということを、先生が教えたのでございます。
泉先生はご承知のとおり、お目にかかった方はご承知でしょうが、巻きそでの着物に黒の帯をして、横っちょの方にくくっておいでるのです。それで前だれ出して、ちょっと見ると漁師のおっさんかいなあというような風です。
そして先生、先生と言うて、お話がしよいのです。先生がもし、ちはやを召して、冠でもきて、堂々たる風をされていたらご遠慮申さならんけれども、先生は我々と同じように、我々よりも、もうひとつお粗末な風をなさって、おつき合いがしよいようにして下さっていたために、おおぜいが先生先生となついたわけで、こういう事を先生がおっしゃっとるのです。どうぞ自分の境遇のとおりに、環境のとおりにしておれとこういうことでございます。まことに先生は日常生活についてその信仰を、味わえるように教えて下さってあるのです。
(昭和三十六年三月十五日講話)
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第二一二条 「なにものにも仏心がある。この仏心がかくれたら欲心が出る。欲心がかくれたら仏心が表われる。この綱引が人の一生のように見える。」


仏心というのはどんな悪い人でも、立派な人でも同じなんです。それならお大師様のような偉いお方と、五右衛門のような人とは、どうしてそんなにちがうんかということでございますが、それは、仏心は同じでございますけれども個人の性格が違うと、ならわしがちがうのです。この仏心というのは、まず昔の言葉でいうと魂といっていますが、仏心のことをいっています。今、ふつうの言葉でいいますと良心ともいいます。
良心がとがめて、悪いことできんという事いいます。まあ良心とか魂とかいう言葉が、これによく似ておるのでございますが、仏心というのは、神仏を拝んで深く信仰にはいった時分にこの仏心が出るのです。仏心が現われると、欲心が消えるんです。ちょうど、てんびん棒みたように、一生懸命に神様にご信仰して、そして手を合わせて念じておると、いつのまにか仏心が現われてくるのです。良いことと悪い事とが、良くわかるようになってきます。こういうことしたら神様にすまん。こうすれば神様がお喜びにならん。こうすれば、神様が喜んでくださるというような、仏心が現われてくるのです。そうしますと、いつもの人とは違うようなきれいな心になってくるのです。ここで泉先生が その事を書いてあるのです。
これは犬にでも、猫にでも、生物にはすべて仏心があるんでございますが、人間は特にそうです。この仏心が現われてくると、欲心がかくれる。なるほど、欲心とは悪い心です。それは無くなるのではありませんが、かくれるのです。欲が強くなってくると仏心がかくれる。ちょうど天びん棒の両端みたようなんでございまして、欲をすてるというと、仏心が外へ表われてくるのです。そこで信仰するには欲をのけることです。ちょうど天びん棒の両端みたようなもので、一方が上がったら一方が下がる。こういう風になるのだから、どうぞ神様仏様に通じる所の仏心を、みがき出そうと思うならば、欲をのけると、自然に仏心が現われてくるとおっしゃっています。
このように先生は、いつもだれでもわかりやすいように、教えてくださるのです。皆さんの中にも私がこういうお話を申したら、ははあ、あれかと判断がついておいでる方があると思います。おかげ受けましたら、どこへ不思議があらわれるかといいますと、六つあるのです。目に不思議を見る場合がございます。耳に不思議な音を聞くばあいがあります。鼻にとてもありがたい良いにおいをかぐというような場合があります。それからこんど言葉です。自分が言おうと思っていないのに、ひょっと口へ言葉が出る場合がある。不思議なものです。それからこんど体です。
じっとおれんようになって、飛び上がったり、手を振ったりする場合があります。それからもう一つ、こんど心自分が思うんでなしに、思わされる事がある場合があるんです。これを眼・耳・鼻・舌・身・意とこれ、六つになります。目耳鼻口身心でございます。この六つのうちどれかが不思議に働く時分には、妙に仏心が現われるのです。
有り難い心がわいてくるんです。そうすると、欲な心が沈みます。泉先生はこういう事を始終、自分の体でお試しになっとるのでございますから、どうぞ皆さんもこの六所へ不思議が現われた時分に考えてごらんなさい。欲心がありません。欲心をしずめたら、この六つがういてくるのです。こういう有り難いお話を、泉先生がご自分がためしなさって、皆さんにしてくれた話でございますから、どうぞ皆さんこれから、おためしになってごらんなさい。そうしてすこしでも仏心を、みがき出すという事をなさる事が、皆さんの一生のお得だと思います。
(昭和三十六年三月十五日講話)
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第二一三条 「金ばかりを大切にしすぎると世の中の金がいう。あの家へ行くなよ、うっかり行くと拘留せられるぞ。と、又金をそまつにすると金が言う。「あのうちへ行って見たが大事にしてくれぬから出ねばならぬ。」と、大いに考えねばならぬ。」


泉先生が私にして下さった話しですが、ちょうど金が会議を開いて、そうしてあすこへ行くなとか、なんとか言う風に面白くおっしゃったんでございますが、実はこのお話の前に、こういう事を 泉先生がおっしゃったんでございます。「村木さん、ちょっとお前さんに話したい事があるがな。」そうおっしゃるから「はいはい」と、私そばへ行きますと「村木さん、お前さんの方に川にゆる(井利、井堰ともいう)というものがあるだろう。井利というかねえ、 阿波では、あれに戸がついている知っとるか」、「はい、先生知っとります。」「あの戸に種類が三つあるんだ。ちょうどあのゆるの戸に、一方だけ外へ向いて、戸があおり戸になっておって、そうして外から水がはいる時分にはそれがぴたっとしまる外へ出るばかりのあおり戸で、それから又、それとは反対に內の方へばかり向いておるあおり戸があるの知っておるかい」、「ああ先生よく知っとります」、「ところがもう一つあるんだ、それは垂直に戸がかかっておって、上げ下げ自由になっておる、こういう三つの戸があるんじゃが、村木さん、このゆるの戸、外ばかり出る、あるいは内ばかりはいる、上下の調節自在の戸をこの三つのゆるの戸があるがなあ。村木さん、世の中の暮らし方に、この三つの種類がある。それでこの金という物があつまって評議しておることには、ちょうどそのあおり戸、内らへばかりはいるあおり戸、もうあすこへ行くな、あすこへ行ったら拘留せられるぞというのは、そのことをいうている。それから粗末にせられるというのは、もう何でもなしに外へほうり出されてしまう、こういう事が、村木さん、世の中にあるんじゃが、その戸に比べて、よほどおもしろい話がこれで出来るんじゃ」と、こんなことを私きいた事があるんです。
ところが、この二百十三条に書いてある事は、泉先生がおっしゃった事をかいてあるんですが、こんどは事実の問題といたしまして、別に私がお話しするのはある金満家で、これは私が交際しておる方ですから名前を申すのだけはこらえていただきたい。もうずっと前からの素封家のご主人です。それが久しぶりに私所へお見えになって、「村木さん、今日は、あんたにおり入って頼みたいことがある」と、なんか話しにくいようにおっしゃる。なんのお話が出るんだろうかと思うて、私聞いとりましたが、「実は村木さん、私ところのむす子が金使うてね、使うのもかまわんが ご先祖に預った物は、もう三分の一位か無い位にやってしまいましたんじゃ。村木さん、これなんとか方法ないものだろうかねえ。」と、こういうお尋ねにあずかったんですが、私はその方に親しくしとるものですから、あんまりお話しがしにくうて、どうもその調子が悪かったんですが、ひょっと泉先生の事思い出して、ああ泉先生が金のことについてお話があった、ゆるの戸のお話しがあったということをひょっと思い出したために「ああ、およわりでございますな、私は実は、あんたのお家の事について、ご参考になるお話をしたいと思うんですが、事が金に関係する、またあなたのわかご主人の事に関係するというとお話しがしにくいですが、ここに泉先生の話を私がきいとる事がありまして、それをご参考までに話しますから、あんたのお家のなさり方に比べて、ご参考にしていただきたいと思います。」と「ああ、そら結構です、どうぞお話してくれんか。」と、こういう訳で、その人にお話ししましたのがゆるの戸なんです。「ご主人どうです。ここに私の師匠がゆるの戸に三種類あるという、こういうお話をしたんでございますが、私がお察しすると失礼ながら、あなたのお家のお父さん、おじいさんと、それからあなたと、この三代のあいだは、ゆるの戸があおり戸であって、内らばかり向いとったように思うんですが、いかがでございましょうか。まあ失礼な事言うようですが、お叱りなく、一つお考え下さい。」というた所が「いや恐れ入りました。私ども三代はあまり出したように思うとりません。」「ああそうですか、もしそれがですね。內らへばかり水がはいるんですからいっさい外へ出さないんですから、あふれるという場合には、內らの作付は 困りますねえ」と、「いやもう それなんです。」「ところが四代めの若主人になったら、戸が外へばかり向いとらしませんのか。」「いや恐れいります。」「ところが、私が考えますのは、泉先生のそのあげさげ自由な戸、これはたいてい戸の上に、ら線がついとりまして、回せば戸がすうっと上がる、あるいは下がる、こういう具合いになっとるのが、そういう風にお考え下さったら、私ええと思うんですが、もう詳しい事はあまり申さん事にして、これでご判断願いたいと思うんです。」
とこういう風に話した所が、しばらくうつむいて考えておりましてね、「いやよくわかりました。それでは何かをいたします。世の中のためとか、あるいは公共事業とか、かわいそうな人をお救いするという時分には、せがれにやらせます。あおり戸が外へ向いておる方にやらせます。私は内らへむいとるのが癖になっとりますから、それで足どめして、せがれに出させます。」「ああそらご主人ええお考えじゃ、まあ一つやってみなさらんか。そしてまたきかしていただきます。」こういうて、しばらくお見えになりませんでしたが、三年目でないかしらんと思うんですが、ひょっこりおいでになって「村木さん、助かりました。もう、これで大丈夫です。あのゆるのあおり戸のお話をきいて、なるほど私とせがれとが、あおり戸の内、外二人がやりましたんじゃ、で、結局それが二人あわすというとぬきさし自在な戸みたようなことに、ただ今なっとります。ああ、泉先生って、そういうお話をなさるんでごわすか。」というて感心せられた事があります。
これは皆さんのお家には、そういうお考え違いはないと思いますけれども、その調節というのが大事なんでございまして、ここがあなた方のお考えようです。一番調節自在のあげさげの戸をおつくりになったら、先生のお説の通りに、いけるかと思うんでございまして、この二一三条はそういう風にご解釈を願い度いと思います。
(昭和三十六年三月三十一日講話)
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第二一四条 「猿は血を見て泣く。これは友達が血をみつけたら、木ぎれ竹ぎれ何でも傷口へ押し込んでかえって傷口をいためるからである。 親切も相手が喜ばねば何にもならぬ。人にもこのような事がある。心せねばならぬ。」


これは猿のたとえでございますけれども、人間にそういう事がありはしませんでしょうか、いいかえますと、向こうさんのお気にめさん事をやるという事です。つまり親切はあるんだけれども、向こうが見えないからかえって向こうに迷惑さすとこういう場合が人間によくあるので、泉先生が猿にたとえて、人間の勘違いをご教育下さった事なんでございます。これは、しよいようでありまして非常にむずかしいので、まず第一に向こうさんの、心のうちを知らなければほんとうの助けはできないということになるのです。向こうが見えるということです。そうしませんと、さるは血を見て泣くというのは、友達が寄ってきて木ぎれ、竹ぎれで突っつかれるのを恐れるから血を見て泣くのです。 そして、逃げる。まあ人間はそんなに逃げたりはしませんけれども、あの人一つお手伝いして、お気の毒の無いようにしてあげようと思っても、向こうさんがなにを望んでおるか、どうすれば喜ぶかということが先にわからねば、さる同様の事をしかねないのです。
ところが、この向こうの心を読むということは、非常にむつかしいことでありまして、なかなか向こうさんは詳しく言えばよろしいけれども、ご遠慮してだれにもあまり言いませんから、そのお方の苦労をのけてあげようとするのには、向こうが見えなければいかん。どうすれば向こうが見えるかと、だいじな事を泉先生がおっしゃったのですがそれには自分に我というところの考え、すなわち自性です。むずかしくいえば自性、自分の性というものを全然抜きにしとかんと向こうは見えんぞとこういう事をおっしゃった。
たとえば、まあメガネをかけるとしまして、青い色のメガネをかけた場合に世の中が青く見える。すなわち自分のかけておるメガネの通りの色に見える。そうすると向こうさんの心を判断する時分に、自分の心でまったく向こうを見てしまう、見そこなうということになります。非常にむつかしいのですが、それならどうすればほんとうの向こうの事がわかるかということです。かりに、さるがけがして血が出る。どうすればこの血を助けてやることが出来るかということなのです。それには木ぎれ・竹ぎれを突っこむんじゃいけない。まあ、お医者さんのように、こう薬を張るということになるでしょう。ところが人を助けるという時分には、このけがと違いまして、向こうの心が見えなければいけない。お釈迦様のお助けぶりのうちにも、弘法大師のお助けぶりのうちにも、泉先生のお助けぶりのうちにも向こうが見えるという事が第一条件になっとると私は思うのです。
さてまあ、そのみそこなうのはなんでみそこなうかといえば、自分の心に色がついておるから見そこなうんだと。 しからば、どうすればほんとうの事が見えるかと、こういう問題になってくるんですが、まず私の考えでは、第一に三毒、欲、おこる、愚痴、この三つを除かねば、向こうが見えないと私は思うのです。これは、話が余談になりますけれども、碁打ちが一生懸命に碁を打っておる。そうすると私のお友達にいたずらする人がありましてね「今日は、碁に熱心な人が、碁打ちに来るんじゃ。一つ村木さん見なはれ、わしが面白い芸するけん。」「ああそうで、それは おもしろい。しかしあまり向こうなぶらんようにしなはれ。」「いやまあ見てくださいな。後で又あやまるから。」
私横で見よりました。するとその人が、とんがらしの真赤になっとるのをね、火ばちの中へ二、三本いけるんです。
するとその碁にちゅうになっとる方が、たばこを出して、唐辛子にこん限りに差しつける。それでまた碁盤の上を見る。「弱ったなあ、こいつはどうしたらよかろうかな。」そして又煙草を唐辛子にさしつけるんです。なかなかつかんもんじゃから、それをもうほっといて灰の中へつっこんで、それで手をこまねいてどうしたらええかなあと考えよる。そこでまた今度新しいたばこを出してきて、前の差したの忘れて新しいたばこ出してきて唐辛子に差し付ける。
そうして私が見よるうちに三本差したですよ。そしてその後で、その私の友達が碁をうっている人の肩たたいて「君 どないしよんな。これ三本さして、三本もこれたばこもったいない事してある。」「ほんになあ」「ほんになあったって、これどうしたんで。」「火がつかなんだように思う。」「ああそうかい、よう見て見なはれ、とうがらしいけてある。」しまいにおこられてねえ、そういうまあおもしろい話があるんでございますが、これはすなわち、碁の方へちゅうになってしまって、とうがらしと火とがわからんようになってしもうとる。こういう事がよく日常あるのでございます。
これを泉先生が、そういう事のないように物に熱中してはいけない。自分はいつも無色透明でおれよと、こういう私に対するいましめでありましたんですが、なるほど、考えてみますと、まず第一に欲をのけないけません。それと情のためにおこるという事はいけません。おこるというと、むこうが正当が正当にみえない。愚痴をこぼしていけません。こういう風に、いわゆる信仰の上に三毒といいますが、貪慎痴の三つを除いて、そうして外をみるとわりあいようみえるという事を、私は泉先生からおそわったんでございます。
あなた方が日常生活の上に、どうです勘違いするという事はありませんか、多分思い出しなさる事もあろうと思います。ちょうど、そこの所を先生がさるにたとえまして、親切に血を止めてやろうと思うて、竹ぎれをつっこむんだけれども、それがために傷口を大きくしてしまうと、こういう事が人間界にはあるように私は思うんです。いかにも 泉先生のこのお話は、なかなか私はおもしろいお話、真理のふくまれたお話と思うのであります。むずかしくいいます と、自分の自性をのけると、自分というものを全然離して、無色透明のガラスを越して見るという風になれるんだとこういう泉先生のお話であったのでございますが、なるほど、これはおもしろいと思います。
今日も、うらべの方から、私の方へきた一人の青年がございまして、その方がまことに信仰厚い方なんですが、こういう私に質問がありましたが、「今日は村木さん、あんた所へお尋ねにきたんでございますが、私はどういうものか、この神様の前へ行くと、しんしんと体がして、おがみよると手をふったり、思わず言葉が出たりするんでございますが、これどないぞ静まらんでございましょうか」と、こういう大変むずかしいご質問があったのでございますが 私はその方に、これはなかなか熱心な、ええ信仰する方だと、感心して、そのときはせわしかったために、くわしい話は、ようしてあげなんだのですけれども、こういう事になるんです。
神様仏様は自分、まず第一に人間の自分というものをのけるように、のけるように、教えておいでると私は思うの です。ところが、その中で、一番のけにくいのは、自分という根性でございます。神様の前で手をあわせておがんどる時に、思わず手をふったり、飛びあがったり、おもわず声がでたりという事は、私のこれは考えですが、神さんがまず人間とお話なさるものとここにおきまして、たとえて話しますと、「おまえさんは、わし、わしいうがどこがわしぞと、わしというものつかまえ所は、どこがわしぞ。おそらくお前さんは、わしにいう事を、願っておがんでくれておるが、お前さんの体は、たいてい自分の物と思うとるだろうなあ。」まあこういうむずかしいお話を、神さんが人間にしたとしますか、その時分にその人間を教育するのには、体が自由にならないで、おもわず手ふったり、体が飛び上がったり、あるいは不思議な物が見えたり、聞こえたり、いろいろするんだが、自分は自分の体を自由にできない。不思議だなあ、えらいこと手を上へもちあげてみたり、不思議な事を神さんはなさる。つまりその青年は私のところへ聞きにきとるのです。それで私は答えたのです。「それは、からださえもお前さんの物でないしるしじゃ。自由にならんことは、すなわち体さえも神にあずかっておるものであるということを教えておるんだ。あんたはどうぞい、体は自分のものと思うとっただろう」、「ええ、そりゃ私の体は私のものじゃとおもっていましたが、どうも体が動かんようになってしもうたり、手を妙に動かすと、それ動かすまいとすると余計動く、それで今日お尋ねに上がったのです。」そこで私は、その答えを今のようにいたしましたわけです。「おそらく自分の体さえも自分の物でないとあなた思うたかい」「ええ、もうそうおもいました。私は、体さえ私の物でないんですから、おそらく財産だとか、あるいはその他の事は私でないという事は、もうよくわかります。体さえわがものでないという事がよく分りました。」「それで、あんたお帰ってね、そうして今日村木へ尋ねに行ったらよくわかりました。体さえも自分でないという事を教えてくださったものじゃ、こう私は悟りました。というて神様の前へそれをお答えして拝んでご覧んなさい。今度はあんた手を振ったり、足振ったり、飛び上がったりしやしない」というて帰したのでございますが、まだその返事は聞いとりません。聞いとりませんけれども、そういう訳で信仰の上で一番神仏が教えたいという事は、自分の物というのは無いんだ、自分という物は無いんだという事を教えるのでございまして、これは非常にむっかしい事でございます。
自分がないって私が申し上げると、あなた方不思議がりなさるかしりませんが、自分というのはないのです。それを長らくの間、損だとか、得だとか、つらいとか、うれしいとかいう事に、自分というものをつけて考えた為に、自分があるかのごとく思うてしもうとるのです。自分というものはないのでございます。その事を教えるために神さんはご苦労なさっておる。こういう事を教えるために、泉先生がこのさるをもってきて、私に教育して下さったのですから、そういう勘違いしないように。この世の中をわたるのには、自分というものをのけないけないと、こういう事になるのでございまして、誠にここは簡単な、さるの話ですけれども、意味深重の問題を泉先生が私にお話し下さったのです。なかなか理屈いえば非常にむずかしい事があるのでございますけれども、簡単にお話申したわけなのです。
もう一つお話したい事は、あんたにおかあさん、おとうさん、お有りになる。それはわかっとるが、そのおとうさん、おかあさんに、またおとうさん、おかあさんがある。こういう風に先へ先へ何千年前、何万年先までも、その人にやはりおとうさん、おかあさんがある。それは間違いがない。ところが、まず千年や万年くらいではあまりかわりはございますまいけれども、恐らく一億年と昔へさかのぼりましたならば、そのおとうさん おかあさんのかっこういうのは、失礼ながら今日の我々のかっこうでなかったと、私は思うのです。
それなら、どんなに違うのならといいますと、恐らく四つばいであったでしょう。尾がはえとったでしょう。今日人間のこの骨格を解剖いたしまして、裸にしますと尾があります。つい六センチ位、長い人は一〇センチくらい内らへ巻きこんでいますからわかりませんが、下等動物時代のこん跡がまだ残っとります。それでも、おとうさん、おかあさんはやはりあるので、おとうさん、おかあさんには違いない。もう一つふるく何十億年とさかのぼりました場合には、しだいしだいと体が小さくなりまして、顕微鏡でみんならんような、ご先祖になる訳です。その極度に昔へさかのぼりましたら、その姿はおそらく今日の言葉でいいますと、単細胞動物、すなわち手も足もない、千倍にみてようよう米粒くらいにしかみえないところの姿で、手も、足も、目も、鼻も、口もないのです。まるいゴムでまりのような格好になってしまう。もう顕微鏡でみなわからんのです。これがすなわち、我々の大ご先祖といわなならんのです。これはいかなる人が理屈いうても、それに違いないのです。むろん、そういう姿になりますと、男女の区別はありません。二つにわれてふえていき、二つにわれましていきするのは顕微鏡下でみえます。こうなった時にです。
その単細胞動物に我というものはおそらく無いのです。ただ、食物が皮にへばいついたら、それがどこでもが口になって、それを体の中へ取りこむ。そうして、かすはどこへでもおしりになって外へつき出してしまう。こういう簡単な生活しておる。おすも、めすもないんですから、分裂繁殖といいます。こういう時代には、おそらく我というものなかっただろうと私は思います。これがしかも我々の大ご先祖です。
それなら、その人どこから出てきたのかというと、どこから出てきたって、雌雄の別がないんでございますから、もう土地の火の玉がさめて冷めたくなる。今日我々がいう生き物が暮らすことに適当な温度にさがって、上に水分ができる。その時はじめて、ポツンとこの土地へ出てきたのが大ご先祖。これは生まれたんじゃありません。すなわち言い換えると、火の玉、あるいは銅とか、石とかいう、そのもとのかたまりが、そこへ生き物となって、自由に動くものにいつか生まれてきたわけなんです。まあこういうむずかしい議論になります。
今日申す、おおご先祖ですから、我というものがありません。自分という考えがありません。それが今度、逆に人間の方へむかってだんだんと形が進化して、今日の人間になっとるわけです。その長い、いく十億年の間に、食物の争い、あるいは友達とのいろいろな争いがはじまったために、我という事が大きな癖になってしまった。何事にでもわしや損じゃとか、あるいは得じゃとか、わしという事をどこへでもつけて判断しますから、いつとはなしに我というものが、この生きものの心の中にうまれたのです。
そういう風になりますと、その我という者はないという事が、あんたおわかりになるでしょう。長年の間の、欲のかたまりが、われをこしらえた。泉先生がそれを教えるために、おさるをもってきたのです。その大昔の自性のない自分に帰って考えたら、村木さん、ようわかるんぞ。こん日、人間に知恵を与えられていますから、我というものさえなければ、この知恵がほんとうに使える。それが聖人ぞとおっしゃったんです。凡夫と聖人とそんなにかわりないんじゃと、自性がないのが聖人だ。自性があるのが凡人だ。こう先生が教えて下さったのが、この二百十四条、おさるの例でございます。
どうぞ、私が申した事は泉先生から私が直接聞いた事でございますから、あなた方が日常のご生活に、自分という者を使わない。そうして家の内の、まずご兄弟、あるいは、おとうさん、おかあさん、ご主人、またおくさんと、こういう風な間柄でつきおうてごらんなさい、よくわかります。自分という性根を使わなんだら、おとなでもほんとうにかわいらしいものです。そしてかりに、お行儀の悪いような事しても許されるのです。子供がわるい事しても許されるというのは、そこにある自性というものが少ないんです。
話がもとへもどりますが、助けてあげようとかいう時分には、むこう様の望みというのがわからないと助かりません。おさるみたように、木ぎれで、傷口つくやらわかりませんぞ。これは、大事なことでございますから、まずこの二一四条にかいてある事は、この自分というものをなしにしてしまって、そうして人をみるというとよくわかる。
あの人は知恵が足らんために、そういう事をする。こういう結びになる訳です。どうぞ、この問題は、そういう風に 解釈して下さって、よく考えてみて下さい。
(昭和三十六年三月三十一日講話)
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第二一五条 「天の力を地に通わし、それで人を喜ばすものを作り出すのを工夫という。運は「ハコブ」で工夫したものの上に来る賜物である。工夫は花で、運は実である。花なしになんで実がのるものか。」


この天の力といいますのは、今日で申しますと科学に属する事でございまして、これを地に通わすというのは、人間が住んでおるところの、この土地に通わして、そうして人を喜ばせる物を作り出す。これを工夫という。人の喜ばんものを作り出したのは工夫でありませんが、運というのは運ぶという字を書いてあるので、運びをつけた者に幸福が来るんであるというような事を書いとります。
人間の工夫で、人間を空へ飛ばして地球を一周して、そうして土地へおりてきて健康であったということが新聞でもうやかましゅう書いとりますが、これなども、ただ空を飛ばして下へおろしたといや、それまでの話でございますけれども、あの飛ぶのにも下からさし図しとります。方向を変えるのでも、速度を落とすのでも、皆な下の方から電波によって指令を出しとるんでございます。この電波の力というものは、すなわち天の力でございます。それを人間が土地の上でこれを使うて、そうして空へ飛ばして、土地へまたおろしてくるとこういう、実に驚くべき事を発見したわけでございます。あのガガーリンというソビエットの青年は、本年二十七才でございますが、なかなか進んだお方で、土地の上でこの練習を長くしておったのです。ただもう飛ぶというのじゃなしに、土地の上ではいろいろな練習をした風でございます。たとえば、たまの中へ入れて発射する時分には、にわかに大きな速力で飛ぶのでございますから、ちょうど人間がさっと下へ押し付けられたようになるわけでございます。それを土地の上で練習するのです。こんどはまた、それが飛び出しますと空気がない所へ行きましたならば、無重力といいまして、土地の上を長くずっと遠い所へ離れましたならば、もう重さというのが無くなるのです。どうがこうでも同じ重さになってしもうて無重力状態でおもさがない。土地の引力がないのです。だから、もう一定の方向へ飛び出したら、いくらでもずーっと飛びつづけるのでございます。それを支配するのは、もう電波の力より他にないのでございまして、重力がないんでございますから、そういう物を、電波の力によって進めたり、遅らせたり、下へ又おろしてきたりと、こういう事が出来るんでございますから、これは単に、ああいうことが出来たといってしまえばそれまででございますが、もしこれをあの人がのっとるのに、大きなおどろくべき火薬を積み込んで、好きな所へ落せるんでございますから、たいへんでございます。悪く使えば恐るべき物をこしらえたという事にもなるのでございます。
それで、ソ連のフルッチョフ首相が話しておるのを聞いてもよくわかりますが、こういう物が出来たんであるからどうぞこれを人類の幸福に使って、今後は争いなどをしない事に頼むということを、はや演説しとります。誠に当を得た話だと私は思うのでございますが、こういうふうに一方では恐ろしいことであるけれども、その恐ろしいが為に、一方では平和が来るということになります。つまり恐るべき武器を造って、そうして人の好んでおる平和を求めると、こういう結果になる訳で二一五条に書いてあります事は、天の力を地に通して、そうして人の喜ぶことをせよと泉先生はおっしゃっとるのでございますが、これを私がかきました時から早、既に四十年も後になっております。
まだ今日の、ああいう空を飛ぶなどというような事は、夢にも知らん時代に泉先生は、はやそうおっしゃっとります。この天の力を地に通わして、そうして世の中を幸福にするという事にしなければならんという事をおっしゃっとるのでございます。ちょうど今日、そういう時代がまいっとる訳でございます。
まあ、これは単に武器の方のお話を申し上げたのですが、あなた方が日に日にお使いになっとる所のあの農具でも私らの子供の時分には、大きなくれをわりますのには、長い竹の先に(一間もある竹の先へ)槌のような木をつけまして、それで乾いた所をかんかんたたいて、土くれをくだいていたのでございます。昔のは、もうまるでおもちゃのような事をして、たんぼしよったものです。それが今日は、もうみるみるうちに土はこなれ、うねはでき、そして種物をまいて、ちゃんとりっぱに整地が出来るようになっとります。こういう風になりますと、よほど農業の手間が省ける訳でございます。その省けた手間を使うて、外のものを作り出すという事に、ただ今研究中でございます。
こういう風に農業といわず、工業といわず、もうすべての点において天の力を地に通わしとる訳でございます。地に通わすという事は、すなわち地の上に住んでおる所の人間界に、これを使うという事でございます。こういう風に泉先生は四十年前に、はやすでにそういう事をおっしゃっとるのでございます。誠にありがたい話だと、私は思います。
(昭和三十六年四月十五日講話)
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第二一六条 「澄んだ水は浅いようでも実際は深いように、人は徳が高ければ、偉そうに見えぬが、つきあえば、つきあうほど偉さがわかる。」


あなた方があの鳴門の潮を見にいきまして、そうして岩の上へあがって、その岩と岩との間に水がたまっとる。そのたまっとる中に、わかめもはえておる、いそぎんちゃくもある、うにもおる、時によれば、たこが間へはいっとる事があります。あるいは、いろいろな貝がらがついとりますが、浅いと思うて手をのばしてみると、なかなか手がとどきません。浅いようにみえるんです。海の水が澄みきっとりますので、浅くみえるのです。実際は深い。こういうようなもので、すみきった水の所は、浅くみえるものなのです。これと同様に人がいろいろ徳をつんで、そうして立派な人になりますと、ちょっとおつき合いの上には、えらそうにみえないのです。よりつけんようにみえません。なにやら親しいような平凡にみえるのです。けれども、おつき合いすればするほど、なんだか頭が下がってくる。こういう風に人も、心が徳をつんですんできますと、寄りつけんようにおそろしそうにみえないのです。非常におとなしゅうて、上品でおつき合いがしようにみえるのです。なるほどおつき合いはしよいんです。しかしおつき合いするほど向こうさんの高いのがわかってきます。偉いのがわかってきます。こういう風に、ちょうど水がすんでおると深いのが浅くみえるような物で、人間も徳がつめるとあまりそばへよりつけんようにはみえんのです。おとなしいて、なんだかおつき合いしよいような平凡にみえるものでございます。 ちょうどお大師様が、このお四国をお開きになった時分に、きゃはん、手ごう、すげのかさを召してそうして杖をついて、四国の道をお歩きになった、そうすると一般の人は、お大師さんのようなああいうお偉い方という事知りませんから、簡単にお遍路さんが道を歩いとるように思うたと、そういう例がだんだんございます。そういう風にお大師さんのような偉いお方は、かくすのではありませんけれども、ちょっと偉いんがわからんのです。おつきあいするとわかってくる。四国の道では、随分不思議なお力で人を助けとる話がもう沢山なことございます。たとえば、食わずのくりであるとか、満ち干の手水鉢であるとか、あるいはくさりに頭の髪がもくいついたとか、こういうような事がもう数限りなく、不思議が現われとります。これはお大師様のおえらい事を後の世につたえる証拠でございます。
泉先生もそれと同様に、ちょっと見ますと、ええおっさんのように見えるのです。まあええお方にちがいございませんけれども、さておがんでもらうとか、あるいはおつき合いした上には、もうなつかしゅうて、もうそのそばで先生の所へ度々お話を聞かせてもらいに行きたい気がするわけです。
私も、ちょうど先生の所へ通いましたのが二十七、八才の時でございます。ほんとは二十七、八才などは信仰などという事には、あまり気を寄せん年令の時分でございます。けれど泉先生は、もう引きつける力があるんです。
それで私は、もう先生にお話していただいて、それを聞くのがもっとも楽しみでございました。帰ってくると又、行きたい。ああ向こうでお話ししよる間はよいが、帰ってくるのは帰りとうない。帰ってくると又行きたい。こういうもので、もう間なしに津田まで通うたものでございます。その先生のお言葉が不思議に私の常にしておることを先生がお話なさるのです。知っておいでるんです。面白うににこにこと笑って、お話しなさるんですけれども、そのなさるお話しが私の身の上にピンピンとあたる物でございますから、実にその不思議な感じでおつき合させていただいとりました。
そうして先生は、その時神様を拝みなさるんですけれども、ちょうどあの伊勢町の浜の家で、今の所と違います。
ずっと浜の方の小さい家をお借りなして、そこで人を助けておいでたんですが、私がまいった時などは、壁に釘をうちまして、そうしてそれに幅が一尺くらい、長さが三尺くらいの黒うにふすったお掛け軸をかけてありました。 三社さんの掛軸です。まん中には、天照皇太神宮ですか、その横に春日大明神とその外一つの掛軸をかけ、それぞれに三人の神様の名を書いてある、黒いおかけじをつって、そうして、その壁ぎわに、やつあしなど置いてありません。
畳の上にはがまのふたをあわむけて、その上へ線香鉢を置いて、それに線香を立てて、それで拝んでおいでました。
先生は有り難そうな物は何にもおいておいでず、一つも飾っておいでんのですけれども、私考えたんです。これは堂々とピカピカして見ても、頭が下がるようにこしらえてあるのも結構で、それも悪いことではありませんけれどもこれは人間の手で作って、そうして目で見せるようにしてあるのであって、これはだれにでも出来る。ちょうど泉先生のは、そういう物いらんとおっしゃったばかりに、お粗末にしてあるのです。
しかし、一たん先生がそこへお坐りになって、人の一字をよみ出したといえば、実に不思議に、もうありのはうのまで、全部お知りになっているのです。それでございますから、ご殿と前を立派にする必要がないです。先生おっしゃっとりました。これ皆さんのために拝むんだから、お線香を差し上げたり、お掛け軸をつってあるけれども、それは皆さんの為に念じて差し上げるからこうするのだけれども、こういうことしなくとも、神様はどこにでも聞いてくださるって、そんなこと先生はおっしゃっていました。ちょうどこれが二一六条に書いてある事と同じことで、一つも飾りがないのです。ざっとしとるけれども、いったん先生に拝んでもろうたならば、もう頭が下がってしもうて、はあっと涙が出るほど、びっくりする訳でございます。そうして、おっしゃるとおりになるのです。
一例あげてみますと「村木さん、もう今日帰るか」、「へえ帰ります。「そしたらなあ、帰りしなにあの白鳥さん所に橋があるじゃろう。白鳥橋って、あの手前へいたらなあ、自転車をがいに走らせんようにおしなさいよ。あしこへいったら、ゆるゆるふんで」「へいへい」「危いからなあ」と「それからあの今日は、うらべの方からいぬつもりか」と、ちょうど私は大坂山を越えずに、浦べの方から帰るつもりにしとったんです。はや先生そうおっしゃるんです。「へえうらべの方から帰ろうと思うています」「そうかい、山の上まで神さんが送ってくれるぞ。」「ああ有難うございます」というて、先生にわかれたのでございますが、それから自転車にのって、津田から阿波の方へ向けて走って帰っていたのです。今のように汽車もなければ、バスもないのです。もう自転車を踏むより仕方がないのです。
それで帰りますと、先生のおっしゃった白鳥橋の所へ来ると、ゆるゆる踏まないかんとおっしゃったから、まあ、そろそろ帰っていたのです。すると、にわかに横あいの家と家との間から、ずーっと車にいっぱい大きな長い竹を積んだのがずーっと出てきました。人が向こうから押しているのでみえんのです。もし私がはやく走っていると、竹積んどる車へやりあげています。すぐ私はおりてよけたところが、竹を積んどる人が一礼して「ああ、あぶなかったな」っていうてくれました。ああなるほど、先生はこれが、はやすでに先にわかっておいでたんかと、私はもう車からおりて、津田の方へむいて「先生ありがとうございました。あなたが白鳥橋の所へいったら、そろそろふみなさいよと言われた事はよくわかりました。私は今助かって喜んどります。有がとうございます。」と一礼のべて、それからまた自転車にのってうらべの道をまわってかえりました。
そうして中山をこえて、木津へ出てくる道をとったんです。すると、あの坂を自転車押し上げて、そして中山の上まできますと、坂ですから自転車は軽く、はやく走りました。それからだいぶ下の方へきますと、竹やぶがたくさんあります。あしこへきますと、ずーっとやぶがたおれるように思うんです。大きな風じゃなあと思うて私、自転車のブレーキをきかせておりたんです。風やふいていません。これどうしたのか、妙じゃなあと思って、そしてまた乗って下へはしると、両方のやぶがずーっとたおれるようになるんです。風に敷かれるようになる。ああ大きな風かいな と又思いながら下へ走って、池の近くまできました。そうして私はおりたのでございますが、風一つないのです。
それで、そこにたんぼしている人がおりましたので、このあたり風がふきましたんですかとききましたところ、一つも今日風がないんでよとの、この話をきいて、またびっくりしたんです。私は、あしこまでおくっていたげるというた先生のおことばを忘れて、ただ強い風がふくなあと思っていました。そのやぶの竹が倒れる位の風は、神さんのおおくりのしるしであったのです。またそこで、私は後へ向いて先生、私は池のかたまで送って下さるとおっしゃって下さったのを忘れておりましたから、いや、あの時にああ送っていただいてありがたいと思ったのに、どうもあいすまん事でございましたというて、後へむいて、私言いわけした事がございます。
こういう風に、泉先生は実にそのそういう尊い力をもっておいでるんですけれども、さて泉先生にお話すると、もうまるでええおっさんです。おつき合いの上で、ええおっさんです。一つもおそろしいとか、ああもったいないとかいう気がしません。なんだか、なつかしいお方でありました。これちょうど二一六条に書いてありますように、徳が高いんでございますから、人から見て寄りつけんようには見えません。けれどおつきあいすると、もう次第しだいと頭が下がってくる。お徳が高いということがよくわかるのでございます。
(昭和三十六年四月十五日講話)
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第二一七条 「神信心する人は、物をはなれて神様に近寄ろうとするが、物を通じて神様をしたうようにならぬとお蔭がうすい。」


神様という方、仏様という方が、人間から飛び放れてしまっているというような考え方で、おつきあいするんじゃなくして、もう何事にでもすぐその裏手に神様仏様というのをひっつけて信心せえ。こういう先生の教えでございます。先刻私がお話するように、白鳥の町へいったら、そろそろいきなさいよと、そこでその私がそろそろといっていると、竹を積んだ車が後押しで出てきた。それを先生が、はや先知っておいでた。こういう風に物を通じて、信仰にはいるのです。竹を積んどる車という事を先に神様が知っておいでた。こういう風に物を通じて、神様におかげのお礼いうというふうにするのがええぞと先生が教えた事をここに書いてあるのです。 それから又、中山の山の上から走る時分に、送ってやるというのを忘れていた。そして、両ほうの藪がサーというて大きな風にしかれるようになりよるので、ひょっと思い出した。ああ神様が送ってくださいよる。ああそうであったんじゃと、こう思い出して車からおりて、ごあいさつ申したが、こういう風に物に、たとえば、やぶとか、風とか、という物について、そして神様におつきあいすると、こういう風にする方がええんだと、これは先生が教えてくださったんですが、そうすることが神様に近よれるんだと、これはなかなか味のある言葉です。
神様、仏様を棚の上へ祭り上げてしもうて、それを一生けんめい拝んで、人間とはかけ離れとるというと、お蔭がもらいにくいという事なのです。これはあなた方が日常のご生活によくある事でございます。 こういう例を言えばたくさんあると思います。沖野の彦さんから私が話をきいたのでございますが、五剣山おまいりのとき、泉先生が今日は「沖野さん、おまはんに神様がお山でおみやげくれるぞ」と、「ああそうですかいなあ」って沖野さんおい出になったのですが、それであの五の剣を登っていますと、皆さんご承知のとおり、岩にちようど子持岩みたように、はかの岩が出っぱって岩をつっこんだようになっています。くいをうったようになっています。
つまりまあ、石のところへ、三つ、つのがはえとるようになっています。沖野さんが、そのつのにつかまって上がっていると、ぷすっと抜けたのです。沖野はんは「あら、これ岩にはえたようになっとる石がぬけるはずがない。ああ今日、先生が言うてくださった。もったいない。」というて沖野さんが、そこで先生にお礼を言っていたのを私知っとりますが、こういう風に信心する者は物を離れて、神様とおつきあいしたらおかげがうかりにくい。いつも物を通じて神様、仏様とおつきあいするのが良いぞ。神仏は目に見えんのですから信心しにくいが、先生はこのような考えで信心なさったものと思います。
つぎの事を先生から私ききましたが、先生が生駒さんへ、夜お参りにおいでるのです。大阪からとおいでしょう。
今、電車でいってもやっとかかるでしょう。あれを大阪から走って生駒さんへお参りにいったものです。所が、まだまだ、生駒さんへはきはせんと思うのに、先生の目の前に生駒の山が見えて、鳥居が見える。あら、はや生駒はんに きたんかいなあ、すると神様の声として「ああ、わしの方が寄ってきたんじゃ、わしがお前にあいにきたんだと、もうここまででええから早くかえれ、娘が病気しとるからな、はよう帰ってやれ」「そうですか、それならこれでごめんこうむります」というて、先生が帰ってみると、お嬢さんが熱を出していたということでした。
これは先生が、やはりこの二一七条に書いてありますように、物について物を通じて神様におつき合いしよったという事がこれでわかるのです。昔の歌にもそういうのがございます。「あわれみを物にほどこす心より、ほかに仏の姿やはある。」という歌がございますが、なにかほかの物に信心心を通わすんじゃなくては、神仏におつき合いする道はないと、こんな事を昔の歌にもうたっとります。ほんに、これは皆さんが信心する上に、ご信仰なさる上に、いろいろ参考になる事と思います。二一七条はそういう事ですから、どうぞ今後ご信仰なさる上にも、神さん、仏さん 目にみえんのでございますから、姿がみえんのでございますから、どうぞ物事に心をくばって神仏におつき合いするという事がええように思います。
(昭和三十六年四月十五日講話)
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第二一八条 「道は近きにある。神のみ声は耳根に聞える。遠い所を見るからわからんのである。わが心を除いて見よ。有り難い、ご慈悲はよくわかる。」


これは泉先生がご修業なさった有様を、そのままに書いてあると私は考えるのでありますが、泉先生は、神様は、どこにでもござる。お堂の中ばかりにおいでるんじゃない。山の上ばかりにおいでるんじゃない。心さえしめ切ったら、どこにでもおいでる。こういう事をおっしゃったんでございますが、ここに書いてある通りに、神様の道というのは信仰の道です。神様に会う道です。それは遠方でないのじゃ、神様の声は遠方に聞えるんじゃない、我が心の中に聞えてくるんじゃ、こういう事をおっしゃっとるのでございますが、これはむずかしく言いますと、神の声、すなわちわが心の中にある仏性でございます。この仏性が現われて、人間心に知らせて来る。むずかしく言うとそういう事になるのでございます。神を信仰する者は、自分の心が大事である。それで心を濁してはいけない。いつも心はすがすがしいに朗らかに、いつも喜んで、いつも神様にお仕えするという心を持っておるのがよい。心が曇ると、たちまちすべてのものが曇って見える。こういう事になるのでございます。泉先生は、いつもそれをおっしゃっております。どうぞ、その神さんはどこえでも、どんな不浄な場所にでも神さんついてきて下さっとるんだから、遠方にあるんだと思うたらいかんぞ、自分の身辺についとるんだと、いつもこうおっしゃっておりました。泉先生のご一生を 見てもいつもそうなのでございまして、これは色々な泉先生の例でございますが、これはもうどこ、どんな所へでも神様が泉先生と一諸においでるように見えました。
泉先生から言うなら、いつも神様とご一緒においでる。神様はいつもご遠方におるんじゃない。ほん自分の体に付いて下さっとる。こういう信仰でないといかん。そういう事をおっしゃった事でございます。
(昭和三十六年四月三十日講話)
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第二一九条 「立身出世は、神の賞与である。賞与を目的にして働けば、いつまでしても神のみ心に添わぬ。」


ちょうどこれは、兵隊さんにつとめましたならば、戦争においでて、非常に立派な働きなさった場合には勲章をくれます。それを胸につっていて、実にかくかくたる武勲を表わしておりますが、この兵隊さんが、もし勲章もらおうと思うて働いたんでありますならば、それは立派な働きできんのです。つまり働きは、そういう事を望まずして、国の為、人の為に働いて、身を捨ててお働きになったごほうびに陛下から勲章をくれる。 これと同様に信仰の方でも、物を恵んでもらいたい。神様のごほうびが頂きたい。あるいは、私はこうして頂きたい。こういう信仰でなしに、人間としては人の為には自分を忘れて、こうせなならんもんじゃ、賞与を目的とせずして信仰する。神様の前にお仕えする。こうした時分には本当の神様のお恵みに対し、泉先生もそういうお考えであったので、こうして下さいという事は、先生一つもおっしゃらなんだらしい。 私にお話があるのには「村木さん、わしは一生のうちに一ぺんだけわしの身の上の事頼む」と言う。わしは願を掛けてあるんじゃと聞かされましたが、先生ご自身は、皆様の事にはどんな事でもお頼みしますけれども、先生ご自身は一切死にしなに一ぺん頼む。こういう事を先生おっしゃっておりましたが、その例といたしまして、わが子の勉さんが学校へ行く時分に、「おとう、明日学校へ行かんならんけん、石板買うお金くれんか」と先生にお頼みしているんじゃけれども、先生財布あけてみたら三銭か無かった。こいつ弱ったなあー、それから、さあーどうしたもんだろうか、明日学校へ行くというのに、明日買うてやるのに金が無い。そこで浜へ出て行って、先生が舟のへさきへ頭突っ込んで心配して半泣きになっておいでた。すると、おいおいと言うて呼ぶお方がある。だれぞいなと思うて、首上げて見てもおらん。又呼ぶ、三べんぶりに先生舟から出て「だれぞ、わしを呼んどるの。」その時に、わしじゃと言うて 出て来たのは金時不動さん。金時不動さんの言葉がおもしろいのです。先生お願掛けてある証拠なのです。「願かけんかい。」そうすると先生が、「私は死にしなでなけりゃ願掛けません、わたしの事は、人さんの事は皆お頼みしますが、私一身の事は、何もお願いしません。」「ほなお前、死にしなに一ぺん願掛けると言うたじゃないか。」「ああ、そう申しました。いやまだ生きておりたいんです。」「そうか、お前は生きとるけんど、おまはんの財布死にかけとれへんか。」「ありゃ死にかけております。」「ほな、願掛けんかい。」「それでは頼みます。」「明日、子供学校へやらんならん。」「それなら明日、二人朝とうに連れて行くから、学校へ行くまでに間に合うわい。」そうして人を助けたのが先生の一番初という事と、先生のお話で聞きましたが、今お話するように、先生は死にかけに一ぺんか頼まん。こういう事で、先生はようわかるのです。神様のお賃じゃの、賞与じゃの、そんなものは決して先生は目当てになしておらん。ただ困っておいでる人の身を治してあげる。病気で苦痛しておいでる人を楽にしてあげる。こういう事が先生の一番の仕事であったのです。
ある時、こんな事申しました。「村木さん、わしは大勢の人にこうやって相談せられるが、病気とか運が悪いの治すのはしよいなあ。」「ああ、そうでございますか。何が先生むつかしいんです。」「いやなあ、体が健康であって、性根が煩うとるんは治しぬくいぞ。」こういう事を先生がおっしゃりましたが、まあ考えてご覧なさい。拝むやいうのは、病気治すんだけのように思っておいでる人が大方です。先生はそうおっしゃらんのです。大方病気しとるぞ。 心の病気を。体の病気といえば十人に一人かない。心の病気は十人がほとんど九人まで病気しとるぞ。こういう風に先生は、心の病気を治したら、その人の運が良うなるんだ。わしはその務めが大きいように思う。こういう先生でございますから、ご自分の事は 神様の賞与もらう等いう事は、毛頭考えて おいでんという事は、はっきりしております。なかなか先生は、そういうお偉い所がありました。
(昭和三十六年四月三十日講話)
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第二二〇条 「人について行くよりも、一歩でも前へ進め。同じ行く道でも、人の後から行くと疲れるが、先へ進めば 疲れが少ないものである。」


こういう事を先生がおっしゃったのですが、これをお参りの道中なんかで、人より先へ行くと後の人をあせらす。後から行くと自分がよけ行かなならぬ。そんな事色々思うが、まあまあ一緒に行くという事が一番ええんや。そうして自分が気兼ねすると遅れてしまう。後から行くと追いついて行かんならん。追いついて行かんならんと言いよる内に気が遅れてしまうから、かえって疲れが多いんだ。こんな事先生がおっしゃいました。
それからもう一ツ、先生の深い意味のございますのは、ある時おこもりの日でございました。日が照っておりません。これは雨が降りやせんかなあー、雨は降らんだろう。天気になるだろう。とこういうような天候でございまして雨の用意しませんでした。大勢で十数人が参ったんです。先生もかさ無論持ちません。女の人も大分おりました。
若い女の人もおったけれども、こうもりがさも持たずして、そのまま行ったんです。所がかえりに晴天になって、カンカンお日様が照って来まして大変暑い。その時に先生がなはった事が信仰にかのうとる。かなっているというよりも頭が下がったんでございます。お年寄りとか男の人は、カンカン日が照ってもいといませんが、若い女の人がいた為に、その人などは日があたるのきらうのです。所が先生は、ああ皆ほほかむりしなはれ、と言う事おっしゃらずして、先生ご自分が召しとる前垂れを解いて頭へくくり付けて、それをクルッと後へやりますと、獅子を舞わして来る獅子舞の袋かぶっとるようなかっこうして、先先が竹をつえにしてカタカタとたたきつつお歩きになる。そうすると大勢の人が皆笑うて、先生それ何なしとんで。いや頭へ日が当るといかんでなーといって行くものですから娘の子等が手ぬぐい出して頭の上へ巻くうたんです。すると先生は 喜びなして、冗談おっしゃりもって お参りした事があります。これ等を私が拝見致しますと、実に尊い御心からお参りの人を構うとるんです。つまり心の内で日に照らされるの嫌だなあーと思うとる人に、頬被りしなさいと言わずして、御自分が先にまえかけをかむり、じょう談らしくして他の人の気持ちを安らかにした。それには私は頭が下がったんです。ああ、先生は尊いお考えだなあーと私は感じました。そういう風に、人と一緒に行く時分でも、自分が付いていて人をあせらしてはいかん。又自分が遅れたら、又自分が又あせる。そういうのは疲れが多い。という事をおっしゃると同時に、心の上でも自分も苦労せず、人にも苦労かけないようにするのが、これが道、お参りの道等でも、信仰で、とこういう事おっしゃられましたが、いかにもと私感じました。色々道づれでの時分にはお話しもありますが、先生はいつもそういう朗らかな、面白いお話をなさって人を悪う言うたり、又けんかをしたり、仕事の話なんかはあまりなさらん。つまり心の疲れがありません。
私は先生から教わりましたが、これはお話の上ですから、仲須さんの事言うとえらい妙になりますけれども、仲須さんがお参りのうちには、実に朗らかに面白いお話をなさるので、仲須さんと一緒にお参りしたら疲れがないちゅう事を言うている人がありましたが、なるほど私はそれはそうだと思います。そういう風にお参りの道でも自分の心を清らかにし、又連れの心を疲れささんという事は早、それそのものが信仰になっておるのです。
(昭和三十六年四月三十日講話)
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