TOP
第一九二条へ 第一九三条へ 第一九四条へ 第一九五条へ 第一九六条へ 第一九七条へ 第一九八条へ 第一九九条へ 第二〇〇条へ第一九一条 「たとえ良き事でも人に話して喜ばれぬ時は、人を悪く思うな。罪必ず我にある。」
これも先刻一九○条で申した所のその第七識の我ということになりますが、第七識にはいろんな癖がついとるのです。良い癖もあれば悪い癖もある。その癖というものを自分が知らないで、話しをしているのが普通なのでございます。その癖を知らずして話をしているのですから、良い事話しをしていても、人に喜ばれん場合があるのです。どうしたんか、これだけ真心で良いこと話しをしてあげているのに、受け入れんとはけしからんというておこる人がありますけれども、それはいかないのです。何億年、長い昔からずうっと使いこなしてきとるその我というものを、自分でに知りません。知らずして人にお話していますから、自分が間違いない、真直な事じゃと話をしておっても、人の方へ響くのは悪くひびく。向こうは喜びません。こういう時分には決して人を悪う思うてはならんとのありがたい先生のお話なんです。
長福寺へおいでた人は、ごらんになったと思いますが、あの玄関の上の額に、実の如く己の心を知れ、という額をかけてあります。これは金剛経という有り難いお経文の文句でございますが、実さいの通りに自分の心を知るという事ができるようになったら、もうたいしたもんだと、こういう事なんです。自分であって、自分の心を知らんというのが人間なんです。おかしい話でございますが、にわとりは卵かえすのが上手なのです。かもは卵をかえすのが、水鳥であって下手です。このかもの卵を、にわとりにかやさすのですが、にわとりがぬくめています。日がたちますと、かえって出てきます。さあもう、かものひよこです。にわとりは、びっくりしただろうと思うのです。私はこんなくちばしの平たい子を生んで困るとでも思うたのか、にわとりは目をパチパチしよります。その内に歩き出して、かもの子ですから、すぐに水の中へはいるのです。 せせらぎとか、川のきたない所でもかまわず、水のある所へ歩いていってはいります。にわとりの親は、たいへん心配そうな顔をしてみておるそうでございますが、これが、その私がお話する所の、生まれん前からもっておる所の自分の心なんです。かもにいわしたら、私の好きな所だというでしょう。
しかし、にわとりからゆうならば、そんな水の中はつめたい、いやな所なんです。けれども前生が違います。うまれだちのかもは、水という事はぜんぜん知りません。けれども水の世界に親がすみなれとったのでございますから、知らずして水の中へはいって行っておる。こういうふうになるのでございますから、これは例え話でございますが、人間は先の世で悪い事ばかりしておりますと、この世へはじめて生まれてきて、たとえ悪いことをしていなくても昔のことがあらわれてくるのです。
その昔、悪い事をしなれとる所の心で人に話しますから、まっすぐな事言っていても、人に通らんのです。人にいやがられるのです。なんとなく、この人いやだなあ、というような事があるのです。で、その事をここに書いてありますので、これは人とおつき合いの上に大事な事なのでございます。
あんた方もよくご承知だろうと思いますが、三宝会に寄っておいでると、その中にまた反対をなさる人があって、いろいろの事をお聞きになっとると思いますが、これなどもご自分の言うたりしたりしよる事をご自分は知らんのです。生まれつきが、そういう争うのが好きな性質なんで、生まれながらにして、負けぎらいで、自分の思うた事を、せなきかんと、こういう前生が違いますから必ず反対をする。そういう場合には決してその人を悪いと思うたらいかんというのです。
泉先生は、それは前生が違うんだから、我が良いと思うて、していても、ああいうふうに悪い事にするのじゃから、それは許して、知らん顔して争うてはいかん。それをもし争うたら、こちらにも罪があると、こういうありがたいお教えですから、皆さんこれはよくお知りになっておいてよろしい。わるくいわれた場合には、自分さえまっすぐでおったら、それでよいのであって、向こうさんは、自分がいっている事がま違っているということを知らんのですから、実はかわいそうなんです。それで決して相手どって、それを争うてはなりません。もし争うたら、こちらもその罪の中へ入っていくことになります。注意せねばなりません。
(昭和三十五年十二月十五日講話)
TOPへ
第一九二条 「わが心に少しも思いよらぬ事で、人を悪く思わせる事がある。これは前生の罪が、人に写るのである。喜んで省みるべきぞ。人のとがを先に考えてはならぬ。」
一九〇、一九一、一九二条は同じ「我」という心を自分は知らずして使いよるという事を三条に分けて書いてあるのでございますから同じ事なのです。自分はすこしも思いもよらんことで人を悪く思わす事がある。こちらで良い気で話しておるのに、人が怒ってくる。とはどうしたことかと考え、これは人がま違っていると思い、理屈ゆうてはいかぬと、泉先生はおっしゃるのです。これは前生の罪が人を悪く思わしたのだから、よほど考えなならんと、泉先生がおっしゃった事をここへ私が書いたのでございますが、あなた方もこういう事があると思います。悪気でいっていないのに、向こうさんが悪気にとって、こちらを悪者のようにいうという事がついあるものです。その場合には向こうさんも悪くとる癖があるかもしれませんが、こちらにもまっすぐなとはいいかねることもあります。
原因は二つありまして、向こうが邪推深い人であるかも知れませんけれども、向こうを考えるより自分の方を考えて自分は人を悪く思わすようなくせはないかと、反省しなければいかないぞと書いてあるのです。これは大事な事です。もしこれが出来るのであるならば、家の内で争いはないのです。家の内で、すこしのことで争いがあります。 その争いの種を調べてみますと、自分の思うとる事と向こうが思うとることと、くいちがいが出来とるのです。そのくいちがいの罪はどちらにあるかわかりませんが、それは人を調べるよりか、自分の方が悪いと、とる方がよいぞと泉先生が教えとるのです。なるほど私は長年のあいだ大勢の方におつき合いさせてもらって、いろいろの事考えた事がございますが、泉先生の教えの通りしとることが一番まちがいがありません。自分が運を落とす事がありません。 腹が立つことがありません。悪く言われたら、向こうが悪いと思わないで、人を悪く思わず、自分に悪い事があるんだ。自分は知らんけれども、まっ真ぐなように思うとるけれども、人から見たら悪いところがあるんだと、こうとる方がよいぞとの泉先生の教えなのです。
どうですか皆さん。こういう泉先生の教えがあるのでございますから、これをやっていただくならば、世の中に争いはほとんどありません。これは大事なことでございます。
(昭和三十五年十二月十五日講話)
TOPへ
第一九三条 「昔より『天定まれば人に勝つ』という語がある。信心なき人でも運の強き者があり、まことに信心な人にも不運な人がある。 これはただ一局部を見ての話であって、長い間を見れば、やはり神の心に添わぬものは、滅びておる。この一局部に矛盾したような結果があるのは、その人の前の世の運によるので、その前の世の運がつきれば、天は改造の手をその人の上に下す。その時は、人の力でいかんともすることができぬ。その事をかくいうたものである。」
誠に信心な人であるのに運がわるい。またすこしも信心な方でない、ぶ信心なのに運がええと、こういう人があるのをみそこなうなよと先生がおっしゃるのです。どうして、みそこのうたらいかんかと言いますと、それは今の事をみよるのであって、信心をしても運が悪いという人ならば、もう一つ信心せなければなお悪い。けれども、その信心を続けていくならば、必ずええ日が近よって来る。それで信心しとらんのに運がええという人は、先の世の人がよいことしてあるその徳が残っとる。その徳が消えるまではいける。いつかは消えるんじゃから、そのまねをするな。こう先生が教えたのです。ちょうどお燈明のあがっとる、そのお皿の中へ油がある間はお燈明はともっています。けれども油が尽きたらお燈明は消えます。それと同じように、だれかそこのご先祖が徳を積んでくれてあった場合には、後の人が無理をしても運がとおるものなのです。ちょうど油をついでくれてあるお燈明が消えるというのと同じことなんです。これはあると思いますけれども、それは、ほん一部分を見よるのであって、ながい月日で、その人の一生というのを見る。その子の時代までみるというと、必ず正直にさばかれていっきょるのです。泉先生はそういう事をご承知なのですから、もし信心せんのに運がよいという人をみてもにくんではいかぬ。それは先の世の人が、ええ事してあるんじゃと、こういう風に解釈する様に、また信心していても運のわるい人があったら、その人をなぐさめてあげて、これはあんたは知らんのじゃけれども、そこに悪い因縁がついとるんだから、いつかは、それは消えるから、それを続けておいでなさいというて、なぐさめてあげよ。という先生のおことばを、ここに書いたものです。
こういう事はありますから、どうぞそういう事にぶつかった場合には、気の毒な人は、手を引いてあげる。また神さん仏さんに一つもご縁を結ばんと運のよい人なら、その人も前の世にええんだというてほめたげる。決して敵を作ってはいかんぞという事なのです。結論が。どうぞそういう事にして、ほんとうの泉先生の信仰を続けていてもらいたいと私は思います。
(昭和三十五年十二月十五日講話)
TOPへ
第一九四条 「神の御声は我をわすれて始めてきける。ちょうど耳にあてた手をのけたように。」
耳に手をあてますと、あんた方きこえませんね。何もきこえません。さて手をのけるとよく聞こえてくる。これを信仰にたとえまして、神様の声は、ちょうど自分(我の心)、我心というものをのけたら、きけるんだと、こういう事と、手をのけたら音がきこえるという事をたとえてあるのです。すなわち、手がちょうど我心にあたるわけです。
神さんの声をきこうとするならば、我心をのけねばいかん。きままなわがの心をのけると、必ず聞こえてくる。ちょうど耳にあてた手をのけたように聞こえてくるぞ。なるほどそのとうりで、この我というものは他人という事と反対なんでございまして、自分の事には人を押しのけていくという、まことに信仰上邪魔になることを考えるのが「我」なのでございます。
あなた方がよく考えてご覧なさい。勝負事は勝ったら向こうを負かすことになります。と同様に、自分がよい事をひとりじめにするということは結局他人に対して、自分はよい事をしていないことなのです。自分というものを犠牲にせねば人を喜ばすことはできません。こういう事になっとるので、ちょうど人間が考える事と、神様がお考えになる事とは、反対になっとるのです。それで、世の中では良くここを間違えて、自分が良かったらええということに力を入れがちなのです。そうすると、神様が反対するという事になるのでございますから、ここを先生がご心配なさってちょうど外の音を聞こうとしたら、手をのけたら耳へ聞こえて来るように、神の声を聞こうとしたら、自分の我をのけないといけない。こういう事を書いたのが一九四条でございます。
これはあなた方がお考えになってご覧なさい。この世の中で神様にまつられ、仏様にまつられとるという方です。
その方がどういうお仕事をなさったかということです。まず、皆さんよくごしょう知のあの忠臣蔵でございます。
あの忠臣蔵の義士の方々が、ほんとうにお気の毒な暮らしをして、主人の心を慰め申そうという事のみに力を入れて、ご自分は苦労のあるだけしております。これは芝居でよくご承知でしょう。が、あの由良之助、すなわち大石公のごときは、酒を飲んで仇打ちを忘れたような風をいたしておりませんと、敵の間者が入っとりますから、かたきをうつ事が出きません。敵のみならず、自分の身があぶないのです。自分の身が保てません。
ある時に大石公がお酒を飲んで、たくさんの女をあげて、飲めや歌えの大散財をしておる所へ、一人の侍が上がってきまして、大石公の部屋へはいってきて、おまえさんは赤穂の家老大石公じゃないかというと、大石公はいかにもよっぱらったような調子でお答すると、その侍は非常におこって、おまえのような侍は武士とはいえない。犬侍だ、 犬侍は、これでも食らえというので、足の指に、おさしみをはさんで、大石公の所へさし出した。大石公は四つばいをして、そのさしみをたべて、まだ指についておるおしょう油をねぶった。そうしたらその侍は、もうあきれてしまって、もはやそういう事をするやつには、ものを言わないというので座をたって、すぐ料理屋を出て行ったという事です。ところが、これは九州の侍で「喜剣」という名前の人です。年が二十九でありましたが、まだ若い。 ところが、そのあげくにかたき打ちがあり、その大将は大石公であったというのを聞いて、もうびっくりしてしまったということです。喜剣は大石公が許されるか許されないか、それをしじゅう注意をしておったのですが、ついに 切腹ということにきまってしまいました。大石公が捕われの身でございますので、あうこともかないません。従って、 大石公におわびをすることが出来ません。
残念な思いでしたでしょう。ついに大石公は切腹なさったのです。そこでその烈士喜剣という人は泉岳寺のお墓の前へ行って日に日におわびにいったそうです。お線香をあげて、そうしてお墓の前でお経文をあげて、実に私のような目の見えない侍が、あんたのようなお偉いお侍をののしったという事は実に罪が深い。どうぞお許し願いたいと、日に日におわびにきよったそうです。そうして一週間もおわびしたあげくに、大石公のお墓の前で私のごときばか者はこの世でおわびしたのでは届かん。そちらへ参っておわびいたしますというので、大石公の墓の前で腹切ってしもうた。その烈士喜剣の墓というのがあの泉岳寺の四十七人のお墓の入口のすぐに左がわにあります。この人がそうなんです。こういう風に大石公は、ご自分の事はわすれて、そうして主君のあだ打ちをしたのです。
又、あの四十七人というのは、剣道の達人ばかりではありません。足軽の方が大勢です。大方です。それだから、剣道といえばそう上達の人ばかりでありません。けれども、自分という事を打ちすてて、家内を、離縁をし、子供を勘当して、自分一人になって、そうして艱難苦労のあげく、かたきをうつという事をしたのでございますから、諸神諸仏は、むろん味方をしてくれております。一方吉良上野の方には、天下の剣道の免状を持っとる人を百人からかかえておったのです。そういう中へわずかに、剣道をあまりしらない四十七人がのりこんだのに、一人も死んでおりません。敵は皆殺しです。わずか四十七人のうちで、一人かすりきずをうけたくらいの事で、けがしとりません。こういうお陰を受けておるわけです。こういう人のそろいでございますから、いくら向こうがけんごに隠れ回っても、逃れる場がないのです。こういう事を一九四条に書いてあるのです。
自分の望みを遂げようとするならば、神様の声をきかないけない。神の声をきくとすれば、それには自分というものをのけなければ神さんとお話ができない。ちょうど音を聞くのに、耳にあてとる手をのけたらきこえてくるようなものじゃとこの教えをよく先生はたとえを上手になさっております。
(昭和三十五年十二月三十一日講話)
TOPへ
第一九五条 「我を忘れて神のみ心を思うて見よ。親が子を思うよりも、まだ深き口にもいえぬほどの恵みをかけられている。ただわが身に 便利なのが幸福であると思うようでは真の神のみ恵みはわからぬ。」
神様の恵みというものは、実に人間の親よりも、まだまだ深い所の恵みを人間にかけられておるのじゃと、それで。このみ恵みを知ろうと思えば、自分に便利なとか、あるいは幸福であるとか、こうであるとか、いうような事で差別をするようなことでは、神様の恵みは、ほんとうの事はわからない。この神様の恵みというのは人間の一生をみるとわかるのでございまして、人間が四苦八苦、苦労をしておりますけれども、決してこれは苦労させよるのではなくして、心をみがいて、そうしてより幸福にしてやろうとするところの、神様のめぐみであるという事になるのです。
それをわかるのには、どうしたらよいかといいますと、便利じゃの、便利でないじゃのという事の我をのけて、神様のお心をさっしてみるとわかるのだと書いてありますが、ただこれだけではおわかりになりにくいと思いますが、こまかく言いますと、この人間が生活いたしますのに、この空気というものがなくては暮らせませんが、この空気の中にある酸素は、草木の葉から出ています。草木はまた人間のはいた炭酸ガスを吸うて、草木も喜んでおります。
人間が暮らせるだけ酸素ができているのは、不思議でございませんか。今、この地球の上に、空気は百二十キロもの厚みがあるそうです。土地から百二十キロも上へゆくと、もう空気はないのです。息ができません。はや富士の山の上へ行きますと、ちょっと一里です。一里上へあがると空気がうすいようです。それで息がしにくいのです。それだけ上へあがると空気がうすくなっております。そんな所に人間は住んでおりません。夏のわずかの間に上へあがって、すぐに下へさがってくるのでございますから、心配ありませんが、土地から一里も、あがった所はもう人間は、住めないのです。こういうふうに神さまは人間が住んでおる所の空気は濃くしてくれてあります。
また水も、人間のいるだけの水が、土地を掘っても出るし、水がもらえるように神様がしくんであります。こういう事を考えてご覧なさい。実に至れりつくせりの恵みを我々に下さっております。あの砂ばくがありまして、木もはえていない。もう砂っぱらがずうっと何百キロでも続いておる所の砂ばくがありますが、そういう所へいきますと、所々に熱帯植物が生えております。この木は、かわに穴あけますと、水がでてきます。どうですか、砂ばくの中にそういう水が噴くところの木がはえているのです。水のすくない砂ばくの中にでも、人の困らないようにとの神様の恵みです。
又この砂ばくに住んどる、らくだという動物がおります。これは、あなた方が動物園へおいでになったら、あの背中に大きなふそこぶが二つあります。あれはらくだの背中にとびあがっておりますが、あのとびあがっとる下に、水ぶくろがはいっとるのです。あのらくだは何百キロもある水のすくないさばくの中に住んでおりますから、自分の体の一部に水をためる袋をもっております。こういうふうに人間ばかりじゃなしに、こういう動物に至るまで神さんは保護をして下さっとるわけです。こういう風に、水のない所に住んどるものには神様が水をくれてあるのです。
このようにすこしも、生物がこまらないように、困らないようにして下さってあるのです。こういうことを考えますと、実に神様のお慈悲というものは、人間の考えでは及ばんようなお慈悲を我々にくれとる訳です。
それから、もう一つ深く考えますと、人間というものに、死というものがなかったらよいのにというような事を言う人がございます。生きぬけができたらよいのにと、もしそういう事ができたと考えてごらんなさい。人間が死なないものとするならば、むろん進歩がありません。死なんのでございますから、働かなくともよし、食わいでも死なんのです。着物着いでも死なんのです。どんなにしても死なんのでございますから、進歩どころか、次第次第と退化するより仕方がない。もう人間のような知恵はいらんということになります。どんなにしても、死なんのですから、食わなくてもよいのです。働かん者には進歩がないので、しだいしだいと年をへるに従って、この世の中が、衰退してしまいまして、下等動物から、虫けらのように人間は退化する事は間違いないのです。 死というものがあればこそ、人間はこの短い百年の間に、こうせなならん、ああせなならんという元気も出るし考えも出てきて、そうして世の中が進歩するのでございます。もし、死というものがないと考えてごらんなさい。
どうですか、むろんそうすると戦争などありません。戦争してたまに当たっても死なんのですから、もう楽しみごとは何んにもないようになります。よくお考えなしてご覧なさい。死ということさえも、神の恵みであるという事を。
これは、お釈迦さまもそういうことおっしゃっとります。生死一如といいまして、生まれてくるということと、死という事は同じものじゃと、死がないんなら、生まれるという事もないんだと、こういう事をおっしゃっております。
なるほど、よく考えてみますと生物に寿命というものがある事が、もはや大きなお慈悲であるということになっとります。これは、間違いないことでございます。かりに世界全体とせずして、一人として考えてごらんなさい。一人だけでも、生き抜けが出来たと考えてごらんなさい。その人の親も兄弟も子という者はみんななくなってしもうて、 浦島太郎よりおとりになります。知っとる人が一人もないようになって、自分だけ一人あとへ残っとると、こういう哀れな事になります。全体が死ななくてもいかず、一人が死ななんでもいけない。こういうふうに考えてみますと、わが身に便利であるから、幸福であるとか、不便であるから、これは不幸であるとかいう考えが間違うとるという事がわかりましょう。死というものは決して幸福なものではありません。不幸なように見えます。見えますけれども、その裏手を考えて見ますと、今申すとうりに、人間の最大幸福はこれから生まれるのです。死から始まるのです。
これは信仰の上で、生まれるのと同じものだという事を、やかましくいう原因はここにあるのです。泉先生は、哲学的な事はすこしもけいこなさっておらないのにもかかわらず、こういうありがたい言葉を、お話ししてくれておるのです。実にこういう事を考えますと、ほんに神さんの声を聞ける人は、いかな大学者がよってもかなわないという事がよくわかるのです。自分に便利がわるいからといって、それを不幸というといけないとこういう教えです。
誠に立派な教えと思います。
(昭和三十五年十二月三十一日講話)
TOPへ
第一九六条 「わが身に不利なる時も、その場を切りぬけるとてあせるな。天地の事は人の力とて、いかんともできぬものぞ。ただ神の心により動くものぞ。その場に満足して先を楽しめ。今を努めよ。」
支那(中国)の人は、昔がよかったというのです。昔、支那に堯舜という時代がありまして、堯舜の時代は非常に良かったが、どうもますます世の中は悪うなったと、こういうふうにいいますが、泉先生は先を楽しめ、今をがまんせよ、今勉強せえと教えています。こういう教えは誠に私はありがたいと思います。自分の体に不利な場合であってもあせるな。その場その場で自分の力を根限り尽くせというのです。そうして今つまらんという愚痴をいわずして、先が楽しみじゃ、先の楽しみだというて、今根限り働けと、こういう先生の教えです。これを短くいいますと、昨日を忘れ、明日を楽しんで、今日をつとめる、とこういう事なんです。 きのうの事はわすれるのです。そして先を楽しむのです。今を勉強せえとこういうのです。このお釈迦さんのお話なさったお経文の中に、過去現在未来をとかれた因果経というのがあります。それをみてみますと、泉先生のような事をおっしゃっとるのです。現在というのは、過去が現在になったんじゃ、今しよる事が未来の現在になるんだ。
それであるから過去、現在、未来というのは、ちょうどくるくるくると回っているものである。ところが今つらいからとか今便利が悪いからという事は、これは過去からきとるのであって、その不自由なとか、不便なという事をがまんしてつとめておいたら、未来が必ず楽になるんだ。この過去・現在・未来を決してどれがよい、これがよいという事をいわずしてつとめぬいたら、必ずそこに喜びの時代がくる、それで泉先生は、これをおもしろくおっしゃっております。いかなやみ夜も朝がある、どんなやみ夜でも、待つと必ず朝があると、そういうふうに過去・現在・未来・お釈迦様が因果経中に教えとるとおりに、泉先生はお経文もお知りにならないけれども、この一九六条は因果経と同じ事おっしゃっているのです。それで三宝会の方の中には、お楽に、お過ごしなさっている方もあるし、苦労も多少おありになる方もある。人ごとに違いますけれども、それは過去・現在・未来が、まわり方が違うのであって、今、不便だというても、それをおつとめになったら、今度は楽になる必ずまわるのでございますから、皆さん一しょに手をつないでつとめましょうというのが泉先生です。因果経のお経文から出ておると、同じことをおっしゃっておいでます。まことにありがたい尊いお方でございます。
(昭和三十五年十二月三十一日講話)
TOPへ
第一九七条 「蠅がとりもちにひっついた時を見よ。一生懸命に羽根に力を入れて飛ぼうとする為に、足はほとんどとりもちからはなれかかる。今一きわ飛べば、とびはなれる事が出来るものを、其のまぎわで羽根を休めるから、又足が深くもちの中に埋まる。今度は、いかにしても立つ事が出来ぬまでになる。人の一生の仕事も同じ事である。今一ふんばりという所に、命限りの力が肝要である。」
皆さん、お正月でおめでとうございます。いよいよ、三十六年の出発がまいりました。後へふり向いてみますと、三十五年にはどういう事をしたであろうかと考えますと、いろいろとよい事をなさったでしょう。しかし一口でいえば。泉先生のお教えの通り、この世に極楽を建設するというお手伝いが出来たら、もうそれでよろしいのです。
三十六年度は、今度はもう一つ去年のに、しんにゅうかけて、力強く一歩踏み出してやろうという事をお考えになっているだろうと思うのでございますが、このお正月気分といいますか、これは真言宗では特にやかましく言うのでございます。
お大師さん当時に、あの京都の御所では御修法といいまして、陛下の前で、弘法大師ご自身で修法なさったのがはじめで、今日でも矢張り天皇陛下のお召物にはお加持をするということになっております。そのお加持の意味がどういう意味かといいますと、ますます皇位の無窮国運の発展と、いうことを祈念するのでございます。私がつねに皆さんにお話している「願」でございます。つまり希望でございます。今年はこういう事やってやろう、こういうふうにしてやろうという希望を持つという事が一番大事なのでございまして、希望がないと、発展するとか、あるいは成功するとか、良い希望がないと発展するとか、あるいは成功するとか、良い方に進んで行くということがありません。
人間が万物の霊長として、いろいろの植物を支配しております。しかしこの人間も今から何十億年昔には、わずかに顕微鏡でみなければ見えないようなご先祖から発達してきたのですが、その小さな哀れはかない虫からこのような高等動物になるに至るまで、その間はすべて希望で出世して来たものでございます。これは、いろいろためす事も出来ます。昔から、鳥目といって日が暮れたら見えないと言いますけれども、それは、そんな事はないので、あの鳥も絶対昼えさをやらず暗やみの中へ小米をふりこんでやると、食べたいあまりに目が見えたら、見えたらと、始終ねがいをもつでしょう。そうすると、鳥はしだいと暗やみで目が見えるようになります。鳥目というのは、あれは一つの習慣でありまして、そういうふうにすれば夜でも鳥の目が見える様になるのです。どういうわけかといいますと、にわとりは、ああほんとに目が見えたら、この小米が拾えるのにという希望が達して、そうなるのでございます。それを宗教的にみますと、神様のお恵みに浴したという訳なんです。それで私は、この三十六年度には、どうぞ皆さんに希望に燃えていただいて、目出たくおすごしになられん事をお望みします。
それでは、今から百九十七条のお話をいたします。百九十七条の教えは、はえとりもちにたとえた教えでございます。ご承知のもちをつけてある所へ、はえがとまるのです。そうすると、はえがはねをしきりにぶんぶんといわせて足をぬこうとします。じっと見ていると、足がもう大方離れてもう少し力を入れて飛んだらいけるのを休むのです。
羽根を休みますと、今度ぶりはもううんともちの中へ足を踏み込む。以前と違うて羽根が非常に弱っていますからなかなか飛びたつ力はでてきません。とうとうそれで往生してしまうというような事になるのでございますが、これを泉先生は、はえとりもちをごらんになって「村木さん、あれ見なはれ。あのはえが、大方飛び離れてしまいそうになっているのに、もうちょっとの所でやすむ。そうすると、とうとう今度はもう羽根がよわってしもうて飛べんようになる。それで村木さん、この力を入れるという事は命がけでいかねばいかんのじゃ。なんでも命がけにならなんだら、いかんのでよ。」こういう事を私きかされた事がありますが、どこの神さまの前にでも、ししこまというのを、おいてあります。この獅子が、大きな牛や馬にとびかかっていく時の力、その力を使うのは、当然大きな物にかかっていくのですから、大きな力を使うのが当然でございますが、ししは、一びきの小さなねずみを捕えるのにも、あの大きな力を使うというのです。小さな所にでも、ゆだんをせんと一所懸命の力を使う。これが、いわゆる魔払いということになるのです。それで魔がにげてしまうのです。油断するからまがつける。それで神さんの前には獅子駒をおまつりするのだということを泉先生から聞かされたのですが、なるほど考えてみると、いかにもその一しょうけんめいという力が大事なんです。
これはお釈迦様の話ですが、釈尊がまだあの迦毘羅城で、皇太子として生まれとらん前でございます。お釈迦様の前生です。その前生のお釈迦様が、ある日、この東の方で妙法連華経というお経文を仏がといてござる、ようきいたら、いかなる者も成仏、仏になれるんだ。こういう事をお釈迦様がきいて、一つそれきかしてもらいたいなあ、それで東へ東へおいでよった。ところが、ある山の谷あいまで行った時分に、向こうから大きな鬼がやってきて、「お前さんどこへ行っているんか。」「ええ、私はこの東の方に、ありがたいみ仏が妙法連華経をお説きになっとるという事をきいたので、それを聞かしてもらいにいっきょる。」「ああそうかい、それはなあ、なかなかその間に関所があって、はいれんのじゃ。まず、その関所の役人が言うことには、お前の血をここへまつれ。からだの血をぬいて、つぼにまつる。で、もう一つのつぼへは肉をまつる。で、もう一つのつぼへは骨をまつる。この三つのお供え物をせんというと、妙法連華経を聞く事は出来んのじゃ。そんな関所があるから、おまえ行ってもだめじゃ。」そういって前へ立ちはだかって、やってくれそうにもない。それで「それは、私は差し上げたい。そのお供え物私もしたいと思うんじゃが、まだその関所、向こうでございますか」と聞いた所が「ああ関所はこのつい向こうにあるんだが、いやここでお供えしてもとどく。それで鬼が腰へ吊っておるところの三つのつぼをだして、このつぼの中へ一つ一つ入れて、 お供えしたらとどく」と、さあ普通の者であったら、もうそこでまいってしまう。そんな事したら死んでしもうて、つまらん。体がないようになってから、おかげがうからんと、こういうだろう。けれども、そこがお釈迦様の前生、それなら「一つあんた、まつってくれませんか。私はどうあってもその妙法連華経が聞きたい。いくら長生きしたところで、その成仏ということができんのであったら、人助けができない。」「うん、そらおまえさん、ええ考えじゃ それならいまからお供えするか。」というまま腰に差しとる出刃包丁をひきぬいて、お釈迦さんの血を一つのかめの中へ入れた。「ああ、これから肉をとる。」そろそろ肉をとりかけた。「まあこの肉とってしもうたら、おまはん死んでしまうんじゃが、それでもかまわんか。」「ええ、またこんどぶりは、生きなおってくるでしょう。」「そりや生きなおってくる。」「そうすれば、また行きますと何べんでも行きます。」こういうことをその鬼に言うたところが鬼が身ぶるいをしたと思うたら、今まで鬼に見えとったのが、にわかに立派な袈裟をかけた、首にようらく(瓔珞) をつった立派な仏様の姿に変ってしもうた。「ははあ、こちらへ向け。わしは釈提桓因(しゃくだいかんいん)じゃ と、今おまえさんが、ここへ血をぬいたが、肉をとったが、もう元のとうり、それ、そらいたと、お釈迦様にふりかけたら、もとのとうりのお体になった。釈尊びっくりしてしまった。「これはどうしたんでございますか。」
「いや、これは、おまはんのように、何べんでも生き変わり、死にかわりしてでも、妙法連華経を聞きたいという人はもうそれで届いたんだ。」そこで釈尊は、許しをうけて妙法速華経を聞きにおいでたと、こういうことが、経文に書いてあるのです。なるほど、もう一生けん命です。この肉はなした所で、自分には魂がある。まあ何べんでも生きかわり、死にかわりして目的を達してやろう。こういういきごみがありますから、生きの世で出きるということを書いた経文です。
泉先生は、そういうことのお経文お知りにならんのです。なりませんけれども、このはえにたとえて、わたしに話してくれたのです。泉先生は、「何事もこのようであるんだから、今一きわと言う所で休まれんぞ。信仰でもそうじゃ。なかなか信仰も出来ん。むつかしい、むつかしいや言よる間はできとらんのじゃ。」「ええもう、この世で仏にならなんだら、死にかわってでも、生きかわってでも、何べんでもと、こういうようにそういう気前で信仰するならばこの世でもらえるんだ。」こういう泉先生のお話であったのですが、こういうお話を申せば、いくらもございますが、お寺かたで、大般若経をお読みになることがあります。このありがたいお経文は六百巻あります。その六百巻の大般若経を、お寺さんでおおぜいの坊さんが手分けで読みますが、その時には、お床の軸文は十六善神、をおかけじにかけるということは決まっとります。その十六善神をなぜかけるかといいますと、これは玄奘三蔵と言う、えらいお坊さんが天竺へ大般若経を広めるため、そのお経文、授かりにいったのです。その天竺へいく内に、大きな川があります。りゅうしゃ川というその川をわたって、天竺へ行くんでございますが、玄奘三蔵がこのお経文を授かって、そうしてたくさんなことのお経文をおともにつれておる八戒孫悟空沙悟浄と、こういうようなお弟子に、背中へおわして そしてその大きなりゅうしゃ川の土手まで来たのです。そうすると向こうから大きな鬼が十六人揃うて、やってきた。
「玄奘三蔵、おまえさん、そのお経文は大はんにゃ経じゃないのか。」「ええ大般若経でございます。」「おまはんは、それどうしても持っていななきかんのか。」「ええ、もうこれはどうがこうでも、もってかえらなきかんつもりで、ここへきています。」それで「わしら十六人は鬼じゃが、そいつをもって支那の国へ渡られたら、わしの仕事ができんのじゃから、ここでくいとめにきた。」と大しょうがいうんです。そして「そこにある物みせてやれ」というと、後の弟子が大きなふごでかたいどる物があるのです。それみせてやれというのです。で、げんしょうさんぞうの所へ持ってきて、そのふごの中から出す物は、人間の頭の骨です。それを六つ出してきた。玄奘三蔵さん、おまはん、これおまはんの頭ぞえ。今まで六ぺんきたんじゃ。これ天じくへいっておまはんがとりに、で、いっぺん、いっぺん大般若経とりあげて首とったんじゃが、まだおまはんこれ首とっても、まだくるという。もうそれには恐れいった。もうそういう根気で人を救おうとするんならば、もう通してあげる。おまはんのどくろ、これ六つもとってあるんじゃけれど、七つめとったって、またくるにちがいない。そのかわりに、私はこの大はんにゃ経を守護する神様になって、いっしょにつれて行ってもらう。そしてこの大はんにゃ経をお守りして、国中に広まるところの守護神になりたいから、それを承知してもらいたい。さあ玄奘三蔵びっくりしてしもうた。わしはほんなら、わしの首六ぺんとられたんじゃなあ。 七へんめに、これ通してくれた。いやもう、そういうことに守護神になってくれるんなら、もとよりこちらは喜ぶところであるというので、十六人の悪神が、こんどは善神になりまして、そうして、支那の国へ六百巻の大般若経を持ちこんだという歴史があるのです。それがために今お寺の坊さんが大般若経を読む時には、十六善神の軸文をかけるというのはその訳なんです。
そういう訳で、昔からこの仏教では、何事をやるのも命がけでやれ。とこういう事になっとるのです。それで泉先生は、そんな事を勉強なしとらんのにかかわらず、はえとりもちの話をして、「村木さん、一生けんめいにせなんだらいけんのじゃ、あれみなはれ」と。私は、いかにもほんにありがたいお話であるというので、このご遺訓の中へ書き入れたのでございます。
どうぞ三十六年の事はじめから、何事をやるにも、何べんやりくじっても何べんでもやると、こういう気持でなさるならば、いかなる事でも成功しますから、どうぞ一九七条にかいてある泉先生の教えは、実に結構な教えですからご実行を願いたいと思います。
(昭和三十六年一月十五日講話)
TOPへ
第一九八条 「天は貴重なものほど安く与えている。人は貴重な品ほど高く売っている。天の心を知って満足してくらせ。」
たとえば、この空気でございます。これは一日も、一日どころじゃない、一分間も人間には、きらせんところのものでございます。こういう空気、りっぱな空気を、もし天とうさんがくれなんだら、われわれは生息する事ができません。ところが、これはただくれとります。水もそのとおりです。こういうふうに、生物がどうしてなければならんという、暮すのになければならんというものは、天とう様は、やすくくれとります。
ところが人間は、人間の暮らしに必要な物ほど高う売っております。これは先生のおしえ方でございますが、天とう様をまねて、どうしても人の暮らすのになければならん必要なものは、できるだけ原価でやすく売ってあげよ。 そうしたら必ずこれは成功するのに違いない。これは商売、製造工業でも、なんでもそうです。自分が世の中で、一手販売のような権利を得てやろうとするのには、どうしても安く売らないけません。そうして良い製品をこしらえないけません。良い品を安く売りましたら、もうそれにようついてきません。信仰心の足らん者、ようついてきやしません。そうしたら、やすやすと自分が品物を造って、安々と売る事が出来る、こういう事を、泉先生がおしえとるのです。これはもう、私が申すまでもなく、あなた方は、この実業上でどういう人が成功しよるかということは、ごらんになったらわかります。
(昭和三十六年一月十五日講話)
TOPへ
第一九九条 「人の体と心ほど、仲のよい物はない。心の通りにからだが変化する。心を明るく持てば、顔があたたかく、心に角を立てれば、顔はかたくなる。このようにからだの内部のさまも、目にこそ見えねど、刻々変って行くものである。持つべきものは心のほがらかさである。」
これは誠に結構な教えでございまして、この神様、仏様の絵を描いてございますが、どなたにしましても神様に祭られとる人のお顔は、ほんとうに立派な、き麗な頭の下がる実にやわらかなお姿をしております。これは姿でございますけれども、心の持ちようによりまして命ものびるし、又短くにもなる。自由自在なものです。心ほど持ちようのだいじなものはないという先生の教えでございます。
このことにつきまして、なかなか面白い話がございますが、これはためしもできるんでございます。普通のままの人間では、しけんはできませんけれども、催眠術を使ってみるのです。信仰と催眠術とはちがいますけれども、信じさすという事について、催眼術を使うてみるのです。そういたしますと、その催眠しておる所の人が、ころっと変った所のはたらきをするのです。実に巧妙な、不思議な力がでてくるのです。それはどういうものかと申しますと、これは以前にもお話し申しました事もありますが、ごく字を書くのがへたな人があったのです。誠に字を書くのに下手な人がある。その人に催眠術をかけるのです。そうして「お前さんは今、大変字をようかくようになった。菅原の道真さんのお手をかったんだ。それでお前さんの手で、この筆を持って、ここへ字を書いてくれんか。天満宮とかいて下さい。」といって書いてもらうと、その字の立派なこと、おどろくほど立派な字を書くのです。そうして催眠を解いて、こんどぶり書いてみいというと、釘の折れみたような字しか、よう書きません。これはどういう心の動きかといいますと、自分から天神さんの手を借ったという事になってしまっとるのです。天神さんの手を借りて書いた。そこでおもしろい事には、こういう事が出来うるのです。
この讃岐の長福寺のご本尊さんにおまつりしてあるのは、千手観音様です。これは、おまいりした方はご承知でしょうが、手が千本あります。ところが人間は二本の手かありませんが、その二本の手、使いかねとるんです。そんなこというと、村木がそんなこと言うけれども、二本の手結構自由に使うとおっしゃるかもしれませんけれども、それならこういう注文うけたらどうです。あんた右の手でいろは書いて、そして左の手であいうえお書いて、一二三で両方書いてごらんなさいというたら、書けませんぜ。そしたら二本の手は使いかねとるのです。けれども弘法大師は口に筆をくわえなして、そうして文珠菩薩を念じる。口にくわえとる筆が文珠菩薩の口になっとる。右の手に筆をもって弥勒菩薩におたのみする。左の手に筆をもって地蔵菩薩におたのみする。足の指にまた筆をはさんで、そうしてこんどぶりは、勢至菩薩におねがいすると、またこんどぶり左の足の指には筆をはさんで、そして虚空蔵菩薩におねがいする。こういうふうに 五人の菩薩さんに一本一本、お頼みする。体は 弘法大師でありながら、一人一人の仏さんが、みなもっとるのです。それで一っぺんに違うた字が書けるのです。それであなた方も、こうぼう大師のことを五筆和何ということをおききになったでしょう。どうですか、もっともこれは五つかございませんから、五筆でございます けれども、そういう働きがあるとするならば、手が千本あっても、千本ながらが、みな仕事が一ぺんにできるということを、形の上にたとえたのが千手観音さんです。それであなた方も、もし心のおきばが結構変える力があるならば、千本の手があっても使えるんじゃ。千手観音さんになれるんじゃ。こういうことが、この一九九条に書いてあることなんです。
それほど力ができるんでございますから、心の持ちかた一つによりましては、難病しておっても、それもなおります。いかな難渋しておる病気でも、なおらんという病気はないはずなんです。力がたらんからなおらんので、こういうことを泉先生がおっしゃったのです。で、泉先生がおっしゃってある言葉に、こういうのがあるでしょう。「念じて、おかげのあるのを不思議というな。念じておかげが、ないのが不思議じゃ。」と、泉先生がおっしゃったことをあなた方にお話ししたことがありますが、心のもちかたによれば、いかなることでもめぐまれる。こういうことを百九十九条に説いておりますから、どうぞ一つこの百九十九条は信仰するもののもっともだいじなことを、泉先生がおっしゃってあるのでございます。心の持ちようによりましたら、どないでもなる。敵の中へ飛びこんでも、敵はよう切らんのじゃとこういうことになるわけで、いかなる難儀も、これで防ぐことができる誠にありがたい百九十九条でございます。
(昭和三十六年一月十五日講話)
TOPへ
第二〇〇条 「子が親にたよるにはいろいろな心がけがいるが、人が神に頼むには、ただ信ずればそれでよい。それで何でも望みは満たしてくれる。何と広大無辺の慈悲ではないか。」
このか条は簡単なようですけれども、非常にむつかしい理論であります。とにかく人の親は、なるほど子に向いては、親心神心でございますけれども、宇宙という大きな神親、これに比べると大分違うということです。どこが違うのかと言いますと、理論から言いますと、天地には自我が無いのです。自性が無い。言い換えましたら「我」という心が無いのです。人間の親には「我」というのが付いております。自性が有ります。これで使い方が違う。こういう事を書いてあるのでございますが、しかしその人間の親にいたしましても、神に通じておりますと、天地の親も同じものになる訳です。決して区別はないのです。そういうむつかしい理論になるわけです。
この広大無辺の慈悲というのは、たとえば一分一秒でも人間は息をしないわけにはいきません。すなわち空気を吸い込まなければ生きて行けません。これほど、生命に必要な物を、神様は無償でいくらでもくれてあるのです。
人間の親というものは、品物を買うにしましても、ああそんな高い物買うたら、うちの財産が持てんと、こう言うのに違いないのですから、ここで天地の親は広大無辺だという言葉が生きてくるのです。水にいたしましても、その水をいくら使うたかって、天地はいるだけ製造しています。どんな高い山の上へでも、どんな広い野原へでも、水を無償で運んで行って、まいてくれているのです。
その天道はんがまくのは、どんな方法でまいているのかと言いますと、あの広い大洋です。洋々たる大きな海、その水面から水蒸気がどんどんあがっておる。これは、信仰のない人から言うならば、水蒸気が上がっとると言うのです。信仰のある人が言うならば、これを天道はんが、これを遠方へ、運ぼうとしてこしらえているとみるのです。その水蒸気が上へ上がる。雲になる。飛ぶ。風に運ばれる。ある地点迄行けば、それが冷えて雨になる。こういうふうに地球の上をまんべんなく水をばらまいて、下の物を助けておる。こういうふうに天地を、生物として考えた場合には、その天地の大御親は、子供らに向いては広大無辺の慈悲を持っとると言えるでしょう。これを泉先生は、天地は人間の親よりも、もう一つ広大無辺な慈悲を持っておるとおっしゃるのです。
そういう訳で、子が親に頼るのには、色々な心掛けがいる。なぜ心掛けがいるかと言いますと、人間の親には自分という考えを持っているから、その自分を喜ばせてあげないかん。そうせんと親は喜べんのです。天地の親は、ああ有り難いという一ツ丈を信じたらそれでよいので、いかなることでも恵んでくれるということを泉先生がおっしゃっておるのです。そんなら天地の親に頼めば、何でも恵んでくれるかというと、ここがむつかしいのです。なぜにむつかしいかと言いますと、だれしも天道はん頼みますとは言いはしませんけれども、心のうちにこうありたい。ああ、ありたいという人生の上の希望というものがあります。しかし希望だけではかないません。わしは人界では無理はせん。この希望を満たしてもらわんならんのであるから、自分は天地の心に従うて、人につきおうてゆく。これが人間の方の修業です。その修業さえ出来ておって希望するならば、それは満たされて来る。
そういう事言うと、えらいむつかしい話のようになりますけれども、あの野原で、あるいは川原で泳いでいる、あひるです。あのあひるが、土地の上を歩くといかにも、不細工な歩き方しよるけれども、水の中へ入ると、もうほとんど船のように自由、自在に泳いでおります。水の中で泳いでいて、しかもあの毛に水がしまない。あの毛を顕微鏡で見ますと、筋が有ってそれから横へ、毛が出て、毛と毛の間につり針のように引っかかりが有るのです。それで、毛を引っ掛けとるのです。それへもっていて、あのあひるの尾の端に、油の出る管が有りますが、それを口ばしに塗りまして、毛を一本一本口ばしですくのです。そうすると、油でこしらえた紙を、はりつけたのとおなじになるのです。そうして、その間に綿毛というのがありまして、外の冷たいのが体にこたえない。こういう水の上に浮くところの道具が、からだに付いているのです。そうして、それをバタバタと毛振るいすると、そのつり針が皆引っかかってしまって毛が割れ、とてもき麗に羽根が直るようになるのです。
さてこれは、あひるが製造したか。そうでないのです。わしは、水の上で住まんならんのだから、冷たいのがからだに浸みこむと困る。これをからだに冷たい水がしまんようにと願うとるだけです。そうすると綿毛が出来て、その上へ持っていて、今申すつり針の付いておる、羽根が出来て、その羽毛へ油を塗っておけば、ちょうど、ビニールか何かの紙袋をきせた様になるのです。立派な、これが水の上に浮く船の様になるのです。その油も、尾の端に付いとるのです。あひる捕えて見てご覧なさい。あの尾の付根のすぐ上に、バイの尻みたように飛び出たものが有ります。
それを押すと油がすぐ出ます。こういうものは、あひる自身で製造したのではありません。ただ自分が願う、こういうものが欲しい、欲しいと、願うたがゆえに、それが恵まれた。恵まれたということは、すなわち天地の働きです。
実に広大無辺と、泉先生がおっしゃったのに違いない。広大無辺の、いたれり尽くせりの助けぶりが、表われております。
又足も、前へ出とるのが三本、後へ一本、その指と指との間に、もしあのゴムの様な膜がなかったら、水をかいたとて用をなしません。あれで、水をかくと、ちょうど汽船のプロペラが回るような調子になって水をかく、からだが船です。実に水の上でユウユウと安心して泳いで居ります。こういうふうに水の上で育ったものには、そういうものをくれる。 ところが又一方話がかわって、水が無い田野であったらどうなるか。どろどろしとる田んぼの上へ、あひる浮かしたって浮きません。すべりません。水かくったって、あんなものかけません。そこで体が舞い込みますから、つるのような長い足を恵んでくれとる。あれでつるがどろ田の上を歩くのは、あひるがよう歩かなくとも、つるは歩く。土地に従うて、その土地で生息するのに便利なように、自分の体が恵まれておる。そうして、その恵まれておるものから言うなら、どういう考えを持ったかというと、何にも天道はんに仕えたとか、天道はんにサービスしたとかいうんじゃないのです。ただ私の世界はこんな田であるから、ああ、これは足が長かったら歩くのに具合がよいがなあー。良いぞ。そればかり希望に燃えただけの事であって、何も他にないのです。こういうふうに天地の親は、求めさえすれば信じて求めさえすればそれて良いんだと、こういうふうに泉先生は、あひるを見ても、つるを見ても、水の流れを見ても、風が吹くの見ても、雲が飛んでいるの見ても、すべて天地の親が恵んで、生物を助けてくれているというふうにご覧になったのです。ここが泉先生の偉いところです。天地の親が目にこそ見えんが、ちょうど生きてござって、子供、我々生物を助けてくれるのを、実に広大無辺だと先生はおっしゃったのです。これなんです。これが宗教の始まりなんです。今こそ宗教を、色々学問的にやかましく言いますけれども、そういうことが無い時代からでも、天地が生物を助けていることは、至れり尽くせりである。そこへ目を付けて、そうして目にも見えん所の天地に向かって、ああ、神様と、念じたのが泉先生です。だから泉先生は、学問こそ無い。字といえば、いろは位か知らない先生が、天下に通ずる大学者が前へきたって恐れない。こういう立派なみ徳をからだにつけておいでた訳です。
二百条は、大体どういう事を書いてあるかと言いますと、一口で言うならば、神様が有ると信じて、そういう働きが宇宙に有るんだと信じて、自分が希望に燃えさえすれば、恵んでくれると、いう事に決着しとるのです。ですから あんた方は、いかなるむつかしい問題にぶつかっても、決してそれにへきへきすることはない。ただ神を信じ、そうして頼んで、自分が正道を歩いて始終希望に燃えておると、これなら必ず恵まれる。こういうのです。至極、信仰というのはしよいです。先生のおっしゃる事から言うならば、しよいことです。希望に燃えさえすればよい。悪い事さえせなければ良い。人を恵んでいきさえすれば良い。こういう事です。
(昭和三十六年一月三十一口講話)
TOPへ