131~140条

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第一三一条 「よく、一人のもとに屈し得る人は、万人の上に通ずる。」


一人に絶対服従が出来る人は、だれにでも親和していけるという事なのです。これは大変大事なことでございまして、将来お嫁に行くとか、あるいはご養子に行くとか、こういう方が是非このことは練習しておく必要があると思います。私は常に、皆様にお話しとる事でございますが、太平無事の場合には、だれでもお付き合いするのです。しかし一たん荒波が立ちますと、その荒波に巻き込まれて、服従が出来なくなるのです。そこを先生はよく一人にでも屈服が出来る人、すなわち言い換えたならば、一人に絶対の服従が出来る人は万人の中へ持って行っても通じるのだ。出来るんだとこうおっしゃっております。
どういう場合に屈する事が出来んかといいますとしかられた時です。どうですか、皆様ここをよく考えていただきたいのです。常の機げんの良い時のあいさつは、だれでもへたでも通るのです。しかし向こうさんが怒っとる場合です。その怒る値打ちを付けてあげるのがよいというのです。泉先生がおっしゃるのはそこです。おこられる方なんです。おこられる方の稽古が出来たら、もう大丈夫だとこういうのです。
あなた方、この頃レスリングというのがございますが、柔道でもなし、相撲でもなし、まるっきり喧嘩か殺し合いみたようなのがあるでしょう。テレビでもご覧になったり、本物ご覧になった人もあると思いますが、これは一番先にけいこするのは何かといいますと、こけ方をけい古するのじゃそうです。あの道では受け方というております。 あの猫を上へほうり上げてみるのです。一間も上へほうり上げて、下へ落ちて来るのを見ますと、けがもせず必ず立っています。がしかし、人間はほうり投げられると必ずけがをするのです。受け方がへたなんです。猫をほうり上げてご覧なさい。あわ向けにほうり上げても、必ず足を下にして反動を抜いてやんわりと立てっとります。 それから、あんた方よくご承知のあの 雨蛙ですが、四メートルも六メートルも上から下へ飛ぶのです。ペタンといってもう腸か、どこぞが裂けて、それで目を回して、死にそうなものですけれども、足からつかえて立っております。その後足でふんばって反動抜いて、それから前足ついて、じわりっとやっております 。あの雨蛙の背が三センチあるとしますか。そうすると、二メートルの上からとびますと、背の六十倍の高さから、落ちていることになるのです。六十倍、自分の背の六十倍からの高い所から落ちてけがしとりません。もしこれを人間にたとえますならば、人間が六十倍高い所から落ちてご覧なさい。それは必ず死にます。これは受け方がへたなのです。
今いいましたのは、体の方でありますが、心の方で人にドーンと投げられた時分にその受け方です。これが出来たらけががないと、泉さんはおっしゃるのです。なるほど考えてみると、それに違いありません。ちょうどだれかにしかられると、その時分に「おまはん、ほんなこと言うけんど」と言ったら早固うなっとります。そこを向こうに屈するんです。なるほどなあ、あんたの言うのは違いない、道理が道理だと言う風に一たん受けて、柔らかく、笑顔でそれを受けた場合には、向こうが力抜けするのです。怒る人がちょうど猫をほうり投げても猫は放り上げられながらやんわりと立ちかえって、土地の上へおもむろに降りるような調子、この調子です。 よく一人のもとに屈し得るものは、万人の上に通ずる。そういう怒られ方の秘伝がわかって、向こうを柔らげて怒られんようにする力が出来ると、だれの前へ行っても失敗がない。けがをしないという事なのです。
百三十一条、これはまことに簡単に書いてありますけれども、もしこれ一つ出来ても、世の中へ出て行った時分には立派なものです。その行ができますと人に怒られたり、憎まれたり、怪我さされたり、そういう事がありません。
敵ができないのです。これをお釈迦さんは、どうしたかと言いますと「柔軟な言葉を使え」とおっしゃったのです。
柔軟というのは、字に書いてある通り柔らかくて強いこと。こういう言葉を使うようになれと弟子に教えております。柔軟の言葉を使え、これがちょうどこの百三十一条に当たるので、人に服従してしまって、恐れ入ってしまうというのではないのです。これはよく一人の人に得心される力があるならば、万人の中へ飛び込んで行っても、しくじりがないという事なんです。どうぞ、あなた方は、ここを一ツよくご理解なして練習してご覧なさい。中々面白いものです。
この板でも何でも固いものを、カンとたたいてみますと、大きな音がして破れますが、あの蚊帳へげんこつ入れてみるのです。いくら力入れてやっても蚊帳がよけますから、蚊帳も破れもせねば音もしません。この秘術です。
昔から、のれんの腕押しとか、蚊帳にげんこつとか言いますが、その受け方、これが人間の一生には、大きな運をこしらえたり、運をこわしたりするぞ。この受け方一ツで運が強くなる。こういう事を泉さんが、よくおっしゃっておりました。私も泉先生とお付き合いしましたが、先生がお怒りになるのを見た事がありません。お弟子を教えるのでも、少しもお怒りにならんのに弟子によくかんじるのです。 いつかお話しいたしました、あの先生のお弟子に中川亀太郎さんという方が白鳥においでます。あのお方がお酒が好きでありましたが、ある日昼過ぎに「先生今から八栗山へお参りに行ってきます。」すると、先生はニコニコしたお顔なさって「あーそうか、それはようお参りなさんせ、行っておいでなはれ。」「それでは行って参ります。」といって亀太郎さんは走り出たのです。ところが途中でお酒を売っとる店に目がつきました。日頃お好きなものですから、五合びんを一本かって腰にさげて出かけたのです。そしてあのはりゅう峠をドンドン登って行きますと、登り詰めた所で八栗山のお山が見えるのです。そこでは、峠の景色は良し、気候もよかったので、ひとやすみしようと思ってやすみました。ところが、ねが好きなものですから、腰に差しとる徳利に手が掛かって、一口呑めばおいしい、二口呑めばおいしい、とうとうラッパのみし、ついに五合飲んでしまいました。そうすると、今度は眠くなってきました。ああまだ日は高いし、もうここから一走りしたら、お山へ行けるんだから、一口横になろうと思ってトックリ枕に横になったが最後、白川夜舟で寝てしまいました。目が覚めたところが、はや日は西に傾むいて夕方が真近うなっている。これはしまった、今から行けない事ないけれども、帰りがあんまり遅くなるので、今からお参りに行ったことにして、ここから拝んでおいて先生の所へ帰りましょうと思って、「八栗さん、遠方からですけんど、ご免こうむります。」と言うて、拝んでおいて、それから後へ向いて津田の方へ一もくさんに帰って参りました。
「先生、ただ今帰りました。」すると先生は又例のニコニコお笑いになって「ああようお帰り。ああ亀太郎さん、おまえさん、今日は、八栗さんへ行ったのか、きてもらったのか。」亀太郎さん、それを聞いてビクッとしたのです。
先生はや知っておいでる。こいつしまったと思ったけれども、「へえ」と言ったままで何もくわしい返事をしなかったのです。すると又先生が「亀太郎さん、お前あの景色のよいあたたかな所で、固いもん枕にせやせなんだか。」
なるほど亀太郎さんは五合徳利のあいたのを枕にしていた。もう、そこ迄いわれると亀太郎さん恐れ入ってしまって、「先生、まことに恐れ入りました。」「どうしたぞい、亀太郎さん。」先生一つも怒っておいでない。どうしたんぞい。「先生、昼寝しまして遅うなって。」「ああそうだろうなあー、ああ~あれはトックリ枕か、トックリと寝たか。」先生はこのようにおっしゃる。もう亀太郎さん恐れ入ってしまって、お怒りにならん先生の柔らかい言葉がかえって亀太郎さんには強く響いて、それからのお参りには、もうまじめに真っすぐに行っておいでるようになった事を知っておりますが、こういう風に泉さんはまことにお偉い方で、弟子などを怒った事はありません。その柔らかいお言葉の中に強い力がありまして、怒ったよりもよく身にきく。それでお弟子は先生を尊んでなついて、実に自分のお母さんにだかれているような気持で先生にお仕えした為に、だんだんと偉いお弟子が沢山出来ました。
こういう訳でこの先生の風を信者は、見習わねばいきません。家の中でも人に向かってでも強く言うたのが強くこたえるのじゃないのです。柔らかく、言うても、そこに強い力があることは、神仏が手伝うのですから、そこの所を十分ご承知ありたいと思います。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第百三二条 「高殿楼上に生まれ、その柱を食んで生きる白蟻のように、この地上に生まれ、地上を食んで、世に罪を残す人となるなかれ。」


立派なご殿に住んで、その柱を白蟻が食うて、そのご殿をこわしてしまうようなのと、ちょうど同じ様にこの土地へ生まれてきて、その土地の上で、悪いことをして、罪を残すような人になるなとおっしゃる。白ありってご承知でしょう、白い蟻でございますが、これがわきますと、外から見てわかりませんが、柱でも食ってしまうのです。
中の綿のようなもの食うてしまって、固い筋だけ残しております。ですから、場合によりましたら家がたおれることがあります。 これは新聞でも折々学校に白ありわいて、二階が落ちたことがのっております。それで白ありがわきますと、すぐに白ありを退治して柱を抜き替えないと大変危ないのです。と、同じようにこの土地の上へ、人間として生まれてきまして、大事なこの土地の上に悪いことをして、後の世にその悪いという名を残す人がある。ちょうど立派なご殿に白ありがわいたのと同じことである。そういうことのないように心掛けて行かないとだめだと先生がおっしゃったのは、ちょうど人間の悪いことをする人を白蟻にたとえとるのです。白蟻ってまことによい事しない、悪い事一点張りです。どうぞ人は世の中へ、人の喜ぶようなもの残して行け。こういう教えです。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第一三三条 「仕事とは、世の中へ良いものを作り出す働きである。」


泉先生は左の手が達者であったのです。左ぎきと言いますが、非常に巧者な方で左がよくきくのです。そうして、お仕事が非常にお好きな方です。何事でも自分の内に、仕事がなかったら、他人の仕事でも手伝うというような風で決して体を楽にもって遊ぶというようなことはなさらない方です。それで、こういうことおっしゃっとるのです。
人が仕事仕事といっているが仕事とは、どういう事を仕事といっているかというと、世の中の為に人の喜ぶ物を作り出す事を仕事というんだ。字に書いても人べんに動くという字を書いてある。働くというのは、動くんじゃない。
人の為に動くんだから、働きという人べん、人の為に動くと書いてあるように、働くという事は神さんが非常にお好きなんだ。遊ぶというのは神さんおきらいなんだ。何事でも世の中の為になる。人の為になるものを作り出す仕事をせよこういう事を先生始終おっしゃっております。
先生は、あなた方もご承知かも知りませんが、お若い時は海の上で漁をなさったのです。そうしてお年を召して、三十五の年から大阪の方へお越しになって、桶をこしらえておりましたが、桶作りは先生の右に出る人がなかったそうです。非常に早くて、きれいなものをつくるのですから、人が喜ぶように、まごころで人の役にすこしでもというのが先生のお考えであったのです。
又、漁をしていた時などのことですが、朝鮮あたりまでおいでになられたそうですが、この船出の時に、いつでもあの津田の浜で、満艦飾の帆柱を立てまして、松原の八幡様の前の海をグルーッと一ぺん回って、八幡様に敬礼しておいて、それから、象頭山金比羅さんを、海の上から拝んで、船出したそうです。いよいよ船出いたしますと、先生は一切海の上では塩を食べません。塩を食べんのが偉いのではないのです。あの海は、どちらへ行ったって塩ばかりでございます。その舟に乗っていて、塩を食べないというのがむつかしいことなのです。で、その船出の時分にはいつでも先生はお菓子屋へ行きまして、アメ玉、それからお砂糖、ああいう甘い物をどっさり買うておいでる。そうしてご飯の時には、おはしで砂糖をはさんで口へお入れになる。間食はアメ玉を口へお入れになっている。一切塩を使わないのです。おかずなんか少しも塩気使わないのです。これはむつかしいことじゃと思います。なかなか出来ないことです。そうしてご飯たくのでも、海の水で先に洗います。そうして雨水ですすいでたくのです。先生は、ご飯たくのでも舟の中でお上手であったから、そんな役目をせられていたらしいのです。そうして出来上がりますと 船の中ですから三宝など仏具はありません。釜のふたの上へできたてのご飯を盛りまして、南無象頭山金比羅大権現 八栗の聖天さん、生駒の聖天さんと言うてお供えになる。そうしてご飯をお下げして、今度はおひつの中へあけ替えて皆に配るのです。他の人は、皆取れた魚をあぶったりたいたり、あるいは、おつけ物上がったりしますけれども、先生は一切それをあがらない。船積みの時、買い込んだお砂糖をはしに付けてねぶりなさる。これが出来んことです。そうして先生は、船の中でのひとやすみの時間にでも他の人がはく、ぞうりを作るとか、なわをなうとか、何でも船の中で使う物、皆こしらえるのです。そうして切れ物船のいたんだところを修繕する。
こういう風に他の人がきらってしないところを先生は喜んでなさる。これが百三三条に書いてある。他の人が喜ぶ為になる仕事を先生がなさるそうです。だから船出の時は先生をうばいあいしたそうです。先生は自分の船を持っておいでません。他の人の船へ乗り込んで仕事なさるのです。泉さん泉さんって、泉さんをわが舟へきてもらおうとしたそうです。船出の時に先生が乗った船は必ず大漁になるのです。魚がよく取れる。取れるはずです。皆が喜んではたらくのですから、そうして他の人には、なるべく手間をかけないように、つまらんことまで先生が皆なさる。こういう事が先生の船の中のお仕事であったのです。その時分は泉さんとは言いません。庄太郎はん庄太郎はんと呼んでいたのです。庄太郎はんに乗っとってもらったら漁運が良いぞと言うて、庄太郎はんのうばいあいであったそうです。
先生のお連れの漁師が、だんだんありましたが、その人に聞いてみると、庄太郎はんは花方であった。全くうばいあいであったそうです。何してもお上手なんです。そういう訳で、先生が津田へお帰って神さんをおまつりになるのでも船の中で、そういうことなさっていたから釜のふたの上でおまつりなさるということを、やはり続けておいでたのです。今、多宝塔の中へ先生が、その当時おまつりになっていた釜のふたを先生のご神宝として、私はおまつりしてあります。
こういう訳で先生のことは、何一ツとしてでも皆手本になります。この百三三条に書いてあることです。これはあんた方、今日からでもなしてご覧なさい。面白いものです。たとえば、家族の人が使う所のぞうり一ツでも、なわ一ツでも自分の手であい間に作るのです。そういうことが信仰になる訳です。先生のお喜びになるまねすることが信仰なんです。こういう風に先生は、いつも暇ができるとそういう事をなさっておったのです。どうぞ三宝会の方々は、そういう事で先生の真似する事が大事な信仰になるのですから、しよいのです。どうぞそういう風にお考え置き願いたいと思います。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第一三四条 「まごころとは、自分という考えのない心のことである。自分という考えがなければ、神の寵子である。」


真心というのはよく昔から言い慣らされている言葉でございます、字に書けば真の心と書きますが、これを詳しくいうと「我のない心」ということです。つまり何事をいたしますのにも自分の利害関係ということが含んでおらないという事が真心です。もう一つ言い換えますと、自分のことなど考えないで、相手方に対し感じはどうだろうか、害は与えはすまいか、なるべく向こうの喜ぶようにしてあげたいなどと、すべて向こう本意で行くことが真心、ということになるのです。昔からよくいう言葉であって、しかも徹底していないのです。「わがが無い心」を真心と言えば一番近いだろうと私は考えるのです。この真心という事だけでも神仏に届くのです。
ところが真心というのは、果して人に利益だけを与えるかといいますと、これは考えものでありまして、真心というのは、「我の無い心」でございますから、相手方に利益を与えようとしてする事ではありますけれども、場合によれば、不利益が生じる場合があります。でも憎まれないのです。不思議なことには、つまり自性が無いと言いますか それが真心です。
ここに川の流れがありますとしましても、この水というものには自性が無いのです。物を浮かす、流すというだけの働きでありまして、汽船が海を横切って行く。風さえ無ければ波は立ちません。平和な鏡の航海でございますが、一朝風が荒れる、潮がさかだつという事になりますれば、船もかやります。しかしその波を憎まんでしょう。誰も波が悪い、水が悪いというて憎んだ事は昔からありません。ああ、気の毒にしけに会うて難破したとか、何とか言いますけれども、憎い潮だ、憎い水だとは言うのは聞きません。こういう風に水には我心の無いのが本体です。ほんとうの人間界の真心というのは、その自性が無いという事の上へ、相手方を害しない気分が付いとるのです。
「我心」自分という考えを無くして、向こうさんを喜ばして上げよう、これが真心なんです。又、真心さえあるならば神に通ずると昔からよく言うでしょう。
歌の中に「心さえ誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん。」と。これは祈らないでもよろしい、「帰命天等」は言わなくても、我心を除いて、向うさんを喜ばしてやろうという心でございますから、祈らずとても神や守らんという事になるのです。しかしこれは、よほど信仰に入って色々なことを経験した人でありませんと、最初から祈らずともよい、真心さえあればよいのだ。それはそうでございますけれども、やはりお祈りをする。お唱えをする。
お参りをする。こういう事が神様とのお付き合いです。やはりお付き合いという方面で濃くなりませんと、ただ真心あればよいんだと言うのでは通じにくいのです。 古く神さん、仏さんにお付き合いをして、もう悟りの出来た人になりましたならば、祈らずとも神に通ずるということになるのですけれども、初めから祈らずとても、神や守らんでは進みにくいということもお知りになった方がよいと思います。ここは真心の説明になっております。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第一三五条 「信心するということは、神の好きな仕方と思えば間違いない。」


神さんの好きなことさせていただくと考えたら、それで良いのだ。これも泉先生のご自分のご修業なさった感想をおっしゃっているのでありまして、まことに私は簡単に言い表わしとると思います。信心するのには、色々仕方がございます。
私が聞きました讃岐の町田から、津田へ抜ける道に峠がございます。あの峠の左脇に小さな草屋の家に住んでおいでた、おばあさんがありますが、だんだんこちらの人もあのおばあさんにお世話になった人もあると思います。
そのおばあさんは、お参りするのにそら豆を袋に入れて持って行くのです。そうしてお宮の石段の上へそれを移して、光明真言をくるのです。光明真言一ぺん繰る度にそのそら豆を片方へ一ツずつ寄せる。一升の豆が僅かに三合になる、二、三合になる位通ったという事です。これは大したものです。一升の豆が三分の一に減るというのは、石段の上で片方へ寄せるのですから自然と皮が取れてしもうて、実が減るのですから、なかなか大したご苦労だと思います。そういうことをなさる人もあり、あるいは又、お百度の石をクルクルと百度以上お参りするというお参りの仕方をする人もある。あるいは又、お手洗鉢がある所だったら、手洗鉢の水をいれかえてかえって来る人もある。
あるいは箒をいつも腰へつっていて、お参りする度に廊下から、そのあたりを、掃いてお帰る人もある。
この信心の仕方には、随分種類が多いのでございますが、これを一口に泉先生のおっしゃることからいいますと、神さんや、仏さんの好きな事をするんだということになります。私は泉さんによくお供をして、あちこちのお宮へよく参ったのでございますが、先生の足は、お達者なんですけれども、竹切れか木切れか、何か持っておいでるのが好きなお方なんです。別に杖ついておいでるのではないのです。提げとるのです。そうしてどういうことをなさるかといいますと、その道でなわ切れが落っておりましたら、その縄切れをちょっと杖でハネて道の端へ寄せる。あるいはぞうりとか、わらじとかのようなものがありましたならば、それも道の端へ寄せる。すなわち通る所をきれいにするというのです。お宮の中へ行きましても、お宮の中になわ切れが落ちたり、あるいは紙切れが落ちていると、先生はそれを必ずはねて行って、横の方の目につかない所へ持っておいでるのです。これは百三五条に書いてあります通りちょうど神様をお祭りしてある所の境内は、神さんのお座敷と見て宜しい。お庭と見て宜しい。そこにきたない紙切れが落ちとるとか、あるいはなわ切れが落ちとるとか、神さんがお目ざわりになるだろう。これをのける、神様はご自分のきらいな物をのけてくれるんだから好きになる訳です。ああ良かった、こうご覧になる。
先生の信心の仕方は至極簡単なのです。道歩きながらも、神さん仏さんの境内に参っても、同じ事であって、神さんの好きな事をする。場合に依りますと、先生はこの道端でたたずんでいるお遍路さんの前は、ちょっと会釈して通ります。時によりますとお賽銭をその人に上げていることもあります。つまり神様が、そういう不自由なかわいそうな人を救うてやりたいというお慈悲の目で見ておいでるという心で先生は、その人を喜ばしてあげる。神様が好きなことなんです。神様のお手伝いなんです。このように泉先生のご信仰を、細かく見ていきますと、結局泉先生は神様仏様の好きな事をするのが信心じゃと、いう風に考えておいでた訳です。最もしやすい事です。いつも、これは先生と一緒にお参りになった方もおありになると思いますが、別には手な拝み方をなさるんでもなければ、別に信心そうにも見える風でもないのです。先生は、わげさを掛けたとか、錫杖を持つとか、あるいは白衣を着るとかいう風に、世の行者さんとか、山伏さんとか、あるいは坊様のようなかっこうはなさいませんでした。泉先生はいつ見ても信心者らしく見えないのです。黒っぱの巻き袖を着て、体の横の方で帯を結んで前垂をしておいでよる。その風を見るとまことに失礼ないい方しますが、どこかのおっさんという位しか見えません。
ところが一たん話をしてみるといかなる人でも、ああ、この人は気持のよい親しいお方じゃというような感じを与えるのです。神様は悪い人でもよい人でもどの人にむいても助けて、そうして幸福にしてやろうとおぼし召しになっている。だから、神様の好きな事をわしゃまねしとる、こういう訳なんです。泉さんの信仰は、私は最もまねて宜しいと思うのはここにあるのです。人の前もお宮参りの時もいつも神様が見てご座るものとして、神様の好きな事をするというのです。もうこれで言い尽しとる訳です。泉先生がお参りなさった時分にこういうことをおっしゃった。
私がはなしかけたんですが「先生ここにはえている木、これきれいな木ですな、これ鉢に植えたら」「ああ、村木さん、それ欲しいか」「ええ、欲しいと申したらよいのですけれども、こりゃ神様のお庭ですから欲しいとは思いません。けど、鉢に植えたらきれいだろうと私は思うんでございます。」「そりゃそうじゃ、村木さんこのお社の木をもらう時どないしたらよいと思うぞ」こうおっしゃるのです。「先生わかりません。」と私が言うと「そりゃな村木さん、倍にして返したらよいんじゃ、おまはんの好きなもんがあったらな、それを戴いて、それによう似たもの持って来て倍にしてお返しをする、そうしたら通るんじゃ。」こういうお話しを、先生から伺うたことがあります。
こういう風に、先生は、いつも神様の方から見たら減るのがおきらいなんだから、さみしくなるから、にぎやかにするという事がお好きなんです。いつも神さんのお好きな事をするという事を考えておいでました。泉先生は必ずもらったら倍にお返しするのです。ここに泉さんの信仰が伺えると思います。これを見ましても信心するという事は、神様の好きな事をすると思えば間違いない。と先生がおっしゃったのは大いに意味がある事です。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第一三六条 「はげわんも、もとは吉野の山桜、人は敬せよ、我は下がれよ。」


わたしたちが日頃使っている食器に漆など塗った椀があります。あの椀は色々な木でこしらえます。欅でこしらえるのもあり、桜でもこしらえますが、大体桜が多いのでございます。桜は固くて木目がつんでおりますから、その椀も製造法によっては強いもの、塗りかたによって美しいものと、いろいろ出来ます。又ねだんも高い、安いものがあります。しかし使っているうちにだんだん古びて、割れたり、はげたりいたします。その禿げた椀をお遍路さんがよくもっています。又皇室とか、あるいは殿さん、こういうような身分や権力のある方々のお使いになる道具になりますと、実に立派な見るからにきれいなおわんもございます。しかしいかに外側をきれいに塗って、巻絵を入れたりしてきれいにしてありましても、中の心は山桜なのです。氏を尋ねてみると、やはりはげわんでも、お遍路さんが持って、袋の中へ入れておるあのはげたわんでも、あるいは殿さんのおぜん先に付いとる立派なおわんでも、生地からいうならば、吉野の山桜、元はやはり同じものだ。こういうような意味の歌でございます。
「はげわんも、元は吉野の山桜。」ところがもう一ツ深く調べてみますと、今生き物の中には大きな象というものがあるし、あるいは小さい物には、虫類もあります。又人間という賢い生き物もあり、又、大きい恐ろしいところのとらとか、ひょうとか、ライオンとかいうものもあります。実に種々雑多な生き物がございます。種類からいうならば十万種類もあるそうですが、高等動物から下等動物に至るまで数沢山ありますけれども、これらの先祖を尋ねてみますと順々にこの親から爺、爺からヒイ爺という風に順々に何百代、何千代、ズットさかのぼって行くに従って種類が少なくなる訳です。そうして、しだいしだいと簡単な動物になりまして、何万年、何億年とさかのぼって行きますとしだいと体が小さくなり、虫みたようになってしまって、ついには顕微鏡で見なければならんほど小さいのです。
単細胞動物といいまして、今日学者がアミーパーと名を付けておりますが、手もなければ、足も腸もないのです。
そうして、その袋みたような物が千倍にして米粒位のような袋です。千倍にして米粒位しかないのですから小さいものです。その袋みたようなものの中に、核(種です)という中に黒すんだものが見えています。顕微鏡でみますと、食べものが体に触れますと巻き込むのです。それを消化して、カスになったものは、どこからでもズーッと順に突き出してしまうのだから、どこでも口で、どこでもが尻という訳です。そうしてこの単細胞動物のふえ方は、雄と雌があってふえるのではありません。その中にある核が二ツにわかれて、今度ぶり順々に外側が二ツになる、すなわち一ツが二ツになる、四ツになる、八ツになるという風に、二ツづつにわかれて行って増えるのです。だから、どれが親やら子やら兄弟やらわかりません。皆、同じものがわかれて行くのですから競争がありません。戦いがないのです。
実に平和な暮らしです。そういう所のものが我々の大ご先祖という事になるのです。
こういう風に考えて行きますと、今日人間といった所で、その大ご先祖は単細胞動物のアミーバー、ライオンとか、とらとか、へびとかいうようなものの大ご先祖を見るというても、やはり単細胞動物のアミーバーという事になる。
で、今日色々牛とか、馬とか、ねことか、とらとかいう風に種類が多くあるけれども、元を尋ねると、単細胞動物の、その平和な、我という心の無い、立派な所の単細胞動物のご先祖になって、わかれて出来たという事になる訳です。それをもう一回今度、単細胞動物をさかのぼりましたならば、何になるかといいますと火の玉でございます。
この無垢清浄なる火の玉の中に生命があった訳なんです。すなわち神様です。わががありません。慾心がありません。実に清浄なる火の玉、それが我々の大ご先祖と、こう考えていきますと世の中に魂も何も一ツも無い様になるのです。この大ご先祖の神様の子だという事になる訳です。それで元を正せばみな神の子だという事になるわけです。
それなれば我々には、その面影が残っているかといいますと。残っております。それはいかな、悪い事をする人でも、いかなよい事をする人でも、なるほど外から見ると大変な天地の相違がありますけれども、その人の心の中には仏性と申して、実に慈悲深い驚くべき力を持っている所の魂が入っておるのです。罪悪人の体の中にも仏性があります。又お釈迦様のような尊いお方の腹の中にも仏性があります。いずれ変りのない尊い所の仏性なんでございます。
ところが仏性、すなわち神、心の魂の外側に欲と我で固めた所の、きたない物をいっぱい付けておるから凡夫なんです。その仏性をみがき出して、こうこうと、外へ光を放っているのがお釈迦さんのような聖人です。この差がありますけれども、元は一緒だ、こういうことです。
あなた方をよくご承知のこととおもいますが、あの一燈園の主人公の西田天香さんは、国会に出ておりましても、 どなたに向いても同じ心でお付き合いをするのです。どちらへ向いても会釈なさる。お遍路さんが道端に居っても会釈なさるのです。という事を私聞きました。我々をお教え下さった泉先生も暑い炎天下に、田んぼの除草をしている人にでも、そばを通る時には会釈して通ります。これは、私が一緒にお供したからよく知っております。お遍路さんの前を通っても会釈なさる。偉い人の前でも、偉くない人の前でも区別ありません。親に向いても心の内で会釈して通っておいでます。
ある日、私先生に「先生はどんな人の前を通っても、心で会釈なさっているように私は思うのですが、それは結構でございます。私は頭が下がりますが、もし悪い事をした人の前を通った時分に、先生、会釈なさるのは、どういうお心からでございますか。」とお尋ねしたのです。そうすると先生が「ああ、村木さんよいこと尋ねたの、これはなあ、どんな悪いことをする人にでも、守護神というのが付いとるのじゃ、その人をお守りしてくれる神様が付いている。そんなら悪いことをする人に、悪い神さんが付いとるかというと、そうじゃないのであって、何か時期があったら因縁があったら助けてやろうと思うて、もう夜、昼見守って助ける時期があろうかと思うて伺うておいでる守り神さんが付いとる。その守り神さんに向いてお辞儀しよるのじゃ。」と、こうおっしゃった。なるほど、私は頭の下がる思いがしました。すなわち仏性に向いてお辞儀する。という事です。
これは法華経にある話でございますが、法華経という大きなお経文に、常不軽菩薩という偉い方の事を書いてあります。その常不軽菩薩様が道を歩いている人を、だれでも拝むのです。通りかわせの人、皆拝むものですから子供がばかにしまして、気違い扱いにして竹でたたく、石を投げる、そうすると、その常不軽菩薩さんは竹でたたいた人の方を向いて手を合して拝む、石を投げつけた人々に向いて又拝む、拝ますのが面白うて子供がオモチャにしたりしていたのですが、つい常不軽菩薩がお年が寄った時分に、にわかに大きな力が出来まして、ちょうどお釈迦さんのような風に、おっしゃる事が人の教えになり、又、それが人の運命がよくわかるというので、ついにその人は神さんになりました。これ常不軽菩薩という人だと、法華経に書いてありますが、ちょうどそのようなもので、その常不軽菩薩さんが子供を拝み、人を拝みよるのでも、その悪い事している人の守り神様を拝む。こういう事を先生がおっしゃりました。これも信仰する人はたとえ悪い人でありましても、よい人でありましても、その人の心の奥には守り神さんがおいでるのでございますから、その人を拝むのだというつもりでありましたならば、大きな問題も起こらず、騒動は起きないと私は思います。泉さんの信仰はそういう信仰ぶりでありました。皆様もそういうおつもりであったならば、日に日に面白く、遠慮もなしにとがめる心もなしに、実に朗らかな一生が終えられてお得だと思います。
(昭和三十五年二月二十日講話)
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第一三七条 「肉は悪い方へいきたがる、心はよき方に進みたがる、心は肉の力をからねばよきことができず、肉の望みも心の力によらねば成就せず、この二つのとりもちこそ大事。」


これは物と心という事を先生がおっしゃったのでございますが、物というと物質でございます。この物の方は人間からいうなれば、体の方が物であって、物に心が付いておる、そういう事になるのでございます。そういたしますと、物という方には、自分というのが無いのです。ただ自性というものがあありませずして、望みばかりを訴えるのが物なんでございますから、自分の望みという事になります。そこに、悪い方へ悪い方へ行きやすいのです。
たとえてみますと、お腹がすいた、これは肉の方の要求です。胃袋がからになって、しばらくしておりますと訴えてきます。物を食いたい、物を入れてくれと訴えて来るのです。それから道を沢山歩くと体中がだるい、休みたい、寝たい、こういう事です。それから仕事がつかえますと楽がしたい。まずい物より、うまい物が食いたい。これ肉の力です。ほとんど望みをかけるけれども、よい事が少ないのです。単にこうなりたい、ああなりたいという望みをかけるのが肉の方でございます。
心の方になりますと、これは善悪の差別がございまして、こういう事をしては悪い、あるいはこういう事をしたらよい、こういう善悪の差別が心の方にあります為に、心の方は、悪い事したくないようになるのです。自然、肉の方から、こうしてくれといいましても、心の方が手綱をひかえて、ここではいかんとか、あるいは又こちらの方でなければいかんという判断をくだしまして、肉の方を押える力ができて来るのです。そこで、この心の方の磨きがかかっておりませんと、悪い事をするようになるのです。物が欲しい。これは自分が見えておりますから、物が欲しいと望んでいるのですが、さて欲しいと言った所で、今金を持っていなければ買えない。金が無い。でも肉の要求に答えかねて盗もうかという事になるのです。この事を先生は、物は悪い方に行きたがる。心の方は良い方へ進みたがる。と、このように先生はおっしゃっております。そこで心の方のみがきがかかっておりませんと、肉の方の望みに付いて行くようになるのです。これが罪悪の元になる訳なのでございますから、心のみがきというものをしてこれが為には肉体の方も、うんと落ち着ける。
たとえば、寒い時分には暖かくして楽をしておりたい。こう肉が要求しとりましても、心の方はそれではいかん。
昔の偉い方は、帯を解いて裸になって、谷の中へ飛びこんで、あの身を切るような氷の水の中へ飛び込んで肉を苦しめた。これは皆様もご承知の通り、肉は苦しめるほど、心の方の行が上って来る。こういうのが荒行の基になった訳です。高野山では小坊さんあたりが、七日も物を食べずにお給仕ばかりするのです。すなわちお腹がすいて、物が食べたい、この肉の欲望を、極度に押さえつける、そういう心のみがきをやっております。
しかしこの心の望みというものも、肉が無ければできないのです。肉の力を借らねば、あの人を助けて上げたいと思うても、自分の体が自由にならない。心は肉の力を借らねば働きができない。こういう風に申したら簡単なようでございますけれども、神様は、おからだを持っておられません。(法身仏)。そうすると、どうしてもその肉を持っておる人間の体を借らねば神様はお仕事ができない。そこで応身仏が生まれて来る。こういう風になる。肉は悪い方へ進みたがるというて、これを排斥して、使わんという事はいけないので、肉を鍛錬し、そうして心の望みも肉にかなえてもらうとこういう事が大事である。気をつけないかんという事を泉さんがおっしゃったのでございます。 どうもこの肉というのは、良い方へ進みません。ほうっておけば肉の通りについて行く、無論野蛮な行動をするようになります。お釈迦様が二十九才の年に山へおいでになったのも、肉の要求を恐れる為に、山へお入りになったのです。ご殿においでたならば、ちり一ツ摘みきらずして、大勢の者がお給仕する。おいしいものを差し上げる。もう何もなさらずして、楽々その日を肉の要求通りにお暮しになれる。これをお釈迦様がお感じになったのです。
そこでお釈かさまが考えたのは、肉の方はどうも、ろくな事をしておらん。自分に手も足もついておりながら、人の手を借り、人の足を借りて、人を使うて自分が楽をしておる。これはいけない。この肉の要求を押し付けんと行にならんというので、城を抜け出した訳です。そうして無論お給仕人もおりませんから、何もかもご自分でせなければなりませんし、物を求めるにしても山の中では売っておりません。自然木の根を掘り、草をむしって食べるというより仕方がなかったのです。
あなた方のお家に、お盆がきますとオガラというものに、色々な仏様のごちそうを糸でつるして、おまつりなさるだろうと思います。掛けソーメンだとか、なすだとか、スダチとか、柿、こんなものをお祭りになるでしょう。あれは、お釈迦さんが山へお入りになって、山にはご馳走がありませんけれども麻が沢山はえとったという事です。
その麻を切ってきまして、その皮をむくのです。皮をむいて川原の石でたたく、糊のようになる、柔らかく、お餅のようになる。これをあがったという事です。それで麻の皮をむいた緒を取ったそのカラがお釈迦様がお住まいになっとる河原のほとりに沢山あった。誠に、そういう苦労をなさってまでして、我々の苦しんでおるのを導いてやろうと、ご自分を苦しめて助けてやろうとお思いになったんだという事をしのぶ為に、麻のカラでお仏壇へ色々のごちそうをつるしてお供えしています。お釈迦さんもやはり、泉先生がおっしゃったように、肉は苦しめねばいかん、肉に付いて行くと、ろくな事はない。こういう事を教えてあります。
これは私も先生にそういう事をお聞きしました為に、旅行いたします。昔、よく旅行をしてお参りに出ましたが、その間物を食べん事もございました。もしいただいても一切生物を、殺した物を食べんという事も、ご奉公の為にやった事もあります。山の中へ深く何十キロも入ったりいたしますと、余り量高い物を持って行くと困るのです。
それからお米等たくといいましても、釜がいるし、色々やっかいなのです。そこで私はよく、あの柿串を持って行きました。あれは、大きな柿を、干しても小さくなるでしょう。それを今度振り水に浸すと、元の量になります為に、お腹がよくおきるのです。それからあの畑で作りますソバの粉です。あれはそのまま谷の水か何かで練りまして食ベますと、あのおソバの粉の中には人間の体の中に必要な物が揃うているそうです。とも角、私はあれを持って参りまして水で練って食べると、とてもおなかの気持がよろしいのです。そんな事いたしまして、余りおいしい物ではありませんけれども、おなかはおきるのです。そうして飢えだけを凌ぐ。空腹だけをこらえるという位の事で、山深く何十キロも入って、あっちこっちと役の小角様の跡をしのぶ、あるいは弘法大師の苦行なさった後をしのぶ。こういう事をしてみましたが、何とかこう昔の行なさった方に、お目に掛かるような気持になるのです。
仲須様も、子供しやご夫婦、お寺の奥様等がこの間お大師様のみ跡を慕うておこしになって、お寄り下さったお話を承ったのですが、さぞお大師様がここで苦行なさったという鶴さんとか、大龍寺、あの険しい山の道をお歩きになった時分は、さだめしお大師さんにお目に掛かるような気持でお参りなさった事と私は思います。
そういう所へは、やはり人間が肉のこの体の便利な事をあまりせないという事が行になっとるようでございます。無論ぜいたくな事は、するといってもできもいたしませんが、お大師さんの当時を考えますと、今日は大変山が開けて、きれいになっておりますけれども、その当時と申しましたなれば、山には相当猛獣がおったと思います。その中を初めて、山をお開きになるのでございますから、無論道のようなものもあまりありませず、その中をわけておいでになると、そこで色々と悪いものを征服して、お大師様がみ徳の高い事をお示しになったが為に、そこで皆がそこへ寺を建てるという事をお大師様のお許しを得て建てましたものが、今日の八十八ヶ所になっている訳でございます。
そういう所へ、この間も仲須様が再々お越しになるので、誠に結構な事だと思います。私も行きたいのですけれども、何さま足が不自由なものでございますから、やはり乗り物でご免こうむって参るよりいたし方ないのです。
又一寸高い山等無理だと思って、控えておりますが参りたいものです。
この一三七条は、そういう事を書いてありまして、先生もお参りの道はご苦労ばかりなさった。決して楽しむという事は、体が楽なとか、気持が良いとか、おいしいとかいう事には絶対先生はおふれになっておりません。すなわちここに書いてあります通りに、肉は悪い方に進みたいから、その要求を極度に押しつけるという事がお参りの行である。と私は思うのでございますが、あんた方がお参りになる時も、こういうお考えが最もよろしいと思います。
(昭和三十五年三月十五日講話)
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第一三八条 「人に神がのり移るのでない。人の心が神に通じ、この人が思うたり、言うたりするのが、神に通うのである。これが世にいう生神である。」


世の中では、神様がのり移る、仏様がのり移るとよくいいますが、のり移るという言葉からいいますと、何だか外から神様が引っ着いたかというような事にかん違いしますけれども、泉先生のおっしゃるのは、神様は外から人間が馬に乗ったように、乗り移るんじゃない。いつも行をする人は、その言うたり、したり、思ったりの、この三ツはいつも神様の教えに従ってする。これが神様の教えにきちっと合うようになってきますと、自然自分の思う事が神様に通う。する事が神様のお気に召す。思う事が神様の思う事に合う。これを人間の三ツの事が、神様の三ツの事によく似て来るのを三密加持といいます。身・口・意。身と心と口です。この三ツが神様の身、口、意に同じになって来る。
これを三密加持と言います。弘法大師がお書きになっている中に、「三密加持すれば速疾に現わる。」こういう事をおっしゃっております。神様といい、仏様というのは同じでございますが、このみ仏の教えを生の体で行なう、口にする、思う、この三ツが始終寝てもさめても、神様の教えにがっちり合うておりますと、その人は次第次第と神様に近寄って来る。そうするという事が神様みた様な事になるのです。思う事でも、する事でもこれを、生神というておるのです。お釈迦様にしましても、お大師様にしましても、元は人間でございます。一ツも我々と変りない人間でございますが、この身、口、意、の三ツがみ仏と同じになったから、ああいう聖者になった訳なんです。その事を泉先生がおっしゃっとるのでございます。
簡単に書いてありますけれども、この三ツを合わすという事がむつかしいのです。三密加持すれば速疾に現わる。すぐ現われて来る。こうおっしゃっております。本当に行が出来まして、三密加持が出来ました時分には、別に変った調子は何もない。人間そのままで思う事がお指図になる。する事が神の所作になる。思う事が心に神様が通うてきているから、その人の思う事が、神の託宣と同じ事になる。こういう事を先生がおっしゃったのでございます。 いかにも、これはまことに当を得たお話でありまして、のり移るということは、人間がする事そのものが神様、仏様の事にがっちり合う様になって来るぞとおっしゃったのです。
(昭和三十五年三月十五日講話)
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第一三九条 「天地の事は、正道である。一切は恵みである。」


「天地の事」とは大自然ということです。雨が降り、風が吹き、水が流れるということは、自然の正道です。この正道という意味がなかなかむつかしいのでございます。天とうはんの事は正道であるということは、邪気が無いという事なのです。雨が降りましても、あいつぬらしてやろうという気はないのです。雨には「我」というのがありませんから正道なんです。ぬれんようにしようと思うたら傘さすとよいのです。こういう風に自然と天地の事は風が吹いても、しけがしても、これは正道なんでありまして、天とうはんを憎んだりする人はありません。風が吹いても、雨が降っても、それは、すべて人間への恵みだ、人界への恵みであると解釈する風にならないと腹が立ってきます。
行になりません。こういう考えをするとよいと思うのです。
水は低い方へ流れるのが自然の理法です。なるほど低い方へ流れるのでございますけれども、その水がお日様に照らされると蒸発し、水蒸気になります。すると、も早、水でないのです。雲になる訳です。雲になると高い方も低い方もありません。風に従うて飛ぶのです。そうして冷える所へ行きましたならば、雨になって落ちる。あたたまった水分を含んだ空気が、風に送られて飛んでいるうちに冷たい風にぶつかると雨になって落ちるのです。
こういう風に風であろうが、水であろうが、すべて人間が恵まれるように出来ておる訳です。もし、あの台風も無く、又水蒸気が風に乗り空高く飛ぶという事がないのでありまして、水は低い方へ低い方へ行くんだというならば、山は湿り気がないはずです。山はすぐにかわいてばかりおることになります。高い所は自然乾いてばかりおりますけれども、その水分を含んだ風が冷たい風に合う、雨になって落ちる。落ちれば水でございますから、高い所から低い方へ流れる。これで自然しぜんと草木が育つようになります。どこもこの恵みを受けない所がないようになる。
こういうふうに風が吹きましても、水が流れましても、日が照りましても、何一つとして人間の生きる上に欠くことのできない現象です。これ皆、恵みであるという風に見えるようにならんといけない訳です。けれども、風には自性が無いのでございますから、大きな風に飛ぶような家を建てて置くと倒れます。風が悪いのではない。こちらが風の性質を知らんからそんな事になる訳です。いつも泉先生は、「大自然が人間を恵んで下さっとるという風に思える様にならんと邪道が通っとるぞ。」こういう事をおっしゃった。水はまことに結構で船を浮かし、物を潤し、結構であるという事になりますけれども、先ごろの南海丸のごとき、あの淡路の沼島の間で三角波にぶつかって、まっさかとんぼになって大勢の方がおなくなりになった。まことにお気の毒であります。どうぞ天気予報、あるいは潮流関係、そういうものを研究してする知恵をくれてあるのでございますから、どうぞけがの無いように、風が吹くと、その風を利用するように、水が流れるとそれを利用するように、知恵をはたらかすことが大切です。見ようによれば、天を、自然を恨むなどという事は無いようになります。そういう事を泉さんは常におっしゃったのです。
自然は正道である。だから正道に逆らわんようについて行く。するとすべてが恵みに見えるようになるんだ。天に逆ろうて、これを恵みで無いような考えを起こすとお陰が受からんぞという事を始終おっしゃっておりました。
これも泉さんの教えが高いという一ツの印でございます。
(昭和三十五年三月十五日講話)
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第一四〇条 「我が身に、よき事がありとても、高く思うな。他を見下すな。」


自分の一生のうちには、大変便利でうまくいったというような事があるものでございます。こううまくいった。その時分に、信仰心の浅い人は、自分が偉いと間違うのです。自分が天地に恵まれたという事を考えずして、ただ自分が偉い、自分は才能がある。知恵がまさっとる、それでこんな良い事になった。他人は、まるで知恵が足らんから難儀しているのだとの見ようになりますと、慈悲心というのがなくなるのです。そこでいつも自分の身の上に良い事ができた場合には、これはご先祖のお陰、世の中のお陰、人のお陰でこうなったのだ。今の世の中に苦労なさっとる人があったら、ああ、この人はまことに気の毒な状況になっとるが、これをのがれる方法をお話して、共に喜べる道へ出してあげるのが、良かろうと思います。生まれたら人間は恩になっとる。恩になっていない人は一人もない。そこでこの自分の都合よくいった時分には、四恩のおかげだという風に、解釈する事が信仰の上に一番よいぞ。これは泉さんがそういう風にお教えなさったのです。
四恩といいますのは、まず神仏の恩です。父母の恩、世の中の恩、象生の恩、これが四恩でございます。神仏のご恩という事は、これは申すまでもなく神仏のお陰を受けた方です。それから父母の恩も、これも申すまでもない事と思います。世の中の恩という事でございますが、これは、もし今日あなた方が世の中の恩を受けずして、生きようとするならば、着物一枚をこしらえるのにも、先ず田んぼへ綿を植えて、その綿をソロソロと糸につむいで、機でカタカタと布に織って、そうして糸で縫うて着る。こんな事ばかりに掛かりどおしになります。それから世の中の恩を受けないというならば、今日の汽車にも、自動車にも、飛行機にも、船にも乗れん訳です。そうすると、まことに牛や馬と同じようで、苦労のあるだけをしなければならんことになります。
理屈をいう人があって、それはもうける為に汽船をこしらえて、人を渡しとる。つまり渡しの商売です。海を渡る商売もうかるからと言えばそうですけれども、もしそういう物が無いならば、あなた方は海を渡るのには、タライで渡る訳にもいくまい。昔の人は丸木舟といいまして、大きな木の枯れたのを倒して、それを石の斧でコツコツとけずって、真ん中をへこませて丸木舟を作り、それに乗ったものです。そんな事せなければなりません。
それで、世の中は、船をこしらえる上手な人は船をこしらえる。航海の上手な人は船乗りになる。魚釣りの上手な人は漁師になる。米作るのが上手な人は米を作る。自分の得手でこしらえた物を、自分の必要な物と交換をして生活しています。このような生活は、余り遠くはありません。日本でも二千何百年前、物と物とを換えたのです。物々交換といいまして、お金がありません。得手の物を作って、自分に必要な物と交換したのです。それが今日は金というものができまして、各々が分業になりました訳で、不自由なく生活が出来ています。世の中の恩というのは、そういうことでございます。
それから今度は衆生の恩という事ですが、日本に生まれているからよろしゅうございますけれども、アフリカとか未開の地で、何も設備の無い所で生まれたらどうですか。人のお陰が受からないのです。そういう事で、どうぞ四国八十八ヶ所へ出ましたら、道で行き交う人に、皆会釈をしてあいさつして通りかわしておる。これすなわち衆生の恩を報いよるのでございます。そういう風にいつもながら、すべての事を恩に着て暮らすという事が一番この信仰が進んだ、出世の道になる訳だと、こう泉さんが教えて下さった。誠に結構な事と思います。
(昭和三十五年三月十五日講話)
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