111~120条

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第一一一条 「風呂から出て、二度目に入ると湯がぬるい気がする。これは湯が冷えたのより、自分の体が変化したのに気をつけたがよい。すべて世の中の事もこの通り、まず自分を知らねば 間違いがおこりやすい。」


これは冬寒い時に風呂に入って、裸になって、風呂の所へいって足をつけてみると「あいた、こらまあ沸き過ぎとるわ」と思うて、今度ぶり湯をそろそろかけて水を入れて、ちょうどよいかげんになったと思うて中へ入ってみると今度はぬるいのです。これは体が冷えすぎとるからぬるいのがあつく感じるのです。これは人間ばかりではありません。そういう事は間違いがよく起こる。これは湯がわきすぎとるから、熱いのでもなし、湯が冷えとるからぬるいのでもないのです。湯と自分の体との温度の差の違いが大きいほど、やけどしたり、こおったりするのです。その証拠には、今は大分寒うなりましたが、もう少ししますと霜が降りるようになります。すると菜の葉の上へ、あるいは道端の草の上に霜が白うに白粉ぬったようになっております。真っ白になっとる時に井戸の水をくんできて、菜の葉にかけてご覧なさい。菜の葉が煮えてしまいます。ぐにゃっとして、ちょうどお湯で煮たようになります。それは泉の水が沸いとるのかというと、そうじゃないのです。つまり泉の水はあれでも十五度位あります。菜の葉は霜が降りて 真っ白になっとるのですから、寒暖計つけてみますと零下何度になっています。その泉の水と菜の葉とが温度が二十度以上違っております。二十度以上違いますと、ゆでたのと同じようになるのです。もし菜の葉がこんどぶり霜が降らずして、菜の葉が十五度あるとしましたならば、三十度以上の湯をもっていかなければ煮えません。泉の水の十五度やそこらのもので煮えるということは、相手方がつめたいから煮えるのです。
これと同様にあなた方がふろに入って、今度二遍振り入ってみると自分の体が湯でぬくもっていますから、湯がぬるいのです。これは最初、ふろに入る時分に自分の体温とふろの湯とが差がついていますから、その差が自分に感じるのです。この一一一条に書いてありますことは、ふろのことを書いてありますけれども、これを人の日に日にの暮しの上へ持ってきたら、どうなりましょう。
「ここに昔からよく言いますが、衣食足りて礼節を知るということをいうのです。暮し向きが豊かになって来ると、人は礼儀を重んずるようになってくる。こんなこと言うのです。もしここに食べる物がない。働きが出来ない。そういう時分には、大変世の中が狭く見えるんじゃそうです。それは自分がつらいめにおうていますから、無事に生活しているものが、うらやましく見えるのです。
これにつきまして、私に一つの体験があるのでございますが、昔の監獄所、今の刑務所です。あの刑務所を出た人があるのでございますが、二十三遍入っとるのです。二十三遍目に満期になって出て来た人がある。その人がすぐに人をきょうかつしたりして、金をもらうのです。どすを引抜いたり、ピストルを見せたりして金を取るのです。その人が私に不思議にご縁がありまして、その人が助かったのです。金もうけが出来るようになったのです。そういうお世話を私がしたのでございますが、沢山金がもうかりましたから裕福になって、気が伸び伸びしてきたのです。
その時分に私聞いたんです。「おまはん、この頃はえらいおとなしくなって、あの慈恵院へ寄付したり、お接待したりして、人を喜ばすことしよるが、あの二三年前に刑務所から出た時分に人を切ったり、おどしたりしよったん、あれどない思いよった。あの時どない見えたぞ」と聞いてみたのです。そうすると、その人が言うのには「私は二十三遍も監獄所へ入りまして、こんどは改心してまじめに働こうとして出てくるのですけれども、人が相手にしてくれません。私が悪いことしたからおじるのは、無理はないけれども、日雇に使ってくれるんじゃなし、余り恐ろしいこと言うと警察へ言うていったりして、世の中の人が皆鬼に見えました。」「うんそうかなあ、なるほど、おまはんが言う通り、そういう目になって金をもうける方法がつかない、そうすると人が憎うなるかなあ、そうしておまはんは分限者の人をようおどしょったんじゃがどういうもんなら、まあ金が取りよいということもあるだろうけれども、分限者の人と 分限者でない人とどういう見ようが違うか」と聞いてみた所が、「分限者の人ほどいやらしいに見えた」というのです。「あるのにくれん」そんなこといっていましたが、改心した後には、お父さんお母さんのお墓もきれいに作ったし、又困っとる人にお接待もしておりましたが、まるっきり生まれ変わって、お月さんとすっぽんと位違うような生活をしまして、金に埋って喜んで死んだのでございます。これなども自分が悪いことをしとる、だから人にきらわれるということは知っておりますけれども、人に接した時分には、自分の悪いことは、棚に上げてしもうといて、きらう人を憎んだのです。ちょうど自分の体が冷えておったらぬるいお湯が、よう沸いとるように思うのといっしょで、湯の方は変わりないのです。自分が冷めたいのです。と同様に、その二十三遍も監獄所へはいった人は、自分が悪い事をしとるからして、人がきらうという事を棚に上げておいて、人の方がいやらしいと、こういう風に言うとるのです。所が自分がまじめに働いて、金が出来て気安うなりますと、今度は慈悲心が出来る。せこい者はかわいそうだなあ、わしも苦しかった時分に 考え違いしたというので、お接待が出来るようになる。そういうようなわけで、この一一一条に書いてあるのは、まず自分を知れということです。
これはよくあります。お父さん、お母さん、あるいはじいさんばあさんが、非常に利己主義であって、世の中の人と余り交わっておらん。世事になれておらんという家に生まれた人は、なんとなく身に徳がついていません。人がいやに感じるのです。ところがそういう家に生まれた人は人がきらう。なぜきらうかということを知らんのです。因縁によって、人にきらわれる因縁もって生まれてきとるのです。それを知りません。そうすると自分の点というのを知りませんから、人からきらわれた、そのきらわれたということを憎むようになるのです。ここが大事な所です。
まず、自分を神仏が好いてくれるだろうか、自分のような心がけの者を、好いてくれるだろうか、どうだろうか、こう考えてみるのです。まず、自分ということを知ることです。ちょうど自分の体が冷えとるのに湯が沸いとらんのが熱いように思うんで、自分の体冷えとるんじゃ、湯がぬるうても、あつうに思う、こういうことがわかるのです。
どうぞこの祖先伝来そういうきれいな家庭であったかどうか、それを考えて自分の心を吟味することです。自分の心を自分でに裁判するのです。ああ、わしは一人前通らんわい、ということを知って初めてお陰になるのですから、どうぞ自分は真直ぐなもんだ。自分はひとつも、ゆがんどれへん、こう考えることが間違いで、もしそういう場合に人からきらわれた時には腹を立てるのです。こういうことになりますから、どうぞ自分を知るということは一番大事なことです。これはあなた方ご経験があると思います。
何も悪いことするんじゃなし、別に人の欠点というのは、見えないのですけれども、何となしに、いやな人があるものです。これは因縁です。先祖伝来善いことを積んどらんからそうなるのです。先祖伝来よいことを積んどる家にはなんとなしに人にかわいがられる子が生まれてくるのです。その子はかわいがられるからゆがみません。ゆがまんからして徳が積める。益々よくなる。こうなるのですから、因縁というのは恐しいものです。どうぞお子さんであろうが、孫さんであろうが、これは現在自分が今生活しておる所の、その心の状態が子供しにつき、孫さんにつくのです。今が未来になるのです。未来が現在になってくるのですから、どうぞその徳を積むということは、因縁をきれいにするということですから、どうぞここを、泉先生が教えたので、ふろにかこつけて、教えておありになるのですからどうぞ自分を知る、家の家庭の風は、これでええか、人がおらないとよそのものでも、ひっぱり込んだりするような、そんな人はありませんけれども、悪い因縁作るようなことを毎日していないか、それを今度、子や孫が知らずして、受けた時分には、世間からきらわれるのですから、因縁というのは今の人が作っているのでございます。それが 未来で実がのってくるのですから、どうぞこの自分を吟味して、これで真っ直ぐに通れるか、通れんかということを自分が調べるのです。これが一番大事な事でございます。
(昭和三十四年十月三十一日講話)
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第一一二条 「算盤をするのに答を出す事に心配するよりも、今の運算に精を入れる事が肝要である。運算に間違いがなければ答はひとりでに正確に出る。人の一生の仕事も この通りである。」


これは学校であなた方皆ご経験があるでしょう。先生から問題が出ます。その答えが、正しく出るか知らん。答えが間違うとれへんかしらん、色々心配なさる。それはいらんと先生はおっしゃるのです。それよりも運算です。
運算が間違いなくできていたら、その一番しまいの答というのは、ひとりでに出来てくるんだ。これは先生が長年の間ご修業なさったことでお気がついたから、こういう事を教えとるのでございます。算盤になぞらえて教えとるのです。これは答えが十になるんだろうか、十五になるだろうかというて心配いらんというのです。
もう一つ言換えると、わし出世するだろうか、出世せんだろうか、出世すりゃええのに、失敗せえへんかいな、こんな心配いらんというのです。それよりも日に日にしよることが、これで神仏の道に教えに合うとるのだろうか、合うとらんのであろうか、このわしが今している所のこの諸作は、神仏がご覧になって通るだろうか、通らんだろうか
その自分の心を見て算用して、神仏がお許しにならんと言うことは絶体にしない。神様にほめられることだけをして行くということが、すなわち運算に精を入れとるのです。今のすることに精を入れる、今しよることが日に日にそれが積っていてその人の結果が生まれてくる。すなわち成功するのと、失敗するのと、運よくいくのと、不運に終るのとは、運算が間違ごうとるのです。答が間違ったんでない。運算が違うたから答が違ごうてきた、先生は日に日にしよることそれをいちいち神様の教えに合うているかな、合うとらんかなあということは自分が考えるとわかります。
教えに合うてさえおれば、勇み進んでしてよろしい。たとえどんなかっこうが悪いことでも、どんなに人が笑うようなことでもかまいません。お教えに合うていたらええのです。そのお教えに合うていない。これは神仏にとがめられるわいということをちっとでも重ねていると、それが重なって来て多くなって、しまいには落第することは間違ないのです。算盤でもそうでしょう。今鉛筆もってあるいは算盤をもって計算する。その計算の筋道さえ間違うていなければ、答は必ず立派に出ますから、どんな偉い人がしても、どんな偉くない人がしても、答は正確に出るのです。
これを先生は、算盤にたとえて、おっしゃる、このたとえはよく出来ていると私は思います。あなた方がそろばんするのでも問の運算にさえ間違がなければ、答は立派に出来るのです。
もう一つ言い換えると、神仏の教えにさえ合っておるならば、我はこんで出世するかいな、せんかいな、運よういけるかいな、いけんかいな、そんな心配いらん、運良く行けること間違いなし。望がかなうこと間違いなし。太鼓の印押してもかまいません。ですから、どうぞ 日に、日に、一月一月、これが積もって一年の計になるのですから、どうぞ一日一日を、神仏の教えに照らして間違いのないようにしておいでるならば成功は疑いなし、運良く行くこと疑いなし、簡単でしよいでしょう。このしよいことを、どうしてようせんのな、と先生はおっしゃったのです。どうぞしにくいことはしなくとも、こんなしよいことをして行こうではありませんか。これは私が泉先生のお心を、お伝えするわけです。
(昭和三十四年十月三十一日講話)
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第一一三条 「人に好かれる人になりたければ、我が心に好かれる人となれ」


これはだれしも人に好かれたいという事は同様でございますが、人に好かれるというように修養するのには、自分の心で、自分が良い人だとか、丸い人だとか、自分の心で、自分が自分を好いとる人になると、必ず人が好くと、こういうことでございます。これは、まことに泉先生のようなお師匠さんなしで、ご自分でに、大勢の人の中に、交わって修養なさった人の意気があらわれております。何も教えてもらわずして、人の中で先生が修養なさったのは、こういうお考えであったのです。これを詳しく申しますと、人の心の中に、仏性というのがありまして、つまりこれは魂です。良心ともいいます。何かしようとすると、よいとか、あるいは、して悪いとかいうことが自分の心の中で判断が付いているのです。先に、そのさばきをする役がすなわち仏性です。
この仏性というのは、むつかしくいいます、第八識、阿頼耶識とも言います。つまり昔からよくいう、人ごとに守り神が付いておる、その守り神のことです。自分が自分に好かれるという事は、人間の自分の根性前を、仏性がよい人であるとか、悪い人であるとかいう判断をしておる事をいうのです。もう一つこれを言い換えますと、自分の心の中にある第八識でございますけれども、これを離れて神さんが自分の体に付いておる。あるいは神さんが守って下さっておるという見ようをいたします。その人間がしよる事を守り神様が始終見て下さっている。その守り神さんに好かれるような人間になれという事なのです。これは泉さんがご修養なさった大変大事なところでございます。
いつも神さん、仏さんが自分の言ったり、したり、思ったりした事を見て下さっておるという事なのです。これが早、既に、先生の信仰の深い事を証明しています。人に好かれるという事は神さんに好かれる。人間なら無論人間に好かれるんだ。こういい換えられる訳なんです。これを人、一人の心の中を二つに分けているのです。自分の行いを 自分の心の仏性がほめて下さることになるのです。
これはあなた方が、よくお考えになるとわかりますが、いかなる悪い人、いかなる極悪非道な人でも、芝居を見て非常にお気の毒なとか、あるいは悲しいとかいうようなのを見ると、必ずそれに情が移る。忠臣蔵なんかの芝居は どんな悪人が見ても頭が下がる。これはつまり悪人といえども、心の中に仏性がありますから、その仏性がほめておるのです。
自分に好かれる人間になれ、こういう簡単なことですけれども、これは大事な事です。ところが自分に好かれる人になれという事で、よい例があります。警察の方々が犯人捜査のため、停車場当りで張り込んでおりますと、普通の人の目つきとちがって、犯人の目の使い方はおかしいそうです。これはどうしてわかるかといいますと、この犯人は自分の心の中の仏性というものに、お前はよう人の物を盗むとか、悪い人間だとかいうことをねらまれとるのです。
自分の心に、自分がねらまれているのです。その有様が警察の方の目に映るのです。ひどいものです。自分の心に好かれていない、きらわれている証拠が外へ表われているのです。それで警察の方が目を付けて、調べるという風になるのです。いかなる人も自分の心のうちに神さんがある。すなわち仏性がある。その仏性に好かれる人になろう。 なったならば、必ず人に好かれる事間違いない。先生がご経験をお話ししてあるのであって、大変面白い所でございます。
若しこういうことを考えてご覧なさい。陰である人の悪口を言った。すると、その悪口というものは、仏性からいいますと良心といいましょう。私はどうも、人の悪口をいう、良くない人間だということを、わがが知っているのです。そこへその悪口いうた当の人が来たとしますか、その人にりっぱにあいさつできますか、まるで上がったような木に竹ついたようなあいさつしたりするでしょう。するとあいさつを受けたその人は、何か知らんが面白くない。いやだという空気がするのです。「おかじ」をしてもらうとき拝んでいる人はよくわかる。と言いますけれども、おかじをする人だから、わかるんじゃありません。だれでもわかるのです。だれでも感じはわかるのです。けれども、詳しいにはわからんだけのことです。今自分の悪口を言っていた人の所にヒョット行き合うた時分に、何だか、おかしい気持がするのは、第六感のはたらきです。その証拠に、そこの感じが悪いんです。
こういう風に人の悪口をいうた場合に、自分の良心にとがめられる訳です。自分の心に好かれていないのです。
自分に好かれんような人は人に好かれんという。これが証拠でございます。どうぞ自分の気に入った自分にならないといけません。自分が好いた自分にならないと、世の中に出て幸運に行けないわけでございます。これは簡単でございますけれども非常によく言い表わしていると思います。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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第一一四条 「わが子のかさ頭は、親は、かわいそうに思うてなでるが、人の子のかさ頭どころか、鼻汁を出しておったら 早きたながり、きらうようになる。いい換えたら我が子へ向けては、神心を出せるが、人の子に向いては、鬼心になりやすい。それで小さな神にはなれるが、大きな神にはなれぬともいえよう。いずれへ向けても変らぬ心を持ちたいものである。」


この教えを一口で申しますと、自分と他人との区別がひどいということです。偉い人になるほど、自分と人との区別が付かないのです。自分が人に物あげても、自分の好きな物をあげる。すなわち自分と人との区別をしておらないわけです。子供の頭によくもの(腫物)が出まして、かさぶたになるでしょう。それがかゆい、その親はかくと、かさぶたが取れてはげになる。それはいかんというて、オゥオゥと言うて、その上を軽くたたいてやったり、あるいはなでてやったりしますが、よその子になって来ると、かさ頭をなでてあげるどころか、鼻汁を出しておると早もう胸が悪い、きたない、こういう感じが起こる。偉い人になるほどそれが少ないのです。ほとんど他人であるという根性を使うておりません。これについて、私は泉先生に非常に感じ入ったことがあるのです。
あなた方は八栗山の四の剣へおまいりになりましょう。あの四の剣の岩の根本に大きな岩屋があります。そこにおまつりしてあるお不動様、金時不動様と皆がいうておりますが、私がある日、泉先生のお供をして四の剣へ参りました。そうして、岩屋の中へ先生がお入りになる。私もお供をして中へ入って拝みましたのですが、その時ちょうど、お遍路さんが一人籠っておりました。その岩屋の片角にはお鍋、土瓶、お茶椀、箸とか、お所帯の道具などをだんだん置いてありました。そこで泉先生はしばらく、お不動さんを拝みになりました。常ひごろ、先生はあんまりのどがかわいたなどおっしゃらないお方ですけれども急に水がほしくなりましたのか、お遍路さんに「まことに相済まんけれども、もしお湯のあまりでもありましたら下さいませんか」とおねがいした所、お遍路さんは「ハイハイおやすいことでございます。」と言って、その横にありました、お椀を洗おうとしました。それは椀には、お遍路さんがいただいたぞうすいの跡がサラエでかいたように筋が入っていたからです。ところが先生はそれを止めて「ああ、それは洗わいでも結構でございます。どうぞそのまま」と言うて、そのオミイサンの筋がついているお椀をお遍路さんからもろうて、茶瓶の水を入れてもらおうとしてさしだしました。ところが、さすがお遍路さんも自分の食べさしが入っているのですから、気の毒に思ったのです。「それは私が今オミイサンをいただいたんですから洗わなんだらいけません。相済みません」と言うて又先生の手から、そのお椀を取ろうとした所が、先生は「いやいやあんた方のような修業なさった方がお上りになった跡をいただいたら、有難いのでございます」と言って先生は離しません。
お遍路さんも止むを得ず「それでは、ご免こうむります。」と言って先生の持っておいでるお椀の上へお茶の余りをなみなみと入れたのです。先生は「有り難とうございます」と押しいただいて、一気にグットあがってしまったのです。「ああ有り難うございました。大変のどがかわいていたのがこれで治りました。有り難うございます」と言って丁寧にあいさつして先生お辞儀なさっていました。私はその横でそれを見まして、ああ、どうも、我々には自分と人との区別をあんまりしすぎる。自分が食べたお茶わんのよごれたんでは、水を飲むが、人が食べたお茶わんのよごれとんでは、よう飲まない。ああこれは恥かしいことである。泉さんはそういうお遍路さんの持っている道具を押しいただいてお礼を言っている。私は実にこれに感心いたしました。そこでお遍路さんにおいとまして山を下ったのでございます。これは一例でございます。
先生は、いつも何事によらず、又いかなるお付き合いの上の事でも、自分の内の事と、外の事とは区別なさらないのです。人の困っとる時には、お手伝いをする。先生の頭には、他人というのは、無いのです。ですから、りっぱな生神と言われ、又大きな力をお授かりになった訳です。先生はいつもこういうお考えですから、どなたに向いても、自分の家族同様のお付き合いをなさっておりました。
つぎに話は変りますけれども、弘法大師の事を承りますと、弘法大師は、四海兄弟とおっしゃっておる。つまり、世の中の人全部兄弟だ。親子兄弟だとおっしゃられとるのです。そうすると泉さん等は口にはおっしゃらなかったけれども、行いの上を拝見しますと、全く親子兄弟と同じようなお付き合をなさっておったのです。ただ口の上ばかりだけではありません。食べる物でも、あるいは着る物でも、皆そうです。この一一四条に書いてあることは、人と自分の身内の者と区別するなという先生の教えなのです。一口に言えば、先生が常におっしゃるばかりでなしに、時折りそれを拝見するのです。
先生のお身の上に付いてお話しすれば沢山の例がございますが、その一例といたしまして、ある日先生が、あの松原の八幡さんへお参りにおいでたんです。所がそのお供に亀太郎さんが付いて行っていました。私も参りました。
で、八幡さんに仁王門がありますが、あの門の所に、寒い日にお遍路さんが胴を丸うして、うつむきこんでいるのです。それで先生は、そこへ寄っておいでて「あんたは、どこかお悪いんですか。」とおっしゃると、お遍路さんは、「ハイお腹が少し痛みます。」すると先生はうつむきこんでいるお遍路さんの腹を押さえて、さっそく帯を解きまして、ご自分の着物をお遍路さんに着せたのです。「お遍路さん、おまはんは寒さで凍えて、お腹へあたっとる、この着物上げますからお着なはれ。」 お遍路さんあまりの情け心にかんじて、うれし涙を流してお辞儀をしました。
先生はまた亀太郎さん(お弟子)にも「おまはんもじゅばん温もっとる襦袢一つおあげ」といいました。亀太郎さんびっくりしましたが、先生がおっしゃる通り肌襦袢脱いで、お遍路さんにあげました。しばらくするとお遍路さんのおなかのいたみもなおりました。お遍路さんは涙を流して喜びました。これというのもああいう偉い、お陰の厚い方の着物をもろうて体に着たんですから治るのも道理です。先生はニコニコとして「ああやれやれくつろいだ。まあ 結構じゃな。」言うてそれから先生は八幡さんをお参りしてお帰りになりました。
お帰って「ああ、ばあさん、着物出してくれ」「先生、着物どうなしたんで」「いや道でな、寒さに凍えとる人があってわしの着物脱いで着てもろうた。ああ気持がええ」と、奥さんは「ハィハィ」と言うて、タンスから先生の着物を出して差し上げたのです。もうまるであげたのだか、もろうてもらったのか、ご自分がやれやれくつろいだとおっしゃっています。それを見まして私は考えました。ああ人の運というものは突飛に来るもんじゃない。こういう風にして日に日に何事によらず、人と自分との区別せずして、こういうような生活をするならば、そのまま神さんが体に移るのは当然だ。無論、そうなれば運がよい、私はそういうことをよく拝見したのでございます。
この一一四条に書いてあることは、我が子のかさ頭にたとえて書いてありますけれども、泉先生の如き方にお付き合い申すと、すべてがそうです。それで、あんた方も一つ私の申した事をためしてご覧なさい。先生は、ああ気持がよい、くつろいだとおっしゃったのですが、そういう風に、人に我が親子兄弟のような情を持っていて、人の困った時に救うた時の気持というのは、本当に、ああくつろいだ、ああ気持がよいという、口へ出るような気持だろうと、私は思うのでございます。そうなると、無論、家の運も良し、又、神仏のご縁も濃くなると思います。まことのこれが信心、一一四条は、先生の事を見まして、私が書いた訳でございます。
それからもう一つ、この一一四条と信仰とに連絡のある事がございます。泉先生はあの「帰命天等は、日天月天」とお唱えになって、後でお話しなさるんですが、その時には、すでに泉先生の心の内へと通うて来るものがあります。それは、どこから通うて来るかと言いますと、その拝んでもらっている人の心の歴史が、先生へ通うて来るのです。ちょうど電気ならば針金を引いて、電気が通うという風に、つまり自分と他人、の区別なく自他不二。そういう訳ですから、人の経験そのものが先生にずっと移って来るのです。よい事でも、悪い事でも、すべて歴史がうつって来る。そうすると因縁がわかりますから、助けることができる。こうすれば助かるという事が先生には、すぐおわかりになる。あの驚くべき信仰の力というものも、どこから出たかというと、一一四条に書いてある通り、自分と他人の区別しないという所から生まれて来るのです。どうぞ、なんであんなにようわかるんかという事をお考えにならずして、ああ、あれは人と自分の区別をせんおかげの為に、神さんの力がそこへできて来るんだ。こういうように解釈なさるとよくわかると思います。
(昭和三十五年十一月三十日講話)
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第一一五条 「人はちょうど、猿が箱に入れられたように 何も考える事なく、あちらの窓、こちらの窓と、むやみにのぞき回って日を暮すようではならぬ。人ごとに違うけれども、天の使命に従って務めを尽したいものである。」


動物園では、猿は広い所へ放してありますからそうもありませんが、小さな箱の中へ入れられている猿はあちらの窓からのぞき、こちらの窓からのぞき、天井へ舞い上ったり、又、下へおりたりしている。何をしているのか、何も考えずして、あちこちあちこちとやっているのです。泉先生がそれを人間でも猿が箱の中へ入れられたように、チョコリンと窓からのぞいて、引っ込んだり、又のぞいたり、又引っ込んだり、猿とかわらないことをしている人があるといっている。人間が暮すのには、ここに一つの目標があって、何が為に働くのであるか、何のために 金をたくわえるか。何のために体を丈夫にするか、それぞれ目的ある。たとえば丈夫な体でお国の為、ご先祖の為、人の為に働くんだ。自分が働くという事は、国にご奉公、国にご奉公せんならんから働くんだ。お礼返しだ。こういう風な考えで、自分が働く、そうなりますと働く事でも意味がある訳です。
「それを同じ働くんでありましても、働きとうは無いんじゃけれども、生きとるから食べんならんから、働かんならん、おおけ頼みもせんのにわしを生んでくれて、たいへん迷惑じゃ。そんな事言うと、ちょうどお猿と同じになるんじゃ、これは泉先生が猿をご覧になって、人間もあのようではいかない。必ずここへ生まれて来たのは、目的があるのに違いない。その目的を知らぬからじゃとおっしゃっているのです。
たとえて見ますと、ここに一つの植木がありまして、その植木にきれいに花が咲いておる。その花に尋ねてみる。「お前何しに花を咲かしとるんなら。」と問うた所で、その木は花が咲いとるのを知りますまい。けれども、人間という知恵のある者からみますなれば、この花が咲いとるのは蝶や、蜂や、こがわむしを此の中へ呼ぶ為にきれいな花を見せとるのだ。ブイブイが飛んで来る。蝶々が来る。その花の中へ入ってみつを吸う、混ぜ返す。すると雄しべの花粉が散って実がみのる。まあ虫のお世話になる。今日梨でも人間が交配さしていますが、ああいう風に花を混ぜ返す、そうすると実が良く実るのでございます。その為に花を咲かしとります。人間がみると、そうみます。そうしてこんどは、実がのった場合には、その実に味がある、おいしい。人間に重宝がられて、おいしい。あっちもつごう、こっちも種まこうという風に、人間によって方方に自分の子孫をまいてもらおうという為に、実がのっとるのだ。 こういう風に、人間が考えると、花が咲き、実がみのるのでも、目的がある訳です。しかしながら「おまはん、何しにここへ生まれて来たんなら」と言われたら、人間自身は知りません。知らんが神さんはお知りになっている。 ちょうど花が咲き、実がみのるのは、先刻お話しし今お話するような場合に、花には目的がある。実にも目的があるように人間がここへ生まれて来るのにも皆天命があり、任務がある訳です。ただ人間が知らないというだけの事で、その任務を教えるのが信仰なのです。
それではどういう任務があるのかと言いましたならば、それは自分の手に合うた仕事をししとしてやる。そうして世の中へお礼返しをして行く。日常にはいつも拝み合いの生活をして、すべて親子兄弟のような風にすべきものだ。
なぜそんなにするんならといいますと、それはこの世の中を極楽に変えるんだ。極楽にかえして行く為に、この世の中へ生まれて来たんだと、お大師さんはこうおっしゃっとりますが、それは人間自身が、目的知らんけれども、ああいう風に偉いお方になるとその目的がわかる。ちょうど草の花や実がなるのを人間から見て、花を咲かせる目的、実をならせる目的を知っとるような風に、人間の目的も神様から見れば、そうなっております。
この間もお話いたしましたが、ソロソロと人間は殺し合いを止めようではないかという相談ができよります。こんな大きな武器ができて一ぺんに何十万も死ぬような事になると、皆殺しになる。もう戦争やめんかというような話がボツボツ出かけておりますと同様に、お互いに国と国とは共存共栄で行こうではないか。すなわち、これは信仰でいう極楽世界をここへこしらえようとしておるのです。そういう風にソロソロと世の中は極楽に近づきつつある訳でございます。
この一一五条は、お猿を箱の中へ入れてお猿がその中から覗いては舞い上がり、おりてきては又覗くというようなそんな意味なしの生活をせずして、自分がここへ生まれて来た。その任務というものは、極楽世界をここへこしらえるんだ。死んで極楽へ行くんだ。そういうような事は細かな事であって、此の世の世界を極楽に変えねば、本当の神仏の目的は達せられないのです。こういう大きな目的の為に働くのです。日に日に拝み合いの生活をし、日常生活は仲良く暮し、助け合い、間違った事はしない。こういう事は極楽世界をこしらえる下ごしらえです。こういう風に泉先生はご覧になっているのです。まことに泉さんのお考えは、いつの世が来ましてもすたりません。泉先生がお国替えして四十年になりますが、その時には、世界平和のことなどさけばれていなかったのですが、泉先生のその時に思ったことが今日実現しつつあります。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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第一一六条 「ボーフラは、やがて空飛ぶ運あれど、水中の時代は、水中で怠らぬ。」


ボーフラにたとえまして、人間の一生というものは、時と場所とによって、色々自分の身分に変化ができ、あるいは又運にも変化が出来るのであるけれども、そういう事は、現在の事に注意しておればよいのだ。こういう先生の教えなんです。もし このボーフラが水の中におる時に、やがて自分は蚊となって飛ぶんだ。やがて人間の血を吸うんだ。このような考えで、水の中でボーフラらしくしておらなんだ場合は、必ず外の者に喰われてしまう。又出世もできない。こういうことをいうておるのでございます。これは何もボーフラに限りません。
あんた方ご承知の、夏、木の枝でせッセせッセと鳴いておるあの蝉でございますが、幼虫の時代はニュードウ虫のようなかっこうしております。そうして泥の中におるのでございます。これが日時がたってくると、ソロソロと着物を脱ぎ替え、その脱ぎ替えた後には、羽根がはえとります。穴からはい出して来る、丸い穴開けて、土の中から出てきますが、まあ半時間位は木にとまって、じっとしておりますが、やがて、空を飛びます。これがまことにその不思議なことでございまして、親が教えたのでもありませず、だれも先生は無いのです。自然に蝉の先祖伝来、生まれ変り死に変り、何千年、何万年の間にああいう事が、自然と稽古が出来てきて、教えないのに自由に、親の通りにする。こんなのを本能と申します。これは虫の話でございますが、もし人間の一生で蝉とか蝶々のように、大変に自分の境遇が変わるという場合に、これを考えぬというと誤るぞという泉先生の教えです。
たとえて見ましたならば、あの芝居なんかでします太閤記、あの芝居する秀吉です。羽柴筑前守秀吉、これは最初はぞうり取りです。松下嘉平次というお侍のやっこになりまして、いつも殿様がおいでる時に懐に草履を入れていて、それをおはき替えの時に差し上げる。これが草履取りの役です。所がそのぞうり取りがやがて十年もすれば立派なお侍になる。二十年後には天下を取って将軍職に付くという運命を持っとる訳です。 しかしながら、草履取の秀吉は、藤吉郎というておりましたが、その藤吉郎は、殿さんに冷たいぞうりをはかしてはならんというので、いつもぞうりをふところに入れているのです。そうしてぞうりを作るのも、秀吉公ご自身がぞうりをつくるのです。よい藁を柔く打って、はき心地のよい物を殿さんに差し上げる。すると殿さんのお気に召す。又履いた時分に柔かくて暖かい、こういう風に、ぞうり取りをしても、ぞうり取りの中で一番良い成績を上げたのです。そのぞうり取りの時分に、もしもおれは天下を取る運勢に生まれとるんだというような風で、自分の身分に過ぎた理屈を言う、又ぞうり取りなんかする人間でないんだというようなごう慢不礼な行ないが、もしあったならば、殿さんがお気に召しません。出世しません。のみならずほう輩から恨まれて排斥される。そうしてとても天下を取るどころかひとかどの侍にさえ、なれなかっただろうと思います。あるいは運が悪かったならば、ああいう戦国時代でございますから、すぐに切って捨てられる場合もあります。
そういう風にやがて天下を取る将軍職になる所の秀吉でさえも、ぞうり取りの時分には、ぞうり取りの中の立派なぞうり取りという訳です。又出世いたしまして信長に仕えるようになりました。松下嘉平次の所をおいとまいただいて信長に見込まれて信長の家来になった時、その時の羽紫筑前守秀吉です。もう藤吉郎とはいいません。ぞうり取りでないから藤吉郎でない。羽柴筑前守秀吉という名前を信長からもらったのです。信長は、時は戦国時代でごさいますから、いつ敵が攻めて来るかもわかりません。ほとんど日本の国を平定いたしまして、強い者は大方片付けた。
しかしどうも天下を治めるには、城が堅固でないといけないというので清州の城を築きかけたのです。あんた方がどこへ行っても城がありますが、徳島城は櫓がありません。高松は、櫓があります。伊予の松山にも岡山にもああいう風に角櫓が残っております。あれが、長い大きな石垣の上にズラッと、ああいうものが並んで中々一角の城というものは、大変な工夫とお金が掛かっております。信長は清州の城を奉行に命じて築かしておりました所が、秀吉はその時奉行ではありません。あの時はまだ端侍で信長のお供をして清州の城を見に行ったのです。ところが信長は清州の城ができつつあるのを遠方から眺めて、今度はりっぱな城が出来るなあーと、そう思うて見ていたところが、秀吉は、まだその時は羽柴筑前守秀吉という名もろうとりません。秀吉、ただの秀吉「ああ、危ない、こら危ない、ああ、どうも危ない。」そんな事ばかり言っている。と、信長がそれを聞きとがめて「秀吉、お前は何を言うとるんなら。」 「いやどうもご前は、日本の朝倉藩という強い所の城を落し入れて、もうほとんど、日本の国はあなたが平定なさいました。けれどもあなたのお持ちになっとる城は、まことに昔の城で、小さく貧弱であります。それで今度はこういう大きな清州の城をお造りになるという事は、誠に結構な事と思って私は喜んでおりますが、まだ半分しか出来ていません。これでは危い事だ。これは、まことに危い事だ。とつい口にすべって出ましたのです。お許しを願います」 信長公はじっとそれを聞いておって、いかにも秀吉が言うとおりだ。今天下を大方平定したとは言いながら、いずれも負けた者は恨みを含んでおる。仕返しにいつ来るかわからない。それに、自分が立てこもる城がない。こういう事になれば秀吉の言う通り実にこれはあぶない。「そんなら秀吉、お前は、どういう風にしたらこれが早くできるか。」 「さようでござります。まことにただいまなしておいでる所のお奉行につけて相済みませんから、秀吉がそういう事を進言したと言う事は、ご遠慮願いたいのでございます。私には一ツの方法がござります。今予定日数の半分位で、できてしまいます。」「うん、よしよし、おれはお前の事言わんがどういう風にするんじゃ。」「さようでございます。これは今、城全体の働く人が自分の責任という事を考えておりません。仕事したらええ、ここから、ここ迄をおれの受持ちだという一つも責任を持っとりません。だから、城をつくるだけであって責任がありませんから、心のこもったものが出来とりません。」「なるほどなあー、それではおまえ立派に早く出来る方法があるのか。」「ございますこれは責任を持たしたら宜しいのです。」「それではお前に新奉行を命ずるから、急いで代わって監督をせい。」 「承知致しました。」というので清州の城をきづきはじめました。櫓をする者は櫓をする、塀をする者は塀をする。地盤を築く者は地盤を築く。こういう風に部所を決めまして、その部所ごとに責任者を置いて、責任を持たしました所が、見る見るうちに清州の城が出来上ったという話が残っております。
こういう風に、秀吉はぞうり取りの時には、草履だけを日本一のぞうり取りになる。小奉行になった時には、小奉行だけの仕事をしとるわけです。今度は大奉行になった時分には大奉行、もう知恵を小出しにして決して一ぺんに出さない。だから人の恨みがない。こういう風に今現在、自分の地位だけに力を入れた訳なのです。その事を泉先生はボーフラにたとえておっしゃっとるのです。
で、あなた方も考えてご覧なさい。今自分は何をしたらよいか。今自分としてはどういうことをするのが自分の家に対する務めであるか、世界に対する務めであるかということを、自分の現在の地位をお考えになってご覧なさい。
そこで一つの発見するものがあると思います。これは今の自分は如何にはたらくのが一番よいのかと考えてみると、そのこたえは、現在を忠実に働くことだとなります。泉先生のこの教えが一一六条でございます。
まことにこれはボーフラにたとえて話をしてありますが、先生のお話は、いつもこういう風に虫とか、魚とかそういうようなものにたとえてよく事をわからして、しかる後に、お前であったらどうするかと、こういう風に使えるように教えて下さってあるのです。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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第一一七条 「不思議は多いのがよい。何事も不思議が起らず、理屈でおさめてしまうのは、神に縁がうすい人である。」


不思議が起こらんというのは、頭がにぶいか、又は理屈でそれを解決してしまうからです。理屈に合わん物は、そんな事ないとこういう風にしてしまうので、いつまでたっても、神さんのご縁ができんぞ、こういう先生の教えでございます。
たとえてみますと、泉先生がお達者でありました時に、人をよく拝んで下さって不思議なお話がありましたのでございますが、その先生のお助けぶりというのが、理屈やなんかで疑えなくていかにも神さんのお仕事で人間の力ではわからないというような、お導き方でありました。先生のお付き合いしていない信仰のない人の考えからいいますと何事にでも理屈でいうてしまうので、こういう事がありました。 私が井戸を掘っていたときのことです。それは酒屋の井戸でございますから大きな井戸です。中で二三人が掘っていたのですが私が、屈むのと一所に、鶴嘴をふるうとる人が鶴嘴を振りおろしたのです。私がかがみましたから、尻が、後へ寄ります。そこへ、持ってきて、鶴嘴を振り回したのですから、ワアーと言うて、鶴嘴を振り下した人が、ビックリ、声を出したのです。それで、私も「どうしたんですか」と言って、後へ向いた所が「あなた、今けがしやせなんだん」「いやどうもないが」といって見てみますと、私のシャッとバッチのあいだへ入っとったのです。
お尻の所に、鶴嘴がささった穴があいとるのです。その穴が差しわたし約一寸(三センチ)位の穴が、親指よりもっと太いものが通るような穴があいとる。それが冷たかったのです。一ツも痛うない。私は、ああ、これは、まことに有り難い。あれが突き立ったならば、大けがでございます。さっそく私は、井戸から出まして思わずお礼を申し上げた訳なのです。
所がその中に一人理屈をよくいうお方がおったのです。その人が言うのには、「あれ、旦那はんがかがんだ時に、お尻を後へ突き出したら、まともに突き立っとるんじゃけんど、お尻を後へださなかったので。それで突き立たんと、パッチのところえ鶴嘴の先が入ったので、それは、振り降ろす人がおぶけてあっというて、手を引いたけん、間に鶴嘴の先がすべってしもたんや」とこう言うのです。なるほどそうであったかも知れません。それはその人が言う通り私が尻を後へ出さなんだ、振りおろす人がおぶけて手を引いたと、こういうことには違いないのです。そのように考えますと有り難いということがなくなります。達者な者でも、わしゃご飯よく食べて、よく働くけん達者なんだとはいいますまい。ご飯食べて運動したとて、必ずしも達者になりません。そういう風にすべての物事を理屈ですましてしまうと、しまいには詰まってしまう事ができるのです。
たとえてみますと、こんにちの電気でございます。あの電気を起こすのには、ダイナモという機械があって、それを北と南との方に強いエレキのその力のある物を備え付けておいて、その間に針金を沢山巻いたコイルという物を入れて、それを回したら、電気が起こるんだ。水力電気でもそうです。SとNすなわち南極と北極とのコイルをエレキを向けて、その間へ大きなコイルを入れて、それを水の力で回しとるのです。それで電気が起きる。起きるが当り前だ。こういうように電気学者は言うておりますが、それなら、北と南とに電気をすえる。ダイナモをすえる。エレキをすえる。それを回すとなぜ電気が起きるのなら、どうして起きるんならと言うと、誰も答えられないのです。
起きるのは、わかっております。これは学者は知っとります。それなら、それがクルッと廻ると、目にも見えない強い所の電気がなぜ起きるんならというと、電気学者と言えども、訳がわかりません。自然にそうなるんだと、言わな仕方がない。こういう風に物事は押し詰めて行くと答が出来んようになるのです。これはいつの世になりましても、そういう風になって来る訳です。
昔の話に変りますが、有名なニュートンが、子供の時に裏の庭を散歩していたのです。ところが庭のリンゴが赤く美しくうれていました。ちょうどそこまできてきれいだなあと見上げた時にパタッとリンゴの実が落ちたのです。
ニュートンは、あれどうして落ちたんだろう。大ていの人であったならば、あれはうれると柄の所が弱くなるから離れて下へ落ちるというでしょう。それに違いない。違いないけれども、取れるとなぜ下へ落ちるんだろう。取れたら上へでも飛ぶか、横へでも飛ぶかするのなら、どちらへでも飛ぶならまだしもじゃけれども、必ず下へ落ちる。上へは落ちない。これは不思議じゃなあーというて研究した結果、これは土地に引力というものがあって引き付けとるのだ。
その引力が無いようになったならば、どこへでも飛ぶんだ。こういうことになります。その証拠に、今日でも引力というものがないようになりましたならば、重いだの、軽いだのいう事がないようになるのです。
たとえば鳥の毛とここに十銭銅貨と置いてご覧なさい。どちらが土地へ早う落ちるかというて離してみると、銅貨の方が早う落ちるでしょう。重いからというでしょう。重いから落ちるというのがおかしい。重いから落ちるというのが常織になっておりますから、不思議が起こらない。ところが、ただ今、鳥の毛と銅貨と一つのガラスの管の中へ入れて、その中の空気を全部抜いてしまう。真空にしてしまう。そうして、真空の中で鳥の毛と銅貨とさかさまに落してみると、鳥の毛も銅貨も一緒に落ちるということになります。
こういうふうに、物が落ちるのでさえも不思議と考える人が引力を発見したのです。今日、引力を研究し、月を回って、月の裏側の写真を撮るというような機械が発明されておりますが、不思議が起こる人が発明したのです。
不思議の起こらない人は何事も平穏ですから、有難みも無けりゃ、信仰も無けりゃそういう世の中を利するやいう事は考えられないの です。不思議が起こるほどよろしい。先生はそういう風に不思議ということを理屈から考えずして、神様の方へ向けて有り難いと悟った方なんです。
ともかくも、不思議が起らんというのは、頭が悪いか、理屈が多いか、この二ツです。頭の悪い人は不思議が起こりません。すこしも不思議は起こりゃしません。生きとるだけです。又理屈の高い人は、それを理屈で考えて、学者になれるけれども、有り難い聖者にはなれません。学者必ずしも聖者ではありません。聖者は必ず学者です。こういう事を先生がおっしゃっております。なるほど考え方によりますと、私らが生きておるのさえ、不思議になって来るのです。どうして、なぜ生きているのならと問えば、簡単ですけれども、お医者さんでも、この人間の生命というものに対しては、答えが出ないのです。いかな学者もこの生命、生きておる生命というものに対する説明は出来ぬそうでございます。ですから、不思議という事に対しては、多いほどよろしい訳です。
一一七条はこういういつも、ありふれた事の中に信仰を含めた先生のお話ですから、まことにこれは、結構なお話と思います。不思議はしっかりあなた方が考えなさる方がよろしい。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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第一一八条 「たとえ草履のやぶれにも礼をいえ。」


私いつも先生のお供をしてお参りに行ったものでございますが、先生に、竹でも木でも杖になる物はいつも拾ってお持ちになっとるようなことがよくあるのです。そうすると、道を歩いておいでて、ついその破れぞうりが道にはねかえっておりました場合、裏が上へ向いていると起こします。そうして先生は、すぐに道のはたへ持って行って 「あい」と言って、「あい」と声を出しませんが、うなずいて、お辞儀をした姿でスッーと向こうへおいでるのです。
一ぺん先生にお尋ねした事があるのです。「先生ぞうりの裏が上へ向いとるのを先生はかえして横へ寄せなはる」 「ええ、横へ寄せた。あれはなあー、ぞうりの表は、まあ足ではいとるけれども、裏というのは、きたない物踏むのじゃ、ツバはいても、それをぞうりでする、又非常に不浄な物でも踏まんとはいえぬ。だから、表より裏の方がきたない。きたない方が上へ向いていると、それを見た人は喜ばん。お日さんも、その裏のきたない方を照らしてござる。だからわしは、ついでにかえす、そうして横へ寄せるのだ」「ああー、そうでございますか」と言うて、先生と私、お話した事がありました。
それから又はいているぞうりが破れたりしますと、新しいのと今度はき替えたら、それをピーンとほうっておいてソロッとはき替えて、道を大低歩くものでございますが、そのはき捨てられたぞうりが揃うとりゃよいのですけれども、妙にその破れたのと、新しいのをはき替える時には、揃わんものです。あんた方はご承知だろうと思いますが、
足でピーンとけるものです。いらぬもの捨てるように、足でピーンとけって、新しいぞうりとはき替えて、歩いておいでるお人が多いようです。その時分には、その破れたぞうりがちりちりばらばらになっている。それを先生は揃えるのです。きちんと揃えて、道のはたへ寄せて、チョコンとお辞儀してるのです。これも、私が先生があんなになさ っていると思って「先生、色々な事お尋ねしてまことにご無礼でございますが」「うんあれはなー、ぞうりが無かったら、足の裏が痛い。ぞうりがあった為に、足を痛めずに歩けた。その歩いた人から言えば、功労者なんだ。草履は、もう破れてはけぬようになったら、ピーンとほうられてあわ向けになっとる。もし人間であったら、村木さんどないする。そういう功労のあったものとして、そろえてご苦労さんとお礼いうんじゃ。」こういう風に先生からお話しがあったんです。ちょうどぞうりでも、木切れでも、先生には生きておる人と見るのです。いのちのある人と見ますから、そういう礼が出来るのです。
どうぞこの一一八条は、たとえぞうりの破れにでも、礼がいえるという風に、施しをすれば信仰が神に届く、と、こういう先生の教えです。ですからこういう風に考えて行けば、何事にでも礼がいえます。もう一つ言い換えますと 一日のうちに有り難いと思った事、口に有り難うといえた数が多い人が信仰が届くという事になるのです。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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第一一九条 「うつは物は中へ入れる物により、強さが違う、人も心の持ちようで身体の強さが違うて来る。」


心の持ちようで体が弱くなったり、強くなったりするということは、よくおわかりになっている事でありますが、これを一つ地理の上で、山間部と平野部、都会と田舎、又は職業によってはどうか。これをわけて見てみましょう。
第一に地理の上で、この辺りで申せば祖谷、一宇あたりであります。いわゆる山間部か、それと徳島市、あるいは 鳴門市という、所と比べて見ますと、山間の方は、まことに生活が簡単であります。よほど交通が開けてまいりましたけれども、本当に別天地のような感じがするものであります。あの祖谷のカズラ橋へ行ったことがありますか。
この頃こそ、電燈が光り輝いておりますが、明治時代でありますと、ランプをつかっていました。この頃は都会と同じように電燈がついて、かわってまいりました。如何に文化的になったとはいえ、やはり山間部の人は人情味が豊かです。たとえば私達が旅行しまして、道を尋ねましてもワザワザついて来て教えてくれます。こういう風にまことにその人情味が厚うございます。日常生活は別に栄養になるような物も食べませず、ほとんど菜食という風でございますが、健康面においてはすぐれております。今、山間部では八十才位の人で、山仕事をしている人は沢山あります。
ところが、徳島市のように都会化してきますと、生活も都会じみてきまして、人々も都会人めいてきまして、イライラしとる所があります。従って体の弱い人が多いのです。山の方では、今でもまだお医者さんの無い村がありましょう。お医者さんの無いということは、また健康だということを意味しとる訳です。 こういう風に山の方は、大変人情味もありますし、生命も長い。それから、不思議な事は信仰者が山の方にかえって多いのです。これは妙です。新聞にでも折々出ておりますが、犬神とか何とか山の方でよくいうとりますが、これは迷心でございますけれども、迷心にしても、都会の人はようしないのでございます 。非常に信仰心の厚い人が多いのでございます。
今度は人口のちゅう密な場所と、いなかと比べて見ますと、大阪あたりでは、日本中で一番生命が短いのです。
ことに大阪でも堂島といいまして、相場を年中しているところです。この相場だけで年中自分の生計を立てとる人があります。こういう所へ行きますと、目がさめたら寝るまでの間、物が上がる、下がるの心配ばかり、この方面が一番体が弱いようなことになっております。(統計上)それから、職業によりましても、非常にその人の強い弱いが変って来るのです。徳島県あたりは、農家の方が多いのでございますが、比較的健康者が多いのです。職業によりまして、山の鉱山あたりでは、穴の中深くで仕事をしている人もあります。又、水銀の製造所のように、毒ガスの出ている中で働いている方もあります。こういう風に職業によりまして、健康状態が非常に違うて来る。これも止むを得ん訳です。徳島県では炭坑はありませんが、九州あたりへ行きますと土地の下何百米も入って仕事をしている方もあります。従ってそういう方は気持がまるっきり違うのです。又、心の持ちようも違うてくるのです。そういう訳で、これが人間の体の健康上に非常に関係があるという事は、これ又、免れん事であります。
(昭和三十四年十二月三十一日講話)
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第一二〇条 「忍ぶ事は喜びの、もと、喜びは健康のもととなる。」


これは私が若い時分浄瑠璃を稽古しかけた事があるのでございます。三人上戸という浄瑠璃があります。三人怒ったり、泣いたり、笑ったりして出て来るのがあるのです。私がやりかけた所が一ぺん怒る事は、怒るのです。怒ってみるのです。その後で笑ってみたら笑えんのです。中々浄瑠璃でさえむつかしいのでございますが、ことに、本当に怒ってご覧なさい、その後で喜べるものじゃないのです。けんかした後で歌が歌えないのとおなじです。最も違いない事であります。人が心から怒った後ですぐ、喜ぶということは非常にむつかしい仕事です。
大体この信仰というものは、人のつらがる事でさえも、これを喜びに転換するという力があるのでございます。
又、方法もあるのですが、そういう信仰方面からこの事を見てみますと、怒るという事は喜び事には中々向いて行かない。今、ここでは、泉先生のお話しによると、怒った後では喜べないとおっしゃる。なるほど、考えてみると、そうです。ところが、忍んだ後は、喜べるというのです。
先生のおっしゃるには、忍ぶという事は一ついい換えてみると、人に譲る、和合する、極端に言えば負ける、こういうように人に勝とうとしないのです。闘争心を持たないで、耐えて行く。忍ぶという事は、喜ぶという事の、もうすぐお隣りです。ですから、信仰の上では、忍行といいまして、忍ぶことを非常に重きを置いております。
なるほど、泉先生のおっしゃる通りに、怒った後は喜びにくい。ところが、忍んだ後は、喜べるんだ。あんた方が考えてご覧なさい。日常のことに付いて、しんぼう強い人は、必ず喜びが多いのです。そういう事を泉先生は、おっしゃっております。今日の科学の方面から見てみますと、中々面白い実例があります。
あの犬を捕えて来まして、つないでおくのです。そして、犬の好きなすき焼きであるとか、犬の好きそうなかおりをかがさせます。犬は、まことにほしそうに舌をペロペロいわして喜びの顔を見せます。その時に、白金で造った細い管針を腹の所へ通しまして、胃袋をそれで刺すのです。犬の胃袋の中に、どういうものができているか、その胃袋の中の液を吸い出して、検査してみますと、大変物を消化する、健康を増すというような液体が、胃袋の中にできている。ところがその反対に、ごちそうを並べてある所へ、犬が非常にきらう所の猿であるとか、あるいは猫であるとかを連れて来て食わすのです。たちまち犬は怒り出す。大きな声でワンワンとどなって、今まさに飛びかかって行くかのように怒って来るのです。犬がその時分に、今度はその刺してある所の針から胃袋の中に、どういう物ができたかという事を調べて、液体を出して検査してみると、驚くことには今まで、体の為になくてはならぬ所の立派な液体が出ていたのが、コロッと変わり、胃をそこねる所の、液ができるという事です。こういう風に、ただ怒るか、喜ぶかという事だけで胃袋の中はそういう風な変化が来るのです。これは今日の科学上争えない事実になっとります。
これはただ単に、私がお話し申すのは、胃袋だけのお話しをしたのですけれども、その他の臓器、色々な臓器がありますが、その器管が、怒ると破れて行くのです。怒ると害が多い、忍ぶとか、あるいは喜ぶとかいう場合には、それが良い方へ向いて行くという事がはっきりしとります。ここを泉先生は別に科学とか、そういう理屈めいた事は、お知りにならんのですけれども、ご自分のお考えの中に、そういう事をおっしゃっています。実に偉大な人格者だけに驚くべき事を、おっしゃっております。
この一二〇条に書いてあります怒った後は、喜べない気持になりやすいから怒るな。又しんぼうした後は、朗らかに心から喜べるようになるんだからしんぼうせえ、こういう風に教えとる事は、実に名文句と言わねばなりません。
(昭和三十四年十二月三十一日講話)
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